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【大明】太祖皇帝朱元璋は中華史上最高の英雄
0001陳友諒
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2006/10/24(火) 17:23:10ID:p6hSK/du0
なわけねーだろ。
息子のためか、孫のためか知らねーが、
罪もない人間を大量に殺した人間が、英雄なわけねーだろ。
おまけに創業者が糞だったからか、明にはろくな皇帝が出ず、
時代の空気も陰気臭い。
朱元璋って野郎は最悪だな。
0101名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/15(金) 05:32:22ID:uCmAKYoV0
>そう言えば西域から攻めて来て、中原を制圧した勢力ってないね。
五胡十六国の前秦が一時的に北半分だが漢土を支配している。
0103名無しさん@お腹いっぱい。
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2006/12/15(金) 19:14:48ID:xQZKLYLi0
前秦も沙陀族も既に当時は内地民だよ……。
両者の源流を辿ってもチベットとモンゴルの両高原だし、
河西回廊経由で内地に攻め込んだ勢力なんて無いってば。
0109名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/01/03(水) 16:14:21ID:N5AfSxer0
なんだかんだで最下層の貧民から皇帝まで登りつめたのは普通に凄いだろう。

政策についても、人数で多数を占める貧しい農民に対しては、
なかなか優しい政策だ。
0112名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/01/10(水) 00:25:55ID:4w65YOi00
>109
奴隷から後趙の王までなった石勒もいるけどな
0115名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/01/10(水) 16:45:46ID:vBmoMk0C0
長命政権の場合、後継者も有能だからこそで、開祖だけが特別すぎるというわけでもない。
しかし朱元璋の個性は特異だなぁ。
0116名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/01/10(水) 23:22:27ID:gvAZl7lL0
明朝の場合、後継者と言うか、歴代の皇帝は、一部を除いて多くが、
とても有能だったとは言えないと思う。
0117名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/01/12(金) 02:10:18ID:c6+srbnb0
・・・素直に「その殆どが基地外」と書いてもいいんだよw
0119名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/01/13(土) 17:47:20ID:N3TBGaDa0
明の末期、悪宦官の魏忠賢が傍若無人に振舞っていたころ。
都のある宿屋で、五人の男が談笑していた。一人が言う。
「魏忠賢は天子様を操ってしたい放題だが、もう長くはねーよ」
これを聞いた仲間はたしなめる。
「めったなこというで無い。錦衣衛(秘密警察)に聞かれでもしたら命が無いぞ。」
しかし彼は酒の勢いで更にまくし立てる。
「錦衣衛がなんぼのもんじゃい!いくら魏忠賢が悪者でも俺の皮まで剥げねーよw」
さて夜。一同が熟睡していると、一団の男達が戸を押し破って乱入してくる。何と錦衣衛であった。
松明で一人一人の顔を照らしていたが、大言壮語した男を発見すると縛り上げて連行する。
一緒にいた者たちも同様。やがて一同は役所の白州に引き出された。
座敷には立派な衣装を身にまとい、豪華な椅子に座った宦官がいる。彼こそ悪の大宦官、魏忠賢である。
魏は薄笑いしつつ言う。「私が本当にこの男の皮を剥げないか、試してみようではないか。」
魏は刑吏に命じ、男に煮えたぎる松脂を浴びせかけた。ややあって松脂は冷え固まる。
時を見計らって全身を槌で丹念に打つ。絶叫が挙がり、松脂とともに男の全身の皮は綺麗に剥げ落ちてしまった。

あまりの惨状に、同席していた四人は生きた心地もしない。と、魏は彼らに慰謝料5両をわたし、
放免したのであった。
0121名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/01/14(日) 00:41:33ID:EZHJNfNX0
文字の獄による粛清が仮に現代の日本で行なわれたら
俺も含め、ねらーは悉く処断されそうだなw
0123名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/01/20(土) 15:52:12ID:3U9AujMN0
北朝鮮でも、エリート層向けにインターネットがあるらしいよ。
外国のサイトにはアクセスできないようになっているらしいけどw
0124名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/01/20(土) 19:53:56ID:v/ODXrh/0
朱元璋はどんな気持ちだろうね。
せっかく宦官の禍を気にかけて、手を打っておいたはずなのに。
0129名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/07(水) 22:48:21ID:sOfSQEo90
次の『その時歴史は動いた』足利義満の対明外交やて。
燕王や皇太孫は当然出るだろうけど、
果たして陛下に出番はあるのだろうか?

