(`へ´)< 霍去病・衛青 総合スレ >(´〜`ヽ)
(`∀´)<ははは。兵など所詮捨て駒よ
傲慢お坊ちゃまのくせにずば抜けた名将・霍去病様を語りましょう!m9(*・ヮ・)
(ヽ´〜`)<将も兵卒もみんな、頑張っておくれ・・・
同じく名将なのに完全対照的な性格の叔父さんの衛青様にも注目してあげてね。。(*;ヮ;*)
霍去病
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%8D%E5%8E%BB%E7%97%85
衛青
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%9B%E9%9D%92
>>98
子供の頃、病弱だったから親が改名したんじゃないか?! 「病が去る」普通に考えて健康を祈って付けられた名前だろうな。
病弱じゃなくても子どもの死亡率なんて高かっただろうし。
日本で言ったら、健太とか康とかそんな感じか? しかしあまりに早く病に斃れたわけだが
遺伝病のある家系だったんだろうか 北斗の拳とかでさぁ
死眺星だっけ?
北斗七星の横の小さな星
これ見えたら死ぬっていうのは、
当時の中国の軍隊に入るテストが
この星が見えるかどうかだったからだよ。
星が見える→軍隊に入る→→→死亡フラグみたいなw
去病もそのテスト受けて入隊してるだろ。 >>110
見えるから死ぬわけじゃないよ!
目が良いかどうかのテストだよw
だから軍隊に入りたく無いヤツは
見えないって言えばよかったんだよ。 霍去病の死ぬ直前はどうだったんだろう。
死因は若年性の癌とか、それとも感染症か何かか。
腹が痛くて触ってみたらシコリを見付ける、風邪かと思っても咳が止まらない
自分の年齢からしても死ぬなんて思わなかっただろうが
死期が近いと悟ったのはいつだろうか。 その時に何を考えどんな言動をしたのだろうか。
そういう疑問が心から離れない。 ドラマの「漢武大帝」の中では、
遠征中に武帝からもらった酒を泉に流して兵士と共に飲んだが、
実はその泉には匈奴が病気の羊を殺して毒を流していましたって事になってた。
勝利して戻ってきてから調子が悪くなって…って感じだった。
あくまでドラマの中だけどね。 ええええ〜?
結核だろ?たぶん。
結核になった人を見舞いに行ったら移って死んだんだろ。 咳止め効かなくて、
「とどめさしてよ〜(T_T)」とか言ってたんだろw >>113
>遠征中に武帝からもらった酒を泉に流して兵士と共に飲んだ
どう考えてもそういう人気取りするタイプじゃないよな。李広や衛青ならともかく。
シナリオ書いた奴は史記読んでなかったんだろうか。 >>116
みんなのために酒買って来て
せっせと運ぶ性格だろう! >>121
それはない。
付き合いで隔離されてる知らない人の病気見舞いに行って、
結核を移されたんだろ。
お人よしすぎてまぬけ。 霍光の毒殺説は無いわけではない。
霍光は傲慢だったから、嫌っている人も沢山いたらしい。
衛青が毒殺説は、衛青の性格や、二人の仲が悪くなかった所から無いと思う。 >>128
霍光は謙虚で慎重な性格だったはずだが。
傲慢だったのは兄貴の霍去病の方じゃね? ごめんなさい。コピーでやってるもんだから霍光と霍去病を間違えた。 まあ、二十歳そこそこであれだけの大戦果上げたら傲慢にもなるわな。
衛青と違って苦労もしてないし。 今流行ってる
特異な才能があるけど、人間関係の空気嫁のが苦手な人だった気がする。
武帝もそれっぽいから気が合ったのかもね。
いずれにしろある程度の身分があったから、能力が発揮できたと思う。
衛青みたいにたたき上げでは早々に潰されただろうね。 >>134
脳の働き方が一般人と違う為、物事の意味理解に問題があって
暗黙の了解、世間のルールなどを読み取る事が苦手な部分を持つ。
逆に一般人が思いもしないような作戦や理論、発明などを思いつく人もいる。
信長やアインシュタインもそうだったという説がある。エジソンは多動系。 去病って武皇帝に2回牢屋に入れられて、一回死刑になりそうになってるよ。 >>116
別に人気取りで行動した訳じゃなく、貴族特有の気まぐれでそういうお祭り騒ぎって事ならアリだと思うが
人が何かするときに必ずしも計算や打算が必要な訳じゃあるまい >>129
霍光は皇帝に対しては、謙譲の姿勢を取り続けたから
彼が生きてる間は宣帝も霍氏一族に手を出せなかったわな
霍光が死んだら、宣帝によって一族の殆どが誅殺
霍去病の孫二人(霍雲と霍山)は、その時に自殺
しかし24歳で死んだ霍去病に孫が二人も居たなんて驚き
