一益が毛利攻めを秀吉が北条攻めをしていたら?
滝川一益に中国大返しができたか?
秀吉に関東大返しができたか? いちますはどっちみち無理だろうが
北条6万騎に2万で対峙しなくてはならない秀吉も苦しいね。 滝川が「主君の仇討のため畿内に帰る」と言ったら北条は黙認したかな? 「本能寺」の後の話として、
畿内に戻れるのって、越前、信濃、備中、上野で比べると
越前と備中くらいじゃない?
あれ?あと丹羽ってどこに居たんだっけ? 長秀は、信孝付きで四国遠征直前だった。光秀に地理的に一番近い織田有力部隊だったが
脱走兵が相次ぎ、光秀でなく織田信澄を襲殺した。 対光秀は四国隊だったという話も聞くけど
秀吉隊は戻りの疲労で活躍出来ず 秀吉が光秀の裏切りを予想していても、
関東で北条攻めをしてたら、引き返して明智と戦うのは無理。
距離もあるし、障害も多すぎる。 森長可さん人質を盾に信濃脱出。
そして人質皆殺し。 本能寺前夜の北条にとっての織田政権って、表面的には従属してても
上野に関東管領格で滝川が進駐してて、内心では(#^ω^)ピキピキだろ?
毛利潰したら、次は確実に関東征伐だっただろうし。 秀吉でも本能寺の情報が北条に伝われば
毛利のように手なずけるのは無理だろう。 毛利は織田家との連戦で疲弊しまくってたけど、北条はほぼ無傷だからな。
とはいえ上州や甲信を明け渡して畿内へ戻るという条件なら、北条も無理には
交戦する必要もないけど。 >>14
秀吉なら少なくとも「神流川の戦い」は避けられてたと? つまりは、秀吉は北条に釘付け。
一益は毛利に釘付け。
明智はまず、柴田との戦になるが、
光秀は柴田の準備はしていたので、柴田には勝つとして、
そこから先だよな〜。
まぁ、もし秀吉が中国大返しができなかった時と同じ問題提起になるが。 一益が毛利攻めていたら援軍要請せず本能寺の変起きなかったかもしれませんよね えっ、こういう話じゃないの??
攻め 受け
一 益 × 輝 元
秀 吉 × 氏 政
┌(┌^o^)┐ホモォ・・・ホモォ・・・ >>18
美味しいところは、信長か、その息子たちに持ってってもらわないと、後がめんどくさくなる。
滝川も適当なところで援軍要請するでしょう。 秀吉が帰れたのは宇喜多がいたからでしょ
関東行ってたら背後任せられるある程度の勢力ないし大返し無理じゃね ・一益、勝家、信孝等連合軍が明智に勝利
・家督は三法師、後見は信孝
・秀吉は織田家の一武将のまま
・一益と和睦した毛利は生き残るが、北条と上杉は征伐される
・1590年代後半、織田秀信が征夷大将軍に任ぜられ、織田幕府成立 そもそも滝川一益で宇喜多を手なずけることができたのか 一益なら毛利との交渉は失敗するだろうな。
毛利と一戦して負けるか膠着状態が続き退却するところを追い打ちをかけられるかのどちらかだ。
おそらく光秀は毛利を攻める秀吉に対してもこのように予想したはずだ。 いわゆる軍団長格で、秀吉並の交渉能力を持っていたのは誰
光秀は、あるか >>25
織田と開戦する前から毛利が「宇喜多が裏切ったらどうするか」とか話し合ってるぐらいなんだからそこは正直そこまで秀吉じゃなきゃってわけでもなさそう 秀吉が関東に向うというのは
黒田官兵衛の代わりに真田昌幸が参謀ポジションにつくということでいいの? 昌幸が官兵衛はないわ
あいつのポジションは直家じゃねえの? 昌幸は智将であって参謀ではない
智恵は自分のために使う
秀吉のためには使わない 関東で滝川一益についた武将は、
反北条が多かったんじゃないの?
神流川の戦いは、一益がその気持ちを汲み取って北条と一戦した。
一益にとっては意味のない戦だよ。一益についてくれた武将に義理を果たした戦だ。
クールな秀吉な、らとっとと西に向かってるよ。 武田旧臣ってなんか北条嫌いなやつ多くね?
