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☆★☆ 武 則 天 ☆★☆
0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/10/26(木) 13:43:58ID:w0u6UrQP0
中国の歴史上で唯一の女性皇帝にして、美貌と実力を兼ね備えた最強の女傑である武則天について語りましょう。
0158名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/19(日) 08:58:02ID:5YZjLQHH0
>>156
武則天がもっと長い時間、皇帝として権力を揮えたら、
明のような絶対的独裁権力を確立できていたかもしれないね。
0159名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/19(日) 15:41:06ID:iix7wdre0
>長女は、事故死・・・布団をかぶせてしまったとか、暖房の一酸化炭素中毒とか、
>あるいは、赤ちゃんの突然死との説もあるね。


それ則天武后マンセーの原百代が主張してんだけど、
明智小五郎も真っ青の迷推理だよなw
王皇后が赤ちゃんの顔にまで布団をかぶせてしまっただって?
則天武后に都合がよすぎるってのw
0160名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/19(日) 18:04:31ID:jfxsXpd30
当時なら今と違って乳幼児の死亡率は結構高いはず、
生まれた子が当然のように全員成人するのはごく最近になってから。
武后みたいに沢山産んでたら、一人ぐらいは赤ん坊のうちに死んでても
別におかしくない。
0161名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/19(日) 18:43:59ID:iix7wdre0
詭弁としかいいようがない。
その一人ぐらいの赤ん坊が死んで王皇后が失脚し、
則天武后が皇后となったのだから。
0162名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/19(日) 19:49:46ID:jfxsXpd30
はいはい、
則天武后は自分の子を殺して出世した
とってもワルーい女でちゅねー

これでご満足?
0165名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/19(日) 22:18:18ID:d/nshRolO
162からは釣りというより見苦しさしか感じられない
0166名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/19(日) 22:29:45ID:nkm8ASMLO
本人が悔やんでないなら良いんじゃね?
子供を殺してまで手に入れたものは、彼女に何をもたらしたかは分からない。

兄弟をブチ殺して至高の座についた太宗。
子供を犠牲にして、誰もなし得なかった地位に上りつめた武則天。

二人は共に、その有した権力を使い、国を繁栄に導いた。
その功績を、倫理で無に帰することは出来ないし、
功績をもって正当化は出来ない。

もはや好みの問題じゃね?
0167名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/19(日) 22:41:10ID:iix7wdre0
太宗皇帝大好きな田中芳樹、則天武后マンセーな原百代、
両者に共通してるのはありえない擁護をしてることだな。
0169名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/20(月) 21:17:53ID:ylOivmNP0
>>161
まあ、武照レベルの女だったら、たとえ事故死であっても
取り乱さず、それを悪用するぐらいの奸計はやってのけるだろう
0170名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/20(月) 21:24:04ID:ylOivmNP0
後半が抜けたw

だから、まあ、事故死としても「ありえない擁護」とは言えないと思うよ。

武即天は、自分の野望のためには、自分の赤ちゃんだって平気で殺す女だろうけど、
今だって赤ちゃんの突然死は結構あることを考えるなら、事故死の可能性も十分にあると思う。

まあ、俺としては、事故死4割、殺人6割ってとこかな?
0171名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/21(火) 22:14:40ID:z6PuNiLh0
事故死って本場の中国で通じるのかな
都市伝説みたいな話
突然死だの、王皇后が事故で殺していただの

中国のドラマ(全30話)では普通に則天武后が殺していた事になってる
0173名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/22(水) 08:21:09ID:3UYP0N/S0
そもそも中国人は日本人がそんな俗説を立てているのを知らないからw
実際、中国人に向かってそんな電波なこと言えないし。

「赤ちゃんを殺したのは武后じゃなくて王皇后だ。
 殺されたのでなければ、事故死か突然死だ。
 武后が赤ちゃんを殺した証拠はない。
 武后は悪名をきせられた、男尊女卑の被害者だ」

中国人に、その論法ならもう何でもありと言われればそれまでだし。
突然死だの事故死だのは日本人同士にのみ通用する議論だね。
0174名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/24(金) 23:06:34ID:FhCY0qW4O
仮に事故死だとしても、親としての情より、政略的な判断を優先しただろ。
どっちにしろ、倫理的には非難されると思うんだが。

子殺ししなかったことが、免罪符になると思えない。
0175名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/24(金) 23:56:58ID:11S8IlCh0
漫画中国の歴史の則天武后はよかったな。
最後廃立されるんだけど夫の高宗の幻影に向かって笑顔で、
武后「あなた、これでいいのですね」って終わるの。
でも、この終わり方、BSでやってた則天武后も同じだったような。
廃立された武后が昔を思い出し高宗に告白される場面を思い出すの。
高宗「もし、武媚の心の中に私がいるとしたら嬉しいよ」

