手塚治虫、赤塚不二夫、藤子不二雄A、藤子F不二雄、石ノ森章太郎が一緒に住んでたトキワ荘って凄くね?
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手塚はそこらへんのメンバーが住んでた頃にはとっくに出てて
たまに遊びに来てた程度 出版社の意向でヒロくんが意図して漫画家集めたのがトキワ荘だからねぇ
漫画家集めときゃ原稿落ちそうな時に誰かがヘルプに入れるからってね
運命的とかそういうんじゃないのよ マガジンは創刊にあたってまだ新人だった藤子不二雄にオファーしたが
その数日前にサンデーと契約していた
数年後マガジンに投稿した作品が選に漏れた高橋留美子は
サンデーに原稿を持ち込んで連載が決まる 【追悼】「テラさんがいなかったら藤子不二雄は存在していません」 手塚治虫、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、寺田ヒロオ…“青春の殿堂”だったトキワ荘での日々
https://news.yahoo.co.jp/articles/ccf67588563d0aa80447a7a8d01ea75ac2dc2f1a >>9
半分以上無名な漫画家じゃねーかよww
奇跡的に有名漫画家達が集まったアパートじゃないの?ワラワラ >>19
水野先生は少女漫画家だから少年誌掲載のまんが道では出す出番無かったんじゃない?
てか水野先生はトキワ荘の漫画家の集まりの新漫画党にも事実入ってないし なお水野英子はまだ存命してるからトキワ荘出身の漫画家唯一の生き残りは彼女だけになったのか 当時のトキワ荘と無関係で
存命の漫画家って誰がいるの でも藤子不二雄は持ってた連載全部すっぽかしてしまった時各雑誌社からそっぽ向かれて漫画家廃棄の危機になった時にテラさんがある雑誌社にかけあって藤子不二雄に仕事持ってきてくれた恩があるから藤子不二雄二人とも生涯テラさんには頭が上がらなくなった 晩年関わらなくなっただけで陰キャではないだろテラさん 存命の大御所漫画家
わたなべまさこ(93)
細川智栄子(87)
牧美也子(87)
楳図かずお(85)
つのだじろう(85)
松本零士(84)
つげ義春(84)
望月あきら(84)
ちばてつや(83)
水野英子(82)
川崎のぼる(81)
みつはしちかこ(81)
永井豪(76) 川崎のぼるって生きてるんだな
巨人の星のイラストは書かないらしいけど テラさん最後の同窓会 これで思い残すことはないと以降は当時を知るものとの関係を断ってしまった
https://www.youtube.com/watch?v=WS_6sYGvLq0 つげ義春が手塚治虫に会うためトキワ荘を訪ねている
「寺田さんはまじめ一方という感じで学校の先生みたいでしたね。
印象ではずいぶん無口で内向的な人なんだなと思いました。
まわりの連中はちょっと子どもっぽいなという感じをもちました。
明るく騒ぐというか、おちゃらけるというか
ちょっと違和感がありました」 やなせたかし__ 1919〜2013
長谷川町子___ 1920〜1992
水木しげる___ 1922〜2015
手塚治虫____ 1928〜1989
藤子・F・不二雄 1933〜1996
藤子不二雄A__ 1934〜2022
横山光輝____ 1934〜2004
赤塚不二夫___ 1935〜2008
松本零士____ 1938〜
石ノ森章太郎__ 1938〜1998
ちばてつや___ 1939〜
中沢啓治____ 1939〜2012
水島新司____ 1939〜2022 その水野ちゃんて漫画家はセクハラとかされなかったの? つのだじろうとか楳図かずおとか
怪奇漫画ばかり描いてるから祟られそうなのに意外とに長生きしてるなw 松本零士のツイ垢って本人かよw
有名人の割にフォロワー数も少ないしRT数も少ないから
ファン垢かと思ってたわ。 地方の泡沫議員に公式マーク付けるぐらいなら
こういう人に付ければいいのに >>44
日野日出志もツイート見ると意外と明るい人っぽい ジョジョの作者が受賞パーティーで手塚治虫に宮城出身の漫画家いないから頑張れ的な事を言われて
石ノ森先生がいますって言った途端にどっか行ってしまったとか書いてたけど仲悪いの? 手塚治虫はすべての漫画家にライバル意識燃やしてた人だから >>56
その場面映像残ってるけど
荒木に石ノ森先生がいますって言われて
手塚「あーまあそれくらいだよね」って普通に答えてたけどな 石ノ森章太郎の出身地だっていう
中田町ってとこに行ったことがあるけどガチのマジで田舎だった
自分も田舎の人間だと思っていたけど井の中の蛙を実感した 都合が悪くなってフリしてるだけだから相手にするなよw >>56
石ノ森章太郎のwikiより
小学生の頃は単行本や雑誌を読むのが好きで、あるとき手塚治虫の『新宝島』に出会い衝撃を受け、以後手塚治虫の大ファンとなる。
1950年(昭和25年)、中学生になり手塚治虫にファンレターを出したところ返事が戻ってきたことでますます漫画に夢中になり、2年生のとき初めて4コマ漫画を「毎日中学生新聞」に投稿したところ入選、以後投稿マニアとなる。
高校在学中の1954年(昭和29年)手塚治虫の仲介で、石ノ森は『漫画少年』でデビューすることになる。
1964年、手塚治虫の仲人により結婚
1967年(昭和42年)より虫プロ商事発行の『COM』に石森が連載した『ジュン』は、姉への愛情とその喪失を主題に、明確なストーリーを描かずに絵とコマの流れだけで叙情的な世界を表現した実験的な作品であり、当時の漫画読者に熱狂的に迎えられた。
しかし、この時に手塚と石森の両方のファンであるという某読者が手塚に『ジュン』についての感想を求めた手紙に対し、手塚は「あれは漫画ではない」と『ジュン』への批判ととれる内容を返信した。その読者は、それを「手塚治虫はこのように評しています」と石森に送った。それを読んで衝撃を受けた石森は『ジュン』の打ち切りを宣言したが、直後に彼の住むアパートを手塚が一人で訪れ、「なぜあんなことを言ったのか分からない」と謝罪したというエピソードがある[39]。結局、『ジュン』はそれ以降も描き継がれ、『佐武と市捕物控』とともに1968年の小学館漫画賞受賞作品となった。
その後に手塚と石森の関係は修復し、手塚は何度か石森を自身の漫画に登場させている。手塚が亡くなる少し前には、対談も行なっている。 >>4
当時すでに超売れっ子だった手塚を取材しにきた記者に「まだこんなボロアパートに住んでるんですか?」と言われて憤慨して引っ越したんだっけ 晩年に近い手塚先生のドキュメントだけどサブの仕事場はなんでもないマンションの一室
https://youtu.be/yULt_h3E_Ag?t=45 >>72
今年BSプレミアムで再放送されてたNHK特集だね 何の変哲もないマンションの廊下を手塚治虫が歩いているという非日常感 ある記載によると手塚さんがトキワ荘を出た頃の年収は217万円 赤塚はシャイで大人しいFは寡黙で神経質Aは気さくで陽気な遊び人と漫画とキャラが合ってないのが普通 若い頃の赤塚はモテモテで女を取っ替え引っ替えだったとか聞いたが >>8
だとしても凄いよ
こんなメンツ狙ったって出来るもんじゃない 新宿の落合に住んでいた子供の頃にチャリに乗った赤塚先生を何度か見たわ
俺より母ちゃんの方が喜んでいたけどw >>44
最近はわからないけど
楳図先生すごいかくしゃくとしてるもんな 水木しげるのエピソードのせいで
長生きの漫画家は徹夜せずにちゃんと寝てると
思い込むようになってしまった >>69
つげセンセは先月
文化庁日本芸術院の会員に選出されて伝達式に出てたよ >>10
晩年の顔からは想像できない赤塚不二夫のハンサムっぷり >>77
こないだの世界ふしぎ発見で水野英子氏が赤塚さんの若い頃は大変な美男子だったと言ってた
>>80
中井にずっと住んでたのは有名だったね トキワ荘出た後も西新宿の同じビルにフジオプロと藤子スタジオとつのだプロがあった
つのだが厳格なんでつのだのアシスタントはみんなフジオプロに遊びに来てたとか ビートルズにジョンレノンとポールマッカートニーの2人がいたより凄いな
4人だもの >>43
赤塚がオサワリして「無礼者め!」とめっちゃ怒られた
さすが赤塚氏 >>22
学研漫画でおなじみのよこたとくお氏もトキワ荘住人 つげ義春は赤塚不二夫と友達でトキワ荘に出入りしてたけどトキワ荘住民にはあまり良い印象持たなかったみたいだ 貸本ガロの人と少年誌の人じゃ住む世界が違いすぎるもの トキワ荘居住漫画家
手塚治虫(1953年初頭 - 1954年10月)
寺田ヒロオ(1953年12月31日 - 1957年6月20日)
藤子不二雄(藤本弘、安孫子素雄)(1954年10月30日 - 1961年10月)
鈴木伸一(1955年9月2日 - 1956年6月1日)
森安なおや(1956年2月 - 1956年末)
石森章太郎(1956年5月4日 - 1961年末)
赤塚不二夫(1956年5月4日- 1961年10月)
よこたとくお(1958年 - 1961年)
水野英子(1958年3月 - 1958年10月)
山内ジョージ(1960年9月 - 1962年3月) 本当に10年以内の話なんだね
ビートルズもそうだけどさ 赤塚不二夫さんとつげ義春さんの関係でよく語られるのが、
デビューのきっかけについてです。
赤塚さんが新潟から上京して
江戸川区小松川の化学メッキ工場で働きはじめたのが
1953(昭和28)年、18歳の時です。
「漫画少年」(学童社)に投稿はしていましたが、
デビューはできていませんでした。
化学工場の寮に赤塚さんを訪ねたのが、
つげ義春さんです。
赤塚さんの2歳上なので、20歳での頃です。
つげさんは葛飾区に住んでいて、
赤塚さんと同じく「漫画少年」に投稿していました。
投稿で入選の常連になると、
投稿者の名前と住所が掲載されます。
つげさんが赤塚さんの寮を訪ねたとき、
すでにつげさんは貸本でデビューしていました。
その貸本の出版社・若木書房を赤塚さんに紹介したのです。
若木書房を訪ねた赤塚さんは仕事をもらい、
1956(昭和31)年に「嵐をこえて」で
デビューしたのです。
この化学メッキ工場の寮時代の話が、
「バカボン線友録」に書かれています。
「江戸川区小松川橋下の荒川土手。
僕とつげは、泡を飛ばして、
漫画論を戦わせていた。
昭和三十年ころのことだ。」
ふたりはよくケンカもしました。
会話も書かれています。
『「僕はね、漫才とか落語とかを使った
面白い漫画が描きたいんだ」
「何を言うんだ。そんな漫画はくだらん。
シリアスなドラマ性こそ、
これからの漫画には求められる」
方向性が違うのだから、
話がかみ合わないのは、当たり前だ。
「もう、お前とは話すことはない」
いつも怒って帰るのはつげだった。
でも、翌晩になるとまた
”ケンカしに”やって来る。』
おおくはいない、漫画家仲間だったのです。
青春時代を共に過ごした二人ですが、
1956(昭和31)年に赤塚不二夫さんが
トキワ荘に引っ越してからは、
一度しか会わなかったようです。
『昭和三十一年に僕がトキワ荘に移って、
つげが訪ねて来たことがある。
裸電球一つの部屋で向き合った時、
「お前とは方向性が違う。
もう二度と会わないよ」。
と、言われた。
また翌日来るのかな、
と待っていたらそれっきり、だった。』 文化的ムーブメントの発信が局地的ってのはよくあることだよね
漫画の場合1日中仕事するのが当たり前だから居を同じくするのは合理的であって非常に端的な一例 >>84
以前は引きこもりみたいに人と会うのを避ける生活をしていたらしいけど随分変わったんだな トキワ荘の上流階級は稼いだ桁が違うから
卑屈になるのも仕方ない 手塚って既に売れっ子だったのになんで4畳半のアパートに居たんだ 4/11 月 21:00 〜 22:53
NHKBSプレミアムBS(2K) シネマ「トキワ荘の青春 デジタルリマスター版」 >>108
生前ぼくは
ってどういう意味
なんか怖いんだけど >>101
藤子不二雄はあんなところに7年もいたのか
トキワ荘の主だな >>110
漫画を描くにはいい環境だった
手塚はトキワ荘出てからも普段いるスタジオ以外に線路沿いのボロアパートみたいな部屋を借りてて
ネームとかはそこに一人で籠もって考えることが多かったとか >>110
今見りゃボロだけど当時は新築だし割と普通
時代が違う >>101
トキワ荘に最後まで居たのは石ノ森だと思ってたが山内て誰や
水野さんあっというまに出ていってるなやっぱセクハラに堪えかねたか 石ノ森章太郎が手伝ってたっていうオバQは
トキワ荘時代に描かれたものなんかな 石ノ森だけじゃない赤塚も手伝ってた アニメオバQおそ松佐武と市の捕物帳も藤子AF石ノ森赤塚で作ってた 手塚治虫のアトムに対抗してトキワ荘の連中がオバQのアニメを作った トキワ荘の家賃は今で言えば7、8万相当くらいで実はそんなに安くなかったとか 我孫子先生の昔話で当時8000円くらいとか聞いたような 手伝ったというかスタジオ・ゼロだろ
オバQも名義は藤子不二雄とスタジオ・ゼロ テラさんは割と早めに出てるんだな
藤子、石森、赤塚の4人が離れ難かったんだろう
すくスタジオゼロ始めちゃうし トキワ荘ミュージアムって公園の中にアパートがある感じで実物見るとなんか妙な感じなんだけどねw >>130
PCとかも押収されるんだろな
SNSやネットの書き込み履歴やアカウントそのものがつまびらかになるかもね
反ワク団体は反ワク以外にも、こんなアカウントでこんな活動してましたーみたいなのとか ジム・ロジャーズが言ってたことがどんどん当たってきて怖い ロシア民はいつになったらこの国やベェて気がつくんだろう ゆっくり配送したとしても配送する数が変わるわけではないのになんで物流にやさしいの? 早めにつぶしとかないと
めんどくさいって思ったんかな 時刻表よりYahoo!路線の方が使いやすいけど
ネットの方が実際使いやすいから紙が淘汰されたわけだし 昔の40人学級から減って楽なのに何言ってるんや
嫌ならやめろ >>133
一方アメリカもインフレしまくってんだよね
でも特にEU各国がやばいわ、ロシアよりも先に国民が音を上げるぞアレ これ、ボーナスステージだろ?
