何故秀吉は、秀次の側室とかも皆殺しにしたの?
側室はそりゃ殺すだろ
罪は九族(九親等)まで及ぶとか言い出したとかなら、何でも斬りゃいいってもんじゃねえぞも解るが
側室は権妻として二親等扱い、斬って当然
なんでも斬る必要無いと言えばいいってもんじゃねえぞ馬鹿 本人が切腹してるんだから側室は殺す必要皆無やし
秀次が謀反の軍を挙げていたなら話は別だけど… むしろ大規模な連座こそが
事件の本質なんじゃないかね
現政権の秀吉側近と時代を担う秀次側近の
対立が背景にあるとすると秀次本人だけじゃなく
その側近、血縁に対する政争でもある訳で 秀次の側室は39人もしくは41人いたと言われる。
家康でさえ生涯で19人。
あからさまに反秀吉派の大名を糾合して人質取ってたということ。
若政所のように助けられた側室や子女も多い。
おそらく親の謀叛への関与の軽重によるもの。
秀次の粛清は慶長の役の直前に行われた。
朝鮮に大軍が渡れば畿内はがら空き、尾張、伊勢から秀次が大軍を発すれば秀吉に抵抗する手段はない。
秀次が朝鮮への渡海を渋ったこと、黒田家の記録に官兵衛が秀次に朝鮮に渡海しなければあなたは全てを失うことになると忠告したが聞き入れなかったとある。
間違いなく謀叛の計画はあったのでしょう、伊達や最上に秀次が担がれただけかも知れませんが。
電撃的に謀反を鎮圧した秀吉はさすがですね、朝鮮出兵直前で伊達、最上に遠征する余力はなかったので人質をころして恫喝するに留めたのでしょう。 すみません、41ではなく42または43の説もあるとのこと、中には母と娘を側室にした例もあるとか。
まあ誰がどう考えても側室というより人質ですよね。
秀吉晩年の敵は家康ではなく秀次派ですね。 マジレスすると、
秀次の妻とかじゃなく単なる侍女すら殺したかった秀吉が無理矢理「側室」扱いにした結果だったりする。
秀次は関白なので侍女ですらかなりの家格が無いとなれないってだけ。
で、それらを皆殺しにしたから豊臣の人望は地に落ちた。 >>173
殺したくないなら半年間監禁したうえで妊娠してなかった奴は解放
生まれた男子は処刑したうえで母親は解放 女子は尼寺送りかな
秀頼ですら女子は命は助けられてるからね 側室に人質的側面があることは否定しないが
殊更に秀次の側室にその側面を強調する
特殊性はないだろうし
反秀吉の〜というのはなお一層謎
具体的に何を持ってそうだと言えるのかね
そもそも関白として政権を担う以上
諸大名と誼を結ぶのは必然 秀次は28歳だし頭も弱い、重臣が謀反を主導して秀次が乗っかった形でしょ。
熊谷直之なんかが主犯じゃないのかな、事が露呈して止める暇もなく腹切ってるし。
後年、榊原家の家臣が直臣になりたくて御家の取り潰しに加担してるし、直臣と陪臣ではチャンスの機会も違うから家臣にとっては死活問題だったんでしょう。
これが家臣の連座が多かった理由だと思う。 >>181
兄の末路を見てもまだ関白になりたかったのならアホというか図太いというか
創作では西軍の提示した関白就任で寝返るか迷ったことになってるが実際はそれが東軍に付く決定打だったりするのかもな
少なくとも稲葉や平岡は秀次の近臣の末路を知っているわけだし 秀次は三好一路の長男で秀吉の姉ともの子供
秀秋は木下家定の5男で秀吉の妻おねの兄の子供
兄弟じゃないよ
馬丁上がりの三好系より一応は武士の木下系の方が多少はマシかな
秀吉が自分の身内にはロクなのいないと言ってるようにたいしたのはいない
豊臣親族大名を存続させなかった事が衰退の原因という人もいるがまともな後継者いないのだから仕方ない 秀吉って本能寺の変の数ヶ月後部下に本能寺の変の資料を書かせてるよな
本能寺の変は秀吉が起こして直後に光秀殺して光秀のせいにした資料書かせた可能性あるよな
毛利は落とす寸前だったらしいし援軍呼ぶ必要なかったのに秀吉は苦戦してると嘘ついて信長を西に引っ張り出して来たわけだし
最近の研究では光秀は本能寺まで直接出陣してなかったのがはっきりしてるらしい 光秀が本能寺攻めにいなかったってのは最近発見された『乙夜之書』っていう史料の話だな。