この二人一緒に乾陵に合葬されてるけど、二人ともかなり複雑だろうな。
0176名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/25(土) 01:01:45ID:Dv6Pu1TX0
武則天の赤ちゃん突然死は通鑑にしかないだろ。
どっかの小説から拾ってきたヨタ話がひとり歩きしてるだけだよ。
『新唐書』諸帝公主を見ろ。高宗の女子は三人しかいないから。そのうちふたりは蕭淑妃の娘。
あと高宗と武則天の間の女子は太平公主だけ。
0177名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/08/25(土) 02:58:55ID:qiCm/NbbO
>>175
武則天は評価されて良いと思う。
確かに非難される部分はあるが、為政者としては優れてた。

ただ物語としては、人としての弱さなど、共感できるようにするから、
かえって実像からズレるよね。
0179名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/13(木) 23:57:22ID:1W/BLGO50
>>177
徹底的に冷酷に描いてもそれはそれで魅力的だと思う。
若い頃に、そういう冷酷な道へ走るきっかけがあった、
とかいう設定の物語にしたら、説得力あるだろうし。
0180名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/16(日) 16:14:30ID:DJvVnkR00
というか太宗が原因かな。太宗がいきなり武媚さんを寵愛中から、
死に追い詰めたから女王様まで成長したんだし。
そもそも『武氏の女が唐を乗っ取る』なんて噂流さなければ
武媚は多分ただの寵妃ぐらいにしかならなかったと思うんだよね。
や、寵愛保つために、後宮の女をハメたりするかな…。
0181名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/16(日) 17:01:39ID:t3h6GJA2O
後宮、女、ハメる…

エロスの爆裂のお燗
0182名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/19(水) 20:00:33ID:8TWYYnJH0
中国の歴史では則天武后の周王朝は認められてるのかね。
唐は周を間に入れて前唐・後唐とかいったりして。
0183名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/23(日) 13:06:38ID:PxxlynvS0
儒者にとっては消し去りたい歴史でしょ、周は。
それに唐は、周に一時簒奪されても、実質で継続性を保っていたから。
0184名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/23(日) 21:01:00ID:hadbpEwc0
何しろ唐の中宗皇帝が復活してるから、武后の周はおままごと程度にしか見られてないよ。
歴史の年表に唐と唐の間に周ができるなんて、武后マンセーな奴でも妄想してないだろw
0187名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/23(日) 22:14:44ID:546Lw25g0
年表がすべてとは思わないが、たとえば(たとえが悪いが)袁術の成が年表にないのと
似たような感じで、「認めていない」というだけと思う。
皇帝を名乗った連中をすべて年表に組み込むと、えらいことになるだろうし正統性も問題視される。
ま、それでも武周が入っていないのは、やはり当時と後代の男どものメンツも大きな作用があると思う。
それに期間の短い一代限りの政権であって、そういうのを開国と認めないというのもある。
0189名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/24(月) 10:36:39ID:APvDXCJ00
でも、武周の後は、その前の唐の皇帝である中宗が復璧(になるのかな?)
したわけだから、武周の前と後の唐が断絶したわけではない。
漢は、前漢と後漢では血統が変わっているけど、唐は同じ高宗の子孫だしな。
0190名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/24(月) 23:21:59ID:rPwJywUK0
189で思い出したけど、
前漢と後漢の間には『新』があってこっちはちゃんと年表にも入れられてるよな。
やはり187が書いてるように『武周』も三国志の袁術の『成』と同レベルだろうな。
あと男のメンツは全然関係ないけどなwフェミニストもここまでくるとウザイw
0191名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/25(火) 08:35:01ID:4r6ykxoL0
>>190
「同じレベル」というところに違和感がある。
>>187ではあくまでも後代の「政権を担う者」が「認めない」という話。
国家として政権として、また歴史に対する役割として
武周が袁術の成や他の地方軍閥のような低レベルと同じと言っているわけではない。
男のメンツは大いに関係あると思うよ。
しかしそれは唐代のことではないようだ。唐代ではそこまで男女差別が激しくなかったらしいから。

唐が前後仕分けでないのは、たぶん>>190のとおりと思う。
0192名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/25(火) 09:15:35ID:A/zYgt9E0
エカテリナ二世もロマノフ王朝の皇帝として考えられているからね、
それと同じだろう<武周>

