足利将軍家御一家 吉良家
吉良の本家ってどこなん?四国にも吉良家ってあったんやが? 足利長氏系と足利義継系があるけど、この2人は兄弟で、後に
長氏系の人が義継系の家に養子にはいるから、足利長氏系一本になる、
その後は吉良−上杉。
四国の方は源頼朝の甥の系統で狭義で別の家。
広義では清和源氏の同族という言伝え。 >>239
なるほど、教えていただきありがとうございますm(__)m >>234
渋川家は確かに吉良家と同じくらい格の高い足利家一門だね
吉良、斯波、渋川が足利の鎌倉時代の御三家だね >>241
むしろ鎌倉末期の足利一門の御三家は宗家、吉良、斯波ではないか
北条貞時13回忌の法要の時一門を代表して太刀、黄金を納めたのが
宗家の貞氏、斯波高経、吉良貞義の3人だった 宗家を三家に加えるのは反則でしょ
それをいうなら徳川御三家は宗家、尾張家、紀州家になる >>245
北条を頂点した格付からすれば、足利宗家、斯波、(大きな壁)だろうな ――いくら、まことが2chで一番ひどい荒らしでも、ハッキングはやるまい。
と、当時の筆者は、そう考えている。
たしかに、まことは、1日中、2chに入り浸って、しかも、自分は仕事を
している、と、言い張る男である。
そのうえ、自分は、まことではない、と、言い張る男である。 1.将軍家
足利将軍家 従一位左大臣
2.満詮とか義嗣、義視など俗体で元服経験を持つ将軍の弟達。正真正銘将軍継承権を持つ
将軍家連枝 従二位大納言
3.家格が高いうえに相応の権力も持ちうる危険な連中。
関東公方家 従三位左兵衛督
斯波武衛家 従三位左兵衛督
4.家柄は高いがそれに見合った実力は無いのである意味安心。
西条吉良家 従四位下左兵衛佐
5.三職家。有能な野心家が権力を握ると手がつけられない状態になる。
畠山金吾家 従三位左衛門督
細川京兆家 従四位下右京大夫
---------------以下越えられない壁------------------
渋川(京都・九州)・石橋・今川・仁木・・・その他の足利一門
官位昇進や偏諱授与・書札礼とかの待遇を鑑みた足利一族の家格はこんなイメージ。 足利義秋が越前や尾張に避難していた際に
付き従っていた家臣の名前など分かる方いますか?
全員でなくてもいいのでわかる範囲で教えてください 三淵晴員・三淵藤英・細川藤孝親子とその家臣の松井康之、明智光秀や
越前南陽寺歌会の名簿に載ってる
大舘晴忠、上野信忠・清信、一色晴家、一色藤長、一色秋教、一色秋成、
伊勢貞隆・宮千代、武田信賢、武田信実、三淵秋家、杉原長盛、飯河信賢、安藤泰識ら >>254
詳しい説明ありがとうございます
大変参考になりました >>249
吉良は関東でも京でも偉かったが、斯波は京だけだぞ >>257
それを言っちゃ斯波(高水寺・大崎・最上)も奥羽では最高ランクに位置しているわけで。 室町将軍の鎌倉のお留守番役から与えられた御一家待遇と、奥州管領の実権をはぎ取られて権威だけの存在にさせられた奥羽両探題にどれほどの価値があるというのか。
そもそも室町幕府の意識する「天下」は鄙(関東・奥羽・九州)を除いた地域だから。 吉川って三河を貰ったんだっけ?
