【コモドール】 VIC-1001 C64 MAX【Commodore】
フルサイズ復刻するから立てた
※「thec64 復刻」でぐぐるとフルサイズで一万以下のサイトが出てくるけど気をつけろよお前ら VIC-1001+VIC-1211M vs PC-6001
貰うんならどっち選ぶ? ナムコにケチ付けられる前の
ギャラクシアン、パックマン、ラリーXの
ROMカートリッジって希少? 全部持ってたけど処分してしまった
死ぬほど後悔している VIC-1001のギャラクシアン。。。
任天堂社長の故・岩田氏の作だよね。。。
HAL研究所時代の。。。 >>9
1.PCG6500(コモドール PET/CBM)
2.PCG8000(シャープ MZ-80)
3.PCG8100(NEC PC-8001)
HAL研究所のPCGって、この順番で発売されたのかな。 >>10
11も言ってるけど少しは自分で調べたら? >>13
誰?俺が10です。
というか安易に質問したのが馬鹿だったかな。
また来ます。 ・スーパーエクスパンダー(VIC-1211)
@ハイレゾグラフィック用のコマンドが増える
APSG・ジョイスティック端子用のコマンドが増える
Bファンクションキーに12種類(4×3×1バンク)のコマンドが登録可能になる
・追加されるコマンド
HIRES, PLOT, BOX, CIRCLE, SETC, SOUND, MUSIC, TEMPO,
PIANO, LOCATE, CHAR, PDL, LIGHT, JOY, RELEACE, など
・プログラマーズエイド(VIC-1212)
@デバッグ用のコマンドが増える
Aプログラミング補助のコマンドが増える
Bファンクションキーに24種類(4×3×2バンク)のコマンドが登録可能になる
・追加されるコマンド
RENUMBER, MERGE, FIND, CHANGE, DELETE,
AUTO, TRACE, STEP, DUMP, HELP, など
・マシンランゲージモニタ(VIC-1213)
@簡易アセンブラが使用可能になる
ACPUのステップ動作が可能になる
Bレジスタ、メモリ、スタックポインタのモニタリングや書き換えが可能になる スーパーエクスパンダーはBASIC拡張モジュール
@ハイレゾグラフィック用のコマンドが追加される
APRINT文でミュージックマクロが使用できるようになる
Bジョイポートの値を読み取る関数が追加される
Cファンクションキーが使用可能になる(F1〜F8)
スーパーエクスパンダーを使用する場合は、最低でも3KBの拡張が必要。
VIC-1211Mであれば3KB RAMが内蔵されているので、
本体のエクスパンションスロットにカセットを差すだけで使用できる。
それ以外の場合はエクスパンションモジュールを増設して
増設RAMカセットとスーパーエクスパンダーを同時挿しする必要がある。
プログラマーズエイドは増設RAM無しでも使用できるが
カセットを挿して電源を入れるだけでは有効にならずに
BASICからSYS 28681と入力すると有効になる。 ファンクションキーは
スーパーエクスパンダー
・普通に押してF1, F3, F5, F7
・Shiftキーと押してF2, F4, F6, F8
の4×2=8種類
プログラマーズエイド
・普通に押してF1, F3, F5, F7
・Shiftキーと押してF2, F4, F6, F8
・Ctrlキーと押してF9, F10, F11, F12
・EDIT用とPROG用の2バンク
の4×3×2=24種類
じゃないか? 話は変わるが、イーロンマスクが幼少の頃に作ったゲームがYouTubeにあるぞ。
VIC-20用な。 VIC時代は雑誌とか作ってコモドールジャパン頑張ってたな。
C64辺りになってやる気をあまり感じられなくなった。
なにか体制の変化でもあったのかな C64の頃はもう日本企業が力つけていたからじゃないの
アップルもタンディも撤収しちゃったし C64は1982年だし、他の日本企業の製品もそこまででもなかったと思う
当時の国産のホビーマシンより性能良かったのに、
アピールすることもなく消えてしまった残念なマシン。
欧米ではあれだけ売れたのにねぇ カタカナ機能はあったけど、それを使ったソフトがない。
ROMの違いで米国のソフトとの互換性は低い。VICと同じ内容のゲームカートリッジ数本しか販売されてない。
これじゃ売れっこないよ。 いや、米国のソフトなんてそもそもVICでは眼中になかったし、国産ソフトが沢山あった。
米国との互換性なんてあんまり関係ないよ。
そういう問題ではなく、日本でC64ソフトが開発されるレベルまでコモドールジャパンが
アピールしなかった事がやる気が無いと言ってるんだよ。 まぁVICがPC-6001に惨敗したという前例があったからなぁ
あの頃は雑誌に掲載されたソフトを入力して遊ぶ需要が結構あったから
パソコン雑誌にあまり載らないメーカーのPCは敬遠されたんだろうなぁ ベーマガにC64の記事が載ったときに
基本性能がいい上にFDDが10万円以下で
「おっ、これいいかも!」って思ったが
誰も食いつかなかったのが悲しい。 ちょっと月刊I/Oを見てみたが
C64の広告が初掲載されたのが1982年12月号
同じ号でMZ-700とFM-7が新発売となっている
ちなみにホビーパソコンではぴゅう太は論外として
ソードのm5が49,800円で発売済み >>28
面白いゲームが沢山あればもっと売れただろうよ
超高価なアップルさえそこそこ売れたんだから コナミがC64のROMゲームとか出せばMSX1みたいにはなっていたかも
コナミのROM型番って500番台がPC-6001、700番台がMSX
800番台がファミコンで600番台が欠番なんだけど
もしかしたらC64でソフトを出す構想があったのかもしれない 日本はFM8、PC8801でハイレゾ志向になったから
コモドールが頑張ったところで大して売れてないよ VICの広告には発色のいいカラフルなゲームが並んでいてキレイに見えたけど
コモドール64の画面ってなんかねぼけたような色あいで全然キレイに見えなかった
あのねぼけた発色じゃ欲しいと思わないよ VICがPC-6001に負けたのは日電のブランド力というより
「こんにちはマイコン」によるところが大きい スペックも全然違うよ
スーパーエクスパンダー付けたってRAM 8KBだし >>37
NECのブランド力大きいよ
あとCMの「じゃんけんぽん、カセットポン」 マックスマシーンは情報量が少なくてBASICが使えるのかすら不明だった
実物は上野の松坂屋で一度見たっきり マックスマシーンはおもちゃ屋の試遊コーナーでペラペラキートップがボロボロになってたな VIC-1001のスーパーエクスパンダーの拡張命令って結構酷い