皇后が一時的に皇帝位についたという扱いなのでは?
死後もあくまで、「皇后」扱いだったしね。
0193名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/25(火) 10:00:05ID:n5Hxmr6o0
汝南一帯の自分の勢力範囲で独立した袁術は単なる地方政権であって公孫述の政権みたいなもんだろ。
まがりまがりにも全国に指示出せてた王莽の新ならまだしも、袁術は例えに適切じゃないだろう。
だいたい、袁術の国は『成』じゃない
0194名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/25(火) 10:21:17ID:JbtVtZs40
>男のメンツは大いに関係あると思うよ。
>しかしそれは唐代のことではないようだ。唐代ではそこまで男女差別が激しくなかったらしいから。



男女差別の視点からでしか歴史や則天武后を見れないなんてかわいそうだな。
則天武后マンセーの原百代といってる事がコピーしたかのように同じw
0195名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/25(火) 10:35:28ID:JbtVtZs40
則天武后は男女差別の被害者だなんてアホなことを延々と主張し続ける限り、
則天武后が正当な評価を受ける事はないだろうな。
なにしろマンセーの奴らは「評価すべき」「評価すべき」「評価すべき」のみ。
だいたい男女差別なんてふざけた事が問題になってるのはこのスレだけだ。
男女差別だ、と叫び狂ってる奴らはまわりがうんざりしてるのに全く気がついていない。
則天武后の評価で一番足を引っ張っているのがマンセーしてる奴というのは笑える。
0196名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/25(火) 11:00:54ID:4r6ykxoL0
>>194
いや、残念ながら、男女差別の裏返しで武則天を評価しているわけではない。
則天武后時代ともあわせて、唐の絶頂期の現出もとである廷臣の登用が評価できる。
マンセーしていると捉えられるのは迷惑極まりないし、そちらが一心に否定する態度も
方向性が違うだけで同じこと。
評価できないならできないところを指摘し、相対的にはかりにかけるべきだろう、子供じゃないんだから。


>>193
たしかに喩えとして不適切だった。そこは訂正するよ。
しかし後代の歴史に書き加えられない事実が、どうしてもその「地方軍閥」の扱いに
似ている気がしていただけなのだ。ま、そこは改めるとしよう。
>>袁術の国は『成』じゃない
そうだっけな? 三国志をよく知らんから間違えた。
わかりやすいと思って出した例が間違えていたとは… 赤面、赤面。

ああそれと、>>唐が前後仕分けでないのは、たぶん>>190のとおりと思う。
>>189の言うとおり
だったな。とんでもないアンカーミスしてしまった…
0197名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/25(火) 11:51:41ID:JbtVtZs40
>男のメンツは大いに関係あると思うよ。
>しかしそれは唐代のことではないようだ。唐代ではそこまで男女差別が激しくなかったらしいから。



・・・・・・
0198名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/25(火) 12:03:26ID:4r6ykxoL0
あのなぁ…
男女差別があったから武則天が「有能」だと言ってるわけじゃないと言っている。
男女差別はあったとは言っているがな。
周皇帝が正当王朝として認められなかった理由をソコに求めること自体が
間違っていると主張しているわけだ、そっちは。
では、それはそれとしよう。
だが、差別とかメンツ「だけ」とも言っていないからな。

そちらの武則天の主張をよくよく耳にしたいものだ。
むろん、ID:JbtVtZs40の言葉でね。
原百代は知らんけど、氣賀澤氏の本は読んだ。
0199名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/25(火) 12:14:12ID:JbtVtZs40
>男のメンツは大いに関係あると思うよ。
>しかしそれは唐代のことではないようだ。唐代ではそこまで男女差別が激しくなかったらしいから。



・・・・・・
0200名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/25(火) 13:40:21ID:A/zYgt9E0
>>191>>198の言っていることが的外れだとは思わないが?

中国の歴史学者は、武則天を「武后」扱いで、皇帝として認めなかった。
認めだしたのは、戦後になってから。

もしも、これが、外戚とか李氏の傍系とかの男が、皇帝位を中宗から簒奪し、
「武周」を作り、その後、また中宗に戻ったというなら、
「武周」も「新」程度に認められていたかもしれない。

認められなかったのは、男のメンツが全てとは言わないが、
ある程度はあったと思うよ。
0201名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/25(火) 16:06:16ID:JbtVtZs40
>男のメンツは大いに関係あると思うよ。
>しかしそれは唐代のことではないようだ。唐代ではそこまで男女差別が激しくなかったらしいから。



・・・・・・
0202名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/25(火) 16:07:22ID:JbtVtZs40
IDを変えてまでも男のメンツにこだわるw
0203名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/25(火) 16:09:41ID:JbtVtZs40
>男のメンツは大いに関係あると思うよ。
>しかしそれは唐代のことではないようだ。唐代ではそこまで男女差別が激しくなかったらしいから。