霍去病には霍子候と言う子供が居たけど、霍雲と霍山は
霍子候の子供では無いから父親不明 >>131
武帝から寵愛されていた上に、18歳で列候、22歳で叔父の
衛青と共に大司馬(三公の一つで武官としての最高位)だからなぁ
これで傲慢にならなければその方が信じられない
対匈奴戦でも連戦連勝で負け知らずだから将軍としての功績も文句無し >>14
超亀レス
ラインハルトに近いのは衛青よりむしろ霍去病だろう
戦争の天才+若くして病死 北方謙三の衛青、霍去病が出たよ。張騫もくっついてるが。 全員が哀しみを知る男にされてるんですね、わかります('A`)>武帝紀
北方作品は、人物の幅の狭さに気づくと醒める
ベクトルは違うが、かつての宮城谷と同じ道を歩んでいる 宮城谷の作品は主人公が似通ったタイプになりやすいというダメ出しが
たしかに挙がってるしそう思うが、(主人公に近しい人物を除いた)脇役は
そうじゃない
脇役を担う登場人物は史料を読み込んだうえでその出処進退や言動から
人物の性格や思考を検証してるのがたしかに覗える
その辺でいえば北方の方がたしかに狭いといえば狭い 曹操を爽やか台風に仕立てたのは驚いた。
劉備、関羽の解釈は単純に驚いた。
袁紹の叩きっぷりのひねりのなさも驚いた。
宮崎>>1定がご存命なら「一読三嘆」と帯のアオリ文を贈るだろう。 >>143
しかしその粛清をした宣帝は衛青の曾姪孫だから、
衛青ファンの俺としてはとしてはそれほど心が痛まなかったり
>>148
面白かったけどあの衛青はちょっとかっこよすぎるw もし霍去病の死因が暗殺による物でないとするなら
矢傷による破傷風。もしくは心肥大による心不全かな
バリバリに活躍してぽっくり逝った。そんなイメージがある 漢武大帝だと衛青はみんなに慕われる将軍て感じだったな
年老いて病に倒れた衛青が武帝に最後の別れを告げに入宮するシーン
「大将軍がいらっしゃった!!」の声と共に人民解放軍のエキストラと思しき武官の皆さんが
子供みたいに「将軍だ!!」「将軍どうなさったんですか?」とどわっと駆け寄って取り囲む
なんか泣けた >>154
でもその代わりに弟の霍光は長く生きたんだよな
生年不詳だから推測になるけど
だいたい60は越えたろ。 本人は天寿を(たぶん)全うしたが、一族はすぐに全滅。 「こんな若造に何ができる」と侮ってた宣帝に霍一族は皆殺しにされました。
その宣帝は衛青の姉・衛子夫のひ孫。何となく不思議なめぐり合わせだよなあ。 >>2
それは当時の中国との価値観の違いだろうな
今の日本の価値観からしたら衛青のが好感度高いのは至極当然 >>135
それ霍去病つーか韓信じゃね
ニートからやっとこさ将軍になったのに空気読まず斉王にしてくれとか言って劉邦の恨みかっちゃった馬鹿 霍光や霍去病が主役の小説出ないかな(塚本の小説じゃなくて) >>72
幼い頃から宮廷の女官に可愛がられてたくらいだから、お坊ちゃまな美少年だったんだろうな。
カクさんは陣中では一人で書物を読み耽ったり、馴染みの指揮官と群れるのが常だったのに、末端の兵にも人気だったからなあ。
衛青みたいな体育会系の叩き上げの方が、将兵には受けがいいと思うんだが。 >>66
>>69
光GENJIの諸星が頭良くなった感じだろうか、去病は。
衛青は大沢樹生か。 衛青はあっちこっちに気使い過ぎてウザがられてる感じ ずいぶん若死にだけど、霍去病には子供はいたの?
例の小説ではいたけどw >>179
ちゃんと子がいたことが史記、漢書に書いてある >>180
d 現代の24、25歳と2000年前の24、25歳を一緒にしちゃいかんな >>171
バンヤロー先生の著作を忘れているとは… >>182
どっちにせよ霍光の小説はろくなのがないんだな… 霍光はまだ面白い方だと思うな
なんだかんだで3回は読んでる 衛青が人気無いっていうけど、
史記にはちゃんと衛青を素晴らしい人物だって絶賛してる記述もあるぞ。
・・・何故か劉安の列伝に。 何で霍去病って人気あるんだろう?傍若無人すぎて敵も多いだろうに。 そりゃ初陣以来連戦連勝の若き天才将軍だから人気はあっただろうよ 先に衛青が居たってのも大きいんじゃないかな
霍去病一人だと反感買うかも知れないけど
その上に衛青がいて、軍部や朝廷の重しになって安定してたから
「ああいうヤンチャも可愛いよね」って思えるだけの余裕があったのかも知れん しかも皇后の甥だし
多少嫌ってたとしてもわざわざ表立って敵対とかしないだろうな またあげ
興味無い人もちょっと調べてみる価値あるよ!