国として嫌われてたのかな >>33
北条と上杉で日和見が常の北関東勢なんて「北条に降っていいよ」と
告げて、西へ引き返せばよかったのにな。 将来織田勢力が戻ってくる可能性考えたら
ほっといて戻る選択はしづらかったんじゃないかね もう謙信はいないしな。
何もせずに西に向かうのなら一益についた武将に嬲り殺されるか、
北条につくための手土産として首を取られるかも知れないよ。
村重や秀吉なら夜逃げしてでも西へ向かうだろうけどな。 神流川で一益について戦った武将ってどんなモチベーションで戦ったんだろうな?
活躍して勝ったところで、一益は帰っちゃうわけだし。 本当色々だよ
上州諸将には真田のように元武田として配された者も
北条のように上杉が支配のために配した者もいる
勿論元々の国人もいて上杉についたり武田に従ったり
んで当時は織田に従って滝川がボスだった
というだけなんじゃないかな
太田三楽斉のように反北条を貫いてきた武将も
滝川の下へ伺候してたはずだけど
あまり神流川に参陣してない
下野から参陣した佐野宗綱はそのパターンかなあ >>38
どうせなら帰る前に一撃くらわしてから帰ってくれれば、十分ありがたいやん 信長死んでるのに、本領から遠い北関東で、地元の大国である北条勢に
緒戦は勝ったのは滝川が凄いのか、北条が弱すぎるのか。神流川の後も
天正壬午で徳川に負けるわ、真田に翻弄されるわだし。 >>42
天正壬午の乱は事実上武田旧臣に負けたって形だからな 上州諸将は神流川後に案外あっさり
北条家臣に収まってたりするので
様子見日和見の範囲でないかな
天正壬午の乱の北条は神流川であっさり勝ったから
火事場泥棒で美味しそうな甲信になだれ込んだものの
遠征苦しくてあっさり撤退
思ったより抵抗されるし他の火事場泥棒もいるしで
見通し甘かったって印象しかない 逆に言えば損切りができるとも言える
国境策定はまぁ成果としては上々ではないかと まあそうかな
元々北条の目は関東に向いていたからこそ
天正壬午の乱はあっさり引いたのもあるだろう
5万もの大遠征で成果なしとなると手痛いが
その数字もまあ眉唾だしね
実際5万いたらどうやったって5千の景勝に
川中島譲る必要性がない訳で 維持する必要性もないだろ
武田との川中島知ってりゃ関東が本拠の北条があそこをあえて維持することがそれほど得とも思えんし 史実の秀吉は中国地方の東部を押さえてたから毛利に対する情報統制が可能だったが上野にいたら不可能だろう
東海道や甲斐経由で北条に情報が行くだろう
あと織田は上野に入国してからわずか数か月であり秀吉・毛利みたいに長年戦った知った仲とか安国寺みたいな伝手があるとかでもない
北条に小早川みたいな力を持った協力者もいないだろうし 滝川一益は決してDQNではないよな。
むしろ情けもあってオールマイティーな武将のような気がする。
むしろ秀吉が、数枚上手過ぎるんだよ。 北伊勢や関東の国人への調略状況をみれば一益が剛柔を備えた武将だとわかる
柴田勝家と同種の能筋系に見られることがあるけど、むしろ秀吉や光秀に近いタイプだと思う 滝川に脳筋イメージはないかなぁ
天正壬午の乱で本当に上野からの北条軍5万いたなら
上杉どころか徳川合わせても太刀打ちできないし
下手すりゃ単独で武田攻めしてもいけたんじゃ・・・ 滝川一益は1万8千の軍勢を擁しながら北条氏直のようなバカ殿に惨敗するほどの
戦下手だからなあw
もともと忍者なので調略や狙撃には長けているが大軍を指揮する能力は皆無。 >>52
上の方にもあるけど、全く士気が違う。
信長が死んだことを知ってたら、
滝川も北関東の武将達も手柄どころじゃない。
撤退戦みたいなものだろう。
末端の兵士は知らなかったかもしれないが。 >>52
国民国家の萌芽〜確立後の軍隊と、組織原理や将兵の意識が全く異なるから
戦国時代の連合軍なんて、そこそこの兵力があってもダメなときは全くダメ。
むしろ神流川の戦いに持ち込んだうえに一度は北条に優勢で、敗戦後も伊勢へ
生還できた滝川は有能。 さすがに謙信と比べられたら一益も可哀そうだよな。
謙信なら神流川で北条勢を蹴散らして、更に南進してくれる。
で、適当な時期に越後に戻るけどな。 神流川の戦いの敗因も、一益が押しているのに前に出なかった後陣の国人衆にある
近江・美濃までの退路は山道の中仙道、
そこを支配するのは武田旧臣や後背定かではない国人たち、
北条と上杉という強大な敵に南北挟まれた状態で、士気の低下した軍を率いて
上杉の応援を受けた藤田信吉を破り、兵力上回る北条軍を当初は撃退した一益は
十分に名将の名に値する
また美濃までの撤退も、関ケ原の島津勢の撤退よりはるかに難易度は高かった 滝川の逃避行もきれいごとだけではないけど、森長可みたいに「ヒャッハー!