光秀が変の時に鳥羽にいたとか
あれは斎藤利宗(利三の息子)から聞いた話を書いたものだから
その記述が本当なら本能寺の変は光秀の単独犯ってことだろ
秀吉が協力していたなら利宗が言わない訳がない 丹波新聞より
光秀恨む女の霊 神社に残る戦国悲話/兵庫・
丹波市
12/2(日) 11:02配信
岡女の霊がまつられている厳島神社=兵庫県丹波市柏原町柏原で
本殿や拝殿が国指定文化財になっている兵庫県丹波市柏原町柏原の柏原八幡宮。その八幡宮の鳥居をくぐって、すぐ右側に厳島神社がたっている。この厳島神社には、2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公で、戦国武将の明智光秀によって兄たちが殺されたことを恨んだまま息を引き取り、死後、幽霊となって里人たちを恐れさせた女性の霊がまつられている。
織田信長の命を受け、丹波の国を攻めた光秀だが、「丹波の赤鬼」との異名をとった武将、赤井悪右衛門直正らの抵抗に遭い、敗走を余儀なくされるなど、さんざん手を焼いた。
そんなある日の夕暮れ。丹波に構えた戦陣にいた光秀に向かって、流れ矢がうなりを立てて飛んできた。身をかわして難を逃れた光秀は、背後の木の幹に突き刺さった弓矢を引き抜き、険しい目つきで矢尻を凝視した。
そこには「土屋(はんや)」の印が入っていた。その印を見て、光秀の怒りが増した。
土屋三坂と名乗る矢匠をはじめ、その一族が捕らえられ、光秀の前に引き出された。三坂は、柏原八幡宮の近くに居を構えていた。
光秀は、三坂に言い放った。「わしは、土屋の矢が憎いのじゃ。わしを苦しめているこの矢がな。わからぬか」
すでに死を覚悟した三坂は、光秀の剣幕にひるむことはなく、堂々と言い返した。「とんとわからぬ。わしは丹波の矢匠ぞ。頼まれて矢を商うに何の遠慮があろうぞ。赤井方であろうと、明智方であろうと、戦あっての矢匠ぞ」
ふてぶてしい三坂の態度に光秀の怒りは頂点に達し、鬼と化した。「こやつらを、ことごとく火あぶりにいたせ」
まもなく火あぶりの刑が執行され、火焔が夜空を照らした。処刑された者は、三坂をはじめ一族ら9人。見苦しい最期をさらした者は誰一人としていなかったと言われている。
ただ、一族の中に火あぶりから逃れた者がいた。岡女という三坂の妹である。三坂らを捕えるために光秀の家臣たちが押しかけたとき、いち早く裏庭に逃げ出したのだ。
兄の最期を知った岡女は、兄の後を追い、自害しようと思ったが、自分のすべきことは兄たちの霊を慰めることだと思い直し、髪を下ろして仏門に入った。兄をしのび、供養の日々が続いた。
しかし、心に深手を負ったためか、ちょっとした風邪が命取りとなり、光秀を恨んだまま息を引き取った。
柏原の里人たちの間で幽霊の話が交わされるようになったのは、それから間もなくだった。兄の三坂らが火あぶりにされた沼池のほとりに美しい女の幽霊が出るという噂だ。
「昨日は、うめき声がもれていた」
「一昨日は、しくしく泣いていた」
のちに、心ある人たちによって沼池のほとりに小さな祠が建てられた。そのおかげか、幽霊の噂は途絶えた。
霊をまつっていた祠はやがて柏原八幡宮に移され、今は厳島神社となって戦国の悲劇を伝えているが、地元でもこの話を知る人はそう多くない。
(参考文献・榊賢夫氏著『丹波柏原・続篇』) 秀吉は小田原征伐の時に、鎌倉の鶴岡八幡宮で頼朝像に語りかけたという
逸話があるけど、真偽は別として、親族粛清してしまって政権を簒奪され、
家系を絶やされる過ちは共通しているな。 政権そのものは自身の死後も粛清主導した
嫁の家族中心にしっかり続いた鎌倉幕府と
死後あっさり政権潰れた上全国の元家臣達から
攻め潰された豊臣政権て違いはあるがそうね アニメとか好きです。× アニメとかゲーム(とか)が好きです。〇
「とか」は難しい言葉で言うと並列助詞。
〇とか▽(とか)
のように例を二つあげなきゃだめだよ♪
一つしか例をあげないのに「とか」をつかったら、とかとか星人だよ♪ 秀次殺害は秀頼なんかのためじゃなくて家康へのアシストだよ
