雑談・質問スレッド其の壱
雑談・質問はここでどうぞ。初心者歓迎!
(単発質問スレ乱立や重複スレ立て防止にご協力下さい) 学研の歴史群像新書とかで資料としとして引かれてる
「中国歴代戦争史」をググって見たら著者が「蒋中正」となってる。
http://www.kosho.or.jp/list/620/04464152.html
これって蒋介石のことと思っていいのかな。 「中正」が諱(いみな)で「介石」は字(あざな)だよ。 おい聞いたか?
ホラー・オカルト禁止だってよ
超現実的で恐怖感を煽るからだって
現実的な要素の欠片もない国が何を言うか >>205
最新の全巻訳である続国訳漢文大成(東洋文化協会・全17巻)が出たのが今年でちょうど50年前だって言うのは分かるな?
すまん、復刻版が2000年に出ているな。他の本と合わせて80万円ほどするが。
ttp://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9974183154 六合って淮南揚州の六合?
趙匡胤が鬼の奮戦したところだな。
質問内容は、東晋時代のようだけどw >>208
ああ、ごめん。東晋じゃないな。
我らが宇宙大将軍さまのことだったかな。 天地と四方を合わせた巨大な空間のことだね。>六合
将軍号の「宇宙」と呼応しているわけだ。 とりあえずヤホーニュースのアクセスランキングを
一位にして世間の注目を集めよう。
世間の注目が集まればマスコミも取り上げざるを得なくなるはず。
http://headlines.yahoo.co.jp/accr?ty=t&c=c_int
→なぜかレコードチャイナの「「綱渡りキケン通学」にサヨナラ!児童の安全を願い、国内メディアが橋を寄贈―雲南省怒江」
という記事がトップに!「共産党工作員」に情報操作されてる可能性が!
ヤホーニュース・みんなの感想が劣勢気味。
*チベット関係ニュースにコメントを投稿・良いコメントに「私もそう思う」
で評価をあげよう!
【チベットで暴動、数人死亡=警官が射殺、商店炎上−抗議活動拡大・中国】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080315-00000007-jij-int
【チベット大暴動 米政府、強い懸念】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080315-00000070-san-int&kz=int
【チベット暴動 潜在的不満、一気に 世界注視 胡政権に衝撃】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080315-00000083-san-int&kz=int
【<中国>五輪控え政権にダメージ チベット暴動】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080315-00000001-mai-cn&kz=cn
ようつべもあげよう。
*5星評価とお気に入り登録
チベット・ラサで暴動 Protests turn violent in Lhasa
http://jp.youtube.com/watch?v=n0BnGKtAh6c
ムーヴ「チベットはここ数年でもっとも緊迫している1、2」
http://jp.youtube.com/watch?v=AF8_3NuM1E0&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=V9JTXDCiSwE&feature=related
他の板にもスプレッド宜しくお願いします。
踏むだけで世論を変える力になるはず・・・です。 第3回の全板トナメが5月1日から開催だそうだ
http://2ch.gepper.net/ 質問です
なんで劉備は関羽が死んで空席になった五虎将軍のポストに魏延を置かなかったのですか?
やっぱり孔明が反対したからなのでしょうか? 五虎将軍のポストがフィクションだからじゃないですか 質問。
三国志の用語辞典サイトをご存じ無いでしょうか。
最近、三戦や中英を見ていて、分からない用語が結構出てきます。
たとえば、
「第○鎮の”鎮”の意味は?○の番号に序列があるのか?」
「七軍とかいうけど、何人くらい?」
「南郡って具体的にはどこ?」
とかです。 用語辞典サイトの類は複数あるけど、紹介すると自薦乙とか言われそうなので
あえてご紹介しません。個別の話は以下で
第○鎮は『三国演義』第5回で曹操が出した董卓征伐の檄文に呼応したメンツ
袁術が第一鎮、袁紹が第十七鎮で最後。これって序列あるんかね?