体力削られまくったハリボテのボスキャラ
美味しいドロップアイテム拾える大チャンス >>136
映画館で映画見たいのに購入方法が煩雑すぎて。。。 セブンイレブンの弁当久々に見たけどなかなかひどいな。
彩りとかもはやないんだな。
白ご飯にゴマやら梅干しもなく、
おかずはチキン南蛮だけがゴロッと転がってる
弁当見てびっくりした。 フェミ団体は何も言わないのかよ
JK が作ったんならなんも言わねーかw 1月受験して2月に合格発表があって3月に入学申し込みしてから発注が来て4月に納品しろってよく考えたらムチャなスケジュールだよな。 ロシア人同士だろ?むしろペンキなんて温いことやってんじゃねーよ もう後には退けんからな
改憲したい自民にとっては渡りに船かもしれんし テレワークだから鉄道不要とか言ってて
値上げにも文句言ってる奴多くて草 「女の子が来るって待っていた皆さんはフリーズして…」漫画家・水野英子が語る、男だらけのトキワ荘に初めて足を踏み入れた日
『少女漫画家「家」の履歴書』より#1
https://www.google.co.jp/amp/s/bunshun.jp/articles/amp/51841 >>149
JR東海が拒否したらお手上げなのに米原ルートを推す人は
どういう意図でそんな事言うのでしょう? ド田舎の赤字路線は全部廃止しろよ
どうせ鉄道があっても、田舎モンは乗らないんだし ロシアの邦人引き上げろよ。人質にされるぞ。国内ロシア人も追放しろ。スパイだ。 >>142
ウクライナはナチスよでも国民はナチスではないから助けないといけない >>113
たしか長谷邦夫が天国のトキワ荘をネタに描いたマンガだったはず
だから「生前」 >>38
手塚退去後に手塚を訪ねたってことかな?
手塚居住時だと「まわりの連中」って寺田ヒロオ以外にいないよな ちばてつやが語るジョー まっ白に燃え尽きたかったのは
https://www.google.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASP5S4TJTP5MUCVL01Q.html
――トキワ荘は昨年、マンガミュージアムとして復元され、注目を浴びています。ちばさんが外の目から見たトキワ荘というのはどんな空間だったんでしょうか。
けがをしたことがきっかけで、それからすぐに新井さんにトキワ荘へ連れて行ってもらったんです。今でも覚えているんですが、ギシギシいう木造の階段で、あがっていくとトイレのにおいがして(笑)。落とし便所だったものだから、アンモニアですごいにおいがして、子どもが「目が痛い」って、泣いていたのを覚えています。
2階に行って、廊下のずっと奥の方の左側に石森さんの部屋があった。狭い4畳半くらいの部屋に若い漫画家たちが集まっていました。そのときは、口の中にも目の近くにもガラスが刺さったので、ミイラみたいに包帯を巻かれて、口を開けられず、ただただ頭を下げるだけでした。菓子折りをひとつ持ってね。それが、初めてのトキワ荘でした。
私は長男だったんです。今はそんなこと関係ないけど、昔は親と一緒に暮らして側にいるのが長男の役目と言われて育ってきたから、家を出たことがなかった。トキワ荘みたいに、同じ夢を持った若い漫画家たちが同じ屋根の下で、隣に声をかけたら漫画をカリカリ描いている雰囲気というのは、うらやましくてしょうがなかったですよ。
私が長男じゃなかったら、トキワ荘に行って、みんなと一緒にマンガの話をしながら描きたいなって思ったぐらい。 トキワ荘界隈の話ってほんとに漫画の中の話のような出来事だよな マガジンだったかジャンプだったか忘れたけど手塚賞とか赤塚賞といった新人漫画家の登竜門的なものがあったのを覚えている ジャンプはギャグキングっていうギャグ漫画の賞もあって
漫☆画太郎 つの丸 うすた京介
あたりがそこの出身なんだけど
うすた京介だけはギャングキング取ったあとに赤塚賞も受賞してて
つの丸にお前は裏切り者だって嫌味言われてた 藤子不二雄は二人で住んでてオナニーはどうしていたのか 長谷邦夫や高井研一郎もトキワ荘通い組だろ
石森・赤塚んとこ通ってたみたいだが ちばてつや長男なのか弟さんか妹さんか分からんけど兄が有名な漫画家さんとか鼻が高いだろうなぁ >>159
普通の家庭だったら長男云々と関係なく
「実家が都内で編集部にも通えるのになんでわざわざ家賃を払って下宿するのかもったいないこのバカタレが」
って話になるわな https://ayamekareihikagami.hateblo.jp/entry/2016/08/03/161750
【『ぼくらマンガ家』『トキワ荘の青春』】
水野「アニメ(『ぼくらマンガ家』)はすごく純情というか、真っ当に描いてますね」
ヤマダ「トキワ荘は1952年10月にできて、1953年に手塚治虫さんが入られて。いちばん最後に石森さんが出られたのが1963年。(マンガ家たちの集まった)トキワ荘の時代というのは1953〜63年の10年間なんですね。藤子不二雄さんは1954年です」
水野「私は1958年。みなさんが入ってから2〜3年後です。寺田(寺田ヒロオ)さんは前年に結婚していらしたけど、毎日お顔を拝見しました。住んでいらっしゃるのかと思ったら、みんなが心配で毎日見に来てると」
ヤマダ「『トキワ荘の青春』では(寺田氏がトキワ荘を出るラストは)ひっそりと淋しそうに描かれてます。でもご結婚で出られたんですね。その後もしょっちゅう来ていたと」
水野「映画やアニメ、マンガにすると面白くするために誇張したり。これがほんとだと思わないでください。私が勇ましかったとか」
ヤマダ「かわいい子が来るかと思ったら、すごく勇ましい子だったと。『トキワ荘の青春』は淋しいつくりでしたけど、水野先生が出てくるとパッと明るくなる感じで。出るときに「またなっ」と投げキッスしてたのは?」
水野「嘘!(一同笑)」 >>41
つのだじろう作品に出てくる女にしか見えない ビートルズに例えると
藤子A ジョン
藤子F ポール
赤塚 ジョージ
石森 リンゴ F先生が先に亡くなったからⒶ先生がF先生のこと語ってる記事とかは結構あるけど、F先生がⒶ先生について話してるのがあるなら見てみたい 水野英子のトキワ荘物語によると赤塚不二夫のお母さんが住んでてお母さんがご飯作ってくれてて石森、水野も毎日一緒に赤塚の部屋で食べてたんだってね 94年あたりで1.5M専用線のがアホみたく高かった頃にアパート一棟借りして
リソースをシェアするデジタルトキワ荘構想はあちこちにあった 電波少年だか雷波少年だかにトキワ荘企画あったよな
漫画家たくさん住ませて漫画描かせるやつ >>191
つのだじろう漢字だと一瞬誰だかわからない ジョージ秋山がロンブー
川崎のぼるが戦場カメラマン >>193
この中じゃ一番若いし
バリバリ童貞だからな 永井豪ってゾンビラスの作者だろ
だからその写真に寺田ヒロオが加わらなかったのか 永井豪じゃねえよ
時代が全然違うわ
楳図かずおじゃないかといわれてる >>191
ちばてつやの奥さん令和にもいそうな感じの可愛らしさやな テラさん仮面ライダーや天才バカボンやドラえもんや魔太郎がくる!!はどう思ってたんだろ? 石森の「ジュン」は手塚すら「あれはマンガじゃない」って言ったレベル >>119
水野英子は最初から期間限定だったから。
少女クラブの丸山昭からトキワ荘で石森・赤塚と合作の仕事しないかと誘われて上京。
最初は2,3ヶ月の予定だったのが半年いた。 まんが道の光り輝く神様・手塚治虫のイメージが強力だったからその後知った手塚治虫の変人エピソードの数々とのギャップが凄かったw とかく天才や偉人に聖人君子のイメージを重ねがちだけど実際は変人だらけよ 手塚が若手に対抗意識燃やしてたとかすごくいい話だよな 手塚は石ノ森章太郎の結婚式で仲人を引き受けたが、締め切りに間に合わず、肝心の結婚式をすっぽかした。石ノ森が周囲の編集者にぼやくと、編集は全員「そりゃ、あの先生に仲人を頼んだ石森さんが悪い」と口をそろえた。 いやいやジュンのエピソードに関しての手塚は見苦しすぎる わしらの世代は仮面ライダー、キカイダー、イナズマン、ゴレンジャー、ロボコンとかをテレビで観てた世代だが肝心の石森の漫画はあんま読んでないんだよなあ
藤子、赤塚の漫画は小学生の時大好きだったが 武居俊樹の赤塚本で初めてフジオプロに行ったら赤塚、長谷、古谷がアイデア会議前に手塚の変人エピソードで盛り上がるエピソードが描かれてる 奇人変人でなく本当に聖人君子だった天才って逆にいるのかね >>188
女優やモデルに成れたかも
>>191
朝ドラヒロインのモデルに成った人が居るね >>210
昭和50年生まれだが
確かにホテルと教育マンガ以外であまり見かけなかったな 手塚が死んだ直後に萬画宣言とか言い出した
なにか権力を握りたいのかなと思った >>206
偉大な仕事で美化されてるだけなんだろうな
特に没後なんて
どんなに生前がぐう畜でも悪さなんて微塵もできないんだから なんだいつもの手塚アンチか
死んでから30年以上経ってるのにいまだに粘着アンチがいるって凄いな >>228
特に例の集合写真を誰かが貼るたびにいつも凄い反応があるから不思議だわ ブラックジャックもある
医者についての話題になるとなにかと引き合いに出される名前 アトム1億部も売れたのにきれいさっぱり消えるもんだな