家康ラブ過ぎだからあのスペシャル待遇だし 丹波新聞より
光秀恨む女の霊 神社に残る戦国悲話/兵庫・
丹波市
12/2(日) 11:02配信
岡女の霊がまつられている厳島神社=兵庫県丹波市柏原町柏原で
本殿や拝殿が国指定文化財になっている兵庫県丹波市柏原町柏原の柏原八幡宮。その八幡宮の鳥居をくぐって、すぐ右側に厳島神社がたっている。この厳島神社には、2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公で、戦国武将の明智光秀によって兄たちが殺されたことを恨んだまま息を引き取り、死後、幽霊となって里人たちを恐れさせた女性の霊がまつられている。
織田信長の命を受け、丹波の国を攻めた光秀だが、「丹波の赤鬼」との異名をとった武将、赤井悪右衛門直正らの抵抗に遭い、敗走を余儀なくされるなど、さんざん手を焼いた。
そんなある日の夕暮れ。丹波に構えた戦陣にいた光秀に向かって、流れ矢がうなりを立てて飛んできた。身をかわして難を逃れた光秀は、背後の木の幹に突き刺さった弓矢を引き抜き、険しい目つきで矢尻を凝視した。
そこには「土屋(はんや)」の印が入っていた。その印を見て、光秀の怒りが増した。
土屋三坂と名乗る矢匠をはじめ、その一族が捕らえられ、光秀の前に引き出された。三坂は、柏原八幡宮の近くに居を構えていた。
光秀は、三坂に言い放った。「わしは、土屋の矢が憎いのじゃ。わしを苦しめているこの矢がな。わからぬか」
すでに死を覚悟した三坂は、光秀の剣幕にひるむことはなく、堂々と言い返した。「とんとわからぬ。わしは丹波の矢匠ぞ。頼まれて矢を商うに何の遠慮があろうぞ。赤井方であろうと、明智方であろうと、戦あっての矢匠ぞ」
ふてぶてしい三坂の態度に光秀の怒りは頂点に達し、鬼と化した。「こやつらを、ことごとく火あぶりにいたせ」
まもなく火あぶりの刑が執行され、火焔が夜空を照らした。処刑された者は、三坂をはじめ一族ら9人。見苦しい最期をさらした者は誰一人としていなかったと言われている。
ただ、一族の中に火あぶりから逃れた者がいた。岡女という三坂の妹である。三坂らを捕えるために光秀の家臣たちが押しかけたとき、いち早く裏庭に逃げ出したのだ。
兄の最期を知った岡女は、兄の後を追い、自害しようと思ったが、自分のすべきことは兄たちの霊を慰めることだと思い直し、髪を下ろして仏門に入った。兄をしのび、供養の日々が続いた。
しかし、心に深手を負ったためか、ちょっとした風邪が命取りとなり、光秀を恨んだまま息を引き取った。
柏原の里人たちの間で幽霊の話が交わされるようになったのは、それから間もなくだった。兄の三坂らが火あぶりにされた沼池のほとりに美しい女の幽霊が出るという噂だ。
「昨日は、うめき声がもれていた」
「一昨日は、しくしく泣いていた」
のちに、心ある人たちによって沼池のほとりに小さな祠が建てられた。そのおかげか、幽霊の噂は途絶えた。
霊をまつっていた祠はやがて柏原八幡宮に移され、今は厳島神社となって戦国の悲劇を伝えているが、地元でもこの話を知る人はそう多くない。
(参考文献・榊賢夫氏著『丹波柏原・続篇』) 石田三成の長男をを許したり、秀頼の娘を助けた徳川家康は
秀次一族を根絶やしにした秀吉に比べるとかなり甘ちょろい男だな。 豊臣秀次でようつべを検索したら「秀次抗議の自殺、逆上した秀吉が秀次一族皆殺し」説ばかりで、お前ら大河ドラマに影響受けすぎと思ったwwwww 影響受けてるというより視聴数取れそうな所に群がってるというか…
マスゴミのゴシップネタと同じだな 秀次事件で一番よろしく無いのは、これで豊臣家臣が真っ二つなのが…
前田・細川・浅野「秀次事件は三成の陰謀」
こうだからなぁ >>82
豊臣が態度軟化したら討てなくなるので
その待ち戦法は本当に殺したかったなら取れない
待ってる間に育った秀頼が当時の武家として
ごく当たり前の常識を身につけてしまうと
殺すことができなくなるわけだから 自分が信雄を操って信孝を殺して織田政権を簒奪した経験があるから
豊臣一門が誰かに利用されて秀頼に仇なす可能性を排除したのかな?