人質は虐殺だ−!」ほどのエゲツなさではないしな。 一益は名将だが現代ではマイナーというかむしろ、無名に近い。
秀吉、光秀、勝家は知名度抜群なんだけどな。
まだ、村上義清の方が有名だろ。 >>59
普通に一益のが有名だと思うよ
数多い信長の漫画にはほぼ確実に一益は出るでしょ >>62
大河ドラマにまともに一益が出てきたのって真田丸くらいしか記憶にないのだが
武田の内藤さんよりは遥かにマシだが織田五軍団長としては影が薄い >>49
あの状況では誰がやっても同じだと思うけどなあ
史実の滝川よりマシな結果を求めるのなら変の報が入った時点で一目散に逃げるくらいじゃないの >>62
出てるが完全に脇役。
あと一人、だれだっけレベル。
村上義清は、信玄が謙信と戦う前に2度も勝利している。
地方予選の準決勝レベルで、一益同様に知名度は低いが
真田との伏線もあるし、大河「武田信玄」「風林火山」で戦闘のシーンもあり、それなりの、枠で撮られていた。
一益は雑魚ではないが、他の武将と一緒に映ってたりする。
地味ではないかもしれないが、どうしても、
信長・秀吉・光秀・勝家に隠れてしまうんだよな。
まだ、お市の方が有名だったりする。
神流川より、上田原や砥石崩れの方が知名度は上だと思う。 >>65
一般層には砥石崩れの知名度は低いのじゃない?
信玄の負け戦なら上田原のほうが圧倒的に知名度が上かと
実際大河の武田物でも上田原がメインで砥石は落とした真田スゲーのネタにされるくらい 余談っぽくなるが、時代劇(漫画含む)だと森蘭丸が織田政権の大幹部扱いで
滝川はまだマシで、塙直政あたりもいなかった扱い。
戦国解説本でも俗書だと武田信玄は常勝不敗とか平気で書いてるしな。 余談っぽくなるが、時代劇(漫画含む)だと森蘭丸が織田政権の大幹部扱いで
滝川はまだマシで、塙直政あたりもいなかった扱い。
戦国解説本でも俗書だと武田信玄は常勝不敗とか平気で書いてるしな。 どっちも殆どの創作もので脇役で比べるほどの人気がないような・・・と思いつつ探してみると意外とあった
https://senjp.com/100busyou/
村上滝川両方が含まれる人気投票企画
滝川83位、村上92位 >>65
一般人なんて武田、上杉周りなんて信玄と謙信しか知らんぞ どちらも大名として残れなかったのが痛かったか
滝川は初期から伊勢攻略をほぼ一任されているのはかなりの重用だと思えるが
代名詞となるような戦がなかったのが難点かな 信長も家臣も派手にやってくれたけど、
一益は地味だったのでは?
