なぜ趙括さんは英雄になれなかったのか?
王コツを舐めたらあかんな
長平の秦軍大勝利は王コツが廉頗軍ボコってる間に
上党郡の大半を秦が確保したことがでかい 趙の方が本国に近いけど山越えルートだからな
秦に兵站確保を許したのは痛手 趙括の相手が王齕だったならどういう結果になっていただろうか 相手が誰だろうと国力がダンチ過ぎるからどうあがいても秦の勝ちだろ。
長平はペナントでぶっちぎりの優勝が決まった後の消化試合みたいなもん。 後知恵で考えると、秦より強い超大国だった晋が3つに分裂したのがダメだったような気がしる
一国じゃ秦に対抗できず対立して足引っ張り合って、最後は全部滅ぼされた 「鶏口となるも牛後となるなかれ」だから、みんな君主の立場になってみたいんだよ。 まあ紙一重って奴だ
秦の脅威を魏だけで抑えれていれば
北方に雄飛した趙なんかは中原を気にせず
漠北を席巻する超大国になったかもしれないし
もう100年戦国が続けば朝鮮半島をジワジワ南下してた
燕なんかも面白い存在になったろうな >>204
晋が最大強国だったのは春秋中期まで
末期は楚や秦の方が強国 昭襄王(宣太后)、魏ゼン、白起
この人たちの六国戦力削りが異常すぎた
それまで10万前後の損害なんか無かったのに 春秋時代は勿論
戦国中期と比べても桁違いだよね
さりげなく義渠王を殺して義渠を征服する宣太后こわいぉ 韓の上党太守だった馮亭さん(趙:華陽君)
趙括さんと共に秦軍を防いで戦死してるのね 漢書:馮奉世伝より 趙括の初の実戦でいきなり無敵の白起が相手なのはいくら何でも相手が悪すぎる
まずは並の将を相手に戦って少しずつ実績を積んでいけばまだいくらかマシな結果だったかもね 韓信は指揮官としては初の実戦で章邯フルボッコだからな 例え初陣で大勝を挙げても諸葛恪みたいな例もあるからな >>215
章邯は名将だけど人材粛清されまくった末期の秦基準だからなあ
白起達とは比べられない気がする 韓信は項羽の下で結構経験積んでたと思うよ
諸葛恪は山越や対魏戦で経験豊富、東興では大勝と愚将ではないな
呉の歴史上最多の大軍を率いて北上し、東興の傷が癒えぬ魏軍と戦い大惨敗したのはアレだが
対応した毌丘倹さん手強いし 合肥って呉にとっては鬼門だよね?
過去にも張遼にフルボッコにされてたはず 趙括さんって今で言えば
宮沢喜一
鳩山由紀夫
菅直人
的な評判倒れの無能政治家みたいなもんですね
口だけ達者なのも能力かもしれませんが 抜群に無能な政治家とそれに比べればマシな政治家なら 日本は優秀な兵隊がいるだけで
昔から指揮官は無能と相場は決まってる
その兵隊さえもゆとり教育と労働市場の解放で蹂躙されて崩壊した ある意味初陣でマリアナ沖海戦に出た艦攻パイロット並みの悲惨さだな ・敵は白起
・相手を上回る超大軍だが前任指揮官の連戦連敗後なので状態は悪い
・遠征かつ篭城中なので兵站線は厳しく本国でも兵糧が逼迫
・秦王が新たに徴兵した秦の大軍が長平に向かいつつある
趙括の目標:秦軍を破り、秦が進めつつある上党郡の領土化を阻止する 前から思ってたけど
趙側は兵力を抑えるべきだったよね守りに入るなら
長平の守りは10万ほどでいいじゃん
えっ廉頗が守り切れない?そんなの知らん 前任者をディスって超括を擁護しようというんだろうがどうやったって無理ですから
あきらめなさいって 白起レベルでも城や砦ににこもられたらどうにも出来ない見本が長平 白起さんは城落としの名人だぞ
廉頗の砦は王コツが普通に攻略していってるから兵力が少なければ危ないと思うな 昭王47年
4月 趙軍の副将茄が戦死
6月 秦軍が趙の2つの砦を落とす。趙軍は部将4人を失う。
7月 秦軍が土城を落とし部将2人を捕虜にする。 廉頗更迭
無理ゲー
李信軍並みに指揮官が死んどる、王さんすごいなwww
>>237
白起は重要そう城でも(城攻めとしては)一瞬で落とすからな…… 信「俺らも結構やられたが、飛信隊の副将は死んでねーぞ!」 趙括さんて、もしかしたら廉頗軍の将のひとりとして現地にいたんじゃないかねぇ…東の塁壁の守将とかで
廉頗軍、戦死者逃亡者続出、陣地陥落で窮地! になってから趙括さんと交代まで早すぎるような気が >>225>>227
これ真理だろ・・・クソジャップ死にやがれ!!!!! >>243
たかが有象無象の分際で無駄に自意識過剰すぎんだよサルwwww >>219
韓信は項羽の元にいたときはせいぜい足軽のリーダー程度の身分だったんだよね?
そうなると、戦場に出るときは目の前の敵を倒すことに躍起になりながらも、全体の戦況や陣営を把握してたのかもね。
で、雑兵に混ざって戦っていたわけだから、雑兵の側にいるときの心理もわかる。
だからこそ劉邦に大抜擢されたあとに繰り出した戦法も、机上の空論にならなかったのかもしれない。
さしずめ今で言えばバイトリーダーでありながら、店や会社のいろいろなことを把握しているような感じかw 趙括ってまぁオヤジの七光なんだけどさ
机上論でチョウシャを黙らせたって話がデカイんだろうね 親父の対秦勝利って日本でいう桶狭間的な奇跡の勝利だったんだよな
レンパもリン少女もちょwwwww絶対無理ゲーwwwって参戦に反対した戦
だからそのDNAを持ってる息子に期待するのはわかる気がする 細かいことだが救援軍派遣に反対したのは廉頗と楽乗
それまで対秦戦は一方的に趙がボコられてるから両将が懼れるのも無理ない
邯鄲から険阻な山を越え秦と対峙する困難な状況は
長平の戦いと似た点が多いので当時も意識されたでしょうね 趙括「自分が論破した父でも秦に勝てたんだからこの天才の俺様なら楽勝じゃん」 まぁ趙括と馬謖って似た立ち位置だよね
たぶん生き残ってれば経験積んでそれなりの将軍になれたんだろうけど
初戦で大敗してそのまま消えたっていう共通性
でもそれがなければ歴史に名を残さなかったかもしれない 馬謖は擁護できん
孔明の指示無視しての大失敗だから 魏も秦も最強国だったのだから劉備と趙奢が「あいつは使えない」と言ってなければ国力の差で負けた一将軍と言うだけで済んだのにね いちお馬謖は南蛮攻めの時に、諸葛亮に建策するという功績があるけど(それでもたいした建策じゃないが)
趙括は何も功績が無い >>261馬謖は命令違反で敗北だし、第一次北伐は北伐の中で一番成功率が高かった戦いだから
やっぱ国力の差で負けた一将軍では済まなかったと思う >>264蜀書の諸葛亮伝に馬謖が諸葛亮の指示に背いたと書かれている 恥晒すためだけに名前残した将軍や文官
・ 趙括
・ ロウアイ(チンコで車輪回した人)これはある意味憧れる人もいるかも
・ シンプヨウ(ビビってガクぷるの人)
シンプヨウは結局処刑されたんだよね?
丞相参軍の馬謖は諸葛亮の指示を張休李盛黄襲らに徹底させることができずに
独断での行動を許してしまったため監督責任を問われ処断された 今に例えれば
大臣の小渕優子は安倍の指示を秘書や後援会長に徹底させることができず
独断での行動を許してしまったため監督責任を問われ辞任させられた
みたいな感じか >>268そういった記述ってどこに書かれてるの?
蜀書の諸葛亮伝には馬謖が諸葛亮の指示に背いたとしか書かれてないが 防衛戦は略奪できないから自分の領地から持ち出しで経費ばかりかかって、国内諸侯からの突き上げがひどかった説。 >>270
異様に連座者が多いのはどう説明するの? >>271
尋常ならざる大軍で長期遠征となると当然だな 一年で罷免されてなければ田単だな
孝威太后→田単の流れで斉と友好関係を築いていたからこそ趙国史上未曽有の戦力を対秦決戦に投入できたのかも 華々しく大敗デビューを飾ることで歴史に名を遺した趙括だけど、デビュー前は何してたんだろうね
まさかずっと宮廷で論戦無双してた訳じゃないだろうし
一応、武官待遇で出仕してたり、案外指揮官としてとして従軍したり拠点管理、兵站業務くらいはしてたんかね チョウシャが死んだ後は武官として出仕してたと思うけどね
その割になんか初戦で大敗みたいな書き方が気になるね
チョウシャが死んですぐにBC260年の上党への秦による侵攻が始まったのならちょっと不運だね
チョウシャが評価してなかったから一緒に従軍させてなかったのかもしれんね 司馬遷にとってもかなり昔話だし、史記に不自然なとこが散見されるのは仕方ない
趙に限っても…
刎頸の交わりで有名な上卿の力で秦は趙に手を出せなかった
→嘘つけ!広大な趙の西方領土はズタズタ、斉王建なみの対秦戦消極姿勢じゃねーか! 最初から趙括に指揮を執らせ積極果敢に動いた方がよかったんじゃね?
まぁ長いこと魏冉の近交(攻めないとは言ってない)遠攻策、
恫喝外交にガッツリはまって斉ばかり攻めていた趙に秦とガチンコ勝負する決断は出来ないかもだが。 趙括が廉頗から引き継いだ時の状況が気になる
・(たぶん前衛の?)砦が陥落する
・西の塁壁と陣地を守る趙軍敗績
・趙中軍の布陣する塁壁に秦軍肉薄
趙括軍の正面と西側に秦軍が布陣していたのか? なんにせよ秦の援軍が河内方面から到着したら絶対負けるだろう
機動力のある軍を編成して王コツ軍を迂回→太行道を奇襲して塞ぐとかしないと… 今の晋城市付近の城を抑えないと、どうせ圧力に耐え切れない気がする。
西の河東郡からの攻撃もあるし。。 鎧を解いて(軽装になって?)敵の不意を撃ってはどうか?