どっちにしろフィクションの設定
ある軍事史研究サイトは歴代官制をまとめた唐代の『通典』を引いて
後漢・三国の軍=歩兵3200人としてる
しかし『通典』の該当部分は後漢・三国の兵制とは明言していない
軍・裨・校・部・曲・官・隊といった漢代の単位を使ってるが
個人的には後漢末期や三国の各軍に完全にあてはまるか確信は持てない
大きく外れてるということは無いと思う
南郡はhttp://pds.exblog.jp/pds/1/200512/03/21/b0052821_115599.gif
荊州はhttp://image.my3594.net/component/pedia/82/3_mid.jpg
現代中国だと湖北省の北側 鎮ってのは「藩鎮」とかからおこったから、三国時代ではないあとの時代の言葉なんでしょ。
三国演義は、そういうところ地名にしても、官名にしても書かれた当時のもので書いているところが多い。 フィクションの設定というと語弊があったかもしれない。鎮は「(地方の)軍団」とか「軍勢」ぐらいの意味
地方の守りとして制度化された軍団という意味での「鎮」の用例は後漢にはないので
江戸幕府を「江戸政府」と呼ぶような時代錯誤が入った語感
序列は字面追うだけだと大した意味はなさそうだが、講談師が客に読み聞かせる場面で
袁術の後に韓馥、孔伷、劉岱・・と地味なメンツが続いて、最後に孫堅、袁紹が出てくると
それなりに盛り上がりそうなので、そういう効果を狙った並び方かもしれない 成都・重慶で大きな地震で被害がすごいらしいけど、この辺って重要文化財どんなもんがあるの?
昔の中国には英雄が沢山いたのに今の中国はなんであんなに酷いの? 今の日本に英雄がいないのと同じ理由。
それは自分で感じ取るんだ。 いまMXで再放送している三国演義って、
ブラザーズ以外の部分を端折ってる割に
DVD版でカットされてるシーンが残ってたりするんだが
このバージョンって、いままで放送されたことある? >>224
ttp://personal.ie.cuhk.edu.hk/~wyng/gee/dujiangyan.html
ttp://sankei.jp.msn.com/world/china/080516/chn0805161030005-n1.htm
ttp://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/guanguang/yichan/200110/200110.htm
乱世には英雄が現れる、って言うじゃんよ。
(つ´Д`)英雄マダー? 現代の政治システムは程度の差こそあれ独りに権力を集中させない、つまり英雄の登場を阻むようにできてる
仮に今の中国に岳飛(←この例えが適切かは自信なし)みたいな奴が現れて衆望を集めたとする
かれが中央軍事委員会から独立し、誰からも掣肘されない状態で
人民解放軍の総指揮権と核ミサイルの発射ボタンを握ったらどうなるか・・・ >英雄の登場を阻むようにできてる
禿同。
その代わり図抜けた人材も出ない。
TOPのやからもそこそこ。つまらん。
今の政治家を本にしても売れない。
面白くない。脚色しても。 でも、英雄の出る土壌だけは取り去りようがないな。
例えば、利権漁りに狂奔した政治家や役人が運用するシステムの中で
今食するものすらなく、飢餓で倒れるものが続出し、食べるために徒党を
組んだとき、それをある方向に導き、飢餓から救い出せる指導者。
日本では少ないが、民衆が蜂起するとき、それは単純に生きるために他人、
この場合、政治システムで民衆を圧迫統治してきた、いわゆる強者を
殺すことにある。それは理性ではなく、生物としての本能のようなものかな。
それをコントロールできる指導者は、そちら側からは英雄扱いされるだろう。
まぁ、翻って既存権力側からは、悪魔の破壊者呼ばわりだろうがw 毛沢東って英雄が出たばっかだから、しばらくは出て来ないんじゃね?