佐久間は音を立てて崩れていったし・・・。 >>71
信長物の時代小説・ドラマや解説書だと、稲葉山開城→上洛→朝倉攻めと浅井裏切りの
駆け足展開が多いけど、それに前後して、尾張と京都を結ぶため伊勢制圧も重要だね。
数万の大軍を動員してるし、北畠家乗っ取りのためエゲツないこともしてる。
姉川みたいな大野戦がなかったから、地味で省かれるんだろうけど。 長島の陰に隠れて、北畠の印象が薄い
なんか知らんけど信雄信孝が送り込まれてる、程度 滝川って秀吉と同じぐらい素性の知れない奴なんだろ
親が誰かもわからんとか >>68
森蘭丸は信長の側近ではあるけど大幹部では無いだろ >>10、>>57
だから徳川軍が天罰下してくれた。
当時の鉄砲で眉間を打ち抜くなんて、たまたま当たったにせよ神がかってるよ。 >>77 いや、だから、大幹部扱いが「おかしい」って意味 大幹部扱いの作品なんてないだろ
基本美男子の小姓で一貫してる
具体的に大幹部扱いしてる作品の名前を挙げて欲しいもんだ 派手と言えばナムサポの松永久秀も一応、信長の家臣だったんだろ。
最期の爆死は派手過ぎるが、光秀の謀反より有名ではない。
信長を3回も裏切ってるのにちゃっかり赦されてるし・・・ 一益は信長・秀吉・家康・信玄・謙信の大河ドラマ作っても省略可能なキャラなのが痛い
「桶狭間?なにそれ?」だし、
伊勢攻略よりは美濃攻略のほうが盛り上がるし、
上洛、姉川の戦い、一乗谷城の戦い、小谷城の戦いは応援かお留守番だし、
戦った「武田」は信玄じゃなくて勝家だし、
本能寺の変にも清洲会議にも登場しないし、
賤ケ岳の戦いでは主敵じゃないし、
小牧・長久手の戦いではいいところないし、
「じゃあ、大河ドラマにこいつ登場させる必要なくね?」ってなっちゃう
武功では最も地味な丹羽長秀のほうが、「羽柴の由来」や山崎の戦いや清洲会議で
秀吉と絡むから、ドラマに登場させる必然性がある 段田安則がやった時は清州会議に出席したんだったか
他の家臣たちよりぐっと老け込んでて関東から帰って来るの大変だったんだなと言う空気出してた 滝川一益の肖像画、座って扇子を相手に向けて強く何か言っているのがあるけど、クレームを言ってるのか、怒っているのか、叱っているのか・・・。
あまり、かっこよくはない。
一益のイメージ的に、いかがなものか?
軍師官兵衛で一益役を川野太郎がやってたけど・・・。 要所の近江〜美濃は一門や近習で抑えるって話はあったみたいだね >>87
近習たちが信長に讒言することを恐れて家老衆は近習へひんぱんに贈り物を送っており、
秀吉の場合は贈り物を持つ運搬人が行列を作るほどだったって逸話が何かの史料にあったはず >>87,>>89
男同士でも、肉体関係があるとそうなるのか? 肉体関係は関係ない
最高権力者のすぐ近くにいる者が、本来の幹部以上に権力をふるうようになることは珍しくない
江戸幕府の側用人や中国の歴代王朝の宦官が典型的な例
現代の企業でも社長や会長の取り巻きが専務・常務などの役員を凌ぐこともある
信長のように猜疑心の強い君主のもとで、地方にあって軍権を持つ秀吉や光秀たち軍団長は
近習たちが信長に自分のことをどう告げるかという不安を常に抱えていただろう
なにせ自分たちが活躍して日本をを平定してしまえば、信長の周辺にいる若手は出世の道が
なくなってしまう立場だ >>91
>>中国の歴代王朝の宦官が典型的な例
取るのは、王の妻や愛人や娘に手を出さない、出せないのアピールにもなるが、女ぽくなるので王や偉い人と肉体関係を持ってそれなりの地位を得るためでもあるのだろう。
仕事ができないといけないが、仕事できるやつが山ほどいれば埋もれてしまうからだろう。
それか、経理・秘書等の内勤の仕事は宦官じゃないとなれなかったケースも多かったなのだろうか?
宦官を秘書にするということは、
現代風にいえば、美人ニュハーフを秘書にということか。 違う
子孫を作れないから外戚を形成することがなく君主個人に忠誠をちかうだろうという理由 確かに昔の医療技術では、男の急所を取ってしまう際は、
かなりの苦しみがともなうし、死んでしまうかもしれない。
だから本人にもその気があったんだろうと思ってしまいがちだが、
しかし、戦で稼ごうと思えば、死んでしまうかもしれないし、戦で受けた傷が元で何年も苦しんだあげくに死んでしまうかもしれないし、重い後遺症が残ったり、身体障害者になってしまうかもしれない。
切実な問題なんだよ。 小姓の採用ってどうやってやるんだろう?