IDを変えてw

>認められなかったのは、男のメンツが全てとは言わないが、
>ある程度はあったと思うよ。


必死すぎw




・・・・・・
0204名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/25(火) 16:12:44ID:4r6ykxoL0
残念だが、必死なのはそっち。
ま、そちらの言い分はわかった。
それをもって訂正する気にはなれんがな。
持論を展開していただかないことには。
0205名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/25(火) 16:16:23ID:JbtVtZs40
>ID:JbtVtZs40の言葉でね。

といいながら自分はID変えて他人を装い自説擁護w
本当に男尊女卑のマンセーブタは腐りきってるなw
>>198のID:4r6ykxoL0と>>200のID:A/zYgt9E0が同一人物なのは誰が見てもわかるよw
ひどい自作自演だなw

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 13:40:21 ID:A/zYgt9E0
>>191>>198の言っていることが的外れだとは思わないが?


0207名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/25(火) 16:18:40ID:JbtVtZs40
また自作自演厨がきたw
0208名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/25(火) 16:28:51ID:8TVLXDrW0
男女差別やら男のメンツって論理で展開されるとすごい違和感があるから変なのも湧くよ。
むしろ戦後の連中がそれを過剰に意識してるだけとしか思えないしね。
皇帝の産む器械であったからこそ彼女は帝位に赴くことになったというのにさ。

だいたい皇后の身で帝位についたこと自体に無理があったろう。
皇太子である息子は改姓させたって唐の血統であることに変わりはないわけで(また改姓すりゃいいだけ)、
武周の皇太子としては正当性があるのかないのかとにかくすごく変。
かといって独自の血統を残そうにも(女系の血統に説得力を見出せたかどうかも問題だが)、
どうせもうあがっちゃってるんだから無理だし。
武后自身は自分の死まで無事に武周が存続するとして、いったいどういう採算を立てて帝位についたのか。
まさか改称マニアなだけあって呼称だけ整えればなんとかなると思ってたなんてことはないよな。

とにかく王朝としては誕生した時点で当然の結果を生む重大な欠陥があって、
見方によれば変わった呼び方して変わった体制を布いて甚だしい権力を誇っただけの垂簾政治に過ぎない。
後世の史家は前例もなくどう扱っていいやら困った挙句本質を取っただけじゃないのか。
0209名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/25(火) 17:07:05ID:4r6ykxoL0
>>皇帝の産む器械であったからこそ彼女は帝位に
たしかに垂簾政治の延長上にある皇帝即位だから、それはあたっているだろうが
帝位に就きやすかったことと、成したこととは別物と思えるわけだ。
評価したいのは、その成した方。
存在や帝位に就いてしまったことからの、武則天自身の評価が辛いのは後代のことと認識している。
劉昫やあの欧陽脩ですら本紀としてまとめているし、趙翼の説があるから、武則天英主を認めもする。
実際に武則天を災いとして扱ったのがいつの頃からか知らんけど、そういう背景はなんだ?
というあたりを探りたいのだ。
この辺、認識が誤っているかもしれんから、教えていただけるとありがたい。
0210名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/25(火) 18:39:55ID:8TVLXDrW0
俺の知識は乏しいから素朴な疑問なんだが災いとして扱うのは当然なんじゃないのか?
曲がりなりにも帝位についたからややこしいことにはなってはいるが、
唐王朝において帝号は無きものにされ結果的には皇后という位置づけになったわけだろ。
それが粛清を重ね、皇族を殺したわけだからそれだけ見ればよく並べられる希代の嫌われ者呂后と大差ないじゃないか。
反面その政治は評価すべき点が多く、その影響もあり武氏とは退位後も関係が続いてるせいで余計ややこしくなってる。
評価が両極に大きくぶれるのは何の不思議もない気がするが?
0211名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/25(火) 18:46:30ID:JbtVtZs40
これでID:4r6ykxoL0には何を話しても無駄だということがわかったと思う。
なにしろ結局は男女差別に持っていってしまうんだからな。
>>208は『男女差別やら男のメンツって論理で展開されるとすごい違和感がある』と書いててこの返答。
どれほど、ああだこうだ言ってもID:4r6ykxoL0には、
『則天武后は男のメンツでつぶされた男女差別の被害者』という結論以外受け入れる気はない。
0212名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/25(火) 18:56:12ID:OwhHf7WLO
なにマジになってんだか
信者とはそういうものだろうに
0213名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/25(火) 19:30:15ID:4r6ykxoL0
もはや男女差別の話はしてないが?
男女差別の話に拘っているのは>>211だろ。
まして>>211は何も識見を語ってはいない。

