☆★☆ 武 則 天 ☆★☆
中国の歴史上で唯一の女性皇帝にして、美貌と実力を兼ね備えた最強の女傑である武則天について語りましょう。 >>54
細いんじゃなかったっけ?
で、太宗の好みではなかった、と >>55
長孫無忌もせっかく甥を皇帝にしたのに哀れだな・・・
504 :奥さまは名無しさん :2006/12/10(日) 13:24:26 ID:Vq5CR5hD
スレ違いだけど、某中国語字幕翻訳家が
自分のブログに 劉暁慶版則天武后ドラマの字幕を作成中と書いていた。
(劉女史自身がリメイクに挑戦した最新版ではなく一昔前の、BSで
放映したことのある古いバージョンみたい)。
とりあえずDVDあたりが出るんじゃないだろうか。
出るとすればコ○ービデオな予感だけど orz
吹き替えはなしだろうな。
吹き替え入れると、1話あたり100〜200万円もかかって、
ノーカットの場合は採算が合わないらしい。 コ○ーだったら画質に全く期待できない。
多分字幕も焼付け。ある意味VCDレベル。 金庸原作の某武侠ドラマを日本語ソフト化してくれている某メーカーは、
日本語吹き替え・字幕に加えて、中国語字幕までつけてくれて原語を確認できる上、
DVDの画質クオリティが高く、現地版DVDよりはるかにいいと評判だけど、
メーカーの中の人が熱心なヲタらしいな。
正月番組(録画風景)で「武則天」の主題歌を歌う劉暁慶姐。
ttp://ent.sina.com.cn/v/m/p/2006-12-29/10101390977.html 今リアルタイムで見ている。
暁慶姐御、すっげえ迫力で出てきてワクテカ(でも歌は・・・) 産んだばかりの赤ん坊を自ら絞め殺したって逸話は本当なのだろうか。 最近、フランス在住の中国人女性の手による
「女帝-我が名は則天武后」を読んだけど、原百代の方がずっと上だった >>39
確かに呂后の息子は、「バカ」とは言われてはいないけど、
気が弱くてもうちょっとで廃嫡されるところだった。
そもそも、ご本人がもうちょっとしっかりしていたら、
たとえ、戚妃が余計なおねだりしたところで、劉邦も聞き入れはしなかったろう。 >>72
原百代の本じゃ、
赤ん坊の面倒などをろくに見たことも無い皇后が、善意のつもりですっぽりと
布団で包んだんで窒息死
自然死(乳児の突然死)
冬季であれば赤ん坊の部屋に暖房用として置かれた木炭火鉢による中毒死
って説があがってた。 >>74
息子の資質云々は言い訳だと思う。
成長した息子より小さい子の方がカワイイ、賢い子に見えるもんだし。
何より寵妃にせっつかれて太子を代えるわけだから。 >>76
でもな、やっぱり、呂后の息子は甘いわけよ。
戚妃の子の如意が殺されないよう、自分のそばに置いた、というけど、
そもそも、まだ王朝は二代目、安定していない時期に、
どのような理由であれ、先帝が後継者にと一度は思った相手を見逃したら、
いつ、不満分子がそれを担ぎ上げてくるかわからないのに、
そういう相手を保護するというのは、ちょっと、自分の立場がわかっていないのでは?
また、その守り方にしても、ある日、狩に出かけようとし、
寝ているから起こすのはかわいそうだ、と放置して出かけて、その間に
殺されてしまったなど、詰めが甘いと思う。
そのあたり考えると、「バカ」ではなくとも、政治的手腕があるとは思えない。 六朝の歴史とかで過去の事例を学んでおけばよかったのにね さすがにその辺は押さえてるんじゃないの?
その上で非情になれない人間だったんだろう >>78が恵帝(呂后の息子)なら学ぶのは不可能
数百年「後」の歴史をどうやって学ぶ? >>80
「史記」もまだありませんなw
皇族が権謀術数を学ぶには、何の本ですか?