とか孝成王言ってたような >>276-277
さすがに戦時で兵法の名家なのに、従軍していなかったというのは不自然だね
@趙奢の元で親衛隊の将校あたりを努めていたが、父の死後、一族に誇大に宣伝された
A斉や燕あたりに、千人ぐらい率いて、果敢な戦法で勝利をあげていた
B兵站、城防御、邯鄲での兵法の相談あたりで功績をあげていた
どれかだろうと思うね
趙のジリ貧をよしとし、大軍なのに打って出ようとしない
廉頗・藺相如に、田単・平原君あたりが不満を持ち、趙括登用に持ちかけたと思う
武霊王・田単・趙奢どれも積極策で勝っているからそこまでおかしい判断じゃないな
趙括は名声高い田単・平原君のために戦犯にされた節があるね
この二人が斉・魏・楚から援軍を得ることができなかったことと、
微妙な立場になっていた白起を秦からのぞけなかった外向的敗北だろ 外交に関しては無難に過ごした恵文期が仇になった感があるな
秦に押された分を苦境にある隣国、斉や魏を攻めて補うのが基本姿勢だったから
田単就任後は斉と休戦したけど代わりに燕を攻めた、実は味方がいない趙
穣侯時代から恫喝と僅かなアメを駆使して諸国を制御した秦の方がある意味信用できる 秦の中原進出を阻止できた可能性のある国って分裂しないままの晋だろうね
魏趙が単独でも結構粘ったくらいだし 韓も忘れないであげて、
真正面から散々痛めつけられ続けるも隙あらば他国と結んで秦に挑戦する根性は割とすごい
>>287
そりゃそうだが異次元の強国が誕生する 敗色濃厚となった段階で、消極的で臆病風に吹かれた老将をやっと罷免して、
国運を背負った秀才青年将校が、乾坤一擲の投機的な戦いを挑んだってこともありえるんだな
で、百年に一度の名将を相手にしてしまったばかりに大敗し、兵をほとんどが殺されて、
後世に汚名ばかりが伝わったって感じかもしれない
結果から判断されてしまったが、過程が見えると同情の余地はあるよな 古代になるほど一次資料(判断材料)が少なく、
代わりにストーリーが残ってしまう事が多いから考えても無駄なんだよね残念ながら
比較的時代が新しいと俗説では愚かとされていた人物が詳しく調べると実は違うとかザラだけど 廉頗その後が気になる副将として本陣に残った可能性もあり?
個人的にこの敗戦は上党を取るという積極策、大軍、消極的な廉頗
趙国首脳が噛み合わせの悪い布陣を敷いた時すでに決まっていた感
>>292
こんだけ有名で重要な戦役なのに
趙括や廉頗の発言が一つも史書にないんだよな(父母コメより本人優先しろよw) 趙の残存していた塁壁(砦)はどうなっていたのだろうね
実際は全兵力で攻勢に転じたわけではないでしょうし
あと王コツに奪われて逆利用された(推定)場所の抑えに兵を割く必要も 李牧の匈奴との戦いでも消極策で王の不信を買い交代させられて負けるという似たようなエピソードがある
つまり!すべての謎は解けた!
趙括と言う人物ははじめから存在していない架空の人物!
趙は単純に白起に力負けしただけなんだけど李牧のエピソードを借りてきて面白いストーリー仕立てにしてみた! 秦の記録に「白起が馬服(君)を穴埋めにする」とあるんじゃなかったっけ。
馬服君は趙奢の事だけど既に死んでるから息子の事だろうって。 逆に廉頗はどの程度有能だったんだろうか
国運を掛けた大軍率いて寡兵相手にじり貧状態とか
趙の首脳部では確実に廉頗に任していたら近いうちに国が亡ぶって認識持ってたんじゃね もし本当に趙括が実績も何もない若造という史記の逸話がマジなら
廉頗の戦いぶりは底辺レベルの評価だった可能性があるね
当然、現地から情報集めて戦況分析してただろうし 廉頗はある意味政敵の趙括と趙軍が壊滅したあと逆に再評価されたワケじゃない
かなり長い間名声は失墜し権勢を失っていたから当時は戦犯の一人扱いかも試練 戦国時代の合戦は具体的情報ないからなぁ
まあ落とされた拠点の数や戦死or捕虜になった将官の数がわかる長平の戦いは比較的マシなんだけど >>299最初、藺相如と反目してたり、長平で趙括に将軍を交代させられたり
孝成王が死去した後にも将軍を交代させられた事を思えば廉頗って敵を作りやすく趙では嫌われていたんじゃないかと思えてくる >>301
刎頸の交わりで藺相如との溝が完全に埋まったとは限らないしね
廉頗が趙国内でどういう政治勢力を代表していたかが問題になる
恐らく廉頗は権臣、かつ中山地方の有力豪族出身の可能性高いし
悼襄王は対秦反撃に李牧等を起用したし采配が特別おかしい王じゃない
交代した楽乗の格は十分、後世廉頗の謀反は同情的に語られるが真相は如何に >>302
楽乗からしたらほんと、とばっちりだよなw 廉頗は宮廷派とは対立してた派閥の領袖だった可能性はありそうだな
そんで趙王の側近で反廉頗派の論客だった趙括が、廉頗の追い落としに成功したらそのまま軍を引き継いだと
この時代なら文官が軍を率いることもありそうだし、趙括司令なら宮廷周辺の意向も通じやすい
案外、趙括の以前の軍歴が不明なのは親父の軍功で宮廷貴族化した趙家を引き継いで宮廷につかえてた文官で
出自と歴戦の軍人をも論破する机上最強の弁舌から、軍事に精通した文官だと思われてたのかも >>272
上司の罪を防げなかった部下も連座なだけだろ 括ちゃんは、戦場において、こういう場合はこう、相手がそうきたらこうと言うことはできた。
だから親父もそこはその通りと認めるしかなかった。
でも心の中では、お前は人望ないから人がついてかないし、兵士の士気が読めないから、かわりゆく戦場の空気も読めない。だからだめだと思ってたんじゃないかな。 まぁ相手が蒙恬じゃ兵法書は同じくらい暗記してるわけで
後は戦場の経験の差がモロに出たと 相手って白起じゃないか?
蒙ちゃんは始皇帝の時代の人間やで >>308
趙括は長平で人望欠如&空気読めないから白起に負けたのか?kwsk 趙括は食料倉庫の管理係とかならその能力を存分に発揮できたんだろうな・・・ 明日理不尽に死ぬかもしれない・・・しかも年老いた母、妻子を残して
そんな時代に王様から頂いたお宝、給料を独り占めして「俺の父ちゃんは天才軍師!俺天才!」
なんてほざくアホボンに誰が真剣に仕える?って話 ☆ 日本の核武装は早急に必須ですわ。☆
総務省の『憲法改正国民投票法』、でググってみてください。
日本国民の皆様方、2016年7月の『第24回 参議院選挙』で、日本人の悲願である
改憲の成就が決まります。皆様方、必ず投票に自ら足を運んでください。お願い致します。 【ニンテンドー】 ポケモンよりUFOを撮ってゴミリカとゲスウヨを倒せ、ゲーム脳ども! 【マイト レーヤ】
∧,,,∧
(´・ω・`) < ポケモンと任天堂株に群がるウジムシども、覚悟はいいか?
(| |)
し--J
近い将来、欧米で株式市場が破綻すれば、マイト レーヤは直ちに出て来られるでしょう。
最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。
差し迫る株式市場の暴落は、他の人々が飢えている間にお金を儲けることの結果です。かれらは自分の財産を隠し、犯罪的雰囲気さえも創出しています。
彼らはただ座って待っているだけです。世界を餌にして生きており、何も還元しません。 来るべき株式市場の崩壊は必然的に多くの失業者を出すでしょう。
日本から始まる世界的株式市場の大暴落
ウォールストリートの大暴落(1997年)につながったプロセスが、いま日本におけるプロセスの中に写し出されており、再び株式市場の暴落につながるでしょう。
終いには政府にも支えることができなくなり、どん底に落ちていきます。日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻し、マイト レーヤは出現するでしょう。
マイト レーヤは何百万の人々に話しかけることのできるようなやり方で、まずアメリカに現れるのです。それから日本です。
彼は日本人ではありませんが、日本語で話すでしょう。彼は、非常に物静かなやり方で話します。彼の最初の控えめな態度に混乱してはなりません。
非常に間もなくマイト レーヤを、テレビで見るでしょう。マイト レーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。彼は「匿名」で働いております。
マイト レーヤが公に現れるにつれてUFOが、とてつもない数で姿を表すでしょう。
竹下雅敏「どうも日本人のレベルの低さというのは、ドイツはUFOテクノロジーを完成させていたのに、日本は戦艦大和で喜んでいたという感じなのです。」
矢追純一「宇宙人側からの申し入れは、核の利用と戦争をやめ宇宙人の存在を公表しなさい。ロシアという大国の首相がね、2回も言ってるんだからね。」 藺相如のバランス感覚が良すぎた。武骨な廉頗や徴税人上がりの趙奢が活躍できたのも多分藺相如の尽力があったのだと思う。それは多分田単にはできなかったのだと思う。 >>317
まあ実際に他の人は使いこなせてないしな >>317恵文王の存在が大きかったんじゃない?