今の中国は創業の世代が死んで次の世代って感じ
この場合の英雄ってのは、あくまでも大陸的中国的英雄の意味であって、一般的な日本人がイメージするような英雄像とはズレてるかもしれんが 質問です
215年の時の位階を見たら、こんな感じでした
張遼:盪寇将軍|凌統:盪寇中郎将|関羽:盪寇将軍
楽進:折衝将軍|甘寧:折衝将軍
魏の2人は206年にその位階になって、関羽は209年、呉の2人は214年のようですが、
偶然でこんなに名前が被るものなんでしょうか?
場所も比較的近くて、ちょうどぶつかりあった人物ですが、
後から昇進した方はわざとだったりする可能性はありますか? 中華統一した王朝名:最期の王朝を滅ぼした将軍名(滅ぼされた最期の王朝)
秦:王賁(斉)
前漢:韓信(楚)
後漢:呉漢(成)
東晋:王濬(呉)
隋:楊広(陳)
唐:柴紹(梁)
北宋:趙匡義(北漢)
元:バヤン(南宋)
明:徐達(元)
清:施琅(台湾) 越の氾レイが斉へ逃げたのは有名だけど
追っ手をまくために自殺に見せかけたことが載っている書物はわかりますか? 范蠡な。
范蠡の伝説に自殺に見せかけたなんて話はないよ。
『史記』貨殖列伝を読むことを勧めとくよ。 三国志の楊秋が211年の関中の戦いに破れて安定まで逃げ、のち曹操に下り
「何故逃げたのか?」
と問われて
「つきあいで」
と答え、その答えに曹操が笑って楊秋を許したという逸話は何という書物
に載っているのですか?
ウィキペディアに記載されており、陳舜臣の秘本三国志でも読んだ記憶が
あるのですが、原典がわかりません。 アホな質問だったらすいません
遥任(他国の領土)で太守を任じられるのと、太守を任じられ実際に赴任するのと、
どちらが厚遇ですか?
遥任って税収が入らないけど上から俸禄はもらえるんでしょうか? とりあえず暫定解を
>>242
楊秋の「つきあいで」は確かに秘本三国志にあるけどソースは不明
三国志や裴注所引の文献にもなし。この手の小ネタは『芸文類聚』や『太平御覧』や『冊府元亀』とかの
類書にありそうな気がして「楊秋 安定 ○○(書名)」とかで簡体字・繁体字両方で
いろいろ類書の書名を入れて検索してみたけど該当ありませんでした
>>243
遥任は日本の律令制度の用語だと思うけど、中国制度史上の用語だと「遥領」に相当するはず
で太守というか地方官の遥領は東晋から清まであったが
(『通鑑』に「呂布は張遼に北地太守を遙領させた」とあるのは宋代の制度で説明してるだけで
呂布がガッチリと制度化された遙領をおこなった訳ではないでしょう)、
歴代王朝が本職の地方官と遥領の地方官とでどれぐらい待遇に差を付けたか詳しくは知らない
ただ、宋代の遥領の待遇については『宋史』職官志・奉禄制上で、例えば禄粟について
観察使・防御使は100石もらうところ、将軍職などで遥領する者は同じだけもらい、皇族で防御使を遥領する者は70石もらえた
団練使は70石のところ、遥領する者も70石
刺史は50石のところ、遥領する者は本来の職掌に応じて25石になったり10石になったりした
・・・とあります >>244
ご丁寧にありがとうございました!
韓当が永昌太守とかになってたので、何でまだ現役みたいなのに
そこらの太守にしなかったのか?気になって質問しました
将軍職で俸禄が同じなら、本人の感じ方による部分かもしれないですね スミマセン質問です。
有名な故事だとは思うんですが、ド忘れしてしまって…
・他国(だったか)の嫁さんをもらった後、その嫁さんの一族を滅ぼしてしまった。
・敵ですら戦って殺すのを避けてたが、やると決めたら躊躇せず徹底的に殺した。
もしかすると何か別な事とゴッチャになってるかもしれませんが…
ご存知のかた、よろしくお願いします。 趙雲スレが落ちたみたいですが次スレ需要ありますか?