おそらく鶴松も秀頼も秀吉の実子ではないと思うけど
鶴松が死んで憂さ晴らしのために朝鮮出兵したぐらいだから
秀頼が生まれたときは本当にうれしかったんだろうね。
自分の血筋を貴種であると死後も尊重されると思ってたのかね?
いわゆる五大老のことを律儀律儀と言ってたから、みんな盛り立てて
くれると思ってたんだろうか?領地も武力も放棄して、位だけ高い
世間から超然とした天皇みたいになる方向しか思いつかないな。 秀吉は自ら関白となり、また、後陽成天皇の面前で諸侯に忠誠を誓わせ、その儀式のために聚楽第まで作っている
その張本人の秀吉が、現職の関白秀次に死を命じている。しかも晒し首にしている
これは秀吉自身が依拠した律令制の権威を自らぶちこわすものである 秀吉は豊臣家が公家の最高位だから潰されることは無いと思ったのよ
甘い見立て 秀吉は信長からもらった養子も自分が殺しちゃったのかな?やっぱり? 秀吉は源氏の滅亡の話を知らなかったのか
秀頼=源頼家
家康=北条時政 秀吉の境遇だったらどう考えても応仁の乱の方が刺さる 要は自分の息子可愛さでやったことだから最初から秀頼を後継にするのを諦めていれば 秀吉が秀頼に跡を継がせるのを断念したって
(秀吉死後の)秀頼の身の安全は保障されないけどね
そうやって秀頼の身を案じていろいろ考える内に
なぜ自分が秀次にそこまでへりくだらなければならないのかってなったらアウト 結局秀頼が生まれたことが全ての元凶だったって話になる 秀次の切腹は、秀吉の命令じゃなくて諌死だったんじゃないかな。
ボケ老人は若者に説教されて図星だとブチ切れるもんよ。
んで本人死んでるから怒りのぶつけ場所がなく八つ当たりで妻子皆殺しと。 どうみても権力者に跡取りの実子が生まれたのに血縁てことでその座に置かれた跡取りの座にしがみついた秀次の自業自得だわ
わきまえて補佐の座に回るか中継ぎって自覚すりゃいいのに、アホの逸話が示すように肝心な所でも無理に頑張りすぎた 秀吉が馬鹿で秀次がアホなお陰で日本史オールタイム無能最有力候補の秀頼じゃなくて家康が天下人になれた
ありがとう江戸時代はいい時代だと思うよ >>209
猜疑心の固まりになってたろうし
どの道無理な気もするけどね
年齢が同程度ならともかく REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 >>210
250年も鎖国したせいで日本が近代化の波から取り残されたじゃねーかよ 秀次を殺して結果的に豊臣まで息の根止めた訳だが、結果論的にはそれで良かった 鎖国をしなくても日本は遅れてたと思うよ
産業革命など社会構造の改革が出来るわけがない
いいところで数十年早く黒船を買うぐらいだろ 豊臣政権がグダグダ続いてたら今頃は北海道はロシア領で、小笠原諸島はアメリカ領、沖縄は欧州のどこかの国か中国の領土だったかもな >>215
まぁな
「十字架で(原住民の)魂の征服」と言われていたようにキリスト教(カトリック教徒)が旧教国の侵略の尖兵になってたのは事実だし
家康もスペイン・ポルトガルお断り、イギリス・オランダ歓迎というスタンスだったし
イギリスはアンボイナ事件以降は東アジア貿易から撤退するし、どの政権でもそんなに変わらないはず >>217
「一番弱'い国とだけ付き合っていれば乗っ取られる事もない」
と江戸幕府は考えてオランダを選んだワケだからな。
ウィリアムスアダムズが家康の元に来た時は家康はまだ
イギリスの強大さを知らなかったからイギリスとも
国交を結んだが、家康死後に幕府がイギリスの強大さを
知ったのもイギリスとの国交断絶の大きな要因だった。 秀吉が家康より秀次を危険視するのは当たり前
だって甥とはいえ自分と同じ血が流れてるんだぜ
若い頃の自分なら何をするかと考えたら自分の血縁に秀頼を託せる訳がない
同様に自分が織田にしてきた事を全肯定してついてきた恩顧達も信用できない
だから身内より徳川前田毛利上杉みたいな外様の方がまだマシと頼る羽目になってしまった >甥とはいえ自分と同じ血が流れてるんだぜ
自分のライバルになりうる同母弟より、
僕は庶子ですとか、僕は傍系です家督なんてとんでもないと
分をわきまえる異母弟や従弟をかわいがるようなもんか そりゃ秀次の血縁者が秀頼を裏切ると思ったからだよな 俺が秀次だったら秀吉が死んだ瞬間に秀頼を始末するわな
誰だってそうする