孫子とか韓非子ですか?
権謀術数なら「六韜」と「三略」でそ。
「春秋」も謀略ネタ多いし。
そういや、ドラマの「武則天」の中で長男が「春秋」読んで怒ってたな。
「親子や兄弟が殺しあう歴史の本がなんで儒教の教科書なんだ!」とかなんとか。 >>82
簫何や張良といった人材がいたんだから、息子の家庭教師もしてもらえばよかったのにw
でもさ、こうしてみると、呂后と武則天の評価の違いって、
結局、呂后の死後の漢の皇帝は、呂后の子孫ではなかった。
武則天の後の唐の皇帝は、武則天の子孫だった、って所から来てるんだろうね。
だから、呂后は、後世の歴史家から遠慮なく筆誅を加えられたが、
唐は、皇帝の直接のお祖母様、曾祖母様である方をあまり貶めるわけもいかず、
悪女・・・婦徳はなかったが、英主であった、と描くよりしかたなかったんだろうね。
まあ、俗説レベルですが。 中国の正史は、前王朝の歴史を後の王朝が書くので
皇帝の先祖とかあんまり書く側には関係なかったりする。 >>84
正史はそうだけど、
その正史を書く資料とされる文献にそう書くよりしかたなかったのでは? >>83
結局、高宗と一緒に葬ることになったしね。 >>86
皇帝としては一切認めず、あくまで「皇后」としてしか扱わなかった、
ってことだね。
でもさ、完全にその存在を抹消しなかったというのは、面白いね。
古代エジプトのハトシェプスト女王は、次代の王からその業績を
完全に抹殺されたというのに。 孝とか祖先に対する観念が違うからかな。
「廃后」「廃帝」されて庶人扱いされる場合も史書には載るし。 いや、武曌本人の遺言だった筈。
死後は、皇帝ではなく、皇后として葬って扱ってくれと。
だから「武則天」じゃなくて「則天武后」と。 死ぬ前の武則天ってどんな感じだったんだろう。
かなり耄碌していたのかな。
張兄弟を寵愛したあたりとか。 劉暁慶のドラマだとすげーヨイヨイの婆さんになってた。
原百代も「老いては麒麟も駑馬に如かず」って書いてたし。 まあ、皇后として葬ってくれという遺言を残したのか、捏造wされたのか、
わからないけど、一応、唐は、皇后位を剥奪はしなかったね。
やっぱり、それが「孝」なのかね?
呂后も皇后を剥奪されたのは、光武帝のときらしいね。 玄宗系李氏の始祖なんだから廃后扱いは出来ないでしょ。
でも皇后として埋葬してくれという遺言は張柬之らの捏造。
その張柬之もすぐ失脚して流刑途中に死亡したのは武則天ファンから見れば
因果応報に見える。
原百代の小説でも好意的に描かれてないからな、この爺さん。 いや、遺言が捏造かどうかは微妙だと思うよ。
客観的に見て、武則天は生きているうちに皇帝の座を失った所謂「廃帝」だ。
一代で皇帝の座に上り詰めた女傑だが、同時に一代でそれを失った「廃帝」だ。
唐以前の「廃帝」も、唐以後の「廃帝」もマトモな人間としては扱われていない。
大きく分ければ、馬鹿か暴君の二種類しかいない。
(馬鹿で暴君もいるし、そうでないのもいるけれど。)
その「廃帝」である武則天さん。
「皇后として云々」は、むしろ息子への懇願にさえ思えてしまうのだが・・・。 狄仁傑の進言に従って一度は廃した中宗を復帰させた時点で
「我が武周王朝は私一代で終わるのだろう」と諦めていたのかもしれない。
子の中で特に寵愛していた太平公主を皇太女にしなかったのが悔やまれる。
やはり来俊臣の進言通り狄仁傑も粛清しておけばよかったのかもね。 結局、自分の子を継がせると、帝位が李氏に戻っちゃうからねえ。 武姓の甥とかそのあたりに太平公主を娶わせて〜と言っても
異母兄の一族は気に食わないし、同母姉を殺っちまったお陰で
そっちの息子も始末せにゃならんかったし。
なまじ息子ばっかり産んじゃったのが災いというか。 来俊臣もそのへんの弱点を突いて、王朝乗っ取りを狙っていたとか。
まあ、どのみち来俊臣じゃ無理な気がするけど。 来俊臣も欲出して武氏一族まで酷密の対象にして墓穴掘ったな。
大人しく今までどおり官僚中心に追い落としていけば宰相まで登れたかもしれないのに。 どうだろ?