教えて下さい。ある本を探しています
昔図書館で借りた本で、
「趙雲は演義では袁紹配下から公孫さん配下にうつっているが、事実は逆であろう。
常山郡が公孫さんの支配下にあった191年に公孫さんの配下になり、
厳綱が敗れた191年中に公孫さんに暇乞いをし劉備に挨拶したのだろう」
って感じのことが書いてあったんですが、誰の何と言う本なのか知ってる人はいませんか?
うろ覚えだけど、その本は一人じゃなく何人かの研究者が書いていて、
趙雲のところは女性だったような気がします。
図書館の棚を片っ端から探したのに、誰かが持ち去ったのか見つかりませんでした。
宜しくお願いします。 >趙雲スレが落ちたみたいですが次スレ需要ありますか?
三戦でどうぞ。 三国志を研究する女の人といえば井波律子さんじゃないの
中文の人だから演義寄りだけど歴史学にも片足突っ込んだ仕事をしてて
だいぶ前に借りた『三国志曼荼羅』あたりにそんな考証があった気がする
ただ共著じゃなくて1人で書いた本なんだよね
女の人だという記憶があるならこの人の本を一冊ずつ見ていったら? >>249
早速ありがとうございます。『三国志曼荼羅』を探してみます すみません質問です。
春秋時代に「ちゅ(朱+おおざとへん)」という国があると本で読んだのですが、
この「ちゅ」にはどんな意味があるんでしょうか。
漢字辞典で調べても、国の名前〜といったことしか書いてありませんでした。 戦国燕の恵王って、性格は猜疑心旺盛で諫言も聞かなかったのに、
なんで謚号は「恵」になったの?
「恵」は「性格が柔和で諫言を受け入れられること」を表す美諡じゃなかったの? >>255
春秋・戦国時代は時として生前の君主の事績を鑑みて皮肉とも思える
諡号をおくることがままある
晋の献公や恵公、楚の穆王なんかは最たる例 >>256ありがとう。
へぇー!そうなんだ、まったく知らなかったわ…。
今よりはるかに先祖や両親が大事なあの時代でも、
そんな皮肉ってあったんだねえ。 項羽から”殷王”に取り立てられた、司馬卭の子の名前は何て言うんでしょうか?
八代後の司馬鈞までの間が判らない… スレ違いかも知れないんですが、すみません
現代に陜西省延安市宝塔区南大街陜甘寧区っていう地名があるようですが
呉将の甘寧とは何か関係があるんでしょうか?
位置的には関係無さそうなんですが… そういう地名がついた事情はよく分からないが、
「陜甘寧」はふつう陜西省・甘粛省・寧夏自治区の頭を取った語句だよ。
たとえるなら「薩長土肥」みたいなもん。 自分の勘では
陝西・甘粛・寧夏のアタマをとった地名じゃないかと。 >>260
早速ありがとうございます!
そういえば甘粛省は検索にひっかかってました…
すっきりしました。本当にありがとうございました! >>261
リロってませんでした
ありがとうございました! もともと過疎板なのに似たようなスレが乱立しすぎて住人がさらに分散してるな
例えば両晋英雄スレがおととし10月に立って80レスも付かないうちに
去年の6月末桓温スレが立った
いま両晋英雄スレは108レスで最後の書き込みは先月16日
桓温スレは59レスで最後の書き込みは7月22日
対決・ランキング系スレは多少にぎわってるが
この種のスレも同じようなのが立つたびに住人もそっちに移動して
ループ気味の議論を続けてるみたいから実際は大して人数も増えてないんだろう ランキングスレの議論と曹操・孔明・関羽の評価と軍師の定義は中英板ループネタの五虎将軍 ちと質問なのだが、科挙の最終試験の「廷試」と「殿試」の違いって何?後者が宋の趙匡胤が始めたってのは知ってるんだが、どっちも皇帝面接試験ってのに変わりないよな?時代で呼び名が違っただけ? 『明史』選挙志だと「廷試=殿試」とあるが、清代では別物になって
清初には廷試を実施してたのを康熙26年にやめたことが『清史稿』選挙志にある
で宮崎市定の『科挙史』をみると、清代の廷試では
特に任命された閲巻大臣や礼部の役人や国子監祭酒が採点して
合格者は任官なり中央の学校に入学なりできた、とある
明以前はたぶん廷試=殿試 質問です
父が子を呼ぶときは名?小字?
