関ヶ原後、毛利輝元が大坂城で徹底抗戦していたら
大坂城で徹底抗戦の時、小早川隆景が生きていたら面白かったろうね
まだ五大老だったろうし従う大名も多そう
何より輝とは能力段違い 普通に輝元が大坂で戦っているうちに毛利の本領が攻略されて終わるんじゃない 大坂の陣の時の浪人連中と違い西軍は自宅から大坂に出張しているだけだから
自宅を放って置いていつまでも会社にいるわけにはいかないからな >>6
秀吉からもっと加増するって話が何回かあったのにかっこつけて断らなければ・・・ だから西軍の決起当初は当主留守中の東軍の領地を占領する事に成功できたわけだけど
関ヶ原で負けた後の西軍が大坂で踏ん張っているとなると
東軍を攻撃できそうな西軍の大名が上杉と本国の島津と盛親が帰った長宗我部
それに上田城に篭っていた真田ぐらいしかいないから無理じゃねって話になる 豊臣家は軍資金提供、お墨付き発行などの積極関与は
していないようだ。
北条政子よろしく豊家をないがしろにする家康を
誅罰せよとでも演説して大阪城の金蔵を開いて資金提供、
朝廷にも働きかけ、関東に下った大名にも御内書を
下すなどすれば歴史は変わっていたかな。 淀が呼んだわけでもないのに大坂城を占拠してる連中に味方する理由がないからなあ
家康の地位って大体生前の秀吉が誂えたものだし豊家をないがしろにしてるのは誰だっていう話よ 毛利のために必死に籠城戦している武将に向かって
「秀吉と講和したから死ね」と平気で言い切るのが毛利だからな
自分が籠城して使い捨ての立場になるなんて毛利からすればありえない話だろ
そもそも少し前に「家康と講和したから死ね」を関ヶ原でやったばかりなのに >>21
備前で水攻めされてた清水家の事を言ってるのか?
清水家なら、その後、長州藩で優遇され家老にもなって、維新後には男爵になってるよ。
たぶんあの時裏切ってたら今は残ってなかったな。 伏見城籠城の鳥居家もそうだけど、子孫が優遇されるので、死ぬまで忠義を尽くすんじゃないか?
鳥居家なんて伏見城籠城がなかったら取り潰ぶしだったよ。 それなら輝元が清水や鳥居の立場になって豊臣に死ぬまで忠義を尽くすか?
ありえないだろうな
毛利軍だけ大坂城から出て他の西軍武将に籠城して徹底抗戦してもらい
成功したらそいつの子孫を厚遇してやるのはありえるかもしれない
そんな条件を飲んでくれる西軍武将なんていないけど >>24
だから、毛利は豊臣から離れたんじゃないか
毛利は豊臣に忠義を尽くす義理はないしね。 >>22
清水宗治って、もともとは三村家の家臣なんだけどな。
で、この人主君である三村は事実上見捨ててるんだけどな。(その結果、城主になってる)
なぜか『忠臣の鑑』みたいな扱いなんだけど、それでいいのかなあと思ってしまう。 新年あけましておめでとうござる。殿…今年あたりはいかがでござりましょうや? 輝元にもっと早く世継ぎが生まれててもだいぶ違うわな
小早川が豊臣に乗っ取られなくて済んだんだから 九州征伐で吉川元春・元長親子が秀吉に暗殺されたのも痛かった
吉川には無能しか残らなくなってしまった >>26
この時代の主従関係って複雑だよね?
黒田如水の黒田家も、赤松庶流で10万石程度の大名の小寺の家老なんだけども?
同時に織田と結んだんで、織田の勢力下に小寺と黒田の二大名が有る様にも見える。
多分さ、三村が毛利と結んだ時は織田徳川の同盟みたいに保々対等だったんだと思う。
所がその後、安芸備後周防長門って毛利が勢力拡大したんで備中の三村は毛利の家臣みたいな感じに
成ったんだと思う。
そんで、三村傘下の石川氏も立場が微妙に成って、石川一族の清水もって事でしょう。
松平家忠日記とかだと、意外と家康の扱いがぞんざいで一族の旗頭って扱いなんよね、そして織田信長の
扱いから考えると、織田傘下の徳川傘下に自分は居るって感じに思える。 >>26
三村自体が割れてるからな
親成が毛利についたし >>29
豊臣は小早川家を毛利に返したぞ。
家康が元に戻してしまっただけで。 >関ヶ原後、毛利輝元が大坂城で徹底抗戦していたら
毛利が大坂城を抑えているといっても西の丸に入っただけで本丸は手付かずだしなぁ
淀殿の意に背いて籠城なんてことになったらそれこそ大逆臣じゃないか
淀殿がテルを呼び寄せて暗殺するなり、淀殿に命令された七手組が東軍に呼応して毛利勢を攻めてあっけなく終わるのでは 英選・立花宗茂回でちょっと出てきたけど
西軍が大坂城に籠城したら家康は京都に向かって朝廷を動かし
将軍あたりになったんじゃないかという磯田さん 輝元を退去させ、大坂城西の丸で西軍加担の諸大名の処分を済ませて、しかも何年か経過してから将軍になっているわけだから、
未だ輝元が居座り、諸大名への処分も済まない状態では、たとえ軍事的に朝廷を恫喝しても、将軍宣下は、むつかしかろう、 毛利三兄弟の子孫が対談
http://news.rcc.jp/?i=2749#a
3兄弟の子孫たちが三原市に集まって対談しました。
毛利元敦さん、吉川重幹さん、小早川隆治さんの3人が顔をそろえました 二代目はなぜか凡人が多い。
上杉、武田、北条、毛利、徳川とか、息子みてみ?
斎藤道三もだな。 一代目は個性派、行動的、煮ても焼いても食えない、策士だの
そうそうたる面々だが二世になるとボンクラではないが、おぼっちゃん、上品、常識的、型にはまっている
そんな感じ。今の会社もそうだろ。創業者は極めて個性的だが二代目はボンボンで普通だったり、学歴こそ高くても
優れた支店長レベルの器。創業者がしっかり市場を平定してライバルに息の根を止めてたらまだしも
そうでなければつぶされていくことも少なくない。 輝元と息子の軍合わせて2万。増田とか戦意の低い連中の軍が一万。
豊臣家が5000?立花や細川落とした軍が3万。
少なく見積もっても5万はくだらないから大変な篭城戦にはなりそうなんだが。
補給は海運で確保だろ。落とせないよね。
城攻めに必要な戦力は篭城方の3倍は必要というから最低15万。
15万もはりついたら地方大名はやりたい放題、伊達、上杉、黒田とかな。
泣きを入れるのは東軍なのかな。 >>49
この手の希望的観測に縋って挙兵したのが西軍なんだろうねえ
自身の見通しの甘さに気付いた時には既に詰んでいたいたと 後出しだけどw 俺もそう思ってた、数じゃない
籠城なんて一丸になってないと脆いよね
二代目はなぜか凡人が多いってのも
活躍した人を初代として数えたら、そりゃあ多いだろうにw まじめに考えると関ヶ原後でしょ、
そもそも落とせない、ていうか攻めないよね。
なので15万は張り付かない。
籠城してたら京は抑えられないので家康はやりたい放題
大勢は歴史と変わらずかな 俺の見通しも甘い? 日本は特に非合理だからね。理屈と実際が全然違う。正義だのはいいとこ看板だけで実際は自己本位の利権で人や組織は動く。こうやったら数的優位が築けるとウンチクしても意味はないなは承知。だから本当に賢いやつは政治はやらない。賢さは活かせないからね。東大卒が政治家になるようなもん。三成もそんなタイプだろ。 >>49
