【コモドール】 VIC-1001 C64 MAX【Commodore】
フルサイズ復刻するから立てた ※「thec64 復刻」でぐぐるとフルサイズで一万以下のサイトが出てくるけど気をつけろよお前ら グールド氏に勧められてビジネス競合の日本視察。トランジスタ式電卓を 一目見て機械式計算機ビジネスを断念し、TI製のIC(TTL)とLEDを組み合わせた 卓上式計算機を製造販売する。しかし仕入れ先のTI社が専用ICを用いた電卓完成品を コモドール電卓の部品代程度の低額で販売。そこでTI対抗でIC自社製造目的で 300万ドルを投資してMOSテクノロジー社をMA。同社チャック チャック・ぺドル氏がPETを開発。Appleなどに先行してパソコンを販売出荷開始。 しかし、カラー出力ができない。家庭用TVに接続できない。などの弱点が徐々に 顕在化しシェアを落としていく。 日本製のタイプライターなんて、全然知らなかった というか、タイプライターなるものを全然知らないし 続きが読みたい 和文タイプって、末期になるとコンピュータ制御になっててね 古い技術と新しい技術が融合していてなかなか面白い機械だったぞ。 日本製の英文タイプライターでしょ? 1960年代だと、単にアルファベットを打ち込むだけだろ。 1990年代に貿易事務でそんなのつかったわ。 3枚複写の書類なんかで、 間違えると上手いこと修正液で修正したわ。 靴製造職人の倅なジャックの奥様はヘレン。仕立て屋さんの娘。 ポーランドの同じゲットー(ナチスによるユダヤ人隔離居住地域)に住み 1944年にアウシュビッツ収監。その後アーレンの強制労働収容所に 送り込まれ1945年終戦時に解放。ヘレンも囚われていた。 二人の出会いは収容所からの解放後。1947年まで欧州(ドイツ?)で アルバイト的仕事でしのぎ、1947年にユダヤ移民支援プログラムで 旅券などを得て米国移住。ヘレンは翌年1948年に移住。 アウシュビッツを生き延びたジャックの母は1949年に移住。 ジャックは陸軍に入隊。英語と機器操作や修理などをIBMの講座などで学習。 50-51年の朝鮮戦争で韓国に派遣されることもあった。軍務は3年7ヶ月。 除隊時にはすでに生まれていた幼児のp。 育児でヘレンが仕事ができなかった期間の収入を補うために その期間タクシー運転手もこなす。共稼ぎ復帰後にジャックは独立自営開始。 退役軍人支援で25000ドルの銀行支援を得てNYブロンクスのタイプライター 販売会社店舗を居抜きで取得。 Early History of Jack Tramiel’s Commodore https://www.commodore.ca/commodore-history/early-history-of-jack-tramiels-commodore/amp/ Helen Tramiel (Goldgrub) and Jack Tramiel (Trzmiel) https://www.polin.pl/en/subpage/helen-tramiel-goldgrub-and-jack-tramiel-trzmiel コモドールのマシンは安い 意味なく高価なアップルとは対極 繰り返しだけども、アウシュヴィッツを生きのびたのは本当にすごいよな。いつガス室に送られてもおかしくなかった。 >>171 VIC-1001って、プアマンズApple ][って感じだったよねw 勿論、私もVIC-1001オーナーだがw Apple][も持っているよw サウンドだけはアップルを上回っていたな ソフトが少な過ぎたが でもVIC20で出来の良いソフトはほんの僅かだ 大抵は安っぽい出来だったよ >>171 コモドールのスローガンは Computers for the Masses, not the Classes アップルのスローガンは Computers for the rest of us 訳せば専門家向けじゃないみんなのためのコンピュータ。? 意味的に似ているようで微妙なニュアンスの差異があるような。 