軍団長たちが身の安全や主君との結びつきを強化するために、「上様に鍛えていただきたいので、ウチの子をよろしく」と
自分の子どや親族を小姓として送り込むってことはできないの? 普通は家臣の子でしょ
蘭丸兄弟とか
人質でも重用されたのが蒲生氏郷
顔採用説があるのが堀秀政 実際信長の馬廻出身で大名格に出世した
前田金森あたりは子を小姓にしてる
所謂軍団長の子らから小姓になった例はないけど
それに準じるクラスの森可成の息子らの例がある
また小姓ではないが佐久間信盛の息子は追放後
許されて信忠の馬廻になってる
重臣親子にその気があったら
あり得るコースなんじゃね? 軍団長は子が少ない人が多いような
柴田は実子がいないし明智の嫡男は幼少
羽柴は信長の4男が養子だし丹羽の嫡男は信長の娘婿
嫡男は小姓に出さないだろうし適当な人材がいなかったというのもあるのかも ただ信長の側仕えだったとされる前田利長や
小姓として本能寺で死んだとされる金森義入は
それぞれ嫡男なんよね
2人とも次男以下で信長に仕えて兄を差し置いて
家督を継いだり実家以上の出世をしてるから
自身の嫡男も手元に置くより信長に仕えさせるのが
家運を開くと了解してたんだろうね
丹羽長重も利長と同じく信長の娘貰ってるし
そのパターンと思い込んでたけど
今調べたら確認できず勘違いか
滝川は立場的には信長に近そうだし
子息も適齢ぽいしそれなり優秀そうだか
側仕えの経験はなさげ
明智の息子もだがその辺はやはり
元々の小姓出身とは感覚違うんだろう 一益は一忠、一時、辰政、知ト斎と4人も子供がいるのだから、辰政ぐらいを小姓として信長か信忠に出しておけばよかったのに 戦国一の世渡り上手細川さんも忠興を小姓に出してるね
やっぱりいつも側にいたらかわいいし優秀な子なら目に留まりやすいよね 一益なら鳥取とか備中若松をどう攻略してくれたんだろう
あと水軍で因縁あるよね 結果的に適材適所だったのかもな
脳筋の東は権六や一益に 謀略大好きの西は猿に あくまでイメージだが 信忠の武田征伐の参謀にさせられて散々補佐して勝頼本隊にトドメ刺す武功
滝川「茶器が欲し…」
信長「よくやった一益、上杉と北条に挟まれた上野国を与える」
本能寺後も秀吉だったら、を考えるとそんな状況でも上手く立ち回ったのかな どちらかと言うと一益のポジションは
北条と反北条をうまくまとめてく
脳筋では務まらない立場 スレタイからして間違ってやしないか。
史実でも瀧川は「北條攻め」なんかやってない。
当時既に北條は織田の同盟国。
上杉(長尾)が敗北、且つ武田が消滅した後の関東で
北條と反北條(佐竹等)の抗争を抑えて惣無事を図るのが瀧川の仕事。
実際、本能寺以前には瀧川は関東で戦などやってない。
神流川合戦は呆然としてる瀧川を北條が叩き出したんであって
瀧川から喧嘩を売ったわけじゃない。
その上で、
仮に羽柴が関東管領、瀧川が毛利と戦っていたら…
羽柴は舌先三寸で北條を丸め込んで援軍まで借りて大返し、
瀬田辺りで明智を撃滅、
ってなことにはなったかもしれない。
ノロマな瀧川はいつまでも毛利とグダグダ揉み合いをしてただろう。
否、それ以前に、
瀧川は織田に援助など求めない、
羽柴には元よりその必要が無い、
よって明智が武装上洛する口実も無いから本能寺の変は起こらない、
ってのが一番可能性が高い。 関東管領って東日本に於いて事実上ナンバー2の補佐役だったということは
信長は誰を東日本のナンバー1の鎌倉府長官に据えるつもりだったんだろう >>111
皇族のガキじゃねえかな。
北條も佐竹も文句は云えねえだろう。 織田政権が関東府置く予定だったかはわからんけどね
豊臣政権も徳川家が実質その役割を果たした
とは言うけど公式には設置してない訳で
公式の役職や統治機構を名乗らせずに
関東諸侯の取次や調停をするって事なら