>>210
まぁ、だからこそ三大悪女の一人となるわけか。
皇后として本紀は立てられているが、独立した国として認められてはいない。
その辺の扱いが、一代で断絶した地方政権あたりの扱いとかぶったように
自分には見えたわけだ。周という国号が間に入り、前唐後唐とならなかった
のはなぜかのアンサーとしてね。
それは結果的に血統が続いたからということなのだろうが。

男女差別は棚の上に置いといて、宋以降の士大夫たちは、自己の権利を脅かす
ものへの記録上の表現や扱いが手厳しい場合が多々ある。
いい例が馮道とかだな。
馮道の評価は、実は武則天の評価にあい通じるものを感じる。
彼ら士大夫は、民の苦しみを軽減したことより、皇帝をあっさり挿げ替えた行為を指摘し
民を苦しめなかったことは小さく扱う(当時の士大夫としての正義だから当然だけどね)。

武則天の評価は唐よりも、宋以降の時代性によって左右されていると思えるんだ。
結局、政治手腕は認めるが、それを得るまでの手段は認めん、というところか?
0214名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/25(火) 19:50:44ID:A/zYgt9E0
>>209
俺も単なる中国史好きで、史学科じゃないから、正確なことは言えないが・・・

>劉昫やあの欧陽脩ですら本紀としてまとめているし、趙翼の説があるから、武則天英主を認めもする。
>実際に武則天を災いとして扱ったのがいつの頃からか知らんけど、そういう背景はなんだ?
「英主」であったことと「災い」であったことは別だろう。
「英主」として、唐の繁栄の基本を作ってくれたのは唐にとっては「幸い」だが、
武則天は李氏のためにしたわけではない。武周や武氏のためにしたのであって、
唐の繁栄の基本を作ったのはその結果。目的ではない。
いわば、怪我の功名。むしろ、武則天の子以外の李氏は
皆殺しにしてしまったりして、李氏にとっては災いであった。

つまり、唐を李氏の血統に属するものとしてみた場合は災い、
唐を現在のような国家として考えたら、幸いになって、
武則天が唐にとって「英主」であったことと「災い」であったことは、
十分両立すると思うよ。

で、そこに儒教の婦徳がくっついて、「災い」としての面がクローズアップされるとw
0215名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/25(火) 20:01:12ID:A/zYgt9E0
>それが粛清を重ね、皇族を殺したわけだからそれだけ見ればよく並べられる希代の嫌われ者呂后と大差ないじゃないか。
一緒だと思うよ
呂后もそれなりの政治的手腕の持ち主で、
後の文景の治や武帝の大遠征等の政治的・経済的基礎は呂后によって
作られたとも言われている。

ただ、武則天と違う点は、武則天以後の唐の皇帝は、武則天の末裔だったが、
呂后の後の漢の皇帝達は、呂氏とは関係のない人間だった。

したがって、唐は苦々しく思いつつも、皇帝のお母様・お祖母様に
あたる人を悪く書くわけには行かず、悪女ではあったが、英主であった
と記録に残し、呂后は、遠慮なく筆誅を加えられた、という所じゃないかな?
0216名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/25(火) 20:03:59ID:A/zYgt9E0
>>213が先に書いちゃっていたね
>結局、政治手腕は認めるが、それを得るまでの手段は認めん、というところか?
そういうところじゃないのか?
0217名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/25(火) 20:35:49ID:JbtVtZs40
ID:4r6ykxoL0は自分で『男のメンツ』『男女差別』を持ち出しておきながら、
都合が悪くなったら「もうその話はしてません」、だとさw
くやしいのうw
くししいのうw
0218名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/25(火) 20:58:09ID:4r6ykxoL0
>>216
ああ、自演の疑いをかけられた人ですか。
どうもすみませんね、迷惑かけて。

まぁ、結局自分は、三国魏から脈々と続く体制、貴族制であるとかの
その最末期に現出した女帝という、今までにないものが、どう扱われ
思われるのか、というところにたいへん興味があり、
なぜ、前唐後唐とならなかったのか、という問いかけに反応しただけなんだがな。

面白い事実として、唐朝には皇后不在の期間が思いのほかあるそうだ。
これは『中国の歴史 絢爛たる世界帝国』に書かれていたことだけど
全皇后が存在した期間が72年で、唐朝300年(正確には290年)の4分の3に留まり
そのうちの23年が則天武后の時代で占められていたという。
呂后と違い、皇帝になれた側面がこのあたりにうかがい知れるようだ。

