張良VS韓信VS蕭何VS陳平VS彭越
誰か1人でも欠けたら劉邦の天下は無かった
一番凄いのは誰か
個人的には陳平に一票 127名無しさん@お腹いっぱい。2012/09/11(火)
宮城谷小説で、劉邦の遺言「陳平一人に任せるのは危うい」の解釈を、
頭が切れ過ぎて周囲を頼らず周囲も手を差し延べないから政治が立ちいかなくなる、としてたのが
妙にしっくりきた。
呂后にも危険視されたけど、
権力を独占するとかとって代わるとかの危険視じゃないんだよな。 実際は陳平が丞相時代に政治が立ち行かなった事実なんてないよね?
呂氏の専横でアル中のフリしてた時期はあるけど >>433
一人に任せずに左丞相を置いていたはず。 >>428
カイ通「粛清されかけても弁説で逃れられるぞ」 カイトウさんはキチガイになったフリして逃げたような >>436
キチガイのふりは韓信の所から逃げる時で後に劉邦に捕らえられて弁舌で釈放 クソの入った壺を出してはじかみの漬け物でござると言ったんだな
韓信がそれを聞いて彼はあの時既に狂っていたんだと納得したそうな 韓信が居なかったら劉邦は負けていた。蕭何が居なかったら韓信を見いだされてない。
天下は劉邦に落ちたが戦いの本当の勝者は韓信。
中国では天下統一後の功労者の粛清は世の常だったのかな?
韓信も最後は冷遇され謀反に走る 韓信は斉王になった時点で道を踏み外したな
あれで野心のある危険な人物と劉邦に認定されてしまった 陸賈本人は天寿をまっとうしたし
その子孫も粛清されたという記録がないから
本当の「勝ち組」は陸賈ということでOKか? >>441
韓信が斉王にならなかったとしても、功臣粛清の対象となったろうな
小説上だが、水滸伝の燕青のように逐電することも考えられるが
燕青は、韓信や彭越や英布を引き合いにした まぁ劉邦の兄貴ですら裏切ってるし誰も信用できないのは仕方ないな
ロワンやハンカイですら信用できないくらいだし 例えば、韓信と武帝時代の将軍衛青、どちらが上かな? どう考えても韓信だな
国士無双だし
劉邦+韓信の光武帝を超える人物は歴史上いないと思う 衛青でも韓信には、及ばないということだね。
背水の陣なんてのもあるくらいだからね。 衛青だったら比較対象は蒙恬になるんじゃないか?
韓信と比較するなら王翦 さらに落ちるでしょ。
韓信と王翦では、やはり韓信かな?
あと蒙恬がいたね。大軍もって匈奴を駆逐したとか。 この際、自らの死期を悟った劉邦は、「死後どうすればよいのか」
と問う呂雉に対し、「(丞相・相国の)蕭何に任せておけばよい。
その次は曹参が良かろう」と言い、さらに何度も「その次は?」と聞
く呂雉へ「その次は王陵が良いだろうが、愚直すぎるので陳平を補
佐とするとよい。だが陳平は頭が切れすぎるから、全てを任せるの
は危ない。社稷を安んじるものは必ずや周勃であろう」と言った。
(ウィキペディア)
↑
陸賈の名がないのが気になるといえば気になる。 >>409
高祖に一番て言われてる時点でもう一番だな
韓信流出を防ぐ為に高祖を捨てるとか言ったり
後任の曹参がやる気無くした?とか凡人には見えない 山本伸一の一行は、中州賓館に一泊することになり、宿舎に移った。
突然の訪問にもかかわらず、中国人民対外友好協会の河南省分会の関係者が、熱烈歓迎
してくれた。
夜には、食事を共にしながら、歓談のひとときがもたれた。
伸一は、河南省分会の責任者に言った。
「雷雲のために、憧れの鄭州に泊まることができ、こうして新しい中国の友人と出会えま
した。雷雲に心からお礼を言わなければなりません」
笑いが広がった。
鄭州の人びととの、せっかくの出会いである。伸一は、この機会に、未来にわたる強い
友誼の絆を結ぼうと思った。
それには胸襟を開き、どこまでも誠実と情熱を尽くし、魂と魂の触れ合う対話をするこ
とだ。
語らいは弾み、河南省の文化や歴史について話に花が咲いた。そして、三国時代には、
中原は魏の国の曹操が制していたことから、話題は「三国志」に移っていった。
伸一は語った。
「私の恩師である、創価学会の二代会長・戸田城聖先生は、『三国志』などを青年に読ま
せ、指導者論や人間学などを講義してくださった。
その先生がお好きであったのが、蜀漢の名宰相・諸葛亮孔明の晩年をうたった、『星落
秋風五丈原』の歌でした。
これは、日本を代表する詩人である土井晩翠の詩です。
今日は訪中団の青年たちが、皆さんにこの歌を披露いたします」
拍手が起こった。
同行の青年たちが、立ち上がって歌い始めた。 >>369
亀レスだが、お市の方ではなく淀君だよな 冒頓単于VS韓信
も興味ある
匈奴は確かに強いけど韓信があの時居ればだいぶ違ってたのでは 何のために有易に恩賞を求めに行き、穏やかに返還できなかったのか? 古くは黄河の下流は、開封市の北方で多くの細流にわかれて、北は北京市から南は徐州市にいたる河北省、山東省の平原に網の目のごとくひろがっていた。これを九河という。そしてこうした多数の分流の形成するデルタを九州と呼んだ。この黄河デルタの南辺は、淮河デルタに重なり、淮河デルタの南辺は長江デルタ(江西省の九江市以東)に重なる。 >>441
というより、もはや趙で劉邦に兵士取られた時点で粛清確定でしょうに。
韓信信じてるなら、行き成り夜中に忍び込んで印綬取り上げて兵士取り上げはない。
兵士も殆んど現地徴収で劉邦と縁が無いんであそこで斉で割拠は悪くない。
寧ろ、あんな事されて完全に自立の決心出来ないのが大甘。
あのまま劉邦が敗北するまで斉で昼寝で良いよ。兵士の殆どは現地徴兵だし問題ない。 才能を評価するってことは自分が大切じゃないってこと 揚威将軍は才能溢れた人物で、文武共に感歎すべきものを持ち、
官職に就き任務に当たって見事に取り捌き、殖財を図りつつ多くの施しを与え、義心を持ち限度を知っていた。
費賓伯を賛える >>38
匈奴はヒットアンドアウェイ方式で逃げることを恥じとも思わないらしいから
韓信でも勝てないんじゃないかなあ
結局、深追いしてこないし、追い払うことはできても
決定的な打撃は与えられない 項羽、韓信、ハンニバル、スピキオ、そして冒頓
史上屈指の戦上手が集中しているこの時代の不思議 >>468
紀元前5世紀も中国の孔子、インドの釈迦、ペルシャのゾロアスター、ギリシャのソクラテスと何故か大思想家が集中しているから、そういう洋の東西を問わず偉大な人物が集中する時代があるのだろう。 >>1
美化されているのもあるだろうけど
何か地球環境の影響もあるのかな >>469
第二次世界大戦時も列強のトップはどこも有能な人物だった
日本だけあほだったけどね >>472
激動の群雄割拠時代に世の変遷をよく見定めて保身をしながら生き延びた
それだけでも各時代における最高の知恵者と言えるだろう >>68
ハンカイに宴会場突入を指示したのは張良ではなかったか? 彼ら5人が協力して騎乗人面獣駆除にあたっていたらよかったものを…