実質的に滝川がそうだった 短期的には信忠がその任を負うのが自然。
関東管領に滝川、羽州探題に柴田、奥州探題に伊達を指名し
関東と東北の仕置きを行う可能性が高い。 >>114
織田信長が本能寺前の段階で伊達を取り立てるとも思えねえけどなあ…。
実際、関東は既に内属してた北條を措いて敢えて瀧川だったんだから。
北條を使ってたら佐竹他が黙っちゃいねえと読んだんだろう。
奥州に於ける伊達は関東に於ける北條みたいな実質地域覇権確立ってところまでは行ってなかったし
それでなくても周囲に敵が多過ぎて治まるもんも治まるまいよ。
やっぱり一門か直臣を持って行くんじゃねえか。 実質的な関東の支配を任せたとされる滝川も
役職として明示してない
室町幕府の統治機構は踏襲しないだろうね 輝宗時代の奥州は伊達家を中心にある程度まとまってたから
伊達を中心に統治した方が効率的でしょ。畿内から誰かを派遣するにしても
遠い僻地だし、石高も低い割りに面積は広く西国とは違う困難が付きまとう 上にあったが、秀吉が北条を担当していたら、滝川と同じく西上野を拠点にしていたとすると沼田城か。
そうなると真田昌幸は官兵衛のポジションが取れたかもしれんな。確かに濃い組み合わせだな。 信長が死んだ時点では蘆名最上伊達は
共同で越後へ介入を進めてた
織田(柴田)-新発田-蘆名最上伊達という
対上杉のラインがあった訳やね
とは言え蘆名は最盛期を築いた盛氏こそ
死んだとは言え別に輝宗の下についた訳でない
史実でもその後蘆名への介入を強めて揉めてるし
あえて旧幕府の枠組みである伊達奥州探題を
織田政権が打ち出す線は弱いのではないかね そこは出たところ次第でしか考えてないやろうけどなw
伊達に奥州探題的な役割与えて失敗したら伊達潰して織田から人を送ってこれに代える
関東も北条に関東仕置きは任せて本領は安堵しても上手くいかなかったら滝川一益に関東大名をまとめさせて畿内からも織田の軍を送って北条潰してしまえぐらい
何でも計画通りにはいかんし100年近く戦ったもの同士がすんなり丸く収まってくれると考えるようなお花畑脳は持ってないやろ、信長 >>120
興味深い。
そこを深掘りすると独立スレの二つや三つは消費するぐらいの議論になるだろう。
織田信長の治天下構想がどんなものだったのか。
中央集権−−中央権力即ち織田氏が全国を一元統治するのか、
地方分権−−既存の地域覇権を分国として織田氏が統括する連邦的国家か。
北條氏政などは後者と読んでいち早く内属を表明したわけだが、
既存権威を拠り所とする三職推任を蹴った辺りからすると
全く新しい「帝国」的中央集権体制を目指していたようにも思われる。 お花畑でなきゃ実質のない奥州探題に
今更従えなんて命令せんでしょ ちゃんと史料読んでたら信長でも一応名目立てて朝廷動かしたり書状で筋を立ててそれで通らないとなった時に初めて首のすげ替えとかやってるんだけどな
まあそんなことも知らんお花畑が実質があるなしとか言うてると思うと面白いなw それと奥州探題を改めて命じるかは関係ないだろ
逆に将軍追放後の信長が幕府役職を根拠に
政権運営してると言える例はあるだろか
各国の一職支配を認められてる家臣も
元守護職からその立場になった一色良定も
織田政権下では信長から所領安堵は受けてるけど
守護職に任じられた訳ではないでしょ 誰が正式に任官て書いた?
史料読んでない人はこれだから面倒なんや 正式に任じなくても同じことだろ
実質的な支配を伴う部分は安堵するにしろ
実質を伴わない奥州探題の任を任せるとかないべ >>119
本能寺の変の当時、伊達輝宗は失地回復戦争とそれに伴う合従連衡の最中か。
奥羽屈指の一大勢力ではあるが奥羽全体の一元管理を任すには弱いな。
仮に織田が奥羽統治を行うことになったら、名目や形式はどうあれやっぱり直臣派遣で「パクス・オダ」を目指すだろう。