カラーは一画面内で同じ色しか指定出来ないし
グラフィックは本来のドット数じゃなくて、画面全体を1024×1024の座標に直さないといけないし
音楽はPRINT文に特殊記号を入れて入力する方式だし
これじゃPC-6001に絶対勝てないよ >>37
「こんにちはマイコン」ってP6初代機ユーザーからするとかなり後発の本
発行されたころにはVICなんてとっくにP6に負けていたよ
VICとの勝負なんかついたその後に出た本だ
>>45
画面まわりに何をするにもイチイチ特殊文字を入力するので
他のどの機種からみてもかなり特異なBASICだよね P6が完全勝利したのはゴールデンにCM出したことだな
あれなら子供が親にねだるパターンもあるし
大人が何となく欲しくなるパターンもある しかしそのP6を捨ててしまったのがNECの運の尽きというか
短期的には88がヒットしたけど
その後は(ry 初代機、mk2、66、mk2SR、66SR と5機種も投入したんだ
捨ててしまったって事はないのでは 傘下の日電HEじゃなくて他社へ売却だったらSRなんか出なかったかもね あの日電がかつては家電やってたってのが信じ難い
最も家電の販売網があったからこそPCもすんなり流通したんだろうけど NECのテレビは高橋英樹がCMしていたな
ヒントでピントのクイズ画面のシステムをNECが開発した縁で
ヒントでピントのスポンサーやっててパピコンのCMも流れてた >>52
日電系列の街の家電屋さんがあった
98買ったときはそこでI/Oの一番安い店よりも安い値段で購入した VICは安かろう悪かろうだったよ
電源入れると家中のテレビが映らなくなる VICはホビーで使うにはメモリが少ないしBASICも貧弱
どちらかといえばROMゲーム遊ぶ用の高級ゲーム機 VICの敗因は販路の少なさだろ
売っているのを見たことがない VICはノイズが酷かったね
コモドール純正モニターに繋いでも汚い画像だった >>58
Wiki見るとシールド入ってなかったんだな
当時はノイズ対策に分厚いシールド版入れたんでコストが掛かったが
その後アルミ箔でも結果は変わらないって分かって安く作れるようになったけど VICのスペック上の解像度は176x184ドットだけど
スーパーエクスパンダーだと160x168の領域しか描画できない謎仕様 P6は256×192ドット2色、128×192ドット 4色
VICが176×184ピクセル 8色
VICの方がゲームには適してるような I/Oの投稿プログラムでVICの奴ってモノクロのラリーXみたいなのを見たのが唯一だわ >>63
VICの広告ページのゲーム写真はアーケード版のような鮮やかな発色で凄く魅力的に見えた 176×184だと8×8単位で2色
88×184だと4×8単位で4色 VIC-1001ってそんなにレアだったんか?
町田の小田急百貨店のおもちゃ売り場で普通に試遊台あったよ
パックマン(のクローン)見て口のパクパクが遅いけどいい出来じゃん!って思ってた >>67
それってHAL研のなら正規ライセンス
HAL研はパックマンの国内移植権持ってた
ただアメリカで販売する時に別会社が権利持っててクレーム付いたんでお蔵入り 結局コモドールジャパンがナムコから訴えられてるけどね
(「ゲームマシン」1983年3月1日号2面)
ttps://onitama.tv/gamemachine/archive.html
HAL研が自分のブランドで小売していれば話は違ったのかもしれんが 子供の頃、父とPC-6001を買うかVIC-1001を買うかで家族会議したな
結局はPC-6001を買いNEC系のパソコンを長く使うことになる
PC-98時代はエプソンの互換ノートを使っていた
でもVIC-1001やC46のデザインは今見ても美しい VIC-1001はゲームマシンだよ
RAM容量の少ないのとBASICが貧弱なのをオプションで補うとPC-6001より割高になる
どっちもROMゲームやるだけなら要らないんだけど RAM5kBってのが貧弱過ぎたね
しかも在庫処分の1kbitSRAM使ってるっていうから5kB言えども40個
熱暴走しやすいのもよく分かる あと電磁波出まくるんで電源入れると家中のテレビが映らなくなる問題もある 子供の頃に秋葉原の九十九電機で売ってたのを始めてみた
あの頃の秋葉原は面白かったな PC-6001ってVIC-1001意識して設計したのかなぁ
FDD繋ぐのが高い以外はPC-6001の方が上だし 6001のグラフィックスは酷い
VICの方がまだマシでしょう VICは176×184の解像度で8×8単位で2パレット(16色中)
横ドットを倍にすると4×8単位で4パレット使えるようになる。
横ドットを倍にするかは8×8ドット単位でアトリビュート指定できる。
P6は256×192ドットのモノクロか、128×192ドットで4色
ただ256×192は家庭用テレビのにじみでなんちゃって4色が使える C64がもう少し早く発売されていたらという意見があるが
あのタイミングで発売されたからこそアメリカで大ブレイクした
一年早かったらRAMが64KBにならなくてATARI800に負けていただろうし
一年遅かったらMSXとシェアを食い争うことになっていた 仮に48KbでもC64が勝つよ
アタリ800とは価格性能比が違う VIC-1001がパソコンの低価格化を促した功績は大きい
まあ、買うのはPC-6001を買うのが正解ですが ホビーパソコンにしたのも大きいよ
でなきゃベーシックマスターJr.みたいなのになってた ベーシックマスターJrは無意味な低価格機だったな
VIC-1001は低価格パソコンの先駆者としての意義があったが
JrはPC-6001に負ける為にだけに登場した機種だった ベーシックマスターJrはL3が発売されて
L2が売れなくなったからガワだけ変えて値段下げた機種のような気がする。
一応フルグラフィックとカラーには対応したが
せめてキーボードを普通のSHIFTキーとカナロックに変更してほしかった そうそう別売りで対応できたね
別売りという時点で既にアウトだと思う
それとカセットの読み込み速度がPC-6001にかなり劣ったはず 最初300bpsだったけどROMのアップグレードサービスで1200bpsになったはず MZ-700も微妙な機種だったよな。
カラーが使えるようになったけどモニターが別売になったMZ-80K。 VIC-1001, PC-6001の対抗馬はMZ-80K2E
MZ-1200からガワだけ変えて性能は一緒という変な方向に進んでいった
最初からMZ-1500みたいなの出していればな VIC-1001はROMカートリッジのゲームは面白そうなものが多かったな 最初は出来のいい無断移植シリーズが続いたが
それ以降のソフトはゴミ VIC-1001はROMカセットはどこに取り付けたの?