人に恨まれすぎていたろうからね
やっぱり、狡兎死して走狗煮らるる、で用がなくなったらお仕舞いだったのでは?
しょせん、拷問係に宰相=テクノクラートとしての能力があったとは思えないし
武則天は、来俊臣をどこまで使うつもりだったんだろう。
あくまで、使い捨てるつもりだったんだろうか? 始末しようと思えばボロはいくらでも出てくるし、
都合よく使って捨てるつもりだったんでね? とは言え、神龍革命の主要人物は来俊臣の死後に出世して
武則天を裏切っているから官僚への抑止力としては最後(武則天の死の寸前)まで
生かしておけば武周王朝存続に役立ったかも。 96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 13:39:36 ID:SDbbDHog0
スーチンガオワーの武則天「无字碑歌」
ttp://www.cctvdf.com/j/program/cctv_detail_news.php?program_id=924&program_div_id=01
97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/11(日) 22:23:39 ID:ytTibeqn0
「无字碑歌」
http://ent.sina.com.cn/v/m/f/wuzbg/ 武則天関係じゃ一番出来がいいと思う。ただ武則天マンセー過ぎるのが鼻につくかも。 187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 16:20:33 ID:2ypVhSdH0
どうでもいいことだが、「武則天」という呼び名が一時期流行したが、
「武」(名字)+「則天」(贈名)という組み合わせはイマイチだということで
最近ではまた学者の間では「則天武后」という呼び名に戻ったらしい。
もう、則天皇帝と言ってしまえばいいと思うけどね。
188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 19:08:14 ID:TZ1n1uAN0
>>187
謚+皇帝は言わないことはないと思うけど、やっぱり一般的じゃないんでないかい?
あれ? よくよく考えたら、謚は則天大聖皇后で皇后扱いだから武則天て廟号なし?
皇后扱いだからじゃなくて後継者が居ないからか?
謚号も随分変遷しているみたいだから、唐王朝も扱いに困りかねてたんだろうなぁ。 『女帝 わが名は則天武后』のことか?
後、日本人だと津本陽が書いているが。 「わが名は則天武后」って笑うところだよな。
あんたの名は曌だろって。 原題は「女帝」だけなんで訳者が余計なことしたみたい。
日本人にしっくりくるからだとか。
中国人がフランス語で書いたものをさらに日本語訳。
しかも訳者は仏文系の人なんで微妙なニュアンスに違和感がある。
しかし、武后の幼い頃の思い出に「かわいい大熊猫」って笑うところか? 翻訳ものは訳者が重要だよね。
ただ中国語が分かるだけじゃなくて、取り扱っている内容にも理解がないと。 趙姫=仲間由紀恵、則天武后=竹内結子、士会=矢田亜希子だよ。 >112-113
>中国語が分かるだけじゃなくて、
>取り扱っている内容にも理解がないと
とりあえず村上春樹に翻訳させてみるかwww
すっごい文章になるだろな。いろんな意味で。 >>115
武則天はもっと迫力があるグラマーな感じの美女が似合うと思う。 >>116
例の馬のエピソードでも見たんだろうな。 142 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/05/21(月) 14:34:19 ID:wWnnSoev0
<先行情報 2007年6月21日発売>
・則天武后 DVD-BOX 全10巻
(4月21日発売から変更になりました)
===============
上記はコ○ービデオのサイトより。
このメーカーが出すソフトに画質を期待しないように。
字幕はたぶんonoff出来ない焼付け式だろう。 劉暁慶の武則天だから、一昔前にNHKで放送していたドラマか? 字幕の焼き付けって手間が省けて安上がりなのかな?