趙奢や藺相如を抜擢したのも恵文王だし、廉頗も恵文王の時に将軍になったし おまいら趙奢を推挙した恵文王の宰相・平原君様のこと忘れてるやろ 無能じゃないけど
まあカツ丼牛丼親子丼ときて海鮮丼みたいなやつだね でも平原君のエピソードって
・嚢中の錐では有能な食客の能力を見落としてるし(その食客のおかげで趙楚同盟締結)
・信陵君が身分の上下に関係なく有能な人物には低姿勢なのに平原君は上辺だけって喝破されて自身の食客からも見捨てられたリ
・秦に滅ぼされそうなのに贅沢三昧して軍人に苦言呈されたり
・韓が上党郡を引き取ってくれと言ったらホイホイ引き取って秦の侵攻を招いたり
ほんとしょーもないよねw こう見ると、平原君って信陵君と比較されてdisられる傾向があるんだなあ
趙の宰相とか重職を歴任して割りと趙王と仲が良かったっぽい平原君と
合従軍で秦を打ち破ったけど兄の魏王に疑われて事実上の引退に追い込まれて酒毒で死んだ信陵君
客たちにしてみれば信陵君が平原君みたいに信用されていれば! みたいなところがあったのかねえ >>322
海鮮丼を馬鹿にし過ぎだろ。俺もあんま好きじゃないけど 六国の弁の立つ游士や巷間の民、世論は平原君を侮り笑ってたかもだけど敵の秦王は平原君を嫌い警戒してたっぽいよ
国益のぶつかる敵国に嫌悪される人間、これは秦側メインのエピソードで存在感がない藺相如たち他の趙臣より手強いと思われてたんじゃないかな? 確かに戦国四君の中で最も抗秦姿勢を貫いてるのは平原君だな、実際に最強秦の圧力に直面しても反秦姿勢はブレない
藺相如は経歴から察するに連衡派よりでしょうたぶん 秦との外交(盟約)のたびに地位を上げてるから強大国の外圧を背景に権力の階段を登ったタイプかもね。 孟嘗君は滅斉を止めれなかったのか止める気がなかったのかは知らんけど
ほんまに宗家潰すなんて地下の先代泣いてるだろうな・・・ 武安君のどこが弱そうなのか
格好いいだろ
お前の言う強そうって何だ?魔とか聖とか覇とか入ってるのかw? >>327
推察の通りだと思う。
藺相如はこんな感じだと思う。
…完璧のエピソードや、秦の昭王(昭襄王)に酒器をたたかせて趙の面目を保ったエピソードが燦然と輝いているけれど、
商鞅⇒張儀⇒甘茂⇒穣侯(そして長平の戦いのB.C.260年には范雎もいる)と、敵ながら秦の脅威を十分理解していた賢者。
実際、完璧のエピの前後はいくつか城を攻略されていたから、十五城との交換を断るのを得策じゃないと考えた現実主義者ってところ。
廉頗は、秦にはからきし勝てていないイメージが強いが、燕や魏には勝ち続けている。相性もあるのかな。
長平の戦いは2年の長期戦で、逸を以って労を待つといった感じで語られることも多いけれど、秦はすでに遠征に耐えられる領土を確保しつつあったし、
趙本拠から地理的にも離れていることもあって、籠城するしか手はなく白起とガチンコで戦ったらどうなっていただろう…、分が悪かったかなとも思う。
(趙括が45万の犠牲者を出して惨敗したから、廉頗の持久戦が評価されてしまった感はあるかも。)
平原君。戦国四君でも抗秦姿勢を貫いたのは確かだろうけど、司馬遷も言う通り時勢を見極める眼は持たなかったというのが当たっているだろう。
食客の数あるエピソードも残念賞ばかりだ。
>>323のエピに加えて、脚を悪くして歩き方を平原君の愛妾に笑われた男に対する態度も、あれじゃいかんよね。 趙って国自体に問題があるよなぁ
廉頗は追放
李牧は処刑
救いようがない 統一した秦だって始皇帝死後は
李斯、蒙恬処刑して滅亡に向かってるしね
人間のやることだから完璧な国家なんてないよ >>338
楽乗「廉頗=サン、貴方は追放じゃなくて自業自得の出奔ですよ!」
>>337
平原君「食客とかいう金の亡者ロビイスト連中のオナニーエピソードを真に受けてはならぬ」 平原君さんの評価はともかく
食客、遊説家age逸話は信憑性ないっすね 廉頗も最後まで趙にいたら暗殺されてたかもしれんし案外他国に亡命して正解かもな >>337
郭開「現実主義者か、ワイと藺相如は同類やな」
>>343
まあ説客の説客による説客のためのプロパガンダ逸話集が基本資料の時代だからね仕方ないね 秦檜夫妻「同じことやったら何故か五百年以上も民衆(主に南中国の漢族)に唾吐かれ足蹴にされた…」 趙括「みんなで白い悪魔を凌遅三千刀、滅九族の刑に処して白起肉喰おうな!」 そもそもあんな史実あったのかという点からいけば擁護できるんじゃね 発掘で長平でマジで趙軍が大敗して生き埋めにされたのが証明されたってニュースあったけど
趙括さんむしろ戦死してよかったんじゃないかな? >>351
逃げ帰っていたら、母親や一族の命は助かっても、本人は処刑の憂き目に合うか、秦との戦いでは使えないと対燕戦へと配置替えだったかもな。
45万の趙兵が、数百の年少さんだけ帰らされて、あとは穴埋めでほぼ全滅だもん。
藺相如も重い病がさらに悪化して、多くの兵士とともに亡くなったような感じだろう…。
そんな中でも、趙の衰退を目にしながら、さらに10年余りも戦い続けた廉頗と楽乗などは大した人物だよな。 数字は確実に盛ってる。
白骨は40万生き埋めを裏付けるわけでも何でもないし。 常識かな。東京ドーム満員で5万人だっけ?それ8個。
重機もねえのに穴だけでどんな労力とか史記の信憑性とか兵数自体「号す」とか「証明された」肝心の白骨はいくつ出たのとか
生産人口40万も一挙に死んでよく国家崩壊しなかったねとか
並べると切りない。が、実際見てきたわけではないから絶対否定はできない。
悪魔の証明だけど。
「絶対に違う」証拠、というのはないよ。
確実な証拠もなく盛ってると言ったお前は嘘吐きだ、と思うのもまあ自由。
これよく議論になるがある種信仰で水掛け論だし、無理に否定する気はないよ。
信じるものを信じればいい。 先に「確実」って言ったのはそっちなのにそれを証明できないっていうのを恥ずかしげもなく大上段から高説ぶちかませるっていうのはある意味感心する ここから西側日本人のプロパガンダ
なんか王朝権力が弱体化したら総人口の九割が消滅したり
人口20万の南京で30万殺は有り得ないけど
人口100万のチベットで200万殺は有り得たり
徒手空拳の若者が文化大革命の青春に燃えたら推定1億人が消える
推定45万が行方不明になるくらいは造作もない、なぜ信じぬ? さすがに今はほぼ大丈夫だが20世紀までの中国の死者数はまったく当てにならんよ
南京は極東軍事裁判の数字だし他のは死者じゃなくてただの批判用の数字でしかない
義務逃れの逃散、都市への移動、ちょろましかしの戸口隠し
総人口や人口移動を把握できてない時期だし 良いことでも悪いことでも大概の人間は誇張して伝言ゲームするから当てにならん
まして紀元前 人口スケール十分の一かつ島国で管理しやすい、しかも1世紀先んじて19世紀に近代国家になった日本ですら地域によっちゃ昭和の半ばまできっちり把握できてなかったからな。>人口 >古代の軍制がどんなものかわ分からないけど
>日本の戦国時代や現代でいうと、人口の2%くらいが純然とした動員力としては
>相応しい数字みたいね
>以下、どっかのサイトに書いてあったことだけど
>当時の趙の人口は220万
>その2%が大目に見て5万
>全兵力を1か所に集めているわけもないので、長平の捕虜はどんなに多く見ても2〜3万
>兵士の数でいうとこれくらい
>非戦闘員も込みだと、増えるのかもしれないけど
>秦兵ももちろん書物よりは少ないわけだけど、
>数十万も上回ってるというのはさすがに中国流の誇張だと思う
>実際はどれくらいだったんだろうね >古代から現代まで中国に関する数字は全部10分の1にして考えるといい
>人は顕示欲強く一個人から組織まで(犠牲者)数を大袈裟に表現しがちだからな
>もう二度と来ないでいいぞ
ファイナルアンサー >>349
趙括の悪評は,藺相如&趙括母の趙括評・范雎の謀略という要素を否定できれば半ば払拭される。
長平之戦・惨敗という史実は崩せそうにないので上記の説話を攻めたい,武霊王の胡服説話みたくわかりやすいウソがあるかもしれん。
なお,自らやる気はない模様。 違う時代のエピソードと被ってるとかか?
確かに無能感がなくなれば擁護する人は増えそうだが誰得って気もする笑 毎度同じような展開で趙の名将がダメになるがあれは信憑性怪しい、安っぽい創作な気がする
>>366
・趙括有能説が台頭すれば有能率いる大軍を殲滅した白起の株がさらに上がる
負かした相手が雑魚モブばかりってのは哀しい
・孝成王が平均点以上の君主になる
こんなもんか 実際滅亡する国ってあんなもんじゃね?
例えば魏も呉起を放逐したり >>366
そうですね
楚荘王と斉威王の「三年不蜚不鳴」,《韓非子/初見秦》と《秦策一/張儀説秦王》,など
出土文献の登場で信憑性が揺らいだ范雎蔡澤説話のような例もあります 重要人物や重大事件がパクりエピソードで構成されてる
それが古代中国クオリティ
郭開が廉頗の帰還を阻止した話とかは明らかに潤色じゃろう
>>368
呉起の移籍と魏の滅亡はまったく関係なかろう 戦国策のせいか説客謀臣タイプはどこかで見たような類似逸話を持っている場合が多いね 史記の考証は全然わかんないけど確かレンパVS燕で唐突に出てくる燕軍70万みたいな数字出てくるじゃん?(wiki知識)
レンパの伝記ってかなり講談感あると思う つまり息子にして趙家当主である趙括を叩いて賢婦人ポジgetしたクソBBAの嘘を暴いて趙括タソの汚名を晴らせばいいんだな? 趙括って今の日本で例えれば大塚久美子みたいなもんだろw というか趙活についてはまだ誰も本気で突っ込んでないから根拠以前の話じゃな
類似エピソードの後代性についてならよく言われることだしちゃんと根拠示してる人いるけど >呉起の移籍と魏の滅亡はまったく関係なかろう
これも妥当かな? >>357
ぼく「幽霊なんか確実にいねーよ。常識で考えろ」
きみ「いやいる!絶対いないって言うなら証明してみろ」
ぼく「それは無理。まあ信じたきゃ信じれば」
きみ「先に「確実」って言ったのはそっちなのにそれを証明できないっていうのを恥ずかしげもなく大上段から高説ぶちかませるっていうのはある意味感心する」
こうすると分かる?きみがどんな無茶苦茶言ってるか。
そもそも強調の言葉尻とらえた低能な言いがかりだけどね。
そこにしか噛みつけないのが、肯定派の痛いとこな証明かな。
古代中国の数字を信じる者としては不快だが、40万あったという根拠は何もなく、ないという根拠はやたらある。
となるとまあ、揚げ足とりとか煽りとかで苦しく戦うしかない >>379
その「きみ」は「いる」とは言ってないんだよなぁ…
しかもその例えで言うなら「いる」と書かれていてそれが公式に認められているのに何の根拠もなく一個人の「常識」とやらだけで「いない」って言うからツッコまれてるわけで まず自分が悪魔の証明をしなきゃならない立場にあるということが全く分かってなくてわろた
「ないという根拠はやたらある」のならそれをひとつひとつ挙げれば誰も文句は無いのに(俺様の)常識とかいうなんの根拠にもならないものしか今のところ提示してないよな そもそも証明もできないのに軽々しく確実なんて言葉を使うからこうなる 期待の新人がデビュー戦でいきなり世界チャンプと戦うようなもの
でも実際はそれなりに実績を積んだ上での抜擢だったのではと思うけどね しかも手持ちの兵力が消耗した大軍とかいう死亡フラグ 消耗とはいうけど、決戦を回避してる以上は主力は温存されてるわけで
なによりまずいのは廉頗が更迭されるや軍法からなにから変更させてるところかなとも
それまで慣れていた兵士も居心地の悪さや動揺はあったろうし 昔の大軍勢ってのは逼塞したらみるみるモラル低下するから危うい衛生環境最悪だし
近代の国民革命軍すら主力温存図って退却しまくってたら将兵が美帝最新兵器担いで逃亡が仕事の無能と化した
廉頗軍の死者と逃亡者の多さは重臣廉頗の信用を失墜させるレベルなので軽視はできない >>363
古代の動員兵力って、補給とかをどの程度重視するかで大分変る気がするんだよね。
日本だと、江戸初期で10万石の大名の軍役が2150人だったりするんで、一万石で250人ってのが
大体正しいって事にされてる。
でも、これは軍事にどれだけのコストを掛けるかって事で変わると思うし、この動員率はちゃんと
領地の守備なんかを考慮した数ですよね。
中国だと、戦乱の時代は大抵飢餓が起こってるし、籠城中に子供を食ったとか普通に記録に
有りますからね。
だから、流石に45万とかは法螺でも、10〜15万程度なら有りうるんじゃないかな?