広告みてもよくわからんかった 拡張ユニットにすっぽり取り込まれるように一体型になるのも背面にスロットがあってこそ 動くがキャラセットの違いで文字化けする可能性はある 安くて性能が良かったからじゃね?
なぜか日本では高かったけど >>99
メモリが標準で64K積まれていてディスクドライブも安かったから
FDベースのソフトが大量にリリースされた。
スプライトと音源積んでいるのでファミコンチックなゲームも出来た。
モデム繋いでパソコン通信するのに適当だった。 コモドールのFDDの遅さはアップルのDiskIIが超高速に感じる程であったが。
何しろゲームが開始するまでサンドイッチを買いに行けるくらいだからw シリアル接続で転送速度が3200bps程度だったらしい
X1の内蔵データレコーダが2700bps 2400bpsのMSXのLD-ROMよりはマシだな あれは音声トラックにデータレコーダの音声が入っているだけ。
ロード中の映像の裏で本当にデータレコーダの音声を再生している。 >>100
でもPC-88とかFM-7よりは安かったでしょ >>106
VRAMが少なく解像度の低いマシンは廉価機種としてしか見られなかったから
比較するならFMや88ではなくPC-6001とかでしょ。 日本はファミコン登場でグラフィク表示がイマイチな機種は淘汰されたからな
C46は日本のニーズにはイマイチ合わなかったな FM-7と発売が被ったからな
3万円上乗せでFM-7になるんならそっちにするわ VIC1001は発色がキレイだったけど
C64の画面ってなんかくすんだ色なんだよな
あの色のせいで魅力的には見えなかったよ P6も発色きれいだった(特に紫)
TMS9918系はやたら明るくて浮いた感じの色調に見えたな。 6001初代機はビデオ出力だからそんなにきれいじゃないよね
モード4にじみカラーはいい発色だったと思うけど本来のスペックではないし
mk2だと16色モードはキレイだったと思う
4色モードでの色の組み合わせは変だったが そうそう、きれいなのはmkIIをRGB接続したとき PC-6001で贅沢いってもしょうがないよ
VIC-1001やPC-6001はあの価格で
それなりのカラーグラフィクを使えただけでも凄い
グラフィクに関しては高価格のMZ-80系統はクソだった
あとベーシックマスターJrもカラー使うには別売りアダプターが必要
出た時期考えれば大したもの PC-6001はホビーパソコンとしては適当なマシンだった。
テレビ映すのに丁度いいグラフィックと当時は斬新なPSG3重和音。
RAMも標準16KBでカセット挿すだけで32KBに拡張可。
汎用LSIで構成されているからNECらしくないと言えばらしくないPCだったんだが。 VIC-1001も家電メーカーと組んでCM流して
デパートや電気屋で買えるようにすれば少しは伸びたかも
コモドールじゃI/O読者しか買わんよ VICの頃は割と頑張ってたと思う。ミニコミ紙とか作って広報活動に力入れてたし。
東京に本社移してから方針が変わったのか、C64とかなんかやる気なくなった感じだったよな。 P6は「ジャンケンポン カセットポン♪」というCMはインパクトあったからな
日本でパソコンを大衆化させるきっかけになったパソコンだね
ほんとはVIC-1001が先駆者なんだけど知名度が低すぎた PC-6001は結構VICを研究して作ったような気がする
RAMが少ないとかBASICが使い物にならないとかはきっちり改良されている コモドールもP6も、当時のキーボード一体型廉価PCはキーボードの耐久性が無くてなぁ。
中古で売られてる奴なんかチャタだらけで使い物にならなかったの覚えてる。 その昔、アキバの某店舗でVIC-1001がモニターやら周辺機器をわんさか付けた
セット価格で一式20万くらいで販売してた
81年当時だから20万といっても今の20万よりずっと高価だけどね
買う奴がいたかどうかは不明 VIC-1001は2万円のスーパーエクスパンダー(3K RAM付き)を付けても
RAMはPC-6001の半分、BASICの機能もPC-6001以下 今オクに出てるVIC。5万くらいは行くかなと思ったら15万行ってたw paypay祭りと重なってヒートアップした感じかね。
純正カセットレコーダの完品は珍しい、かな。 VIC1001は出荷台数が少ないのか、常に高値だね
俺ならebayでVIC20を買うけどな プログラミングしたりゲームしたりする分にはVIC-20でもいいけど
やっぱカナが使えないとなんか寂しいみたいな感情があって
そういう所にプレミアムが付くんだろうね
日本版は箱やマニュアルがかっこいいのもいい VIC-20って1980年,1981年どっちに発売されたの? 1981年だね。
VIC-1001は前年の1980年。 昔のI/Oマップでコモドールの開発拠点にいった人がいたような記憶がある >>120
標準キーボードと40*25(80*25)テキスト
それにPCGをサポートしていれば HAL研開発のVIC-1001/20のゲームはHAL研のWikipediaに書いてあるのが全てでしょうか?
HAL研開発のマックスマシーンのゲームはジュピターランダーの他は何があるでしょうか? >>140
これもHAL研究所製だと思う。
"C64 Commodore 64 Night Driver game review"
https://youtu.be/FMFDf5n54Mw >>141
>>140
HAL RABORATORYとありますね。ありがとうございます。
てっきりC64のHAL研のゲームは下位互換性のあるVIC-1001/20のものばかりかと思ってました。
HAL研はPC-8001+PCG用にもコモドールと同じようなラインナップのソフトを出しています。
たぶんコモドールのほうが先だったのかな。 >>142
C64の下位互換は、MAXmachineでしょ。 >>140
インターネットアーカイブで、昔のI/O誌のHAL研究所の広告を捜せば良いでしょうね。 >>141
ナイトドライブってHAL研製だったんだ
VIC用に買った2本目のゲームがこれでした
今見るとしょぼいけど当時はかなり楽しめたな >>143
PETスレでPCGを復活させた人の投稿が読めるよ なにがすごいって、
コモドールの創業者、
ジャック・トラミエルは
第二次戦争大戦のとき、
ポーランド在住のユダヤ人で、
かの有名なアウシュヴィッツ収容所に
収容されていたが、
そこから生還していることだよ!
