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【蜀】四川盆地の地政学
0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/16(木) 01:01:46ID:47YtJSfj0
三国期の劉備、五代期の王建、孟知祥らが割拠して独立政権を築いた四川盆地の地政学を語れ
0023名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/26(日) 23:00:54ID:aa83NeyM0
やっぱり地形的に、中原への進出が難しいか。
0026名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/27(月) 21:22:53ID:A7vwE3lM0
秦にしろ劉邦にしろ宇文泰にしろ、あくまで長安を本拠として蜀は後方基地として
扱っているからなあ。
0028名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/27(月) 23:07:39ID:wghAKR4O0
劉邦は蜀=四川(成都に本拠)の勢力ではないから。
江南勢力が四川を押さえたのを除外すれば、諸葛亮のいた時代の蜀漢と、秦・鳳を得ていたときの後蜀が、脱引き篭もりを図った勢力と言え、その最大版図を得ていたのじゃないかな。
ただし2者の比較では、雲南方面を得ていた蜀漢の方に軍配はあがる。
蜀漢は江陵を得たままであれば、かなり有力な地方軍閥だったろうが…
0029名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/29(水) 20:15:48ID:vjQ4RB3m0
雲南は領有していてそれ程意味があったかなあ?
住んでたのはほとんど異民族で統治が難しかったのでは。

江陵を得ていればという点は同意。
0031名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/11/29(水) 22:31:29ID:t+TopxF60
ちなみに、三国時代ではどうか知らんが、唐末期〜宋では雲南地方は南詔の支配下にあって、ここの仕置きにはかなり頭を痛めているよ。
唐書には諸葛亮の残した石碑も記述があるので、偉大な先人という認識は深かったようだ。
0032名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/02(土) 22:41:29ID:jmIgJ87G0
呉三桂が雲南に加えて四川も押さえていたら、
三藩の乱はもっといい線までいっただろうか?
0033名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/08(金) 16:40:57ID:it2w44vAO
宝成鉄道を昼間に通れば、地勢のヤバさ分かります
0036名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/18(月) 23:39:24ID:3QpLgdr00
漢朝の発祥の地に近いし、かなり早期から中華帝国に組み込まれている。
0039名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/24(日) 20:29:22ID:eXLfLoShO
ちょうど秦嶺〜寶鷄か。あの地形は殺人的
0041名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/25(月) 07:07:35ID:i8crX+uqO
年間で曇りの日が多いと聞いていたけど、思ったより穏やかないい天気だった。
町の人も穏やか。西安は外国人観光客に馴れてたけど、成都では物珍しがられた。
豊かな、とか、肥沃とか、そんな言葉がやっぱりふさわしかったと思うよ。
0043名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/25(月) 20:55:26ID:LjZTrJsN0
>>41
中国も大分開けて、日本の下手な地方都市よりか開けてると思ってたけど、
成都ほどの大都市でも、まだまだ外国人が珍しがられるんだなぁ……。
0044名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/26(火) 02:03:41ID:0E27qDIO0
19世紀から20世紀を飛び越えて21世紀に移ろうとしているような国だからね。
あまりの変化に、ついていけない部分も多いだろう。
0045名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/26(火) 11:21:16ID:nA69simrO
成都の毛沢東像でかすぎw 歴史ある都に歴史の破壊者を(怒
0048名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/29(金) 01:03:25ID:kUaB144nO
>47
鉄道のループと、国道のつづら折りスゲェよな。三国時代なんかまともな道なかったんじゃないか
0049名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/29(金) 11:27:55ID:Our7SalQ0
四川を落とせば、湖北、江南を一気に崩せるからね
晋の平呉戦役にしろ、斉万年の叛乱から続く四川→荊州→江南の叛乱の連続にしろ
西魏の江陵陥落にしろ、全て四川が落ちたことで他の地域に重大な影響を及ぼしている