君主が今そこにいない配下のことを呼ぶときは姓+名?姓+字?姓+役職?
漢代の辺境の兵士の出勤簿は姓名だったけど、お偉いさんでも出勤簿とかでは姓名?
名は日常生活で全然使わないのかと思ったら、朱然の名刺には名も書いてあるから分からなくなりました
名はどんな時に使われるのか、よろしくお願いします お願いします
映画で孫権が呉侯と呼ばれてて、疑問が生まれました。いつから「呉軍」なんでしょうか?
無双では早い段階で「孫呉の未来〜」とか言ってますがそれはおかしいんですよね
呉軍という呼び方は孫策が呉侯になって以降ならおかしくないのでしょうか? >>269
楊州とかあそこらへんの地域を呉とか呉越とかって呼ぶこともある。(そもそも孫権が呉王になったのもそのため)
無双で孫呉〜っていうのは間違いと言えば間違いだけど、
益州に入る前の劉備軍を蜀軍と呼ぶのよりは間違っていない。 >>270
ということは、孫堅を呉軍というのはおかしいけど孫策・孫権なら呉侯になる前でも特に違和感無い
と思って良いでしょうか。早速のご回答&絶妙なたとえをありがとうございました! 赤壁の戦いの時に曹操が洞庭湖の霧で迷ったという話を聞きました
ググってみると書物は出てこなくて、主に中国旅行記がひっかかるのですが、
単なる洞庭湖の言い伝えなのでしょうか?
これについて書いてある書物や研究書などがあれば教えて下さい
よろしくお願いします 唐代の類書『芸文類聚』巻2が王粲の『英雄記』を引用して
「曹公赤壁之役、行至雲夢大沢中、遇大霧、迷失道」
と述べています。で「雲夢大沢」が洞庭湖に該るということ
『英雄記』のこの箇所は『北堂書鈔』とか『初学記』とか他の唐代の類書にもある一方で
『三国志』の裴注は引用してないんだね >>273
おお!まさか英雄記なんて自分でも知ってるような有名な本が元だとは思いませんでした
裴松之の入れ忘れなのか、裴松之から唐までの間に誰かが書き加えたのか…?
また、自分が聞いた説は赤壁に布陣する前に迷ったという話だったのですが、
教えて頂いたことをキーワードにしてググると敗走中に迷ったと理解しているかたもいるようですね
なかなか奥の深い問題なんですね
ご丁寧なレス、ありがとうございました!
>>275
情報量が乏し過ぎ
とりあえず、ざっと見て気になる部分は大まかだけど調べた
そこから割り出せる材料を挙げておくんで、後は自分で特定しとくれ
秦が雍に遷都したのは前677年
邢が衛に滅ぼされたのは前635年
衛が楚丘で復興したのは前658年
帝丘へ遷都するのは前629年
それと、巣や舒、氏A萊なんかの都市は属邑じゃなく小国として健在なのか
それもよくわからん
いちおう参考だが、
巣が滅ぼされたのはおそらく前574年
舒が楚に滅ぼされたのは前601年
獅ェ楚に滅ぼされたのは前538年
萊が斉に滅ぼされたのは前567年
このへんを加味して好きに特定しとくれ
>>277の方は戦国時代の割拠図を便宜的に表現してるだけで、そんなかたちで
存在していた年代を特定なんかできんと思われ
とにかく少しは自分で調べてほしいわ
その方がいろいろ得られるもんだってあろうて 質問です。
先秦期に関するテキストに詳しい方、おしえてチョーダイ。
孫ピンと?ケンが鬼谷先生の門下だという設定の創作作品を時々見かけますが、
元ネタはどんな史料なんでしょう?