それからアメリカに渡り、
学校もろくに出ておらず、
様々な職を転々としながらも、
コンピューターの興味を持ち
ほんのひとときだったかも知れんが、
全米一のホビーコンピューターをつくった! Commodore PET 2001
Commodore VIC 1001, VIC 20
MAX Machine
Commodore 64
Commodore 128
Commodore Amiga トラミエルの生涯をまとめたドラマや映画があってもいいと思う。 コモドールを追い出されて、
アタリコープの社長になって、
コモドールと骨肉の争いするのも
面白いよねw コモドール64は
キーボードの右側面に
カートリッジを挿し込ってことですか? いや、今でもC64は1600万台というパソコン単一機種の販売台数世界一を保持してる。 販売台数的には、IBM PCに負けたのではなく、あくまでIBM PC互換機に負けただけだって推移だしな C64 Games Systemってゲーム専用C64あったよな
大コケだったけど ひょっとしたら、
あのアウシュヴィッツ収容所のガス室で
亡くなってたかもしれないのに、
30数年後に
コンピューターの世界で
大活躍したんだからすごいよね。 英語のWikipediaみると、2010年にCommodore USAという会社が立ち上がって、64とか、Amigaとかのスリム版を出して、3年ぐらいでつぶれた様子。
ど、また2020年にMy Retro Computerという社名で復活したようだけど、そのへん詳しい方いらっしゃいます? >>160
ジャック・トラミエル氏の略伝ということなら↓の英語版ウィキペディアがそこそこ詳しい。
1928年ポーランド生まれ。ナチ強勢の最中ユダヤ人ゲットーを転々としアウシュビッツ収監。
生体人体実験などの極悪非道な所長ヨーゼフ・メンゲレの対面選別で父親と共々アーレンの
強制労働収容所に移管。母親はアウシュビッツ絶滅収容所に留め置きのまま。父親は作業中に
焼死。ガソリン火炎放射器で焼き殺されたらしい。1945年連合米軍84部隊のヴァーモン・トット氏
により救出解放。その後1947年に米国へ移民移住。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jack_Tramiel 米国移民後、米軍に入隊。軍務機器、事務機器類の修理などを担当。
除隊後ニューヨークでタクシードライバーなどで働きブルックリンで
機器修理業のコモドール社開業。チェコ製タイプライターなどの機器
修理から事務機器の製造販売へ業務拡大。1960年代はじめには手回し
機械式の卓上計算機の製造販売にも手を広げる。1962年上場。
ところがブラザーなどの日本製タイプライターが北米を席巻して大打撃。
1964年の日本の輸出額の80%がタイプライターといわれている。で、
カナダの資本家アービング・グールド氏に社を売却。経営陣に留まる。 グールド氏に勧められてビジネス競合の日本視察。トランジスタ式電卓を
一目見て機械式計算機ビジネスを断念し、TI製のIC(TTL)とLEDを組み合わせた
卓上式計算機を製造販売する。しかし仕入れ先のTI社が専用ICを用いた電卓完成品を
コモドール電卓の部品代程度の低額で販売。そこでTI対抗でIC自社製造目的で
300万ドルを投資してMOSテクノロジー社をMA。同社チャック チャック・ぺドル氏がPETを開発。Appleなどに先行してパソコンを販売出荷開始。
しかし、カラー出力ができない。家庭用TVに接続できない。などの弱点が徐々に
顕在化しシェアを落としていく。 日本製のタイプライターなんて、全然知らなかった
というか、タイプライターなるものを全然知らないし
続きが読みたい 和文タイプって、末期になるとコンピュータ制御になっててね
古い技術と新しい技術が融合していてなかなか面白い機械だったぞ。 日本製の英文タイプライターでしょ?
1960年代だと、単にアルファベットを打ち込むだけだろ。
1990年代に貿易事務でそんなのつかったわ。
3枚複写の書類なんかで、
間違えると上手いこと修正液で修正したわ。 靴製造職人の倅なジャックの奥様はヘレン。仕立て屋さんの娘。
ポーランドの同じゲットー(ナチスによるユダヤ人隔離居住地域)に住み
1944年にアウシュビッツ収監。その後アーレンの強制労働収容所に
送り込まれ1945年終戦時に解放。ヘレンも囚われていた。
二人の出会いは収容所からの解放後。1947年まで欧州(ドイツ?)で
アルバイト的仕事でしのぎ、1947年にユダヤ移民支援プログラムで
旅券などを得て米国移住。ヘレンは翌年1948年に移住。
アウシュビッツを生き延びたジャックの母は1949年に移住。
ジャックは陸軍に入隊。英語と機器操作や修理などをIBMの講座などで学習。
50-51年の朝鮮戦争で韓国に派遣されることもあった。軍務は3年7ヶ月。
除隊時にはすでに生まれていた幼児のp。
育児でヘレンが仕事ができなかった期間の収入を補うために
その期間タクシー運転手もこなす。共稼ぎ復帰後にジャックは独立自営開始。
退役軍人支援で25000ドルの銀行支援を得てNYブロンクスのタイプライター
販売会社店舗を居抜きで取得。
Early History of Jack Tramiel’s Commodore
https://www.commodore.ca/commodore-history/early-history-of-jack-tramiels-commodore/amp/
Helen Tramiel (Goldgrub) and Jack Tramiel (Trzmiel)
https://www.polin.pl/en/subpage/helen-tramiel-goldgrub-and-jack-tramiel-trzmiel コモドールのマシンは安い
意味なく高価なアップルとは対極 繰り返しだけども、アウシュヴィッツを生きのびたのは本当にすごいよな。いつガス室に送られてもおかしくなかった。 >>171
VIC-1001って、プアマンズApple ][って感じだったよねw 勿論、私もVIC-1001オーナーだがw
Apple][も持っているよw サウンドだけはアップルを上回っていたな
ソフトが少な過ぎたが でもVIC20で出来の良いソフトはほんの僅かだ
大抵は安っぽい出来だったよ >>171
コモドールのスローガンは
Computers for the Masses, not the Classes
アップルのスローガンは
Computers for the rest of us
訳せば専門家向けじゃないみんなのためのコンピュータ。?
意味的に似ているようで微妙なニュアンスの差異があるような。 Commodore 関連の歴史本というとあまり無いみたい?
Commodore: A Company on the Edge (英語) ハードカバー Commodore 関連の歴史本というとあまり無いみたい?
Commodore: A Company on the Edge (英語) ハードカバーくらい?