趙軍は守備側なんで、兵糧とかも補給基地に蓄えてる奴で良いんだしね。 趙は準備万端整った領土内で戦ったわけじゃないし備蓄は微妙かも ☆ 日本の核武装は早急に必須です。総務省の、『憲法改正国民投票法』、
でググってみてください。現在、衆参の両議員のそれぞれで、改憲議員が
3分の2を超えています。私たち日本人の、日本国憲法を改正しましょう。
憲法改正国民投票法、でググってみてください。お願い致します。☆☆ >>368
その出来事単体なら関係なさそうだが、魏特有の有能人物が次々どっか行ってしまう体質が表れた一例なわけで……
孫ピンと商オウがほぼ同時期の人物なの笑える 達人伝での趙括さんのダメダメっぷりの描き方は素晴らしかった レンパから引き継いだあの状況から趙を勝たせられる将なんて、項羽ぐらいしかいない気がする 趙自体が切羽詰まってる上にその相手は当時の最強国
野球でいえば今年のドラ1のピッチャーがいきなりソフトバンクの打線押さえろと言ってるようなもんか
失敗したら齋藤(趙括)コースだし成功したら韓信(田中将)コース gdgdになった中国兵の大群が壊滅する話はままあるが立て直して逆転大勝利する話はきいたことがない…
項羽でも韓信でも無理やろな
秦vs趙は米ソと枢軸国くらいの差がありそう >>352
廉頗結構高齢の割には黄忠ビックリの老いてますます盛んの老将
刎頸の交わりの時には藺相如が先に逝くとか想像できん >>368
呉起の放逐が魏の滅亡に関連するわけではないが
戦国初期の最強国魏が最強から滑り落ちることにはつながってると思われる 政治力に不安がある呉起じゃ周辺国の台頭と魏の相対的弱体化という歴史は変えられないと思う 古代中国の秀才は単に文系の丸暗記だから、兵法書丸暗記してても優秀とは限らないし、親子で兵法論議というのも尾ひれが付いてるだけで、実際はより丸暗記できてただけかも知れないし。
韓信も丸暗記出来てたらしいけど、用兵の巧みさとかは完全にセンス。 そもそも馬謖さんは実務経験自体あったのかどうか怪しいから。
最終的な地位は丞相府の参軍(参謀スタッフの1人)でしかなかったし 趙括は能力云々よりも
人望が無かったんだろ
野村克也の息子みたいなもんだ >>403
野村克也の息子は能力はイマイチだけど人望厚いからコーチとして有能 >>338
武霊王の時がピークだったんだろ
達人伝とかキングダム見ると武霊王の後の王様は暗君ばかり >>405武霊王の息子、恵文王は名君だぞ
藺相如・廉頗・趙奢を抜擢して活用し趙を守った
趙が暗君だらけになるのは恵文王の後 >>402
いやいやいや、馬謖は郡太守の経験があるから
実務経験ちゃんとあるから
その上で劉備が孔明に注意したという話よ?
それはともかく、長平の戦いは趙が魏・楚を味方に引き込もうとしてたことを
勘案しなきゃダメなんじゃね?
一度は魏・楚を引き込むのに失敗したけど、それで両国と没交渉になることは
ありえないわけで
「趙一国でも勝てる!」と行く訳ないから味方増やしたいんだしね
個人的には、特に魏に対する交渉材料を作るために、帥将交代があった可能性を
疑ってる
廉頗の戦功って魏相手が大半なのよ
魏からすれば、そんな大将と共同戦線張るのは難しいでしょ
まあ、これが交代の理由のすべてということは絶対にありえんけども、
理由のひとつとして考えるのはアリだと思う その考え方だと廉頗が合従で秦に対抗する策に反対した→更迭の方が辻褄が合うような 史記その他の数字を信じる(なお信じてない)なら
廉頗くん四十万の大軍を擁しながら無策、後手後手で一方的に嬲られる愚鈍な采配
無能どころじゃない、臆病者と謗られて交代は残当 前近代の軍隊が山間部に40万集結、長期戦やったら、糞まみれ
間違いなく自滅するw 廉頗は負けなければいいとわかってた
趙括は勝つことしか考えてなかった
戦の駆け引きを経験で理解してるかどうかの差だね 山岳地帯は守戦に強いというか、勝てなくても負けないという側面があるから、小国のくせに滅ぼすまで被害も大きく時間がかかったり、侵略を諦めらてほっとかれる事が多いけど、中国ではそういうのはなかったのかな。そもそも山岳地帯がどこに該当するかよくしらないけど 守備に徹していると際限無く食糧と金を消費していくから、趙の上層部が指揮官を交代してでも秦軍を攻めたかったのも仕方がない 険阻な山や丘陵地帯に築いた要塞で守り切るのはテンプレだが数が多いと逆効果なんだよね
補給出来ない上に本国から援軍を送りにくい
長引くと確実に物資が枯渇するのでタイミングを見て撃って出る必要がある
>>414
殷周は明らかに北西部の山地を拠点とする異文化勢力に手こずった
押し込まれることもしばしば
あとチベットに広大な異文化圏が存在することからわかるように
中華王朝は西部の山岳を拠点とする勢力に代々苦戦しているよ
攻め切れないだけでなく大敗することも多かった(唐vs吐蕃とか)
朝鮮もその類いで侵攻しても結局征服できず撤退に追い込まれがち >>414三国志の蜀がもろにそれだな
山岳地帯を活かして何回か魏軍を撃退している 蜀は昔から「蜀の桟道」と言って断崖に木材を打ち込んだ桟橋みたいな道しかない難所で知られた。
劉邦も漢中に籠もる条件で項羽と和睦した後、桟道を焼き払って中原に戻らない意思を示して
項羽を油断させたうえで取って返して項羽を打ち滅ぼし天下統一を果たした。 趙軍45万の指揮を初陣でやるってのは仮に天才でも無理だったんじゃね
これで国軍の大半を失ったわけだし
燕や魏とかの国境の守備隊も必要だし
もうまともに秦と戦えないよな 各国の人口
楚国有500万,
魏有300万〜400万,
秦趙两国合計500万〜600万,
斉国300万〜400万,
燕韓合計300万
趙の人口が250万だと仮定すると45万の死はとんでもねえ 指揮を言うなら廉頗の時点でなぁ……史料上に大軍を有効活用した形跡がない
250万の人口に45万の軍を維持する力はない、織豊期の日本並みの人口が必要だろう
加えて長平は遠征と言っていい場所にある、つまり趙軍の兵数は出鱈目 楚漢戦争時は徴兵限界を超えてさらに徴兵したらしいからなあ
老人も子供も女性も徴兵したらしいし
国がめちゃくちゃになるのを無視すれば250万〜300万の人口で
45万は無理だけど不可能ではないかと
だからこそ趙の首脳部は防衛で長期戦を狙ったレンパに切れたのかも >>!
将棋は命令通りに動いてくれるけど
実際は命令通りに動かなかったり
(命令違反ではなく能力的に)
布陣とか正確に把握できないし >>423
百歩譲って仮に可能であったとしても不可能と思いたい件
動員かけた趙の政治家と将軍が信じ難いアホになるぞ
趙の敗北は戦う前に決していた事になる 兵法で馬服君趙奢を言い負かしたというのも
東大法学部卒とかが机上の空論でやって現実には上手くいかないようなものかな
>>421
動かせないから、徹底的の防衛に徹したんじゃないの
基本、まともに戦ったら勝てないと判断して
理想は大軍を駆使して秦を破ることだろうけど
それが実質不可能なのだから
司馬法でも真の名将は無名のまま終わったと言われているし
名将は分かりやすい手柄を立てないからなあ
会社で無能だと思って退職に追い込んだら
業務上不都合が生じるように >>425
その頃には秦の一強状態で他の国が合従しても勝てない状態だから、趙なんとかさんの奇跡に期待するしかなかったんじゃないかな?
趙の敗北は戦う前に決まっていたってのには同意 ふと妄想してみると。
趙王をだまして無能な趙活を将軍にさせるはずが、
だまされたのは白起や昭襄王のほうではなかったのか?