曹操が漢中を得た時点で、征蜀を実施しなかったあたりが、彼の軍事行動の限界を
思いっきり露呈している
逆に言うと、劉備・諸葛亮の方が大局的な軍事作戦に関しては上かもしれないってことか
0050名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/29(金) 16:09:17ID:hcv+uacn0
四川から長江を下って、両湖、江南の方へ攻め込むのは結構容易なのかな?
地図で見たら、こっちも通るのがかなり大変そうに思えるけど。
0052名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/29(金) 21:35:09ID:hz/RCBl20
>>49 自分が知っている中で、唯一四川が崩れて他に影響を及ぼさなかったのは、後唐期の征蜀。
これは、出陣もとの後唐が、前蜀を滅ぼしたあたりで、内乱に突入していたからだけど
ほとんど問題なく後蜀にスイッチしたのは、隔絶された地勢と、孟知祥以下優れた将帥の手腕によるところが大きい。
0054名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/30(土) 21:07:12ID:GSl1DF9L0
>>49
曹操の軍事力の限界だった、というのは同意するが、それでどうして劉備や諸葛亮が
上ということになるのかがわからん。
0055名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/01/05(金) 02:08:48ID:vyAVJ6Lp0
話の流れブッタ切って申し訳無いですが、
四川地方って、中国が群雄割拠の時代に成ると、
必ず誰かしらの群雄が割拠したけど、そんな中、唯一不明なのが、
隋末唐初の群雄割拠期。

 この時代って、自分が知らないだけで、実は誰か居たんですか?
このスレは、各年代の四川に詳しい方が多そうなので、
何方か御存知でしたら教えて下さい。
0056名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/01/26(金) 01:31:03ID:z5EJyJdX0

これねえ、確かにオレもわからなかった。
四川と荊州の境目で叛乱を起こした小勢力が確かいて
襄陽には蕭センか誰かがいたと思う。
隋末の各郡の太守が頑張ってたのかな。
0057名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/01/31(水) 02:57:53ID:liaLlgIi0
>56
やっとのレスありがとう。
自分も多分その線じゃないかな?って思います。

隋の太守が治める。→李淵が長安を抑え、恭帝を擁立して隋の正統を自認。
四川諸郡は長安政権に臣従。
李淵が隋から禅譲され隋から唐へ。
四川諸郡もそのまま唐の勢力圏として移行。
って感じですかね。

自分のせいでスレッドストッパーみたいに成ってしまった気がして心苦しかったです(苦笑
0059名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/11(日) 10:16:07ID:Ag1GwFOG0
三国志の小説の類を読んでると「漢中は益州側に有るのが自然」みたいな印象を受けるけど、そうなのか。
0060名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/11(日) 10:49:19ID:Wp3sCcEh0
だいたい秦嶺山脈を境に、北は乾燥、南は湿潤という感じで気候が違うけど、
漢中はその秦嶺山脈の南側で、関中は北側。

今でも農業では、漢中、蜀は稲作が多いのに対して、関中は畑作が中心。
0062名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/13(火) 01:22:44ID:wA/5y+Qn0
かか
0064名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/03/03(土) 22:18:07ID:QqhT+slP0
蜀 江 錦
0065名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/03/03(土) 22:54:52ID:Fy3CF0lEO
漢中と成都の間も山が凄いからなぁ。
0066名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/03/04(日) 21:37:13ID:Va4sPYNu0
むしろ、米倉山脈の桟道の方が険しいんでしょ?
0068名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/03/12(月) 01:59:39ID:lh+OdwRx0
日本の米どころって平野に多い印象があるけど
盆地って元々、農作に向いてる地形だそうだな。
0070名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/03/27(火) 23:45:32ID:ZtyCdL9v0
四川盆地に、日本はすっぽり入るんじゃないかな。
農地面積じゃ、山がちな日本より四川盆地の方が広そう。
0073名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/04/26(木) 13:35:37ID:MlaEg2fc0
>>72
へえー、四川よりは日本の方が広いか。
0076名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/13(日) 19:05:38ID:UlAxyoB60
>>57
玄奘三蔵は統一前、治安がいいという話を聞いて、兄と共に洛陽から長安に引っ越した。
しかし高僧の多くはもっと住みやすい蜀に避難していたため、彼は蜀に向かったそうだ。
蜀に割拠した人間のほとんどは外から来た連中で、地元の人間は自給自足が可能なので、
中原に進出する野心より、治安の維持をねがう気持ちが強いのではないか?
0077名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/15(火) 11:43:44ID:YivRbRiS0
蜀の桟道ってまだあるの?

ここって、劉邦のころは確か流刑地だったって読んだ記憶があるけど。
いつから、肥沃な土地になったのかな
0078名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/15(火) 15:24:45ID:d+tMiGzH0
>76
>蜀に割拠した人間のほとんどは外から来た連中で云々

言われて見ると確かにそうですね。
面白い着眼点ですね。
0080名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/15(火) 21:45:34ID:qrvO4tJV0
僕は成都人です
四川は良いぞ
冬は雪が出ません だから寒くない
夏はあまり暑くないです
でもひとつだけ残念 海がない
ToT。。僕の日本語はだめ
0083名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/16(水) 19:06:30ID:qHYUUS0V0
>79 史家いたの?
0084名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/16(水) 22:33:15ID:2TtyuM9ZO
>>82
あまいな!