PDFを読み始めたのだが、物語のメインは6502の発明開発者の
チャック・ぺドル物語の印象。
iPadのJane style 大丈夫かな。行抜けスマホ >>180
> コモドール辞任後のトラミエルについては以下が航海日誌風で詳しい。
A History of Tramel Technology / Atari
https://mcurrent.name/atarihistory/tramel_technology.html#1985
jane style ちゃんと書き込めているカナのテスト
トラミエルは仇敵アタリに移ったわけだが、アタリはスペックが陳腐化した800コンピュータを5200→1200XL→800XL→65XL→XEGSと形を変えリリースするという意味不明な事していた。
自社開発能力が無いのだろうか。
16ビットのSTシリーズは確か日本の企業が、携帯ゲームのLynxはEpyxが開発したようだしな。 >>183
意味不明じゃなくて廉価版
ファミコンもNEWファミコン出たのと同じ理由
安く作れるようになったのと需要がまだまだあったから出しただけ 重要なんかほとんど無かったろ。
130XE\65XEはコモドール64に押されてサッパリ売れなかったし、その後のXEGSなんか今更何?のゴミだからな。 >>184
静岡って聞いてたけど。
沼津で働いてたとき、大仁の東京電気でアタリST用レーザープリンターを出荷しているのを見たよ。 静岡と言えばキヤノンのレーザープリンターの開発で富士のパーパスに出向した事あったな
と言ってもコントロールコード通りに加工したキャラクタイメージを、プリンタ側のVRAMに
転送するみたいな超簡単な内容だったけど、元々風呂桶屋なので建屋が溶剤臭くてまいった
ちなみに超簡単とは書いたけど画面上では綺麗に合成や拡大ができてるのに
プリンタ側だと端っこが切れたりしてそっちの修正に時間取られた コモドールにしても、アタリにしても、
日本でパソコン販売してたの? アタリはしてない
ATARI2800で玉砕して終わり >>188
80年代前半のTEC大仁はプリンタOEMの勇者だったね。
AppleのImageWriterは1も2。その他数多。Atariのアレは
MegaST本体を印字イメージ展開に用いるタイプで流用不可。
デカいし重いし。実家の納戸におきざりにしたままだなあ。 STは楽器屋で売ってたよ。MIDI標準装備だからな。 Commodore Amigaは
ウゴウゴルーガが有名だね♪ コモドール64は日本非販売で、
マックスマシーンが代わりに日本で販売される。 コモドール64も日本で販売されてたよ
カナ文字が使えるやつね 日本でC64出たときは
もうNEC以外のPCは駄目っていう風潮があったよね
シャープのX1が何とか食いついていて富士通は誰が買うのって状態。 c64の日本語マニュアルの話は>>148のURLにあるね。
コモドール64って日本でどういうセールスしてたら
MSX並に普及したかなぁ XYXXなエロゲ数十本用意できたら98対抗できたかも
彼の国でエロゲは許されてもストリッぷポーカー止まり
あっちではギリモザポエムレベルは刑法犯罪扱いだからムリぽ >>202
エロゲという時点で完全に論外
80年代マイコン文明を死滅させた上に
自らも因果応報的に死滅しただろ ストリップポーカーでは淡谷のり子みたいのが出てくるけど、アメリカ人はアレで興奮するのだろうか?
ゲイ用のデータディスクも販売されてたな。 C64は日米同時に82年1月に販売してたら売れたかもね
実際は年末近くだったからFM-7が登場した頃
82年1月販売ならPC-6001に対して有利に立てた可能性はなくもなかった
あとVIC-1001との互換性もないとね 何の情報を見たか知らんが
1982年1月ってのはCESでC64を発表しただけでその月に出荷されたわけじゃないぞ >>161
ケースとキーボードのみのベアボーンだけど本体$236.17 送料$111.8
https://myretrocomputer.com
本当に購入できるか分かりませんが、Vic20版欲しいなあ。
ちなみに2011年にCommodore USAから購入したものは、マザボAM1H-ITX入れて現役です。
(当時は$250+送料$55.6) >>206
1981年5月羽田流通センターで開かれたマイコンショーで
漢字表示を売りにしたFM-8@6809が発表発売されて以後
日本のパソコンは漢字表示機能が必須。1981年秋のビジネスショーで
PC-8801発表発売。82年秋には9801。
commodoreはカナ表記が精一杯。漢字表示機能には無関心だった。 FM-8と同型ケース外観のBUBCOM-80@z80を
システムズフォーミュレートというベンチャーが発売。
同社は1980年前後からcommodoreのPET-2001系列の
パソコン教室を八重洲で開講して大評判でウケに入っていた。
1980-81年はCommodoreがパソコン界を日電8001と一緒に
牽引していた。PETの後継をBUBCOM@FM-8に切り替え
ざるを得なかったムリぽがcommodoreの限界だったのかも コモドールジャパンの副社長でAtariジャパンの社長氏だったトニー東海氏とは
何回か対面で話をしたことがある。言葉数は少ないが他者の話にしっかり耳を
傾けることができる温厚な人物だったという印象。親分肌で慕う部下も多かったという。
↓のコモドール関連の人事録を見ると、東海氏は1967年から在籍。電卓戦争の真っ最中から
約25年近くもトラミエル氏に連れ添っていたことになる。コモドール・ジャパンの社長は
ジャックの長男のサム。ジャック&サム親子共々知日親日派の企業経営者。電卓戦争時期に
日本のCMOS電卓で大打撃を受けたはずなのに。ジャックの資金的パトロンだった
グールド氏(ジャック辞任後コモドールの一人ボス)の彼女が日本人だったというから
そんな奇縁がコモドールを日本に引き寄せたのかもね。
https://www.tinulehme.com/uploads/1/1/0/0/110054501/who_is_who_4.0.pdf
ちなみにIBM-PCの開発者とかで某スレであがっていたエッゲブレヒト氏は93-94年。
在籍1年ほど。フランクリンといいコモドールといい彼が入社すると直ぐに倒産。怖いw 子供の頃、PC-6001、VIC-1001、ベーシックマスターJr.の3機種を候補にし
結局はPC-6001を選んだのは正しかったのだろうか?