「明の太祖朱元璋が元を滅ぼして明を建国し云々」と
ナレーションで軽く触れられるぐらいかな。
0130名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/09(金) 04:34:12ID:lZUOEAd20
>>129
南北朝合一前に洪武帝に国交求めて断られたから若干の出番はあるだろ。
後、明が当時の日本国王として懐良親王を認めていた関連もあるし
これを機会に朱元璋と室町時代をもっと採り上げてほしい。

例えば足利尊氏の天竜寺船により貿易も主要品目が日本刀なので
紅巾軍を後押しする足利幕府とかね。
0131名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/09(金) 11:34:59ID:hywcihSb0
>>130
後半は初耳だなぁ、130さんの推測?
中国側の史料じゃ俺の知る限り
劉福通や徐寿輝が日本の支援を受けていた話は載ってないね。
0132名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/09(金) 18:56:04ID:ni7phjKU0
明からの朝貢を促す使者を「蒙古人しつこい」とか言って斬ったくらいだからな。
大陸の情勢なんて知ったこっちゃ無いって感じ。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/12(月) 18:10:29ID:N3SANWOi0
>>132
それは海外に無知な懐良親王が鎌倉幕府の先例に倣ってした事。
足利幕府は留学僧などのルートで元から明の政権移行は知っていた筈。
0134真剣師
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2007/02/12(月) 20:50:03ID:00bHgR7B0
懐良親王といえば、明では彼が日本の最高権力者と思っていたらしい。
なんでも懐良親王が日本国王の名で明へ書簡を送っていたとか。
あちらでは、九州が本土でその他は属州という感覚でいたんだろうね。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/13(火) 05:27:36ID:T4hiDqfk0
つーか南北朝期における南朝の安定した勢力範囲は
懐良親王の九州か北畠顕家の奥州しかないだろう
そこで断絶が起きてるんだから、さもありなんな反応だと思うが
0136名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/13(火) 11:42:11ID:k+pXGG8L0
胡惟庸の獄のとき、日本と手を組んでクーデタを起こそうとしたという口実で
粛清したのだが、あの時代から○○は日本と手を組んでいると言っては
政敵の追い落としに利用していたんだな。
0139名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/13(火) 21:54:54ID:u34h/nCD0
「嫌な」と言うよりは、むしろ「恐ろしい」かな。

元の渡海軍事行動は悉く失敗したとされているが、日本以外の国々は皆その後元に朝貢している。
視点を支那側に移せば、これらは軍事的な失敗ではなく、庸懲の後に恭順の意思を示したのだから(征服は出来なかった/しなかったけれど)軍事的、外交的には(ある程度)成功したのだ、という言い訳が可能。

しかし、日本が送ってきたのは朝貢使ではなく「倭寇」。
これは外征の完全な失敗を意味する。
しかも、元の後半はこれらの「賊」を討伐する事もかなわず、攻められっ放しという体たらく。
(どこかの都市が倭寇に占領されたとか、征服されたというわけでは無いのだけれどね。)

蒙古に屈するどころか、反撃し続ける日本は(それなりの)軍事的強国として下手に刺激しない方が良い国だと見られていたのだろうと思う。
(当時の日本政府、朝廷も幕府も倭寇とはほぼ無関係だけどね。)
倭王・良懐の朝貢使には「太祖嘉之。」と他にはあまり見られない表現が使われたし、アレな国書にも「帝得表慍甚、終鑑蒙古之轍、不加兵也。」と、ムカついても軍事行動は諦めている。
0140139
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2007/02/13(火) 22:04:33ID:u34h/nCD0
まあ正直な話、南北朝の動乱期に明に攻め込まれたら、日本も危なかったんじゃなかろうか〜とは思うんだが、多分それは「後知恵」になるんだろうね。
0142名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/14(水) 22:05:19ID:bpCOCPsY0
取り敢えず歴史は動いた始まったな、
早くも「洪武帝」の年号が出たぞ。
0143名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/14(水) 22:43:43ID:bpCOCPsY0
観終わり、陛下の出番は多かったけど、
胡維庸の獄の扱いが不満残るよな、
番組の都合の良い部分ばかり表に出して、
事件の本質については何も触れていない。