英明の憲宗が皇后を置かなかったことも疑問に思える。
これが武則天の先例を慮ってのことと思えば面白い。
皇后となるべき女性だけでなく、北族的な気風のある唐では
女性の積極性が垣間見れて、それを抑える制度がない。
では空位にしかず、ということで皇后をおかなかったことが指摘されている。
これは唐の時代性が、女性の政治関与を縛ってはいない性格に由来するもの。
儒教倫理よりも貴族的文学的性格が優先された結果とみることができる、と。

であれば、唐以降の北族でない気風の文化であった場合、武則天が
扱われた背景がどのようなものか、興味深いとは思うがね。
0219名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/25(火) 21:22:56ID:JbtVtZs40
>ああ、自演の疑いをかけられた人ですか。



自作自演厨乙w
0220名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/25(火) 21:27:32ID:JbtVtZs40
いくらIDを変えようが『男のメンツ』について語っているのはお前一人なんだよw
0221名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/26(水) 04:47:34ID:dXRwFMnCO
武則天死後、彼女の子孫を頂点とした政権が続いてる。
彼らは彼女の夫である高宗の子孫でもある。
彼女の政権の前政権は、彼女の子供が名義上とはいえ頂点に立っている。

武昭の姓は『武』であるが、彼女は李治(高宗)の妻である。
妻なんだから、たとえ本人が否定したとしても、
彼女は李氏の一族に組み込まれたと考えて良い。
よって、姓が違かろうが継続してたし、実際、続いてる。

以上により武周は、一時的な王朝であるため、唐の中に組み込まれている。
0222名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/26(水) 11:18:24ID:Rd4Hj1EBO
ようやくまともな議論ができそう
男のメンツだの男女差別だのはもううんざり
武照は後継では太平公主を指名しとけばよかったと思う
二代続いての女帝なら所詮は一過性のものとしてかたずけられないしな
もっともその場合でさえ太平公主が唐を復活させる可能性が残るが
0223名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/26(水) 11:36:38ID:uckWUVKJ0

■コピペ奨励・人殺しが野放しに!!■

【人殺し】時津風部屋親方・双津竜順一(山本順一)容疑者【人殺し】

時津風部屋の親方ですが、17歳の少年を集団暴行の殺害し、その上被害者を中傷し
さらに隠ぺい工作までした鬼畜です。このような人殺しが角界にいては日本の恥です。
双津竜が二度と社会に出られないように皆さんご協力ください。



0224名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/26(水) 18:29:31ID:6d9Sztrg0
>>222
んー意味ないな。
わざわざ娘を立てて女帝なんて怪しげなものに拘る必要はないでしょう。
血統は変わらんのだしリスクが増すだけだと思うよ。
結局実際に行った自ら人材を引き立てて恩顧を与え勢力を固めるってやり方以外ないでしょ。
武周王朝の確立には及ばなかったが、譲位が比較的穏当に済んだ要因にはなってると思うし。
0225名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/26(水) 18:43:18ID:9BgczJ2w0
NHKの則天武后のドラマでは後継者問題で武后が大臣と相談するシーンがあったな。
武后「そなた、太平の事はどう思う?」
大臣「公主様は我侭勝手、それに公主様が帝位につけば必ず骨肉の争いが起こりましょう」
0227名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/28(金) 22:33:50ID:ketb9J/s0
武則天ってあまり大規模な土木事業のイメージは少ないね。
仏教関係で、多少はあったけど。
0228名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/28(金) 22:55:14ID:8DaQ7Efx0
確か愛人の僧がせっかく造った天堂を焼いちゃったんだったな。
もし今でも残ってたら評価も多少違ってたかもな。
西太后が艦隊にまわす金を宮殿に使ったことで当時非難を受けたが、
今ではそこは北京の観光スポットになっていて後世に遺産を残したとして評価されてる。
けど、中国人にとっては理屈はわかっていても複雑だろうな。
0229名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/29(土) 14:40:27ID:QqLmn/B10
>>227
いや仏像に使う金は相当な額。
ある寺の明堂を建設するだけで、数億(銭か両か忘れたw結構重要なのに)注いだ。
ただ、唐代の仏教の隆盛を考えれば、それもある種の必然性が感じられる。
0230名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/29(土) 14:44:11ID:RLhptOrN0
大規模な土木事業や、軍事的な遠征。
武則天にはあまりイメージとしては付随しないけど、
実際はなかなかのことをやっている。
0231名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/30(日) 00:44:14ID:QJX3r7fu0
まさか武則天の軍事的な遠征って高句麗を滅ぼした件じゃないだろうな。
大学入試で高句麗を滅ぼした唐の皇帝を聞かれた時に武則天だなんて答える馬鹿はいないよ。
武則天が軍事的に成功しただなんて息を吐くように捏造する奴っているんだな。
武周は他国に攻められっぱなしだってもちろん知ってるよな。
0232名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/30(日) 07:28:30ID:pYUCVaN40
皇后のころの指導力は評価に値しないということ?
他国に攻められっぱなしはそうだな。突厥の復活がこの頃だったな。
武則天の意識が内に向けられすぎていた、というのがその主な要因。