昔の成都は、そりゃあよかったんだぞ〜

暫くして陰惨な雰囲気になったが。
0085名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/17(木) 21:07:48ID:sQfGr5rN0
>>80
成都は夏でも涼しいのか。
重慶は暑いと聞いたけど、同じ四川盆地内でもだいぶ気候が違うのかな。
0086名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/18(金) 00:02:19ID:dvmw4kcxO
>>77
跡に復元されてる。痕跡もわかる
0087名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/26(土) 11:15:16ID:MgHLE98+0
孔明の南伐のときに、ベンガル湾まで領土を広げて、
中央政権から完全独立してくれたら面白かった。
そこまで一体化できれば、人口的にも呉・魏ともに対抗できたと思う。
そうすれば、現代まで天下三分が続いていたかもしれない。
現在、中国はミャンマーとの関係がどんどん深くなってる。
それが四川独立に向くのなら、日本としては最高なんだが、
実際は北京からシナ勢力が伸びてるわけだから、
ベンガル湾の制海権を抑えられてるようで、
日本のシーレーン上、大変気持ちが悪い。
0088名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/05/28(月) 18:03:48ID:C5HPyJlK0
蜀、先天不足だな
0090名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/06/18(月) 23:18:50ID:oFXeSC450
>>87
正直、当時にあれだけの山間部を越えて領土を広げるのはちょっと無理だと思う。
史実で、蜀の版図があそこまで広がっただけでも大したものだと思えるし。

ところでベンガルからビルマにかけてのあたりって、
歴史的にはインド亜大陸のデリーの王朝にはあまり支配されていないね。
デリーに拠点を構えた王朝ってたいてい西方由来の勢力だから。
0091名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/07/23(月) 23:42:36ID:eijs2mmA0
蜀と言えば蜀江錦
0092名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/07/28(土) 18:26:23ID:7UeczdS30
小日本,好阴险
0093名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/31(金) 23:25:29ID:PRiP/qaE0
>>90
インド亜大陸は、民族的なまとまりに欠けているところがあるから、
東のアッサムの方とか、南のタミルの方は、インドの一部という意識はなかったと思う。
0094名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/17(月) 07:18:55ID:eeFupRtd0
四川省の女の子は目がパッチリして色白・スレンダーの可愛い子が多い。
つり目気味の二重の目は四川省独特の特徴かな?
とにかく、日本人好みのルックスの女がめちゃめちゃ多い。
しかも、お肌がスゲーキレイ!!
マヂでびびるよ。

この国に生まれたかったと、もっと早く存在を知っていればと悔やまれるね。
0096名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/17(月) 17:38:00ID:yiJdMSqq0
>>94
でも、四川の人間って伝統的に、
中国の中でも、特に入浴の少ない人種と聞いたけど。
0098名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/28(金) 23:41:24ID:ketb9J/s0
桟道千里、蜀漢に通ずる
0099名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/30(日) 12:47:48ID:hlfAe/gw0
四川盆地に集まった水の排出口って、基本的には長江しかないんだね。
0100名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/10/01(月) 22:40:45ID:YqdqxnTI0
四川盆地での稲作はいつ頃から始まったんだろう?
0101名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/10/03(水) 06:00:44ID:hToQX1tX0
米は長江流域が原産だし、四川盆地内はかなり湿潤な気候。
文明らしきものが生まれた頃には、既に稲作も始めていたと思う。
日本でさえ縄文時代には稲作が始まっていたんだし。
0102名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/10/04(木) 15:14:33ID:n9C+D1uv0
旅行で行ったけどどんよりしてるねここ。 中国て物安いな。
あと水がおかしいのと汚い。俺には住めん。

群雄連中がここ来たらなんつーか覇者になるぞ〜!とかよりまぁまぁえらい
とこきちゃったな〜みたいな。
中国からここ拠点にした人らってメンタル的にきつそう。
あとここってまだ原住民みたいなのが多いみたいに聞いた。
0103名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/10/06(土) 11:08:12ID:CRA/j1Bu0
>>102
世界的に見たら、日本のように飲み水に困らない国の方が珍しいけどね。

原住民というのは、南部や西部の少数民族のことじゃないかな?
チベット族とか、イ族とかの。
0104名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/10/06(土) 16:13:49ID:Mq2fqsz00
21世紀の戦争の主流は、水を巡る争いになるよ。
恐らくは。
0106名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/10/08(月) 10:32:50ID:RCpFxJHg0
四川盆地内の気候って一定しているのかな?

