【山内・扇谷】関東の上杉氏 2【犬懸・詫間・深谷】
坊主のくせに子がいるとか、とんだ生臭破戒坊主だな。 顕房(法名道光文明)扇谷持朝子、山内憲忠子
政実(号道光)扇谷顕房子
周清(僧号文明、道号文明)山内憲房父
年号が誤って入ったものと思ってたんだけど山内憲房は扇谷顕房かその子政実の子って線も有りそう
扇谷持朝子・顕房(〜1455年1月24日)「弾正少修理大夫号長源院康正元年正月廿四卒法名道光文明一書説顕房康正二正月廿四為成氏於由井自殺」(諸家系図纂「関東管領上椙〈山内扇谷〉両家及庶流伝」)
扇谷持朝子・顕房(〜1455年1月24日)「弾正少、修理大夫、号長源院、康正元年正月廿四卒、法名道光文明、一書説、顕房康正二正月廿四為成氏於由井自殺」(系図綜覧「〈関東管領〉上椙〈山内扇谷〉両家及庶流伝」)
扇谷持朝子・顕房(1436〜1456年1月24日)「弾正少弼康正二年正月廿四日於夜瀬自害二十一歳号長源院」(諸家系図纂「両上杉系図」)
(正宗寺本)山内憲忠子・顕房「譜注の記載無し」(諸家系図纂「両上杉系図」)
扇谷顕房子・政実(1452〜1473年11月24日)「号満松院一書道光修理大夫文明五被誅十一月廿四年廿二」(諸家系図纂「関東管領上椙〈山内扇谷〉両家及庶流伝」)
扇谷顕房子・政実(1452〜1473年11月24日)「号満松院、一書道光、修理大夫、文明五十一月廿四被誅、年廿二」(系図綜覧「〈関東管領〉上椙〈山内扇谷〉両家及庶流伝」)
扇谷顕房子・政実(1452〜1473年11月24日)「修理太夫法名満松院道光文明五年十一月廿四日被誅廿二歳」(諸家系図纂「両上杉系図」)
(一書説)山内憲実子・周清「初大徳寺僧号文明還俗周岱同人歟追可考」(諸家系図纂「関東管領上椙〈山内扇谷〉両家及庶流伝」)
(一書説)山内憲実子・周清「初大徳寺、僧号文明、還俗周岱、同人歟、追可考」(系図綜覧「〈関東管領〉上椙〈山内扇谷〉両家及庶流伝」)
山内憲実子・周清「禅僧号晟蔵主大徳寺僧道号文明後落堕」(諸家系図纂「両上杉系図」)
(一書説)周清子・山内憲房(1467〜1525年4月16日)「右馬頭永正七年顕定討死顕実幼稚之間為名代顕実早世後令継家任官領号龍洞院大成道憲大永五年四月十六日逝五十九歳」(諸家系図纂「関東管領上椙〈山内扇谷〉両家及庶流伝」)
(一書説)周清子・山内憲房(1467〜1525年4月16日)「右馬頭、永正七年顕定討死、顕実幼稚之間為名代、顕実早世後令継家任管領、号龍洞院大成道憲、大永五年四月十六日逝、五十九歳」(系図綜覧「〈関東管領〉上椙〈山内扇谷〉両家及庶流伝」)
(イ本)山内顕定子・憲房「五郎殿」(系図綜覧「〈関東管領〉上椙〈山内扇谷〉両家及庶流伝」)
周清子・山内憲房「五郎右馬頭永正十二年任管領大永五年四月十六日五十九歳死号龍洞院道憲大成」(諸家系図纂「両上杉系図」)
小山田定頼子・朝重「三郎」(諸家系図纂「関東管領上椙〈山内扇谷〉両家及庶流伝」)
小山田定頼子・朝重「三郎」(系図綜覧「〈関東管領〉上椙〈山内扇谷〉両家及庶流伝」)
小山田定頼子・朝重「三郎実顕房二男」(諸家系図纂「両上杉系図」)
扇谷顕房子・朝重「小山田養子」(諸家系図纂「両上杉系図」) 憲政と謙信って親子(養子)ってほど年は離れてないよな
23年と30年早生まれ
まあ謙信の実の親父はもっと年だけどな
ちなみに憲政は信玄よりも年下 >>764
謙信は実父・長尾為景が40代半ばのときに出来た子供だからね。だから謙信実母の青岩院(虎御前)が為景側室だという説は辻褄があう。 >>13
室町幕府の存在意義。
多くのNHK大河ドラマや時代劇映画や日本史ファンを後生に増やしたこと。 >>718
だとすると上杉房安と為景は一つしか年が違わないから、為景正室は幼妻で政略結婚した可能性があるね
晴景の生年もずっと下がる
朴峯が上杉房安なら、天文長尾系図を信用すれば、朴峯の後妻で上杉頼房の母は上杉定実の娘となる
為景が定実に替えて守護に擁立しようとしたのは房安だったのかも 第一次国府台合戦の時、山内も扇谷も何をやってたんだ?