わざわざ藺相如や母親まで出した工作に乗せられたような気がしてならない。
長平の戦いは前260年、
秦軍は勝つには勝ったが、結果としてその後10年以上にわたり中原進出できなかったから、
負ったダメージは深刻でないはずがない、
つまり趙活は有能だった。
戦後処理が過酷だったのは、秦軍が深手を負ったからだと容易に想像できる。
ちっとも大勝利じゃない。
昭襄王は秦の中原進出を見ることなく前242年に没している、
秦が再び中原を攻略にかかるのは前249年に韓の?陽と成皋を取った所から、
ところが2年後には、信陵君の軍に、函谷関までまたまた押し戻されてしまう。
ようやく韓が滅亡するのが、前230年、長平の戦いから30年もかかっている。 >>426
拠点防衛に徹していい兵力じゃないんだよなぁ。国力で秦に劣る以上相手より先に崩れるのは目に見えている
名将論については同意する…が、古代中国の名将はわかりやすい手柄を立てた輩なので真の名将じゃないな(´・ω・`) >>429
記録でも国家総動員したらしいし
長平は戦国時代最大の合戦と言われている
楚を滅ぼす時の60万の兵を出した時は言われていないのに
怪しいウィキペディアの記述で65万とか
勝っても国力のダメージは大きいでしょう
和議になったけど秦側もこれ以上の戦争は無理だったっぽい
>>430
もし太平洋戦争で日本が降伏しなければ
本土にあった400万の兵で戦って敗れたんだろうなあ 不止50萬/約65萬(全國軍隊及後勤)
全程包括初期攻防戰共近20-25萬人陣亡
とあるから怪しいけど事実なら20〜25万の兵を失って秦もこの後軍事力がかなり低下したんじゃないかな 英語版だと55万の兵で15万失ったことになっている
ドイツ語版だと50万の兵で25万を失ったことになっている
いずれにしろ勝ったけど大きな被害を受けたってことかな wikiの先秦史は中文も日文も信用しない方がいい
日本語版の残念さは有名だが中国語版もヤヴァイ、日本語版以上にアレなところも多々ある
中国からの孫引きで埋めてる箇所が散見される日英も当然アレ
名が通ってるわりに書くべき内容のない人物・事件が多いから
俗説…いや俗説未満のドラマとかブログとか学説(小説)のコピペがネットをグルグル 趙の人口は200〜250万だと推定されている
これが男だけなのか女も含むのかは不明だけど
趙の総兵力がいくらかは数十万と曖昧だが
45万の兵を失ったらもうまともに機能しないだろうなあ
秦が後に60万が全軍に近いなら趙に60万や70万いたとは思えない
残る兵力は多く見積もっても10万もいないだろう
燕とかに攻められることもあるし全軍を秦に向かえない
ああ過去の真実を知りたい 統一間近の全盛期戦国秦で60万ならば趙(最盛期)は全力動員で30万いたらええ方でしょう
つか200〜250万ぽっちしか養えない生産力じゃ野戦軍はせいぜい10万… 中国史の研究をするなら春秋戦国時代がいいなあ
もっとも東大とかに受かれるわけがないし
研究者には最初からなれなかったんだ 西門慶の逸話も韓非子も
評判の良い人物ほどろくなもんじゃないってね バショクもチョウカツも逸話を見ると優秀だと感じさせらる
両者ともリュウビやチョウシャには評価されていなかったが 徳川家康や劉邦でも愚かな行動をして失敗したことはある
両者は運良くそれが致命的な結果にはならなかったけど、趙括は歴史に残るレベルで致命的な結果になってしまったわけだ >>444劉邦は割と致命的な大敗を何回かやってるよ
それで滅びずに立ち直れたのが劉邦と劉邦家臣団の凄いとこだと思う 劉邦は命こそ失ってないが匈奴戦の完敗はある意味長平をはるかに凌ぐ歴史的な敗北ですね
その後の中華帝国と漢民族の基となった大漢が長期間草原の民の履を舐め続けていたという事実は重い >>446
趙無恤の事を言ってるんならもっと前の文公(重耳)に仕えた趙衰からして狄人を嫁にしている。
即位前の重耳が諸国を放浪していた時に狄で叔隗を嫁にして息子(趙盾)ができた。
晋に戻った重耳が即位すると趙衰は文公の娘の趙姫を娶り子供もできた。
趙衰は狄の地に置いてきた母子の事はほったらかすつもりだったが趙姫が二人を呼べと言って
譲らないので仕方なく呼んだ。趙姫はさらに叔隗を正夫人、趙盾を跡継ぎにしろと言った。
趙盾はこのことで趙姫に生涯感謝して異母兄弟に当たる趙姫の子供たちの処遇にも配慮した。
かくて趙氏の嫡流には狄の血が流れている。 >>448
そう、趙衰のこと 今、宮城谷さんの重耳を読んでいる最中 そうか。俺は重耳は読んでないんだけど「孟夏の太陽」という趙衰に始まる趙氏を扱う一連の短編集は読んだ。
趙氏関連では趙氏族滅から復活する話と趙襄子(趙無恤)が智伯に水攻めにされて滅亡寸前から大逆転で
智伯を滅ぼす話とそのあとで智伯の敵討ちを企てる豫譲の話が好きだ。豫譲は厚遇してくれた智伯が趙襄子に
殺されると「士は己を知る者の為に死し、女は己を悦ぶ者のために容づくる」と言って敵討ちを誓った。
「己を知る者のために死ぬ」はいまでも使われるフレーズだが豫譲の言葉が原点である。 >>450
趙括が駄目なやつだと分かってるなら別の息子を跡継ぎにしろって話だよな 相手が超悪すぎただけでそこそこやれたかもってのは無いの? 趙の国運をかけた戦争の司令官に
抜擢されるんだから、史料が残っていないだけでかなりの実績があったんじゃないだろうか >>355
楚の項羽は鉅鹿救援後、秦兵をたくさん殺した時に、
河岸段丘の崖に追い詰めて、崖から転落させて20万人殺したといわれている。
穴は掘らなくともいいわけだ。
長平の場合もそのために掘ったものではなく、土塁に攻城装置を寄せ付けないようにする空堀に、
降兵を集め土塁を崩して埋めた模様。
これ以外にも、戦国期の中国の城砦には長期に籠城できるように、
黄土の地面に地下に直径十数メートル深さ20メートル程度の穴をいくつも掘ってそれを穀物で満たし、
これに屋根をかけ穀物倉庫とした。
中国の城砦が数年の籠城に耐えられるのはこれのせいなんだよね。
瞬間最大風速みたいに徴兵限界を超えて徴兵できるのも、数年耕作せずとも食うに困らないこれのせいだしね。
で、籠城が長期になるとそれらが空になるため穴埋めで大変重宝しただろうw >>456
長平の戦いの後、韓が滅亡するまでに30年かかっとるがな。
これ、何気に時間稼ぎとしては成功じゃね? 損失(死傷者・捕虜、逃散、秦に帰属)の設定を趙軍5万+上党の人口40万くらいにしたら理解できそう。 >>457
模様って、なぜお主に長平の場合がわかるんだよw
可能性がないとは言わんが想像を事実の如く書いたらいかん >>453
名将の息子で口先だけ優秀な奴は
廃嫡しても君主が勝手に重宝するから無理
似たような例で三国時代の呉の諸葛瑾の息子の諸葛恪も趙括と似たタイプ
こちらは諸葛瑾健在の頃に諸葛恪は既に卿になっているから
諸葛瑾の跡継ぎは諸葛恪ではなく弟の諸葛融
しかし諸葛融は諸葛恪より人望あるが無能で遊び好きという凡将
諸葛恪が滅ぼされた時に諸葛融も一緒にも誅殺されている
まあ名将の息子で親と同じレベルのケースは少ないので求めるのが間違い >>458
韓って南北に分断されて
最終的には新鄭だけになったのか
韓非子が言うに秦に労役と納税を提供して郡県と変わらないとか
実質滅びていたんじゃね
衛も名目上は続いていても魏が滅んだ時に一緒にだし
モナコみたいなものかねえ
フランスに納税しているしフランス人がモナコは国じゃないと言ってた 韓は秦が恵文王の時代、早くも西部の大都市だった宜陽を奪われて洛水北岸を殆ど
失ってしまい、長平の戦いの時期に成皋ら黄河南岸の主要都市を奪われて黄河以北の
上党が孤立して後にほぼほぼ秦に奪われたって感じ
韓の首都である新鄭って韓の領土のかなり東端にあるんで、どれだけ領土を奪われても
不幸中の幸いか首都が最後まで残れたのかな
そこに至るまでにもあちらこちらを奪われたり奪い返したり、割譲したり返還されたりで
いろいろあるけど最後は新鄭周辺しか残ってなかったっていうからなあ 戦国時代は領邑の奪ったり奪い返したりの繰り返しが多くて良く分かんねー!ってなる事が多い 七雄というけど末期の韓って兵力どれぐらいいたんだ?
もう秦の領主程度の力しかなかったんじゃないか 韓は姫姓だし、周を名乗っても良かったんじゃねえの? 史料上の領域変遷ならば日本戦国とか中世近世ヨーロッパ史の方がよほど複雑
戦国時代は領邑争奪の繰り返しが多くてよく分からない
というよりは史料がクソ雑魚ナメクジすぎて全般的に何も分からん 周を完全に滅ぼしたのは確か呂不イだからなあ
無力だけど魏とかも滅ぼそうとしないのは抵抗があったのでは 東周公を滅ぼしたのは呂不韋だけどこれは分家です。(あ、だから「完全に」なのか)
本家は昭襄王の時に秦の保護下に入って赧王の崩御を持って秦が九鼎を接収して滅亡だ。 西周は既に昭王の時代に滅びているし
東周君は王を名乗った説もあるし
そうでなくても周で残っているのはここだけだし 紀元前487年 曹滅亡
紀元前478年 陳滅亡
紀元前447年 蔡滅亡
紀元前445年 杞滅亡
紀元前375年 鄭滅亡
紀元前296年 中山滅亡
紀元前286年 宋滅亡
紀元前256年 西周滅亡
紀元前249年 東周滅亡
紀元前230年 韓滅亡
紀元前209年 衛滅亡 珍しくそこそこレスがあっても、大雑把に歴史の流れや人物を紹介する程度で終わるのがこの時代の弱点だな。
>>467
正しく推測できる人は存在しないでしょう。末期の兵力や人口に関する資料が圧倒的に足りない、というか無い。
まだ雄国の一つと言える版図を(たぶん)有していたBC275頃なら、(たぶん)韓の権臣暴子率いる韓軍が、(たぶん)野戦で秦軍に敗れ4万人やられた紀年記事がある。(たぶん)数万人規模の野戦軍を組織できたはず。
……織豊期の有力大名とか蜀漢くらいのパワーかね? 韓は「戦国策」などに依るなら、蘇秦が遊説した時代ですら数十万ってくらいだから、
猛威にさらされ続けた秦の昭襄王時代以降なんて韓一国で秦と真っ向から戦争できる
軍事力なんてなかったんだろうな
韓は兵器だけは優秀だった様だけど ざっと史記で韓の最盛期とされる時代を確認しても、10万未満っぽい魏軍に連敗している。
当時でも攻勢に使える兵はせいぜい5万、首都や宜陽クラスの都市に立て籠もり根こそぎ動員かけてやっと防衛戦力10万ってイメージ。 衛とかって軍隊がいたかも怪しいよね
末期の方の君主が意味も不明で魏に殺されたり 三国志の蜀も総兵力9万で遠征に使えるの5万ぐらいだとられていたよね
劉備が呉を攻めたのも4万だとか 誰も言わないけど王族だったのだろうか
趙姓が気になる 趙活君は以前何やってたかわからないんだよね?
いきなり無経験の人間を国家の存亡掛けた戦いに引っ張り出すとは思えないし副将はやってたのかな 初めての経験で無理だっていさめられていなかったっけ
実戦経験があったら良くも悪くも実力がばれていたような 「王族?」って言ってる人は最近どこかで見たような。
私も恵文王代の後半から孝成王代の政権構造(特に公子層の動向)について考えた際に想定した覚えがある。もちろん史料の裏付けはない。 同じ趙氏でも王族と何の関係も確認できない人物はけっこういるけどね そもそも確認のしようがない。
誰も答えられないのがわかりきってるから誰も言わないのだろう。 >>475
同年なら東周と魯はどっちが先に滅亡したのか >>485
趙姓以外に王姓っていつ誕生したんだろう 斉の田単みたいに下役人といいながら一応王族なのだろうか >>480
後漢末って中国の歴史のなかでもかなり人口が減った時期 今の中国人は当時の中国人が野蛮人だとみなしていた北方民族の子孫だよね 趙括さんは最期をみても覚悟はあったんだろうし親父や廉頗の副将として実戦積ませれば良かったのにね おそらく秦軍に半ば包囲された状況で将軍に就任したんだし
副将格の一人として戦場に居た可能性もあんじゃね? 作戦参謀官が適任で、将軍適正じゃなかったんだろうね。そういう人少なくない。 そもそも馬謖さんは参謀として功績も(襄陽記の怪しげな記述のみ) 趙括は武帝に寵愛されず衛青という師も居なかった 霍去病や(暴論 人をなめすぎなんだよ無能アホルサンチマンチョン晋三 世界中に大恥さらさせるぞ薬物中毒無礼雑魚 まぁその後も李牧が出て来て粘るんだから趙の国力はこの時代としてはかなり強大だったのは確か
まぁ国王とその取り巻きが馬鹿だとどんな優れた将軍がいても誅殺されて終わるよね
燕の楽毅ですら誅殺されそうになったし 白起「国王と取り巻きが中華戦国時代屈指の君主と名臣でも将軍を〆る事はよくあるゾ」
何度もフルボッコにされてる上に趙と違って地の利となる険阻な地形が乏しい
秦の圧力を真正面から受けながら存続している魏とかいう国を趙よりも評価すべき >>513
蕭何「キミ誰だっけ? 韓王の人かな?」 韓王信と韓信って同一人物じゃないの(´・ω・`)? 別人やぞ。韓王信の「王」ってのはあくまでも韓信と識別するための仮称で本名は韓信か姫信 >>516
そう言われているんだけど
実は同一人物説がないかと期待している
というか庶民だと学問も学べないよね?