史記にも戦国策にも孫?兵法にも見当たらなかったので。
蘇秦・張儀は史記にもばっちり書いてあるんですけどね。
あ、でも戦国策は邦訳のダイジェスト版(講談社学術文庫)なので、本当はどっかにあるのかも…
よろしゅうに。 『戦国策』には鬼谷子の名前じたい出てこないよ
孫臏と龐涓が鬼谷子に師事した事の根拠も分らんし
そもそも鬼谷子が実在するんかという問題もあるかも知れない
ただこの2人と蘇秦・張儀が鬼谷子の門下だという設定は最近の創作でもなくて
清代の小説『鬼谷四友志』http://open-lit.com/bookindex.php?gbid=131みたいなのがある >>280
おお、こんなのあったんだ!
ありがとうございまっす。
良く出来た面白い設定だから、
後代の作家がそのまま踏襲してるってことなんですかね? なんで中国は西欧諸国に遅れをとったの?
白豚どもに負けたのが悔しくてならないんだけど…… 中国に限らず、
産業革命で西欧と他地域に、圧倒的な格差が出来た。
多分、乾隆帝くらいまでは遅れを取ってはいないでしょう。
日本は小回りが利く規模だから対応できたけど、
巨体過ぎる中国(清朝)はそう簡単に文明の転換が出来なかった。 戦国時代の中国って国ごとに文字が違ったようですが、言葉は同じでしたか?
今でも互いに通じないらしい南北は当然としても秦、趙、斉、燕といった
北部の国々は言葉が通じたのでしょう? そりゃ国家統一している今でさえ言葉が違うんだから、
当時はもちろん違うでしょう。 三国〜魏晋南北朝期について、詳述されているような本があったら
紹介してほしいです。
正史三国志は読んだことがあるのですが、動向や制度、政治的な事象などを
説明している概説書の類いで、出来れば作家などよりも研究者が書いている
もののほうが嬉しいです。 山川出版社の世界歴史大系・中国史が定評のある概説書かな
概説書といっても研究史とか史料解題とか盛りだくさんで
読み応えがある分値段も張る
1巻が先史〜後漢、2巻が三国〜唐
同趣の本では講談社の中国の歴史もある。4巻が後漢・三国、5巻が魏晋南北朝
4巻は中文の先生が担当で歴史オンリーじゃなくて
史実と三国演義との異同に言及する箇所も多いが
歴史学の成果はちゃんと押さえてると思う >>289
ありがとうございます。
正史などに記されている行動の背景や、事件の意義などを知りたい
と思っていたので、早速確認してみたいと思います。 >>280
ウィキだと出典は史記とされているけど、本当なのかな?
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E8%B0%B7%E5%AD%90
ttp://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%BC%E8%B0%B7%E5%AD%90
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Guiguzi 蘇秦・張儀が鬼谷子の門下というのは史記にもあるからいいんだよ
問題は孫臏と龐涓も鬼谷門下かって話 ああいう隔離板は何かあると巻き添えでよく飛ぶんだよね マジレスすると、某女優の逮捕絡みで三戦と同じ鯖の板が飛んでそれに巻き込まれたらしいな。 水滸伝って武侠ドラマとは別ものだよね?
この前Gyaoで一話観て面白かったんだけど。 未明から、三戦板が飛びっぱなし。
「もう完全に二分割しろ」という、
天の声かもしれませんね。