そもそも、日本と結んで云々の部分は
現在の研究では朱元璋自身による捏造という見方が強いってのに。
0144名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/14(水) 23:03:52ID:0/5q6M0H0
以前は「元から日本への使者は友好の使者」とかトンデモ語っていたからなw>「その時歴史は」

以来、見る気無し。
0145名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/15(木) 17:11:59ID:z9vhyC8R0
>>144
それってモンゴルマンセーの杉山正明の学説だよな。
ちなみにこの人の朱元璋観は「時流に乗っただけの幸運な殺人鬼」
0147名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/15(木) 22:00:39ID:EZVgupcY0
>>145
杉山先生は嫌いじゃないんだけど、極端な例がなぁ・・・w
もっとも、極端な事を言う人はどこにでもいるんだけどね。
0152名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/21(水) 20:57:36ID:6Rpkvtr/0
もし、トクト率いる南征軍が瓦解しなかったら・・・「杉山先生乙w」とかいわれそうだけど、
あの時点でさえ、なお元の武力は強大だった。伝統的なモンゴル貴族に加え、アス、カンクリ
などの諸族を大動員した南征軍が、そのまま攻勢を維持していたら・・・
0153名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/21(水) 22:00:21ID:Kv0xm2bk0
張士誠はまず潰されるな。
でも、何だかんだで元朝の勢力を江南に維持し続けるのは難しいだろうし、
西系紅巾軍が生き残って、覇権を手にする?
0154名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/21(水) 22:40:58ID:kkS6C0xQ0
幾つかの反乱勢力を潰したところで、
反乱が発生する温床が無くならないんじゃ、
結局は脱脱の南征も一時的な応急処置に過ぎない。
また別の反乱指導者が次々と現れてしまうだろう。

加えて脱脱は軍の司令官としての腕は一流かもしれないが、
宰相としての手腕には疑問の残る人物だから、
いずれにしろ元は近い将来に滅びていたんじゃないかな。
0155名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/22(木) 02:54:29ID:z4qSpnZI0
秦末、後漢末、唐末がそうだしな。あわや国家を転覆しかけた反乱を鎮圧しても、
余命いくばくもなかったし。例外は安史の乱後の唐の存続くらいか?
0156名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/23(金) 11:24:21ID:+Gx/58Bg0
>>141
兵器の歴史から言えば日本の冶金、鍛造技術は鎌倉にはほぼ全盛期を迎えてた
以降刀剣、槍の穂先の類はほぼ進歩無しで逆を言うと以降1000年近くも最先端な刃物が既にあったので
武装面からして日本製品を持っている当時の倭寇が弱いわけがない
特に倭寇がゲリラ的に突っ込んで来て明としては火薬兵器を使えるほど組織だった抵抗が出来ない状況では
白兵兵器の質で圧倒的に勝る倭寇と日本は相手できない、したくない
まあ倭寇の正体は海のシルクロードで貿易やってる海賊連中なわけで、日頃海に慣れてる連中を相手に海軍を率いたくないってのもあったんだろう
討伐しない代わりにムカつくから相手もしたくないって事で後に海禁するんだろうな
0157名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/23(金) 18:53:05ID:K5ASjyvG0
>>156
元末明初の頃の倭寇は前記倭寇って呼ばれていて、日本出身が殆どじゃなかったかな?
確か、西日本で暴れまわっていた悪党と前期倭寇は手口が酷似していて、
こいつ等が前期倭寇である可能性が高いって何かの本で読んだことがあるぞ。
0158名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/24(土) 13:00:01ID:8sAACl/j0
>>157
大陸に向かった連中は分からんが、高麗の場合はかなりの割合で
下層民が日本人に成りすましていたと、井沢本に書いていたぞ
0159名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/24(土) 23:14:08ID:AnTNcKKc0
高麗と明はごっちゃにできないんじゃないかなあ
0163名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/28(水) 13:56:49ID:BKcB3xYS0
呂后<孝慈高皇后はガチだがな。
0164名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/02/28(水) 22:06:23ID:UE4iJN250
官人為馬后歌