韓信は元名門じゃないのか?
別人なら王族と同じ名前ってことだし そもそも史記に韓信は「淮陰侯列伝」として韓王信は「韓信盧綰列伝」としてそれぞれに
列伝が立ってるのに何で別人で有り得ると思うの? 項羽が韓王成を処刑すると張良は庶民となっていた成の親族である韓信(韓王信)を
劉邦に推薦して成信侯にしてもらった。その後、上将軍韓信が韓王鄭昌を降すと劉邦は
成信侯を韓王にした。
同一人物だと庶民から取り立てられて成信侯になって韓王として劉邦に従った流れと
項羽の軍から逃げてきて蕭何の引き立てで上将軍になり趙だの斉だの切り取っていく流れと
両立しないだろ。
それに盧綰と並べられてるのは漢帝国の諸侯王から匈奴に降った裏切り者という括りなので
淮陰侯に失礼だろ。 なんか当たり前のことここまで説明しないとわからないバカいるんだな
そいつに丁寧に教えてやってる奴凄いわw たとえば同時代に趙王歇っているけど、これも趙(国の王である)歇って事で、
韓王成や韓王信も同じだと思えば、わかりやすいのかね 廉頗は勝つ必要がなく、維持で長引かせれば良かった。
趙括は堂々と戦った。
基本どおりの事は出来ても、臨機応変は知らなかった。
兵法は読んでも学者でしかなかったんだろう。 白起は「兵法に通じているとうぬぼれているからこそ趙括を打ち破るのはたやすい」
と言ったんだっけか
親父のチョウシャが「あいつにだけは軍を任せてはいけない」って言ってたらしいし マジレスすると
見ず知らずに等しいであろう外国の新星を、「自惚れているから打ち破るのは容易い」と侮るのは愚将っぽい
>>525
勝つ必要はあったのでは?
趙国の意思が「長引かせれば良い」、であったならば廉頗は非難されんだろう 確かに無名の新人韓信を侮った陳余は愚将と呼ばれ続けてるもんなぁ。 >>527
1戦での勝ち負けではなく、長い目で見ての勝ちを狙ったんだと思うよ。
廉頗は前半で負けた結果、持久戦に持ちこんで守っていたからでは?
趙本国では戦って短期間で勝つことを望んでいたから非難したんでしょ。
秦はどんなに戦力つぎ込んでも、長くは滞在出来ないんだから。
趙兵を殺したのも兵糧の問題もあるから。 >>529
いや、そういうことではなく
本国が短期決戦を想定していたのなら作戦を遂行する将軍のタスクは決戦になる
仮に体力で上回る超大国に勝つべく大戦力を動員し短期決着を狙う計画であったならば
一将軍の勝手な戦術変更は許されないだろう 途中で戦術変更することは有り得ると思うけど。
臨機応変な将軍なら状況で変える事はおかしくない。
最初に作戦が決まったら何があっても作戦通りとは限らない。
状況も考えなければいけないのに。
忠実に任務をこなすだけの無能な司令官ならそうだろうけど
名将と言われる将軍が何も考えもなしにああいう戦法をとるかね?
結局守るだけで戦わなかったから批判されてるだけでしょ。
本国と廉頗とで違うだけの事。
趙括に代えて致命的な大敗したのは、廉頗が正しかったという証明。
秦は廉頗が守りに入ってからは攻めあぐねていたからね。
最初に短期決戦で出陣して、負けが続いても決戦に拘る?
名将と言われる人が、そんな事考えるのかね?
本国との考えの違いから叩かれて代えられたんでしょ。 長平の戦いの結果、秦はその後30年間中原進出ができなかった。
秦に充分なダメージを趙括は与えた。
白起だって趙括の本陣を落とせなかったのだから。 >>531
証明なんて出来ないと思うよ、絶対的情報不足の時代なので俺にしろ貴方にしろ憶測しかできん
実際の兵力はどれだけか、双方の兵站はどうなっていたか、両軍の位置関係、当時の地形・・・
ほとんど分からないのだから
あと名のある将軍だから状況を正しく捉えている、とは限らないよ
調子が悪かったりすると目先の失敗を懼れて展望のないまま引きこもって自滅するパターンもありえる
結果論で言えば廉頗は長平の10年前に状況判断を誤っている(廉頗の発言が事実であればの話だが) 状況しか知らないからね。
廉頗は失敗した経験を生かしてるんじゃない?
失敗したらそれで終わりじゃない。
失敗することも有れば成功することもある。
リスクはあって当然だろうし。
でも代えたのが失敗だったとは考えられるよ。
廉頗は状況判断できているよ。
趙括は勇んで出て行って大敗。
出てくる敵と守る敵。
秦にとってどちらが難しいか。
将の差だと思うけどね。 >>531
いや、短期決戦か長期戦かの選択は戦術じゃなくて戦略だ
戦略レベルだと戦争にどれだけの人民を徴兵したり国家予算を費やすか等が関わってくるから、現場の将軍が勝手に変更していいものじゃない
あと趙括が失敗したからといって廉頗だったら成功していたということにはならんよ
秦との国力差を考えたら、交代が無かったら廉頗が負けるかその前に国が破綻して、趙括に交代させていれば勝てたのにとか言われてたんじゃないかな 秦には大規模な増援を送る余裕があり、やろうと思えば更に遠方の邯鄲を攻囲することも可能。
この差がある限り、「廉頗ならいけてた!」にはならないのよな。
趙括は負けた、という事実が残るのみ……。 勝てば官軍って本当だよね。
織田信長とかも桶狭間ところか家督争いで敗れてたら無能扱いだっただろうし。 >>528旧秦の領土侵攻に貢献した韓信は無名の新人じゃないでしょ 諸侯は漢王の軍が章邯を破ったという認識で韓信のことは無関心では。 >>537
まあ・・・本邦の戦国くらい一次史料が豊富な時代ならまだマシなんだけどね。
別の角度からの再検討が困難なこちらの戦国は人物・事件の再評価ほぼ不可能やから。 廉頗が他国へ亡命してもまだ李牧が出てくるあたりが趙の国力だわな
まぁ奸臣とバカ国王のせいで滅亡したけど >>540
ほぼ史記の記述だけで能力が確定してる奴多いしな 白起が趙括の軍を包囲したところで、昭襄王自身が河内まで出向いて15歳以上の
民を挑発して趙の糧道を絶つべく動いてたはずなんだけどさ…
これって秦国内の壮丁をほぼ外征につぎ込んだために余力がなかったための
緊急の処置とみるか、まだ制圧間もない地域からも兵を出せるほどの底力とみるか、
どうなんだろうね >>535
それは無能な将軍なだけ。
被害しか生まないよ。 >>541そこらへんは武霊王と恵文王の遺産だなって思うわ >>543
白起の合流で弾が尽きた可能はあるかもね
が、秦国内の壮丁をすべてVS廉頗・趙括につぎ込んだってのはなさそう
そこに河内の根こそぎ動員加えた秦軍は趙軍の兵力を大きく上回る可能性が高い…
鉄道でも使って補給しないと趙括包囲している秦軍が飲まず食わずで自爆するw
戦地に近い諸侯、地域に兵を出させるやり方は古今東西よくあるし秦もやっている
>>545
李牧とその二王はそこまで関係ないんじゃ、少なくとも史料には見えない おそらく河内の一部はBC280年代には秦の支配下に入ってる、徴発はわりと普通のことなのかもしれん。
・・・長平に近い河内が戦力として計算できる時点で勝てる気がしない。 確かに秦軍を撃破するのは不可能じゃない
いくら相対的に強いと言っても前近代の軍、たとえ名将が指揮していても隙はいくらでもあるだろう >>548
それ長平から15年近くも後の事じゃないの >>550
長平から30年間東進できなかったわけですが? 優秀な将軍がいくら頑張ったところで
すぐに内部から足引っ張る奴(秦に賄賂貰ってる奴)が出て来て
謀反人にされるからなw 廉頗や李牧みたく失脚する側に、弱腰や寝返りの疑惑を払拭できない弱さがあったとも言える
臣下の足の引っ張り合い説話なんて古今東西どこにでもある
戦国時代は他人を誹謗中傷し失脚させれる奴が名臣や!(例:張儀) >>551
秦にとっても長平の戦いは、マクロ戦略の失敗だよな。
趙攻略に入る前に、
10年ぐらい戦争を避けて国力の充実に邁進していれば、統一はもっと早まっただろう。 秦は1国ずつ時間かけて滅ぼして、安定させてから次を滅ぼせば短命で終わらなかったのに。 >>556
秦がマクロ戦略を失敗してたってのはそうかもしれんが
溜めた国力を使い現実より早い六国併合を実現すると違う形で同じ失敗をすることになるんじゃ?
戦国後期の諸侯には秦を脅かす実力は既になかったので対外進出を急ぐ理由はあまりないはず
557氏が言ってるように時間をかけて占領地の不安要素を徹底的に排除し支配体制を強固にしないと危うい 秦も新興国ではないけど、古い国は体質も古いから、今の発展途上国みたいに王族と貴族ははんぱない特権階級だっただろうし、そういう足の引っ張り合いをなくして他国の人間をどんどん採用したのは大きいと思う。
外国人官僚、最高権力者が外国人。
既得権益者からしたら邪魔者でしかないし、国民感情だってよくない うーん、言いたいことは分からんでもないが
むしろ新興勢力の他国人が権益を巡る臣下同士の足の引っ張り合いを激化させたことを示唆するエピソードが多いので… 商鞅を切り捨てたけど商鞅の政策は引き継いだ恵文王と
呉起の改革を無に帰した楚の粛王という対比はよく言われるよね。 秦って中原の諸国に較べると内乱というか、臣下が君主を脅かす例が
目立って少ない様な気もする
君主が追放されただの亡命しただの弑されたのなんていまいち思いつかないし さては宮城谷ファンだな?