両上杉の動かなかった理由がさっぱり解らない。 北条も古河公方側として動いていたから両上杉も隙を突いて北条領を攻撃する訳にはいかなかったんじゃね >>773
扇谷はもともと小弓方だった筈だが、合戦当時は鞍替えしてたのかな。 扇谷は朝興が病没したばかりで朝定はまだ元服前だろうし何もできなかったんちゃう?
山内が北条と敵対するのはもっと後の話でしょ? >>775
早雲庵宗瑞が幕命とは云え伊豆(山内の管国)をぶん奪った時点で潜在敵性勢力。
実際に堀越茶々丸の逃亡・抵抗については山内の支援あり。
北條氏綱の江戸城奪取直前には打倒北條の為に山内扇谷和睦、以後は連携して北條に対抗。
古河晴氏の「小弓退治」発令は可諄顕定以来仲裁の努力を続けてきた山内の顔に泥を塗る行為。
その任務も関東管領を差し措いて「他国の逆徒」に任されたんだから山内にとっては極限の侮辱。
山内が激怒暴発する要素は売るほどあった筈なんだが…。
北條視点からすると背後の武蔵國も本拠小田原もガラ明きにして武総国境に総力を投入してるわけで、
背後を突かれる気遣いは無いと見切ってた節がある。
その根拠は何だったんだろうな、と。 >>776
憲政もまだ元服済ませたばっかりのガキだったからじゃね? >>777
山内顕定や扇谷定正も家督相続当時は餓鬼で、しかも享徳大乱の真っ最中だったが家宰の長尾や太田が補佐して立派に戦線を維持した。
国府台の頃まで下るとそういう人材も涸渇してたってことかな…。 >>778
自己訂正。
× 扇谷定正
〇 扇谷政真 まず扇谷はもうもうボロボロ、川越城失って松山城改築で忙しかったのかも
岩槻衆はわからない、蕨はそういう状況じゃなさそう、ってか曾谷氏って滅亡したんか?
山内は憲寛に味方したくなかったとか?w
あと北条ってなんですんなり松山城に入城できんたんかな? >>780
里見以下は渡河中の北條勢を叩くべし、と進言したが小弓義明が却下した。
余は王者なり、軽輩の如き妄動は余の択ぶ所に非ず、敵が渡河を終えた後に堂々の戦を以てこれを殲滅せむ、と。
…ま、軍記物の云ってることだから。 関東上杉氏にも深く関わる疑問点を鎌倉・古河公方スレに書いた。
こっちにも書きたいけれどマルチポストも何なんで、
御用とお急ぎでない諸賢はそっちの方を見て頂けると有り難い。 tvkキンシオで茅ヶ崎城行ってた
城跡でウグイスがケキョケキョ長く鳴いててなんかよかった お城へ行こう
せーの!キャッスル!キャッスル!
でも行ってたな >>766
いや、上杉正藤のほうが可能性あるかも。
上条上杉弾正少弼正藤 顕房、政真、定正、朝定。
扇谷上杉氏は時の当主が四人も戦場で落命。
いくら乱世とはいえこんな戦国大名は他にちょっと見当たらない。
扇谷の戦争遂行体制に根本的な問題があったんじゃないのかねえ…。 >>788
ごめん俺が悪かった。
箱根より西のことには疎くて…。 >>790
自爆ですらない事故だが、
一応戦場で落命してはいる。 少弐氏ってググってみたら歴代当主18人のうち天命を全うできたの5人しかいねーじゃん
マジやべーな 伊勢盛時の伊豆侵攻〜制圧戦争に当たって、
これに抗う堀越足利茶々丸と山内上杉が連携していたのがどうにも解せない。
山内と堀越足利政知との関係、
伊勢(今川)の行動が幕命によるものであったこと、
等々を勘案すると山内こそ茶々丸討滅の陣頭に立たなければ筋が通らないと思われるが。
またこの山内の路線が伊豆戦争に扇谷を引っ張り込んでしまった(敵の敵は味方=伊勢との同盟)ようにも見えるし、
逆に扇谷の動きが山内をして茶々丸支援に走らしめたという見方もあり得る。
「豆州の情勢は複雑怪奇!」
と、足利義澄がほざいたとかほざかなかったとか。 >>793
山内は幕府よりってだけだろ、皆政治的に動いてて堀越とも伊勢とも扇谷とも古河とも組んでるし
完全に幕府の介入を許せば既存の権力構造壊されかねないしなぁ別に解せないってほどでもないだろ
武田や古河周りも知ればあっちへこっちへ味方してる そもそもは扇谷が幕府から派遣されてきた政知と対立していたからな >>794
伊豆は山内の管国だし茶々丸は文句無しの謀反人だ。
幕府の全面介入を嫌うんならなおのこと伊勢(今川)の侵攻以前に自力で始末をつけようとする方が自然に思える。
また足利政知は扇谷のみならず山内とも軋轢を起こしていたわけで、
特に都鄙合体以後は全く何の利ももたらさない寄生蟲だろう。
むしろ山内にとっては厄介者の堀越御所そのものを合法的に廃絶する良い口実だったんじゃないか、と。 >>797
>幕府の全面介入を嫌うんならなおのこと伊勢(今川)の侵攻以前に自力で始末をつけようとする方が自然に思える。
なんでや?普通幕府との対面を保ちつつ独自路線も並行で行うでなんら違和感ないぞ
古河だろうが小弓だろうが結局のちの時代も完全に絶たないで利用してるじゃん
御所の影響力を他と同列にしすぎじゃないか?
だったら別に初めから東海関東と独自の役職で中央方を排除すればいいって話になるじゃん
そもそも渋川の密告程度で失脚までしてる扇谷武将もいるのに、戦国関東圏はなんでもありの戦国にはなってないぞ
二人御所いたら両方に気を遣うのが普通、でも大義の後ろ盾を後ろ盾か譲れない決断があれば討つ(首を取る)
でも基本は政治的に動いてる、なんか変か?思いのたけが書いてる手紙が見つかれば話は変わるけど、歴史はそんなもんで
逆にどういう意見を持ってるの書かないとよくわからん >>801
いたでしょうよ
遠山綱景次男が小幡源二郎が憲勝に寝返っていると REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 謹賀新年。
良スレage支援。
関東戦国史の醍醐味は享徳ノ乱から国府台合戦まで。
うわ、専ブラのデフォルトがsageだった。
改めてage。
上杉顕房(扇谷)と上杉房顕(山内)が同陣したら紛らわしくて困るよなと心配して調べたら、
顕房は1455年2月、分倍河原の戦に敗れて自決、
房顕は1455年3月、関東管領に任ぜられて京都から上野國に下向、
一箇月違いで在陣時期の重複は無かった。