建設は1894年に始まった。時折馬やダイナマイトが使われたが、ほとんどの作業は手作業だった。近隣の農民は強制的に働かされ、何百人もが過労と病気で亡くなった。
時は流れ、政権は変わり、鉄道の方向性もあらゆる意味で変わって来た。貨物は木材となり、やがてディーゼル機関車が現れた。1970年代には木材だけでも毎年100万トン以上が運ばれていた。やがて、国内で生産されるありとあらゆるものが運ばれる様になった。
当時、鉄道は全長600 km近くあった。狭軌鉄道としては記録的な長さだった。サハリン鉄道も狭軌鉄道だったが、サハリン鉄道は軌間が1067ミリあった為、厳密には狭軌鉄道とは言えない。今では全長は234kmとなった。
1990年代初頭、木材業者は破産し、姿を消した。木材の輸送はほぼストップした。ANGR沿いの村人達は仕事を失い、徐々に鉄道は取り壊され始めた。旅客列車は週4本にまで減らされた。
今日、状況は比較的安定しているが、ANGRは州の財政援助によって成り立っている。鉄道は未だ運行しているが、輸送線として活躍していた日々は遠い過去のものである。現在は、主に旅客列車として使われている。人々はこの鉄道を使って様々な所へ行く。
年間乗客数は平均で2万人である。他には郵便物、年金、食品や救援物資を運ぶ為に使われている。村と村を結ぶ道路が出来ない限り、この路線が廃止される事はない。地元の人々にとって「狭軌」(電車は「狭軌」という愛称で親しまれている)は重要な幹線である。多くの人にとって、「本土」との唯一の繋がりだ。