たしかに春秋期は少ないけど戦国期は六国と比べて目立って少ないというほど少なくは無い
懐公、少子、昭王、秦王政の時代に内乱がある、商鞅の挙兵も含めると恵文王期も >>546
武霊王が胡服騎射で趙の武の土壌を作り
恵文王が名将達を抜擢する事で新しい人材が抜擢されやすい環境を作ったのではないかなと思って ・胡服騎射→尚武の土壌(わかる)
・名将達を抜擢する事で新しい人材が抜擢されやすい環境を作った(わからない)
恵文王体制の人材登用傾向が全体的にどうであったか?李牧の出身階層は?
これが明らかでない以上なんとも 宦官の客だった蘭相如や田部の吏だった趙奢を引き上げたあたり、
そこまで門閥重視の登用に偏ってる感じでもないけど、どうなんかな
楽乗なんかも代々趙に仕えた系列じゃないだろうけど 趙は人材を登用するところまでは良かったと思うよ。
生かせなかっただけで。
三晋の中じゃ一番優れた人物が多い。
魏は序盤だけだし、韓は居たの?としか思えない。 そこは国(時代)ごとの情報の偏在という要素が大きいので優劣断言はいささか早計かと
>>567
寵臣らしき宦官のコネがあるとはいえ藺相如は抜擢と言えるでしょうね
ただ公族ないし公族の可能性がある趙氏がなかなか多いし
早くから将軍に起用され長年枢要の地位を占めてたと思われる廉頗や
戦国初期or中期から趙及びその近隣での活動が見られる楽氏は有力世族かもしれません 燕の楽毅、趙の李牧
他にもたくさんいるけど結局は王の信任がないと能力があっても活躍できないのを示してるな
逆に言えばチョウカツみたいな大した能力無くても王に気に入られれば出世する
まぁこんなのは今の日本でも一緒だし結局は人間の性なんだろう 優れた人物に仕えないと大変。
愚かと言われた景公は晏嬰を信用して、諌言も聞き入れた。
ほんとに愚かではなかった。
李牧や楽毅は恵まれなかった。 それは少々稚拙な理屈でござろう
君に異なる背景・得手不得手・山あり谷ありの臣下多数と付き合っていく能力(努力)が必要とされるように
臣には君主や他の臣下、つまり社会と良いお付き合いをする能力(努力)が必要とされる
信任や諫言の成否は君主の能力依存じゃないよ
>>572
世評に名高い頭脳派エリート趙括さんは今風に言えば
超名門校を首席で卒業、その優れた学説と鋭い舌鋒で老害を一蹴、権威ある賞を総ナメ→ノーベル兵学賞授賞
若くして国民の期待を集めるくらいの有能やぞたぶん 口だけの御用学者
って言われて終わり
職歴もない世襲の学者が労働者の現状を語るようなもん 学者ってのは議論で勝負するもの故それで無双状態だったのならば諸子百家としては有能だろう
将としては無敵に近い秦軍相手に一戦一敗するよくある記録しかないから何とも言えない感じ 父親のチョウシャと兵法論議して打ち負かしたと自慢してたって書いてるしな
要するにああ言えばこう言うって感じの今で言えばディベートだけは達者な実務経験ゼロの学者や政治家ってところだな >>574
能力だと思うが・・・。
暗君は聞き入れる耳は持たない。
自身の政治能力が低くても、聞く耳持つ人間は、結構成功する。
現代でも一緒だよ。
自分が能力あるか、臣下を見極め能力ある人物に託す。
それも才能の一つ・
聞き入れて信頼すると言うのは無能には出来ないこと。 そういう無能が部下に良い様に利用されて滅亡する例もたくさんあるわけだが
今で言えば安倍晋三とか 斉の桓公も本人は大したことないけど管仲を信頼して全て任せてたから覇者になれた。
管仲が死んだら遺言を守らずに佞臣に任せて最後は死体から蛆虫が湧くありさまだった。 >>579
あのさ、国家は賢君と賢臣の二人でやるお芝居じゃないんよ
現代? 賢人政治は結局のところ国家社会を停滞させ、悪くすると崩壊ってのが近現代的じゃないかね?
優れた知識人の意見によく耳を傾け本人も高性能のオバマ流より、有能をクビにし続けるトランプ流が成功している世界だぜ
古代中国に話を戻すと
自身に政治力がないのに聞き耳はある・託す・信頼するってことは権臣を作るということ
亡国によくみられる事例の一つでもある >>582
トランプ成功してると思ってるんだ。
目先だとそう見えるよね。
何を見てきたか知らないけど。 >>583
そりゃそうよ、未来ではなく現在の話ですからね
古代中国大陸など足元にも及ばん地球の覇者をやってる男を成功者と言わずして何と言う
貴方が何を見てきたかは知らないけれど、
著名人数名の進退(説話)のみで古代国家の興亡を説明するのは危険だと思うよ 何も成功してないでしょ。
だから何を見てきたのか?と言ってるんだけど。 現状成功してるぞ、まず遠慮なく大暴れしてるのに権勢を維持している
権力を維持する力こそ為政者の最も偉大な資質
そして公約通りアメリカファースト実施中、各所で摩擦を起こしているがアメリカ経済は好調である
なかでも最も手強い敵であり近年急速に強大国化しつつあった中共に圧倒的な国力差を見せつけその拡大を抑えた
これはまさに覇者の仕事であり歴史的偉業に成り得る、楚の台頭を抑え込んだ晋覇に勝るとも劣らない快挙かと なかなか面白い流れだが諸兄の考える「賢」とは投資家のことだったのか笑
いやまあ古代中国人など前近代の人間と比べたら断然頭は良いだろうけどね…。
という冗談は置いて話を先秦に戻すが
管仲って後世の評価的には早く死んで良かったんじゃないか?
桓公晩年〜死後の混乱という歴史を変える能力を管仲は持ち合わせてない。
李斯枠になってしまう希ガス 混乱の原因が管仲の死なんだから管仲が生きてれば混乱しない。 管仲は鮑叔を指名しなかったらしいので多分健在だろう
なにぶん古代の事なので確たることはいえないけど
管仲には桓公に倣って贅沢をしたという批判がある
混乱の原因である体制の緩みを綱紀粛正できたかどうか・・ >>581桓公は軍事は自分でやってるぞ
桓公は数々の軍事行動を成功させて斉を覇者の国にした
もちろん管仲のサポートあってのものだが桓公自身も能力のある英雄だ 確かに軍事は出来るし管仲の矢で死んだふりをして油断させるという機転も利くが
管仲のサポートが無かったら色々やらかして悪名を残しただけに終わってただろう。 >管仲は鮑叔を指名しなかったらしいので多分健在だろう
意味が分からない
普通指名しない方が死んでる確率高いと判断する場合多いだろ
まあ鮑叔は管仲の死の1年後に死んでるらしいが
その頃は鮑叔の存在感無いので引退もしくは病気で政務に関わってないんだろうな あれ?
何かで桓公が枕頭の管仲に後継を鮑叔ではどうかって訊いてたりしてたのを
見かけた様にも思うんだけど、もしそうなら現役ってことかね
出典も思い出せないし単なる虚構かもしれんけど >>595
ああすまん、596氏が言ってる荘子にある逸話のことです
桓公が鮑叔を後継候補に挙げたのに管仲は指名せず鮑叔を外した 荘子にあるけど荘子の話はどこまで本当か判らないようなエピソードが多くて信頼性に欠ける。
易牙・豎刁と並べてあるけど史記ではこの二人は公子開方という人物と三人並べて三貴と呼んでいる。
荘子には公子開方は出てこない。代わりに鮑叔牙になってる。 まー史記とかも説話部分は荘子レベルの信頼性かもだし無視は出来ないかと。
例えばその管仲の先見性を示す三貴排除の説話はなんかは相当怪しい、諫言内容が中傷・讒言の類でちと拙劣な気がする。
覇権崩壊の核心は覇者桓公や管仲が推す大本命の公子昭に国内の支持が集まっていない点だろうに…
いつの間にか外国の介入を恃むところまで桓公-管仲体制が追い込まれている謎。 とりあえず 3 が好きなのはわかる
我らが趙括さんの長平の戦いも一番詳細な白起伝見る限り長平での対峙は半年ほどなのに3年扱い
どちらも後代の作り話では?
大貴族の寡頭政治が伝統っぽい斉国に彗星の如く現れ公子を擁立し
その後諸侯の軍事介入を一度は退ける料理人一党とか鬼才すぎるw 料理人舐めんな
伊尹とか知らんのか
今はともあれ昔は料理人は優秀な人材の象徴最高級の職業
戦で捕虜になっても斬られず厚遇される >>603
まあ神話の世界に片足突っ込んでる伊尹が実際料理人だったかは怪しいものだが(笑)
・・・彼にも君主の世代交代でやらかした説がありますよね、、、、アレ?これもしかして・・・・ 恐らく任用してはいけない人物説話には第三の男(公子開方、鮑叔)が異なるパターンが数多く存在したんだろう
リアルタイム斉で生きてない人間には降って湧いて来た五公子とその支持者勢力とか国氏高氏鮑氏の動向とかよくわからんからしゃーないね 新年迎える前に戦死して遺体だけになってたんだろうな。 馬謖さんの場合そもそも街亭に押し寄せた魏軍の数が尋常な数ではなかったって説も。 後の結果も含めた結果論だけど、皮肉にも副将の王平は大軍相手だろうと名将相手だろうとまともに戦えたわけだからな
王平個人は上手く壊滅しない様に退却させた事も含めて完璧に立ち回ってたから個人の資質の問題
経験を積めばいい指揮官になった可能性が無いわけではないけど、この段階では力量不足で話にならない でも韓信みたいな例もあるからな
股くぐりなんて馬鹿にされてるやつを大元帥に抜擢するのは頭がおかしいとしか >>620
韓信は実際は没落した名家の出とか、どっかの庶子の子孫とかじゃないの?
家柄至上主義ではなくても、ある程度の家柄がないと読み書きすらできないし、書物を読むなんてレベルなら尚更。 劉邦以前にそれなりの地位に登用されているし
上から数えた方が早い家系の可能性は十分にあるでしょうね なぜ趙佶さんは名君になれなかったのか
すまん何となしに言いたくなっただけなんだ反省してる 馬謖の相手だった張郃って名将なの?