しかし、その煽り口調はなんとかならんのかね。
0233名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/09/30(日) 07:50:22ID:QJX3r7fu0
>皇后のころの指導力は評価に値しないということ?


あくまで唐の高宗皇帝のもとでの賢后としての指導力だという基本的なことはおさえておいたほうがいいぞ。
そうじゃないと武則天は『軍事的な遠征』をしただなんて悪質な捏造をする奴がこのスレではいるからな。
0234名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/30(日) 09:37:32ID:0oUY9mhm0
武則天は高句麗に軍事的な遠征を行った
高句麗に軍事的な遠征を行った時の唐の皇帝は高宗

単なる言葉遊びに過ぎない
0235名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/30(日) 13:03:13ID:QJX3r7fu0
>武則天は高句麗に軍事的な遠征を行った


行っていませんw

0237名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/09/30(日) 14:33:03ID:QJX3r7fu0
『男のメンツ』『男女差別』『武則天は高句麗に軍事的な遠征』
武則天マンセーは伝説を次々と作り出していきますなw
0239名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/10/01(月) 23:35:21ID:D3okxkRh0
>説明で「恐怖政治をしいた暴君」って……


まさしくそれが一般常識なんだがな。
厳然とした現実を自分の目で見るのは、ただただ武則天をマンセーする奴にはつらいだろうなw
田中芳樹が書いた創竜伝一巻にはこうある。
『唐の則天武后を知っているか?血を見れば卒倒するほどデリケートなおばさんだったそうだが、
生涯にどれほど多くの人間を拷問にかけさせたり殺させたりしたかわからない。
貴様はそれと同じだよ。自分の手で切り刻んだものでないかぎり、
自分の手が汚れていないとでも思ってるのか?』
0240名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/10/02(火) 00:13:02ID:Rboh33/O0
田中芳樹の創竜伝wwwwwwww
0243名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/10/02(火) 09:48:18ID:wML3SVelO
田中がアンチ武后なのは李成民崇拝のせい
0244名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/10/02(火) 17:16:33ID:XcgrJtrCO
田中は所詮ライトノベル作家だから作中の誰かに入れ込むことでしか歴史モノ書けない
東郷の勝利を局地戦と言いながら劉永福を英雄視するダブスタとか、本人無意識だし
もはや滑稽
0245名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/10/02(火) 17:50:45ID:lpZz3NfK0
劉永福を主人公とする小説ならいいじゃん。
実際に東郷は局地戦勝利の英雄だし、劉永福もそうだろうが。
それにしても、それってどこかで聞いた話だな… もしかしてコピペ?
0246名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/10/02(火) 20:44:07ID:Rboh33/O0
件の創竜伝だろ?田中のダブルスタンダート。言っておくが、創竜伝の主役は劉永福じゃないぞ。
ヨッシーの素晴らしさは名将百選では陳慶之を知らなくて、後から教えた貰ったのに
その次には臆面も無く陳慶之マンセー小説(主人公マンセーしか書けないけど)を書ける厨坊さ。いい歳してね。
そして自分を啓蒙家だと思ってオウムのように「日本人は三国志しかしらない、三国志しかしらない」と繰り返す所。
彼の人に啓蒙されるのは、彼以下の厨房しかいない。>>239みたいなw
0247名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/10/02(火) 21:52:07ID:lpZz3NfK0
よく知らんが、後から知った人物をスゲーと思うのは
別にいいことなんじゃないの?
自分はそれがよくあるがな。特に、現在調べ物進行中だけに。
それにさ、三国志とか史記あたりの「日本語で読める」ものしか知らんというのは
一面大当たりだと思うな。この板見てると、そうでない人の方が圧倒的少数という。
0248名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/10/02(火) 22:43:50ID:Ijuuexkc0
>局地戦
東郷の勝利は空前絶後のパーフェクトゲーム。
陸で日本如きの弱小国と一進一退が続いていたロシアにとって不愉快すぎる敗北。
逆のことをロシアがやって制海権を握ってれば日本の無条件降伏もありえる可能性。
まあその場合イギリスが自分たちの権益の為に何とかしてくれるだろうが、
日本の都合は一切配慮されないものになったことだろう。

