家が貧乏だったやつしかわからないこと Part.23
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乙です
親が会社倒産して、中一から貧乏になった w 漁師町に住んでたから、売り物にならない外道な魚とかただで貰ったりしてたなあ。
今はそれを加工して売り物にしてるみたいだけど、40年くらい前は、4斗樽に一杯貰ったりしてた。食べたら旨いけど、捌くのが大変で。
後は犬にでも食わしてやってくれやーなんて持ってきてくれたハムとかソーセージ、勿論人間が食べてたw
冬場はもっぱらオヤジが鉄砲で捕ってきたシカやらカモやら。牛肉は働いてからしか家庭で食べたことが無かったなあ。 東北出身のワイ
朝ご飯は一年365日のうち350日は納豆ご飯だった…( ´・∀・`) >>1
献身的だね
オヤジも人に尽くす人だったが
連帯保証人になったせいで借金生活になったんだよなぁ >>004
なんかすごく羨ましそうな生活なんですけど >4
当時、佃煮とか納豆が主体のおかずの俺から見ると
タンパク質が豊富に摂れる凄くリッチな食生活。 >>9
>>8
殆ど弾代だけだしね、鉄砲は辞める人から貰ったと言ってた。
でもね、肉になって出てこないんだよ。丸ごと持ち込み、解体は自分でやって、しかも良いところ(腿とかロースとか)は知り合いにやるというね。
食生活については山の中というのも有って良かった。ただそれだけ。
電話も使える地域になったのは小学生からだし、テレビもUHFがギリギリ使えるとか。
ゲームなんて皆無で、ゲームウォッチがギリギリだったよ。ファミコンとか無理だった。 地域的によく停電してたから
原始的な生活に慣れてる うなぎ屋の換気扇の下で蒲焼の香りをおかずに
ご飯を食べてた。 子供の頃家が貧乏で、ごくまれに連れてってもらえるラーメン屋のラーメンが
この世で最高の外食と信じていた。逆にそれしか知らなかった
あるとき親戚の人(少し金持ち)に高級そうなレストランに連れて行ってもらえた
店で食べたいものを聞かれたが、メニューを見てもわからない
馬鹿の一つ覚えで、おそるおそる「ラーメン」と言ってみた
とはいえ自分の中では最高かつ唯一の贅沢な選択だ。むしろそれもあって
言うのを少しためらったほどだ
親戚の人:「えーラーメンなんかあるかなー。そんな安い物じゃなくて好きな物を
選んでいいんだよー。」 どうやら遠慮していると思われたらしい
自分の心の声:「え? ラーメン「なんか」? 安い? ???」
価値観のようなものの一部が崩壊し、いろんなことを学習した一日だった 高卒就職祝いに叔父が御馳走してくれるというので
リクエストして銀座の天ぷら屋に連れて行ってもらった思い出
寿司とステーキと天ぷらで悩んだ >>0015
自分と同じ境遇だね
外食なんかあり得なかったね
ラーメン・かけそば がご馳走
近場(海とか動物園に日帰り)にお出かけでも
お昼は塩むすび、中は梅干し 海苔が付いていれば豪華だよ
飲み物は水筒の水 お菓子はあめ玉かガムだった記憶
追伸
親戚に行った時に紅茶が出て来て
「こんなに美味しいの初めて飲んだ」と一言
帰りに親から酷く怒られたが 何でか分からなかったよ 子供の頃、近所にうちの親父が懇意にしている流行らない
蕎麦屋があってよく連れて行ってもらった。
食べる蕎麦はたぬきだけ。でも家では出せない出汁の味が感動だった。 >>17
ティーバッグは干して何回も使うの
byうすいさちよ28歳独身様 うちは子供の頃から親父が高級フランス
レストランを経営していて毎日フランス料理
だった、ある時友達が来ていて若いコック
さんが付きっきりで料理を作ってくれた時にタッパで持ち帰る貧乏な高田くん。 今日に実家へ帰省する
風呂もない
もちろんシャワーもない
トイレは和式
子供が嫌がるんだよね 実家にお泊りでも銭湯は避けたほうがいい
小さい子供が水虫の菌をもらうと可哀そう 実家がボロボロの貧乏家で、結婚する前に、彼女とかそのご両親に実家を見せるのに
すごく抵抗があった
単純にボロいので見せること自体小っ恥ずかしいのと
実家を見せた結果、結婚を思いとどまられたり反対されたりしないかと
自分の人生の前半は超貧乏な家の子供で、自分で稼ぐようになってなんとかそこから
脱却しつつある段階で、結婚のためにはまだまだ経済的に問題があった
結婚の時とか、普通は親から金銭的な援助があったりするんでしょ。自分なんかむしろ
稼いだ金で親を援助してたからなあ
しかし、結婚というのは新たに一つの世帯を背負うわけで、親の援助などを続けては
いられない。結果、結婚を機に親とむしろ決別する必要があった。わかるかなあ 少しわかるな。
俺は世田谷三茶の豪邸の一人っ子で、
嫁さんは超美人で気立が良いが
中々両親に会わせようとしなかったが
初めて九州の実家に挨拶に行った時に
その理由が理解できた。
やはり家はお世辞にも普通とは言えなかった
けど品の良いご家族で安心して結婚した、
母子家庭で苦労してる事を
見せたくなかったんだろうな。 >俺は世田谷三茶の豪邸の一人っ子で
このあたりでバカ丸出し。
超美人の奥様が気の毒だ。 子供の時は家の前は舗装されていなかったし、トイレは汲み取り式、風呂にはシャワーはなかった。 >>33
ごめん!
群馬のド田舎で貧乏6人兄弟の
末っ子で金が無くて中卒なのでブスでも
結婚できない君の事を忘れてたよ。 噂で聞いたのですが
普通、大学に入る時って入学金とか親が出してくれる?
授業料も親に払ってもらえる? 生活費も出してもらえる?
バイトで稼いだ金は遊ぶことに使う?
当然親の生活の心配とかしなくていい?
社会人になることは奨学金の返済の義務を負うこと、ではない?
逆に貧乏でわからない >>36
50代になるまでに、何が普通か社会勉強してこなかったの? 家が貧乏だった奴と家系的に代々アホだった奴を
履き違えては困ります。 大学は国立を1校だけ受けた。受験料とか宿代とかかかるから
普通は沢山受けて受かった中で一番よさそうなのを選ぶらしいね
自分はどうせだから東京の一番よさそうな大学にした。そして受かった
大学では各種免除や寮やらがあって大いに助かった
私のような者が大学を出られたのも日本の納税者の皆さんのお陰です
ありがとうございました とても東京の一番よさそうな大学を卒業された方とは
思えない、異様な雰囲気の漂っている文章ですね。 本当な貧乏人は大学行かないで働いて家に金入れてるよ。大学行ったのなら貧乏人じゃないよ。 一部の天才を除いて偏差値高い人の文章は見抜けるんだけど、一部の天才なんだろうね ホントだよな
高卒即就職の俺からしたら単なる自慢話にしか聞こえない いい企業に勤めようと奨学金で大学へ進学
毎月の給料から家計に5万、奨学金の返済とかで車も変えなかった 普通の家庭 肉と言ったら牛肉
俺の実家 肉と言ったら鶏肉 すき焼きが本来なら牛肉を使うのを大人になってから知った 牛肉使った本格すき焼きを初めて食べたのは中3の修学旅行
旅館の仲居さんが焼き方食べ方をレクチャーしてくれた 中学生の時の修学旅行で初めて新幹線に乗った。
また、中学生のときの卒業旅行で東京ディズニーランドに行った。 中3の時に高3の姉の友人にいきなり
迫られてファーストキスからの
童貞をあげてしまった。
割と美人だったから良かった。 あけぼの、マルハ、ニチロ・・やたらに缶詰会社の
名前を思い出す。生臭い魚の缶詰を随分と食わされた。 近所のスーパーでくじらの刺身売ってるからたまに食べるよ、そんな高くない
缶詰の大和煮もあるけどけっこうな値段するから買ったことない
クジラベーコンはあまり見かけないな クジラベーコンって赤い縁取りした脂身だろ
俺は気持ち悪くて駄目だ。 くじらからズレるが。
焼き鳥といえば、レバーかシロだった。
大人になり、ネギマの焼き鳥食べた時は確かに鶏肉だわと、妙な納得の仕方をした。
子供の頃の食べるものって、親の財布に依存してるので、いろいろな意味でズレていた。 クジラ汁子供の頃よく食った。三つ葉を入れて美味かったな 焼き鳥と称して中身 やきとんいうのは北関東系に多いけどあれ何でだろうね。
昔の農村部では豚より鶏の方が高級品だったのかなあ 以前は農村部では鶏は各家庭で普通に飼っていた。
玉子を産まなくなった年老いた鶏から順に潰して
食べていた。ガキの頃、カレーが食べたいと言うと
数日後にカレーが出てきて、鶏も一羽いなくなってた。 盆に実家に帰省したとき元気にしていた鶏たちが6羽ぐらいいたけど
正月の帰省時はお雑煮と水炊きになって会えたわ 今日のウンコは硬かったぜ、
関所を通過する時にストップがかかり
通過に難渋したぜ! ありがとうございます。
文字通り、私はクソ野郎です。 下々の物ども、苦しゅうない!
助さん、格さん
クソや屁を関所を通してあげなさい! >>42
そりゃいろいろじゃね? 「貧乏な家庭にはいろんなパターンがある」ってトルストイだっけ
自分の場合、当初高校校卒業後を想定したプランは複数あり、知り合いの人の会社で
働く、というのもあった。国立大学に入れれば貧乏家庭の援助があるという情報を得て、
一応入試を受けてみようということに。単純に受からない可能性はあり、受かっても
経済的に無理そうなら退学もあり。そんなことも視野に入れた
いきあたりばったりの感もあるが、可能性に賭けた、賭けるしかなかった。そして
大学では、授業料免除や奨学金等をそつなく申請。ほぼ全部通った。たぶん十分家庭が
貧乏だった+まあまあ成績とかも良かった、のかな。大学生活を継続する目処がたった
バイトもかなりした。東京の一番(略)な大学の家庭教師に盲目的にお金を出してくれる
お金持ちの家庭とか助かった
うーん振り返ると我ながら結構頑張ってたな、俺 頭がよくたって大学行かないで就職して家に金入れてる人の方がえらいよ
大学行って自分の好きにできるのはぜいたくだなよ 家には子供部屋や個室なんか無くて、テレビは茶の間兼寝室に14インチの安物があるだけだった
見たいテレビも見れないし、小学校高学年ともなると個室持ちの友達は11PMなんかを自室で見てるって話をするんだよね
自室無しの自分はクラスでも極少数派で、テレビが自由に見れる環境が羨ましかった 家には子供部屋や個室なんか無くて、テレビは茶の間兼寝室に14インチの安物があるだけだった
見たいテレビも見れないし、小学校高学年ともなると個室持ちの友達は11PMなんかを自室で見てるって話をするんだよね
自室無しの自分はクラスでも極少数派で、テレビが自由に見れる環境が羨ましかった 家には子供部屋や個室なんか無くて、テレビは茶の間兼寝室に14インチの安物があるだけだった
見たいテレビも見れないし、小学校高学年ともなると個室持ちの友達は11PMなんかを自室で見てるって話をするんだよね
自室無しの自分はクラスでも極少数派で、テレビが自由に見れる環境が羨ましかった 家には子供部屋や個室なんか無くて、テレビは茶の間兼寝室に14インチの安物があるだけだった
見たいテレビも見れないし、小学校高学年ともなると個室持ちの友達は11PMなんかを自室で見てるって話をするんだよね
自室無しの自分はクラスでも極少数派で、テレビが自由に見れる環境が羨ましかった 家には子供部屋や個室なんか無くて、パソコンは茶の間兼寝室にPC-8801とかいう古いヤツがあるだけだった
見たいエロサイトも見れないし、小学校高学年ともなると個室持ちの友達はエロの素晴らしさと
自室でシコる気持ちよさって話をするんだよね
自室無しの自分はクラスでも極少数派で、無修正動画が自由に見れる環境が羨ましかった 元はお手伝いさんが4人いて
私立小学校に車で通学の世田谷の
お坊ちゃんが親父の会社のバブル崩壊で
生活一変!
朝昼晩コロッケ1個にキャベツ、味噌汁無し。
だから今もコロッケを見ると吐きそう。 元はお手伝いさんが4人いて
私立小学校に車で通学の世田谷の
お坊ちゃんが親父の会社のバブル崩壊で
生活一変!
朝昼晩コロッケ1個にキャベツ、味噌汁無し。
だから今もコロッケを見ると吐きそう。 嘘松
俺が知ってる青山、自由が丘、白金台の坊っちゃん嬢ちゃんはバブルで会社飛んでも個人資産はそこそこ持ってたみたいで引っ越しはしたけど普通に暮らしてた 要するにバブルってのは借金まみれってことなんだよな。
抵当物件さえあれば、道端の2m幅の土地でも銀行は金を貸してくれた。
で、どんどん調子に乗って金借りて物件を回して、バブルが弾けたら
銀行が貸し剥がしにまわった。そこで夜逃げと首くくりが頻発。 キャンペーンは20日までとなります。出来ればお急ぎください。
https://i.imgur.com/38Atgdf.jpg 学生寮に、ザ・苦学生の先輩がいた
夜から朝までバイトして実家に仕送りしてたらしい
それでもちゃんと学校行って4年で卒業したからスゴイ
卒業してから数か月後、寮にその先輩から食い物が詰まった荷物が届いた
自分のためにお金使う経験が少なかったのでお給料をどう使ったらいいか
分からなくて、今は寮の後輩に喜んでもらうのが一番だと思ったそうだ 親の破産で家族含めて路頭に迷った話はオイルショックの余波で聞いた話。
ただ、いまの五十代で1985年から始まるバブル期の破綻影響受けたとしても高校生にはなってないかな?
バイトして自衛とか出来なかったのかな? ヤクルトを飲みたかった
俺らの時代の偽ヤクルトはなんていう商品だっけ? >>80
バーカ!
貧乏人のお前が何知ったかしてんだ!
知りもしないくせに偉そうに、
会社でも相当使えない能無しだろ。
低脳なお前は便器でも舐めてろ! 友達に「お兄ちゃんには一人部屋があるのに、私はお姉ちゃんと二人部屋なんだ。」って言うてる子がいたけど、私にすれば二人部屋でも贅沢だわって思った。
私なんか通路みたいな所が部屋だったよ。 小学生時代、祖母に育ててもらってファミコン持ってなくて
友達にファミコンの本体とゲームソフトを借りて
よしファミコンやるぞ、と息混んで
テレビに接続する時、
我が家のテレビはファミコン接続ができないテレビで
翌日に半泣きで友だちにゲーム機とソフトを返した10歳の夏 小学生でファミコンがもう存在してたなんて若いなオヌシ 俗にメンコというのかおらのとこはスケッチという遊びだったが
他のおもちゃなどなく友達との遊びはこれだけだった >>097
確かに若いな。
俺が初めてファミコンを見たのは大学生の時だ。 >>77
50代の子供の頃に無修正動画なんてあったの? ファミコンってアンテナ端子に繋いで2チャンネル(他地域は知らん)
で使うんじゃなかったっけ?
接続できないテレビってあるのか? >>100
無修正ビデオならあったな
洗濯屋ケンちゃん見たことある あったとしても小学生が自分の部屋で裏ビ見るとは想像できないわ なんだっけRFコンバーターとかそんな名前で同軸ケーブルに噛ませてテレビに
映させる接続器みたいのなかったっけ?
PIN入力/出力なんてずっと後だったような。
さすがに平行フィーダー線に繋いだ記憶はないけど。 具無しチャーハンや具無し味噌汁を食していたデリカのおっさん >>104
アナログがデジタルになる前なら
それUHFコンバーターじゃね?
13ch 62chみたいな
テレビは1か3にしてそこに変換
地方はUHFだったとおもうねん RFスイッチは平行フィーダーであっても
同軸ケーブルに変換できる端子が安く手に入るから
どうにかなったのではないかな
それとも同軸ケーブルから平行フィーダーへの逆変換は無理なのかな
まあ小学生に何とかなる話ではないが 懐かしいなRFスイッチ
ACアダプターとRFスイッチがファミコンと同じの使うからスーファミ本体だと別売りだったの覚えてる
俺が持ってたチャンネルをガチャガチャ回して変えるテレビにはAV端子なんてついてなくて
そのテレビを壊れるまで使ってたからステレオAVケーブルでスーファミを繋いだのはスト2ターボの頃だった >>107
ファミコンはデフォで同軸ケーブルが出てたよね
ウチは電器屋だったら各種変換器などもあり、子供の頃から自分で取り付けていた
同軸から平行フィーダーもあったよ。インピーダンスが違うから中に抵抗が入っていたはず
なので同じ立場なら確実に問題解決できていたはずw >>106
自分の地方は最初VHFで、その後UHFになったなあ
理由はよく知らないが、たぶん最初は山間部とかVHFの方がいいだろうという判断か
波長がより長い分、電波が回折しやすいわけですね。だからアンテナもでかい
その後、むしろ地域毎に電波の到達範囲を狭めて干渉しない方がいいということで
地域毎のサテライト局を増設してUHFにしたということか
余談だが自分の地域では、東京からのVHFの電波を受信、増幅することにより東京の
テレビを見ることができた。東京12チャンネルのアニメとかお気に入りだった
しかし、前述の状況で、ローカル局が6と8チャンネルを占めており、それらが優先して
TBSとフジは駄目だった。もっともローカル局が東京の局の中継局となっていたので、
ある程度は番組が見られたわけだが
いまさらほんと役に立たない、金にもならない、誰も興味を持たないだろう知識w
金にもならない電器屋の子供だったせいで理系脳になり、これまた金にならない理系に
しかしそんな彼にも転機が テーブルの真ん中に天井から吊るした
梅干しを眺めながら家族4人で白ご飯
だけで食べてた山田君の家。 おかずは海でつって来たり、川原や山でノビルやタケノコ、山菜つむか、手伝いしてお駄賃でハズレもの貰ってた。
未だにスーパーの野菜売り場でフキとか買えない。 この前初めて両親が泊まりに来てくれたので一緒に買い物に行ったんだが、後からボソッと「水を買うってどういう事だ?」と言ってたらしい >>112
分かる。フキはその辺の土手で採ってきたり少し山に入って採ってくる物だった。ウドやタラの芽は金を出して買うものじゃない。
貧乏だったけど、山の中だったから案外食物は何とかなってたんだよなあ。でも米は標準価格米を30kgの紙袋で買ってた。あれはまずかったなあ。 30キロを買うというのはそれだけまとまった金があったということや。
単価的にそっちの方が安かったのかもしれんがそれはただの節約で
貧乏とはちょっと違う。
ウチは標準価格米を10キロ単位でしか買えんかった。
ちなみに親は長野県人だったので春も秋も山に行っちゃう。
クルマなんて当然持ってなかったから電車で行くんだけど
帰りの電車で持ちきれないほどの山菜の束を持たされて
やや恥ずかしかった。
フキやぜんまいタラの芽みたいなの山道から外れてどんどん取りに行っちゃう。
ちなみに埼玉の農家の娘と付き合ったこともあるんだが
庭先でもっと美味い野菜がいくらでもあるのにだれの土地か
わからん山の中に入ってわざわざ苦いような山菜を取りにいく
意味がわからん。って言われて長野県人の習性をあからさまに
否定されてしもうた。 でもうちは家族8人だったからさ。米が一番安くてピークは120kgぐらい毎月消費してたんだよね、男兄弟にジジババいたんでね。
それ以外の食材はなるべく自給だったのよ。お昼は味噌汁の代わりに自家製牛乳沸かした奴とかね。
アカハラや秋の川魚(何とは言わない)を捕ってきたりね。冬はシカ肉とかさ。
野菜は家で作ってたし、冬は漬け物だったし。一時期一番良い物食べてたのは飼ってたウサギとか笑えない事も有ったなあ。 まじに30歳近くになる迄、しゃぶしゃぶの食べ方を知らなかった。
上等な牛肉を軽く湯通しするあの食べ方を知らなかった。 一般的にPCが普及してエロネット見られるようになったのなんてまだ25年くらいだろ
それ以前の話は超が付くほどヲタクで金がなければ成立しないんじゃないの
知らんけど 中学の同級生の親父がエロ好きらしく当時では珍しいブルーフイルムがあったようだけど
同級生に何度頼んで見ることは叶わなかった
その代わり海外無修正本を見せてもらいながら電マでイかされてパンツの中に射精しまったわ
元気かなあいつ 夏休みに外で遊ぶ時、塩だけ持って出掛けて、腹が空いたらイタドリ塩振って食べてた
ヘビイチゴもよく食べたもんだ >>116
うーん。山菜採りというのは一種宝探しのような楽しさがあり
食材としても、畑に植っている品種改良されまくったような野菜とは違って
野趣があり生命の息吹を頂くような、そんな違いがあるんだがなあ
わかってもらえないのかもしれないがw
自分は根曲がり竹とたらの芽が好き 栄養学的には食っても何の役にも立たない、むしろ常食してると
体に悪いらしいな。あんなものは箸休めで少々つまむ程度が
無難なんだろうな。 映画の青い体験をお手伝いさんに
そのまま実戦してしまった。
お金持ちだったんだよなうちの家。 昔の親は、子供に百科事典や図鑑、伝記、知育絵本等を買い与えていたような気がする。
一方貧乏な我が家ではは当然そんなことはしない、というかできなかった。
しかし... なんということでしょう、親戚の家で買われたその類の本が、どんどん我が家に
送られてくるではありませんか!
名目上は貧乏な我が家を助けるということだったらしいが、実際は単に親戚の子供らが
持て余していたと推測する。実際親戚の家から漫画が送られてくることはほぼなく、
それがこの推論を支持するw
ウチは漫画もほぼ買ってもらえなかったので、暇つぶしにそれらの本を読んだ。
百科事典とか読み応えありまくり。
結果: お陰様でめっちゃ知育しましたw 東京で一番(略)な大学に入れるほどに
親戚のおじさんおばさんありがとう! 一方で送られてきた漫画といえば例えば... 「はだしのゲン」。
持て余し感がわかりやす過ぎでしょ。
そこで漫画に関してはどうしたかというと... 親戚の家に遊びに行ったときに、
そこにある漫画を読んだ。時間も限られているので激しく集中して。
漫画のある部屋にこもって読んでいたために忘れられて食事をすっぽかされたことがある。
.... 親戚のおじさんおばさん、変な子供だったかもしれませんが、ありがとう! >>127
>野趣があり生命の息吹を頂くような
言わんとしてることはわかりますw
ですけどね、長野県の人と山菜取り同行したことあります?
趣きとかいうレベルじゃないんですよ。あきらかに食料として
取りに行っちゃう。
山菜なんて普通はせいぜいレジ袋に入れられるくらいみたいな感じでしょ。
違うんですよ。45Lのポリ袋にギュウ詰めでそれを一個じゃなくて
2つでも3つでも採れるだけ採ってまう。そういう感じ。
そりゃ信州は山だらけだからあっちはそれでもいいんだろうけど
多摩や秩父当たりの山でそれやるもんだから・・・w >>118
就職して上司が焼肉連れてってくれた時に、少し離れた席に相撲取りの集団がいて
どんぶり飯に真っ赤な生肉乗せてうまそうに食ってた
その時初めてユッケという生で食う肉がある事を知った
上司は「カルビなんて炙ったくらいで食うのがちょうどいいんだよ」って教えてくれたから
焼肉でもステーキでもレア気味で食うのが好みになった >>134
良い上司でしたね。
年代や人によっては、何でもウェルダンな人も居て、せっかく高いお金出して頼んでいるのに、自分の嗜好を人に押し付け無いで欲しいとか思った事を思い出しました。もう三十年以上前なのにピンポイントでぐちぐち言われていたことを悔しく思い出します。すったもんだしてミディアムレアと言ってみたくて頼みましたが、味よりそっちを思い出しました。
高いお金といっても、リーズナブルな、あさくまでしたが、二十歳前の社会人なりたての若造には、かなりのものでした。 >>133
へー。ちなみにその山菜って何ですか? フキとか?
フキあたりだと群生してるところで頑張れば沢山取れるかもしれないけど、
一般的に山菜は採ること自体に結構苦労があるような気が
あと、タダの物だと目の色を変えて必要以上に膨大にゲットする輩がいるけど、
その人もそういうタイプのような予感が
> そりゃ信州は山だらけだからあっちはそれでもいいんだろうけど
> 多摩や秩父当たりの山でそれやるもんだから・・・w
信州出身で、その時は多摩や秩父の山をホームグラウンド、もといマウンテンと
してたということかな?