ゲームだと馬謖より知力低いよね? >>626
劉備と諸葛亮が魏の最大の敵と評価してる記述が残る程度には名将
有名な劉備の言葉として
「夏侯淵を倒した?そんな雑魚はいい、張コウを殺せ」
みたいな事言うぐらい警戒されてた
劉備の人を見る評価は確かだしね 諸葛亮は別に張コウを魏の最大の敵と評したなんて記述無いぞ
劉備も張コウ>夏侯淵と言っただけ 劉備も本心で夏侯淵<張郃と思ったのではなく、夏侯淵を討って浮かれる自軍を戒める意味で言ったかもしれないけど
そういうハッタリが通用するぐらいには張郃は強敵って劉備軍には浸透してたって証明にもなるね 達人伝の趙括は無駄にカリスマだけはあるから
みんなこいつに賭けてみようって思うし被害を大きくしたって感じがするなぁ 南京、慰安所に群がりはしゃぐ日本兵。
://twitter.com/Ah5000m/status/1253680429032333315?s=20
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>6
日本の軍エリートや官僚の無能さに比べたら趙括さんはまだマシ
ムダグチよりも趙括がいれば良かった >>72
むしろ逆に趙高が李斯を説得したように
秦には二代続いた丞相はおりません
皆、罪をでっち上げられて処刑されました
将軍も同様で、手柄を立てすぎた将軍は死に追いやられています >>607
でも、うまいから毎日のように食っていたはないな
綏靖天皇は毎日何人も食べていたらしいけど 日本を見ると戦前も戦後も試験で選ばれた奴等は恐ろしいぐらい頭が悪い 前近代社会の人類の平均寿命はおおむね二十歳代であり、子供を5人生んでも大人まで育つのは2人か3人というのが普通だった。 >>621
あの時代だと紙が無くて竹簡だしね、兵法書なんて宝物扱いでしょ。
現代の感覚なら数百万円って感じの兵法書暗記するぐらい読み込んでたって没落貴族の
息子だと思ったほうが自然ですよね。
張良だって韓の宰相の息子だし、諸葛亮だって出師の表では「自称南陽の耕夫」ですが
琅邪郡の豪族の一族だったらしいしね。
又潜りの逸話も、名門の御曹司が没落してチンピラに絡まれたって方が正しい気がする やたら生活力がないのもボンボンだったからと考えると納得感ある 秦の昭王というテレビを見ている。(だいぶ前銀河チャンネルで放送されたやつ) 趙括さん、かわいそ過ぎる。 全く無能。 登山家は擁護できないけど、超カツは本人の人間性に問題があったとはいえ、ちょっと可哀想だよね 馬謖が山に登ったのに理由があるとか言っている人があるけど
一応頭のいい奴が考えてやったんだから理由はあるだろって
それが水のことを考えていなかっただけで
兵法書に水は大切だと書いていない 司馬遼太郎も「項羽と劉邦」で項羽について書いてたけど、
いい生まれの人ほど人に世話されることに慣れてるから、
兵の食い物とか、寝るところとか、休息に神経が行かないんだってね
兵糧については兵法書に必ず書かれてるから考えたかもしれないけど
飲み水に関しては馬謖くん、下々がよきに計らうものぐらいに
軽視してたかもね あさま山荘の時も、実は隊員の水分補給が考えられてなくて、渇きに耐えられなくなった応援の警視庁や神奈川県警の隊員が雪を口にするって事態になった
幸い重大な事故にはならなかったけど
長野県警の隊員はさすがにこういう場面に慣れてて、のどが渇いても雪に手を出すことはなかったそうだ 休元は敵を軽んじたため、国家に損失を与え死を招き、文進は奮闘して、共にこの敗北で命を失った。
災難は一人から生まれ、広大な影響を与えた。
馮休元・張文進を賛える 張コウ軍って何万人ぐらいだったか判明してるんだっけ?
10万の蜀漢軍をボコりに来たんだから、諸葛亮本軍が攻撃してた隴西にもある程度の戦力はあるとはいえ、やっぱり10万前後の戦力はあったって考えるべき? >>617
読める字は十字もないとされているから
馬謖以外もよく見ていなかったのでは
おそらく読める文字の内、2つは王と平だろうし >>649
戦前の陸軍のむだぐちと同じ
勉強はできてもちょっとしたことに気がつかないし
後で分かっても失敗を認められないから問題ないと言い張る 、曹操は、袁紹の戦略を横取りした。
ノープランの曹操は、袁紹が死んだのをいいことに、
「河北を平定して元手とし、中原を制覇する」
を踏襲した。 張郃という武力統率が90台のまずまずの戦争屋に、 文官の馬謖をぶつけた孔明のミス
いくら知力が圧倒しても無理ゲーでしょう まあ、実際は経験値・引き出しの数を含めた頭脳で、張コウが馬謖を圧倒したわけだが 知力は馬謖が87で張郃は69、馬謖の方がずっと高いぞ それは小説をベースにしたコーエー三国志のデータっしょ
短気で、張飛との知恵比べでも負けた経緯で低めにされてるというが、
現実の張コウは呂蒙に近い司令官タイプの切れ者で
そっち基準で考えれば知力は80台後半はあってもおかしくない
逆に馬謖は気のきいたセリフで孔明を感心させたぐらいで、
実務では知力の高さを示す機会はなかったと言っていい
太守としては硬直思考で失敗してるし 一体いつから劉備が弱いと錯覚していた?
曹仁や陸遜にここぞってところで負けたうえ、小説では戦下手に書かれてるせいで弱い印象があるのかもしれないが、実際はあの時代最強クラスの戦争屋だわ。逆張りでなく 趙括の起用については、いくつかの伝承が存在してたんじゃないかな
それを因果応報譚の好きな司馬遷が、自分好みの劇的なお話を採用しただけな気がする
廉頗解任から趙括起用までの背景は、実際にはもう少し深刻でおごそかだったと思うんだが… 趙括の才能は秦にまで知られてて見掛け倒しだとバレてたって話が胡散臭いわ
范雎の謀略により廉頗を更迭させたのは事実かもしれんが
趙括に交代させるように仕向けたのは後から作られた話だと思う それねー>趙括の才能は秦にまで知られてて見掛け倒しだとバレてたって話が胡散臭いわ
この辺が寓話っぽいというか、かえって現実味が乏しく感じられる点だよね
てかこの戦いは趙と秦のがっぷり四つじゃない点が、結構忘れられてる気がする
虞卿列伝に書かれているように、魏と楚を引き込む外交的な駆け引きがあったわけで、
廉頗→趙括の交代は、この辺の外交も絡んだ政治的な事情があったんだろうな、と思う
少なくとも、
「マヌケな国王と側近がお馬鹿なボンボンを起用して、たいへん無惨な結果を招きました」
という単純な構図ではなかっただろうなあ、と でも両親と藺相如が反対してるからな
この辺まで創作とすると、趙括に関する記述ゼロにならないか? >>667
そういう親しい者だけが趙括の実態が分かっていたというのはまだ現実味があるんだよ
秦の首脳部にまでバレてたってのが怪しい 敵対してても使節の遣り取りはある
貴族間での婚姻等で国を超えた繋がりもある
秦に限らず全く諜報に無関心であるはずもない
捕虜から情報を聞き出す等もある
他国の貴族を宰相に迎えるもしくはその逆もある
史料から他国の貴族の性格や噂を伺える記述は趙括以外にもある
趙括の評判を趙が秘匿しているという様子は覗えない
勘繰り過ぎにも思うけど ここらの時代だと当時の重要人物でも記述ゼロなるのはよくあること
逆に言えばそういう時代にも拘わらず妙に詳しい説話は要注意
范雎や趙正書の件がそこそこ知られて来た昨今だし
史記ほかの趙括説話もそろそろ鵜呑みから離れるべきかもね
タイムマシンでもない限り答えは出ないけど… どっちかというと母親が息子使わないように王に進言のほうが胡散臭いエピソードだと思う
藺相如が廉頗擁護するのは理解できるが 藺相如の反対論は、たぶん廉頗を解任するやり方がまずい点を批判したんじゃないかと想像する
楽乗を攻撃した話からして、廉頗が相当の激情家だったことがうかがえるし 司令官が廉頗のままだったとしても当時の状況だと趙の敗北は変わらなかったと思うけどな
その場合は秦が趙括に司令官が交代することを恐れて宮廷工作して交代を妨げたというエピソードが残っていたかも >>672
その趙の重臣廉頗が同じく趙の重臣かつ楽毅の縁者である楽乗を攻撃するとかいうヤベー不祥事
もっと様々な説話が作られてもよさそうな事件なのに原因も経過も淡白な記述しかないよな >>673
同感>趙の敗北
というか三年も戦争してる割には、趙の首脳部がどこを落とし所にするつもりだったのかが書いてないんだよね
まさか、「上党全部いただいて、ウチがまるっとボロ儲けェ!!」なんて都合のよすぎる考え方をしてたはずがないし
もし首尾よく上党郡を総取りしたとしても、その場合秦だけじゃなく魏も黙ってないだろうしなぁ
趙と関係の深い魏の信陵君だって、さすがに国内の反趙派を抑えきれなくなると思う
個人的には、趙の孝成王が「戦後」に目の届かない、愚かしい王様だったとは考えにくいけど… この時代、勝つ&成功する以外の落としどころが提示されてないって割と普通では?
上党争奪以上の期間、斉攻撃してた燕の昭王と楽毅とかも軍事的勝利以外の方法による決着は最後まで出来てないし
強大化によって内外が動揺・緊張することの心配やその対応策を事前に用意した話も特にない 大体戦国策etcのせいで行き当たりばったり感がものすごい時代
たとえなんか理屈捏ねてても3日くらいで変節しそう 阿解又宮於然矩丹而居。曰叙圖耶。是爲離京。阿解生而異相。頭有刄角。好捉鬼[鬼+居]。乃頒蘇命遮似ァ桿禁呪二十四般之法。于今有驗也。 2012/07/21(土) 05:59:32.51 2012/07/21(土) 05:59:32.51 頭いい無能は時代問わずいるが
腸活さんは歴史のはじめの方に生まれてしまったばかりに有名になってしまったのだ 名将は負けた時のことを考えて逃げ道を確保しながら戦うから大敗はしない
その差や 秦末楚漢を経験した百戦錬磨の劉邦と漢軍すら逃げ道失って完敗するという大ポカが歴史に刻まれてる
古代中国において比類なき勝者といえる者どもでも大敗する時は大敗する、難しいものよ 白起持ってきて昭襄王が援軍持ってくるぐらいだから趙括さん秦が思ってたよりは有能だった説 「六朝時代」というと、華北と華南では別の時間が流れていたようである。しかし、密接に関わっている。 あの被災地の状況、ハワイのマウイ島にそっくりですよね...DEW? 監視社会を作る目的だけでなく、緊急事態条項を作るため、改憲(憲法改正)のためでもあります! 自由と民主主義と言っとけば全体主義にも気が付かないという 国民が馬鹿であればあるほど支配側としては楽に人々を動かせることができるとは思いますが、実際のところどうなんでしょう。