北寄りの成都と南寄りの重慶では気候もかなり違う?
0108名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/10/11(木) 22:49:03ID:27Qu+lRR0
四川盆地内での勢力の分裂ってあまりなさそう。
0112名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/10/16(火) 14:52:55ID:hIQykCx/0
基本的には四川盆地内だけなら分裂状態は長続きせず、
統一に向かうんじゃないかな。
0113名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/10/16(火) 17:56:13ID:HN0fqFWK0
むしろ、なんで四川が歴史的に中国に属してきたのか不思議。
どう考えても関中とも長江中流域とも隔絶された地域だろうに。
0114名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/10/16(火) 19:19:22ID:53kJgQZ70
あの辺を開発して発展した秦が七雄を統一して中原と一体化させたからだろうな。
もし中原に中心を置いてた三晋とか斉とかが統一の主体になってたら
切り離されてたかも知れん。
0115名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/10/16(火) 23:14:32ID:hIQykCx/0
>>113
雲南は結構長い期間独立していたんだけどね。
0116名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/10/27(土) 22:15:24ID:cXBTxeTs0
中国・四川省の古石山(こせきさん)遺跡で、愛媛大学東アジア古代鉄文化
研究センターと成都市文物考古研究所などの日中調査隊が、後漢代
(1世紀ごろ)の製鉄遺跡を発見した。

 中国の中心部である中原(ちゅうげん)以外で、漢代の製鉄跡が見つかったの
は初めてで、221年に劉備が、この地域に三国時代の「蜀(しょく)」を
建国した理由を解明する上でも重要な発見として注目される。同大で27日午後に
報告される。

 秦の始皇帝(在位・紀元前221〜210年)が現在の四川省に鉄生産の役所を
置いたとの記録があることから、調査隊は同省内で昨年から発掘調査を行ってきた。
その結果、今年6月に、成都市蒲江(ほこう)県の古石山遺跡から、高さ1・5メートル、
幅最大1メートルのレンガ造りの製鉄炉の跡が出土した。炉は4メートルほどの
高さがあったと推定され、日本では幕末から明治にかけての製鉄炉と同じ規模という。

 調査に携わった村上恭通・愛媛大教授(考古学)は「諸葛孔明や劉備たちは
山間部の蜀に追い込まれたというよりも、鉄を得るために積極的に入っていた
可能性がある」と推測している。

ソース:読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20071027i506.htm?from=main5
0117名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/10/27(土) 22:34:47ID:BCeN6AZ+0
  ┐
      └ ●  /
       _,◆ /
        _, ◆
        ‐― ◆' ̄
        -― ◆ ―
        ― ◆ ―
        ― ◆ ―
       ― ◆ ―
       ― ◆―
        _,◆⌒
        _,◆⌒
           ,◆⌒/
         /  ,◆
           /  ●┐ちょっとここ通りますよ
.             └
0118名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/10/31(水) 11:07:30ID:O5CHR6GM0
>>116
四川省には今でも、銅や鉄の鉱山が結構あるしね。
0119名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/11/16(金) 05:08:47ID:l81p5AsC0
三国志のころの四川料理って、どんなもんだろ。
唐辛子はなかったが、山椒はあったわけか。
今の四川料理から、唐辛子を抜いた感じ??
0120名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/11/16(金) 16:03:24ID:cGE/THMq0
今の中華料理自体、宋代に石炭を使うようになって、
強い火力を持続させることが可能となって、原型ができたわけで、
それ以前とはかなり様相が異なっている。

漢代の料理は、資料が少なすぎてほとんど何も分かっていないけど、
調味料は、主として塩と梅だったらしい。
0122名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/12/05(水) 23:38:11ID:VPSp6eEO0
昔は、膾料理もかなり普通にあったらしいね。
0123名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/12/06(木) 00:03:57ID:YyZZZ6kV0
中華人民共和国の直轄都市に重慶がなってるけど
そんなに要地なのかな?

成都を直轄にして重慶を四川の治所にするというのはどうか
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