まあ、PC-6001で楽しめたのは事実だけど >>212
日立ベーシックマスター
30万円の機種
笑える 30万はレベル3
外見だけApple似の醜いマシンだった >>201
MAXマシーンとC64同時発売で並べて展示して、
C64で開発した素人ゲームをコンテストで発売ってな、
1982年12月20日応募期限エニックス主催「第1回ゲーム・ホビープログラムコンテスト」と張り合うような事をやってれば良かったのでは
ゲーム作りやすいハードではあるし、MAXマシーンって安い再生機と連動しての開発機として売り出して、X68000のような立場の先取りすれば C64はかなり後に手を出した、Atari800やAmiga500よりも後。
名前は忘れたけど秋葉原公園近くのビル2階に入ってた店で、国内品の在庫処分と思われるモデルに英語版ROMを搭載して安価で販売してた。
輸入物のディスク盤ゲームを動かすプレーヤー的なポジションかな。
ちなみにそのビルの4階にはあの"マーズ・マーケティングカンパニー"がW
>>217
MB-S1はハード的には名機でしたよ、ソフトはハドソンからしか出なかったけど。 >>218
オークビレッジでしょう
夫婦で経営してた
まだあるのかな? そうです!オークでした。
ソフト買うと何も言わなくても、手書きの領収書を出してくれたのが珍しかったです。
輸入ソフト販売は他にはお茶の水のパイナップル6502かな、C64のMancopterを見せてもらったのを覚えています。 >>218
640x200x8色モード使うとメインメモリが48kBに減ってしまう糞仕様だったがね >>212
正しかっただろ
他の2機種は書籍も雑誌記事も少なすぎる
ハードも搭載されているBASICも特殊仕様で使いづらい
BASICの次にマシン語に行こうとしてもこれまた書籍が少なすぎる
6800のマシン語本や6502のマシン語本なんてまずお目にかかれない
ネット時代になった今でもなかなか見かけない
逆にP6のZ80のマシン語本は当時も今もすぐに手に入る
P6は色んな面であの頃の低価格機種としてかかなり恵まれたマシンだった ベーシックマスターjrとか松下のJR100/200とか
出たとたんに終わってた感じの機種だったよな
VIC-1001は低価格パソコンの先駆者としての一定の存在感があったが
やはりPC-6001が頭3つくらい抜けた存在だったな 当時は、パピコン?ダサっプゲラ
って感じだったけどなー mkIIはもはやパピコンなどと呼んでは失礼なスペックになってしまった 六本木パソコン
Mr. PC
コモドールとは関係無いけど、
すごい恥ずかしすぎる(笑) あれは傑作だったな。
恐らくP6の合成音声を最も活用したソフトだったろう。
続編では喋らなくなっちゃって残念だったけど。 メフィウスって評判悪くなかったか?
動きの鈍いカーソルで壁を延々と調べるといった拷問もあったとか。 でも売れた。
「惑星メフィウスはこうして作られた」みたいな本まで出たし。 日本の初期のアドベンチャーはフロッピーディスクが普及して無いせいか、カセットテープのしょぼいやつばっかしだった。 デゼニとかサラトマとかカセットベースでも結構まともだったな 記録的超低速FDDのC64でアドベンチャーゲームは地獄 The 8-Bit Guyのメンテナンス動画見てると、ウチのもやって欲しいと思う。 よし、俺にC64と1701モニタと1541シングルFDDと
スーパーエクスパンダーのセットをプレゼントするんだ。 今思うとアドベンチャーゲームは
何が楽しかったか思い出せない 最初、アドベンチャーゲームというのを本で知った時は自分で考えて行動したことが何でも画面に反映される夢のようなゲームだと思った。 最初のアドベンチャーゲームは絵すらなくてテキストだけだったのだ
自分の行動が反映される電子小説だな テキストで入力するべき単語が思いつかずにハマることが多かったのだ しかもコマンドが英単語だと「こんな単語知らねーよ!」でハマることが多かったのだ デゼニランドで顕著だったな polishとか
サラトマではカナ入力や、混在も可能だった 例)eat モモ トランシルバニアだったかな
銃に弾を装填するのにLOAD PISTOLだからな
わかるわけねえよ "Poker for Commodore VIC-20 - game play"
https://youtu.be/Z-6dzRgHIro
音楽がクレイジークライマー マックスマシーン【モールアタック】(コモドール社/1982年)
<もぐらたたき>…って今の若い人は知ってるかな?
これもCBM/PETで走っていた古いゲーム。
MAXマシーンは最新機種でハイレゾが使えるのに、あえてキャラグラ風味を残すなんて、恐るべき拘りだ!元ゲーに対する自信だ!と、子供の僕は思ったね.
https://mobile.twitter.com/DentoTeramachi/status/1403749063829250050
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) PET版もぐらたたきのカセット持ってたよ
PETのはサウンドなしだが、それにしてもつまらないものだった
しかしそれをわざわざ後継機に移植するのには呆れた >>253
元々が子象の行進って曲だから言い逃れは出来そうw >>251
トランシルバニア!
狼男が夢にも出てきて恐かった(笑) C64やC128のエミュレータで遊んでいるんだがWinVICEって使っている人いるかな?
かなりいろんなことでできそうだし、いろんな機種がそろっている。
全く知識がないところからスタートしたんだがCP/MとかGEOSがうごくところまではたどり着いた WinVICE
ウィンドウサイズをX倍に変更する機能がない(´・ω・`) VICゲームブックがオクに出てたけど3万超えで手が出なかったw >>261
WinVICE-3.1を使っているがウインドウサイズはフルスクリーンか任意サイズに変えられるよ。 コモドールのマシンはコスパは良いが、チープなイメージも強い。
アミーガ500見た時、外観がコモドール128そのままで、随分手抜きだなぁと思ってた。 スーパーエクスパンダーを普通の3KRAMとして使うコマンドってあるん?
