山本:当時所属していたのがアップフロントエージェンシーだったんですよね。アイドルとか音楽の事務所なんで、アドバイスをもらえる先輩もいなかったんです。
だからひたすら練習するしかなくて、家で後輩にネタ見せたりして。お侍なんてイエスマンだから「おもしろいっすよ!」しか言わない(笑)。

山本:2013年に太田プロに入ったのも大きかったです。有吉(弘行)さんとかいろんな先輩方にそういうことを相談すると「もうそのままでいいじゃん」って。
「お前らはとにかくウケるんだから、それををわざわざ変えてウケなくして認められる必要なくない? “ウケる”っていちばんじゃん」って言われたんですよね。
たしかに、ウケるためにやってるんだからそうだよな、って。それであらためて自分の精神の落とし所が見つかったんでしょうね。

関:太田プロに入ってから、先輩のマシンガンズ・西堀(亮)さんに「客受けはいいけど、芸人受けしないんですよね〜」って相談したことがあるんですよ。そしたら、「え、ウケるのが嫌なの?」って逆に驚かれて。たしかに“ウケるのが嫌な理由”ってわかんないなと。そこで気持ちが切り替わったんですよ。

だから、2013年に事務所を移籍した影響は大きいと思います。前は僕らが一番先輩で、そういう悩みは自分たちで解決するしかなかったので。あと太田プロには月1回の事務所ライブがあるんです。そこでちゃんとネタをつくって反応を見るっていう習慣ができたのもプラスに働きました。


お二人はデビュー間もなく『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)に出演していて、「満点545KBを獲得」「4連続オーバー500」など様々な記録を残しています。なぜ最初からここまで受け入れられたと思いますか?

関:あの当時は、お笑いに強い事務所に所属していたわけでもなかったですし、本当にオンバトしか仕事がなかったんです

山本:最初の事務所(アップフロント)にお笑いの先輩がいなかったんですよ。だから、身近にそういう人がいなかったのもあるかもしれない。「お客さんにウケる」ってことしか正義がなかったので。ちょっとずつ蓄積していって、自分の中でそれが正義になったんじゃないですかね。

関:「ライブに出られるならいいか」って感じで最初の事務所に入ったので。それは大きいかもしれないですね。

2005年には、M-1グランプリ決勝に進出。勢いに乗っていた時期だと思いますが、この時はどんな心境だったんですか?

関:まさか行くとは思ってなかったので、「行っちゃったな」っていうのが正直なところです。漫才歴としても3年目ぐらい。そもそもネタ数もあんまりなかったですし、小っちゃい事務所で活動してるのもあって自信もなかったんですよ。何年も積み重ねての結果ではないから、不安がものすごかった。

山本:(関に深くうなずいて)不安のほうが大きかったですね。