三好長慶ほど過小評価されてる人物はいない
当時の最大勢力
実質天下人だったのに
なんでこんなに評価低いの? 三好期の幕政が細川期の幕府と比べても影響力の低下は否めないだろう
長慶にしてもあくまで細川勢力圏の内乱の勝利者というか
阿波から出て天下を取ったみたいな評価の仕方は違うと思う 細川氏にいいように使われて細川に始末されるを繰り返してきた悲惨な田舎武士の一族が三好家
その血筋から既に悲惨なのだ >>7
日本の侍の大半がそのパターンだろ
主君に利用されるだけされて、強大になったら潰される 織田や今川にいいように使われても最後に天下取る家康はさすがだわ
三好はけっこう評価されてる方だと思うけどな。
それこそ細川なんてひどいもんよ。 本人存命中に三好家崩壊が始まってたしこんなもんでしょう 三好が評判悪いのはだいたいは松永久秀のせいだわ
この男が現代にいたらと思うとこわい >>12
弟が次々と死に過ぎたよな。
せめて実休が長生きしてくれたら、と思う。 長宗我部元親も島津義久も織田信長も
弟が次々と死に過ぎてるけどな
晩年が悲惨といえば悲惨か? 信長包囲網の時に、実休か一存がいたら、三好は結構まともに戦えたことはないかな? >>15
間違いなく戦えたと思う、特に実休が生きてたらと思わずにはいられない
やっぱナンバー2は大事なんだよ
秀長や信繁もそうだけどさ
でもなぜか優秀な弟は早死にするっていうね 秀長は51歳、早死にといえば早死だけど、あれ以上長く生きてたら秀吉に殺されてた可能性が高いと思う >>1
実質天下人って言っても畿内と四国の半分を抑えていただけだろ
幕府を通じて天下に号令しようにも当時はその幕府自体に力がないし
結局は三英傑みたいに全国区の存在になれなかったんだろ 畿内と四国半分握っただけでなく
応仁の乱から続いた幕府の分裂闘争を終結させ
長慶晩年は畿内をほぼ安定支配していたのがポイント高し
信長は支配範囲は広くても死ぬまで畿内を治めきれずに横死した 長慶が出てくるまでの畿内は享禄、天文の錯乱とか天文法華の乱とか武家だけでなく宗教まで絡んでカオスの極みだったからな 当時(1600年頃)の日本の全人口の四分の一が畿内だから相当なもんだろ >>20
分裂闘争終わった。
どこがや。細川晴之使って六角と畠山に実休を殺されてるんだが?
信長が幕府を滅ぼしてしがらみを消し、昭元を娘婿にしてるぶんまだ上だわ。 ウィキ読んだら弟の十河一存が急死したら没落したって書いてるよ
十河一存がすごかっただけじゃねーか? >>24
というか、一存の死去が没落の始まりだったからなあ。 三好家の武勇を体現した人物だからな
かなりの痛手だったと思うよ 武の一存
文の実休
三好の両輪がいなくなったら
そりゃ転ぶよ 四男坊の冬長も戦死してんだよな
ここまで徹底されると逆にすごい >>23
教興寺の戦いで畠山・六角連合軍を撃破してから
長慶が死ぬまでが三好政権の最盛期とされていて
この時の畿内での政策の多くが織田政権にも踏襲され
一部は徳川体制にも引き継がれている位に優れて安定的な支配を実現出来ていた
うつ病や松永久秀の専横などは俗説として否定されてる >>29
呪われた三好一族か。
そもそも長慶除いたら天寿全うしてるほうが少ないんじゃ無いか? 元長も之長も長秀もみんな戦死か自害だし。 >>30
だから政策が織田や徳川に踏襲されようが
その教興寺の戦いや将軍家や細川との戦いがあったから内乱が完全に終息してないんだろ
そりゃ細川が政権握ってたときよりかはマシな状態にしたんだろうけど >>32
永禄元年に足利義輝を屈服させて京都に迎え
永禄5年の教興寺の戦いで六角畠山連合を撃破した長慶は
細川晴元も完全に屈服させて普門寺城に迎えてる >>33
しかしその後に主要人物が死にすぎた。
三好義興、安宅冬康、長慶、傀儡に必要な細川晴元と氏綱。
ここまで来ると、何者かの毒殺、暗殺を疑いたくなる。 主犯じゃないとしても絶対久秀なんらかの形で関わってると思うよ >>36
少なくとも義輝殺害には一枚噛んでるよな。
嫡子の久通が襲撃に加わっていて、父親の自分は知りませんでした、とか考えにくい。 三好一家連続殺人事件があったとするなら真っ先に疑われるの前科もんの義輝だろ >>1
信玄や謙信の方が評価されてるよな
知名度なんて特に圧倒的な差がある 川中島で泥沼の地方戦争して疲弊した武田信玄と上杉謙信がどうしたって? 今谷明の本で、当時の近畿のカオスぶりを読むと目眩してくる(笑)。川中島みたいに分かりやすくないから、ドラマとかにしにくい。戦国架空戦記で、三好による全国統一物もないしな。 >>41
その両雄が畿内で天下一と言われてたけどね 阿波、摂津、和泉、大和に及ぶ支配確立のための三好氏の資金は何処から出ていたかが重要だ。
足利―細川(管領)―三好(管領代)―松永(三好氏執事) 応仁の乱の新書ブームがあったから
三好長慶も新書で出せばそこそこブームになるんじゃないかな?
三好時代に庶民に大流行した念仏踊りやからくり灯篭や連歌等にもスポットを当てれば
畿内情勢がカオスだったのはむしろ信長時代だったことが良く分かるはず 名応の政変〜三好政権〜信長入京までを詳しく書かれてる書籍があれば欲しいなあ >>49
天野忠幸の「三好一族と織田信長」が永禄の変から信長入京、さらには一般には信長に追散らされた後はほとんど空気のような扱いの三好残党が義昭信長体制の対立軸だった点がよく書かれてるからお勧め ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
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止められないらしい 晩年が不幸が重なったのもあるが、やはり乱れたのが低評価に繋がっていると思うが。 信長と対立する前の足利義昭の行動原理が三好許すまじですべて説明できる
まあ親父を京都から追放し兄貴を殺され自分も命からがら逃げて来たことを考えれば当然か 義昭は信長と対立する前にその義輝を討った三好義継に妹を嫁にやり、信長と対立後すぐ義継の元に身を寄せていたけどね >>56
義輝襲ったときの義継は総大将だったとはいえ16才
三好=三人衆憎しだったのでは 足利義冬親子がまだ阿波にいたのと
本圀寺の変の恨みが強いんでは? 義昭「御父信長殿の言うことは何でも聞きます」
信長「じゃあ妹を三好義継に嫁がせな」
義昭「ぐぬぬ」 三好長慶を大河にってヤフーニュースでみたわ
最近のよくわからん人物より面白いかもね
後半は悲壮感漂いそうだが... 仮に三好兄弟全員が長生きしていたら、あんな悲劇は避けられたのかな? この兄弟の息子たちが義興以外はみんな馬鹿ばっかりなんだが。 長生きしたら兄弟同士で実際に戦を起こすようになったりしてな
長兄の長慶が警戒したように冬康が曲者の本性露骨に出したりとか 実休の戦死はむしろ宗家の求心力アップに繋がったようにみえる
やはり義興の夭折というのが三好政権にとっての最大のダメージだったんじゃないかな
それでも長慶の余命があと1年でも伸びたらなんとかなったように思う 三好領内での内戦が影響したんじゃない?四国から兵力を供給していた篠原を死に追いやったのは痛い >>65
足利とか細川とかメンドクサイ存在の主家筋を領内に囲ってたのも悪いほうにしか働いてないな。
結果、足利さんは勝手に出て行って大内に保護されてるし、細川さんは反三好の旗印として三好家打倒に動いてる、
根拠地の阿波でさえこの状態なのだから、摂津・や山城なんかもっとグダグダだったに違いない。 阿波細川家の後援があったとはいえ
細川の一被官に過ぎない若年の長慶が細川大名領国だった摂津の国人を切り崩して
細川・足利・六角連合軍を撃破したってのは
桶狭間の戦いや厳島の戦いに匹敵する大逆転劇だし
歴史の重要なターニングポイントだったんだけど
長慶の政略・戦略が鮮やか過ぎてかえって地味になっちゃってるんかなあ
ドラマにしたらむっちゃ面白いだろうに 応仁の乱から信長上洛や義昭追放までの畿内の権力闘争を題材にした作品が待たれる
1467から約100年で信長上洛
約150年で大坂の陣
後半の50年を題材にした作品は多い >>68
それメチャクチャ見たい
三好之長・元長・長慶の
三好三代とか大河でやってくれんかな
....無理だろうな
小説の覇道の槍はすごい面白かった
ただ三好関連の話しはどうしても暗くなる様な気がする
一般受けはしないんだろうな >>69
天野さんのような研究者もいるしね
>>38のような歴史を翻案した作品の方が受けがいいかもしれない
三好家の一族 花の乱が視聴率的に失敗したからNHKも躊躇うだろうけど最初から視聴率は無視してやってほしいわ
こういう時代もあったんだって伝えていかないと戦国末期と幕末と太平記しか出来なくなる
最後は暗いけど滅びの美学って日本人好きだから描き方次第よ >>38
被疑者リスト
•松永久秀
長慶には従順だが他の被害者とは仲が悪かった
•足利義輝
長慶に対して二度の暗殺未遂を起こしてる
•安宅冬康
逆心ありとして自害させられた
•持隆一派
主人を殺した三好家に強い恨みを持っており、過去末弟の冬長を殺害している
•その他反三好勢力の関係者
戦では敵わないとみて強行に及んだ可能性 東国の戦国大名のような一円支配とはまた違った志向・性質の支配体制だから単純に石高では表せられないんじゃない?
勢力下の都市の京・堺・尼崎・西宮・平野などだけでも他の大名家を圧倒する経済力を持ってたし
摂津の一部しか支配していなかった池田氏でも大量の鉄砲を保有した一万の軍勢を動員出来たぐらいだから 過小評価されているといえばむしろ「絶対」を認めない男・平太じゃね? 過大評価なんだよなぁ
足利も細川もいないと何もできない >>76
その評価は不当
足利・細川・畠山・六角などが実力以上に家柄によって力を振るっていた時代
三好元長・長慶親子がのたうち回りながら陪臣格から下剋上を成し遂げることによってそれらのビッグネームの権威を貶めることに成功した
信長の下剋上はその第一世代の下剋上の成果のうえにあることを忘れちゃいけない >>1
みんなよく知らないで過小評価はされてなくない? 十河一存の子孫がベンチャー企業立ち上げて成功してるんだな 来年生誕500年、「最初の天下人」の顕彰碑
戦国時代に織田信長らに先駆けて近畿一円を支配し、<最初の天下人>とも呼ばれた武将・三好長慶
(1522〜64年)が来年生誕500年を迎えるのを前に、長慶が本拠とした大阪府高槻市で、
市民グループが顕彰碑を建立した。地域住民や全国の歴史ファンらから寄せられた協賛金(約300万円)を
活用。メンバーは「大きな功績を広く知ってほしい」と願う。市民らでつくる「三好芥川城の会」
(大和實会長、約150人)の顕彰碑建立委員会が制作。長慶の居城だった芥川山城跡の麓にある
摂津峡公園の桜広場に設置し、市に寄贈した。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210604-OYT1T50311/ >>19
当時は畿内抑えたら天下一だろ
アホですか? 評価とかじゃなくて
知名度が足りない
話の主人公にしないと 知名度がないから作品も作られない
まずは地元が宣伝を頑張らんと 支配領域の石高が百万石ちょいで信玄辺りと変わらないからな
それもいつひっくり返るかわからない状況
この程度の国力だと史実通り濃尾北伊勢が勢力下の信長に粉砕されていたろう 石高で見れば織田どころか北条や上杉や毛利よりもかなり下なんだから逆に過大評価と言っていい くそド田舎の石高と畿内の石高とでは質がちがいますぞ 2万あったかどうかもわからん織田の上洛軍に蹴散らされ信長が岐阜に帰還したすきに攻めても撃退されたクソ雑魚の三好 >>91
瞬間的な領土は兵力増えないからね
北条なんかも神流川で5万動員して上野制圧して信濃に雪崩込んだら増えるどころ4万に減った
島津なんかも増えてない
徳川も駿河手に入れて信濃に侵攻した時も8000程度で増えてない
あと領土広がったらそれだけ敵と接するから守備も割かなきゃいけないと
兵力分散強いられる
三好なんか敵と接しまくってるから兵力集中力は低い >>91
東京は米取れないから兵力少ないと言ってるようなもんだぞそれ 当時の首都圏はド田舎と同じ国力なんすねぇ
バーカw 阿波細川家の家臣として本州に上陸してから大きい戦をたったの数戦しただけであの面倒な畿内を制し天皇に補筆する存在にまで上り詰めた立ち回りは天才的だよな