I/Oのスペースマウスの記事見たら要3KRAMでスーパーエクスパンダーの人は
リリースしてくれって書いてあったんで BASICでRELEASEコマンドを実行する。
コマンドを実行するとハイレゾグラフィック用に掴んでいるメモリを放してフリーエリアが広がる。
ただしRELEASEコマンドが存在するのは日本版のSuperExpanderだけ
海外版は最初からメモリを掴んでいないのでコマンド自体が存在しない。 見分け方は電源を入れたときのフリーエリアのバイト数
29xxの場合はRELEASEが使える
65xxの場合は最初からRELEASEされている あと型番が1211Aだと海外版
1211Mだと国内版 国内版と海外版のエクスパンダーは全然別物だね
国内版はHAL研の岩田さんが作ったらしい
海外版は海外のプログラマが作った スーパーエクスパンダーで組んだプログラムをセーブするとエクスパンダー自体もセーブされるから
実行にはエクスパンダーいらないって聞いたことあるけど、
その場合メモリは標準5kBじゃ駄目なんでしょ? みんなありがとう
昨日調べてて海外版があるのは知ってたけど
1211Aのマニュアルにリリースのコマンド乗ってないから「?」
って思ったんだ
>>272
となると海外版との違いはpianoコマンドの有無だけではなくて
グラフィック関係のアルゴリズムなんかも違ったりするのかな・・ 海外版は座標指定が何故か0〜1023の相対になっているが
国内版は0〜159で直接指定する
コマンドも全然違う。国内版に存在するコマンドは以下の通り
HIRES SOUND( TEXT PLOT BOX CIRCLE SETC
TEMPO MUSIC KEY PIANO LOCATE CHAR RELEASE
PDL JOY LIGHTX LIGHTY FGC BGC BDC pianoコマンドって何するもの?
playと同じような命令かな キーボードを鍵盤にして演奏できるモードに入る
CTRLキーで終了 海外版のエクスパンダーは使い方が難解だが
マルチカラーモードが使えたりとか痒いところに手が届く
いかにも海外ハッカーが作りましたって作りだったりする >>279
なんだかPenUltimateって言う大容量RAMパックとエクスパンダーとゲームとBASICが載った
至れりつくせりのカセットが今あるみたいだね うわあ・・・数日前110円で落札された3kRAMパック
6000円以上で競ってる・・ 3K RAMパックって1210で当時の定価が\9,800の? VIC-1001や64のデザインは
今見ても美しい これをキーボードとして使えないかな、音がたまんないんだけど。 非破壊ならキーコードのmake/breakをシリアル出力するプログラム書く(BASICだと遅延大きいかも)
ESP32など適当なマイコンでBTキーボード化するプログラム書く、とか
メタキーがスペース横にないし辛そう VIC20とかC64だとキーボードのエッジコネクタがあってCIAの入出力ポートがつながっているようなのでこれにマッチするようにキーボードを用意すればよくないか?すでに誰かがマイコンボードとかでやってそうな気がするなぁ。 SID音源のギーガー音がうるさすぎて耳に悪い
ファミコンの音源がいかに高級かわかる ttps://www.youtube.com/watch?v=kxx2F4ffmeE&t=196s
でどうでしょうか?
The C64という製品のようです。
2トリガーのジョイスティックがついています。
オリジナルとの比較説明もあります。 WinVICE-3.1 のC64を使っています。( >>266ってバレバレ?)
いぁやちょっとショック。言語設定でいろいろ選べるんですが
KoreanがあってJapaneseがない orz
まぁいつも使っているデフォルトのEnglishでいいんですが。 c64には公式ROMでカナ対応ROMあるのよね。日本で本気営業した時期もあったから。
コモドールの倒産時期湾岸戦争の前後に昔浜松町に移転したコンピュサイエンスジャパンで
c64セット買ったらオマケでアルミホイルで静電気防止された英語版ROMを貰った。 コンピュータサイエンスジャパン。
元々は隅田町交差点の某ビルの2Fで営業していたお店。
神田界隈を訪れる度に何となくamiga全盛期を思い出す。 16色でハイレゾグラフィックが使えて
FDDとセットでも20万だから結構いける感はあったんだけど
日本で成功した黒船PCは皆無だったからなぁ AppleIIの頃はTK-80BSとかのキットしかなかった
それに売れたのは殆どがクローン機 >>293
C64のソフトは殆どが海外製で日本のROMだと動かない場合があるから
英語版のROMを付けたのはいい救済策だな そのROMですがC64の英語版、日本語版の違いはCGROMのちがいってことであっているんですかね?
日本語版C64と海外版のROMカートリッジだとうまく動かない場合があるのが文字化けのせいならその可能性があると思うんですが。 >>301
NTSCとPALではWikiによるとCPUのクロックが違うらしい。つまりそのままだとわずかにNTSCの方が速く動くはず。
日本版はNTSCのはずなので米国版と同じだと思う。
またNTSCとPALとではテレビに表示した場合の縦と横の比率が微妙に違うらしいですね。
で、ソフト的にはそう問題にならないと思うのですが・・? PAL版の方が走査線=画素数が多いとかでゲーム遊ぶならPAL版ハードだよね
みたいな認識あったですね。ただし、欧州産ゲームソフトは英独仏伊蘭西とか
6カ国後対応とか普通にあったのでソフト側で両対応するものもあったような。
■NTSC( National Television System Committee )
主に北米と日本で使用されているアナログのカラーテレビ方式
走査線 525 本(有効走査線:約 480 本)
飛び越し走査方式(インターレース)
アスペクト比は 4:3
30fps (カラー放送時の正確な値は29.97fps)
*ちなみに、主にヨーロッパで使用されているアナログのカラーテレビ方式は PAL です。
■PAL( Phase Alteration by Line )
走査線 625 本(有効走査線:約576本)
飛び越し走査方式(インターレース)
アスペクト比は 4:3
25fps
https://www.vtv.co.jp/intro/tech/tech02.html MSXのソフトだと本体側のベンダーコード見てリージョン判定して
速度を切り換えてるソフトもあるけど
コナミEUなんかはPALで動かすと遅くなるままで発売していた
あとPALだと走査線の密度の関係で上下が潰れて横長になる ちなみにノンインターレスで
NTSCが毎秒60フレーム、PALが毎秒50フレームなので
NTSCのソフトをPALで動かすと、速度が5/6に
PALのソフトをNTSCで動かすと、速度が6/5になる エミュでPALモードにするとゲームがもっさりするからね WinVICE-3.1 のC64だが前の書き込み >>292 が間違っていたので訂正。
日本語(Japanese)がないと言ったのはエミュレータのメニューなどの文字のことだった。
SettingsのメニューでC64のモデルを選択でき、しっかり「Japanese」の選択肢がある。
そしていつも使用していたのがNTSCのC64と思っていたがPALだった。
いつも遊んでいるゲームはNTSCだと動作するがJapaneseにするとこれが動作しない・・。
つまり違いはCG-ROMだけじゃなさそうだ。 そりゃあキー入力でJISカナ配列に対応しなきゃいけないもんな
そのためにどこをどう変更しているかまでは知らないけど
VIC-1001とVIC-20もそこは違うはずでしょ PALはだいたいPALは縦264ライン表示できるが、
縦200ドットの解像度で黒帯が多いし、240ドットまで使っても黒帯が出る。しかし
NTSCで隠れてしまう部分も使用できる。大抵ビデオメモリの関係か縦256ドットを微妙
に越えた解像度を持つハードは稀 NTSCよりもPALの方が発色が良いというのは本当?