その毛利秀元と吉川広家の軍2万人は、不戦(その後の大坂城開城の下交渉も含む)であったがゆえに、無事に大坂城に帰れている。
だから毛利秀元個人の主張はともかく、再び戦うわけにはいかないのよ。
それに立花の軍勢って、3万人どころか1.5万人しかいない上に、そのうちの1万人強は毛利元康や小早川秀包といった毛利勢。
関が原前と違ってもはや周りは全部降伏している状況で毛利が大坂城に籠る意味も勝ち目も一切ない。 水を差すつもりはないが毛利秀元隊は大阪に退く際には東軍に攻められて
戦いながら大阪に撤退している。
裏取引で内応のあった吉川とは全然違う。
大阪に退いた立花は輝元に篭城してなお戦うか進言したが
色よい回答が帰ってこなかったという。
輝元がヘタレ言われるのは伊達じゃない。
逆にこんな連中を西軍として形成させたまでの三成の力量の高さ。
秀元は非戦で決まってたわけじゃなくあくまで戦う予定だったが
吉川に邪魔されたのは本当。 >>55
吉川が邪魔で動けなかったは後世の創作が多分に混ざってるよ。
そもそも関ヶ原の戦い自体、大垣勢が密かに関ヶ原まで出張って、南宮山勢が気がついた頃には壊滅していたという代物。
安国寺や長宗我部は山の麓で普通に動ける位置にいたし、
秀元本陣の位置は登ってみればわかるけど簡単に万の軍勢が降りれるような場所じゃない。
むしろ陣地化した山から無計画に降りて無防備なところを襲われたら一溜まりもない。 それを言ったら300mの松尾山だって大谷陣営に強襲かけれたんだし。昔の人間は足腰強いから。南宮山は400m..現代人でも40分あれば降りれるよ。そう、前がつかえてなけりゃ。
創作も最低限の説得力がなきゃ創作にすらならない。創作を論破するのはそゎなたやすくないよ。 吉川広家に邪魔されたが創作だと言うのは暴論だが、実際のコースタイムを見ると広家が邪魔せずともどうにもならなさそう。
吉川広家陣跡~南宮大社 10分
南宮大社~安国寺恵瓊陣跡 15分
安国寺恵瓊陣跡~毛利秀元陣跡 60分
デイバックレベルのハイカーの標準コースタイムで下山だけで85分。
そこから南宮山抑えの浅野幸長陣跡までが30分、更に家康本陣の桃配山までが40分。
最近の研究では関ヶ原での戦闘は9時頃から始まり、本格的な衝突は10時頃、
11時には小早川が戦場に到達し、12時には既に西軍が壊滅している。
開戦直後から軍勢がハイカー単独行と同じ速度で下山進軍し、浅野や池田を一瞬で蹴散らして、
2万の兵で倍の4万の家康本陣に突っ込んでやっと西軍に助かる目が出る。無理ゲー。 輝元は、武闘派ではなく経済ヤクザみたいなもんだから、徹底抗戦してもダメだったろうな 大阪に最低限の兵で包囲したまま別軍で毛利の本拠地攻められてお終いだろ
なんなら九州、四国の勢力に頼むだけでも終わる。家康に忠誠しめすために死にものぐるいで戦う
もぬけの殻の毛利本国なんか簡単に落とされる
てか毛利の城でもないのに長期間籠城なんか無理だろ毛利以外の将は徳川に味方するので内部分裂して瓦解する
それがわかってたから輝元は籠城する気なんかはなからなかった
淀たちが徳川に内通して終わるだろ
本拠地落とされたり遠く離れた本国で政変あったり帰る場所無くなった勢力なんて兵士が逃亡しまくり士気もどん底で悲惨な結末なのは歴史でもゴロゴロある
曹操、劉備、袁術、呂布本拠地取られとみるみる兵士逃亡
本能寺の滝川一益やフレグの西征なんかも遠く離れた本国で政変あると兵は集まらないさっきまで味方してくれてた地元の国衆、勢力が裏切る心配あるので動員できず手前の兵だけで押し寄せてくる敵の大軍と相対しいずれも大敗。
籠城なんか無理
自分の城じゃない、淀たちはこの時点では徳川になんの恨みもなく速攻で徳川につこうとする