我后聖慈 化行家邦
撫我育我 懷コ難忘
懷コ難忘 於萬斯年
彼下泉 悠悠蒼天

(明史太祖孝慈高皇后馬氏傳)
0165名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/03/03(土) 10:33:32ID:eDbFIEAo0
朱元璋「もしもし明朝出版の朱です 今日から僕があなたの君主になりました よろしくお願いします」 
羅貫中「え?張士誠は??」
朱元璋「滅びました」
羅貫中「うそ―?」
朱元璋「ていうか滅ぼしました」
朱元璋「それで三国志演義 徐庶伝の話なんですけど、次回が最期です」
羅貫中「うそ――――――っ」
朱元璋「悪く言えば勅令です」
羅貫中「わざわざ悪く言わないで下さい」
朱元璋「もともと中身がめちゃくちゃで 今回はぶっちぎりの悪評だったんですよ。官能小説の『エロエロ仙人 左慈伝』より評判が悪くて・・・」 
羅貫中「マジっすか!でも急に勅令とか言われても困りますよ!僕の小説やっと盛り上がってきたところなのに…四天王とか出てきて…」
朱元璋「乱世はまだまだ続く…みたいな終わり方でいいじゃないですか」
羅貫中「そういう終わり方ってよくありますけど僕のシナリオの場合…敵の曹操に徐庶の母親が囚われてるじゃないですか…」
羅貫中「しかも食事は一日に温州みかん一個だけで 偽手紙とか書かされたりしてるんですよ」
朱元璋「『左慈伝』とカブってますね」
羅貫中「いや全然カブってないですよ!とにかくそんなわけで曹操を倒さないとすっきりしないっていうか…」
朱元璋「そうですねえ…」
羅貫中「しかもそのためにはいろいろ条件があって… 曹操の居る銅雀台に入るにはを二喬を手に入れないといけないし…曹操を倒すにはまず四天王を倒さなければいけないし…」
羅貫中「しかも今戦ってる四天王の曹仁は別名「ザ・天人」と呼ばれる程妙にタフネスで10回刺さないと死なないんですよ」
朱元璋「なんでそんな設定に…」 
羅貫中「10巻くらい引っ張ろうと思って… あと主人公に親友の天才軍師がいるらしいことを第一巻からほのめかせてるんですけど コレどうしましょう…」
朱元璋「さあ… まあ うまくまとめてください」
羅貫中(はあ…新しい君主何か冷たい)「で その…紙何枚もらえるんですか?」
朱元璋「3枚でお願いします」
羅貫中「うそ―――――――っ なんで僕そんなに酷い扱いなんですか!?」
朱元璋「ほんと評判が悪くて…」
羅貫中「ちくしょ――――――――――――――!! もう下野しますからね!」
朱元璋「はい」

0166名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/03/03(土) 10:35:23ID:eDbFIEAo0
最終回 四天王荒野に散り 徐元直曹公と相見える 

徐庶「チクショオオオオ!くらえ曹仁!新必殺八門金鎖破り!」
曹仁「さあ来い徐庶ォォォォォ!オレは実は一回刺されただけで死ぬぞぉぉ!」
(ザン)
曹仁「グアアアア!こ このザ・天人と呼ばれる四天王の曹仁が…こんな文官に…バ…バカなアアアアアア」
(ドドドドド)
曹仁「グアアアア」
夏侯惇「曹仁がやられたようだな…」
夏侯淵「フフフ…奴は四天王の中でも最弱…」
曹洪「文官ごときに負けるとは曹家の面汚しよ…」
徐庶「くらええええ!」
(ズサ)
3人「グアアアアアアア」
徐庶「やった…ついに四天王を倒したぞ…これで曹操のいる銅雀台の扉が開かれる!!」
曹操「よく来たな徐庶…待っていたぞ…」
(ギイイイイイイ)
徐庶「こ…ここが銅雀台だったのか…!感じる…曹操の覇気を…」
曹操「徐庶よ…戦う前に一つ言っておくことがある お前は私を倒すのに『二喬』が必要だと思っているようだが…別になくても倒せる」
徐庶「な 何だって!?」
曹操「そしてお前の母親はやせてきたので劉備のもとへ解放しておいた あとは私を倒すだけだなクックック…」
(ゴゴゴゴ)
徐庶「フ…上等だ…オレも一つ言っておくことがある このオレに諸葛なんとかという親友がいるような気がしていたが別にそんなことはなかったぜ!」
曹操「そうか」
徐庶「ウオオオいくぞオオオ!」
曹操「さあ来い徐庶!」
徐庶の勇気が漢朝を救うと信じて…! ご愛読ありがとうございました!
新着レス 2007/03/03(土) 10:25
0169名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/03/11(日) 22:15:17ID:ytTibeqn0
>>165
出版社立場ツヨスw
0170名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/03/16(金) 00:06:12ID:emwGv4VU0
この人、安徽省の出身だろ。
現代の中国でも、安徽省の人はこういうタイプ多い。