今の子供で読んでるやつはほとんどいないだろう 連載やアニメが継続してるかどうかだね
人の目に触れられなくなれば忘れ去られるのはしょうがない お前毎回それ言ってるじゃん
かまってもらえるからなのか? 鉄腕アトム、火の鳥、ブラックジャック
ドラえもん、パーマン、キテレツ大百科
忍者ハットリくん、怪物くん、笑ゥせぇるすまん
仮面ライダー、秘密戦隊ゴレンジャー、サイボーグ009
天才バカボン、おそ松くん、もーれつア太郎
空手バカボン、うしろの百太郎、恐怖新聞 >>236
毎回それを見てるのかお前は
どっちもどっちだなw 長谷川町子とかもアニメのサザエさんがなかったら多分国民栄誉賞は貰えてなかったよな 鉄腕アトムは多彩な手塚漫画のほんの一面でしかないからな
他の漫画家は作家性を置いてけぼりにしてキャラクターが一人歩きしてしまったとも言える というか団塊ジュニアよりちょい上の俺もアトムとは縁がない
漫画はプルート編くらいしか読んでないな
アトムのアニメも俺が子供の時はやってなかった
小学生の時好きだったのは貸本屋で借りたバンパイヤやどろろや火の鳥やアラバスターで黒い手塚w ドラえもん以外の藤子不二雄作品とかも忘れられてるだろう
全部ドラえもんに集約されてしまったからな ドラえもんと仮面ライダーは永遠
赤塚は定期的に再アニメ化で甦る
まんが道は永遠のバイブル 赤塚も生き残ったのはキャラだけだろう
原作のままアニメ化するのはもう無理 赤塚不二夫の原作読んでも当時のようには笑えないからな サザエさんもドラえもんも今の東京人からしたら都心に家持ちの富裕層じゃんとなってリアリティー無いけど地方の視聴者に支えられてる おそ松さんでも「シェー!わーん!こんなギャグいまどきウケるわけなーい!」とかやってたからなw リメイク版のアトムはジャニーズのバンドが主題歌歌ってたんだよな
ボーカルがのちに光戦隊マスクマンのX1マスクになる 藤子Aによるとトキワ荘ではテラさんだけが手塚治虫の影響を全く受けてない
しかし手塚治虫が旧来の児童漫画の枠を超えたわけで漫画がテラさんの望まない方向に発展するのは必然
テラさんがトキワ荘で手塚治虫信者の漫画家たちの世話焼いてたのが切なくなる
未来の敵を自ら育てていたんだもの ――『トキワ荘の青春』では、流行に乗り切れず苦悩するテラさんが描かれています。A先生から見ても、そうだったんでしょうか。
(A) 映画のテラさんは、自分が漫画家としてやっていけるかどうか悩み、編集者と衝突して、ちょっと寂しい感じで結末を迎えます。でも、実際は少し違うかな。テラさんは結婚して、家を建てて、そこへ引っ越すためにトキワ荘を出ました。そのときには、『背番号0』とか『スポーツマン金太郎』といった大ヒットも飛ばしていましたからね。ただ、テラさんが絶対に自分を曲げなかったのは本当です。
――テラさんは、そうではなかった。
(A) テラさんの漫画は、僕らの系列の漫画とは全然違いました。彼は戦前から活躍していた井上一雄さんの描く野球漫画のファンで、彼自身もスポーツ漫画しか描かない。その内容は「大人が子供にいろいろなことを教える」というものです。 水野「私は1958年。みなさんが入ってから2〜3年後です。寺田(寺田ヒロオ)さんは前年に結婚していらしたけど、毎日お顔を拝見しました。住んでいらっしゃるのかと思ったら、みんなが心配で毎日見に来てると」
ヤマダ「『トキワ荘の青春』では(寺田氏がトキワ荘を出るラストは)ひっそりと淋しそうに描かれてます。でもご結婚で出られたんですね。その後もしょっちゅう来ていたと」
水野「映画やアニメ、マンガにすると面白くするために誇張したり。これがほんとだと思わないでください。私が勇ましかったとか」
ヤマダ「かわいい子が来るかと思ったら、すごく勇ましい子だったと。『トキワ荘の青春』は淋しいつくりでしたけど、水野先生が出てくるとパッと明るくなる感じで。出るときに「またなっ」と投げキッスしてたのは?」
水野「嘘!(一同笑)」 >>257
>住んでいらっしゃるのかと思ったら、みんなが心配で毎日見に来てると
キモいなあ 赤塚が漫画家やめるか悩んでテラさんに相談した時もテラさんの住んでるアパートまで行ってるんだよね
漫画ではトキワ荘みたいだけど >>233
お前若い知り合いなんかいないからわからないだろ
ってそのレスお前には年寄りしか知り合いいないって意味かw 手塚さんの公式ユーチューブで最初から見たけど鉄腕アトム普通に面白かったよ まぁアトムも長いから当たりはずれはあるよね
手塚の絵も「書いてるとドンドン足が長くなっちゃう」って安定してないし >>263
リバイバル映画大コケしたじゃん
あれがもう10年以上前で、その後アトム関連の大きなタイアップとか何かあった? 老害手塚信者は現実を見つめず
感情論を振りかざし現実逃避
いつものことかw 手塚と同世代の作家の作品なんか全く顧みられることはないからな
下の世代の作家もアニメ化によってキャラクターとして定着しただけで
原作を今の読者が読んで楽しめるかは疑問だしな つまり手塚作品はキャラクター造型の魅力に欠けるということか >>267
俺若いから10年以上前なんてわからないよw
タイアップとかなくても俺らの世代だってアトムは知ってるよ >>271
例えば自称若者のお前が若い世代にもアトムが周知されていると主張するのは
具体的にどういった根拠に基づいてるの? >>271
例えば自称若者のお前が若い世代にもアトムが周知されていると主張するのは
具体的にどういった根拠に基づいてるの? 手塚治虫
鉄腕アトム、ブラックジャック、ジャングル大帝、リボンの騎士、ふしぎなメルモ、火の鳥、三つ目がとおる、アドルフに告ぐ、どろろ、新宝島、海のトリトン、マグマ大使 記念館にも閑古鳥が鳴いてるらしいじゃん
手塚って
そりゃ色んな作品リメイクしてもコケるしかないよ >>275
凄い加齢臭がするレスだね
自分じゃ気付かないだろうけどw 手塚治虫って80年代には古臭い漫画家扱いになっていたからなあ
リアルに作品に親しんでいたのは50代より上の世代
師弟関係という意味合いでは手塚が師匠で藤子は弟子だけど
今の子供達にも作品が親しまれている藤子の方が漫画家としては遥かに上 漫画家としてとかすぐ言い出すからバカって言われるんだよ >>275
若い世代と交流持てばわかるようになるよ
まあお前じゃあ無理だろうけどなw このスレの手塚ヲタのお爺ちゃんちょっとやべえな
45歳の俺でさえ鉄腕アトムなんか読んだことないぞ
物心付いた時がドラえもんでキン肉マンでさえ小学校1年とか2年の頃だ
会社の若い子が鬼滅の刃とかエヴァンゲリオンとかキングダムの話をしているのは聞いたことあるが鉄腕アトムの話なんかするわけないだろ >>265
脚本担当を見たら日本アニメの巨匠たちが多数並んでいてビビる 手塚漫画は15年くらい前に文庫で再販したやろ
あの時読めよ
読んでないのを自慢すんな 手塚の子供漫画はもう通用しないけど
火の鳥、アドルフ、ビッグコミックの連載あたりは今読んでも凄い 知らないことを自慢するのは高2くらいで卒業しないと 鉄腕アトムよりのらくろの方が若い子に馴染みがありそう ドラえもん>仮面ライダー>>>>>バカボン>アトム
こんな感じかな 60代以上なんかはドラえもんよりオバQじゃないの? 仮面ライダーは石ノ森だけの作品じゃないよな
やはり東映ありき 団塊世代 鉄腕アトム
新人類世代 オバケのQ太郎
団塊ジュニア ドラえもん >>295
次々と亡くなるな
自然のひみつは親に買ってもらって何度も読んだ そもそも勘違いしてる人が多いけど
仮面ライダーにおいて石森がやった仕事はほぼキャラデザインとコミカライズ
原作者とうたってはいるがあれは実際は東映主導の企画 >>283
悔しくて連投しちゃったのかなw
でもあなたが本当に45歳なら色々とヤバいと思うけどね
若い子とかいうけど話に加わったんじゃなくて聞き耳立ててただけだろw 石ノ森章太郎
サイボーグ009(1964)
さるとびエッちゃん(1964)
佐武と市捕物控(1966)
ジュン(1967)
仮面ライダー(1971)
原始少年リュウ(1971)
人造人間キカイダー(1972)
イナズマン(1973)
がんばれ!!ロボコン(1974)
秘密戦隊ゴレンジャー(1975)
HOTEL(1984)
マンガ日本経済入門(1986)
赤塚不二夫
おそ松くん(1962)
ひみつのアッコちゃん(1962)
天才バカボン(1967)
もーれつア太郎(1967)
レッツラゴン(1971)
ギャグゲリラ(1972) 石森なら「秘密戦隊ゴレンジャーごっこ」を忘れてはいけない 関係ないけどキャンディキャンディの声優さん亡くなれたらしいな もうこの世代の大物ってちばてつやとつげ義春くらいか? >>308
違うよ
亡くなったのはキン肉マンのミートくんの声優さんだ >>33
この同窓会の映像見るとなにひとつ
わだかまりとか無さそうなくらい和気あいあいなのに
なんで・・ めんどくさいもんは目の前から消えろと願うだけの典型的なひきこもり思考 >>317
自己紹介はいいからw
痛々しいからもうやめた方がいいよ >>315
手塚アンチやりたいんだったらこのスレに寄生してないで別に新しく立ててやればいいのに
自分じゃあ何も出来ないのにワケわからないゴタクばかり並べてて哀れな人だね >>319
客観的な事実の指摘も受け入れられないなら信者スレにでも引きこもってれば?