>陳慶之
戦績だけ見れば韓信並みの化け物。
増援がないから獲得した土地を維持できなかった。
それは南朝の政権としての脆弱さだけを示すもので彼が不世出の天才であることに疑問を挟む余地はない。
ガイエ先生好みの名将がそのまま史実から見つかったんだからマンセーするのも当然だろう。
厨でなければ小説など書けない。
0249名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/10/02(火) 23:54:51ID:IwP0DV930
すごい・・・
このスレでここまで議論が活発になるとは思わなかった。
ただし、田中は銀河英雄伝説でピークだというのが俺の意見だ。
0250名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/10/03(水) 00:17:01ID:SiwjzNNF0
今まで「信玄・謙信最強」と思ってた人が、戦史の信長や元就を知って、急に後者をマンセーし始める痛さに通じるモンがあるな>田中


武則天関係ないけど
0251名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/10/03(水) 03:35:50ID:T6rOmw5nO
彼女のやった密告政治は批判されてしかるべきだ。
また、酷吏が幅を利かせたのも事実。
ただ、彼女だけがそのての事をしたワケじゃない。
唐太宗も後ろ暗い部分はあるし、康煕帝だってある。
彼らが賞賛され、彼女が非難されるのならフェアじゃない。
やはり纂奪者であり、その政権が一代限りだったのがマイナスか。
0252名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/10/03(水) 06:12:00ID:bkEMXvBI0
>>247
勝ちっぷりだけならそうなんだが、劉裕、桓温は一定期間は北伐して獲得した領域を維持できていたぞ
この両名は韓信以上の名将になるのか?
どうも、陳慶之は過大評価になっている気がする
0253名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/10/03(水) 07:40:08ID:V253rqQM0
>>252
自分の代くらいは保持できてたら、その通りでもかまわんだろう。
当時の江南の国力で南朝が北朝に勝つのはそれくらい凄い。
しかし劉裕も桓温も政権の中でそれこそ簒奪も視野に入るような強力な地盤を持ってた。
梁武帝の子飼い止まりで終わった陳慶之よりは使える戦力と国力ははるかに上で有利。
だからその二人は「恒久的な維持に失敗した」ということで減点するのが妥当では?
0254名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/10/03(水) 07:55:38ID:24lbRAqM0
田中は唐太宗の玄武門の変を必死で擁護してるからな。
先に手を出したのは皇太子とまで書いてる。
太宗が兄弟の一族を皆殺しにし、その妾を自分の後宮に入れたなんて間違っても書かない。
これに対し陳舜臣は、
『後世の史家がどのように美化しようが、太宗が兄弟殺しをした事実を消す事はできない』
って書いてる。
0255名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/10/06(土) 10:50:11ID:liTBWPpQ0
>Qさまのクイズで武則天が問題に出てたが

>説明で「恐怖政治をしいた暴君」って……

武則天をクイズに出すとしたら、どんな設問が他にできるかな。
女帝ということを出したらそれだけでわかっちゃうし・・・

・父帝の後宮にいて、その死後寺に入れられたが、息子の皇帝の皇后になった
・ライバルの皇后・側室を追い落とし、自分が皇后になった後、残酷な殺し方をした
・新しい漢字を作らせ、水戸光圀の「圀」がそれである
・皇帝に即位したのは、67歳のとき
・仏教を重んじ、自らを弥勒菩薩の生まれ変わりとした
・晩年に美少年を寵愛した

他に何があるかな
0256名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/10/06(土) 13:34:12ID:m8Vxt4+00
その問題だとカルトクイズレベルだと思うぞ?
今のTV番組って、「クイズ番組」じゃなくて「クイズバラエティ」なんだから。
Qさまだって問題は「歴史上有名な女性の肖像画の名前を答えよ」だったんだから。
数字が多い程難しい扱いで武則天は8番目。一番難しいのは10番目の日野富子。
そんな簡単な問題も、一応高学歴な芸能人達は答えられない
0257名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/10/11(木) 09:50:51ID:wFQcKV560
Qさまの問題文としては「中国史上ただひとりの女帝」で十分だろうね。

単独の早押しクイズなら、一代で終わったことや「聖神皇帝」「万歳通天」みたいな
かっこいいネーミングセンスなんかに触れるといいんでないかい。
0258名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/10/11(木) 19:10:17ID:NtyHPMyf0
238 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 21:09:29 ID:3CVaEScC0
Qさまのクイズで武則天が問題に出てたが

説明で「恐怖政治をしいた暴君」って……
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