雑談・質問スレッド其の壱
雑談・質問はここでどうぞ。初心者歓迎!
(単発質問スレ乱立や重複スレ立て防止にご協力下さい) 漫画なんかだと一騎打ちしてる空間がガラ空きって描写が多いからじゃない? オレに断りもなしに、こんな板、作るなよ。
ひろゆき、もうダメポ どなたか名将百選の次スレ立ててくれないかな?
カキコ出来なくなったんで新スレ立て様としたが無理だったorz
マジで誰か助けてくれないかな? 南宋時代の詩人で政治家だった陸游という人の先祖は
三国時代の陸遜なんですか?
もしそうなら出典を教えてください 中国英雄板って・・・
中国に英雄なんていないじゃん。今の中国がある所に昔あった国にはいたけど。
>>108
支那なぞという国号の一つを元にした呼称よりも中国という地域概念の方が古い。 中国を中華人民共和国の略だと思ってファビョる人、
たまにいるんだよ。
多分古い資料とか読めない人だと思うけど。 >>111
「墨子」に「中國之賢君」「中國之俗」の記述あり
「孟子」には「中國而撫四夷也」とあるから、
異民族の夷に対して自分達を「中国」と名乗る事はかなり古くからある。 >>106、108
シンタロとそのお仲間に騙されたねwww >>105
陸遜の系統は断絶したんじゃなかったっけ?
陸さんなんてたくさんいると思うけど。 >>115
嫡流は途絶えたけど一族の子孫ではあるかも 最近、書店で徳間文庫の『金瓶梅』を見かけたんだけど、これってどんなお話し?
西門慶や潘金蓮が出てくるのは知ってるんだけど、他の四大奇書とは趣が違う感じがしてね。
もしかして、ポルノ小説に近い内容なのかな?
ポルノならポルノで別の意味で興味が湧いてくるんだけど。
どうですか? 玄宗皇帝の夢に出てきたという「鍾馗」。
でも「鐘馗」と書かれることもあります。
「鍾馗」と「鐘馗」に違いはあるのですか?
よろしくお願いします。 >>118
「鐘馗」は単なるスペルミスか思い違い。「鐘」にショウという音はない。
似たような例だと、三国志の鍾会を「鐘会」と書き間違えるチョンボがある。 「鍾馗」が正しいのですね。
ありがとうございました。 >>117
水滸伝の外伝の形を取っていて、
基本的には西門慶と金蓮を筆頭としたその愛人たちのお話で、
確かに赤裸々でエロい描写も多いけど、
重要なのは書かれた当時の社会の風俗の状況をリアルに描いていて、
社会批判が込められていること。
別にエロいから評価が高いわけじゃないw >>121
ありがとう!
社会風刺みたいな視点もあるんだね。
ちょっと不純な動機もあるけど、とりあえず買って読んでみるよ。
これで四大奇書制覇だ〜 横山三国志ではなく、コーエー等のゲームや最近のアニメで何故か陸遜が美形、もしくわ格好良く描かれているんですが、正史の陸遜もそうだったんですか? 三国志ネタは少しはいいけど、多すぎるヨ・・。
三戦板あるんだから、そっちでやってほしい。
あと、魏って国は中国の歴史には何度も出てくるのに
曹魏を当たり前のように魏って言われるとちょっと戸惑う。
普通魏って言ったら戦国の魏なのに(´・ω・`) >>125を見て思ったんだけど
中国では昔の王朝の名前を付けたりするけどそれはいつ頃からの習慣なんですか?
また、それをする事に関してなにか意味があるんでしょうか?
昔に栄えた王朝だからあやかってとか?
それ以前の歴史はどうやって名前を付けてたんでしょうか? >>130
秦以前の諸王侯国の国号は地名でもある。
中華王朝というものが誕生したのは当たり前だが秦からで、
概ね帝位につく前に王侯として封じられた土地にちなんだ国号とするのが慣習のようだ。
古の商(いわゆる殷)や周も地名で、周の始祖などもまず周の地に定住したと言われており、
それ以来の慣習と思ってよいだろう。
秦王→秦 漢中王→漢 新都侯→新 魏王→魏 晋王→晋 随国公→随 唐国公→唐 などとなる。
まぁ被って当然。
劉備の蜀漢は正式には漢、漢中を得て漢中王を称せたのは漢の後継たらんとするに僥倖だった。
また晋王であった李存勗は唐の後継を自認して唐を国号とし(唐は晋の古い呼び名でもある)、
唐の皇后でしかなかった武則天は古の周王朝にあやかり周を国号としたりした。
だがほとんどの場合慣習通りで特に深い意味はないのだろう。 東晋の毛寶が石虎に敗れ水死しそうになったところに以前助けた亀があらわれて
毛寶を岸まで運んだという故事が「源平盛衰記」に載ってるけど晋書にこんな話あったっけ?
どこからでてきた逸話なんだろう? 捜神後記かな?巻10に
晉咸康中、豫州刺史毛寶戍?城。有一軍人於武昌市見人賣一白龜子、
長四五寸、潔白可愛、便買取持歸、著甕中養之。
七日漸大、近欲尺許。其人憐之、持至江邊、放江水中、視其去。
後?城遭石季龍攻陷、毛寶棄豫州、赴江者莫不?溺。
於時所養龜人、被鎧持刀、亦同自投。既入水中、覺如墮一石上、水裁至腰。
須臾、游出、中流視之、乃是先所放白龜、甲六七尺。
既抵東岸、出頭視此人、徐游而去。中江、猶回首視此人而没。
という話がある。ただ、源平盛衰記に鴻門の会が出てくるが、比較文学の研究方法だと
テキストを厳密に比較するので、史記からの引用とは断定しがたいらしい
この事からすると、毛寶の亀も捜神後記からの引用とは断定しにくい
・・・浦島太郎の元ネタはあんがい捜神後記かもしれん 孫策の妻と周瑜の妻は
姉妹と言うことですが
1彼女らに大喬小喬と言う名が付きそれが初めて記述されたのは
正史からでしょうか?
それとも演義からでしょうか?
2大喬小喬と呼ばれる前はなんと呼ばれていたのでしょうか?
よろしくお願いします しゅうゆ伝に大橋小橋と名前がのってるのを確認。
橋は喬なのかもわからんけど、ちくまに載ってるままにしてみる
呉志第五(夫人シリーズ)には大喬いないな 喬夫人って書かれてるのと大喬と書かれてるのはどちらが先の出来事ですか? 項籍は羽、劉邦は季。しかし、曹操は孟徳、劉備は玄徳という風に、前漢は一字、後漢は二字の字を使っていますが、それはいつ頃から変化したもんでしょうか? 該当スレが見つかったので、>>139は忘れてください。 清の康煕帝に興味があるんだけど、これ見とけってスレとか本とかありますか?
あと、唐宋伝奇が好きなんだけど、同上。 >>144
おまいという奴は・・・
>>145
小説とはいえ十八史略だぞ? >>146
うん……そもそも自分に向けてのレスなのかどうか悩んだんですけどね…
まあさしあたっては>>143を東洋文庫でオンデマンドしてきますんで >>147
いや、惑わされてないんならいいんだけどね。失礼おば orz >>142
>あと、唐宋伝奇が好きなんだけど、同上。
陳舜臣と岩波文庫は押さえているだろうから。
『唐代伝奇集1、2』東洋文庫
『六朝・唐・宋小説選』中国古典文学大系 平凡社
『中国説話文学とその背景』志村五郎 筑摩文庫
絶版だが、自分を信じるならば
『パノラマの帝国』大室幹雄 三省堂 もおすすめ >>142
ttp://www.hoolulu.com/zh/25shi/25qingshigao/t-index.htm
>>149,150
遅ればせながらマジありがとうです。
唐宋伝奇はまさに岩波を読んでた。
明治書院の新書漢文体系「唐代伝奇」ってのも持ってますが
これは収録内容が岩波とほとんどまるかぶりでした。
150のサイトは他にもいっぱい載ってますね。これ全文掲載?
漢語はパーなんだけど辞書片手にがんばってみる。 初めの二つも有名どころは、かぶっているけどね。(2割くらい?)
なお、唐宋伝奇は、
ttp://www.ne.jp/asahi/sinology/lib/kenkyu/ref/referto.html
このサイトに詳しい
(宋にはこの手の小説は廃れていたので、あまり分量はないらしい)
また、これには載っていないけど、漢文読み下しでよければ、
『晋唐小説』続国訳漢文大系
もある。これが一番、翻訳では網羅されているから、かぶりを怖れるならこれにすれば。
原文も末尾に載っているし、便利。 仮トリップ歓迎!
黄色人種も黒人も緑人も透明人間も
このスレでEmperorになろう!(*^ω^)σ
【 男 爵 】3時間阻止なければ称号獲得【 女 爵 】
http://same.u.la/test/r.so/academy6.2ch.net/whis/1195404543/ 碁を打ちながら戦勝の報告を受けて、使いの者がいる間は余裕綽々でも
いなくなった途端に大はしゃぎして靴を壊した人って誰でしたっけ?
費イではないし 五行説では後漢は何に当たったんでしょうか。
書物によって木徳だったり火徳だったりして分かりません。
もし火徳だったら、黄巾の乱前に発生した「蒼天〜」の詩が成り立たない気がするのです。 漢は王莽以降火徳でFA
だから王莽も黄巾も魏も土徳=黄色
蒼天は五行で解釈する必要はないよ 孫コウ暴っちゃまが囲碁打ち見学中、
司馬炎の前でダラシナイかじゅーみたいな無礼者は
昔いっぱい斬りました。
の 元ネタは何でしょう?ご教授してくださいませ。 三国演義だよ
と言ったら意地悪になるのかな
ぐぐったところ、演義の元ネタは『資治通鑑』。
「俺も南方で同じ椅子用意してたよ」からほぼそのままの会話が記載されている。
検索したサイトでは東晋時代の『裴子語林』に似た感じのエピソードがあるね
という話をしている。 >160さま 感謝です。
ありがとうございました。 陳舜臣先生の三国時代のいくつかの小説で、
「赤壁の戦い前に曹丕が華容道を整備しておいたおかげで曹操が逃走に成功し、
劉備たちの追撃から逃れることが出来た」
旨が書いてあります。これは正史とかに載っている話なのでしょうか、それとも、陳先生の創作なのでしょうか。 教えて下さい。
中国社会風俗史という本によると古代中国では10歳になると家を離れて学校に入ったようですが、
例えば孫策について裴松之の註で「十余歳で名士と交流し…」という風に書かれていて
学校に寝泊りしていた風には思えません。学校に通えるのは金持ちの子息だと思うのですが、
さらに金持ちは家庭教師に習ったのでしょうか?それとも通いだったのでしょうか? 石井仁先生の『曹操』が面白かったです。
呉でこんな感じの素人でも楽しめる本はないでしょうか。 では僭越ながら。
>>162
裴注三国志で華容道の名が出てくるのは、注に引かれる『山陽公載記』。
曹操は船を焼かれて華容道を退却した。泥濘のため道が不通となり大風が吹き、
弱兵に草をを背負わせて騎兵を通過させた。弱兵は人馬に踏みつけられた…
という演義にも採用されている逸話。
整備云々という話は少なくとも『三国志』には出てこない。
史料(や説話)は三国志だけではないから、これだけで陳氏のオリジナルとは断定できないけれど。
>>163
まったく詳しくないのだけれど、古代には劉備が盧植に師事したように、
私塾のような形で教養を身に付ける。
その師匠が名士なら、その家には食客が多く滞在しているはずだし、
同じように交際のある名士が行き来する。
そこが士大夫の人脈を作る場所となる。
孫策がどんな幼少期を過ごしたのかは良く知らないけれど、誰かに師事していたことと
名士たちと交際したことは矛盾しないんじゃないかな >>166
勉強になりました。ありがとうございました!
良いお年を 皆さんあけましておめでとうございます。早速ですが質問です
以前どこかのスレで、昔の誰かが、うろ覚えですが
「字は自分でつけるとカッコつけすぎるから良くない。師匠か親につけてもらったほうがいい」
というようなことを言ったとか書いたとか聞いたことがあるのですが、それは誰ですか?
また、三国時代、その言葉はどれくらい守られていたのでしょうか?
字でググると大体どのサイトも「自分でつけた」と書いていますが。
それらしい単語でググってもログを検索しても見つからなかったので助けて下さい すみません。以前私が書いた、
> 中国社会風俗史という本によると古代中国では10歳になると家を離れて学校に入った
というのはもっと古い時代のことで、三国志の時代には官学が廃れて私塾が増えているので
もしかしたら必ずしも学校に行ったとは限らないのかもしれません
>>166が仰る劉備が盧植の塾に遊学したのも15歳の時のようですね
早とちりで失礼致しました 再び質問です
三国志に、劉備・公孫サン(盧植の塾)、諸葛亮たち(司馬徽の塾)以外に
私塾を開いたり、誰かに師事したりした人物はいますか?
宜しくお願いします 何かしら勉強するには私塾に通うか誰かに師事するのが普通だった時代なので、
おそらくほとんどの人がそうしているのだと思うけど。ゆとりさんですか? >>170
逆に師事してない人を探す方が難しいよ。 書き方が悪くてすみませんでした
質問の仕方を変えます
三国志に、私塾を開いたり、誰かに師事したりしたという記述がある人物はいますか? 正史に立伝されてる人物って全部で何人になるんだろうか ネット上の三国志テキスト(裴注所引の史料含む)で「師事」の語句の検索結果
国淵は鄭玄に師事した
向朗は司馬徽に
許慈は劉熙に
孫マは陳蕃に
公孫滕は趙達に
陳寿は言焦周に
後漢書で三国志関連の人物についてやると
鄭玄は第五元先に
蔡ヨウは胡廣に
「師事」と同義のことばや「私塾」に相当することばは今思い付かないのでやめ 173
ネットでいくらでも資料読めるんだから自分で数えればいいのに。 ゆうべの続き
士燮は劉陶に
張昭は白侯子安に
・・・「事」とか「従」の検索結果から師弟関係だけ抽出する気力はない そういえば、若い頃の夏候惇は師匠の悪口言った奴を殺したんだっけ。
捜せば他にもなんかあるかもしれんが。 顧ヨウとか有名じゃない?あと蜀書12とか学者の伝だからやまほど出てくるよ >>175,176-180
皆様ご親切にありがとうございます!
それらの人物の伝から当時の私塾について考えてみようと思います
>>163で書いた孫策が「十余歳で名士と交流し…」というのは
官吏に5日に1度休沐という休みがあったように学校にも休日があったのか、と今は考えています
>>175
ご丁寧にありがとうございました。
> 「師事」と同義のことばや「私塾」に相当することば
挙げて戴いた人物の伝からこれらが判明したら自分で調べようと思います
しかし検索に適したサイトが見つけられませんでした
何度もすみませんが、もし可能であれば、そのサイトのURLかググるヒントを教えて頂けませんか? 中央研究院・漢籍電子文献
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3
「二十五史」にチェック入れて「開啓」ボタン押し、三国志なら「新校本三國志」にチェックして
「檢索條件」に好きな言葉入れると検索結果が出る。【檢索報表】で結果の全部表示 >>182
使い方までご丁寧にありがとうございました!
よく勉強して、私もいつかそんな風に誰かの質問に答えられるようになりたいです
>>166
>>181で
> 官吏に5日に1度休沐という休みがあったように学校にも休日があったのか、と今は考えています
と書いたのは、頂いたアドバイスを否定するつもりではありませんでした
もしも御気を悪くされたらごめんなさい
私塾に出入する名士と知り合い、休日があればその日に交流したのかな、と考えています
本当にありがとうございました!
長々とすみませんでした >all 結局、この板も三戦版と同じで良スレより糞スレのほうが多いんだよな 中英以外の板も含めて三国時代に関連する考古発見ニュースについて
語ったり情報を集積するスレってないのかな? どこで質問していいのか分からないのですが、失礼します。
中国で足の小さい女性が一般的だったとき、
纏足にせず、夫(のちに皇帝とかになってた)の出世のために
あちこち走り回って、夫をサポートしたという女性の名前はなんというのでしょうか?
足がでかい(というか纏足じゃない)ことをからかわれても、
「私の足がでかいから、あなたは偉くなったのよ」と切り返したとか。
高校時代に世界史の時間にちょっと聞いただけで、
時代などいっさい思い出せません。
ご存じな方、教えてください。よろしくお願いします。 この板の住人さん方みたいに歴史(主に三国志ですが)に詳しくなりたいです。
皆さんはどの様な書籍で知識を得られましたか? 陳さんの、小説十八史略、宮崎谷昌光さんの小説全部かな
あと、史記をよんだな。
三国志を知るなら吉川英治がお勧めかな 三国志の大筋を知った上で詳しくなりたいのなら、
ちくまの正史三国志に手をつけたらどうだろ。 はあ?
ちくまなんてめんどくさいことしなくても中華書局でいいだろ。
まさか返り点のない漢文は読めませんなんて言わないよね。 それが出来ないから質問に来ているのでは?
漢文は読めても空気は読めないとか? >>196
おまいさん、ここは雑談・質問スレ。
初心者歓迎のスレであることは>>1にも明記してある。
そういう煽りは他所でやってくれ。 >>192
もはや絶版だけど「絵で見る中国の歴史」原書房はおすすめ
大きい図書館にはあるかも。
中国人の絵に文章で説明文が書いてあるのだけども、以外に小説にないようなエピソード
も書かれていて勉強になるよ。
また、河出書房「新十八史略」もいい。中国歴史の有名エピソードを集めている。
陳舜臣のは創作も入るから、面白みを少し犠牲にしていいならこちらの方がおすすめ
三国志のところは演義が入っているけど。 劉邦の時代のスレッドって沢山ありますね。
劉媼などについて語っているのはどこですか?