Commodore 関連の歴史本というとあまり無いみたい? Commodore: A Company on the Edge (英語) ハードカバー Commodore 関連の歴史本というとあまり無いみたい? Commodore: A Company on the Edge (英語) ハードカバーくらい? PDFを読み始めたのだが、物語のメインは6502の発明開発者の チャック・ぺドル物語の印象。 iPadのJane style 大丈夫かな。行抜けスマホ >>180 > コモドール辞任後のトラミエルについては以下が航海日誌風で詳しい。 A History of Tramel Technology / Atari https://mcurrent.name/atarihistory/tramel_technology.html#1985 jane style ちゃんと書き込めているカナのテスト トラミエルは仇敵アタリに移ったわけだが、アタリはスペックが陳腐化した800コンピュータを5200→1200XL→800XL→65XL→XEGSと形を変えリリースするという意味不明な事していた。 自社開発能力が無いのだろうか。 16ビットのSTシリーズは確か日本の企業が、携帯ゲームのLynxはEpyxが開発したようだしな。 >>183 意味不明じゃなくて廉価版 ファミコンもNEWファミコン出たのと同じ理由 安く作れるようになったのと需要がまだまだあったから出しただけ 重要なんかほとんど無かったろ。 130XE\65XEはコモドール64に押されてサッパリ売れなかったし、その後のXEGSなんか今更何?のゴミだからな。 >>184 静岡って聞いてたけど。 沼津で働いてたとき、大仁の東京電気でアタリST用レーザープリンターを出荷しているのを見たよ。 静岡と言えばキヤノンのレーザープリンターの開発で富士のパーパスに出向した事あったな と言ってもコントロールコード通りに加工したキャラクタイメージを、プリンタ側のVRAMに 転送するみたいな超簡単な内容だったけど、元々風呂桶屋なので建屋が溶剤臭くてまいった ちなみに超簡単とは書いたけど画面上では綺麗に合成や拡大ができてるのに プリンタ側だと端っこが切れたりしてそっちの修正に時間取られた コモドールにしても、アタリにしても、 日本でパソコン販売してたの? アタリはしてない ATARI2800で玉砕して終わり >>188 80年代前半のTEC大仁はプリンタOEMの勇者だったね。 AppleのImageWriterは1も2。その他数多。Atariのアレは MegaST本体を印字イメージ展開に用いるタイプで流用不可。 デカいし重いし。実家の納戸におきざりにしたままだなあ。 STは楽器屋で売ってたよ。MIDI標準装備だからな。 Commodore Amigaは ウゴウゴルーガが有名だね♪ コモドール64は日本非販売で、 マックスマシーンが代わりに日本で販売される。 コモドール64も日本で販売されてたよ カナ文字が使えるやつね 日本でC64出たときは もうNEC以外のPCは駄目っていう風潮があったよね シャープのX1が何とか食いついていて富士通は誰が買うのって状態。 c64の日本語マニュアルの話は>>148 のURLにあるね。 コモドール64って日本でどういうセールスしてたら MSX並に普及したかなぁ XYXXなエロゲ数十本用意できたら98対抗できたかも 彼の国でエロゲは許されてもストリッぷポーカー止まり あっちではギリモザポエムレベルは刑法犯罪扱いだからムリぽ >>202 エロゲという時点で完全に論外 80年代マイコン文明を死滅させた上に 自らも因果応報的に死滅しただろ ストリップポーカーでは淡谷のり子みたいのが出てくるけど、アメリカ人はアレで興奮するのだろうか? ゲイ用のデータディスクも販売されてたな。 C64は日米同時に82年1月に販売してたら売れたかもね 実際は年末近くだったからFM-7が登場した頃 82年1月販売ならPC-6001に対して有利に立てた可能性はなくもなかった あとVIC-1001との互換性もないとね 何の情報を見たか知らんが 1982年1月ってのはCESでC64を発表しただけでその月に出荷されたわけじゃないぞ >>161 ケースとキーボードのみのベアボーンだけど本体$236.17 送料$111.8 https://myretrocomputer.com 本当に購入できるか分かりませんが、Vic20版欲しいなあ。 