知らない山だとまずどこに山菜があるかを把握することが必要なような
それに遭難とか野生動物とか気になって山菜採りも勢いが下がりそうな気も >>133
そこら辺がねぇ。
そもそも山菜は自生してる物を刈ってくるのでおカネを出して
という概念が存在しないからねえ。
まあ山菜取りなんつうのは女子供をハイキング道に残して道なき山斜面を
ヤブッコキするわけですよw
マムシもとっ捕まえてくるし・・・。こっちはそんなん見るだけでおぞましいのに。
家に着いてから皮剥いて焼酎にブッコんでマムシ酒とかにしちゃうわけで、こっちは
台所の床下収納の板の下にはヘビの入った瓶があるとか思うだけでその板は
もう触れないw
どこにあるか。なんてそんなもんじゃないですよ。陽当たりとか周囲の群生が
山の斜面がどんな感じかっていうだけでなにが生えてるとかああいう人たちは
感じれるんでしょうな。
不思議と長野県であんまり聞かないけど秋田とか山形とかなぜか東北の方は
山菜取りに入った高齢者の遭難事案はたびたびニュースで聴きますな。
ウチの親は長野出の都内育ちだったもんで電車に乗って山に向かってましたわ。 思い出した。
子供の頃、隣の家の玄関の上がり框の板を開けると
その下に一升瓶に漬けたマムシが入ってた。
子供ながらにその家は玄関から入りたくなかった。 うなぎと、ドジョウ。
うなぎは頭落として自分で捌くと、小骨だらけになること学んだ。
ドジョウは卵とじで食べる以外は生理的にムリポだった。
長じて自分で調理しないうなぎとドジョウは好物ですらある。 ドジョウって今売ってる?埼玉県で売ってる所があったら教えて欲しい!出来れば草加や川口辺りで… うなぎ、か。確かにお店で食べるなんてとてもとても。
で、子供の頃「食べたーい」と言ってたら、父親が「じゃあ釣ってきてやる」と。
何日か後、本当に釣ってきた。それもでかいのを。長さは1mぐらい、太さはバットぐらいあった。
水から上げて時間がたってもなかなか死なない。そのでかさと相まってちょっと怖かった。
後で知ったが、一般的にはこれだと食べるには育ちすぎらしいね。
さらに問題なのが調理。ほんとヌルヌルでつかめない、包丁が入らない、家族で四苦八苦。
あれ普通は頭を釘で刺して固定するのね。ウチの家族はそのとき思い至らなかった。
あとうなぎの血には毒があると後で知り。我が家はなんともなかったけど。素人作業危険w >>142
千葉だったらスーパーに置いてあったな
もちろん生きてるやつ どじょう、田んぼの用水路とかにいたよね。
子供の頃、じーちゃんに頼むと用水路の底を箕(み、竹でできたチリトリ的なもの)で
すくってどじょうを捕まえてくれた。一緒にミズカマキリとかタイコウチとかも捕まった。
どじょうは食べるのが可哀想だと思い、しばらく水槽で飼ったりした。
いかん、貧乏というより単に昔の田舎の子供の話だな。 多摩川でうなぎもドジョウも取ってたけど、アメリカザリガニとか鯉とか捕まえて普通に食べてた人いるけどね。
変かな? >>146
そっか、ざっくりと東京でもその手のものは捕まるわけね。
子供だと川から遠いところに住んでたら簡単じゃないかもしれないけど。
そういう泥っぽいもの以外、たとえば鮎なんかもいる? >>148
多摩川の鮎は今はたくさん戻って来る。結構美味しい。私が小さかった昭和40年代は下水道整備が不完全で合成洗剤の泡だらけで、殆ど取れない鮎よりもオイカワ取れていたと憶えている。 >>151
なるほど、多摩川はだいぶきれいなんですね。鮎がいるなら川の石にフレッシュな
苔が生えるぐらいのきれいさなんだろうなあと 最近、女子学生が二人で飛び降り配信したりするが
電車もよく飛び込むけど、痛くないのかね?
不思議だ、わいは死ぬのはいいが痛いのだけは絶対に回避したい 貧困を美徳をする考え
人生で感じたのは
貧困と関わったら駄目だよな
考えが違うのでそれに合わせるのが疲れるよなw
とにかく生活水準違うやつとは関わったらあかんって思ったw
こっちは友人が海外旅行にる話を普通にしたくても
相手は周りが貧乏だかららtせいかつがどうらこうt
貧乏な奴とないのgかかわrいtにええとおもうでwww すまん
貧乏を美徳する考えが嫌いで
ほめ殺しってみたいに
お前はいいよなお前はいいよなって
貧乏奴がいう言葉で
本当に好きだった女と別れる状況になったから
貧乏なやつの嫉妬がきらいやねん
まじで嫌い
貧困な奴と付き合うと絶対あかんっておもって生きてきたけど
正解だったっておもてん >>160
物語と言われてもな
現実に昔は
団地の子って言葉が実在しとるわけで
それを思い出しただけだからなあwww
貧困層ってのは
貧困な認識で接するだけで友人関係にしたら駄目ってことなんよ
お前の生活水準はしらんけど
きみの生活レベルはどれで
それ以下と交流あるんか? そもそも誰かが貧乏を美徳にして書いているのか?
日本語の文章もなんだか不安定で酒でも飲んでいるのかな 冬になると着る洋服がなくてつらかった。
いとこのお下がりのセーターやジャンパーに膝に穴が開いたズボンの毎日。 現実
貧困層が友人にタワーマンション住んでる親友いるけ?
いないだろ
それが現実なんあよ
俺が言いたいのは
親がもっと
早くそれを教育してほかったってことな
今気づいてる損も多かったってこと
お前のランクを知らんけど
似たようなランクばっかじゃね? やはり変だ。
バブル弾けた中国人が翻訳ソフト使ってるのか? 好きな子が居て
その好きな子だって普通に考えて貧困な家庭の男を好きにならんだろw
それでその女の子と付き合った俺は
その男に
俺は貧困だから貧困だからって言われて
それが理由で女と割れれることのなって
貧困と関わると損っておもっただけよwww
実体験だからなんて言われても否定できん
嫌いなもんは嫌い
貧困を美徳とする底辺ww 女の取り合いなった時に
お前は家がいいからいいよなあ
ってネチネチ言われて
実際付き合っても
お前が家いいからなって言われ続けたら
最悪だったぞを
会社に入ればそれなりに生活水準も揃うから
女の争奪戦なっても
負けた奴のグチグチも一切なくね?
貧困って関わったらダメって振り返って思っただけwww ソフトバンクの孫正義社長の幼少期は
朝鮮人集落の不衛生で非常に貧しい暮らしを体験
その後に父親がパチンコ業などで成功する
漫画家の鳥山明の家も貧乏で
食べるものを買うお金がなくても両親はのんびり屋でワルツを踊り、
明氏本人も腹を空かせながら漫画を描くのを唯一の楽しみにしていたという
本来の意味でのハングリー精神は持ち続けてもいいんじゃないか
座って半畳、寝て一畳ではあるが >>169
時間もIDもないけど、どうやって書き込んだんだ? 本題に書かれたことが嫌で
文章に突っ込む
哀れなな貧困wwww
貧困って友人に金持ちが何故居ないかww
それはリスクだってわかってないのが哀れじゃね?www 地方で小中高と公立のみだと、金持ちも貧困もぐちゃぐちゃだよ。
高校生位になると、貧乏な子は新聞配達やらアルバイトしているから、金持ちの子と遜色なく遊べてたよ。
ただ、金持ちの家の子は大学に行ったし、貧乏な子は高卒で就職した。
50歳を過ぎて不思議なのは、仲間内で貧乏だった子はみな結婚し家を建てたけど、金持ちだった子は子供部屋おじさんになった子が多いな。
貧乏人が持ち家に拘る執念も有るだろうし、実家に寄生する部屋も無い。
金持ちの子は実家の居心地が良すぎたのも有るだろうな。 >>143には続きが
結局うなぎはうまく捌けず、悪戦苦闘しても輪切りにするのが精一杯だった。
輪切りにされたそれは「ギャートルズ」に出てくるマンモーの肉を縮小したような
見た目だったのが、印象に残っている。なんだか我が家族がギャートルズ一家と
重なって見えた。ギャートルズは、基本はギャグだが、ところどころ悲哀を
感じさせるアニメだ。
最後は一応それを煮たり焼いたりし、父親なんかは「うまいうまい」いいながら
食べていたが、自分はそれほど美味しいとも思わず、食べ物としての興味を失った。
こうして情弱貧乏家族の目論見は終わった。 こんなうなぎの経験・印象が激しく一転したのは社会人になってうなぎ屋に連れて
行ってもらったときである。
そこは注文を受けてから捌くような店で、うなぎが出てくるまでだいぶ待たされた。
正直「うなぎごときにもったいぶってんじゃねーよ」と当時の無知な自分は思った。
しかしである、待たされた後に出てきたうな重はそれはそれは....
ふわふわで、いい香りで、臭みも全くなく、口の中でほろっと溶けるような、
と同時に旨みが広がるような。
やはり、適切な素材を上手に料理してこそ、というのを強く思い知らされた。
我が家でやったような、うなぎと格闘して弱ったのをグダグダやるのは論外だ。
あれは単に貧乏人の浅はかな行為だった。ご精読ありがとう。 >>176
140です。
うなぎは自分で蒲焼狙って作ると悲惨になるというのが解り、自分ではうなぎパイのような調理ですることにしました。
*採ったものは食べる。 >>174
貧乏+家庭内不和の子は前科持ちとか連絡取れないな
目に見えない苦労は誰でもしてるけど、裕福な子でも家庭内不和だった子は目立った苦労してるから幼少の頃の家庭内は大事なんだと思うわ 西日本短期付属の監督
「I監督たちは生徒に対して『お前は発達障害だ』『お前には無理』『(けが人に)ここにおるだけで邪魔だ』『ブス』『デブ』などと暴言を吐いて、彼女たちの人格も競技への情熱も全否定してきた。ほかにも、特定の生徒を無視するようそそのかしたり、生徒同士で欠点や悪口を言わせて暴力をふるうよう仕向けたりすることもあったと聞きます。
こうした陰湿な〝指導〟が彼女たちの心をむしばみ、複数の生徒はストレスで一時的に耳が聞こえなくなった。昨年の3年生のうち5人はこうしたI監督のやり方に耐えられなくなり、高校生活の集大成となる春高バレーの予選を前に退部すると申し出たのです。緊急保護者会は、こうした経緯を受けて開かれました」(保護者)
まだこんなことやってんだ。。 >>179
金持ちの家の子で結婚してないのは、私の周りでは、親の反対にあって、唯々諾々で従って拗ねてしまった例が殆ど全部。
国立大学のマスターまでいってて子孫遺さないのはアホだろうと下から目線で見ています。 俺もそういうアホ息子を知ってる。
親は自分の家が金持ちで品格があるのだから、相応の家の娘を
貰えというが、そのアホ息子自体が四流私大卒で陰湿で友が
いない上に相当のケチと来ている。見合いでデートをしても
レストランは勿体ないのでスーパーで食材を買って、自宅で
料理しようと誘うらしい。下心はないようだだが既に40回以上
見合いして断られている。 「貧乏人ほど結婚して子作りして」
みたいな揶揄をされる事が有るけど、貧困でも子育てされてきた「経験知」が、結婚子育てというハードルを下げていると思う。
自分が子供だった時の貧困に比べ、今が普通レベルで、なおかつ夫婦共働きの世帯収入ならば、児童手当や医療費無償や公的なサポートが充実している現在なら、感覚的に楽勝だと思う。
貧困が原因で結婚子育て出来ない!という意見を見かけるが、そりゃあんたが今まで貧困を知らずに育てて貰っただけだろと思う。 国立大のドクターまで行ったけど、貧乏なんで、卒業後奨学金の返済残高が800万にも
最初の子孫を残せるチャンスは、この額に引かれて消えた
女なんて所詮金のことしか考えてないぜー
しかし冷静に考えると30ちょっと前で借金800万てすごくない?
ぶっちゃけ俺も女だったらお断りしてたかw
ドクターとか行ってる場合じゃねーよな普通
でも一度しかない人生、勢いで行ってみたぜ! 博士と呼んでくれ!
ちなみに奨学金は全部返したけどね。いやー頑張ったぞ俺
親が普通に学費出せてたらこの額で安いポルシェの一台でも買えてたか
でドンペーリニョーンかなんか飲んで、的な >>184
>そりゃあんたが今まで貧困を知らずに育てて貰っただけだろと思う。
国民の多くが高度経済成長に乗って中流意識があったり、家電業界も上向きだった
今は非正規とブラックの求人が殆どで、大手家電も大規模リストラ後に中国企業が買収
若者が未来に希望を持てない 医者やってて800万程度の借金も返せないってアホか >>187
なるほどドクター=医者というわけか&医者は皆高所得と
ほかにもマスターとかバチェラーとかあるけど... ああなんかアマプラでやってよねw よっし別の貧乏ネタだ
この前の終戦記念日に昭和20年代の家庭の話をやってて、「来る日も来る日もモヤシ
の炒めたやつばかり食べてた」、みたいな。
ていうかそれ、昭和50年代の我が家と同じなんですけど?
我が家にとってこの戦後30年は何だったのか、考えさせられた。 それは医師免許ある人から見たら格下に見られちゃうの?
なんの仕事したかったらそのコースになるんだろ
せっかくなら医師免許取ったら良いのじゃないのかと素人には思えるんだけど このスレ民的にはドクターと言ったら医者一択な人がそれなりの割合ということか
まあ普通そうか 「博士」というのは英語で「Doctor(ドクター)」といいます。
大学のような特殊な環境でない限り、日本人は「ドクター」と言われると
「医者」だと思うかも知れませんが、たぶん、「医者であるドクター」よりも、
「医者でないドクター」の方が圧倒的に人数は多いでしょう。 テレビドラマで貧乏な家でも医者に往診してもらってることがあるけど
いったいいくらかかるのか知らんけど有り得ないだろ ドクターと呼ばれているが医者っぽくないキャラの例:
- ドクター中松
- Dr.スランプ(則巻千兵衛) ドイツ人からもらった名刺によると、同じエンジニアでも学士のディプロマートより博士のドクトルのほうが格が上とか。 日本育英会(現日本学生支援機構)の奨学金というのは普通の借金と同様、
申し込むには保証人がいる。
というか普通の借金なのだ。返済を滞納したらブラックリストに乗ったりする。
保証人を親戚のおじさんに頼みに行った。やはりいい顔はされず、しかしこれが
認められなくてはどうしようもないので、コメツキバッタのように頭を下げてお願いした。
大学生活の準備もいろいろだよねー >>197
それは百も承知
ドクター=博士は英語圏の常識で、日本語圏の常識はドクター=医師 >>202
>ドクター=博士は英語圏の常識で
違う、医師も含まれる。ちなみに日本同様医師だからといって必ずしも博士ではない
そして医学博士であっても必ずしも医師ではない
さらっと英語圏と書いてるが、例えばアメリカとイギリスでは学位の呼び方も違ったり
するので注意が必要だ
などとうんちくを述べており、 ちなみに医学部って
8年間の学生生活を経て無事卒業したとして得ることが出来るのは
医師免許の受験資格と医学部学士の称号ってことでいいんだよね。
8年掛かるから自動的に修士の称号もらえるとかあんの?
もちろん博士になるにはもっと院にいなきゃいけないんだろうけど。 >>60
子どもの頃、食べてる肉が庭の鶏だと知ってから
肉が食べられなくなったな
20代後半になって恐る恐る食べてみたら旨くて
すごい損した気分だった うちは爺様が目の前でぶら下げた鶏の首はねてたし、猟銃で捕った鴨とか普通に捌いてたし、そこについては抵抗無かったなあ。 野生の肉は飼育されてる肉よりコストはかからんし、鶏なんて雛から育てればコスパ良いんだわ。
肉くわずってって肉にも色々有るからね。頻度の問題だよ。 >>205
あれ・・・6年でいいんだっけ?
6年って薬学部じゃなかったっけ 大学生の頃って、金持ちの家の奴は新車を持ってる、
そこまでではない奴は中古車を持ってる、
その下は免許は持ってるが車は持ってない、みたいな感じだったが、
自分は金がなくて免許が取れなかった。
バイトはやたらしていたが、生活費や学費のためのものだ。
当時はウブくてそういうので劣等感を持ちやすい年頃だった。
例えばモテる男の一要素としての車みたいな風潮を無視することはできず、
車どころか免許も持ってないと言うのは。
女の子と付き合うのも、ドライブに行きたいとか言わなそうな地味な子を狙ってみたり。
「車が嫌い」というキャラ設定にしてみたこともある。あくまでも運転が嫌いで
助手席に乗せてもらったりは無問題というキャラ設定だ。 社会人になって金が多少は手に入るようになったが、免許を取るきっかけを
失ったままだった。
むしろ車を運転するという概念を頭の中から放棄していた感じだった。
その頃付き合った女の子は、彼女の方が逆に免許を持っていて、ドライブとか
自分が助手席に甘んじる状態だった。
まあこんな関係も悪くないか、と思っていたが、
ある日その子から、「普段はいいが、もしものとき男が免許を持ってないのは
駄目でしょ。このままの状態が続くなら別れる」と宣言された。 やはり、金とか女というのは、男にとっての根源的な問題みたいなところがあるな。
人生いろんなことがあるが、結局そこに行き着くと言うか。 >>216
その彼女とはどうしたん?
車は持ってなくてもいいけどいざって時の為に免許は持ってて欲しいかもね サバ味噌煮缶の裏はパカッと開けたあと絶対に舐めとってから捨てる。 それじゃあ
父親が病気がちで入院しがち
母親は看護婦で身を粉にして働いていた
金が無い金が無いが口癖だった
こっちは兄弟のお下がりばかり着させられていた
ちょっといい街の公営住宅に住んでいたから同級生達から見下されないように勉強だけは頑張って今は普通の暮らし >>217
そこで「免許の神が舞い降りた〜」というわけで、
20代後半で、夕方や休日に最寄りの自動車学校に通い始めた。
行ってみると当然ながら18歳ぐらいの子ばかりで、こっぱずかしかった。
今思えば俺だって十分若かったけどw 高校生との相対ではキツい。
特に運転のグループ学習があって、高校生に混じって運転について
話し合ったり。
女子高生から「〇〇さん(俺の名前)はぁ、××の運転がよくなかったですぅ」
とか言われて。やはり何事にも適切な時期というものがある。 一方その彼女とは他の事もあって別れてしまった。世の中そんなにハッピー
エンドなんてないということを思い知らされる。
茫然自失の中... どうしてか忘れたが、高校生の頃「バリバリ伝説」とかあの手の
漫画を読んでいたのを思い出した。割と好きだったかもしれない。
もちろん高校生の頃バイクを買って乗るなんて経済的にありえず、当時は夢物語を
読んでいるようなものだった。(バイクを持っててもあれは夢物語だがw)
が、自動車免許を取ったことで現実味が湧いてきた。今なら少し経済力も。
結果、自動二輪の免許も取り、遅ればせながら30近くにもなってバイクを買って
峠に膝すりの練習に通い始めるのは別の話。
やはり何事にも適切な時期というものがある。 >>219
汁ごと全部開けてからさらに缶の中にご飯投入 >>221
23歳で免許取得に動いて、見た目老けてる奴という扱いで、卒業時に年齢バラしたら、タメ口ですみませんと云われました。
楽しかったから良いけど。 教習中に教官が「〇〇さん、会社でも重要な仕事は内容を再確認しますよね。
車の運転も同じなんですよ。」
「相手に早めに自分の意図を伝える、これは仕事の上でも大事ですよね?」
的な、微妙な大人扱いと、車の運転を仕事で例えてくるのはやめてほしかった。
これは教習所へ社会人になってから通う人あるあるかもしれんな。
だがこのタイプの教官、高校生だったら高校生なりの例えで来そうでもある。 ○○さん、いくら大事な仕事だからって会社で上司に指を差して確認の指差喚呼したり、
言われた伝言を復唱したりしませんよね。車の運転も一緒です。もっとまじめに運転してください。 「朝顔の葉を細かに揉み、便所の糞壺に投じると虫がわかなくなる。
再びわくようになったら再投入する。」
もう汲み取り便所は使っていないから無駄な知識
西洋朝顔・日本朝顔は種に毒性
朝鮮朝顔は葉や根や種など全部が毒らしい 後世の水準から見ていくら不便だったりしても、当時皆が同じだったらそれは
そういうもの、普通だと思っていたはず
お金のせいで自分だけ皆が普通に手に入るものが入らない、できることができない、
それが「貧乏だったやつにしかわからないこと」 w 子供の頃は貧乏でいつまでも白黒テレビだった
50代後半 中学終わったら、就職したのが居たな。職人弟子入りとかではなく、求職してた。
大学行けず高校どまりでも、贅沢してるように見えていたのかも知れんな。 >>233
具体的に昭和何年まで白黒だったと書かなければダメよ >>234
純粋に経済問題で中卒とすると、かなりのことだけどなあ。
家が生活保護だったら、むしろなんとかなるような。
あ、だいぶ以前は高校進学が認めらなかったようだけど、その世代? >>239
わかんないが丙午の代の昭和41年生まれ。
生活保護は貰えてないと思った。
中学の制服は入れ替わり卒業の人から貰って着ていた。 父親大工でそのまま中卒で大工になったのもいたな
建築士になって職人と話す機会が増えて色々深く聞いてみると、真面目にやってれば衣食住に困らない収入得てるのを知って色々安心したわ >>240
そうですか。まあ独特な考えの親とか各種の保護を適切に受けない親とかのパターン
とかもあり、なんとも。 >>241
ウチの中学でも中卒で唯一就職したのが大工の息子で大工見習の道へと
昭和の大工さんは結構稼げるんじゃないのか
元気かなあいつ いまでもウチの学区の公立中学校はPTA室前には
おたすけBOXみたいなのが置いてあって着なくなった制服や
体育着が入れられて必要な人が取り出していく。
なお体育着はネーム刺繍が入ってるのでその刺繍を打ち換えて再利用する。
刺繍入れしてくれる業者は、刺繍抜きはやってくれないので再利用する側が
ちまちまと根気よく糸を抜く むしろ大工はカネあった印象
大工の息子(同級生)が高校入学して16歳になると同時に原付の免許とって、当時最新のバイク、ヤマハFZ50を買ってもらってた
ビンボーなうちには絶対ムリな話ですげー羨ましかった
ところがコーナー攻めてて自損事故で廃車、命に別状はないけど本人はしばらく入院
で、退院後にこれまた最新のスズキRG50Γを買ってもらった
高卒後、親に弟子入りしてあと何日か修行すると正式な大工になれたのに、バイクに対する夢が忘れられずバイクショップ店員に転職した 最近の建築会社は仕事が早い
ついこの前まで更地だったのに、数日で家らしいモノが立っていた
昔ながらの大工さんのノウハウも素晴らしいが時代の流れには勝てない 今は工場で設計通りに加工済みの柱もってきて一日で棟上げ終わっちゃう 中学卒業で弟子入りは漁師(でも水産高校に親方はゆかせる)か庭師か、板前、理容師、大工等の手に職系が多いかな。
私のクラスメートでは中卒就職はその女の子一人だけ。因みにブッツリ消息不明になりました。
ただ幸せはお金だけではないみたいで、お金と人望有りのかわいい元放置子の女の子が愛人バンク作ってマスコミで持ち上げられたあと逮捕されて親戚家族まとめて地元に居られなくなりました。 新入社員がメガバンクの口座ないらしいんだがヤバイやつかな?
楽天銀行とかpaypay出してきたからうちの会社でもそれはさすがにダメだよ
って説明した。 田舎だと地元銀行かぱるるの人が多いかな
神奈川県民だと横浜銀行しかないとか言う人もいる
地元にATMがあまりないと使い勝手悪いんじゃね いまじゃえええ、って言われちゃうけど
30年前の新入社員の社内研修のときウチの会社の給振は
当時の一勧一択です。持ってない人は作っていただきます。って言った途端
会議室の横のドアから支店の銀行員が出てきて、口座申込書を配り始めた。
そんな時代だった。
あとから、だから印鑑持って来いって言ってたのか。と合点した。 だいたい会社のメイン口座と同じ支店で作れって言われるね
手数料がかからないから >>250
paypayは決済サービスで問題外だけど、楽天銀行は他の銀行と同じ預金保険機構でペイオフの対象だから地銀や都市銀と同じ。
笑われるのはあなたの方だよ。
大半のネット銀行はペイオフの対象だし、引落としも銀行間の送金も出来る。金利も高いし、外貨預金が始めやすかったり、系列の証券会社と連携して特定口座としてNISAの手数料が安かったり、住宅ローンの変動金利をかなり低く出来たり、都市銀や地銀に預けてるよりメリットは大きい。
店舗なんか有っても、最近の銀行は意味が無いよ。 ああだめだ。オレも判るけどそうじゃねえんだよなあ。
ネット系しかありません。いうのが。
優位性をいくら語られてもね。択一の話じゃねえんだし。
いいから黙って都銀の口座一つくらい対外的なものとして作っとけ。って話、
なんとなくわかるわ~~って思ってみてたわ。
オレ自営で事業のメイン口座が都市部なのにJAなのよw
けどね、請求書出すときさすがに農協の口座しかありませんよ
みたいなことを先方に突き付けたりはしない。
都銀も郵貯も提示しとくよ。そういう感覚なんだと思う。 要は見栄というか体裁を取り繕いたいって事?
バブル世代と違って今時の若者はそういうのに価値をおかないよ
ネット銀行のメリットがあって給与振込に問題ないならそれでいいと思う
給与にデジタルマネー可になった時代なのに今更メガバンク信仰もないわ >>253
ああ「一勧」派ね。自分は「勧銀」派だった >>256
あなたの言いたい事も判るけど、都市銀でもアプリで口座開設できる。
当然、ネット銀と同じ「無通帳型」だからネット銀と何も変わらないんだよ。
口座開設はクレジットカードと違い、審査に差は無い。金融庁からの「疑わしき取引」に使用された恐れの有る名前でなければ作れるし、都市銀で口座開設出来ないなら楽天でも出来ない。
最近の都市銀窓口は「予約制」の所も有り、利便性も低い。
住宅ローン変動金利借り換えや、つみたてNISAの為にネット銀で口座作るのは今や当たり前。
会社が権威付けとして都市銀を選ぶ感覚は判るが、個人なら使い易い銀行を選ぶのは当たり前だよ。 大学出てないから高卒で夜間の建築専門学校へ入学
授業終わってから仲間と赤ちょうちんへ行ったよ
皆さん20歳そこそこの中卒で工務店で働いている
給料は俺よりもらっているのでビックリだったなぁ
自分は建築設備の見習 昭和50年頃の話 逆に聞くけど官僚や裁判官、大企業の役員でも給与振り込みは
本当にネットバンクでokなんだな?
お前らいつも嘘くせえんだよ 中学入る時に学ランは買ったけど下に着るシャツは近所のにいちゃんのお下がりだった
衣替えの季節になってシャツがダボダボなのが恥ずかしいなと思いながら学校行くと
貧乏な家のやつはシャツが無いから半袖体操服着てたりお爺さんのお下がりかってくらいの開襟シャツのやつもいた 指定口座は地元地銀だったが当時は便利だった。今は支店がATMだけになり
現金を窓口でおろすには電車で本店のある駅まで行かねばならなくなった
ほとんどゆうちょにしてしまった >>257
日本語をちゃんと読もう。見栄とかじゃないんだよ
オレは
>先方に突き付けたりはしない。
と書いた。
自分宛てに支払いをしてくれる相手のことを慮ってのことだよ。
しかるべき選択肢を用意しておくという主旨で書いたんだが汲んではもらえんかったか?
いくら選択肢を複数用意した言ったところで農協と信組とかじゃ拡がりという意味で意味ない。
普通は、利用者の多い金融機関を用意しておくというのが相手に対する心遣いというもの。
っていうか、あなた自身がそういうなにか主流・主派に対するコンプレックスに
捉われすぎなんじゃないか?
ちなみに振込先に都銀と信組や農協を並べて用意しておくと、普通の仕事勤めの人なら
ああこの会社のメインバンクは農協なんだな、とか信組なんだな、って気が付くよ。 >>265
それって法人だからじゃね
個人の給与振込口座にそんな考えいらないし >>266
リンク先や話の流れをちゃんと読もう。
オレは最初に>>256で
個人の自営でなおかつ請求書を出すとき、とシチュエーションを説明してる
給与振込に関しては給与を支払う会社の経理の方針に従うしかない。
それが嫌で耐えられないなら会社を変えろ。
給与振込先でぶつくさ言われたので前の会社辞めました。言っても
日本の常識ではバカ扱いされるだけだけど。
どんな金融機関でもいい。って会社が当たり前になったけど
条件を付けて来たり特定の金融機関を排除する会社も少なくない。
つかいくらでもある。それに対していちいち抗う意味はチョトわからないけど。 >>267
流れは給与振込口座の事だろ
ネット系しかありませんがダメで対外的に都銀ぐらい作っとけって意見が
今の時代そんなの流行らんよって話 コテを付けないから話が乱れ飛んでいるのかな
元は新入社員がメガバンクの口座を持っていないという話なのでは?
どこの大手企業かは知らないが、その辺の口座を持ってなかったら
「作ってきて」で済むんじゃないのかな
新卒なら大学生の時点でメガバンク口座を持っている必要はなかったのだし
まあでも、この話題はスレチだな 昭和最後の政権(今より平均所得は上)
卵10個:70円
マヨネーズ(500ml):95円
サラダ油(1L):118円
チキンラーメン(5個):138円
サッポロ一番(5個):148円
鶏肉(100g):15円
生サンマ(1匹):50円
焼いたサンマ(1匹):89円
うなぎの蒲焼(1匹):280円
チーズバーガー(単品):80円
牛丼(並):169円
※番外
レジ袋:0円
コオロギ:非売品 常時どこでもその値段で売っていた訳ではなかろうもん 昭和末期でもうなぎ蒲焼き一匹千円以上してたけど、280円って中国産? >>271
228 おさかなくわえた名無しさん 2023/09/10(日) 06:56:03.38 ID:iR2fFfJM
昭和最後の政権(今より平均所得は上)
卵10個:70円
マヨネーズ(500ml):95円
サラダ油(1L):118円
チキンラーメン(5個):138円
サッポロ一番(5個):148円
鶏肉(100g):15円
生サンマ(1匹):50円
焼いたサンマ(1匹):89円
うなぎの蒲焼(1匹):280円
チーズバーガー(単品):80円
牛丼(並):169円
※番外
レジ袋:0円
コオロギ:非売品。 昭和から平成に変わる頃にマクドナルドでバイトしてた
天皇崩御の日と大喪の礼の日は周辺の店は軒並み営業自粛で閉まってて
店が開いてるか問い合わせの電話が終日鳴りやまなかったのを覚えてる
その頃はロッテリアもまだまだ元気でサンキューセット、サンパチトリオ、サブロクセットの価格競争ができるくらい体力があった
そんな当時マクドナルドのハンバーガーは210円チーズバーガーは240円だった
因みに現在マクドナルドのハンバーガーは170円チーズバーガーは200円 静岡と愛知の母子家庭で女子中学生が母親を刺し殺した事件が続いたが
愛知の方は小学生の妹が一人ぼっちになってしまった
昔からよくあるけど貧困が大きいよな 流行るかどうかは給与を受け取る労働者の都合じゃない。
上にも書いたが会社の経理の方針であってそれに従うしかない。
そこについて妙なポリシーをもって抗うような人物いうのは
一事が万事で雇用者側にとってわかりやすいほどの不要フィルタリング対象
作って来て。で言われて誰でも出来ることで文句言うような奴はいらんがな。 >>276
昭和末期のころは時給500円高校生は450円いうのが
マックのバイト時給。
それでも最賃じゃなかったよ。
企業の体力だけじゃなくそういう時代背景もあった。 >>279
給与振込先データなんて、初回に登録するだけでしょ。
あとは毎月、給与データを銀行へ送信するだけ。
社員の口座がどこであろうが、振込に掛かる料金は一律にしてるはず。
給与振込で「ウチは◯◯銀行だけ」と言ってる会社は、銀行から何らかのキックバック受けてたり、あまり良いイメージは無い。
銀行や保険屋は総務を通して社員に営業かけたりするから、顔を見せないネット銀行はお土産も無いから嫌なんだろ。
ネット銀行云々言う総務はクソでしかない。 オマエは顧客レベルの意識しかねえのかよw
法人としての会社がメインバンクにおもねるのは当たり前だろう。
その辺のどうでもいいフリーの顧客と違うんだよ。
それぞれにお互いがよろしくお願いしますわ。という案件を抱えてるからこそ
出来るところは頑張らせてもらいます。ウチの給振はすべてそちらさんのところに
ドンとひっくるめてやらさせていただきますんで、こちらのお願いもよろしくお願いします。
って世界だよ。
キックバックとかばかか。50過ぎてどんだけ世間知らずなんだよ。 >>281
馬鹿丸出しだなー
てか、まともな企業に勤めたことがないよかな?っておもっちゃったよ。地方新聞もか勤務?
今と違って都市銀行だろうが地銀信組だろうが口座なんてどこでも作れたのに入社した企業で口座作ってなーって言われて横車押して拒否するなんて当時なら「こいつ、なんかあったらおっぽりだす要員」にチェック入るよ。
なんか左翼っぽいよね、あなた(笑) 横レス
>>282
>案件を抱えてるからこそ
ああ、メイン銀行が破綻したら傾きそうな程度の会社ね
>>283
>横車押して拒否するなんて
そんな新人おらんだろ 「メガバンクの口座ないのはおかしい」
「別にネット銀行でもいいじゃん」
この流れで、どうして「会社の都合に合わせて口座を作れ」になるのか 最近、若者の知能が低くて数万&飯おごって貰うくらいで口座売るのが問題になってる
何とかなるだろと軽く考えてるけど本当に一生全ての金融機関の口座作れないからね
若気の至りじゃ済まない、現にもう一生作れない若者たくさんいるからね
一生現金手渡しの職場しか働けない
確実に君らみたいな子供が産まれ育つ >>287
「一生」使い過ぎのボキャブラーの少ない低能 >>285
ここはさ貧乏スレで、子供の頃に学校で
「明日までに〇〇と✕✕を揃えてきてね」
と言われ、揃えられなかった過去を保つ奴しかいないと思ってた。
メインバンクに阿るのは過去の話。
社員を顧客目線で見るのは当然。
何故か?
その会社を悪く言う人間に「辞めていった人間」が多いからだ。
ES調査をしっかりしている所は、給与振込で縛りなんてしていない。
会社のメインバンクが当然という人は、企業融資の無いゆうちょやJAで給与振込している人の多さを知らないのだろう。
今の若者はすぐに辞める。
昔みたいに終身雇用ではないからだ。
故に、辞めさせない努力をしない企業に人は集まらない。
社員に対して、企業側の論理なんて今や遺物。
雇って貰ってんだから従うのは当然という論理は、ビッグモーターみたいな同族経営してるとこか、銀行に首根っこ掴まれてる中小企業だろうなと思う。
>>287
一応、7年の時効は有る。
7年以内でも、不服が有れば銀行に不服申告は出来るから、口座を作れる可能性は有る。
だけど、凍結指示を出してる所管が金融庁なので無理だろうな。 >>292
>「明日までに〇〇と✕✕を揃えてきてね」
うわー、ほんとそれに尽きる
そんなこと言われると、頭の中のパンドラの箱みたいのが開いてしまう
なんか変な汗出てきた >>293
読んでトラウマが出てきた。
絵の具の水入れが、貧乏組は缶だった。 自分のトラウマは
「明日までに家庭科で使うエプロン持って来て下さい」だった。
近くの衣料品店には既に子供用のエプロンの在庫は少なく、有っても薔薇の花柄みたいな奴で、しかもブランド物なのかやたら高い。
年に数回しか使わないし、糞ダサデザインに数千円ってと思い選べなかった。
結局、母が安い青い布地を買ってきてエプロンを作ってくれた。
翌日、みんなキャラクターだったりお洒落エプロンをしてきた。
自分だけ母の自作エプロンだった。
一人の子が「〇〇くんのエプロン、お母さんが作ったの?」と聞いてきた。
ヤバい笑われると思いながらも「そうだよ」と答えると、「へぇ、みんな見て!」とみんなを集めだした。
笑い者にされる!と身構えていたら、
「〇〇くんのお母さんが作ったエプロンなんだって!凄い上手だよね!私は買って貰ったけどサイズがおかしいんだよ。私も作って貰えばよかった」と言ってくれた。
たぶん、50年近く前の話。
一言一句覚えている。
ヒヤヒヤとドキドキと、天にも昇る嬉しい記憶として残っている。 いい話だなー
自分転校が多くてなかなか馴染めない中で優しくしてくれる女の子いたな いまでいうならシマムラや100円shop辺りで調達してきたレベルの
エプロンより手作りの方が子供にとってうれしいのは想像に難くない。
あれ、でも普通は小学校の家庭科って調理実習の前に被服実習で
エプロン自分で作りさせられなかったっけ? 明日必要なものを前日に言う先生ってかなり無能だね
貧乏金持ち関係なくいきなり前日じゃ用意するのが大変な家庭はあるでしょう 共働きの親はもう対応できなかっただろうな。当時の社会情勢じゃ。
いまならドン・キホーテでも行きゃなんとかなるかもしれんが。 弁当が全体的に茶色かったのでお昼の時間がいつも恥ずかしかった >>295
いい話だけれど、
「私も作って貰えばよかった」と言ってくれた子も
真っすぐに育っているなと感心する それ貧乏というより栄養バランス考えてないだけじゃない?
茶色といえば肉やハンバーグとかだけど、それに加えて緑や赤の野菜や黄色い玉子も欲しいところ。まあ、野菜も茶色い煮物ばかりだったかもしれんが。 アンカーつけ忘れた
>>302は>>300へのコメントです 肉よりも茶色いのはきんぴらとか煮物だね
プチトマトで彩りみたいなのがないから地味弁当だった 小学生の中学年くらいまで牛肉っていったらコンビーフのことかと思ってた >>304
この板の住人の親の世代って、戦後の洋風な料理を取り入れていった人と、
昔からの和風な料理がメインのままだった人がいるような気がする
それが弁当にも反映されていたかも
ウチの親は明らかに後者で、普段の食卓も弁当も地味な感じで、
給食で初めて食べた洋風の料理(というのかな)も少なくない
ま、地味というのはあくまでも単に見た目で、美味しくないとかとは別
バエないってやつだw しかし子供にはそれがわからない(かった) うちの朝は焼き魚と納豆とご飯と味噌汁みたいな感じ
あとは前の晩の残りものとかふりかけ等
母親は料理上手だから何食べても美味しいけど洋風の小洒落たものがうちに来るのは遅かった
テレビや漫画で見た朝トーストに憧れてパンがいいと言っても却下された
休日の昼にパンはOKなのになぜか朝はダメと頑なだった
そんな両親も今は朝にパン食べてる 裏山鹿
朝はたいてい残り物か炒り大根の出汁なし醤油のみとかきんぴらなどだった
玉子焼きなど出てきたた事は無かった イヤイヤそもそもこの世代において弁当にバエるとかいう概念が存在してなくない?
だいたいアルミの蓋をかぶせるだけ汁気のあるおかずの汁はご飯が吸い取ってくれる。でもそれを超えたり
必要以上に傾けると当たり前のように汁がこぼれで包んである付近に染み出る。
でも生姜焼きは不動の大人気の定番のおかず。でも玉ねぎ多め。
シリコンパッキン+バックルの完全密閉な弁当箱はオレの中ではまだ採用されないまま
弁当生活は首領してしまった。 ガキの頃,あみ佃煮と永谷園のふりかけはよく食べたな。
朝売りに来る経木で三角に包んだ納豆もよく食べた。 うちは最下層じゃない貧乏だったけど、何故か黄色の日東紅茶と寿がきやの味噌煮込み(袋麺)は大量にあったな うちは安いおかずばかりだったけど、弁当の彩りはちゃんと考えてくれてた。
毎日茶色いおかずの他に、必ずほうれん草等の青野菜、黄色の玉子焼き、それに赤色はウインナーか、余裕ある時は鮭かタラコが入ってた。 うちは小学生の頃に生活保護を受けてて、予算内で文具を選んで、それを市から貰えるって制度があった
受け渡しがホームルームの時間にあって、他の子が「◯◯君はなぜ貰えるんですか?」って聞くんだよ
そしたら先生が「◯◯君の家は生活保護を受けてるからだよ」とか答えて
◯◯いいなあなんてみんな言ってたけど、今から思えばデリカシーの無い話だったなと
先日母親が亡くなって今際の際に、「◯夫、いつも恥ずかしい格好させてごめんね。今度お金貰ったら、ドカベンの手提げかばん買おうね」って
その手提げかばん、小学生の頃に流行ってて俺も買って欲しいってねだったけど、当然買って貰える事は無かった
母ちゃん、50年前の事を未だに申し訳なく思ってたんだなあと思うと、当時ねだった俺をぶん殴ってやりたい 俺のクラスでは俺とあと1名いて、こっそり放課後に担任から呼び出されて渡された
なぜ俺たちだけ貰えるのかよくわかってなかった俺は別の友人に自慢しようとしたが、もう1名に「自慢することじゃないだろバカ」と諭された >>314
貴方の事は知らないけど親心があれば子供は貧乏でも真っ直ぐ育つんだな ドカベンの続きじゃ無いけど、中学生になって制服着用、指定通学カバンになって嬉しかったなあ
毎日着て行く服も下げていくカバンも悩まなくてよくなったから
ただ休みの日は、近所のオッサンから貰った胸に✕✕工務店って刺繍されたシャツと、学校指定の体操ズボンで過ごしてたわ
✕✕工務店のシャツがカッコいい、俺はお洒落さんなんだと無理矢理思い込むようにしてたわ 中学で初めて白い牛乳を飲んだ。うまかった。そしたら
1年の時は身長が前から2,3番目くらいだったのが2年の時は
170pになって制服がつんつるてんのぱっつぱつになった。
冬にセーターを着ると学生服の袖が通らなかった。 >>321
小学校で給食の牛乳なかった?
自分は幼稚園の頃は三角のテトラパックの牛乳だったよ >>319
貧乏でいろいろ屈折したが。親心がなかったってか。悪かったな 他の生徒の前でそういうわけあり支給を手渡すくらいでも
現代ならネットで全国ニュースになって教職員とか袋叩きにあいそう。 今時、財布なんか持ち歩かないな
100均のしか持ってないし
身分証なんか落としたらめんどくせ
免許証なんか車内に入れとけ。 身分証明、免許証は携帯することが義務づけられている。
あんたの出身国の首領様のバッヂと同じだよ。 >>324
全てに当てはまるわけではなくてだな
ああそうだな屈折してるんだったな >>329
在日外国人→在留カード→身分証明書→携帯義務 オヤジが貧乏ですまなかったと言った
病院のベットで・・・ 金持ちじゃなくて庶民に対してと金持ちとd思って敵機を示す行動
まじでうざかった 周りも皆貧乏だから
女を作るときに
庶民の友達にすり寄って
俺の周りは金持ちがいるって流れを作る
これあるあるじゃね? 小学生のころ、共産党の町議が頻繁に出入りして、赤旗新聞日曜版を置いていった
今思えば時期的に役場でナマポの口利きしてもらって義理で取ってたのだろう 貧乏は福祉の窓口にねじ込んでつぶれそうな事業主には
なんとか商工会が融資あっせんの繋ぎして、いう利益誘導型が基本だからな。
一人親方にはなんとか土建もあるし。
お世話になてズブズブになると○○反対のデモやGWのメーデーに狩り出される なんで誕生日が目出度いのかわからなかった
家で祝ってもらったことないし ウチもそうだった
クリスマスも当然ない
今じゃ介護で毎日クソシマツだよ >>344
あ、ウチもしんぶん赤旗がきてた。記憶では漫画や一般の記事が比較的あって
普通の新聞より子供には読みやすかった印象。
あと聖教新聞も。こちらは内容は覚えていないが最終面にクロスワードパズルがあり、
子供なりの知識でチャレンジしたものだった。
親は党員でも学会員でもなかった(はず)。
なんでウチは新聞だけこんなに種類があるんだろうというのが疑問だったのだが
そういうようなことだったんだろうか。オトナの世界は複雑だw 以前に勤めいていた会社は非常にご近所に気を使っていた。
だから赤旗でも聖教でも頼まれればなんでも取ってあげた。
しかし、誰も読まないで赤旗聖教交互に積んでチリ紙交換に
出してた。 以前に勤めいていた会社は非常にご近所に気を使っていた。
だから赤旗でも聖教でも頼まれればなんでも取ってあげた。
しかし、誰も読まないで赤旗聖教交互に積んでチリ紙交換に
出してた。 >>346-347
誕生日もクリスマスもなかったが、お正月は母の手作りのおせちがあった
子供の頃は煮物ばかりで嫌だった
伊達巻とか栗きんとんとかなかったもんなぁ >>353
伊達巻も栗きんとんも作るのはそんなに難しくないがなあ。材料も比較的安価かと
玉子や砂糖などが本当に限られていた生活ならごめんなさいだけど
自分の場合は廃屋に植わってた栗の木の栗を失敬しに行ったりもしたけどw しかし、おせちというのは色んな材料と調味料を使うよね
ある意味贅沢なものだ
そして自分は「かさこ地蔵」の話をいつも思い出してしまう かさじぞうの話は好き
売れ残りの傘をあげるだけでなく、お地蔵様に対して傘が足りなくて
爺さんの被っていた頭巾まであげるのがポイント
西洋の童話なら短いけれど、ねずみとライオンも好き >>354
河川敷に栗と胡桃があったので秋になると取りに行っていた。
ここ読んで、二十年ぶりに行ったら、びわと柑橘類の何かと、たぶん梨が周りに増えていた。
ホントは駄目なんだろうけどね。 おせちはいまだから贅沢品ばかりになったけど
貧乏には貧乏なりのおせちのやりようもあって昔のお母さんいうのは
そういうのちゃんとやってたよ。紅白なますなんてお安いし田作りだって
ちりめんだか煮干しだかを水あめで煮詰めればできるし蒲鉾だってピンキリだし
もちろん子供に人気の出汁まき玉子だって自分ちで焼くわけだし。
ほんのちょっといつもより贅沢なのは貧乏なりに新年を迎える祝いの気持ちを
家族に示そうという母ちゃんの意気込みだったと思う。 ちなみにきんとんは栗に模したサツマイモで作る芋きんとんがウチのデフォ。 >>358
お母さんの愛を感じるな
今は金があっても無くてもそんなコトしないからな >>359
サツマイモだけだと単に「きんとん」のような。
あ、もしかしてサツマイモのほぐしてないのとほぐしたのを混ぜた感じ? (前者が栗に相当)
栗きんとんは栗の少し硬めの食感となめらかなきんとんのコントラストが楽しい。
しかしぶっちゃけ、きんとん(サツマイモ)の部分だけでも十分美味しい。 >>359
サツマイモだけだと単に「きんとん」のような。
あ、もしかしてサツマイモのほぐしてないのとほぐしたのを混ぜた感じ? (前者が栗に相当)
栗きんとんは栗の少し硬めの食感となめらかなきんとんのコントラストが楽しい。
しかしぶっちゃけ、きんとん(サツマイモ)の部分だけでも十分美味しい。 しまったネットワークが死んだと思って2度書いてしまった
しかし、きんとんの部分はサツマイモをなめらかに仕上げるのに手間がかかる。
ある意味そこが料理のメインパート。
おせちって高級食材を使う以外に、いろいろな品目を手間をかけて作ってあるのも
意外と大事というか、御馳走感につながるというか。
逆に手間がかかるので、全部自作というのはなかなか、というのが現代w おせち・おもち、何それ美味しいの?だった頃があった お餅は母親の実家から年末に届いてたので、なにそれいうことはなかった。
こっちで買うということはなかったな。 お餅はまる餅、白味噌と良くわからない菜っぱと鴨肉でお雑煮だった。
お餅は手伝い行って貰い物。
鴨肉は締めるの手伝って貰い物。
菜っぱは庭から。
買ってくるのはお味噌だけ。
貧乏だけど、豊かだったな。 >>364
子供の頃には良さが分からなかった
お正月<<クリスマスだったし お正月は少ないながらお年玉がうれしいよね
店が開くのが4日くらいからだからまどろっこしかったな 客「数の子って高いわねえ、とても買えない」
魚屋「奥さん何言ってんだい、自分で獲りに行ったらもっと高くつくよ」
数の子がまだ高価だった頃の会話 >>366
>お餅はまる餅、白味噌と良くわからない菜っぱと鴨肉でお雑煮だった。
関西〜四国方面? 鴨はジビエ? 養殖? 親戚が年末に餅つきをするので小学生の頃はよく行った
石ウスとキネでペッタンペッタン
電気餅つき機になって行かなくなった
子供には小豆餡入りがおいしかった
餅は二日もすれば固くなってきた 数の子、アワビ、松茸・・・子供の頃、というよりも
成人してからもあまり口にしないので美味しいとも思わない。 >>369
客 マツタケって高いわねぇ
八百屋 ウチのマツタケと旦那のと比べてみなよ あれは外国の宗教でクリスマスは無かった
年末は大晦日の年越しそばと正月はブリの照り焼きがご馳走だった 他所の家に行ってもらって食べた。
、となれば貧乏の話だろう。 呼ばれただけマシだと思いなさい。
本当に貧乏だと呼ばれないよ。 >>379
プレゼントを買えなかったよな
ごちそうとケーキを食って帰ってくるだけだった >>370
僻地になるけど一応所在地でいうと奈良の辺境っす。鴨って書いたけど今更聞いたらアヒルだって言われた。
貧乏時代の如何にお金掛けずに美味しいご飯たべるために、何をしたかにならなかったのがさすがです。 うちは揚げ物多かったよ
玉ねぎにほんのちょっとだけ魚肉ソーセージ入れたかき揚げは安く上がったみたい
手っ取り早くカロリーも取れるし育ち盛りの子供3人育てるのは大変だったと思う 合鴨って鴨とアヒルだかの養殖の鳥がよく鍋に入ってた >>383
フライより天ぷらが多かったな
過ごしでも安くするためだったらしい >>382
下手な安い鶏肉を使ったのとかに比べたら上等なお雑煮だったかも
普通は鴨と言ってもアヒルでしょうね。入手性その他で 雑煮、白味噌に丸餅と削り節のみ
でも未だにこれが一番好き おやつはサツマイモを輪切りにした
天ぷらの芋だった。塩味が効いて旨かった。 だんだん貧乏自慢ではなくなってきたな。うちはおやつという概念はなかった。
腹減ったら具無しおにぎりに味噌ぬったやつ作って食った ここ読んでいて、河原に自生している姫胡桃の状況見てきました。
時期になると取ってきて砕いて砂糖と混ぜて、パン買った時に貰えるパンの耳に着けて焼くと美味しい。
取りにゆくのは一月後位かな。 餅はストーブで焼いてお椀の中で砂糖をお湯で溶いて食べていたけど、よく考えたらおしるこやぜんざいの貧乏バージョンだったな >>395
そりゃ本物の葛粉は高級品。材料はともかく作るのめんどくさいし
そのへんで売ってるくず餅だって安いのはきっと。同様にしてわらび餅も
というかそもそもその片栗粉だってカタクリ由来じゃないはずw 自生系でいうと、クワグミをよく食べたな
やたら桑が植わっていた場所とか、たぶん養蚕由来なんだろうなあ、と
みたいな話を子供にしようと思ったら。
クワグミがクマグミ -> クマの形をしたグミと勘違いされ... それはハリボー
他にもアケビの話をしたら人の名前(明美)だと思われた
世代の断絶か、あるいは単に俺の滑舌が悪いのか やたら貧乏人の子にトラホームとか蓄膿症が多かった気がする ぎょう虫検査ひっかかるのとかね
あれはかなり屈辱的なので自分がならないようにっていつも祈ってた
兄弟で1人なったら全員駆虫薬とかだったような噂 ぎょう虫検査か、懐かしいな
小学生の時に引っかかった女子がいて担任がクラス全員の前で発表して赤っ恥かいていたな
今の時代だと完全に処罰ものだよね 低学年の頃、同じクラスのやつが帰りの会で先生にこの後保健室に行くように言われてた
帰り道にそいつから保健室でチョコみたいに甘い薬を飲んだって聞いて
友達数人と「えー俺も飲んでみて―」とか言いながら帰った
家に帰って母ちゃんに聞いて初めてぎょう虫の薬だと知った
地面に落ちたスナック菓子を3秒ルールとか言ってフーフーして食うのとか日常だった アケビ、グベ、野イチゴは割と美味かった記憶
ビワ、イチジク、ザクロは少し落ちる
グミは美味くなかったけど、しかたないから食べてたな
これからは柿の季節か 貧乏=病気持ち というイメージは無いな。
ただ自分は受け口(反対咬合)だったけど、歯科矯正出来なかった。
出っ歯みたいな感じではないので目立たないけど、歯をイーッてすると下の歯が前に来る。
値段が高いのは知っていたので、何も言えなかった。
彼女も出来たし結婚もしたから、まあ別にいいか…と思っている。
因みに、神聖ホーケイでもあったけど、こちらは就職して自分の金で手術した。
歴代の彼女には全員カミングアウトしたけど、全員が興味津々で「よく見せて!」と目視と触診による入念なチェックされた。
賛否は有るが、自分はやって良かった派かな。 母親が保険の外務員をやっていたせいか、バーターで赤旗と聖教新聞をウチで取っていたなw
配達いている人、ビビっただろうなww
当時はその辺知らんかったから、大人になってから笑ったわwwww 個人的には外交員というだけで貧しいイメージはあるけれど。
金満ババアのやり手外交員なんて全体の1%も居ねえだろ。 うちの会社にくる保険のババアはレクサスに乗って
必ず1万円以上の土産持ってくるぞ。 それが上位1%以内にいる金満ババアいうヤツやw
本社の慰労会とか表彰式に毎回呼ばれちゃうヤツ ふつうは、クリアホルダーとかキッチンスポンジくらいしか持ってこないw
これからはカレンダー配りに来る季節・・・ >>413
あれって今思うと毎月配ってたのかねぇ。
それとも歳初めに1一年分12枚アソートのヤツを配ってたんだろか。
付けてる人を見たことはあったけどもらったことない。
さらに言えば今の歳でいうならあれもらったところで
字が小さすぎて何も見えないわ。 もうスマートウォッチでいいかな。もちろんカレンダーはあるし字が見にくかったら
拡大できるし、各種リマインダ、健康管理等、頭や体にガタがきはじめたオッサンに
おすすめw
昔貧乏を脱却してそれなりに収入が増えた頃、スピードマスターを買ってしまった
ことがあったが... もうそういう煩悩はないw ウチの実家は、その地域で一番最後まで黒電話だったと思う
当然ながらダイヤル回線というやつで、ダイヤルを回すたびブツブツ音が出るやつだ
友達の家に行くと新しい電話が軽やかな音で鳴り、電話を借りたときとか、
ダイヤルでなく番号を押すのに緊張した
あのピポパポ音(プッシュ回線やね)にはなんだか都会を感じたものだ
後年一人暮らしを始めてプッシュ回線の電話を引いたとき、俺もここまで来たかと.... w ウチの電話はいまだに誰から掛かってきたかわからない。 うちなんかダイヤル電話機などなくて、有線だった。交換士に相手の番号を伝えて繋いでもらった。朝昼晩にスピーカーから音楽が流れる時間は通話できなかった。 まあ有線つうか集落内通信網という内線電話だからな。
交換士とか言ったら怒られるで。
おそらく当時は集落内の名士の家に引いた唯一の電電公社の回線だったんじゃねえ?
実際には、こんな時間にすいませんねぇ。ちょっと急用なもんで繋いでもらえませんやろか。
ってお願いしてたと思うよ。当然深夜早朝なんてもってのほかで。
当時は特定の番号を付けて外線掛けると通話終了後、すぐにベルが鳴ってただいまの通話料金はいくらいくらです。って
いう料金告知サービスがあった。その金額をあとから戸別に請求されてたんだと思う。 電電公社ではなく、町の農協が音楽を流していた。今も神社には町の有線電話帳が置いてある。 集落内通信網という内線電話=有線という説明を>>422でしてみたんだがうまく伝わらなかった? トトロでは直接電話を借りに行ってたよね。あれが昭和30年代?
自分が子供の頃は地域によって農集電話というやつが。昭和50年代前半ぐらいまでは
あったかな?
あと有線放送ね。ベストテンやオリコンチャートの集計にも使われたあれではない
家によって電話と有線の機材が一体化していたからそれが>>422ということなのか
しかし貧乏というか田舎? 有線放送からは朝昼晩、農協や地域からのお知らせが放送されていたなあ
ちなみに農協のお知らせが始まるときには必ず以下の曲が流れるのだった
この独特の雰囲気といい、もうね... https://youtu.be/9b9OEA5_C8I 会社の寮であったわ
受話器取ると通話内容が聞けちゃうやつ
就職して上京したての時その電話でかけると会社に請求が行くのでコレクトコールでみんな実家に電話してた >>419
俺が高校卒業するまで電話はお隣さんの呼び出しだった
就職してちょっといいアパートに引っ越して電話の回線引いて・・・
スタートラインが人より少し後ろだったから何か家に導入するたびに感慨深いものがあった 農村部でもある程度、生活レベルが向上してきた30~40年代から
戸別に電電公社の電話回線を引き込むようになって親の実家には
外線電話と有線電話それぞれの黒電話機が玄関に並んでた。
有線電話の方はみんな言うように行政からのお知らせとか一斉放送がスピーカーで鳴ってた。
いずれにしても当時、電電公社の電話回線を自宅に引くには一回線当たり電話加入権なる権利を
7万2千円で取得しなきゃならなくて、その金額を用意できないご家庭には電話は来なかった。
昭和50年辺りの都区内でも学級連絡網の電話番号一覧に40人ほどのクラスに3名前後は(呼)の
表記が付いてるご家庭があった。
お金がなければ電話ないいうのが当然の時代に育ったので生活保護を受けながら
携帯電話を所持する。いう昨今の話を聞くにつけいまだに合点がいかない。 寮の部屋に固定電話を引くのは寮生のあこがれだった
その後携帯電話が10万円の保証金がいらなくなったので買った
自分で稼いで自分で好きに使えるのは嬉しかった 学生の頃中途半端に貧乏で、公共料金をよく滞納した。
滞納したとき一番早く止まるのは電話。1か月ぐらいでサクっと。次がガス?
水道や電気は滞納してもそうそう止まらない。たぶんだが、生存権を考慮して?
しかし、>>431の話からすると、現在では携帯も「健康で文化的な最低限度の生活」
に含まれるという認識なのかな? とちょっと思った。
今って滞納したらどのぐらいで止まるんだろう > 携帯
もう自動振込で気にしたこともなかったな、俺も人並な生活をしてるということかw >>433
ケータイ料金は機種代金の分割ローンみたいなモンだから、延滞すると信用情報機関に登録されるよ。
それが原因で住宅ローン組めなかったり、車のローン組めなかったり、色々と弊害は有る。
登録期間は5~7年らしいけど、住宅ローンとかだとそれ以前も見られている気がする。 >>434
なるほど。社会人になってからは延滞したことはなく... あっそうだ、1回奨学金の
返済口座をうっかり空にして遅れたことが。もう人生支払いのことばっかw
カードやらローンやら一応大丈夫だった感じではあるけど、実は利率が悪かったり
したのかな。
貧乏はずっとつきまとうということか。 水道は最後っていうね。
あと子供がいる場合も止まりにくいそうな。 夏場に電気止められて熱中症で亡くなったとか、そう言う犠牲がないと変わらないんだな 俺の住むマンションで父親は女作って逃げて、母親はクロネコの
兄ちゃんと逃げて、小学生の子3人だけで半年も自活していた。
電気ガス水道は止められて、その子らの爺さんが食料を運んでた。
呆れたことに隣室や上下階の住人が面倒見てたらしい。
まず行政に通報することが先決だと思ったが。 NTTの固定電話の料金はコンビニで支払うと即時とまで行かんが3分くらいで開通する。
電気もむかしと違ってスマートメーターになったから遠隔操作で止めたり開けたりできるみたいね。
むかしは現場担当員が電気メータの電線引っこ抜きに来たけど。 上下水道代を払わなければ水道は止められても、
どこかからバケツで水を汲んできて便所で流せば
ウ○コは流せるんじゃないの? 実家は借地借家だったんだけど、元々は自分ちの持ち物だったのを、じいさんが某宗教に寄付してしまった
母親が一人で家賃ただでいいからって住ませて貰って、今年に入って急に立ち退きを言われた
じいさんがバカだったのか相手が小賢しかったのか、厚意で無料で住んでたなら、立ち退き料の請求は無理っぽいとの事だった
結局母親は施設に入れたんだけど、ついに今日から実家の解体が始まった
バカだから貧乏なのか貧乏だからバカなのか、都会から田舎に嫁に来て貰っておいて、老後に住む場所を無くすような目に合わせたクソジジイは絶対に許さん
この先永遠に誰も墓参りなんかに行かないよ 自分語りすまん。
うちの場合は俺が大学入った1か月後に親が商売に失敗した。
まあ高校は出てるし働くかと思ったら、せっかく入った大学
なんだからせめて卒業してくれ(でも金銭的援助は無理)と
言われた。自分で稼いで大学卒業しろと。
まあ親の自分たちのせいで大学にも行けなかったということに
したくなかったんだな。
幸い田舎の国立だったから授業免除の申請はほぼ通った。
あとは生活費で、学校のあと週7日居酒屋バイトで稼いだ。
洗い場のおばちゃんたちが同情してくれて、手のついていない
焼き魚とか取っといて後で包んで渡してくれた。ご飯だけ炊いて
毎日アジの塩焼きばっかり食べてた。
それでも時給500円台の頃だからなんぼ働いても金はなかった。
外食する余裕はないので昼飯抜くか、家に帰って食った。
自転車は買えないので警察の遺失物のバザーみたいなので
もらってきた。テレビもずっと持ってなかったが粗大ごみで拾った。
バイトの帰りには銭湯は閉まっていたから、流し台で体を拭くしか
なかった。後にコインシャワーというありがたいものができ、石鹸で
身体を洗えるようになって衛生状態が劇的に改善した。
貧乏なりになんとかやっていたが、一番しんどかったのはサークル
活動とかコンパとか、周囲の大学生が当たり前にやっていることが
何もできないことだった。
当時はバブルの絶頂期で、学生でもクルマ持ってたり派手に
遊んでる奴もる奴も多くて、なんかほんと住む世界が違う
人たちだった。
バイト先で同じ学校の学生がコンパやって、トイレで吐いた奴の
ゲロの片付けをしたときは、同じ学生でもこうも違うのかよと
逆に笑えてきた。
夏や春の休みは地元に帰って長期のアルバイトで金貯めた。
そうしないと次の期の教科書とかが買えないから。だから旅行
とかもまったく行けなかった。
なんとか4年で卒業、就職はしたけど、自分は卑屈になったと
いうか性格が歪んでしまったと感じていた。丸4年貧乏して貧乏して
社会人になったのに、今度は遊び方、楽しみ方がわからない。
本当にわからなかった。
何をしても楽しくないし、人付き合いの仕方もピンとこなかった。
今でもそんな性格が残っている。
俺の結論。
「若いころの苦労は買ってでもしろ」は誤り。
若いころこそダラダラしたり無駄遣いしたりのびのび遊んだりしておくべきだ。
若いころからしんどい経験ばかりしていると人間が歪む。 まあ国立大学卒業なら明るい未来が期待できる
ハードな運動部にでも入って、4年間しごかれたと思うしかない
山本浩二氏はカープの練習より厳しかったと語ったが、
同時に今があるのはその時のおかげとも
まあ、俺に言う資格などないが >>446
>>447
結局、大学4年間の貧乏生活ならマシな方では?
ここは出生時から貧乏という病と戦い、就職して自立して治癒した者や、いまだに貧乏という病から抜け出せない者もいる。
たった4年間の貧乏生活で人間が歪む位なら、ここの貧乏経験者なんて人格破綻だろ。
もちろんそんな事は無い。
自分は大学へ行くという選択肢すら無かった。
苦労して「大卒」という物が得られるなら、それは対価が有るだけマシでは? 自分も>>447のような生活を送ったので、共感するし、同情する。純粋に。 授業料免除、それに奨学金があって、あとは自分でバイトを頑張ればかろうじて
なんとかなる、というは大学に行く一つのラインだと思うが
大学に行けなかった人はそれでも足りなかった? さらに自分以外の人を援助する
必要があったとか? あるいは経済的問題以外の理由? 授業料免除で生活費のみ、なら
一体どんな暮らしをしていたのだろう
一万円程度の下宿なら、喫茶店バイトで数万稼いでも何とかなる
共同風呂付きと無いところで下宿もピンキリ
>流し台で体を拭くしかなかった
部屋に流し台が付いているのならまだマシ
石鹸とスポンジだわしでゴシゴシ洗って拭き取れる >>447
頑張りましたね。私は素直に誉める事にします。私の場合は親が働かない人だったのと高2の3月末で国立の志望校に偏差値が届かなかったので生活を安定させるために大学に行かない選択をしています。
丙午の産まれで工場で働きながらバブル期は活況を横目で見ながら残業しまくり、会社の上司は夜学でも行けばとは言ってくれましたが、納期をこなすのに精一杯。稼いだお金は服に掛けているアホの子になってました。
会社が実績重視で高卒でも昇進出来るところに、たまたま入っていたので、大学行かない人生でも悔いはありません。また連鎖したくないので子どもの教育費は同じような境遇だった家内が惜しみなく出して子どもの代では禍根を残さないようしました。
私も自分語りで済まないです。
大学行って四年で卒業しているので傍目には人生逆転しているようにみえますが、お金が無いというのは経験を積むことが出来ないので言わんとされていることは、背景こみでめちゃめちゃわかります。
精神的にお金を使うのが怖いと陶冶されているのであれば仕方ない処はありますが以降の人生でプラスになっていればこの歳になれば結果オーライとする人生なら満足できませんか? そのとおりですね。大学に行けないのなら行っている人の収入と
行って得られた教養に近いものは自力で得なけらばなりません。
私の場合、たくさんの本を読んだり、多くの社会経験を積んだり
収入に直接つながる有益な資格を取得する事で、ある程度のフォロー
が出来たと思っています。
高卒の還暦ですが、世間の平均点は確保できたかと思っています。 高卒の還暦だけどそんな小難しいこと考える頭持ってないわ
子ども二人とも好きな学校に行かせてそれなりの会社に就職して独り立ち
今は孫ふたりが可愛い盛りで幸せ >>447
他の学生がバブルな頃の浮かれた大学生活を謳歌してる時に自分はバイト三昧で金に苦労して
4年で卒業したのは大変だったろうけど凄いと思う
でも大学を頑張って出たのは将来には絶対有利になったと思うし親の希望があっても
最終的にそれを選択したのは自分
もしそのまま高卒で働いてたら高卒でもあの頃はそこそこ稼いでてお金には苦労せず楽しく遊んで
過ごしたと思う(自分が高卒で就職してそうだったから)
だけど大学受かってたのに家庭の事情で断念して就職したのはお金の苦労はしなくても
みんな楽しそうに大学行ってるのになんで俺は働いてるんだろうと卑屈な考え持ったんじゃないかな
あと学歴に関してのコンプは一生ついてまわるし生涯年収で確実に差が付く
もちろん学歴なくても成功して稼いでる人もいるだろうけどそんな成功者はたぶん少数
小さい頃から貧乏だったわけじゃなくて大学入学直前に環境が一変しての貧乏だから
ショックが大きかったのかもしれないけど今成功して幸せならそろそろその4年間の呪縛から
抜け出してもいいのでは 俺の知り合いの苦学生は新聞社の奨学金で大学に通ってたな。
学内でも成績は優秀だったし現在でもその分野のパイオニアとして頑張ってる。
当時楽しい学生生活とは言えなかっただろうし、傍から見てて大変だなと思いつつ薄っすら尊敬もしてたから、今の活躍は素直に嬉しく思うよ。 昔、銀河鉄道999で宇宙開発をする水惑星の話があって、
人々は深い海底に住んでいるので宇宙船を海面上に到達させるのが精一杯で
宇宙への飛行はまだまだ先。技術者は無念を残しながら老いて死んでいく
地球人は大気圏からのスタートでよかったね、みたいな話
宇宙船を海中で進ませる技術で苦労して得るものがあったかもしれないが
本来の目標にはやっとスタート地点に着いたに過ぎない
それなのにスタート地点までで酷く消耗している
何が言いたいかというと、貧乏生活も似ているところがある
あ、その銀河鉄道999は親戚の家で読んだよw 生まれの差でスタートが違うのは古今東西あることでは
親ガチャなんて言葉が出来るずっとずっと前から当たり前にある事で今更だわ 親ガチャなんて言い訳だろ
このスレを読んだだけでも、貧乏だったって思い出話している
いまも貧乏なのは自分に能力がなかっただけ
これだけ生活が豊かなっただけで昭和の生活は豊かになっているはず
病気になっても生活保護もあるんだぜ
人生の失敗を親のせいにして親ガチャとか言ってる時点で無能なんだと思う
楽な仕事はないし努力せずに金持ちにはなれない
最低賃金が時給1000円の時代ならバイトだけで生きていけるだろ 毎日のように親父が酔って暴れて、勉強するどころではなく
「高校には行かさん。働いて給料を全額、家に入れろ」
そんな酷いのもいるでしょ
親ガチャだよね
それでも職場の工場長が一生懸命に働く姿を見ていてくれて、
主任とかすこしずつ出世させてくれるなら、まだいいけれどさ 親ガチャは成人する迄かな。
高校生卒業か、早ければ中学卒業迄。
学歴なければ狭まる選択肢もあるけれど
この歳になると
見られるのは学歴より実績だわ。
あと財産と犯罪歴のありなしかな。 ダメージは引きずるだろ
実母が死んで、親父が後妻をもらった
数年後、親父が死んだ
継母と貧乏生活が始まったんだが、血の繋がらない俺には辛く当たった
こんな家飛び出して一刻も早く自由になりたかった
がむしゃらに働いて、今は普通に暮らせてるけど、中学高校とロクにメシもくわせてもらえないこと多くて、あばら骨が浮くほどガリガリだった
今は少し出てるぐらいの腹だが、成長期に食えなかったせいか身長は伸びなかった
実の両親はどちらも背は高いほうだったし、俺の子もデカいのに 実際に親ガチャかどうかより、親ガチャという言葉をやたら使う人ほど 自分が大人になり、いろいろ考えなしに避妊せず致して、産んでいるやつを見ているので
この歳の表現でも蔑む意味でガチャという表現は穏当と思います。 >>471
あなたの年金や老後の生活インフラを支えてくれるのは、その「考えなしに避妊せずに致して産まれた子」だよ。
感謝こそ有っても、蔑む理由は無い。
自らの親を親ガチャという表現は有りかもしれないが、他人の親子に対して親ガチャなんて評するのは童貞の戯言に過ぎない。
貧乏だから「産んではいけない」だったら、ここにいるスレ住民は誰一人産まれては来なかった。
もちろん、他人とは違う苦しさの中で生き、生まれながらの「ハンデ戦」に足掻きながら生きた。
金銭的な貧しさも心の貧しさも、大人になってからの生き方でどうにでもなる。
他人を蔑む行為を容認するのは、過去の貧乏だった自分を蔑んだ奴らは正しいという事では?
今は普通の暮らしをしていても、昔の自分を蔑んで見ていた連中みたいになりたくはないと思う。 >>471
まるで高度経済成長期以前は出来ちゃった婚とか望まない出産が
存在しなかったかのような物言いだな。 つうか昭和期において 恥かきっ子 なるワードが存在してたことすら
知らねえんだろうな。 俺のは弟か妹がいたらしい
生活が苦しくて中絶したらしい >>472
>金銭的な貧しさも心の貧しさも、大人になってからの生き方でどうにでもなる。
まあ心の持ちようはいいんだけど、
大人になってからじゃどうしようもないものも色々あって。
家が貧乏になったとき、お金がかかる活動や趣味はやめたけど
っていうか基本何でもお金はかかるから、進学以外をやめたということだが、
本来は自分のパフォーマンスみたいのがマックスな頃じゃん。
そのときに一生懸命やってたら違う人生もあったかなって思うよね。 衣食足りて礼節を知る、という言葉があるが、
あれって、マズローの段階欲求と同じことかな?
貧乏だと低レベルの欲求を満たすのに精一杯で、高次の欲求に到達しにくいと
しかし実際に当事者だとそれは切ないことでね 学生のときはアニメの同人誌サークルの活動が活発な頃で、片親で満足な小遣い貰えなかった俺はバイト掛け持ちして必死に参加してたな
バイト代で画材揃えて寝る間を惜しんで原稿描いて印刷製本代も払って、肝心の即売会イベントはシフトが入って行けないとかザラだった
たまに参加できた時のイベント後の打ち上げのアウェー感とか思い出したわ >>477
昔の人はよく言ったもので
足りて知ることもあれば欠けて見失うこともあるんやで。
「貧すれば鈍する」 いろいろあるわ
「足りぬ、足りぬは、工夫が足りぬ」とかね
標語として国民に広めたが戦争に負けちゃったけど
松本人志の高級マンションにゴキブリが一匹出ただけで
引っ越しを決めたという話を前に読んだが、
ダウンタウンがまだ大阪で燻ぶっていた頃はもっと庶民感覚があったと思う
資産が何百億にもなれば変わるもんだね 446-447です。
なんかずっとこの板に来れなくて困ってました。
いろんな意見をありがとうございました。
4年の貧乏で性格が元に戻らなくなることもなく、ふつうの50代親爺として生きています。
でもどなたかが書かれていたように「大学行こうと思ったらバイトだけでも意外といける」と思ってます。
自分は子供はいないんですが、いとこの子が偶然にもいま自分の母校の2回生です。
(学部は違う)
いとこはかなり生活を切り詰めさせているとのことなので、こないだ正月に会った時「絶対くだらないことに使え」と厳命して
かなり多めにお年玉を渡しました。今年の夏に友人と、結構遠距離の自転車野宿旅行に出かけたらしいので、言いつけを守ってくれているようです。
そんなことして何になると言われそうだけど、どうしても「楽しんだ記憶」を残させてやりたかった。 最近、レスが長すぎる傾向なんだが、
数行でまとめたり、収まる内容にしてくれないか。 スマホで読み書きしてる奴ばかりじゃないしなあ
PCの専用ブラウザで読み書きしてりゃそんなのきにもなんないからなあ。 >>489
流行に敏感にならないと、俺のオヤジみたいになるぞ 駄菓子屋のおばちゃんの目を盗んで本体を揺すったり
複数の駄菓子屋を定点観測し、残量少なめでいいのがが出そうなのをチェック
「ガチャ」に対するせめてもの抵抗だったかもw 社会人になって自由に使える金が出来ると、ゲーセンのガチャを
補充する係と仲良くなって、直接買い取った。 >>493
それじゃダメなんだよ
屈折した貧乏時代の話から書かないとな
分かってねーな 50代で貧乏ってことは、片親とか親が無職で幼少期を過ごしたとかでしょうか。
うちは片親でずっと借家ぐらしでしたね。
同級生のほとんどは庭付き一戸建てに暮らしていて羨ましかったなあ。
幼少期はいい思い出がないですね。
自分の性格も歪んでたから当然かもしれません。 >>492
ガチャでも自販機でも返金ボタンはとりあえず押してみる
釣銭口はとりあえず指を突っ込んでみる
貧乏幼少期の習慣というか習性だった
>>495
うちの地域は集合住宅やニコイチ長屋三軒長屋が多かった
庭付きの家の友達はおもちゃ沢山持ってるから触らせてもらいたくて遊びに行くけど
その友達は庭でボールやホッピングで遊びたがるからおもちゃに触らせてもらえないもどかしさがあった 田舎で田んぼばっかりだったからこの時期は学校で強制的にイナゴ取り(ノルマあり)させられた
イナゴを業者に売ってそのお金で学校の備品を購入
イナゴは跳ねて痛いし臭いしでイナゴ取りは大嫌いだったけど
でも近所の駄菓子屋で1kgで800円位で買い取ってくれた
イナゴは暖かくなる日中は飛び跳ねて取りづらいけど、朝日が昇る前の寒い時間に行くと動きが鈍くて取りやすかったから、朝5時頃起きてまだ薄暗い田んぼに1人でチャリ漕いで行ってよく取ってた 季節限定とはいえ子供が結構な額の小遣い稼げる環境っていいな
せいぜい空き瓶探しが関の山だったわ
昔のコーラの1リットル瓶が30円でコスパ良かったが滅多に捨てられてなかった 子供の頃ラーメン屋に行って本物のラーメン 食べたかったな。いつもサッポロ一番ばかりでうんざりしてた。大人になってやっと行けたが、毎日ラーメン屋通ってたらすごく太ったので、今はラーメン屋は1か月に一回行くかどうかだ。 うちも外食するような余裕もなかったんだが高校卒業して就職で上京する直前に母親が焼き肉屋に連れて行ってくれた
それが人生で初めてのお店で食べる焼き肉だった、美味しかった
下に2人兄弟がいるんだけど多分全員連れて食べに行けるほどの予算はなかったんだろう
2人には内緒だよって言ってこれから社会に出る自分への餞だったんだと思う
今でもたまに思い出す懐かしい母との思い出だ
年老いたけど母は今も元気です 貧しかったのに無理して大学への進学、それも下宿生活を許してもらえた。
1年目の6月に新幹線が開通して夏休みに帰省し、秋にまた下宿へ戻ろうとすると、親父が新しい新幹線を見たいと言うので一緒に大宮駅まで向かった。
緑の新幹線を見て自分が乗ろうとすると、親父が「頑張れよ」と言って私の手を握りしめた。
そんな父も今年この世を去ってしまった。
孫の顔を見せられたのが、せめてもの親孝行だったか。 >>501
東北方面の大学への進学だったのかな
自分よりちょっと先輩で来年還暦ぐらい?
自分は逆に東北新幹線に乗って上京して盛岡での乗り換えは上手く出来るかドキドキした
人生の伴侶を得て幸せになってお父さんに孫の顔見せたんだから最高の親孝行だよ! 某山だらけの県出身の自分は、碓氷峠を越えるのが印象深かったな。
貧乏ながら大学に進学できることになり、東京に向かう電車に乗った日。
新幹線が開通する前は、碓氷峠では電車に機関車を連結して、いくつもある
暗いトンネルを時間をかけて抜けて行くのだった。
ああ今まで暗い日々があったなあ、と思ったり思わなかったり。
最後のトンネルを抜けて視野が広がると関東平野が一望できて、気分があらたまったね。 返済しなくていい奨学金を必ずゲットするために、サークルにも入らずに勉強ばかりしていた大学時代
俺は高校を出て就職してもよかったんだよね 自分は大学に入ってすごい人たちを目の当たりにして成績を諦めた感があったけど、
授業の成績に関しては、自分の出た大学では例えば4段階評価で上位1/3が一番上の
評価(「優」)だったらしい。意外と幅が広い。
ということはどの科目も頑張って上位1/3に入り続けられれば首席というものになれたと。
No.1にならなくてもいい、あなたは特別な首席w 超今更ながら。
育英会は卒業後20年ぐらい返し続けたからなあ、結構負担だった。
本当は研究者になってチャラにする予定だったけど、途中で気が抜けてしまった。 高卒なので知らんかったけど首席ってのは成績一番の1人じゃないんだ
その上位三分の一に入れたグループを首席と言うのか あくまでも首席になるための心がけの話というか。
十分いい成績を継続して取ることが評価されるようになっているというか。
まあそれだって実際には大変だろうが。
首席の決め方に関しては、優の数だけで差が付かない場合は別の要素で差を付けたりも
するらしい。 本来の首席は得点王のことなので
100点が5人いればそれぞれが首席 母親が高齢になって鰻が好きだと言うことに気づいた
もっと早く気づいていれば食べさせてやれたのにと
後悔、後悔です。 うなぎは子供の頃食べれなかったな
テレビで土用の丑の日とかにうなぎを取り上げていたけど意味がわからなかった
あの頃はすき家もなかったしな こどものころはどじょうがよく食卓にでておった。普通に魚屋で活かしで売ってたし うなぎというと、ごんぎつねの話を思い出す
小学校の劇で兵十の役をやったときはそうでもなかったが
大人になると切ない 連休だけど何にも予定なくて掃除して洗濯して買い出し行って作り置き何品か作って終わった
男もいないし友達もいないしささやかな楽しみは日々の晩酌
安っすいワイン飲みながら5ちゃんやるのが至福 連休だけど何にも予定なくて掃除して洗濯して買い出し行って作り置き何品か作って終わった
男もいないし友達もいないしささやかな楽しみは日々の晩酌
安っすいワイン飲みながら5ちゃんやるのが至福 >>515
そうやって考えると、こうしてネットで誰かと雑談できるとかいい時代だよね
ネットのない時代はひたすらテレビみて過ごしてたんだよなあ >>516
で?
貧乏だったころの思い出は?
女だからって甘えるんじゃねーよ >>518
誰かに噛みつかないと死ぬ病気かお前はw >>513
うちの田舎はどじょうの専門店があったよ
サイズ別に水槽に入ってた
でも食べた事はないな
大人になってから駒形どぜうに一度だけ行った
あまり美味しいものではなかった 駒形どぜうは美味いよ。
鍋にネギ山盛りで燗酒は最高。 子供の頃、食卓にイワシの丸干しの焼いたのがよく出た。あれはかなり
安かったんじゃないだろうか。
身が塩からいのとハラワタが苦かったイメージ。いい印象はない。
親が栄養になるから骨もハラワタも食べろと。
舌がおこちゃまだっただけかもしれないが。 どじょうはご馳走でめざしは日常のおかずだった。
おれが生まれて2年ほどは小さいアパートで段ボール箱のちゃぶ台で暮らしたらしい
記憶では折り畳み脚の小さい丸テーブルだったは うちは2Kの狭い市営住宅に自分が就職して家出るまで親と兄弟3人の5人暮らし
子供部屋というのは当然なくて2段ベッドとその脇に布団敷いてギューギューに暮らしてた
父親がダメ人間でお金ないくせに新しもの好きで生まれた時からカラーテレビはあったし
家の広さに不釣り合いなデカいステレオがあってクリスマスにはレコードをかけてくれた
しかし普段は音楽聴いたりするわけもなくただの物置と化してた
その上この父親はちょっと会社で人と揉めるとすぐ仕事辞めるクズだったので母親は相当苦労したと思う
しばらくぶらぶらして失業保険もらって給付が終わったらまた働いて数年で辞めての繰り返し
親が仕事転々とするって子供心に不安だった
今は年金暮らしなんだけど年金加入がなかったような会社もあって当然の事ながら貰える年金もかなり少ない
そのトラウマなのか自分は給料も安いし会社に不満あっても転職って行動に移せないまま今の年まで来た
キャリアアップで年収上がってけばいいけどうちの父親の場合はどんどん下流へ流れていったからね
マイナスのネガティブな事ばかり見て育ったから前向きな夢は見れない性格になったと思う フナを食べ刺されたことがある
不味かった
煮つけだったが生臭くて食べれなかった 鮒ずしはうまいよ
最初は無理と思ったけど
捨てるのは勿体ないから、チビチビ食べようと
冷蔵庫に入れて少しずつ食べていたら、だんだん旨くなってきた
「馴れ寿司」とはよく言ったもの >>528
いいじゃないか、安定した生活を送れてたら人生成功だと思う
自分は下手に興味や欲を出して何度か転職して、まあいいこともあったが、
同じぐらい苦労や悪いこともあり、微妙な感じになっている >>516
安売りワインでも上限千円迄拡げると
チリや南アフリカ諸国で選べるから愉しい世界ではありますね。 >>500
お母ちゃんが元気で羨ましいわ。
ウチはこの夏に亡くなった。
胃癌で何も食べられなくなり、痩せ細って死んだ。
戦争を生き抜いて、食べ物のない辛さを経験してきて、今は何でも食べられる豊かな生活になったのに、癌で食べられなくなるなんて…と、物凄い悲しかった。 高卒以後、散々に孝行させられて、
俺の家庭まで壊されかかる寸前で
亡くなったうちの親。 貧乏な家で、いろいろ苦労して就職まではした。
就職した後、父親の借金の連帯保証人にさせられた。
なおかつ毎月実家に仕送りまでしていた。
一方で当時付き合っていた彼女との結婚などを考え始めていた。
結婚って、よその娘さんを預かって生活していく責任があるじゃん。
彼女に親の借金の話をしたら、さすがに引いてたね。
こんな親が付いてたんじゃ無理だと思った。
そこでせめて仕送りはやめさせてもらおうと思い、親に状況を説明した。
ところが.... 父親はそれに激怒して「親不孝者」とまで言い出だす始末。
やっと子供を就職「させて」、楽隠居できるとでも思っていたのかもしれんが。
子供が結婚するかもしれないというのに、祝福とかないんかい。
以降、俺は父親とは疎遠になり、というか疎遠にならざるを得ず。
俺も泣ける話を書きたいのだが 今50代の人の親世代は大日本帝国の家父長制に強く影響されてた人達だからしょうがないよ おめーら井戸水飲んだり
土物散々食べていたんだから
ピロリ菌の除菌はしとけよ
もう遅いか… 貧乏に関係なく、確かにピロリ菌の有無は
検査してもらった方がいいね
井戸水で育った人は
ピロリ菌がいないのに、ヨーグルトLG21を食べても無意味だし 自分も同類と気づかないのか、貧乏なガキのころからそう思う大人は多かった ありがとう、ピロリ菌とヨーグルトの関係ググって知らないこと知った。 今の時期、そろそろサンマが美味しい季節だったよね。
うちは一家四人でサンマ二本を分けていた。近所の庭から、青いゆずもがせて貰って食べてたけど、なんか、そこだけ切り取ると幸せだったな。
骨も取っておいて焚火する時にカリカリに焼いて食べてた。頭はネコにあげていた。サンマも今より大きくて尾っぽが黄色かったように思うのは思い出補正が、かな~り入っているんだろうな。
社会人になりお昼ごはんのおかずで一本食べたときに、きれいに食べてほめられたのと、頭と骨を棄てるのは勿体無いなと、いうのを今でも覚えておる。
もう四十年近く前のことなのに。 ふつうに焼き魚にしてしまうと4人で2尾いうのは半尾づつでややせつない話に
なってしまうがおそらくウチはそうならないように炊き込みご飯で食べてたよ>秋刀魚
鏡面の皮ぎしに焼き目を付けたらハラワタごと炊飯器の中に入れて
しょうゆみりん酒辺りで味付けて一緒に炊き上げるのよ。
4合で2尾くらい。炊き上がってからまあ地道な作業が待ってるんだけど。
頭、尾、背びれ背骨まではサクッと取れるんだけど例のこまかい小骨を
箸で見当たらなくなるまで骨取りすんのよ。で大方取り終えたら
ぐあああって釜のかき混ぜて出来上がり。
2尾で家族4人が腹いっぱい秋刀魚を堪能できるw >>546
サンマのいいやつは尻尾の付け根が黄みがかるので、もしそこまで観察していたなら。
尻尾全体とか胴体が黄みがかったイメージなら、アジとかブリとかの魚と混同している?
>>547
炊き込みご飯は美味しいですが、一方で旨味がご飯全体に拡散するというか、
脂の乗ったサンマを上手に焼いて身を直接食べるのも捨てがたいというか。
美味しさの濃さとボリューム感の不確定性原理やー(意味不明) さんま
頭の後ろから背中にかけてグワっと盛り上がって体高があって
くちばしの黄色い奴 さんまの開きが好きだった
慣れると綺麗に骨が取れる
本当にうまかった さんまの頭は食べるけれど、骨はカリカリに焼いたほうが食べやすい
でも骨が熱で変性してしまって、カルシウムの吸収率が悪くなるんじゃないかと懸念 最盛期になると丸々した脂の乗った秋刀魚が一本100円
もうあんな秋刀魚は食べられなくなるのかな 昨日ここのサンマの話題で久しぶりにサンマの塩焼き食べたくなってスーパー寄ったら一匹298円だった
とてもじゃないけど手が出る値段じゃないね
半額だったカレイの切り身買って煮付けて食べた
魚料理はめったにしないので久々に食べたけど美味しかった
半額シールついてないと買う気にならないのは貧乏が染み付いてるからかも 毎日食べる訳じゃなし、年に1回か2回食べる秋刀魚が298円で
ビビり倒すのか。基礎年金だけの困窮者か? いやー、高くね
98円とか128円で買ってたのが倍以上はなんか躊躇するわ
それにまだ痩せたサンマだったしどうせ奮発するならもうちょっと脂の乗った頃にする いやあ、ニーキュッパはさすがに高いよ
近所のスーパーで値引き後に135円のがあって、
小さくも大きくもなく、まあ今の物価高ではこれ以上
下がることはないなと納得して買ったよ 食べたくなかった子供の頃にサンマが安く
食べたくなる年齢になるとサンマが高い 貧乏性なので基本的に割引シールが貼られた
ものしか買い物の選択肢に入らないw
しかしそれでもこんなに物価が上がったと
感じることはないな
ウクライナにパレスチナ
当分物価下がりそうにないな 貧乏性なので基本的に割引シールが貼られた
ものしか買い物の選択肢に入らないw
しかしそれでもこんなに物価が上がったと
感じることはないな
ウクライナにパレスチナ
当分物価下がりそうにないな 嘴の黄色いのは脂の乗りであって新鮮さとは関係ないってマンガで見たな。 さんまはおでこが肥って丸くなってるのが良い
しかし298円は…
子供の頃ハタハタは一山いくらで買える安い魚だった
卵のプチプチなのが好きで良く煮付けを食べた
ウマヅラハギも唐揚げにしてもらって山盛り食べた思い出
それが今は高級魚なのでそのうちいろんなものがもっと高級になって
なかなか自分の口には入らなくなるんだろうな いずれにしても今のサンマが高価過ぎて口に入らない方々
ばかりのスレなのでこの話題はお終いにしましょう。 おれ血圧高いからサンマの塩焼きとか
安くても食えないし別にいいやw >>548
昔、買い物するときに、良いもの取るため、母から魚は目と体と、良いものと特徴おしえてもらっていた。
書いてもらった通りの美味しいサンマの尾の身は黄色くなるのは美味しくて、身は中ほど膨らみのを選んでた。
昔も今もだが魚の個体差大きい。
昔、母が朝の買い物で買ってくるものは魚も野菜も良いのが多くて家計が回っていたのかな?と思っている。 海産物は高いいうことを肝に銘じておかないとアカンいうことや。
98~108円で買えてたころのサバの味噌煮缶がまだ50個くらいあるオレは勝ち組 >>565
よくさあ秋刀魚の塩焼きとか言うけど
塩なんか振らないでそのまま焼いてるけどな イワシなら塩を多めに振りかけて、冷蔵庫で一晩置いてから焼いている
丸干しが好きだが高いので自家製(干してないが)
サンマの場合は鮮度が大事
自分も塩を振らずに焼く
塩味を付けると何となく雑味を感じるというか安っぽいというか、
そこが難しいところ
醤油と大根おろしも基本やらないけどね >>568
アジア近海では乱獲されて量が減っているという説があるね
一方ノルウェーでは漁獲量をコントロールして安定した漁獲量があり
漁獲量の少ない地域に向けて高値で売ると 福島原発の放水を批判していた国がちゃんと漁獲量を落としてくれればマシになるかもw 子供の頃、、夏休みとかに家族旅行とか行けなかった人
多いでしょう? >>574
一回だけ泊りで夏の房総の海に行ったが車中泊だった 車中泊か 家族旅行に毎年のように行く人は少ないだろうね。 修学旅行以外で旅館ホテルに泊まったのって、社会人になってからだわ
少年野球チームに入った(会費一ヶ月600円、小遣いの20日分)
俺だけユニフォームやスパイクを買って貰えず、体操服とズック靴だったわ
グローブはオモチャ屋で買ったビニール製で、キャッチボールを10球もやると手のひらが腫れ上がるやつ
今ならとても試合に出して貰えない格好やね >>577
ユニフォームじゃないのは自分だけだった?
レギュラーで試合に出てたのか
それとも新人でユニフォーム間に合ってない体で
代打とかで使われてた感じ?
会費やビニールグローブは自分の小遣いで払っていた?
ジャンプやチャンピオンは友達に借りて読んでいた?
もしそうならお前さんを知っているかもしれないw >>578
レギュラーで、監督の計らいでセカンド守ってたよ
セカンドなら、そんなに強い打球は来ないだろうってね
当時の写真みると恥ずかしくて仕方ない あっ、会費やグローブ代は自分で払ってたよ
まさか同じような奴がいたとは
三年間やってたけど、体操服姿は他に見たことなかったわ ジャンプやチャンピオンも、買って貰えなかった家庭の子は
とうじけっこういたからね・・・ 当時、週刊少年ジャンプは、170円が相場だったよね・・
それでも買って貰えなかったクラスメイトもいたから。
当然、テレビゲーム夢のまた夢だっただろうね。 野球部の貧しそうな家の子がお金を貯めてソックスとベルト、
スライディングパンツを買った時は実に嬉しそうだった。
50年近く前の中学頃。 >>583
私の頃は100円だった。
オイルショックで130円まで上がったのが1974年。 少年ジャンプはチリ紙交換のおっさんにもらってた
近所に住んでて、おっさんが読むので更にお下がりだった
律儀に読み終わったら返してたな 今ほど、格差はついてなかった時代だったけど
当時は、学歴や偏差値 内申や教師の体罰や校則も
厳しい時代だったから・・・・・
それでいて、ベビーブーム世代で、競争率も半端じゃ
なかったし酷い時代だった思う。 50歳です。 団塊jrは老齢年金を65才から70才に上げていかれる世代になるんだろうな
俺は昭和41年生まれなのでその前で65才にされてしまった
俺らの世代は親が自営業か会社員で生活は雲泥の差だった
自営業は失敗すれば即貧乏だった
いまも俺の親の年金は月6万ちょっとで老人ホームに入っている
半分以上は俺が出さないといけない 親の介護も昭和の貧乏があると厳しいよね。
老齢年金が少なくて在宅介護にせざるを得ないんだよね >>589
生活保護を受けさせる訳にはいかないの?
年金だけだと足りないからって、生活保護可能の施設に入った人を知ってるけど 団塊jrは、これからが地獄です。
いい思いした人は少ないですね。 家業を継ぐ自営も脱サラしてする自営もよほど蓄財を目指さないと
老後は基礎年金だけでは無理だよな。束縛されない見返りは大きい。 政府は、貧困層を本気で救済する気は全く無いでしょう。 オイルショックまで裕福で
そっからどん底だった家は多いのでは?。 自分は、1985年の円高不況で親父が会社潰して
そこから大変だった。
それまでは裕福だったけどその後は母親が苦労しました。
親父は10年前にしにましたけどね。 バブル期は不況になった業界もありましたですね。
輸出産業の工場が利益出せなくなって、東南アジアに工場移し始めたのもこの辺りの時期ですね。
職工のおじさんが技術指導で現地に行って、現地でも家族作っちゃって揉めたのを横目で観てました。 要介護度で支払い変わるから足りない部分は保護受けられる可能性ある
でも主たる家族も貧乏じゃないと難しい 年金というのは「世代間で支える」というと聞こえがいいけど、仕組み的には
ねずみ講と何ら変わらない。後から加入した人のお金を先の人が使っちゃうのだから。
リアルねずみ講で最初の方の人だけ美味しいのと同様、年金も最初の方は
納めた額に対し沢山貰えたが、世代が下るほど貰えなくなり、ついには
納めた金額 > もらえる金額 になる。数字的には納めないほうがマシという。
それがこれから来る団塊ジュニアの老後。あ、自分も団塊ジュニアだけどw 今の若い世代で、闇バイトやコンビニ強盗で人生棒に振る
人が多いですね・・・
自分の20代の頃は、時代が違ったのもあるんだろうけど
それなりに好き勝手な事してましたね。 595
プチ貧乏は相当いるけど、
貧困層の中でも困窮世帯いうのは全体からするとやっぱり少数派だから。
絶対数でいうとそんなにいるんか。ってなるけどさ。
けど票田となるとやっぱプチ貧乏をくすぐらないとダメなのよ。
困窮世帯いうのはそもそもが社会に対して敵対心みたいなものを持ってるから
マジョリティや経済界を主体とした与党に対しても同様。
そこをどんなにくすぐっても与党万歳みたいなことには絶対に繋がらない。
支持に繋がらないいうことは・・・(以下省略 まあ、僻みヤッカミもあるでしょうね
コロナ禍みてもわかるように。
格差はこれからも拡がると思うけど・・ >>589
団塊Jrまではセーフでは?
団塊Jrって50歳前後だと思うけど、年金受給開始年齢の改正が直撃するのって、大体が40代前半だよ。 40代は、ロスジェネ世代? または ]世代とも云うのかな?
自分は、典型的な団塊Jrだけど。
40代でも、49歳は、団塊Jr世代のピークだし。 闇バイトとかやっちゃうやつは明日の食うものに困っての犯行じゃなくて
単に遊ぶ金欲しいとか働かずに好き勝手遊んで借金して返済に困ったとか
そういう自業自得な安直な人間でしょう 二十歳前後で、闇バイトに手を染めて人生棒に振るなんて
生い立ちや家族構成はどういう素性だったのかとは思うよね・・
今は、デジタルタトゥーで半永久的にネット上で晒され続ける
ことになるから。 詰まるところ“バカ”なんだろ。
普通の人間はぎりぎりの所で思いとどまる。 友達の家へ遊び行った時、ずっと電気つけてなくて暗かった。19:00ぐらいにならないと電気付けないとかで。ファミコンももちろん無い。
近所を歩いて新聞紙や裏が白いチラシを恵んでもらって子供達が落書きしてそれを焚き付けにつかうとかしてたよ。
でも楽しそうだったな 暗くならないと家の電気つけてはいけない家庭はあったね。
当然そう云う家庭の子は、家族旅行なんていけてないだろうね。 >>608
クスリの治験もあったじゃんw
14日間軟禁されてよくわからないものを摂取させられるってやつ パチンコやスロットの打ち子もあったね。
ギャンブルはやらない主義だけど。 ガンダムのプラモデルを窃盗して、18や20歳で
人生棒に振るんだもんね・・・・・
家が、貧困というわけではなかったのかな? 団塊の世代のサラリーマンは老齢年金もたっぷりでウハウハ
すっと自営業だった両親は老齢年金で生活がギリギリ
この格差は昭和からずっと続いている
ベーシックインカムでもしろよ増税くそメガネ ま、サラリーマンは所得が明確で税金をしっかり取られるのも事実
小規模な自営業なら所得申告とかグレーなゾーンもあったりしたのでは
あと消費税の免税か そんなものはボーナス代わりだ。
二重帳簿なんかつけてるレベル程度じゃ
リーマンの方が強い。 サラリーマンは会社も掛け金払って倍額かけてるからね
自営業でも基金とかで倍額かければそれなりになったのでは
それをしなかったのは自分だ 自営業でも小規模企業共済やっておけば老後の資金は問題ないけど、やらない人ばかりなんだよな >>616
国民年金の1号被保険者が1400万人で、厚生年金の2号被保険者が4500万人だったと思う。
自分の貰う年金が半分や3分の2になるベーシックインカムを、2号被保険者が有権者としてOKすると思う?
野党は簡単にベーシックインカムとか語るけど、2号被保険者の意見を無視して成立とか無理筋だと思う。 >>616
国民年金の1号被保険者が1400万人で、厚生年金の2号被保険者が4500万人だったと思う。
自分の貰う年金が半分や3分の2になるベーシックインカムを、2号被保険者が有権者としてOKすると思う?
野党は簡単にベーシックインカムとか語るけど、2号被保険者の意見を無視して成立とか無理筋だと思う。 大事だよ
すでに国民年金に厚生年金の資金流用されてムカついている ま、寄らば大樹というやつで、大きい組織で働いていた方が基本的には有利
だったということか > 自営業 vs サラリーマン
家が貧乏だった人の中には、親が自営業で事業をこじらせた結果というのも
少なくないかも 中一の頃までは、親父が会社経営してたから
裕福だったけど、その後倒産して苦労した。 w >>628
どういう苦労したか書かなきゃダメじゃん 上のレスにあったチラシの裏が白いやつで思い返したけど
ノート買う金ないからチラシの裏や印刷室行って棄てる予定の藁半紙をあつめ
ノート代わりにしてる女子いたな
放課後にクラス男子共がビンボービンボーって小馬鹿にして泣いてたのを、たまたま通りかかった教頭先生が
激高し貧乏を笑うんじゃねぇ!と今なら通報されるぐらいの往復ビンタしてカオスだった 小さい頃の家で出るお寿司はちらしかたまご焼きの太巻きで、マグロの握りずしや鉄火巻きはでなかった。
町内の子ども会のソフトボールチームには強制参加だったけど、道具買えないから、年上の人が使わなくなったボロボロの道具を貰って練習に参加させられてた。
自転車も貰い物。
就職して金稼ぐようになると、新品&ちょっと上のいい奴に拘って散財。
ただ、7年くらいで落ち着いて、レンタルや中古でいいじゃんになった。
>たまたま通りかかった教頭先生が激高し貧乏を笑うんじゃねぇ!と今なら通報されるぐらいの往復ビンタ
親に暴力事件と通報されてネットで大ごとになったとしても、大半はガキらとその親の人間性をぼろくそ言われてお終いだろう。 >>627
自営業と言ってもピンキリだからな
個人自営でサラリーマンとは桁が違う稼ぎであっても
カツカツのふりしてタンマリ貯めこむのもいれば
自転車操業の零細なのに従業員増やして羽振りよく見せてるのもいる
自営だから保証がないと言って子供のころケチケチした貧乏生活強いられてたけど
死ぬまで安心できなくてずっとケチ生活続けて最終的に相続の段階になってみたら
とんでもない額を持っていたとかはあるあるだな いまだに裏白の紙はそのまま捨てらんない。
カレンダーも切って固定電話の横にメモ用紙として置いてある。 俺が社会に出てから知り合ったある大金持ちの家ではテーブルの
上にいつも小鉢があり、干乾びた沢庵が薄く切って盛ってあった。
お茶うけ用と自分たちのおかずになってるとの事。
食べる物と着るものはどんなものでも他人に迷惑は掛からない
と言って、俺にもその生き方を勧められた。w >>636
そういう環境で育つとそういう習慣が抜けきることはない。という意味で書いたんだが。
自営の商店で商品として今でもメモ帳を取り揃えてあるけど自分でそれを自家消費する勇気はない。
ポストイットはたしかに便利なので使っているが勇気が必要。 >>635
役所や銀行からの手紙とか生命保険の盆正月のお便りにも裏紙使えるものが入ってるんだよな
昔のツルツルのチラシの裏より鉛筆が乗って描きやすいw
貧しかった幼少期は親父が裏が白いチラシをまとめてお絵かき帳作ってくれてそれが嬉しかった
今でも暇つぶしに裏紙に落書きしてる >>639
あと自販機の下側や周りの隙間なども要チェックだよな
成果を得られる確率は低いものだったが、その分見つかった時の感動は大きい
まれに、そういうお金を発見したがうまく取り出せず、一旦家に戻りつつ
「どういう道具なら取り出せる?」「戻ってくるまでに無くなりはしないか?」などと
ドキドキした
そういうときに限って友達と会ったりして、平静を装ったりするのはあるある 寒くなってきましたね。
小さい頃は冬は嫌だったな。
着たきりすずめだった。
ある時期から、ウインドブレイカーが流行ってくれて、ペラペラの安物買って、長袖シャツ2枚とか下に着てもバレなかった。ありがたいことだった。
大人になって服が買えるようになって冬でも平気になった。 子供の頃コカコーラのヨーヨーが流行った。が、ヨーヨーを買ってもらえなかった。
コーラの王冠の裏蓋でヨーヨーが当たるのもあった。が、コーラも買ってもらえなかった。
そこで... 日々の自販機あさりで場所と種類を完全に把握していた俺に一つのアイデアが。
近所にコーラの瓶の自販機がある施設があった。当然そこのゴミには瓶の王冠が出るはず。
もしや...
自分の仮説を検証するため、人目がないのを見計らってその施設の裏のゴミを物色。
ゴミはタバコの吸い殻なども混じって汚く悪臭がしたが、我慢した。
少しあさったところ... 大量の王冠を発見! では裏蓋は.... 何故か裏蓋めくってない率高い!
(推測だが、そこはおっさんが会合をするような施設で、裏蓋に興味がなかったか?)
沢山蓋を回収し、これでギャラクシーヨーヨーやヨーヨーの技の本をゲットできる。
その後、普段からコーラをよく飲んでいる友人Aに事情を説明し、駄菓子屋等で
蓋を景品と交換してもらった。一箇所で交換しすぎないように注意して。
最終的に友人Aには戦利品を分けて、口裏を合わせるように頼んだ。
俺が自分の親に「このヨーヨーはAからもらった」と安全に言えるようにね。 ギャラクシーヨーヨーは当時レアグッズだったが、ギャラクシーヨーヨー「しか」持って
なかったのは俺ぐらいだろうな。
その後そのギャラクシーヨーヨーを持って赤いブレザーの外人さんに挑むのだが、 >>641
ウチは個人商店で店頭に自販機数台並んでるんだけどさ
つり銭口を毎日パトロールしていく老人が3人いる。
誰も見てないと思うとのぞき込んで確認する。
オレが店頭にいると横目でチラ見してる。がオレはモロバレなんだよって腹の中で笑ってる。
ちなみにオレが目の前にいるのにつり銭口に手を突っ込んだヤツが以前いたので
そこにお金があってもそれはオマエさんのお金じゃないよ。持ってったら犯罪だからね。って
叱りつけたこともある。 パトロールしてる爺さんの家と育ちが貧乏だから
いい歳になってもまだ貧乏な姿を衆目に晒してる。いう話だが。 >>648
お前が今現在貧乏なのか、過去に貧乏だった話じゃないからスレチ ま、スレチではあっても
釣り銭口に残ったお金は拾得物として、
警察にちゃんと届けているのか店の親父が着服しているのか、
気になる話ではある
ゲーセンでも店員が仕事として筐体下を確認していたけれど、
ちゃんと集めて警察に届けているんだろうかと疑ったこともある
まあ、貧乏だった頃は釣り銭口に手を入れる側だったので、
そっち側の心理としてはそんなにスレチでもなさそうな このボード読んでいて生きる力貰ってます。
釣り銭を拾わなくても良い生活や、河原で空き瓶拾って小銭稼ぎしなくても良い生活になったんなら
頑張って生きてきて良かったと思いませんか? >>644
素人かよ
瓶コーラの自販機には栓抜きとその下に王冠を受ける箱が付いてただろ
あそこに菜箸の先に磁石を付けたのを突っ込んだら簡単に取れた
オレはスターウォーズの王冠欲しさに回ってた
但し王冠の真ん中に折り目が入るB品だけどな 釣り銭口に指突っ込んで漁る光景は、映画の真夜中のカウボーイで
ダスティン・ホフマンがやってるのを見て初めて知った。 >>654
おおそれは賢いね。
なお、>>644の後半部は、今思えばマネーロンダリングならぬ王冠ロンダリング
だなあと。それをやった子供の頃の自分に微妙な自画自賛 ギャラクシーヨーヨーと技の本をゲットした後は、ヨーヨーを割と真面目に練習した。
ちなみにラッセルヨーヨーは紐が切れるので、替え紐だけは親に買ってもらった。
その後ヨーヨー大会で優勝してコーラの帽子をゲットすることができた。
振り返ると、こうやって小さいことながらも自分の知恵と努力でちょっとずつ
生き抜いてきたのが自分の人生だった気がする。 >>653
最近、岡崎体育の「深夜高速」聴いてる。
SMBCのCMで知ったけど、フラワーカンパニーズのカバーなのね。
「生きてて良かった そんな夜を探してる」
という歌詞があるけど、本当にそう思う。
普通に生きていて起きる問題と、貧乏が起因となり起きる問題。
その2つを抱え、そのリカバリーに人生の大半を費やした。
結婚も子供も家も、何もかもが10~15年遅れでようやく手に入れた。
貧乏が無ければ更に上に…と思わなくはない。
今は、子供たちの人生に種を撒いている。
生きていれば問題は起きる。
子供たちには対処出来る「1つ」になる様に、まだまだ走るしかない。
人生を振り返っている暇は無いな。 小学校高学年の頃かなあ
リーガルのスニーカーが流行ったんだ
本物はリーガルのイニシャル「R」が刺繍で、踵にREGALと書いてあった
俺が履いてたのは当然ニセモノて、「R」はプリントで踵にはROYALと書いてあった
友達が履いてたのはRABITTOって書いてあったわ 子供の頃、裕福ではなかったわけだけど、
今、現在はどんな生活送ってるのかな?
これまでの人生で結婚や恋愛 車やバイクや海外旅行等は
行けたのかな? >>660
自分は中途半端だ。
明日のメシ代もないとか借金まみれとかではない。
といって今仕事を辞めても悠々自適なほど裕福でもなく
毎日イヤな思いしながらあくせく働いてる。
というか貧乏育ちは後先考えずパーッと仕事辞めて
好きなことしたりできないんじゃない?
自分がそうだけど失敗した時のことをまず考えてしまうから。
だから大きな買い物も苦手だし見栄を張って高級品を
身に着けたりもしない。堅実でつまらない人間。
>>654
まったく同じ手口を書こうとしてたw
自分はスーパーカー王冠の頃だったがw 分相応という言葉もあるからね。
自分は、若い頃したいことしてきたからもう物欲や我欲は
ないかな。 50歳です。 >>643
あのペラペラなウインドブレーカー一枚で一冬を越していた
下は兄弟の卒業した中学校の体操着であるジャージ
青地に白のラインが入ったやつ
女子なのにあんなものを着させられていた
周りはフリルの付いたブラウスにチェックのスカート
ふわふわのジャンパーを着ているのに
小学校の卒アルに載っている自分を自分で不憫に思う 子どもの頃は、苦労したんだろうけど
今現在はどうなのかな? >>662
欲に満足できるなんて羨ましいです。私なんか未だに物欲の塊です。
亡くなった知人の多くが、俺は食べたいものを食べ飲みたいものを
飲んで抱きたいだけ女を抱いたから未練はない、と言っていましたが
私にはウソに聞こえました。欲に際限はありません。 まったく、物欲がないと云うと嘘にはなるけど
今までの人生で、それなりに浪費してきたし
それは自分のせいだから仕方ないし、もうある程度は
満足してるかな。 ストイック(禁欲的)に生きるのは、
その人の人生観や職業観などに左右される 常にお金に苦しめられて生きてきたので、いつかお金をのことを気にしないで
生活したい、と思ったなあ。
で、一応そうなれたと思う。と言っても富豪になったわけじゃなくて、普通のものを
普通に買える、それだけのことだが。
必要な物、食べたい物、趣味の物等、欲しいと思ったときにサクっと買って問題ない。
子供にも習い事とか自由にさせられる。家族旅行に行ったりもできる。
単純にこれがありがたい。 それはいいことですね 衣食住に苦労しないということは
今の世の中、恵位だと思います。
家族旅行出来ることは、幸せだという事ですね。 しかしね、家族旅行とか、自分の中で何かぎこちなさを感じるんだよね。
やはり子供の頃に経験してないからだと思う。
いわば「普通生活ネイティブ」じゃないんだな、たぶん。
外国の移民が2世3世の代で現地に溶け込んでいくように
自分の子や孫の世代でもっとスムーズになっていくんだろう。
自分はいわば苦労した1世の代で、もう仕方がない。
まあ、自分の子孫がまた貧乏に戻る可能性もゼロではないが。
家が貧乏だったやつしかわからないこと。 家族旅行を子供の頃、経験してない人って結構
いますからね。 生きていてよかった か。。。
自分も、たまにあったかな。 自分語りごめんな。
ガキの頃うちは3代続いている会社をやってて、親父は
家族サービスとか旅行とかよく連れて行ってくれた。
正月に一家で温泉とか、奄美大島とかにも連れて行って
もらったし、フグとかカニとか子供には味もよくわからん
ようなごちそうも食べさせてもらった。高級中華のコースや
ホテルのフランス料理なんかにも。
本当に感謝してる。
ところが自分が中学の時その商売がダメになって、うちは
結構な借金を抱えてしまった。うちの座敷で母方の親戚に
どなられながら土下座して金策を頼んでいる親父を見て、
なんか自分の中のいろんなものがひっくり返った気がした。
何度かチャンスはあったけど結局自分は家庭を持つこともなく、
それなりに収入はあるけど贅沢な食事とか旅行に興味が
持てない。
>>670さんの「ぎこちなさ」というのに近いのかな。
贅沢したり楽しんだりするのがなんか怖いというか
不安になるんだよね。 >>671
あー、わかる
思い出してみれば小中高と泊付き旅行は修学旅行とクラブの遠征だけだったな。家族旅行は親父が還暦、俺が30の時に温泉つれてってやったわ 旅や美味しいものに興味を持てない・・
674さんは海外旅行とかは、あるんですか? 675さん、親孝行ですね
自分は、親父は10年ほど前にしにましたがこれといった孝行はできませんでした。
母親はそれなりに孝行してますが。 >>660
貧乏が怖くて働き続けている。
車も家もあるけれど
定年迄みっちり働いて、その間は貧乏で無ければ良いかなと、思っている。
年金出なかったらどうしよう。 それだけ働いてれば年金は出ますよ。まあその頃の社会情勢で
当初よりかは低くはなるかもしれないですけど。 子供の頃は、テレビゲームとかは買って貰えなかった
家庭は多いからね。 テレビゲームは裕福であっても
教育上、買ってもらえない家庭は普通にあったと思うよ 社会人になるまで
家族旅行はしたことがない
外食もほぼしたことがない
反動なのか旅行は割と好きで外食好きだ 反動はありますね 旅は自分もライフワークの一つですが。
テレビゲームにかんしては、確かに教育上買って貰えない
家庭はけっこうありましたね。
あと、漫画雑誌も 週刊少年ジャンプの170円すらも
親から出してもらえない家庭もありましたね。
これはよくないと思いますよ・・・ 私の少年ジャンプはオイルショックで100円から130円まで変わる昭和40年代後半。
背表紙が薄くなって値段は上がる酷い時代。 当時は、漫画やアニメ テレビゲームは教育上
よくないという風潮もあったから。 >>663
あのペラペラなウインドブレイカーのおかげで下に着るものが、雑多でもokな男子だったが
女子は思春期はかわいい服を着たいわね。
いまシックな服を着れているんなら良いとかでは無いわね。 子供の頃の、苦労がみのって今現在普通の暮らしを
出来ていればいいけどね。
まあ反動というのもあるからそれが良い方向に向いていれば
いいけど。 妙なコンプレックスや恥ずかしい思い出があるだけだな
でも、普通に接してくれた友人には今でも感謝している 知り合いでも、普通の家庭に育ったけど天邪鬼的な人生
送ってきて、人生損してる人もいるけどね・・・
或る意味棒に振ったような人がね。 ねじれた性格や社会生活に適応できない人達は、
貧乏金持ち関係なく世の中には結構いますね。
それでも金があればなんとかなるけど、貧乏で
ねじれた性格だと生きづらいでしょうね。 いいこと無しの人生でしょうね。
老齢になると、それまでの人生を思い切り後悔するというか。 マンガは立ち読みで読むものだという認識しかないので
読者アンケートとかはつい最近までなんのことだか分らなかった。
漫画家にとってあのアンケート結果がそんなに大事なことだとは・・・。 中学当時、ジャンプを買って貰えなかったクラスメイトがいて
読んだジャンプを、あげてた思い出がある。 >>696
ちょっと
全員が買ってもらってた前提かよw >>694
知らねえ。そんなの。
ググったら2008年~連載って書いてあったぞ。
平成20年じゃねえか。40過ぎてジャンプとかあり得ねえ。 わしなんか少年マガジン、少年サンデー、
ぼくら、冒険王、少年画報、の世代だよ。 50歳と59歳とでは、時代感は違うからね。
自分は、ベビーブームのピークの世代で
あらゆることに、人数多くて苦労した世代だった。 少年画報といえば 少年キングはあれほどの執筆陣を要したラインナップだったのに
どうして淘汰されてしまったんだろうか。
ちなみに作品群も有名作品がワラワラあるけど版権的に会社はいまもその辺りの権利で
潤ってんだろうか。
貧乏と関係ないけど。 そんな中、丙午の世代だけは例外的に世代が少なくて
ぬるま湯に浸かりまくってた。
でなもんで50過ぎてからが役立たずすぎて苦労してる。 少年キングは、自分の世代は読んでいた人はほぼほぼいないんじゃ
ないかな・・・ 敬遠してたというか
ジャンプ全盛期の頃だったし あとファミコンね。 >>700
子供が多かったから今の子たちよりも大事にされてなかった気がするし
進学就職、あらゆる場面で競争も苛烈だったよな
でも人数が多いからこそこの年になってもいろんな場所でタメとの遭遇がある
同い年というのは同じ時間を共有していた仲間意識があるからすぐ仲良くなる 705さんは、同じ世代でしょうか? 自分は今年50歳になりました
この世代は兄妹も多いし、何より受験内申偏差値教育で酷かった ww
平均、いい思いはできてない人が多いですね。 酷い超が付くくらいの氷河期世代ですね。
200万人近くの人数が出生しました そのうち大学に行けたのは
全体の3割弱くらいで卒業して就職氷河期に遭遇して・・・
w 仮に大学出ても、日東駒専クラスだと板前とかバンの運転手とか
零細企業のルート営業とか、到底大手企業のホワイトカラー層には
就職できなかったみたいですね。
マーチクラスでやっとギリギリくらいかそれ以下か? ジャンプとテレビゲームできた、家庭はまだ幸せなほうかな。。 自分は昭和42年生まれ
丙午で出生数ががたっと落ちた年の翌年だったから
受験のときに苦労したわ
前の年の合格ラインが比較にならないのな
でもギリでバブルの最末期だったので就職のときは楽だった 56歳ですか バブル経験してますよね
自分の世代は、バブルの頃は中学高校時代でした
学歴は、底辺工業高校卒です w >>712
それが自分は一浪で1991年に就職
1992年にはもうバブル終焉って言われてたから
ハデに遊ぶとか全然経験してないw
むしろ大量採用の最後の年だったから入社後は
自分を含め割と悲惨な世代だったよ。
バブルで潤った世代はもう60以上じゃねえかな。 なるほど 62歳前後のエリート層は、もろバブル経験
してますね・・・ 羨望ですね。
自分は今年やっと50さいになりました。 自分は、中一の頃に親が会社を潰してそれから
苦労した。弟は10代でしんで今から10年ほど前に
親父がしんだね。一銭びた一文残さずにしんだから
直葬だったわ w
今は母親が、施設にいる。 >>704
親戚の家で買ってたので遊びに行ったときは読んだな... 確か銀河鉄道999とか
超人ロックとか、ってベタかもしれんが。あ、ウチは買ってもらえなかった派だが。 超人ロックは、さすがに読んでた人は少ないでしょうね・・
名作だけど、あの漫画は敬遠するわ
自分の世代で読んでた人は周囲にはいませんでしたね。
ファミコン買って貰えなかった人は多いですよね。 当時、ガキのオモチャに一万なんて出せる家庭は少なかったな
オレは高校生になってからバイトして買った
今は、親も遊ぶから気前よくPSとか買ってやるけどな おもちゃがなくても、プラスチックのバットとボールを持ってる連中と遊んでたな
医者の息子がラジコンカーを触らせてくれなかった
こいつは医者になれず内科は父親で終了
俺のほうが(奨学金だが)いい大学へ行った
ザーマー見ろだぜ 子供の頃、ゲーム機の買えなかった人は
バイトして買うしかないもんね。 友達のラジコンカーは前後左右に走って停止もしたけど
自分のはスイッチ入れると走りっぱなしで、1個しかない
ボタンを押すと左に曲がるだけの奴だったw
金持ちのおばさんがいる同級生が変身サイボーグとか
ミクロマンのタワー基地とかロボットマンとか
とにかく何でもかんでも買ってもらえてて、妬んだり
羨んだりするの通り越して尊敬してたわ タミヤのラジコンカーを買ってもらった同級生がいて家で遊んでるいうから
行ってみたら台所の床の上だけでしかもオヤジにニッカドが劣化するから急速充電は絶対にするな。
とか言われてるらしく540のモーター積んでるにもかかわらずこれなんの意味があんの?
しかも台所を15分行ったり来たりさせてハイ電池切れでオシマイ。ってバカじゃね?ってなって
だれもそのラジコンがあることを羨ましいとも思わなくなった。 >>726
懐かしい
バンクギャングだったかな
自分が持ってたんじゃなくて母親が持ってた バンダイ・ゲームデジタル ですね・・
クロスハイウエイとか。
お母さまが持ってたとは。 穴空いた靴下を親がつぎはぎしてくれて、どうせ見えないしで履いていたら、
上履きに履き替えるときに見られて笑われたことがある。
服も靴も、近所の年上の人のお下がりをよく貰ってた。
今も小さい穴程度では捨てずに靴下は履いてる。(めんどいので塞がない) つま先の穴は足の指で握りこんで隠してたわw
あとつま先に穴が開いた靴下とかかとに穴の開いた靴下を
重ね履きして穴が開いていない靴下に見せるテクニックも
大人の今は靴下は同じサイズと色のものを1ダースぐらい買う
片方穴が開いても穴が開いた同士で一足に使える 最近の靴下は、安くてもつま先に穴は開かないだろ
足の裏やカカトなど、こする場所がすり切れて穴になることはあるけど 若い頃は、職業柄ヤング館や伊勢丹などで着るものに
お金をかけてたけど今は、しまむらやアベイルやスーパー等で
衣類を買ってるね。
あと100均も利用してる。 >>724
それそれw
左にしか曲がらないラジコンw
お年玉で買って、開封後五分で側溝に落としてオジャンにしたわ
弟が買ったのは、コントローラーと車体がコードで繋がってるやつだった
車体が走ると自分も走らなきゃならない逸品だった 穴の空いた靴下は縫って擦り切れるまで履いていた。
白の靴下必要な時に廃ワイシャツから作って足袋みたいな感じだったけど、みんな黙っていた。 近くのスーパーは衣料品と玩具売場が隣接していて、母と買い物に行った時に「見るだけ」と言ってラジコンカーを見た。
安いのでも1万前後、友達が持ってたタイレルの6輪車のデカイ奴は2万位した。
500円くらいのミニカーさえ買って貰えない自分には、どうすれば1万という価格の物が買えるのか見当もつかなかった。
「高いね…」とそれ以上の言葉が出なくて、うなだれて帰った。
複数台持ちもいて、持たざる者には残酷なブームだった。 自分は1967年の生まれで、ファミコンが発売された
ときに16歳、その後ブームで品薄になってやっと
買えたのが18のときだったからあんまり貧乏で
買えなかった印象はないな。
その前のバンダイLSIべースボールとか、TVに
つないで遊ぶゲーム機は友達の家で遊んでたけど
あんまりほしいって感じはしなかった。
兄貴のいる奴は貧乏でもゲーム所有が多かったような。 学年でも、親から小遣いが全くもらいない家庭の子も
何人かはいたから・・・
そう云う家庭の子は、今はどんな大人になってるんだろう 普通の社会人になってる
子供は大学生で基本バイトで賄ってるが必要な時は海外旅行費くらいは出せてやれるな 従兄弟は母子家庭だったが小学生の時に新聞配達で
外国製の高そうなサーキットゲームを自力で買っていた
貧乏でも学校がバイトを許可すればゲームは買える
許可を貰っていたかは知らないけど
https://www.youtube.com/watch?v=MSvhOYaqo0s&t=153s 子供の頃、ドラえもんのスネ夫的な奴がいて、そいつにいろいろ自慢されたな。
ケチであまり貸してくれたりしなかったことも似ている。
自分は子供の頃にラジコンだとかを買ってもらえなかった反動というか、
親になって自分の子供にはいろいろ買ってあげた。
だが安易に買って子供に渇望・感動・感謝が少なくなった感じもあり、少し後悔している。
一方、子供に買うと同時に自分が今になってそれで遊ぶという部分もある。
ラジコンとか今でも楽しい。ヘリ(ドローン)なんかも簡単・高性能で安く、いい時代だ。
下手をすると子供が飽きた後も、自分がそれで遊び続ける始末。
ある意味「こどおじ」だ。 俺は子供時代一人っ子の割には周りと比べて欲しい物を買い与えてもらえず悔しい思いをしてきた
その反動で家庭を持つことなんてより自分の稼いだ金を自分の好きなように使う方が至福と思うようになって今に至る
もし人並みに欲しいものを買い与えてもらっていたら結果は同じ独身だったかもしれないけど、
少なくとも家庭>金くらいの意識にはなっていたのかなとは思う >>738
自分・長男・次男の3人で1台ずつのSwitchを持ち、フォートナイトでトリオを組みバトルロイヤルしてる。
先日は、ドラゴンボールスキンの再販でV-Backs課金した。
子供の頃、オモチャやボードゲームやゲーム機には無縁だった。
一緒に遊んだ記憶もあまりない。
今は、マインクラフトやフォートナイトを子供たちと3人でワイワイやってる。
控え目に言っても最高だ。 738ですが、子供の頃はボードゲームも買って貰えなかった
んですね それが今は家庭持って御子さんと一緒に
ゲームをプレーできるなんて幸せですよね。 金持ちでケチだった奴といまだに友達でたまに飲むんだけど
あれもこれも貸してくれなかったよな恨んだぜって言うと
俺はあんな金で買えるものなんかほしくない、貧乏でも温かい家庭で育ちたかったとさ
そいつ早くに結婚したけど結局いまは一人で寂しく暮らしている
家庭運とか金運とかって生まれつきある程度決まってるのかね 例えば、家が欲しくても中々購入できない、いい車に
乗りたくても乗れない、海外旅行に行きたくてもパスポートが
取れない、事って実際あるから・・
たしかに、家庭運や金運がよいというのはそういう星の下に
生まれてきた人達かもしれないですね。 子供に買い与える物って、あの頃の自分に買ってあげてるみたいな所はあるな
それであの頃の自分が成仏する その逆もありますからね 当時自分が持ってなかったことを
子供に思わせたくないから買ってあげるという。
確かに、子供の頃の思いを大人になって自分に叶えるというのも
あるし。 あと子供の頃や学生時代,ケチで舌出すのも嫌だという
クラスメイトいたし。 w ボードゲームは友達の家でやらなかった?
当時日本特急旅行ゲームというのが結構好きだった。
今はオリジナル版がオクとかで何万円とかいう値段のもあるな。
今でもやりたがる人がいるのかな。それこそ子供の頃お金がなくて買えなかった
魂の亡霊か。 人生ゲームに出てくる銀行家つうのが初めなんだかわからなかった。 人生ゲームの通貨がドルだったから意味がわからなかったよ
人生ゲームってアメリカ発祥なの? ボードゲームは、 NEWお化け屋敷ゲーム を持ってた
友達ともよく遊んだね 人生ゲームも、友達の家で遊んだ
ことある アメリカが発祥ですね。
このスレに来てる人たちは、子供の頃苦労してる分、子供さん
大事にするし、人の痛みがわかる人が多いですね。 ラジコンと聞くとグラスホッパーという組み立て型のが欲しかったですね。
和風の立派な家の金持ちの友達がホーネットやら数台もってて貸してあげる、競争しようといってくれたが壊すのが怖くて遠慮した。
庭も広くてラジコンカー用のコースがつくられてたくらいの金持ちさんでした。
上履きと文房具は新品買ってもらえたけど、中学の学生服はお下がり、かばんもお下がりでした。
ただ、妙に新しいお下がりと使い古しの2つがだったんで、?となって親に聞いたら
「中学あがる前になくなった○○さんの息子さんのやつ、なくなって3年経ったから片付けしてるんだって。きにする?」と言われて
「気にしない」と返しました。
○○さんの息子さんを直接知らないのとやはり新しめのやつが良かったからだけど、やっぱり気にはなりましたね。 >>747
同意。
ほんとはタイムマシンであのころの自分になんでも買ってやりたい。 そのなくなった方も753さんに、制服を着てもらって
よろこんでる事でしょう。 人生ゲーム等のボードゲームは大人数でワイワイやるから
面白いのであって、自分は家族に迷惑が掛かるから
友達を沢山は呼べなかったので買う必要がなかった
家族みんなでマージャンするようなタイプでもなかった >>756
そういうゲームは持ってる友達の家に遊びに行ってやるもので自分ちではなかったな
人生ゲーム、ドンジャラとか
家ではトランプや花札だった 感謝して使わせてもらった事で良い供養になっているよ、きっと よく、将棋とかオセロの駒を紙で作って兄弟と遊んでたな
今の時代なら簡単にコピー出来るから楽でいいよね
極貧じゃなければ100均でも買えるし >>759
割としっかりとした紙で作らないとね
軽い紙で作ると盤上にうっかり息を吹きかけて大災害に
夏は扇風機厳禁とか トランプをダンボールで作ったなっって思い出しました。 仮面ライダーカードが欲しかった。
スナックか駄菓子屋のクジだったか忘れたけど、専用のアルバムが有り、友達はアルバムを何冊も持ちライダーカードをコレクションしていた。
メンコみたいに遊んだりしていたけど、自分は持っていないので友達から変な怪人のカードを1枚貰って仲間に入れて貰ってた。
今思うと、友達の大半はトミカタワーや超合金、スロットカーやラジコンカー、人生ゲームやドンジャラを所有しながら、ジャンブを毎週買い、ライダーカードを収集していたのか…とため息が出る。 大人になって反動は来るよね。。。
テレビゲームやゲームウォッチは持ってた。 >>761
ボール紙で作ることは出来ても段ボールでトランプは無理やろ。 小学4年まで座布団を三枚敷いて、その上で寝ていたようだ
その時は何とも思わなかったが今考えると
そういうセパレート型の敷布団を売り出せば需要あると思う
既に商品化されているかもだが、いちいち畳んで押し入れに
上げるのはお年寄りにはきついだろうなと >>766
寝たきりの病人かよ。
寝返りってものを知らないのか? 子供の頃、おもちゃや漫画を買って貰えなかった
人は、かわいそだったね。 >>764
ありがと、ボール紙だわ。
将棋もオセロもこれで作っていた。
トランプの絵札の絵柄は、ランポウとリングにかけろと、がきデカとか。
人からクーピー借りて彩色して、最後はあげていた。
キャンディキャンディや、はいからさんが通るも描いたかな。 オセロは、小4のとき工作で牛乳のキャップで黒白かいて
作ったことあるわ。 >>767
>寝返りってものを知らないのか?
寝返りと何の関係があるの? かわいそう.... まあそうだが、それでもしぶとく生きてきたぞ。
漫画は、立ち読みしたり、友達の家で読んだり、読み終わったのをもらったりもできたしな。
あるとき、親が学習系(伝記、歴史、科学等)の漫画を譲り受けてきた。
家にはそれしかなかったので、繰り返し繰り返し読んだ。結果... やたらと知識が身に付いた。 貧乏で団地暮らしだったけど科学と学習は買ってくれてた
塾とか習い事はさせてもらえなかったけどまあまあ知的好奇心は刺激されたと思う 子供の頃、なまじ贅沢するとよくないとも云うからね。
自分は、家に友達や持ってない子をよんで遊ばせてたね。
少年ジャンプも、友達にあげてた。 貧乏人の味方で図書館は使い果たしたな。雑誌のアスキーやI/O.がラックにあったときは嬉しかった。真っ先に読む人間が決まっていて、利用率は高かったと思う。
図書館で本のリクエストできたので、欲しい本は申し込んだな。
誠文堂新光社のIC工作やパソコンの本とか、小説では赤川次郎や新井素子。 図書館は今でも利用するけど、東野圭吾氏の『手紙』が
よかった。 SAOの小説を借りて読んでる。 雪国だから冬はスキー授業、スキーセットがかなり古い物で恥ずかしかったな 俳優が受け子で御用か・・・・・
レジェンド&バタフライには、堀秀政役で出演してて
こんなことになるんだからね。 7歳くらいまで家に風呂がなかった
近くの銭湯に通ってたけど行きそびれたときや夏場は
作業場の土間で水道からホースつないで水浴びしてた
子供だったからか辛くもなくこんなもんだろうと受け入れていた
時々近所のおばちゃんの家に呼ばれて内緒で風呂に入れてもらってた
今思うとあれはかわいそうに思われていたのかもしれないな 昔はお湯を沸かすという行為は、多大なエネルギーの消費で
水を沸かしたお湯は貴重だった。だから無駄にせず、使える湯は
ご近所に振る舞った。 もらい湯なんて普通にあったんじゃね
気にしなくていいさ
子供の頃は風呂は1日おきだったような気がする
いつから毎日入るようになったのか記憶にない 昭和50年代中盤まで都営住宅は風呂梨物件だったよ。
木造バラックはもちろんのことウチの近所の団地には
5階建て鉄筋構造の物件ですら風呂無しだった。
団地の真ん中に銭湯があって。 そういえば子供のころは風呂を毎日は沸かしてなかったなw
「今日はお風呂の日じゃない」って会話をした覚えがある ゴエモン風呂でこそなかったが、底が鉄板で周囲がタイル貼りになった風呂をマキで沸かしてた
焚きつけ用の燃えやすい枯れた小枝などに古新聞紙を丸めて火をつけ、勢いが出たらマキ投入
竹で作った火吹き棒をフーフーしてたな
近年ソロキャンプを始め、初心者は火起こしに苦労するらしいが、俺は着火剤無しでも余裕だった 今日はお風呂の日
加温は極力避けたいので時間的に入れ替えのように次入るやつは待機
弟はねーちゃんがパンツ履いたのを確認したら素っ裸で後ろを通って
湯船に向かうそんな勢いなので、いまのようなオンデマンドな入浴は許されない。
なお給湯などという設備はないのでシャワーは存在しないしシャワーヘッドなるものも存在しない。
湯船のお湯から手桶で掬って頭からかぶる。
そういうことなので当然のことながら朝シャンとかいう概念は当時存在しない。 当たり前のことだが、銭湯が休みの日は風呂に入れなかった。
あと午後10時の30分くらい前までに入らないと露骨に厭な顔を
された。 ウチの近所の銭湯は毎週月火連休。さらには最終入場が20:30
バカかと。そんなんでだれが入るのかと。
代が変わったら途端にヤル気のねえ営業になりやがった。
聞いたところによると年金受給者辺りが来りゃいいわレベルの考え方らしい。
そのうち廃業だなと思わざるを得ない。 実家の浴室にシャワーがついたのは成人して以降だわ。
普通に洗面器でお湯汲んで体や頭にかけてたもんなあ。
一人暮らししてた自分は貧乏でコインシャワー日常的に
使ってたからある意味逆転だ。
80年代半ばから「朝シャン」という習慣ができたけど
風呂なしアパートに住んでたご同輩は台所シャン
してたよな? まあ清拭という意味でいうなら瞬間湯沸かし器さえあればどうにかなるもんなぁ。
さすがに水道水でなんとかするいうのは夏季限定の話やな。 ちょっと方向ずれているよね
家に風呂無かったな、今も風呂は嫌いだな(面倒くさい) >風呂は嫌いだな(面倒くさい)
オレもずっとこれ思っててつい風呂に入るの最後の最後になってしまう
だけどなにかでこの一文を読んでからそういわれりゃそうだなって思って勇気を振り絞ることにしてるよ
「風呂上がりに、失敗した。とか風呂入らなきゃよかったなってつぶやく奴はまずいない。」
もちろんヒートショックで発作起こしちゃったりする例外を論っても仕方ないけどさ。 >>792
そりゃ分かるんだけど疲れるんだよな、もちろん夏場はほぼ毎日なんだけどね
子供の頃毎日風呂に入る習慣が無かったから、って自分に言い訳してる >疲れるんだよな、
だからさ、それは風呂入る前のセリフで風呂上がりに、その疲れを感じて
やっぱ風呂入らなきゃよかったよ。なんで入っちゃったんだろ。って
言わんだろ?w オカンもセブンイレブンで買い物するようになった
裕福になったんだよ >>797
コンビニで便利さ優先でモノが買えるようになれば、貧乏ではないわな。
未だにスーパーを探して買っている。 ここに書きこむ人って、僻みヤッカミのない、屈折も無い
良い人が多いと思う。 子供の頃の貧乏生活から今は自分で働いてそこそこ普通に暮らせてるってのが大きいのかも
別に成功して金持ちにはなってないけど趣味の事にお金使って楽しめるぐらいにはね 中学高校ぐらい、パソコンを持ってる奴がチラホラいたけど、
貧乏な我が家で買えるはずもなく、なにそれ美味しいの状態だった
育英会と授業料免除でなんとか大学に通い始めると、授業でコンピュータに
触れ、どうやら自分はその方面に適性があることがわかった。楽しかった
なので専攻は情報系ではなかったが、そっち系の就職を選んでみた
プログラム書いてたらお金になるなんて、ラッキーじゃね? 的に
以降GAFAを転々としたりで、あまり偉くはなってないが年収はそれなりに
ボーナス代わりに自社株をもらったが、これも当初なにそれ美味しいの状態
むしろお金でもらえないの、サギじゃね? みたいな
で放置しておいたら、株というものを理解した頃には10倍以上になってた
くそ、こんなんで金稼いでるやつ、ずるい。俺の貧乏生活を返せ、いや、返すな?
がまあ、株を売却したあぶく銭でスーパーカー(古っ)的なものを買ってみたり
しかしいろいろ面倒で、やっぱ普通のトヨタ車が俺には合ってそう 足りてることとジャブジャブ使ういうのは別のことだけどな。
どんなに足りてても出づるを制すという考え方を通してる人はたくさんいる。
逆もまたしかり。
貧乏にもかかわらず無駄な出費に無頓着な人も多々いる。
個人的なことを言えば今決して貧乏ではないけど半額シールの時間になると
スーパーに行きたくなるしコンビニでは最小限の買い物しかしない。
その場で飲む飲料は買っても家で飲むアルコール類をコンビニで買う人ってバカなのかな。とも思うし。 最低限の付き合い以外は外飲みはしない。
自宅で好きな肴で気のすむまで飲んでも大した
金額でもない。 >801
衣食足りて礼節を知る・・・ 考えさせられる言葉ですね。 「衣食足りて礼節を知る」とか「貧すれば鈍す」って
ホントにその通りだと思うわ。
貧乏しすぎると正しいお金の使い方がわからなくなる。 ★日本はパレスチナ支援に慎重さ必要、イスラエル大使が指摘 ※●援助額は過去10年間で総額23億ドル reuters
★ハマスがメンバーをUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)に送り込んで実質的に支配し国際的な援助物資や資金を収奪 jbpress
★総資産6000億円 ハマスのトップ「5つ星豪華生活」 優雅な“安全圏”から攻撃見守る ANN
日本の自殺者数十万人救える数千億円もの血税無駄にして中露派テロ組織に間接的支援するなとサヨク議員に猛抗議しましょう。
貧困でも子供にはおこづかいをちゃんとあげてください、
お金の使い方を知らない、人付き合いもできない社会不適応者に育ってしまいます、
お金がないなら なぜか外人でももらえている生活保護を貰いに行きましょう、反日活動資金になるより日本人が貰った方が良いのです 生活に困ってるいうやつほど昼飯はモスバーガー買ってきたよ。とか
週末にファミレスいったよ。とか馬鹿なのかな。って思っちゃう。
そういうのは生活に困ってない人がやることだよって言ってやりたい。
貧すれば鈍すという意味でいうなら恥を感じなくなるというだけじゃなく
周りの人がどう思うか。という想像力の部分が鈍くなるのな。
いわゆるあれを受給受けてること自らベラベラしゃべって周囲がみんな知ってるのに
すぐ近所のパチンコ屋行ったりとか。パチンコどうしてもやりてえなら別の街にいってやれよ。つうの。 貧乏の連鎖。
アホな両親を持つ貧乏人の子は早くから
同じくアホな相手を見つけて子を作り
親と同じ貧乏のまま人生を終える。 親が、頭がよかったり、母親が美形でも子供は
能もなく醜く生まれて来るする例もたくさんあるから・・・
自分の知り合いにもそういう例はいるよね。 高校生になってバイトして初めて新品のニューバランスの運動靴を買った時は嬉しかった。
お下がりの運動靴はもうクッション性はなくなってたから履き心地が全く違った。
比べて初めて分かった。
貧乏話からは離れるけど、
葬儀は身内だけで簡素に済ませて25万で済みましたが、坊さん代は別途70万+脚代(5000円)。(70万中、本山へは40万だそう)
火葬代と棺桶代は国保からでる金でほぼ相殺できたけど、合計約100万でした。
使用した自治体の火葬場に安置場所や休憩場があり、その料金を調べたら直葬だと15万以下で済んだみたいです。
70万はかわりませんが。(宗派はほうれんけきょう)
携帯電話だけは1年維持して、かかってきた通話やメールに返事をして相手に知らせてから解約予定。
docomoのFOMAのガラケーなので、FOMAが終る2025年まで持つのもありと思っています。月1000円程度の料金なので。
喪中はがきは出さない予定。 自分は親父がしんだときは、葬式代はおろか一銭びた一文
残してなかったから、直葬にした。
いまだに何もしていない。とんでもない親父だったもので。 今、現在したい事できるというのは幸せだと思うね。
自分は、旅とサブカルチャーかな。 >>816
ホントそれ
自分は外食しに行って好きなもん注文できるだけで嬉しい
でもまあ、ファミレスで日替わり一択だったのがハンバーグセットになるとか、ラーメンがチャーシューメンになる程度なんだけどw 貧乏を過去形で話せる場所があって、また、同じ境遇の人が居て、やっぱり頑張って生活水準維持していると勇気と元気が湧いてきます。
今日も仕事頑張ろう。 >>817
でも貧乏ゆえのそういう抑圧から自分の食べたいもの選べるささやかな贅沢でも幸せだよね 今の時代、衣食住に困らなければ幸せなほうだと思うよ
自分たちよりも今、現在生活に困ってネットはおろか
スマホや携帯も持てないような人達もいるわけだからね。 たしかに今の自分よりも下を探して、それを見ていれば
幾分かは救われる気もする。しかし、そこで満足してしまうと
発展がない。それとも足るを知るで高望みはするなという事か。 >>819
だね。
子供の頃はハンバーグといえばマルシンハンバーグだったんだけど、大人になって働いて鉄板の上に乗ったハンバーグを初めて食べたときには、貧しかった記憶が塗り替えられるレベルで感動したw もうそれほど、物欲はないね
まあ、ゲームが趣味のひとつでもあるからPS5proはほしいけどね w 外食は人と会うために行くトコロ。という概念が出来上がってるので
べつにぼっち飯が恥ずかしいとかいうんは全然ないけどなんかもったいないことをしてる的な
負の感情が湧いてきてあまり幸せな気持ちになれない。 >>807
>「衣食足りて礼節を知る」とか「貧すれば鈍す」
対義語はないか考えてみたが、強いて言えば
商売の基本である「安く作って(仕入れて)、高く売る」あたりかな 旧スクウェアの坂口博信さんが「ファイナルファンタジー」を
CGで映画化して100億円以上の赤字を出したと聞いて、
金を掛ければ良いってものでもないなと当時は思った >>825
ふふふ。
ちゃんとあるんだよ。
金持ち喧嘩せず 「衣食足りて礼節を知る」の対義語は
「人はパンのみにて生くるにあらず」だべ なんかスレタイからめちゃくちゃずれているみたいですけど… ケーキを食べればいいじゃない
は、マリー・アントワネットの言葉だとも云われてるよね。 >>825
「武士は食わねど高楊枝」はどうだろう
経済的に苦しくてもプライドは失わない、という意味で 子供の頃の、当時の生活が糧になって今は、
なんとかやっていけるわけだからいいことだと思うよ。
この年代になるまでやってこれたという事はそれなりに
がんばってきたんだよね。 極貧乏だった奴は日本語の使い方も怪しくなっている。 貧乏からは脱した後、結婚出来てる?
子供育ててる?
うちは子供一人が限界だった。 まあ、子供頃は貧乏という事はなかったけど
50になっても、結婚歴無しの自営業者です。(副業あり) 50まで独りでいればもう慣れっこになってるだろうが、
二人で暮せば身の回りも含めて家事一切は1/2の負担で済む。
年金生活も一人より二人の受給の方が勝手がいい。
屁のツッパリにもならんが、老後はお互いが生きる支えになる。
籍入れなくとも相手を見つけることを勧める。 そんな目的で他人と暮らすなんて50過ぎまで独り身じゃ無理だろう 歳を取れば、どちらかが介護を必要となることもある
パートナーに面倒を見てもらうのも心苦しいが、
自分が面倒を見る側になるのも大変なこと
パートナーと暮らすメリットは
意識を失ったら救急車を呼んでもらえて
孤独死を避けられること 独り身だし、今までにしたい事もしてきたから
老後はそれなりの人生送っても仕方ないと思ってるけど。 w たまには日高屋とかには行けるようになったので
子供の頃の貧乏からは抜け出せた 家に、おもちゃの一つもない家庭もあったからね・・・
ジャンプ一冊買って貰えないクラスメイトもいたから。。 貧乏は脱出できたが貧乏性はなかなか治らない。
100均で買った物とか使い捨て商品とか捨てられずにいる 人格に問題があるって自覚してて、ずっと未婚、この先も無いな
若い頃にやりたいことはやった、罰ゲームみたいな残りの人生だと思っているよ 小学生の頃、ミクロマンのフィギュアが流行ったけど、
買えずにうちの三兄弟は近所の仲間の輪には入れなかったよ。 お金持ちの家の子だったけど漫画は読ませてもらえない子がいて、
漫画雑誌をいっぱい買ってる床屋さんの家の子に汚いよれよれの捨てる雑誌を貰って一緒に読んでた。 80年代少年ジャンプとかだいぶ盛り上がっていたわけで、あれを全く知らなかった人は
ちょっと残念かもね。
そういえば我が家はバブルというものと全く無縁だったな。いや無縁以下か。
そして就職しようとしたらバブルが終わっていた。就職戦線異常ありまくりだった。
まあ自分は大学院へ進むという暴挙に出、結果いろいろとこじらせたのだが。 黎明期はしらないですね・・・
極盛期はしってるけど。
当時の昭和は、漫画やアニメはいけないという風潮が
あったから。
今は、漫画やアニメは政府が援助するほどの文化になってる
総理大臣や副総裁や官房長官が漫画を熱心に読む時代だからね。 自分は1967年生れだけど、子供の頃は友達もみんな小遣い制
だったから、ジャンプとか毎週買えてる奴はいなかったな
。
自分ではごくたまにしか買えないし、床屋とか友達の家で
読むのが主で、毎号揃ってないから長編漫画のストーリーは
理解できなかった。
あと自分が小学生の頃は「がきデカ」「マカロニほうれん荘」
「ブラック・ジャック」「ドカベン」連載してた
チャンピオンの方が人気があったと思う。 「らんぽう」「750ライダー」「青い空を白い雲がかけてった」も同じ頃じゃなかったっけ 月曜のジャンプ
水曜のマガジンとサンデー
金曜日のチャンピオン、キング
ウチは商店だったもんで雑誌類扱ってて前日に届いてた。ジャンプは土曜日
早売りは許さんけんね。って卸売りから言われてたけど親はやっっちゃってた ような気がするw >>851
チャンピオンが一番勢いがあったのはそのぐらい、70年代後半から80代前半ぐらい? かもね マンガは教育方針もあるからねえ
映画監督の黒澤明の家では、
子供達に手塚治虫作品だけ読むのを許していた ジャンプ黎明期がいつなのかは知らないけれど、トイレット博士、女だらけ、アストロ球団、ど根性ガエル、マジンガーZ、侍ジャイアンツ、荒野の少年イサム、スケバンあらし、あらし!三匹の頃なら読んでた。
こち亀や東大一直線はまだ無かった頃。 社会人になって3ヶ月間実家暮らしだったがその間に出張したときのビジホだが一人部屋の開放感ったらなかったな
未だに無機質な生活感のない部屋に拘るのはその時の影響かもしれない 当時は、テレビが一家に一台が多かったからね
うちは2台あったけど、一台の家庭はチャンネル争い
したよね。ましてテレビゲームなんて買って貰えない家庭も
多かったろうし。 うちは今で言うひとり親家庭でずっと公団に住んでたんだけど、最近ネットで「公団に住んでるような人とは結婚出来ない」みたいな話題をみかけて、それが差別の対象だって今ごろ気づいた 今はそうなのかな。
子供の頃に某ニュータウンに住んでいたが
土地付き住宅を持っている人なんて例外中の例外で、
勉強できる子も普通の子も公団住宅住まいが殆どだった。
公団住まいでも旧帝合格はいるし差別なんて聞いたことない。
市営住宅とかB地区にある団地はそうかもなあ。
B地区の銭湯へ行くと背中に入れ墨は珍しくない。 今は公営住宅は災害復旧時の仮住まいや生ぽの受け皿みたいな性格のところ
多いからさもありなん。 公団住宅と公営住宅の区別のつかないバカどもがいかに多いことか。 というか公団はとっくに民営化して
今はURだと思っていたが
なら「公団に住んでいるような人とは」ではなくて
「URに住んでいるような人とは」の方が
今風な表現とは思った URは民営化したのではなく、
独立行政法人に移行しただけか。
これは早とちり。 家族旅行を子供の頃、したことのない家庭の子はけっこう
いたね。
自分は、親父が事業に失敗するまでは毎年行ってたけど。 >>853
個人商店でジャンプ買う時代だったよね
土曜日の店が閉まった後にちょっとだけシャッター開いてて
それが合図で「商店のおばちゃんと仲が良い子だけ買えてた
土曜に手に入れられる子は大スターだったな 中々土曜の日には売ってくれないんだよね
日曜の朝に、売ってくれる店はあったけど。
旧き良き時代だったわ。 立ち読みはできましたね
さすがに、ジャンプは毎週買ってたから、ジャンプの立ち読みは
しなかったけどね。 大人になってからだけど馴染みの客にだけ金曜日の夜にジャンプ売ってくれる本屋があった
一見客には断固として売らないおばあちゃんがその場にいる自分には売ってくれて優越感よりは気まずかった 金曜日の夜は、初めて聞いた・・・・・
早くても土曜の夜だったから >>874
自分地方出身で火曜日発売の地域だったんだよね
だから金曜夜に買えるって事はいったいいつ印刷してるんだろうと最初の頃は衝撃的だったよ
もちろん店頭に出してるわけはなく奥に月曜日までは積んであるやつをね…
一見さんにはそれまだ売れないから!ってピシャリとやってた ジャンプなどの少年誌がべらぼーに売れた頃
読み捨てられたそれらを拾い集めた乞食が
開店前のまんだらけに並んでたのをよく見かけた 自分も個人商店の常連で土曜の夜に売ってもらってた
それが九州の親の実家に帰省した時はどこも木曜販売だったわw
もちろん遅れての話 火曜発売に、たいして遅れて木曜販売・・・
これも初めて聞いた。
自分は、住んでた地域が、大阪 東京だったんで。@本籍大阪 一週間に170円もだして貰えない家庭は、少ないでしょう。
まあ当時クラスメイトにはいたけど。 週刊誌はたまると自分で再生資源ゴミに束ねるのが面倒でやめた トーハンでバイトしてた時週刊誌が発売される前に読むことはできたよ 853だけど
ジャンプ土曜売り問題が社会問題化して出版元がピリピリし始めて
晩年当日早朝配達に変更された。
トラック配送の運転手さんはいい迷惑な話だとは思うが。
こっちは仕方がないので早朝、玄関先に届けられたひもでくくられた雑誌束の中から
引っこ抜いて布団の中で早読みしてた。
親は親でなかなか起きねえ奴が早起きしてるもんだから逆になんも言わんかった。
もちろん読み終わったら束の上に返しとくわけだけど。
高学年の時に月刊誌だけどウチの卸に頼むと届くの?って聞いたら来るんじゃねえか。いうもんだから
鉄道ジャーナル頼んじゃった。なぜか代金分おこづかいから引かれなかったw >>878
来週号は○月○日(火)発売
(一部の地域は○月◻日(木)発売)
と書かれていたのを忘れたか? 小学生の頃は、ひと月の小遣いはどれくらいもらってたかな? 昭和の頃、レディーボーデン買えてた家庭って、少ないでしょ? ハーゲンダッツやレディボーデンは
いまだに食ったことがない
宅配ピザも 同じ170円でも週刊マンガを買う金なんて出してもらえない家庭は、特に貧乏でなくても普通によくあった話では?
レディーボーデンは子供の頃にたまに買ってくれたな
ハーゲンダッツが日本で普及しはじめた頃はもう大学生で、それを売りにする喫茶店で初めて食べたな
宅配ビザは、職場の納会や友人宅でのパーティー等で食べたことあるけど、自宅では一度もないわ >>887
あまり覚えていないが3~5千円ぐらいだったかな レディーボーデンはロッテに買収されてから
とんでもなく品質が落ちて昔のそれとは
味が全然変わってしまった。 ハーゲンダッツは無駄に高いというか
350円ぐらいで売ってる小さいカップとかアメリカなら1ドルぐらいで買えたはず >>887
500円くらいだったと思う
100円で何買うか思いっきり悩んでた 学生の頃も気軽に缶ジュース買ったりできなかったなあ
友達に喫茶店に誘われても財布の中が心配すぎて行けなかった
精神的にもなにかといじけがちだったが
経済とか金融のことを学び始めたら視点が変わって楽な気持ちになっていった まあそんなところだろうね。 自分は食べることは
充分に食べてきたけどね。 小学校の6年生で、もし一月の小遣いが500円だとしたら
これは少ないよね・・・
自分は、ほしいときにもらってたけど。 ハーゲンダッツは30過ぎて初めて食ったわ。
たしかに美味いけどそもそもあの価格を出してまでアイスクリームを食したいと思ってないので
自分の為に買ったことはない。
>>893
350円で買う奴はバカだw
普通の人は特売時に200円で買うんだよ >>897
昭和39年生まれのギリギリ50代だけど、そんなもんだったと思うぞ
紐つき飴が一個五円か十円だったそんな物価感 俺なんか親が貧乏で1か月分の小遣いは出せないから、
毎日か1日おきに20円だった。 漫画雑誌リボン買ってた人いますか
ときめきトゥナイトとか夢中で読んでた 1967年生まれ
小学校2年までは1日30円
3年生からは1ヶ月まとめて月に900円
中学生からは1ヶ月1500円になった
タイムマシンであの頃に戻って今持ってるカネ全部当時の自分にあげたい
そのくらいほしいものが買えなかった >>901
読んでたよ、懐かしいね
日テレで今放送してるセクシー田中さんの主人公田中さんが飼ってるハムスターの名前が真壁君で
ときめきトゥナイトの真壁君からつけたって言ってた
小学校低学年の頃とかお小遣い1日20円だったような気がする
学年が上がって50円になったけど月数千円もらってる子との格差は大きかったな
駄菓子屋でも5円の商品があった時代でガリガリ君みたいなアイスは20円か30円だった
雑誌はお小遣いと別枠で月1冊買ってくれてりぼんを買ってた >>902
当時じゃ現在のお札は使えんだろw
500円玉もな
どこかで古い札や硬貨に両替して貰えるのかな 今50歳と、59歳とでは、世代も違うし物価も
世相もちがうからな・・・
50歳の世代は、ベビーブーム世代の人数が最高時の時の
世代だから、一概には比較できないと思う。 今55歳だけど5円のお菓子って一度も見たことないな
年齢もあるけど地域にもよると思う
5円チョコも製造中止のニュースで初めて存在を知ったぐらいだし 当てもん屋とか駄菓子屋と呼ばれる、
小さい子供向けの店に出入りした経験がないと
分からないと思う
定年退職したような爺婆が
趣味かボランティアでやってそうな薄利の商売 発達障害じゃないんだから空気読めよ。
その当時でも使えるお金を渡したい。と読み替えればいいだろ。
所詮、寝言なのにこまけえ角をつついてもヤボ。 小学生の頃は、年代にもよるけど月に2000円から3000円
が相場ではないかなと?
1日に20円や30円なんてそれは少なすぎると思う。 そうそう
今でもギザ十くらいは流通しているのだし
やろうと思えば何とでもなる
タイムマシンで交換可能な時代に
途中下車できれば完璧 つうかカルビーのポテトチップスが当たり前になる前って湖池屋があるくらいで
さらに言えば菓子ってどれも量り売りじゃなかった?
直径が30センチくらいある針の計量器が置いてあってさ。
蓋の付いてる一斗缶だったり上から開けるショウケースだったり。
そこからステンのシャベルみたいなので取り出してさ。 >>909
だからうちは貧乏だって言ってんだろ
わかんない人だな 駄菓子屋に当時は、ゲーム機が置いてあってそこで
よくプレーした 然し、小遣いの少ない人は到底
遊べなかっただろうね。 >>903
真壁くんという名前久しぶりに思い出して一瞬で小学生にタイムスリップしましたw
懐かしいですねホント
>>909
マジですか?
現代でも小学生のお小遣いは学年✕100円が相場みたいです。 小6で、ひと月600円は少ないと思うけどね。
まあ、今は格差もついて貧困家庭は多いけど。 できれば何年生まれか書いてくれると嬉しい
50代といっても1964年生まれから1973年生まれまでいるわけだし
自分は1967年(昭和42年)の生まれ
小遣いについては各家庭の教育方針もあってみんな金額はばらばらだった
自分のうちは小遣いはやたら厳しくて小学校低学年では月額千円、中学年2千円、高学年3千円だった
コーラの瓶とか集めて小遣い稼ぎしてたわw
一方で必要な時、欲しいものがあった時にもらう奴とかもいたな 1973年生まれの50歳です。小遣いは自分の場合は
欲しいときにもらってました
基本、漫画やゲームは買って貰えてましたね。 湖池屋のポテトチップは当時のCMソングにもある通り、池の文字を○で囲んだマルイケ印だった。
いつの間にか湖の文字を六角形で囲むように変わってしまった。
カルビーはポテトチップスと呼ぶのに、湖池屋はポテトチップと呼ぶのも興味深い。 新幹線ゲーム
国盗り合戦
アレンジボール(両端からみて2個目の2と16にはなかなか入らない) 自分は貧乏性なので駄菓子屋の前の10円ゲームとかはやったことないわ。
何十円かあるなら20円のミニカードか30円ガチャとか形に残るものに金使った。
同じ理由で駄菓子屋の駄菓子はほとんど買ったことない。・ 駄菓子屋の駄菓子は、買いまくった・・・
あと、置いてあったゲーム機でも遊びましたね。 駄菓子屋の前にあったルーレットをよくやったけど今から考えるとルーレットで買ってコイン集めてもいみないんだよな 小学校は学年掛ける百円が月の小遣い。
中学は千円だったかな。 あれぜんぶにbetするとちゃんと戻し無しの0に止まるんだよな。 オレはゲームよりガチャガチャにハマってたな
特にウルトラマンの怪獣のヤツ。
友達と紙相撲みたいに箱の上に置いてトントンしながら遊んでたな、懐かしい 当時ファンシーショップあったね。。
小学校の頃、バレンタインデーのお返しで、近くの
ファンシーショップで、喜びそうなものを買った記憶が
あるわ。 ファミコンがブームになった時、セガのTVゲームをもってた2つ上の従兄が
ファミコンに買い替えたというので、伯父から「お前これいるか?」とSG1000というゲーム機をソフト4本と一緒にくれた。
ただ、コントローラーのスティックもボタンもゆるゆるでくたくただった。
本体から直に出てるやつなんで交換も無理。
紙袋に入れてもらったけど、またその紙袋に入れてガレージの奥の物入れに入れた。
2020年、実家の家と土地を処分するために、帰省して片づけていたらそれがでてきた。
懐かしいとは思わずにゴミとして即捨てた。 なんか、ほろ苦い?思い出かな・・・
自分も親戚中で子供の頃ファミコン持ってたのは自分家
だけだった。
あと、アルカディアというゲーム機を持ってた。 誰でも普通に持っているものが貧乏で手に入らない、これがきつい。
今なら例えばスマホがない、とかはきついんじゃ。
もっとも、今では乞食でもスマホを持っていると聞いた。
なんでもボランティアの炊き出し情報とかをゲットするのに必要とか。
本当かな。 ガラケーを使ってるけど、いずれスマホに移行しようかと。 >>924
近所の駄菓子屋は2枚10円で好きなお菓子と交換出来た
生まれて初めてコーラを飲んだのはゲームで6×2が当った12枚のコインと交換してもらったものだった 駅前に猫ぐっつの店があるのが
営業してるのみたことない ペプシがコカコーラより10円ほど瓶では安かったのは地域差でしょうか?
当然ペプシを必要な際には飲んでいた。
因みに普段使いで飲まないのは、紅茶好きという設定にしていた。水筒持ち歩きしていて貧乏バレバレだが、みんな黙ってくれていた。 貧困は学歴の上限決めることもあります。
お気になさらず。
既に諦めているので。 月々10~15万は学校外の教育費に掛けるのが当たり前の世になってしもうた。
富裕層ほど高学歴な傾向が出るのはそういうことらしい。 高学歴=学力+知力+教養 とは言い切れない現実。むしろ・・ このスレにも体験談が書かれていたが、学費が免除になりやすい国公立をバイトで生活費稼いで4年で卒業した勇者もいる。
貧乏だから低学歴やむなしとは言い切れないわけで。 >>940
また親ガチャ信者かよ
自分の力でのし上がれよ お下がりばかりの人生。
過去はともかく、現時点、中流以上になれていたら、もうちょっと性格はよくなってたかもしれない。
車は中古で100万以下のやつしか買ったことがないし、身につけるものも安い物ばかり。
好きで安い物を買ってるのではなく、買えないから。
ガラケーもスマホも安い奴ばかり。
車は5年落ちのを買って8-10年乗る(ノリ潰す)
今乗ってるのは3台目でトヨタのスぺイドというやつだけど、これが所有する最後の4輪かもしれない。
定年後は原付ぐらいしか維持は無理だ。
貧困世帯だと今はいろんな補助や免除が使えるけれど、中途半端な収入世帯がきつい。 授業料免除、奨学金返済免除、今思い出したがあと予備校授業料免除。
大学時代は結構バイトをしてしのいだ。そんな感じで大学を出る方法もある。
もちろん親は授業料免除が確実に通るぐらい経済力がなく、子供の頃は恥ずかしい
思いや悔しい思いを色々した。
我ながらよく頑張ったと思うが、子供の頃学校のテストはなんとなくできて、
いわばそういう延長で大学入試等があったとはいえるか。
そういう意味ではガチャが完璧なハズレではなかったのかもしれない。 >944
自分も車は、日本車の中古車でしたね 4台乗りましたが。
今はもう乗っていませんが。 >>943
おまえなにトンチンカンなこと言ってんのよ。
どこの板か理解できてんの?
親ガチャとかのし上がれとかwww ガキかよ。 学歴の話になったら湧いてくるよな
親ガチャは甘え(`・ω・´)キリッ
ʅ(´-ω-`)ʃ.。oOハイハイスゲースゲー じゃあ親が貧乏だから俺の人生はダメなんだって一生呪ってりゃいいじゃんw
そっちの方が楽でいいもんなあ >>951
50過ぎてまだ親の経済力がーとか読んでて情けないわ 親ガチャと云うのはありますよね
今、闇バイトに奔る若者は、やはり育った家庭環境や
親ガチャもあると思うけど・・・・・ 「瓜の蔓に茄子はならぬ」もそうだけど
稀に、『鳶が孔雀を生む』ということもあるから。 鷹を生むの方がよく使われているね
まああれも遺伝的に親が無能というわけではなくて
優秀な子供に恵まれる素地はすでにあったりする
他人は気づかなくても 鳶が鷹を生む というのも確率的に云って相当低いと
思うんですけどね
然し、芸能人で云うと イマルさんや石橋ほのかさんは
もう顔もスタイルも酷過ぎるし・・・・・
両親からなんであんな、脳もなく容貌も醜い子供が生まれて
来るのかと? 受験とか部活とか要所要所で親の経済力というハンデは感じてきたな
運良くバブルの流れもあって人並みの生活は手に入れられたけど
そりゃ学生時代や就職間もない頃は他人を羨む事も多かったよ
バイトしてる間にみんなは遊んでるんだろうなぁなんて思ったり
初めて買ったミラXXを「おもちゃみてぇだな」とセリカXXに乗ってるやつに笑われたり ダイハツ ミラTR-XXか。 自分はカリーナEDでした。
その後いくつかの日本車乗ったけど車にはお金はかけなかった
。 屋根と床が錆て腐って穴が開いた中古のスズキフロンテ360。
50年前、整備工場から確か7万円で買った。塗装も荒れてワックス
かけても全然光らなかった。でも嬉しくて満足だった。 車は,走ればいいんですよね 自分も車は買い物ていど
だったから中古車でしたね。
16万円のマークUに乗ってましたよ。 カローラとミラージュをそれぞれ先輩から貰い。カローラは事故で潰し。
ミラージュはボディのサビ穴あくわ、細い故障相次ぐわで出先で動かなくなって廃車。その後は中古のファミリア買った。いずれも初期投資は廉価だ。 今もラーマ買って使ってるわ
ネオソフトよりはちょっと安いのに売れてなかったのかな
それとも健康志向でマーガリン自体がもう避けられてる?
バターが美味しいのはもちろんわかってるけど冷蔵庫から出したて固くて塗りにくいのが朝は特にめんどうなんだよね
料理では四つ葉バター使ってるけど 当時、軽の中古20万で買ったけど
峠道の上りでスピード30キロもでなくて
ぼったくられた車だった 当時、既にオートバイでも500tや750tがあったのに軽とは言え
360tは今思うとお話にならない走行性能だった。 ロイトLP400など優秀な外国製4輪車を参入できなくするための規格だからな
その意味では今なら660から更に拡大できそうだけど、そうなると今度は国産乗用車がますます売れなくなるからできないジレンマ 小学生の時に夜、親父の友達の家に親父と行ってて
たまたまその家の親戚の女の子が来ていて、最初は二人とも照れくさそうに
していたけど、その内にふざけて遊ぶようになり階段で追いかけっこしたり
普段女の子と遊ぶ機会がなかったのでとても楽しかった。時には白パンなんかも
見えてたけどHな気持ちにはならなかった。今思えば残念だ。 両親ともに免許無かったから、車も無かった(田舎だからかなりな少数派)
車であちこち出掛ける人が裏山だったな >>967
バターはスティクのりみたいな繰り出し式のケースに入れておくと便利ですよ
バターが固くてもくりくりっとしてトーストにそのままぬれる
トースト限定ではありますが。 ここのスレの人たちは、僻みや妬みのない人達だと思う
子供の頃は苦労したかもしれないけど、歪んで育ってないし
大人になって人格者が多いと思う。 >>981
社会を呪うか
運命を呪うか
両親を呪うか
貧乏人はその呪いのどれかに取り憑かれる。
今は普通の暮らしをしていても、その呪いの言葉を吐きそうになる。
みんなこのスレに来て、自らにかかった呪いの言葉を吐き出す。
過去の選択で、いくらでも呪いは解けたのではないか?
それを考えると、また全身に呪いが降りかかる。
僻みや妬みを語るには、まず同じ土俵に上がらなけれぱならない。
呪われた身体のまま、そんな日が来ていないだけだよ。 呪ってないし嫉んでもないけどな
そんな時代もあったよねって感じ >>983
自分もそう思ってた。
貧乏でも楽しい事も多かったし。
でも、結婚して子供を育てる中で、毎日子供と遊んだり、宿題を一緒にやったり、明日学校で必要な物を買いに走ったり、勉強に必要な物が有れば自分の小遣いからでも買ったり……
ウチの親父は1日にタバコを何箱も吸い、酒を飲み、休みの日にはパチンコに明け暮れてた。
子供にお金を使ったり、時間を使ったりする気が更々無かったんだなと思ったよ。
もちろん、今は普通の暮らしをしているし今の生活に不満は無いし、むしろ贅沢だと思う。
親父は介護が必要な時期になり、今度はワガママを押し通し、家庭を持った子供達を振り回している。
愛情を注がれなかった親の介護というモヤモヤが、呪いの言葉を吐かせてしまう。
自分の子供にだけは呪いの言葉を吐かれない様に、今は必死に子供に向き合っている。 >>985
連鎖を断ち切る良い大人になりましたね。立派です。
少なくとも子供からは良い親と思われることでしょう。
実際のところ、親がろくでもないと
上手く育てられなくて、子供は素質はともかく、良くない育ちで不幸が連鎖しているというのを、たくさん見ている。 ここに来る人は自分が経験した辛い思いを子供に与えないようにしてるよね
反面教師ってやつ >>983
わいらの子供時代ってまだまだ貧乏な家が多かったと思う(自分は東北の田舎なので余計に)
余裕ある家の子に比べて家族旅行や外食の経験のなさやテレビゲーム買ってもらえなかった過去はある
でも親はひもじい思いはさせなかったし自分だけが特別貧乏って環境でもないしさほど劣等感はなかなったかな
似たような感じの友達と山を駆け回ってカブトムシやセミ捕ったり秋は栗拾ったり木の実食べたり楽しい思い出沢山ある
結婚したけど子供は出来なくて、その分多少余裕はあるし自分の子供時代のリベンジって感じで気ままに遊んで好きなことやって生きてる
もし子供出来たら色んなの買い与えたり甘やかしたかもしれないw 結婚しても子供のいない家庭ってあるよね
その分、したいことできるからそれはそれで
良いとおもう。 当時昭和の頃は、家族旅行のない家庭はけっこう
あったよね。 つくば万博のことかな?
当時関西に住んでて行けなかった。 ディズニーランドが開業したのが確か小6の頃だった
早速家族旅行で行った子は羨望の的だった
自分は中学の修学旅行が初ディズニーランド
学校で修学旅行前にホテルのユニットバスではシャワーカーテンを内側に入れて入る事を教えてくれた
小学校の修学旅行は旅館で大浴場だったから当然知らなくて、湯船で体も洗う入り方に水を外に漏らさないようにドキドキだった 私の周りで「つくば万博」で一山当てようと、民宿レベルのプレハブ
ホテルなんかに投資して大失敗して破産した人達が随分といました。 中学の修学旅行が、ディズニーランドなんていいな。
自分は、都内から定番の京都奈良でした。
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