NTSCはNever Twice Same Colorと言われるとか。 NTSCはインターレースでPALはノンインターレースじゃなかったっけ?
そういえばイタリア旅行に行ったときのホテルでブラウン管テレビ(*)があって
インターネットができたのでやってみたことあるんだが、ありゃPALだよね。
解像度はそう高くなく、ちらつきがなかったように思う。
* 激安ツアーだったんでホテルの設備が古かったんだと思う(^^ PALもテレビ放送はインターレスだよ
NTSCもゲーム機の出力はノンインターだけど
あくまでも規格外の扱い どちらにしろノンインターレース表示は誤動作しない範囲で本来の動作じゃない無理矢理表示でしかない >>310
NTSCだとテレビによって色合いの調整が違ってたりして色が異なる場合があるが、
PALの場合は自動補正で同じ色になるようになってる NTSCはカラーバースト信号が-(B-Y)の180°でPALは1ラインごとに、
-(B-Y)+(R+Y)の135°と-(B-Y)-(R+Y)の225°が切り替わる。
NES(ファミコン)の場合はコンポジットビデオを直接生成する方式になっており、色相が12
あるけど、そのうち一つをバースト信号180°と同じ位相が出せるのでうまく発色が可能。
PALのNESの場合は色相が12の関係でバースト信号のR-YとR+Y信号に対応する信号が
うまく出せず150°と210°の信号でごまかしているので厳密なPALの発色にはならない。 VICもC64も基本ゲーム機だから標準BASICが弱いんだよなぁ PAL NESの120°と240°のカラーバースト信号は結果的にR-Yを増強した信号になるので、
結果的にNTSC NESよりも赤色や水色の発色が鮮やかかも知れない。 オクにスーパーエクスパンダー出てるけど多分日本仕様じゃない方だな 国内版と海外版でコマンドが全然違うんだよな
国内版はハル研が作ったっぽい C64はゲーム機にしてはスプライトが少な過ぎないかね C64のスプライトは描画が終わるとフラグが立つ
ダブラができるように設計されているから何とでもなる C64のスプライト個数は他ので言う横に幾つ並べて表示できるかの個数のようなもんだわな ● VICボウヤデス
|■|
||
コンニチ
|■|
|| ●ワ >>331 です。
ごめんなさい、スプライトではありませんでした。
Cと書いてあるバルーンでした。 >>330
先生に「髪の毛洗お」と言われた人?
なつかしいなあ
同級生の俺だよ俺 VIC-1001はカセットポンでナムコゲームが遊べる
夢のマシンの元祖だったよな
無許可製造だったけど でも移植担当は後に任天堂社長になる岩田氏だったので出来栄えは本物 コモドールジャパン、脱税に海賊版販売ととんでもない会社だったな。 元々HAL研がビデオゲームの勝手移植を出していたのを
コモドールが「これVIC-1001で作ってくれ」って頼んだんだよ
だからジュピターランダーとかHAL研オリジナルも混ざってる HAL研は後付けでもナムコの許諾を得たんだけど
VICでは話を通さなかったのはなんでなのかね ジェリーモンスターとかレーダーラットレースとか
キャラ差し替えで再販したけど駄目だった >>342
ジュピターランダーもアタリのルナーランダーのパクリだよ。 コモドールジャパンの脱税をぐぐったら、平成になっても税務署と争ってたんだな。
ホーム社という会社の存在知らなかったわ。コモドールジャパンとムーミンが出資して1982年に設立した「コモドール製品の総発売元として、製品の販売及び広告宣伝活動を開始した会社」。
そして「多国籍企業グループであるコモドール・グループに所属していること、その組織の頂点にある法人はバハマ国に登記した本店を有するコモドール・インターナショナル社」というのもね。
タックスヘイブンのバハマがコモドールグループの拠点だったのか。
https://daihanrei.com/l/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%9C%B0%E6%96%B9%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%20%E5%B9%B3%E6%88%90%E5%85%83%E5%B9%B4%EF%BC%88%E8%A1%8C%E3%82%A6%EF%BC%89%EF%BC%94%EF%BC%99%E5%8F%B7%20%E5%88%A4%E6%B1%BA PC-8001とMZ-80Kの画面しか知らなかったおいらには
VICのギャラクシアンとラリーXの画面写真は
アーケード版と遜色なしで衝撃的だった >>346
commodoreの倒産は1994/5/6というはなしだから。平成6年まで会社は実在機能していた。 会社存続してても日本でAmigaの販売担当してたわけでもないんだよね。 VIC-1001の電源(9VAC 2穴タイプ)の予備を作っておこうかなと思うんだけど
純正品の出力が9V 36VAって書いてあるんですよね
単純計算で電流値は4Aのトランスを買えばいいのかな?
探してみたけど都合のいいのが売ってない・・ VIC-1001はいいマシンだった
PC-6001が出るまでは 標準メモリ以外さほど劣ってるようには感じなかったが BASICが劣ってるんだよ
エクスパンダー付けないとグラフィックやサウンドの命令が使えない それは平気だったけど雑誌掲載のプログラムリストが読みづらいのには参ったわw
SQQQQQ]]]]]]]]みたいな反転文字が印刷で潰れちゃってもう 画面関係で何かしようとするといちいち反転文字でやるんだもんな
後でリスト見ると何が何だかわけわからんわ
プログラムサイズを小さくするには都合がよかったけど C64そんなに良いパソコンかね?
1982年当時はまだ円安だから輸入パソコンはどうしても高くなるのがよくなかった コモドールは1982年当時日本で生産委託したり製造企業を買収したりしてたんだけど…… どっかにスーパーエクスパンダーのマニュアルないもんかね
1211Aじゃなく1211Mの >>361
ありがとう
つかいつのまにか某所にあった その某所で取り説見たけど、単なるBASIC入門書に止まらず
6502の仕様、命令一覧から周辺チップの詳細な解説まで載ってて凄い濃い内容だな 昨日オクでオチしてたVIC-1110(8KRAM PACK)が
税込 11110 円で落札されてたw 日本でもPETとかVICの修理情報交換出来るフォーラム欲しいなあ