やられるとすごいむかつくんだけど。 163 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2007/05/29(火) 02:39:21 ID:d4879f2t0
2007年6月21日発売
則天武后 DVD-BOX 全10巻
NHK BS2:1996年6月-8月放送
主演:劉暁慶(リュウ・シャオチン)
「西太皇后」「続 西太后」「芙蓉鎮」他
太宗:鮑国安(「三国演義」曹操を熱演)
セット品番 DNN-1120
全10巻 全30話 本編収録:1440分
26,250円(税込) 25,000円(税別)
カラー/モノラル/音声:北京語/日本語字幕/NTSC/片面一層/4:3
ttp://www.chinasoft.co.jp/catalog/1-dorama/sokuten/main.html
主人公は太平公主だけど、
大明宮詞っていう人気ドラマもあるね。 太平公主の恋愛と政治?って感じだとおもいますけど。それ以外に
「至尊紅顔」っていうドラマもありますよ。武則天の少女時代の話です。
笑いあり涙ありの悲恋モノです。李君羨との恋とか。李治(高宗)じゃないです。
でもいい作品ヨ。恋愛要素濃いめ。武則天役の賈静文が可愛いです。
あと「一代女皇」という武則天の全人生物語もあります。古いですが。
ていうか、武則天のホントのホントの本名は「武媚娘」です。そのはず。
「至尊紅顔」は日本語も日本語字幕ありません。中国語中級者向けです。
これのベトナム語で中国語字幕だったらいいな、という方はこちらが
いいですね。↓
「thieu nu vo my nuong」ベトナム語の中国語字幕版です。
ちなみに「lady wu mei niang」という英語版もありますよ。 >武則天のホントのホントの本名は「武媚娘」です。そのはず。
ホントのホントの本名というよりは幼名、もしくは字とでも言うべきだろうね。
大人になってからの本名は照または曌
でないと曹操のホントのホントの本名は阿瞞ですって事になるよ >>127
見てみたいが、中国語わからんし・・・
日本でも放送してくれんかな また新しく武則天のドラマを作る話があるようだし、
題材としていいんだろうね。 一度、上官婉児のドラマを作ってもらいたい。
太平公主のドラマはあるみたいだし。 私も見たことないですね。上官婉児のドラマ。
上官儀の孫娘で後に武則天の右腕の才女ですよね。容貌と頭がかなりいい人だし。
太平公主と仲良かったという説のある人ですね。姉妹並みだったとか。
武則天の本を見たんですけど。やっぱり武則天さんは自分の生まれたばかりの娘を殺して
いないらしい。『実は事故かもしれない』とか。『侍女が当時の武則天の出世を願ってやった』とか。
事故っていうのは、王皇后は子育てできない人みたいだから、公主を見舞いに来た時、
寝ている公主に気を使って布団をかけた。その時の布団が顔を覆っちゃって息できなくて
死んじゃった…と。やー…、複雑ですねー。
新しく武則天のドラマを作る話があるっ!?ヤッタ、探さなくっちゃ。
歴史の表舞台には登場しない、武則天の腹心として動いた侍女もいたのかもね。 確かに武則天の名前は「武照」で幼名が「武媚娘」でした。や、でも中国では
ほとんどが「媚娘」と呼んでますねー。私も「媚娘」と呼んでますし。なんて
いうか…こっちの方が「女の子」「美人」って感じがするんですよ。感じ的にも
可愛いし。