そんなもんがあるのかどうか知らんけどw パヤオが手塚追悼で逆恨みに近い文章寄稿したけどあれ後で検証したら
嘘と間違いだらけなんだってな
ある街角の物語にあんな場面がこんな場面があった背筋が寒くなったてあげつらってたけど
後から調べたらそんなシーンどこにもないんだって
要するに別の作品と勘違いしたか脳内創作だった当時はネットがなかったし昔の作品はなかなか見れないからバレなかった
いくらで請け負いしたって話は値段間違ってるし
東映動画は採算とれないで高畑が騙しうちして作ったホルスは大赤字だったのに昔ながらの長編アニメ?なんか作れるわけない
だいたい東映の大川社長が他で儲けたお金をアニメに出してくれたからやれただけでな
だいたい東映動画は大学卒業した社員以外には演出させなかったんだから
虫プロはみんな給料よくてマイカーで通勤してて学歴は関係なく
実験アニメは手塚がお金だして作って奨励制度まであった
ジブリからは全く後生の才能が生まれないままスタジオを閉じちゃって
出資した徳間の社長も散財しただけだしな
パヤオの言ったりやったりしたことこそ間違いだらけ 手塚の漫画は初期はディズニーの絵の真似だって言うてる
パヤオのナウシカがもろに諸星大二郎の作風の真似なのもどうかと 一時ナウシカの漫画を名作扱いで売ろうとしてたけど
鉛筆書きでオチひとつないし映画ありきのものでしかないから無理があったな ジブリ美術館はあれは美術館じゃない
あれは行政が噛んでる児童会館
記念館はリピーターがないから
石原裕次郎記念館でも美空ひばり記念館でもだいたい閉鎖したとこが多い パヤオは死ぬ前にちゃんと間違いと嘘を謝れよ
死んだら仏サマが日本人 今やってるテレビアニメもビジネスモデルになってるのはマーチャンダイズで利益を出す虫プロ方式
パヤオの言い分で一番呆れたのは
テレビアニメは手塚がたまたま最初にやっただけで誰かがそのうちやったんだ!って言うの
そんな理屈なら
すべての発明品や新技術やパイオニアに否定される
青色ダイオードだってペニシリンだっていつか誰かが見つけて作るわな
馬鹿馬鹿しい パヤオの言い分なら
電話の発明も電灯の発明も 蒸気機関の発明もみんな否定しなきゃいけないっていう
それは逆恨みって言うのよw ジブリがそもそもビジネスとしてアニメの継続的な製作が出来なくなっちゃって頓挫してんだから
これからのアニメの未来を考えたときに
真似したらいけない悪いお手本。 宮崎駿が国民作家になってしまったのが手塚信者は悔しくて仕方がないみたいだな なぜジブリはパヤオが自分言うとおりに動く操り人形みたいなアニメーターしか育てられなかったかよくよく研究する必要があるよ
その方が今後の日本のアニメの為になる >>325
また何の根拠もない感情論で現実逃避逃避か
本当にみっともないな手塚信者は 日テレがアニメに金出してたのも
24時間テレビのスペシャルアニメで放送した手塚アニメが視聴率1位になった成功例があったからだろ パヤオは元々漫画家志望で挫折したのと労働組合に厳しい東映で
労働組合の元締めやってたんだから
虫プロガー手塚ガーって逆恨みマンになっちゃったのはその辺りに原因ありそうやな 故人を嘘までついて貶めるってどうなの?
死者の名誉を棄損するって日本人は一番嫌うと思うよ
だからみんな強烈に覚えてる あのパヤオの追悼文だけはマジで呆れた行為やわ
日記かなんかにうらみつらみを書いてて勝手に逆恨みしていた人が爆発したみたいな感じ パヤオ案はナウシカってオウムにひかれて死んで終わりだったのに
高畑と鈴木がこれじゃ映画にならないって生き返る話にしたのに
その後のパヤオインタビューで「宗教絵画が出て来て自分で当惑したんです!」ってまるで創作の神様が降りてきたみたいに語ってるけど
自己神格化の為に、偽作神託してるだけでしょソレw
自分が考えたエンドじゃないって正直に言えよ
高畑と鈴木が映画にならないって生き返りエンドに改変させたんだろが 90年代以降のジブリがこれで終わりかよみたいな話ばっかりなのって
パヤオが手塚治虫や永井豪みたいな閃き型インスピレーション型の作家に憧れて真似しようとしてからだろ
そういうのはパヤオには出来ないんだから誰か脚本家や小説家が作ったものを掘り下げてアレンジしとけよ
ま,
それだと著作権料が入って来ないがなw 鈴木に騙されてパヤオのバカ息子に作品を台無しにされたゲド戦記の作者がかわいそうだった 誰が見ても天才だと言わずと伝わっていたのが手塚
アニメにグループが出資してた日本テレビが「天才・宮崎パヤオの情熱が世界中をかけめぐる・・もののけ姫!」ってテレビで天才だCM打って宣伝してたのがパヤオ むしろアニメに出資して宣伝してくれる日本テレビグループがえらいまである
もう次のアニメの巨匠まで作ってるし 手塚作品は宮崎作品のように世代の壁を越えられなかったよね ホスピスみたいなとこで子供に囲まれて死ぬ絵描いたり 大塚さんが亡くなった号泣とか報道されてたけど
他人が亡くなった時に最低限の敬意を払った振る舞いを守れなかった宮崎パヤオにそんなこと言われても複雑な気持ちになるだけだわ 手塚アンチもうざいけど宮崎アンチも負けず劣らずうぜえな
手前でスレ立てて死ぬほどしゃべればいいのに・・・ 紅の豚あたりから既に
飛行機飛んでる絵は作り込んでるからすごかったけど
話自体はしょうもなかった感じ 何で宮崎駿スレになってんだよ
ったくキモヲタクは何でもかんでも自分の知ってるテーマに強引に持っていくな 手塚が手がけたアニメで劇場公開されてヒットしたものってあんの? アニメを仕事にするために漫画書いてた
趣味呼ばわりは手塚に対して失礼
>前述のとおり、幼少期からディズニー映画を愛好していた手塚は、もともとアニメーション(注:1960年代ぐらいまでは世間一般では漫画映画と呼ばれていた)に強い関心を持っており、アニメーションの制作は念願の仕事であった。 手塚がいなかったら日本のアニメが生まれなかったわけでな
宮崎とか話にならない 漫画連載7〜8本も抱えて身を削って私財投入してアニメ作りに身命かけてたの手塚だから虫プロからは才能が沢山生まれた
落語の賃貸収入ある地主や大家のいわば資産家が道楽やるのネタと全く違うこともパヤオには見分けがつかなかった >>356
そんなわけないだろ
先進国でアニメがエンタメ産業になってない国とかあるの? むしろ若いアニメーターの芽を積んでたのが高畑宮崎だろ
後進の育成や日本のアニメの未来とか一ミリも興味なさそうだもん自分のことしか考えてなさげ アニメーターは作家たれっていいアイデアなら製作費も僕が出しますって
自分が出資した機材も使わせるのが手塚
自転車をこいで自分の別荘までこいって言ってるのがパヤオ
新人研修で自衛隊に体験入隊させて何かを感じてこい!って言ってるのと同じ 道楽どころか命かけてるだろアレ
このままいったら絶対倒れて寿命縮めるぞって感じで仕事に向かってるようにしか見えないんだけど
作家は呪いみたいなものの生きた証 言うほどよこたとくおヒーローか?
そんなレスをしたことを後悔している
『自然のひみつ』はボロボロになるまで読み返した俺のバイブル
よこた先生…貴方は間違いなく俺のヒーローだった
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/a/ae/Tokiwasou_Hanasaki_Park2.JPG 手塚アニメをゴールデンタイムに見ることはもうないんだろうな >>356
テレビアニメの草分けが手塚だっただけで
東映動画はそれよりずっと前から活動してる 東映の長編アニメは採算取れないでやめたんでしょ(ジブリも結局同じ末路だった)
その後石ノ森原作とかのアニメのが儲かったから仕事を継続に続けられた
ってかディズニースタジオに負けないアニメスタジオ作るって巨費投じてた東映の社長がえらいならわかるんだがパヤオが威張る理由ないだろ
むしろ東映動画で育ててもらった側だろうが
今も日本でテレビアニメが大量に作られてるのは虫プロのおかげ >>356
桃屋のアニメCMが始まったのはアトムより5年早い
このアニメ会社は今はサザエさんを作ってる
https://youtu.be/lVDc8PlNFhE ちゃんとしたアニメーションを長年作ってた側から見たら
全然動かないアトムをアニメーションでございって出されたらそりゃ怒ると思うよ CMはテレビシリーズじゃないから継続性がない
そんなこじつけなら東映動画以前に戦時中にも日本のアニメあるしw 桃屋のアニメCMシリーズは三木のり平が死ぬまで続き同じキャラで300本以上作られた 予算かかりすぎるんだから仕方ないだろ
それも私腹肥やす為にじゃないんだから
高畑勲がホルスの時にやったみたいに予算度外視して途中まで勝手に作ってもう引っ込みつきませんみたいないわば詐欺みたいなことしてたから
その後は予算の管理も厳重になる
本来はPはいやわかるけど
それだと予算かかるからダメだよと止めないといけない
次の人がみんな困る
お金誰もだしてくれなくなるから >>367
典型的な「イノベーションのジレンマ」だね >>369アニメ製作スタジオのビジネスモデルとして成立してない
円谷英二が注文したオプチカルプリンターで合成したCM作ってたから日本の特撮が活況だったのか馬鹿馬鹿しい 「手塚がいなかったら日本のアニメが生まれなかった」
とか言うのが悪い 東映動画の長編アニメって
映画黄金時代だから出来ただけでしょ
手塚がテレビアニメを始めたせいで長編アニメが作れなくなった説は無理がある なんだかんだで東映の劇場アニメは1985年頃まで続いてた
70年代からあからさまに品質が落ちたが >>270
奇子美しいだろ
ストーリー自体は胸糞だけど 映画がむちゃくちゃ儲かってた昭和30年代だから
毎年6000万円くらいまで?アニメはそんな儲からなくても東映は出してくれてただけで
そんな時代いつまでも続くわけないだろ 手塚がいてもいなくても、もう映画の時代じゃないからテレビでやろうって話になっただろうな
実際映画会社のスタッフも大量にテレビドラマに流れたわけだし すべてに言えるけど歴史をイフできたらなんとでも言えるよ
事後孔明ですか? じゃあなんで自分でテレビアニメやらなかったんですか?って話だわな >>381
儲かるかどうか分からなかったからじゃね 虫プロの撮影用カメラって当時で1000万以上したらしいな
パヤオが自分でお金集めてつくればテレビアニメ出来たの?
笑っちゃうよ 客観的な事実を踏まえれば手塚がいなくたって日本にはアニメ産業も漫画産業も根付いてたと考えるのが至極自然
手塚信者の主張は贔屓の引き倒し 技術的な問題ではない
他の会社が技術的に出来なかったんだとしたら
アトム開始から1年も経たないうちにエイトマンやら鉄人28号やら他のテレビアニメが何本も出てくるわけがない エジソンがいなくても電灯は作れたんだね
馬鹿馬鹿しい アインシュタインがいなくても科学が発展した相対性理論も日本人が考えてたかもしれないわな エイトマンや鉄人もほとんど動いてないけどなんで虫プロ真似たのよ
対案を出して別の製作方式でやれば良かったじゃん? >>390
手塚がアニメーションという方法論を生み出したわけじゃないのに
それで反論した気になってるの? >>395
話逸らすなよ
アニメ産業が存在しない国ってあるの? 製作に関わるビジネスモデルと
アニメーションの制作過程の見分け方がついていない人ってなんなの
東映動画もディズニーとか海外のスタジオをお手本に作られてたわけでアニメ製作を1から考えてるわけないし >>392
絵が動かなくても人気が出ると分かったからじゃね
だったら商売になると パヤオの手塚批判が
感情論で間違いだらけ穴だらけだから擁護するのも大変だよw 70歳の爺さんはアトムの前はポパイのアニメが人気あったと言ってた
テレビアニメが人気が出ることは分かってた
結局金の問題だけだよ
手塚の革新はセコい商売を生み出したことだけ 日本ほどアニメが作られてる国ってどこなんですか?
韓国?台湾? >>403
その前にアニメ産業が存在しない国があるのかないのかそれに答えてくれよ 海外から輸入してるだけなら
スタートレックでもナイトライダーでも世界中で放映されて人気なんだけどw 特撮番組をアメリカから輸入して人気でも特撮番組を自主製作してる国ってそんなないよ
違いがわかるかな ポパイでもトムとジェリーでも世界中で放映されてるよ?w 手塚が忘れ去られつつあるという現実を受け入れられない老害の悪あがきは醜い ポパイが放映されてたから日本でテレビアニメがいつか始まったんだ!って
なんなの?w そんな理屈なら幽霊城のドボチョン一家でもチキチキマシンでもなんでも放映したら世界中でテレビアニメが日本なみに作られてんな >>411
お前1人だけ読解力が皆無で浮いてるよ
さっきから見当違いの比喩を連発してんのお前だろ 手塚治虫に対してルサンチマンがない人からしたら
意味わからないパヤオの逆恨み発狂の不気味 そういう批判あっても
まず製作を将来に渡って休まず続けていき向上していくって戦略のが正しいと思う 日本の漫画の始まりは手塚治虫の新宝島
日本のアニメの始まりは手塚治虫の鉄腕アトム
と思ってる人多いよな 日本どころか鉄腕アトムは世界初の毎週放映形式のテレビアニメシリーズだし >>417
結果的に手抜きアニメが大量にあふれてる時代になってしまったけどな ジブリがアニメ製作続けられなくなったんだからパヤオの負け
アニメーター辞めたい人は勝手にどうぞ アニメが儲かるって分かってる時代にアニメ産業がどうたらって事じゃなくて60年前のアニメが何かも分からない時代にアニメ産業を作ろうとした国が日本とアメリカ以外にあったのかって聞きたい >>320
やっぱ思ったとおり何も出来ないんだなあんた
年下の上司とかいそうw >>424
批判的なレスに対してどうしてそこまでナーバスになる必要があんの?
気に食わないなら無視すれば? >>424
批判的なレスに対してどうしてそこまでナーバスになる必要があんの?
気に食わないなら無視すれば? 学歴詐称オジサンがいなくても日本のアニメ産業は存在してた >>426
気に食わないなら無視すればってなんかの冗談かなw
まずは自分から始めてみようよねハート >>428
スレから出てけとか言ってるのはどこのどいつだよw
てめえにスルースキルがないってことじゃんw >>431
そういうつまんない揶揄はどうでもいいから
何か反論があるならちゃんと具体的にな >>432
気に食わないなら無視すればいいんじゃなかったっけ
あと批判スレ立ててみたら?
立て方知らないなら頭下げてお願いすれば代わりに立ててやってもいいよ一人じゃ何もできない無能君w >>434
俺が言ってるのは出てけとまで言うなら
無視すればいいじゃんってこと
俺は別にお前に出てけとは言わないからw アトムがなかったらここまで日本でアニメが栄えることなかった
金と時間がかからない手抜きという手法で作ったアニメを受け入れさしたから 宮崎駿の漫画をチラッと読んだことあるけど紙芝居的な古くささがあるよな
手塚の短編の省略の上手さとか見るとアニメと漫画の才能は異なるものだろうから直接比較は無意味やろう YouTubeに手塚がアニメについて語ってる動画があるけど漫画と比べると発想が陳腐だわ
ユーモア入れろとか戦争ガーとかあんた向いてないよと思わざるを得ない 若者というか今の40代くらいの世代だって
物心付く頃には手塚死んでたわけだからな
手塚に思い入れのないやつが大半だろ >>435
だからお前の居場所を作ってやってもいいんだぞ
スレ立ててやろうか? >>441
勝手にすればいいよ
俺には関係の無いことだわw >>435
まずはあんたが頑張って無視しないとな
それじゃあ始めよう
ハイッ >>443
何で?
俺は出ていけなんて気の狂ったことは言ってないじゃん >>444
やっぱ無視できないんだなw
見込んだ通りのダメな奴だなお前 >>437
宮崎の漫画は下手というのはファンの間でも定説
上手い漫画家は一コマの中で動きや躍動感を感じさせたりするけど宮崎の漫画は静止画の連続という感じでやはりアニメの人なんだなと >>445
無視っていうのは基本的に嫌いだからな
反論があればちゃんと返す パヤオがナウシカの戦争のシーンをインタビューで最低でもこのくらいのものをね、って自画自賛してご自慢のシーンとして紹介してるのは唖然としたな、、たいした場面でもないのに屁理屈だけすごくて
漫画家で絵が抜群にうまい人が自画自賛してるの見たことないし 神様っていうな神棚に祭るなっていうのも漫画の神様ってマスコミがつけた称号やし
野球やってる人で川上哲治を打撃の神様って言うな!って怒ってる人なんか見たことない
ギター弾いてるやつで寺内タケシをエレキの神様じゃないって怒ってる人なんかおらんやろ
その世界で偉い人を○○○の神様っていう習わしだろ
プロレス好きでゴッチは神様じゃない!って怒ってる人いたらただのキチガイだろ >>450
ゴッチも寺内タケシも川上も過去の人だから相手にされてないだけ >>449
まあ意にそぐわない意見を見たくないなら
見たくない側が出ていくしかないよね >>452
ねえねえ
無視するんじゃなかったの?
ホントダメな人ねえw >>453
無視すればいいのにというアドバイスはしたけれども
自分が積極的に無視するとは言っていない この手塚ヲタのふりをして暴れている人ってただの荒らしでしょ
いくら狂信的な手塚ヲタでも鉄腕アトムが若者に人気があるなんてキチガイじみたこと言うわけがない プロレス好きでゴッチ嫌いは普通に多いな
信者の方が少ないくらいだろ
グレイシーの登場でインチキがバレたから ここにいる手塚アンチって一人だけだよね
もう終わったスレで延々と
実は手塚ヲタ役も自演してるとかw 手塚治虫
新寶島
ロストワールド
メトロポリス
来るべき世界
ジャングル大帝
鉄腕アトム
ぼくの孫悟空
ロック冒険記
リボンの騎士
火の鳥
魔神ガロン
ビッグX
マグマ大使
W3
バンパイヤ
どろろ
きりひと讃歌
海のトリトン
やけっぱちのマリア
アラバスター
ふしぎなメルモ
ブッダ
ばるぼら
ブラックジャック
三つ目がとおる
シュマリ
ドン・ドラキュラ
七色いんこ
陽だまりの樹
アドルフに告ぐ
ルードウィッヒ・B
ネオ・ファウスト 手塚の漫画が最近話題になってないとか売れてないとかじゃなくてもっと中身に言及しないと
なんだかアンチとしても一番つまらない部類の奴だよな サザエさんやドラえもんみたいに
作者が死んでも続いてるアニメがあればね >>451
円谷英二は特撮の神様
柔道にも合気道にも神様がいるわけで
頻繁に使われていたフレーズだよw ジブリに後継者が育ってないからって鈴木がバカ息子を後釜に据えようとしてやっぱりアカンわコイツじゃって流れ見ててジブリにはもう未来無いんだってわかっちゃったよね
江戸時代かよ
徳川幕府の将軍じゃないんだからさw
昔の映画会社なら助監督沢山いてふざけるな、
俺に監督させろよ怒ってるところだよ、
そういう声もあがらなかったからな >>465
頻繁に使われる安いフレーズってことだろ 50代でもリアタイで読んだのはせいぜいブラックジャックやアドルフに告ぐあたり よく言われるのが虫プロはブラック企業の先駆けだったと 作品年表 手塚治虫
https://tezukaosamu.net/jp/manga/chronology.html
そりゃ漫画家デビューから亡くなるまでこんなに忙しかったら(更にアニメ仕事もある)編集者やスタッフに我儘の一つも言いたくなるだろw >>476
>>477
学歴詐称オジサンに対する批判がそんなに許せないの? >>478
ボクちゃんさあこのスレで浮いてるってわかってる?
折角良スレだったのにぶち壊しにしてくれたねえ
とっとと消えろや間抜け 俺のリアルタイム手塚治虫はドンドラキュラや七色いんこだなぁ
陽だまりの樹やアドルフに告ぐは単行本で読んだ >>11
「少年時代」は週刊少年マガジンで連載されたのに映画化の際講談社は出資しなかった
まあ商業的にはそれほどヒットしなかったが後年語り継がれるような名作を逃した 1950年代を描いた作品
まんが道 藤子不二雄A
青春の門 五木寛之
鏡子の家 三島由紀夫
仁義なき戦い 深作欣二・笠原和夫 初期には手塚原作の作品のみを制作していたが、『アニマル1』『さすらいの太陽』『国松さまのお通りだい』『あしたのジョー』など手塚作品ではない漫画のアニメ化も行った。手塚治虫原作作品が2年間なかった状態に陥ったのは、手塚作品が受けなくなったというテレビ局側の判断が第一だが、虫プロ内部の事情もあった。
多忙な手塚の決裁を仰ぐ困難や、手塚からリテイクの要求が出てスケジュールが遅延しコストがかさんだり、番組の放送に穴が開いて代わりに過去のエピソードのリピート放送で埋めるなどの原因となったことが、手塚を制作に加えないようにし、また手塚原作を用いた作品を作らなくなった理由の一つと言われる。
いずれにせよ『0マン』『ノーマン』など手塚作品のパイロット版を制作してもテレビ局が採用しないとなれば、虫プロを企業として維持していくためには非手塚原作作品をやらざるを得ない状態だった。
1971年(昭和46年)6月、手塚が今後の虫プロの方針として、「初心どおりに作家集団として進めるか、利益追求そのものを目的とする企業体とするか」を問いかけ、繰り返し社員総会を開催。話し合いの結果、大多数の社員が川畑栄一部長を中心とした利益追求の企業体制を固めることで結論が出る。
これに失望した手塚がそれまでの赤字を負担する条件で社長を辞任し、同調して退社する人材も相次いだ。社長には川畑が就任し、資本金を200万円から1,000万円に増額、労働組合も結成された。
テレビアニメ制作プロダクションが多く設立されると他プロダクションとの受注競争となり、これに敗れる形でテレビ局からの受注が減少し、人件費の高騰もあり、次第に資金繰りが悪化する。子会社の虫プロ商事の経営悪化と労働争議も、金融機関が虫プロ本体に警戒を抱く原因となった。
劇場用作品『哀しみのベラドンナ』の興行的な失敗もあり、短期間のうちに資金繰りが極端に悪化した。1973年(昭和48年)8月22日に子会社の虫プロ商事が約4,000万円の負債を抱えて倒産。 10年の間にあれだけ人材輩出したってすごいと思う
でなんでジブリからはアニメ界に影響を及ぼすようなタレントが全く出なかったのか
やっぱり体制に創作を阻むものがあったんだろう >>489
クリエイターを求めたか手足を求めたかの違い 手塚治虫の漫画のアシスタントになっても早く漫画家として独立して辞めるようにって入社早々言われたらしいからな
さいとうたかをや秋本治なんかは完全に専業アシスタントとして使ってるんだろうけど リクルートとか楽天とかは色々悪評もあるけど入社数年目とかの若造が予算取りやチーム集めや社外との交渉とか規模は小さくても一つのプロジェクトを全部任されるようなことも多いらしい
だからそのノウハウや人脈活かして30代くらいで独立起業する人がすごく多い
手塚プロも多分そういう社風に近かったんじゃないかな 昔は有名漫画家のアシスタントやるのは新人の修行の場だったんじゃないの?