猜疑心が強くて、親族しか信じない。
だから、事業を始めても従業員を雇いたがらないからいつまでも
小規模な経営状態が続く。
会社勤めのような他人との協調を要する仕事も嫌い。
大都市で集団スリをする人も多い。

中国では結構嫌われてます。
0171名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/03/16(金) 12:33:01ID:+sKLah8W0
へ〜、現在ではそうなんだ。
明代ぐらいには、安徽省新安の商人さんたちは、
日本の堺の商人みたいに勢いがあったみたいだけどね。
それに、安徽省は華北と江南の文化のちょうど交わるところで、
この地の人々は多様な思想、価値観にさらされて育つから、
有用な人物を排出しやすいって、確か陳先生辺りが言っていたような気がする。
0173名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/03/17(土) 22:18:58ID:a8EC+kBbO
天涯孤独で身一つで成り上がった朱元璋が
誰も信頼しない、できない訳ないだろ。
仲間を見つけ、有力者に師事し、主人の猜疑心に耐えて、信頼を勝ちえた。
主人を裏切ったりしてないし、むしろ主人が死ぬまで忠義を通した。
0175名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/03/18(日) 12:25:45ID:viVLUGqa0
>>173
その息子たちは悲惨な最期をたどったがな
0176名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/03/18(日) 12:52:38ID:EXsaPVJBO
息子ってどうなったんだっけ?
朱元璋にとって有能な主か、己の分を知っている奴か、命の恩人でないとな。
息子といえど命を狙う敵にしかならない。
0177名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/03/18(日) 20:52:10ID:viVLUGqa0
>>176
史料が今手元にないので、うろ覚えながら・・・

まず郭子興には三人の息子がいて、その内長男は若くして戦死している。
んで、残ったのが次男の郭天敍と三男の郭天爵。

郭子興の死後、郭子興の義弟張天祐は朱元璋に相談もせずに
大宋の宰相杜遵道に使いを送って、小明王から官爵を授かり、
(郭天敍が都元帥、そしてそれを補佐する形で張天祐が右副元帥、朱元璋が左副元帥)
これによって張天祐は旧郭子興軍閥の中で郭子興亡き後、郭天敍に次ぐ実力者となる。

抜け駆けされた形となった朱元璋は当然面白くない。
おまけに、郭天敍も張天祐にべったり。

そこで朱元璋は一計を案じた。
捕虜としていた元の将軍陳埜先を解き放ち集慶に向かわせ、
また、郭天敍には陳埜先が内応の約束をしたといい加減な報告を行い、
張天祐と郭天敍を集慶へと出兵させ、二人を戦場にて葬ろうとしたのだ。

結果、朱元璋の目論見どおり張・郭の二人は陳埜先ら元軍によって討ち取られた。

残りの弟である郭天爵も、謀反を図ったという罪をでっち上げられ、まもなく処刑された。
0178名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/03/18(日) 22:01:03ID:w28SlvZc0
>>177
陳埜先の裏切りは、朱元璋の企みかどうかは分からんような。
郭天爵の謀反もでっち上げか、本当に支配権を取り戻そうとして
殺されたのか分からんような。
0179名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/03/27(火) 00:46:56ID:nowa3BIa0
俺は後漢光武帝、宋の初代皇帝以外の、一般に「開祖」と呼ばれてる奴は好きになれない。
特にこの朱元璋などは最たるものだ。反吐が出る。
0180名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/04/03(火) 13:12:12ID:mkEhUJaI0
奴隷を解放したり、貧しい農民に土地を与えたり、汚職官吏を容赦無く処罰したあたりが嫌われているんだろうね。
0181名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/04/06(金) 16:13:24ID:8ch11Iki0
功績も大きいんだけどマイナス面ばかりが目に付くな
0184名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/04/08(日) 13:40:03ID:KW5filkU0
でも、名君と呼ばれて偉業をなした皇帝には、こういう冷酷な性質を兼ね備えた者が多いね。
0185名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/04/09(月) 23:44:27ID:VRLrYlap0
趙匡胤が皇帝になるように家臣一同から泣いて頼まれてしまいに弟から
「皇帝になってくれないならお前を殺して俺も死ぬ」みたいなこと言われて
仕方なく禅譲を受けた、なんていうのも創作説が濃厚だしね。
0186名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/04/10(火) 05:19:21ID:xLpC3W5/0
宋の皇帝の場合、記録を残す立場の知識人層にとっては、ネ申のような存在だったからな。
実際以上に美化美化美化。


清雍正帝も随分と酷い扱いだよな。
人頭税廃止で士大夫層の見入りが減ったのかな?
0187名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/04/10(火) 14:37:10ID:fiFw5wVd0
この人の作った王朝は実質二代で滅亡
王朝を乗っ取った永楽帝がたまたま朱元璋の息子だったから同一王朝扱いされてるだけ
0188名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/04/11(水) 20:39:35ID:wVEc1q1N0
そんな事言い出すと宋は一代で弟に乗っ取られて滅亡してないか?
0189名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/04/11(水) 20:45:26ID:jneFhV8/0
いくら簒奪があったとは言っても、建文帝に仕えた廷臣の多くが、
そのまま永楽帝にも仕えているわけだし、
王朝交替と言うのはちょっときついんじゃないかな。

宋の場合は、後の方で復活したね。

0190名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/04/11(水) 22:32:35ID:FXlcrX3a0
周 共和の乱、犬戎の乱
漢 呂氏の乱、光武中興
晋 永嘉の乱
唐 玄武門の変、武韋の禍、安史の乱
宋 千載不決の議、靖康の変
明 靖難の変
清 ―

こうして見ると唐が意外と弱いな。
0191名無しさん@お腹いっぱい。
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2007/04/17(火) 17:53:50ID:Wciw6JWn0
>>190
どういう基準かちょっとわかりかねるが、

つ 晋 八王の乱
つ 唐 黄巣の乱
つ 明 土木の変 奪門の変
つ 清 三藩の乱 (アヘン戦争、アロー戦争) 太平天国の乱 義和団事件 戊戌の政変

高校世界史教科書レベルに限定して挙げてもこんなもん?
清はしょうがないとしても、唐は乱や変が多いな。
まあ長い王朝だし、しょうがないっちゃしょうがないが。

よく考えたら明は皇統が傍系に移ることなく最初っから最後まで太祖の血統で皇帝が占められたな。
まあ変な皇帝ばっかりだけど。
0192名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/04/17(火) 22:48:15ID:IJ0KAidW0
中唐以降は諸外国のちからが上がって来ているので
相対的に唐が弱くなったのであって、中華政権中ではそんなに弱くもない。
明代前後になると人口比率も爆発的に大きくなっているので、これまた単純に比較もできないよ。

>>太祖の血統
ものすごく珍しい例でしょうが、それが吉なのか凶なのかは判断つかんね。
あんまり関係ないんかな…
宋は南北で系統が違うけど、どちらも漁色と暴君を出さなかった点は稀有。
0193名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/04/17(火) 23:23:53ID:Wciw6JWn0
>>192
そうかそういや宋には漁色も暴君もおらんね。
暗君らしいのはいるけど。

清もなー、皇帝達の良さは随一なんだけど、相手が西欧列強じゃなー。
0194名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/04/27(金) 23:45:04ID:1gUHKR9c0
朱元璋の兄弟親戚系って全滅していたんだっけ
0195名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/05/03(木) 15:40:52ID:7vR9glSL0
両親兄弟は全員餓死だったはず
0196名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/05/03(木) 19:49:51ID:Xy8Ewsd90
両親が死亡し、僧になる段階では、
まだ兄が一人、そして他家に嫁いだ姉が一人生き残っていた筈。
ちなみに、この嫁いでいた姉は李文忠の母親でもある。
ただ、この二人も朱元璋が僧になった後間もなく亡くなっている。
0198名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/05/15(火) 23:29:27ID:B/sbqid20
しかも40歳ぐらいで皇帝になっている。
これって最下層出身から皇帝にまで登りつめたにしては、
かなり若くない?
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