武則天は才人時代から多くの侍監や侍女の心をワッシと掴んでたらしいですねー…。
侍監から見ればアイドル、侍女からはお姉様。最初は皆キライよだったけど、
媚娘さん(この時はまだ照じゃない)がそこを上手く洗脳して。すごいなーー。
武則天は文・楽・武・美が全部備わってたらしく、いわゆる…天才? >>134
圧力かけて歴史を改ざんしてますから
普通にドブスだろw 『新唐書』則天皇后本紀「后年十四にして、太宗其の色有るを聞き、選して才人と為す」
当たり前だけど、若い頃は美人だったってことですよ。 >>私も「媚娘」と呼んでますし
お前がなんて呼んでようが関係ないじゃんwww 少なくとも高宗の目には絶世の美女と映ったんだろう。 まあ、後宮に入れたんだから、その程度には美しかったんでしょう。
ただ、後宮の中でどのレベルだったかと言うと事については、わからないけど。
この人の魅力は、「色」よりも頭のよさの方が大きかったのでは? うん、それもあるかも。ていうか、高宗も女の手の平で操られ〜、ていう裏人生を
送ってたんだよね。〜女に弱いのだ〜で王皇后・淑妃・武昭儀・その他多数の
女性陣に取り巻かれた生活、美女ばっかで幸せだろうけど、ある意味可哀相だわ。 もともとは太宗の後宮にいたんだよな
もし太宗が寵愛してたらどうなったかな あー、なんか最初入宮したばっかの頃は寵愛してたらしいよね。でも『武』って女が唐乗っ取る噂流れたから、寵愛ストップ〜したわけだ。
それが武才人の性格に大影響及ぼしたらしいよ。そこを高宗が武則天に惚れて摘み食い。 >>143
寵愛ストップじゃなくて、その時点でさっさと始末しておけばよかったのに。 そこそこ、うちも思った。でも、なんかどっかの道士(名前が複雑)が武則天殺したらもっとヤバイ奴が来るなんて言ったからなんだって。
でもこのおかげで周時代の国民は平和に暮らしてたんだよね。 ラストが王莽っぽい部分あるよな。
偶然の一致かもしれんが両者の立てた
王朝は互いに15年しかもたなかった短命国家だったしな。 でも政権追われて死んだあとでも、
武氏の一族が族滅されないようにしたのは偉い。 しかし、楊貴妃の最初の旦那が武恵妃の息子だったりして
やっぱ唐に祟るよな武姓の女って 祟るも何も皇室は則天皇后の子孫なんだから、
本当に祟るなら唐皇室があんなに長くは続かんだろう。
則天皇后はかなり気が強く、頭も回るが、
高宗みたいな柔弱な男が甘えたり頼ったりするぐらいだから、
包容力のある母性的な一面もあったのだろうね。 >>147
政治面では、王莽と違って武則天は現実的だ 則天の本紀を読んでるとさ、いっそすがすがしいくらいに宗室や大臣たち殺しまくっててさ。
ここまでやらんと奪権できんかったのね〜。 そりゃ他の簒奪者たちに比べても、
女性であることのハンデは凄まじいものがあったと思うよ。
だから容赦なんかしていられなかったんだろうね。 娘を殺した時はさすがに悩んだんじゃない。
母親の道を選ぶか権力者の道を選ぶか。 皇帝権の確立のためには門閥の排除は絶対必要事項。
唐朝の皇帝が長い間権威を保つためにやらなければ為らない事を
則天皇后が全てやった。
高宗や中宗が統治していたら、唐はもっと早くに滅んでいたであろう。
唐皇室は太宗と則天皇后には足を向けられない。 長女は、事故死・・・布団をかぶせてしまったとか、暖房の一酸化炭素中毒とか、
あるいは、赤ちゃんの突然死との説もあるね。
もっとも、長男や次男の件もあるが。
長男も病死だったとして、次男を自決に追い込んだのは武則天自身だが。