ちなみに2011年にCommodore USAから購入したものは、マザボAM1H-ITX入れて現役です。 (当時は$250+送料$55.6) >>206 1981年5月羽田流通センターで開かれたマイコンショーで 漢字表示を売りにしたFM-8@6809が発表発売されて以後 日本のパソコンは漢字表示機能が必須。1981年秋のビジネスショーで PC-8801発表発売。82年秋には9801。 commodoreはカナ表記が精一杯。漢字表示機能には無関心だった。 FM-8と同型ケース外観のBUBCOM-80@z80を システムズフォーミュレートというベンチャーが発売。 同社は1980年前後からcommodoreのPET-2001系列の パソコン教室を八重洲で開講して大評判でウケに入っていた。 1980-81年はCommodoreがパソコン界を日電8001と一緒に 牽引していた。PETの後継をBUBCOM@FM-8に切り替え ざるを得なかったムリぽがcommodoreの限界だったのかも コモドールジャパンの副社長でAtariジャパンの社長氏だったトニー東海氏とは 何回か対面で話をしたことがある。言葉数は少ないが他者の話にしっかり耳を 傾けることができる温厚な人物だったという印象。親分肌で慕う部下も多かったという。 ↓のコモドール関連の人事録を見ると、東海氏は1967年から在籍。電卓戦争の真っ最中から 約25年近くもトラミエル氏に連れ添っていたことになる。コモドール・ジャパンの社長は ジャックの長男のサム。ジャック&サム親子共々知日親日派の企業経営者。電卓戦争時期に 日本のCMOS電卓で大打撃を受けたはずなのに。ジャックの資金的パトロンだった グールド氏(ジャック辞任後コモドールの一人ボス)の彼女が日本人だったというから そんな奇縁がコモドールを日本に引き寄せたのかもね。 https://www.tinulehme.com/uploads/1/1/0/0/110054501/who_is_who_4.0.pdf ちなみにIBM-PCの開発者とかで某スレであがっていたエッゲブレヒト氏は93-94年。 在籍1年ほど。フランクリンといいコモドールといい彼が入社すると直ぐに倒産。怖いw 子供の頃、PC-6001、VIC-1001、ベーシックマスターJr.の3機種を候補にし 結局はPC-6001を選んだのは正しかったのだろうか? まあ、PC-6001で楽しめたのは事実だけど >>212 日立ベーシックマスター 30万円の機種 笑える 30万はレベル3 外見だけApple似の醜いマシンだった >>201 MAXマシーンとC64同時発売で並べて展示して、 C64で開発した素人ゲームをコンテストで発売ってな、 1982年12月20日応募期限エニックス主催「第1回ゲーム・ホビープログラムコンテスト」と張り合うような事をやってれば良かったのでは ゲーム作りやすいハードではあるし、MAXマシーンって安い再生機と連動しての開発機として売り出して、X68000のような立場の先取りすれば C64はかなり後に手を出した、Atari800やAmiga500よりも後。 名前は忘れたけど秋葉原公園近くのビル2階に入ってた店で、国内品の在庫処分と思われるモデルに英語版ROMを搭載して安価で販売してた。 輸入物のディスク盤ゲームを動かすプレーヤー的なポジションかな。 ちなみにそのビルの4階にはあの"マーズ・マーケティングカンパニー"がW >>217 MB-S1はハード的には名機でしたよ、ソフトはハドソンからしか出なかったけど。 >>218 オークビレッジでしょう 夫婦で経営してた まだあるのかな? そうです!オークでした。 ソフト買うと何も言わなくても、手書きの領収書を出してくれたのが珍しかったです。 輸入ソフト販売は他にはお茶の水のパイナップル6502かな、C64のMancopterを見せてもらったのを覚えています。 >>218 640x200x8色モード使うとメインメモリが48kBに減ってしまう糞仕様だったがね >>212 正しかっただろ 他の2機種は書籍も雑誌記事も少なすぎる ハードも搭載されているBASICも特殊仕様で使いづらい BASICの次にマシン語に行こうとしてもこれまた書籍が少なすぎる 6800のマシン語本や6502のマシン語本なんてまずお目にかかれない ネット時代になった今でもなかなか見かけない 逆にP6のZ80のマシン語本は当時も今もすぐに手に入る P6は色んな面であの頃の低価格機種としてかかなり恵まれたマシンだった ベーシックマスターjrとか松下のJR100/200とか 出たとたんに終わってた感じの機種だったよな VIC-1001は低価格パソコンの先駆者としての一定の存在感があったが やはりPC-6001が頭3つくらい抜けた存在だったな 当時は、パピコン?ダサっプゲラ って感じだったけどなー mkIIはもはやパピコンなどと呼んでは失礼なスペックになってしまった 六本木パソコン Mr. PC コモドールとは関係無いけど、 すごい恥ずかしすぎる(笑) あれは傑作だったな。 恐らくP6の合成音声を最も活用したソフトだったろう。 続編では喋らなくなっちゃって残念だったけど。 メフィウスって評判悪くなかったか? 動きの鈍いカーソルで壁を延々と調べるといった拷問もあったとか。 でも売れた。 「惑星メフィウスはこうして作られた」みたいな本まで出たし。 日本の初期のアドベンチャーはフロッピーディスクが普及して無いせいか、カセットテープのしょぼいやつばっかしだった。 デゼニとかサラトマとかカセットベースでも結構まともだったな 記録的超低速FDDのC64でアドベンチャーゲームは地獄 The 8-Bit Guyのメンテナンス動画見てると、ウチのもやって欲しいと思う。 よし、俺にC64と1701モニタと1541シングルFDDと スーパーエクスパンダーのセットをプレゼントするんだ。 今思うとアドベンチャーゲームは 何が楽しかったか思い出せない 最初、アドベンチャーゲームというのを本で知った時は自分で考えて行動したことが何でも画面に反映される夢のようなゲームだと思った。 最初のアドベンチャーゲームは絵すらなくてテキストだけだったのだ 自分の行動が反映される電子小説だな テキストで入力するべき単語が思いつかずにハマることが多かったのだ しかもコマンドが英単語だと「こんな単語知らねーよ!」でハマることが多かったのだ デゼニランドで顕著だったな polishとか サラトマではカナ入力や、混在も可能だった 例)eat モモ トランシルバニアだったかな 銃に弾を装填するのにLOAD PISTOLだからな わかるわけねえよ "Poker for Commodore VIC-20 - game play" https://youtu.be/Z-6dzRgHIro 音楽がクレイジークライマー マックスマシーン【モールアタック】(コモドール社/1982年) <もぐらたたき>…って今の若い人は知ってるかな? これもCBM/PETで走っていた古いゲーム。 MAXマシーンは最新機種でハイレゾが使えるのに、あえてキャラグラ風味を残すなんて、恐るべき拘りだ!元ゲーに対する自信だ!と、子供の僕は思ったね. https://mobile.twitter.com/DentoTeramachi/status/1403749063829250050 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) PET版もぐらたたきのカセット持ってたよ PETのはサウンドなしだが、それにしてもつまらないものだった しかしそれをわざわざ後継機に移植するのには呆れた >>253 元々が子象の行進って曲だから言い逃れは出来そうw >>251 トランシルバニア! 狼男が夢にも出てきて恐かった(笑) C64やC128のエミュレータで遊んでいるんだがWinVICEって使っている人いるかな? かなりいろんなことでできそうだし、いろんな機種がそろっている。 全く知識がないところからスタートしたんだがCP/MとかGEOSがうごくところまではたどり着いた WinVICE ウィンドウサイズをX倍に変更する機能がない(´・ω・`) VICゲームブックがオクに出てたけど3万超えで手が出なかったw read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる