天正壬午の乱
ほとんどスルーされてる地味な存在ですが語ってください 水野勝成さんの立ち位置ってどうなの?
徳川家康の家来で参戦なのか
織田家からの派遣なのか気になります 山崎とか賎ヶ岳とか中央での織田家継承戦争を東国サイドではどう読んだんだっけ
上方ソウ乱(字が出ない)とか上方ソウ洞(騒動ではない)とか言ってたと思うんだが 100人程度しか兵がない国人たちは本当にしぶといよな
戦のたびに所領安堵に飛びついて好き勝手するからな 北条って信玄の駿河攻めの時もだけど兵力の優位を生かせてない気がする。
背後に不安が云々はあるにしても。 本能寺の変をリアル体験した徳川が
主力を西に向けた時点で結構大きなミスしてるんだよな
史実では羽柴がすぐに明智滅ぼしたけど長引いてたら完全に北条が甲信押さえてただろうし
そうなると歴史がだいぶ変わる
氏直は信玄の孫だし 御家再興のために奔走した小笠原貞慶が負けクジを引かされた感じ >>98
本当に大兵力だったのか当時の情勢考えると疑わしいと思う、
関東側の敵対勢力相手に抑えの兵力無しとかにしないと難しいはず。 >>25
真田氏と上杉氏の両氏の研究者は第一次上田合戦前の真田上杉両氏の同盟を高く評価した方がよい。あれがあったから昌幸は徳川勢と渡り合えて勝利し株も上がった。また上杉景勝も包容力のある人物であると評価できるから重要視した方がよい。 >>88
真田三代なんかも取り上げてなかったな。確か。 勝頼が越後に逃げ込んで運よく本能寺的なのが起きて天正壬午の乱になってたら
上杉の後ろ盾でどこまで取り返せてたんだろうね
史実では深志城まで進出してたけど
北条が上野を押えたら真田としては北条に臣従せざるを得ないだろけど
勝頼に合力したかどうか
真田、蘆田辺りが勝頼に付いても碓氷峠で北条を押しとどめるのは困難だし
徳川は漁夫の利で甲斐と南信濃を押えてしまう
結局は海津城辺りで上杉の南を守って羽柴が徳川と対立した時に
徳川を牽制してれば最終的に史実みたいな徳川の関東鞍替えで
徳川への抑えに甲斐一国くらいくれねーかな?
勝頼なら徳川に降ることもあり得ないし だからさ、勝頼一族の尽く弑虐を見届けての凱旋将軍だったわけで 生き残った状態で本能寺だのその後の甲信動乱とか言っても意味が無いから 武田が滅びたからこその毛利や長宗我部であり
信長に隙ができてたわけだしね 織田信長が本能寺で死亡し、毛利、上杉は一転して厚遇されたが、徳川家康によって大減封された。近世統一政権にとっては、巨大な地方勢力は解体される歴史的宿命だったにちがいない >>98
北条は一貫して寡兵だよ
籠城からの突撃しか勝ちがない >>103
本能寺直前の状況からすればこれ以上ないくらいの勝ち組なんですけど あんだけ動いて上野しか得るものがなかった
上杉を意識しすぎ 北条としては信州北部と甲斐を手中にする作戦だったけど
甲斐攻めに成功しないと信州維持できないってわからんかったのかな?
全軍で甲斐に侵攻するのが正解だよね?
徳川を舐めきってたのかな? 勝頼があれだけ重税を科して作った新府城が、対織田の防衛には役に立たずに焼き払われ、徳川家康が簡単な改修工事を施して対北条戦に役立てている。 依田さんは天正壬午の乱だけでなく
二俣城、駿河田中城でも後詰め無しで善戦してるからな
信長の野望の能力決めてる人は
馬場、内藤、山県、春日の統率10ずつ減らしていいから依田の能力95ぐらいにしてやれ 北条方だった真田昌幸を徳川方に寝返りさせたのも依田だもんなあ 最近依田氏をテーマにした本が出版されたが、
著者が研究者じゃなくて元教師の一般人なんだよな
英語科卒だから歴史学の方法を学んだことはなさそうだし、地雷っぽい気がして手が出せない >>118
甲信地方は貧しく旨味は少ない。北条としては取れればラッキー。くらいにしか興味はなさそう
無駄に広い甲信と武蔵国一国の石高がほぼ同じを比較すれば分かるだろ 武田の領国は西国と関東を繋ぐ物流の要だから流通税は相当の金額になるんだろ。織田が東国に経済統制を課してる以上
戦に必要な鉄砲にしろ鉄にしろ関東勢は武田の領国を通り日本海へ出て西国から調達が必要 佐竹、宇都宮とガチバトル中に4万もの軍勢派遣しといて興味無いは無い
膠着状態になるとさらに1万派遣して未練たらたら
北条の誤算
圧倒的大軍で信濃国衆を味方につけるも
上杉と川中島で対陣し無駄な時間経過
その間に徳川は織田政権(秀吉、勝家たちちも含む)から甲信支配のお墨付きを貰い
援軍派遣の約束を取り付ける(実際は無かったが家康はこれをおおいに宣伝して国衆を味方につける)
北条についていた木曽、小笠原が徳川に鞍替えする
依田の籠もる三澤小屋放置したのもまずかった
このせいで相模上野信濃南下して甲斐への補給線が叩かれ真田まで調略され上野通過も側面背後つかれることになった
そして相模武蔵から上野信濃南下して甲斐への補給線はいくらなんでも長すぎた
佐竹宇都宮の動きが活発になり甲信どころじゃなく一刻も早く軍勢引き返したかったところ織田に仲介してもらい撤退
甲信にかまけてる間に佐竹宇都宮に下野の北条勢力が調略され今度は下野に6万とも言われる大軍を派遣
これも対陣で決着つかず
多方面に敵抱えすぎ
北条は長期間どこかに集中して遠征できない
従属してた里見も後継者争いが終わるといつ裏切るかもわからず油断のならない相手だった 最後まで実権を握ったって言われる氏政だけど
神流川合戦以降の進軍については氏直の意思が大きく働いていると
思えてならない。 >>114
2023年NHK大河『どうする家康』の
3/19(日)11話「信玄との密約」・3/26(日)12話「氏真」回で描かれた
武田・徳川密約による1568年駿河・遠江侵攻は○○○の乱と呼ばれているの? 天正壬午の乱では氏直直々に甲信遠征
上杉、徳川が1万以下なのに北条軍は4万+さらに1万の援軍
さらに諏訪、木曽の国衆たちも北条につき真田も従属してたのにあの負けっぷり
北条雑魚すぎ
で天正壬午の乱のあと真田が沼田よこさないので侵攻したら撃退されそのあとの佐竹宇都宮連合と対陣し3倍以上の兵力差あったのに膠着状態で終了
お前戦えよ >>131
つか
御館の乱でも小牧・長久手の戦いでも自分達は戦わないじゃん
ゴミだよゴミ 徳川家康は、酒井忠次に対して信濃平定成功の暁には2年の時限で信濃領有認めたって本当か なんか北条って相手より倍の兵力あっても戦わないんだよな
天正壬午の乱のときも氏直直々に4万率いてまず北信向かって上杉軍5000と対陣したのに睨み合いで終了
しかも木曽や諏訪など国衆も味方だった
旨みのある信濃北取るチャンスだったのに
政宗、謙信、信玄、信長、家康、秀吉、元就だったら攻めてた 北条の当時の石高から考えると軍記物の北条の兵力は疑わしい。 REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 北条がまず上野制圧してそのまま北信に行ったのはわかるけどなんで途中で甲斐に行ったんだろう?
当時の上杉は滅亡寸前だし弱ってる上杉の居る方に行って上杉撃破すればそのまま越後まで雪崩込めそうな気がするけど
なんか右往左往してるけど最初から徳川が来そうな方か上杉の居る方かどっちかに絞った方が良かったんじゃねえの 上野取って東信取って諏訪を取りに行ったら徳川とかち合って逃げる徳川軍を追って南下して甲斐に。って流れだろ。