斯波は、尾張を貰えなかったことを考えると吉川の方が優遇されてたんじゃないかな。 三河という東海一の田舎を貰った事が果たして優遇と言えるかどうか >>263
鎌倉後期から室町初期に関しては、それなりの都会
まして、足利、吉良、今川にとっての拠点
対して尾張足利が、尾張から陸奥なんて島流しと同じだろ ところで、吉良って三河だってまともには持ってなかったんじゃね? >>266
一円どころか、守護にもなれてないみたい >>268
浜松も忘れんといて
今川氏に取られちゃったけど だから、守護は家来がやる役職だろ
吉良の仕事は皇居の警備をやりながら、上座で将軍の横に座る事 つまり守護を首になったわけ
零落れるとは、こういう事だな ○○三郡守護とか、○○半国守護など、細切れ守護も数多おります >>271
それは奥州吉良氏だろ、奥州吉良氏は鎌倉公方ご一家待遇になった
幕府内のランクで経済力軍事力が大事なら、所領も兵隊もいないのに偉かった伊勢氏は何なんだつー話だ >>274
三河の吉良氏も守護やってるぞ
ちゃんと調べろ ◇元弘の変(1331〜1333年)室町幕府の支配層、三河武士◇
【三河県岡崎市】
・足利氏(宗家、鎌倉公方):大門屋敷、近辺(八剣神社内)に足利尊氏の墓あり
・斯波氏(足利一族):管領家、奥州管領家、奥州探題、羽州探題、守護職(安房、若狭、越前、越中、尾張)、屋敷(跡地に永源寺)
・仁木氏(矢田一族):幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、三河、遠江、武蔵、摂津、丹波、丹後、備後)、仁木城
・細川氏(矢田一族):管領家、守護職(伊賀、伊勢、志摩、摂津、和泉、河内、若狭、越前、越中、備中、備後、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、日向)、細川御前田城、細川城山城、細川権水城
・上地氏(矢田一族、細川氏分家):上地城
・上地氏(矢田一族、仁木氏分家)
・高氏(足利被官):室町幕府執事、守護職(伊賀、伊勢、志摩、尾張、三河、武蔵、上総、和泉、河内、下野、丹波、石見)、屋敷(跡地に総持寺)
・上杉氏(足利被官):関東管領家、守護職(伊豆、武蔵、上野、丹後)、日名屋敷
・倉持氏(足利被官):奉公衆、便寺屋敷
・粟生氏(足利被官):奉公衆、秦梨城、秦梨城山城、梅藪屋敷、西熊屋敷
【三河県幸田町】
・大草氏 (足利被官):奉公衆
・大場氏 (吉良被官):深溝城
【三河県豊田市】
・上野氏(足利一族):守護職(丹後、石見)、奉公衆
・中条氏(足利被官):守護職(尾張)、奉公衆、金谷城
【三河県西尾市】
・西条吉良氏(足利一族):将軍御一家、西条城
・奥州吉良氏(足利一族):奥州管領家、守護職(因幡、但馬)、関東公方御一家、東条城
・一色氏(足利一族):四職家、九州探題、守護職(筑前、肥前、肥後、日向)
・荒川氏(矢田一族):戸賀崎氏分家)守護職(丹後、石見)、戸ヶ崎城
・饗庭氏(足利被官):奉公衆、饗庭城、饗庭命鶴丸
・小笠原氏 (吉良被官):幡豆小笠原氏、三河守護代
・大河内氏 (吉良被官):引馬荘荘官
【三河県豊川市】
・関口氏(足利一族):奉公衆
・星野氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
・萩氏(足利被官):藤姓熱田大宮司一族、奉公衆
【三河県豊橋市】
・石橋氏(足利一族):将軍御一家、守護職(若狭、伯耆、備後)
【三河県新城市】
・設楽氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆
・富永氏(足利被官):三河伴氏、奉公衆 東条吉良 西軍→足利義澄、足利義晴派
西条吉良 東軍→足利義植、足利義維派
こんなんだっけか? 室町幕府研究も今川研究も近年進展してるから吉良研究もそのうち進展する気がする 三河吉良が将軍代行やってた説があるように武蔵吉良も古河公方代行やってた説があるらしいな 足利尊氏の世代を見ると義の字を使っているのは足利吉良だけ、斯波は氏
あと尊氏の尊を貰えたのも吉良、ここでも斯波は氏
この時点での序列は吉良>斯波だったのではないか >>283
吉良の場合、
斯波がよく言われるような
「一門第一の家格」とか「宗家と対等の家」という言葉は聞かないんだが 御一家制定で明確に家格が吉良>斯波の構図になったとき
なぜ斯波は抗議しなかったんだろうか 斯波義淳の時なら
彼は変わった面はあるし義教と対立もしたけど
政策的には宥和的で一貫している
現状の幕政に関わることじゃなかったら反対はしなかったんじゃない?
義淳死後だと斯波家がそれどころじゃないな