天正10年の武田攻めを語るスレ 6
2万の軍勢を率いて新府城を出陣した武田勝頼が1ヶ月後には
わずか40人とともに山中を彷徨うことになった、日本史上でも
稀に見る裏切り劇について語ろう。
天正10年の武田攻めを語るスレ
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天正10年の武田攻めを語るスレ 5
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1379319626/ 長篠の戦いの前日に信長が直々にやってきてついに決戦だ。って手紙を
書いてるくらいだし勝頼だって数日前には情報をキャッチしてる 前日だとキャッチしたというか信長の馬印が設楽原にあるの見ただけで諜報網とは無関係な話になるし
とはいえ主要街道は全て織田徳川の支配下で防諜網が完全に近いこの両者に対して情報探知するのは不可能だろう。下手すると信長と三好が和睦したと聞いた時には信長が設楽原についてた可能性まである 長篠の戦いの戦いの前に岡崎城で大岡某が武田に通じていたこともあるし
この時代に完全に近い防諜など存在しない。 大岡なら普通に処刑されてるし割と完全な防諜なのでは これまでのレスだと間者が全く入れないほどの防諜が完全な防諜なのでは?
大岡の例なら武田の間者が間に居るのは当然の事で領内に侵入を許してる時点で
完全な防諜とは言えんかと そもそも論として信長が長篠に来ると間者が察知しても最短路を通るとなると長篠に向かう織田軍の前を走って徳川領を通過して更に長篠を封鎖してる徳川軍をなんとかして長篠に入らないといけない。これだと余程信長家康がお気楽な性格じゃないと成功しない
これを回避しようとしたら主要街道を外れた山路を通って行かざるを得ず物理的に間に合わない。そういう事情に加えて織田徳川の防諜網は完璧に近いので情報を掴めるかも不明
まぁそもそも織田徳川を敵に回したのが間違いだった >>303
間者の役目は敵国に入ることじゃないぞ。そこから情報を本国に送る事が使命。これを果たせないなら居ないのと変わらないよねって話
間者は虫に似てどこからか入ってくるが仕事をさせなければ問題無い。信長も家康も怪しい奴は問答無用で処刑してたので武田の間者は情報を送ろうに送れなかった
大岡の件に至っては露見したタイミングが余りに出来過ぎてる。武田軍が岡崎目指してる途中で大岡が確保されて武田軍は作戦の前提を失って挙句強襲され長篠へ向かった。下手すると泳がされていたのかもしれない 潜入の任務って出るよりも入るほうが難易度は高いだろ 脱出は極端な話し、関所さえ突破できれば追手は来ないので素人でも出来る。
だが潜入や侵入は関所で怪しまれたら、潜伏先まで尾行され容易に捕まるし
関所の監視役の目を欺けても、潜伏先で怪しまれたら密告され捕縛される。
どちらが困難かは子供でも解ること まず無理
入国すること自体は商人を装えば誰でも出来る
ただ情報を探る事自体困難なのと脱出路を見つけてないと報告もままならない
そもそも敵の国なので「どこが脱出路に使われるか」も敵が把握してる可能性が高くそこを見つかったら問答無用で捕縛もしくは殺害される
だから関所破りは非常識。まずは報告する術を構築しないといけない。そこを防諜で潰されたら何を聞いても意味が無い。居ないのと変わらない そんなわけない。関所がガバガバで誰でも入国できたら
摘発や捕縛の労力が幾らあっても足りない。
間者の活動を防ぐのに最も有効なのは入国管理に
最大限の労力を割き間者の侵入を最低限に抑えること
その次に摘発や捕縛。出国は最後 海外に行った時は入国の方が厳しかったけどな。手荷物検査は当然やって
入国検査員からは質問攻めされるし、指紋は取られ平日だったのに長蛇の列だった
その帰りに出国はどれだけ面倒かと考えてたら手荷物検査もなく質問攻めもないし
ベルトコンベアにバッグ類を置きレントゲンで問題なかったら飛行機まで一直線だった 入国検査は出国検査より割くリソースが大きいので入国の方が困難。 信長は主要街道使って動けるが武田の間諜は街道を使えないので山を徒歩で突破しないとならない 敵国で情報を収集する役と、その情報を本国に持ち帰る役は
明確に分けられてると考えるのが自然だろ。 無理無理。入国も出国も厳しいだろうが軍団行軍中は庶民は身動きするなが基本。それでも動こうとした奴は怪しいってことでよくて処刑悪けりゃ拷問される
だから敵国軍内部に裏切者がいないとまず軍団の動きは読めない > 彼らはよく、社会に貢献したいと口にする。
> なんでも社会悪のネトウヨを自殺に追い込むことが、社会に貢献することなんだそうで。
> イジメや嫌がらせで社会に貢献できる教師や警官になるために、あえて帰化したんであって、祖国同胞を裏切ったわけではなく、心は●●人なんだそうだ。
>
> 昔は帰化すると裏切り者と呼ばれたりしたが、祖国に国籍を残したまま帰化する方法が確立された現在では、社会に貢献するためにむしろ帰化することが推奨されている。
> 拳銃所持で前科のある生粋の反日家ですら、今では普通に帰化している。
>
> ●●学会などはネトウヨ認定した日本人を盗撮して、痴漢の写真だと言ってばらまいている。
> それらの写真は、集団ストーカーに使用される。
> 彼らは集団ストーカーを、[地域で子供を守る安心安全パトロール]と称している。 ないない。戦となれば庶民も人夫として徴発されるのが戦場時代
と言うか大規模な戦は人、物資、金が大きく動いてはじめて実現される 長篠のとき分からなかったのかと言えば分かるわけがない。信長は三好・本願寺と戦争していたけどまず三好が降伏した事実から掴んでないといけないし掴めたとして本願寺攻めの可能性もある
軍勢を三河に向けた時にはもう報告しようとしても間に合いません。つまり完全な奇襲になる
武田に出来るのは物見が遠巻きに見る事くらいだろうけどこれでは正確な情報は手に入らない 今川氏真も絶望的な状況だったけど勝頼には負けるな
巨大化した織田+徳川+関東最大勢力の北条
そして味方は佐竹と内乱でボロボロの上杉 後方にいる信長が
前線の信忠や若手武将たちが
血気盛んで前掛かりに武田に攻勢かけ、
失敗しないか心配してるのが可愛い
結果大勝利で満足したり
信長もやはり人の子なんやな 後方にいる信長が
前線の信忠や若手武将たちが
血気盛んで前掛かりに武田に攻勢かけ、
失敗しないか心配してるのが可愛い
結果大勝利で満足したり
信長もやはり人の子なんやな 強敵だった武田があんだけハイスピードで消滅すれば喜ぶわな もし天正大地震が4年前倒しで起きていたら甲州征伐が中止になって家康のように命拾いしたのかな 信忠が信長の命令通りにじっくり攻めてたら勝頼は延命できたかもな
人生って運よね じっくり攻められても織田徳川北条の包囲網は変わらんからどっちみち死んでたんじゃね
むしろ本能寺の時期がズレて信長が生き延びる可能性の方がありそう
アレ、実行したのが信長親子がロクに護衛の軍団も率いず一緒に京にいたっていう偶然があったからだし しかも一日か二日ずれてたら、西国遠征のための軍勢が京に集結してたからな 2月に浅間山が噴火したから武田陣営の士気が非常に下がったと言われているが
浅間山は噴火してもしなくても武田は滅亡していたと思うんだが。 >>320
> そして味方は佐竹と内乱でボロボロの上杉
佐竹だって織田の勢いは理解しているわけで。
織田と敵対してまでは武田を助けてくれないでしょ。 そういや武田と本願寺の同盟は姻戚関係によるものではないらしいね
顕如の妻は三条公頼の娘じゃないとか 浅間山が噴火した時には松尾城寝返って伊那盆地に侵入されてるから
もうどうにもならないと思う 天正八・九年には穴山信君が徳川家康に通じてるから割と絶望的 伊那谷出身だけど、よくあんな辺境の山奥まで来たなと思う
木と猪と熊だらけで大軍が長居できるような場所じゃない 小山田信茂ではなく真田昌幸を頼りにすれば良かったのに。 小山田なんて馬鹿だよな。戦後、勝頼の首を信長に差し出して助命したら
自分も首切られてんのwしかし、朝倉が崩壊したとき、裏切った朝倉一族を
召抱えたりして何か違いがあるのかな。事前に裏切る下工作が極めて重要とか?
とはいえ、徳川には武田遺臣は沢山召抱えられてんだよね。
大久保長安しかり優秀な侍もまだわんさか残ってたんだろう。 甲府から落ち延びるときに重臣連中が相当バラバラに
分散して落ち延びてるからな。
普通は、主君と一緒に落ち延びないか?
重臣連中が一致団結してたらそれでも数千の軍団のまま落ち延びてたのに。
やはり、家中が混乱して勝頼の求心力が地に落ちていたのだろう。
小山田なんて大して士気も忠誠心も高くなり人間にのこのこついていった神経も疑うし。
よく真田と落ち延びたらというけど、そうじゃなくて上杉に亡命すりゃいいのに。
もちろん、あの流れじゃ上杉も攻められるから当時の選択としては悪手でも
本能寺の変があるから、あれに乗じて旧領の支配も取り戻せたに違いない。
やはり運がなかったんだな。 >>334
木曽谷なら分かるけど伊那谷て辺境イメージないなあ
南信濃のメインストリートだと思ってたが... >>335
小山田か真田かというより岩殿か岩櫃かって問題だったんだろう。岩櫃に逃げると信豊と逃走経路が被って織田軍が全員で追ってくるから そもそもまず勝頼の集団が岩櫃までいけたのかという疑問
織田軍が北から甲斐に入ろうとしているときに、小物や女性が大勢で北に逃げるって出来るの?
真田一行だって少数でそれでも落ち武者狩りにあってるし 一応ルートとしてはある
ただ岩殿城に向かうのと比較して距離は倍以上あるのに加え
2回山を超える必要があり、おまけにどこが敵かもわからない
所を突っ切る必要がある
まあ現実味のある選択肢ではないな 岩殿城は武田宗家から普請の為に人間が送られていて小山田氏の城より武田宗家の城だったと言えるんだとか。もしかしたら信茂は岩殿に来んなよ真田と仲良く岩櫃に行って(死ね)と思ってたのかも 上杉に助けてもらおうとした信豊も裏切られて殺されてるし、正直完全に落ち目なんだよね >>331
実子じゃないのでは?ってだけで転法輪三条家から
嫁いだのは複数の史料で確認できるよ 木曽義昌も人質の子供まで見捨てて裏切ったわりに没落。
穴山も小早川も無理な裏切りするやつらの末路は良くないね。
木曽は外様とはいえ重用されてたからね。 脇坂「やったぜ」
京極「酷い目にあったけど、御家存続したのでセーフ」 >>341
> 真田一行だって少数でそれでも落ち武者狩りにあってるし
それは知らなかった 上杉に逃げたって本能寺が起こらなければどこに逃げても滅ぼされるじゃん
最善の手なんて無い