週刊誌が始まって分業体制じゃないととても追いつかなくなってプロダクション化されたけど手塚治虫は新人や漫画家志望者の修行の場であって長く居るもんじゃないという考えは変わらなかった
虫プロは東映と違って学歴無視で才能ある奴はいろいろやらせて貰えて人材が育った >>497
多分ハロプロもマネージャーに各グループの運営について大きな裁量権を与えている
娘。はそれで大成功し初期スマやこぶしは大失敗した >>461
手塚はやはり「火の鳥」とか維新ものの「陽だまりの樹」
あまり面白くないかもしれないが釈迦の生涯を描いた「ブッダ」
といった大河漫画が代表作なのかな
「アドルフに告ぐ」を数年前にキオスクで買ったが結局途中で読みさしている
ただ今でもキオスクで買えるという点で「ゴルゴ13」なんかと同様忘れ去られた漫画家ではない
世代的に反戦、反軍国主義、半独裁って傾向が強い。決して左翼的ではないんだけどね
キャラクターだと(科学の子は置いとくw)「ジャングル大帝」「リボンの騎士」「どろろ」「ブラック・ジャック」あたりか
どろろの百鬼丸とか身体のほとんどが奪われたのをひとつひとつ取り返していくという趣向でグロい
あのかわいらしいピノコの出自も身体の一部のこぶ(できそこないの双子の一部)から生まれておりグロい
ブラックジャックは大やけどだか大けがをして顔の半分を親友の黒人の少年だかから移植している
やはりグロいとこがある
まあ長く親しまれるアニメキャラとは違うのかもね
アニメの「ワンダースリー」とか特撮ヒーローものの「サンダーマスク」とか驚くほど流行らなかった気がする
「三つ目がとおる」もアニメ化されているようだが三つ目ってやはりグロいし
薬を飲むと少女が大人になったり赤ん坊になったりする「不思議なメルモ」は
なんだか性教育番組を見せられている気がした
手塚漫画でたびたび読むのは長編では「火の鳥」を唯一の例外として実は短編
小粒でぴりりと辛い感じ。O.ヘンリーを思わせる
トワイライトゾーンや「世にも奇妙な物語」を思わせる短編集「クレーター」は粒ぞろいで一番お勧め
それとある指揮者が演奏する「トゥオネラの白鳥」を聴くと見たこともない殺戮映像が脳裏に浮かぶ
「0次元の丘」。「火の鳥」同様、輪廻転生みたいなものがテーマになっている。やはり反戦もテーマ
https://tezukaosamu.net/jp/manga/223.html
「ブラックジャック」も好短編の宝庫
なお、手塚の描く女性キャラはわりと男性に都合のいいキャラって感じはある
取柄のなさそうな男になぜか一方的に惚れてくれて、ついてきてくれる
けなげでいじらしいけど色っぽく性的魅力にも欠けていない
フェミとか怒りそうだけど自分は好き
人間ならざる生物であることが多い。火の鳥のマーピーなんかもそんな感じ
「百物語」のスダマが典型例だと思う
https://tezukaosamu.net/jp/manga/535.html >>459
一人だろ
口調も全部同じ次ワッチョイ付きでスレたててみようかね
多分こないと思うけど 手塚漫画は50年代が最盛期
60年代は50年代の手塚漫画のアニメ化で更に手塚時代が続くが60年代後半になると漫画、アニメ両方とも今読み返すと面白いがヒット作に恵まれなくなる
70年前後がドン底で手塚は古い、終わったと言われた時代
70年代前半にブラックジャック、三つ目がとおるがヒットして手塚が劇画を克服して復活し同時に火の鳥の各編を連載する
80年代は陽だまりの樹とアドルフに告ぐと大人向けでやはり手塚治虫は面白いと評価が高まる
今は手塚漫画というと火の鳥、ブラックジャック、陽だまりの樹、アドルフに告ぐが定番になってしまった 藤子、石森、赤塚はトキワ荘出た後の60年代前半にオバQ、ハットリくん、おそ松くん、009がヒットして一時代を築くが案外トキワ荘時代に執筆された漫画は忘却されてる
石森だけ売れっ子で金持ちだったとかw FFランドで海の王子やシルバークロスを読んだけどちょっとキツかったわ
あの時代の少年漫画で読みやすくて面白いと思ったのは鉄人28号
そして読みづらいけど複雑で読み応えのあるストーリーは上にも上がってる手塚の0マン >>502
それいいね
このスレであちこち絡んで喧嘩売ってるけど相手は一人だと思い込んでるみたいなのがまたなんとも
批評と叩くことの区別がついてないんだろうね >>505
鉄人28号はロボットがガシャンガシャン戦うだけの漫画だと想像してたら重い内容で驚いた
自分はもう勝手にあれが戦後の空気なんだと思ってる >>500
余計に深刻だな
20代なのにこんな掃き溜めで発狂してるとかw 結局国民的キャラクターを生み出せなかったのが手塚の限界だよ
もう年寄りにしか顧みられない哀れな存在 >>321
>パヤオが手塚追悼で逆恨みに近い文章寄稿したけどあれ後で検証したら
>嘘と間違いだらけなんだってな
ある街角の物語にあんな場面がこんな場面があった背筋が寒くなったてあげつらってたけど
後から調べたらそんなシーンどこにもないんだって
それ、違う。森卓也の手塚治虫追悼文を間違って記憶してるぞ。
コミックボックスの宮崎駿インタビューにある街角の物語への言及はない。 >>321
森卓也が「朝日ジャーナル増刊手塚治虫の世界」の「手塚治虫のアニメーション世界」と題して綴ったのを
宮崎駿の追悼と誤解している。しかも最初から存在しなかったのではなく、手塚治虫自身が批評を受けて自らカットしたんだよ。
以下、森卓也「手塚治虫のアニメーション世界」(「朝日ジャーナル増刊 手塚治虫の世界」p181)から引用
手塚さんが「アニメーション界への、ぼくの名刺がわり」と言ってくれたこの作品への私の評価は『アニメーション入門』(1966年、美術出版社)の中では、そのベースとなって「動画映画の系譜」(『映画評論』1962年9月号~1964年1月号に大量に文載)のそれと比して、辛いものになった。
(略)
さらに後日談がある。レーザーディスクの『ジャンピング/手塚治虫』に収められた『ある街角の物語』を見て、愕然とした。
チンピラの蛾が、消えそうな街灯にチョッカイを出してはじき飛ばされ、ぴょんぴょん踊るくだりが、オミットされていたからだ。
この場面、実は『動画映画の系譜』で、蛾の感電が、絵としてのみこめなくて、戸惑ったと書いた部分。しかもそれは、手塚さんが大好きだという、メタモルフォーゼで遊ぶ場面なのに。 執拗なアンチ手塚は北斗の拳が大好きな一匹だけだよw 実際の手塚作品に即してここが陳腐だとか古びているとか指摘し批判するなら面白いけど
キャラクターが生き残っていないの一本槍だからな 手塚ヲタお爺ちゃん頑張ってるな
鉄腕アトムが若者に人気とかもはや痴ほう症を発症してるんじゃないか? 今ならむしろウランちゃんの方をフィーチャーするだろ
人間だと年取ると劣化ウランって言われちゃう 火の鳥
黎明編(漫画少年版) 初出:『漫画少年』(1954年7月号 - 1955年5月号)未完
エジプト編 初出:『少女クラブ』(1956年5月号 - 10月号)
ギリシャ編 初出:『少女クラブ』(1956年11月号 - 1957年7月号)
ローマ編 初出:『少女クラブ』(1957年8月号 - 12月号)
黎明編(COM版) 初出:『COM』(1967年1月号 - 11月号)
未来編 初出:『COM』(1967年12月号 - 1968年9月号)
ヤマト編 初出:『COM』(1968年9月号 - 1969年2月号)
宇宙編 初出:『COM』(1969年3月号 - 7月号)
鳳凰編 初出:『COM』(1969年8月号 - 1970年9月号)
復活編 初出:『COM』(1970年10月号 - 1971年9月号)
羽衣編 初出:『COM』(1971年10月号)
望郷編(COM版) 初出:『COM』(1971年12月号)・『COMコミックス』(1972年1月号)
乱世編(COM版) 初出:『COM』(1973年8月号)
望郷編(マンガ少年版) 初出:『マンガ少年』(1976年9月号 - 1978年3月号)
乱世編 初出:『マンガ少年』(1978年4月号 - 1980年7月号)
生命編 初出:『マンガ少年』(1980年8月号 - 12月号)
異形編 初出:『マンガ少年』(1981年1月号 - 4月号)
太陽編 初出:『野性時代』(1986年1月号 - 1988年2月号) YouTubeでトキワ荘同窓会見たけどボロボロの薄汚いアパートだよな
トキワ荘ミュージアムはあの薄汚い感じも再現されてるのか? 映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生 2016年 41.2億円
映画ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険 2017年 44.3億円
映画ドラえもん のび太の宝島 2018年 53.7億円
映画ドラえもん のび太の月面探査記 2019年 50.2億円
2019年10月、テレビアニメの放送時間を金曜19:00から土曜16:30に変更
映画ドラえもん のび太の新恐竜 2020年 33.5億円
映画ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021 2022年 21.2億円
https://pixiin.com/doraemon-movie/ 手塚の暗黒時代ってヒット作が出なかったり虫プロがヤバくなってただけで創作意欲は全く枯れてない
火の鳥の黎明編から鳳凰編とか暗黒時代の作品だもの ロックが主人公の日中戦争を舞台にした大地編読みたかったなぁ テレビ探偵団でメルモちゃんが手塚作品人気一位になって本人がエーッ愕然としてたけど
あれメルモが一位になっちゃったのわかるわ
アニメになってて女の子のキャラでお色気があって可愛い、
今でも美少女キャラは強い
お前のせいで手塚先生がショックうけちゃったじゃないか ブラックジャックなんて医者のキャラクターといえば?という質問があったら
今でも一番名前が上がると思う プライムローズってアマプラで初めて見たけど
吾妻ひでおをライバルだっていうて女の子のかわいさを一生懸命描いてる作品って批判話だったけど
見たら復讐劇で女の子のかわいさを前面に出してるような話じゃなかったな 三つ目は悪魔島のプリンス版のがいいな和登さんがあっちのがいいからな ギャグやコメディじゃないストーリー漫画で
1話完結の読切形式の漫画自体そんなにないよね?
チャンピオンは70年代大躍進する時に読切形式を増やしたのはブラックジャックあたりから? ガキデカやドラえもんみたいな
春はお花見行ったり正月はお年玉もらったりとかの日常コメディならあるけどな >>531
大躍進ていうけどチャンピオンが売れてたのはあの数年間だけだろ
BJ、ドカベン、がきデカ、マカロニ、ゆうひが丘、エコエコが79〜81年の3年間の間にバタバタと終了して
チャンピオンがトップの時代は終わった 終わった人扱いだった手塚がチャンピオン編集部と組んで出した最後っ屁がブラックジャックでこれが大ヒットして復活した >>533
気になってたから言わせてもらうけどあんたがこのスレで複数の人間から嫌われてるのは事実だよ
あんたは相手が一人だと思い込んでるみたいだけどそうじゃないからスレをよーく読んでみな
あとこのレスもそうだけど書いてるの全部あんた自身の事に見えるよw >>534
自分はちょっとした縁でその頃のチャンピオンを何冊か持ってるけどそれを見た10代がドカベンとBJが同時に連載されてたことに感動してたわw
短い間の輝きだったみたいだけど凄い連載陣だな
それとあすなひろしの読み切りがなんか切なくて良い >>538
こんな所で人に嫌われたからって何かデメリットとかあんの?w >>537
ブラックジャックが始まったとき連載5本抱えてたから終わった人というほどでもない
https://i.imgur.com/DCMud1C.jpg 低迷してたチャンピオンの編集長に就任した壁村耐三がバビル二世以外の連載を全部切った
そしてドカベンを例外にして新連載は全部読み切り形式を要求した 当時はまだやっと青年誌はビッグコミックが創刊されたくらいでヤンマガやヤンジャンも無い時代
漫画の主戦場は週刊少年誌でそこでヒット出せなくなった手塚は終わった人扱い
どろろもリアルタイムでは人気低迷してたみたいだし厳しいね 劇画全盛期で石森は仮面ライダーで赤塚は滅茶苦茶な実験でAはブラックユーモア系で凌いだ時代
Fはドラえもん連載始めてたけどイマイチ人気が出なくてトキワ荘グループにとっても転機の時代だった 近年壁村氏があちこちで伝説の編集長みたいな感じでスポットが当たることがあるが
吾妻ひでおなんかもう余命ないこと悟った時点で初めて他者を批判する調子の暴露話し描いてたり
功績はあったんだろうが
あんまり褒めらた人ではなかった
手塚先生を殴ったそんな暴力を伝説エピソードにするのもなぁ… 逆にあれ読んだときに吾妻先生癌だったしもう長くないってわかっちゃった 神様の仕事を記録したNHKスペシャルに携わった関係者は感謝しかないな
あれ驚異の映像でしょ
大金星だ 一方で劇画ブームの最中にあって人気が落ちていた手塚にオファーを出し、『ブラック・ジャック』の連載をとりつけたことでも知られている。当時の漫画界で手塚は既に過去の人とみなされており、『ブラック・ジャック』は実質的に手塚最後の作品として当初5回の連載を予定して企画されたものだった。社内でも反対の声は大きかったが、壁村は「先生の最後を看取ってやらないか」という台詞でまわりを説得したという。
自分が編集者を辞めるときは、「手塚オソ虫の腕を折る」と語っていたが[30]、実際は手塚のことが大好きで作品にも人柄にも惚れ込んでいたという。壁村の自宅に飾られていた唯一の色紙は手塚の「ブラック・ジャック」だった。手塚の側でも壁村をモデルにしたヤクザのキャラクターを「ブラック・ジャック」に登場させていた。 吾妻は壁村から「うちには山上さんと鴨川くんがいるから君はもういらない」と言われて切られて
殺意を覚えたそうだw
当時の編集者はジャンプの長野、中野、西村ととんでもない人が多い 百鬼丸は48の魔物を倒して欠損した身体の一部を取り返してくとかよくこんな凄い設定思いついたなあ
天才としかw >>542
危険だなあ
読切では「来週はどうなる?」という興味で読者を引っ張れないし作者にも負担がかかる チャンピオン全盛期
ドカベン 水島新司
ブラック・ジャック 手塚治虫
魔太郎がくる!! 藤子不二雄
恐怖新聞 つのだじろう
キューティーハニー 永井豪
ふたりと5人 吾妻ひでお
がきデカ 山上たつひこ
月とスッポン 柳沢きみお
750ライダー 石井いさみ
エコエコアザラク 古賀新一
青い空を、白い雲がかけてった あすなひろし
ゆうひが丘の総理大臣 望月あきら
マカロニほうれん荘 鴨川つばめ
らんぽう 内崎まさとし 少年キングはチャンピオンをマネして連載を一気に切り替えたら
ますます低迷した 70年代ジャンプ
男一匹ガキ大将 本宮ひろ志
ハレンチ学園 永井豪
ど根性ガエル 吉沢やすみ
トイレット博士 とりいかずよし
侍ジャイアンツ 梶原一騎・井上コオ
アストロ球団 中島徳博
はだしのゲン 中沢啓治
プレイボール ちばあきお
包丁人味平 牛次郎・ビッグ錠
女だらけ 柳沢きみお
サーキットの狼 池沢さとし
ドーベルマン刑事 武論尊・平松伸二
1・2のアッホ コンタロウ
悪たれ巨人 高橋よしひろ
東大一直線 小林よしのり
こちら葛飾区亀有公園前派出所 山止たつひこ
リングにかけろ 車田正美
すすめ!!パイレーツ 江口寿史
コブラ 寺沢武一
キン肉マン ゆでたまご 吾妻先生は自虐ネ仲良しの知り合いをネタキャラのモデルにはしたけど
他の人をああいうのは本来描かなかったからよっぽどだよね、 バビル2世とドカベンは人気あったから残したのはわかってるな チャンピオンに切られた後
吾妻先生はむしろ大ブレイクとは言わないけども好きに描いて美少女ロリコン界である種カリスマになっていったから逆に良かった ドカベンはチャンピオンに野球漫画が欲しくて壁村が水島に連載依頼したが男どアホー甲子園やってるからとしばらく柔道漫画に
よく許したなw 柳沢きみおもたぶん吾妻と同じ境遇
チャンピオンでエロコメを描いてたのがマガジンで翔んだカップルを描いてブレイク
その次の朱に赤で泥沼人生を描いてその道の大家になっていった >>550
漫画雑誌の編集長なんて非情さもなきゃやってけんだろうがこんな言われかたしたらそりゃむかつくだろうなw >>558
不条理日記に代表されるSFのパロディでもね
つげ義春なんかもパロディにしているし 1960年代終盤の劇画ブームや『週刊少年ジャンプ』の新人発掘路線の影響をまともにうけた手塚治虫は、ヒューマニズムを描く古い漫画家というレッテルが貼られ、得意にしていた少年漫画の分野でヒット作品を出せなくなっていた。
手塚本人が言う「冬の時代」(1968年-1973年)であり、少年誌での連載が激減し、読み切りが増加。少年誌において実験作を執筆したり、青年誌に進出するなどして方向性を模索するが、1970年には青少年向けの性教育を意図して執筆した『やけっぱちのマリア』が糾弾を受け、1973年には虫プロ商事と虫プロダクションが倒産し、まさにどん底にいた。 ああいうだとラブコメはよくわからなかったのかも知れないな
月とスッポンなんてラブコメの先駆的作品の一つなんだけどな
チャンピオンはラブコメブーム美少女ブーム下でも極道みたいなムードだったような このスレで何度もタイトルが挙がってるアドルフや陽だまりの樹はAKIRAと同じ時期に描かれてる 海外で人気になる前から
あの人のうまさは世界で通用するとか
虫メガネでモブ見てもデッサンが崩れてないんですよ!とか考えようによっては先んじて絶賛してたのも手塚 AKIRA完結のあとがきで大友が
「この作品を誰々と誰々、そして手塚治虫先生に・・・」
と書いたのには驚いた
そんなに意識してたのかよって 大友が日本の漫画をガラッと変えちゃったくらいの衝撃だったからねえ 海外のクリエイター連中からはまるで相手にされてないのが手塚 >>509
ブッダが退屈かもしれないと書いちゃったのは悟り体験にもっと画期的なものを期待しちゃってたかもしれない
まかりまちがえばオウムにいっちゃうようなそんな志向があったのであまりに人間的すぎるブッダに物足りなさを感じてしまったのかも
ガキの頃から物語に登場しているタッタが最後は勇敢な戦士として相手国側になった王子の乗る象に踏みつけられ最期を遂げる
スペクタルシーンも見開きを使ったりが記憶に残っている
アングリマーラの最期とか、その他いくつも印象に残っているシーンがある 少年チャンピオンコミックス版『ふたりと5人』第1巻(1974年5月刊)は、吾妻ひでお最初の単行本である。
同誌掲載の『きまぐれ悟空』連載終了後、『オーマイパック』(全3話)が掲載された翌週から『ふたりと5人』は始まっている。ここではハレンチコメディ路線で売ろうとした担当編集者の阿久津邦彦の熱心な介入のもとで嫌々ながらも連載し、中ヒットする。しかしこれは吾妻にとって不本意な作品であったという。
吾妻によれば、キャラクターや設定、タイトルなどはすべて編集者主導で決められたもので、ハードな週刊連載と秋田書店の無茶な編集の注文などで、当時「出力20%くらい」しかやる気を出していなかったという。もちろん絵、共に内容は荒れ、忘年会で編集者が作品の質の低下に酔った勢いで暴言を吐くこともあったという。
吾妻曰く「あーホント、描きなおしたいね、今からでも(笑)」。編集者は「ハダカ」(エロ)ばかり要求し、ギャグとSFには無関心だった。吾妻は自分本来の資質とのギャップに悩む。吾妻は連載終了を編集部に再三申し入れたが、人気がなくなるまで受け入れられなかった。
この作品の影響で、漫画の仕事は“エッチもの”ばかりで、読者からはエログロの烙印を押され、毎日のように罵詈雑言が書かれた抗議の手紙が届き、辛かったことを吾妻は後に回顧している。この頃、吾妻は漫画に対する情熱を失い、仕事のためだけに漫画を描いていたという。
後に宙出版から復刻された単行本(全6巻)のカバーには「『ふたりと5人』の頃は、月産130ページくらい描いてた(描かされてた)。当然、頭ボロボロ、絵はとてもマニアック。毎日デンジャラスなファンレターが届く。そいでも、人気なくなればあっさりさよならだ。怖い世界だっせ、お客さん。」と自虐したコメントを寄せている。 ブラックジャックで少年誌での人気が復活したと言われるけど、人気のトップはがきデカにマカロニにドカベン
人気作品ではあるが、数ある連載の中の中堅どころで、ワンオブゼムに過ぎなかった
でm、今でも読み継がれているのは、古くなるギャグのがきデカやマカロニでもなく、巻数が多くてとっつきにくいドカベンでもなく、
どの巻から手を出しても良くて1話完結の読み切りで気軽に読める上に普遍的な人間ドラマのブラックジャック
デビルマンも5巻でとっつきやすい。最近の何十巻もある大長編は手を出すのに気合いがいるわ 最近、ある少年誌に、「バンパイヤ」というマンガをはじめた。これに、物凄く非難が集中した。
「まれにみる駄作! やめちまえ。手塚はもう終わりだ」
「バカヤロー手塚、絵は荒涼、ストーリーは陳腐。独創のカケラもない。そんなに金が儲けたいか」
ボクはとび上がり、ノド仏をかきむしり、鼻毛を五本ずつひっこ抜き、ウオノメをナイフでけずりとって激怒する。
そんな読者は、たいがい高校以上のオールド・ファンに多い。
くやしい、有り難い、悲しい、情けない、にくたらしい、嬉しい、やるせない。
その人達は手塚節を求めてくれているのだろうな。ヒロイズム、ペシミズム、ニヒリズム、ヒューマニズム、リリシズム、正義、平和、勧善懲悪、大河ドラマ、それらの泣かせ場。
話はそれるが、谷内六郎氏は延々と、相も変わらぬ絵で『週刊新潮』を飾っている。彼の固定ファンが、あれ以上の冒険を望まないそうなのだ。
そしてボクの読者も、ボクの作品の印象をそっと心の中にしまいこんで、それ以外のものを受けつけず満足してくれているのだと思う。
その人達を裏切りたくない、と考える。しかし、そうすることによって、ボクは完全に、手塚節のマンネリ化に終わってしまうことがこわくてしようがない。
ボクは子供マンガ家だから、はっきりいって、子どもマンガを買わない層が支持してくれたって、肝心の子どもがソッポを向けば悲しい。そして、子どもってのは、時代と共にビシビシ変化する。中学生ですら、同じガキのくせに、小学生のことを、あいつらの考えてるこた、わかンねえや、といっている。
従って、ボクの作品も、彼等に共鳴され支持されるには、年々刻々、変身していく必要があるのだ。そのためには一握りのオールド・ファンには、申し訳ないが、裏切ることになる。「尼寺へお行き!」とオフェリアをつきとばす、あの心境。
こんな悩みを、ボクは過去二十年の間に、何回もくり返しているんだ。その都度、クソミソな非難を受けた。 三大ギャグ漫画廃人
赤塚不二夫
吾妻ひでお
鴨川つばめ 晩年のあじまは失踪日記、アル中病棟、地を這う魚と傑作を3本発表したわ >579
確か漫画家やめて作家になる宣言したけどその後どうなったっけ ――最後に漫画家としての今後のビジョンについて聞かせてください。以前のインタビューで、「ギャグ漫画でしのぎを削っていた時代のことを漫画にしたい」と仰っていましたが、その気持ちは今もありますか?
江口:もちろん。とにかく漫画から逃げてる感じが常にあるので、描かないといけないなと。特に自伝みたいなものは、必ず描きたいです。それは自分のことというより、70年代後半のギャグ漫画の凄さを残したいんですよね。
今はお笑いのジャンルがいっぱいあるけど、当時は漫画がお笑いの最先端で。赤塚不二夫先生、山上たつひこ先生が一時代を築いて、その後、僕らの世代がしのぎを削って。特に鴨川つばめですね。当時のあの人のカッコ良さは描いておかないといけない。僕しか描けないので。
――当時、僕は小学生でしたが、『週刊少年チャンピオン』の『マカロニほうれん荘』と『週刊少年ジャンプ』の『すすめ!!パイレーツ!』のおもしろさはホントに強烈でしたからね。
江口:僕がいちばん憎んでましたから、鴨川つばめを。あまりにもすごすぎて。でも、鴨川さんの連載が終わったときに一番悲しんだのは、間違いなく僕ですよ。打倒・鴨川つばめでデビューからやってきたし、心にぽっかりと穴が開いてしまって……。当時、僕も鴨川さんも20才とか21才ですから。セックス・ピストルズみたいじゃないですか(笑)。
――まさに。江口さんや鴨川さんの漫画は、パンクロックを聴いてるときと同じような気分で読んでました。
江口:パンクですよね、ホントに。『週刊少年サンデー』の『できんボーイ』(田村信)もそう。80年に入る頃『マカロニほうれん荘』も『できんボーイ』も『がきデカ』も終わって、僕の敵が誰もいなくなってしまって。そこでギャグ漫画全盛の時代は終わったというか……。僕が絵の方に行ったのは、それが大きいですよ。
そのあとは大友克洋さんですね。大友さんの作品を見て、「自分の絵はしょぼいな」と思って、絵の精度を高めるようになったので。とにかく当時のギャグ漫画のことは描きたいです。77年から79年までの短い時期のことなんだけど、たぶん、みんな忘れちゃうでしょ。若い子はもちろん知らないだろうし。
――いつの日か、その漫画を読めることを楽しみにしてます。
江口:いつの日か(笑)。僕もいい歳だし、そんなに時間はないですからね。急ぎます。 山上は大人向け一般週刊誌に連載してた温泉を舞台にした漫画がいい塩梅で力が抜けてて良かったな
小説は古本屋で見つけて読んだけどうーんって感じだった >>584
自分も小説1作読んでみたけど確かにね
漫画は「がきデカ」は一世を風靡したけど、それ以前の「新喜劇思想体系」も凄かったから
ギャグだけでなく青春だなって感じがよかった 「鬱勃たるパトス」ってやつだろうか 良くも悪くもビジネスと割り切って分業する人の方が長持ちする
さいとう・たかを、つのだじろう、永井豪、本宮ひろ志
つのだなんて背景と主役以外のキャラをアシに丸投げして描かせているのが丸わかり >>582
長い準備期間だな〜2050年くらいに始まるの?
江口が準備しているという新連載は、週刊ヤングジャンプ(集英社)にて
2010年春頃から開始予定で、江口版「まんが道」のような内容になるという。
https://natalie.mu/comic/news/24833 手塚治虫はギャグではないけどビジネスに徹してるわけでもなくよく長期間量産出来たなあ
どっかいい加減な部分が良かったんだろうなあ
劇画ブーム以降絵柄をどうするかずっと最後まで悩んでたみたいだけどまあとりあえず現時点ではこれでいいやと流せたのが大きい 江口は週刊連載なんてもう出来ないだろー
漫画家って小説家みたいに書き下ろしって辛いのかねえ? ブラックジャックに関してはたまたま初めて読んだエピソードも強烈に覚えてる小学1年か2年のとき
キリコが出てくる「弁があった」っていうの ブラック・ジャックがなければスーパードクターKもなかった スーパードクターKには古和医院をパクった話がある
よくクレームが来なかったもんだ >>589
手塚はのっぺらぼうの棒人間のネームからいきなりペン入れしてたから量産できた
原稿1枚を30分〜1時間で上げてたらしい スーパードクターKなんて大した漫画じゃないからなあ 現行のサブカルチャーに大して大きな影響を与えたのは手塚ではなく横山であることは火を見るよりも明らか >>596
海外旅行先から電話でアシスタントにどこそこのページのどの部分をはめ込んでとか指示してたってなんかの番組でやってたな
頭の中にコマ割りどころか過去の作画まで入っていたらしい ブラックジャックとプロゴルファー猿とナニワ金融道は職業漫画のコロンブスの卵 ブラックジャック創作秘話はなんかナニワ金融道みたいな絵で良かったw そういえばチャンピオンって一時内山亜紀載せてたの忘れてたよ >>601
お前が書き込んでるここもサブカルチャーの1つだろw 仕事乞食であれもこれも手を出して
結局どれも中途半端だったことが
今の手塚を取り巻く惨状を招いてる >>604
私も貴方も死滅した場所にいる
夕張とか歌志内みたいに >>605
中途半端だったから他の漫画家たちへ伸びしろを与えた >>603
中島史雄同様完全にエロロリ漫画家だよね >>606
ハイカルチャーがサブカルチャーに侵食されてるのが今の日本の文化状況じゃん >>609
東京オリンピックはサブカルの死滅をハッキリさせた 永井豪はマンガ夜話でいしかわじゅんにアシスタントが描いてるとか言われてマジギレした >>610
してねーよ
ネット世界の地べた這いずり回ってるいじめられっ子上がりの陰キャが騒いでただけ >>611
80年代なんてまだまだハイカルチャーが強かった
大学の教員が学問語ってスターになれた時代 サブカル爺どもは成熟した教養のバックボーンもない
軽薄逆張り野郎どもでしかないのが露呈したからな マンガ夜話で永島慎二の特集をした時もいいかげんな情報満載だなと思ったよ そもそも日本のサブカル文化は陰キャいじめられっ子のものだったはずなのに >>617
昔から金持ちや不良の強者がサブカルチャーを作ってきた 70年代ってどうしてもああもヤクザ映画だらけなんだろうな 音楽は80年代には完全にサブカルチャーの時代だった サブカルチャーを牽引した金持ちや不良って例えば何のジャンルの誰だ? >>625
加山雄三
高倉健
石原裕次郎
矢沢永吉
細野晴臣
秋元康
川久保玲
山本耀司
吉田拓郎
とりあえずキリないからこれくらい >>627
お前のサブカルチャー観どうなってんの?w 芸能村のカウンターとしてのサブカルチャーだったんだわ >>630
お笑いやアイドルがいつからハイカルチャーになったの? ラーメンズや小山田はサブカル界隈で人気だったじゃん 俺は詳しくないけど漫画でいえばガロとかじゃないの
手塚治虫もコムとかやってたんでしょ >>633
お前の言うサブカル界隈って具体的にどういう界隈? 例えばラーメンズやパーフリ界隈だよ
何で知らないのか不思議 >>638
全く答えになってないな
界隈って日本語の意味理解してんの?
理解出来てないなら話にならないから
首でも吊って死んでw >>637
そんなもんAKBとハロプロの違いくらいでしかないわw まるで小山田みたいなキレかただな
ラーメンズやパーフリの立ち位置を知らないでサブカルを語る奴がいるのが不思議 カウンターカルチャーと庶民文化の混同が見られる
サブカルチャーは前者手塚藤子漫画は後者 さすが北斗の拳が好きなだけある暴力志向ですね(笑) >>641
演者が身内だけに受けてる状態を人気があるとは言わない
ラーメンズは地上波の番組で売れてたし
小山田も全盛期は大手企業のCMをやり
ホールを埋めていた >>642
カウンターカルチャーと庶民文化は具体的に何がどう違うの? 映画にしろ音楽にしろ漫画にしろ
庶民文化でありハイカルチャーに対するカウンターとしても機能する文化であると思うんだけど こないだの東京オリンピックから始まった話だろ?
加山雄三や矢沢永吉とかよりラーメンズや渋谷系的なサブカルの区分けの方が相応しくね? >>647
話の分からないバカは無理して入ってくんな >>645
カウンターカルチャーというのは反体制的
天皇に鑑賞してもらって喜んでいるような分野 >>649
そんなもん個別の作品を担う作り手の匙加減1つでどうとでもなるだろ
バカかお前
反体制的な映画音楽漫画
体制に迎合した映画音楽漫画
どちらも容易に存在し得る >>651
知恵遅れは特殊学級で大人しくしとけって話でしかない 手塚治虫をろくに読んでもいないのに勝手に権威的と目の敵にして粘着アンチするような逆張り野郎にはうんざり
サブカル界隈にもそういう傾向がある 爺にもなって北斗の拳が好きな奴に知恵遅れ呼ばわりされたくないなw >>654
目の敵にされてるのは
虎の威を借る老害手塚ヲタ 本物の虎だから読むのが怖いんだよなw
だから読まないで否定し続ける やたら喧嘩腰な奴がいるな
安保世代の生き残りかな
しかも60年代の方のw 知恵遅れとか差別的且つ弱者に冷酷な思考はまんま小山田だな >>652
結局>>649と同じことを言っていると思う
アングラ劇団出身でお茶の間で見るようなドラマの常連みたいな人もいるわけで 天才バカボンみたいな漫画って新しいの出てこないのかなあ
おそまつくんは良さがわからない >>619
GHQによる規制解除の後に東映がチャンバラ時代劇を量産したが飽きられた頃に次は任侠映画を開発した
それで延々やってたけどゴッドファーザーの流行で東映が次は実録物だと仁義なき戦いを製作して実録ヤクザ映画を量産した
なぜ量産したかと言えば客が入ったからだけどテレビの普及で映画が瀕死状態になってテレビでやれないものとしてドギつい実録ヤクザ映画とポルノに映画会社が活路を見出した 東映が「山口組三代目」というヤクザをヒーロー視する映画を作っていたんだから
今考えると凄い話だ 70年前後って表現の規制が外れて何でもやってやれって風潮があっただろうし
トキワ荘グループも石森は実験的なジュンをやり赤塚がナンセンスギャグをやり藤子Aもブラックユーモアをやる
手塚治虫の場合バンパイヤやどろろで健全な少年漫画からエゲツないストーリー漫画に舵を切ったけど当時はウケなくてドツボにハマったみたいだけど マンガ夜話はギャグ漫画をやると夏目、いさかわ、岡田のレギュラーはテンション低くなるんだよね改めて今読むとつまんないと言うw
バカボンやパイレーツの時はテンション低かったけど流石にマカロニの時は熱かったがw ハイカルチャー クラシック
サブカルチャー ジャズ&ロック
庶民文化 歌謡曲&Jポップ ドリフの音楽を担当した山本直純やたかしまあきひこは東京藝大だったり作り手はジャンルを越境している >>671
歌謡曲Jポップとジャズやロックは不可分なんだけど
知ったかすんなよガイジ
死ね カゲマンじゃない方の赤鬼さんは鬼籍入りか。一卵性双子なのに生活習慣の違いかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています