結局のところIBM PC以外全部負け犬だけど? [無断転載禁止]©2ch.net
互換機ってMSX2よりも安かったからね
コモドール64自体は対抗して売れてたが、そのせいで利益率の高いAmigaへの移行が出来ず倒産
素直にAmigaでは互換機に勝てないと諦めて、コモドール64のオープン化ファミリー化して高性能化16bit化してれば良かったろうに 香港や台湾から安価なボード類が出回るようになって「互換機」は安かろう悪かろうの代名詞のようなものになったけどな 日清戦争で日本が勝つ→「ウリたちは清に勝ったニダ!」とマウントするw
日露戦争で日本が勝つ→「ウリたちはロシアに勝ったニダ!」とマウントするw
太平洋戦争で連合軍が勝つ→「ウリたちは日本に勝ったニダ!」とマウントするw
それと同じに「ウリたちは日本のPCに勝ったニダ!」とマウントするのが68チョン太郎www 台湾が中国に乗っ取られたら台湾製マザーボードは高確率でバックドア付きじゃね? >>321
むしろ中共が棲息していた場所が消えてるかもな
ttps://blog-imgs-98.fc2.com/d/i/l/dilemmanichijyo/blog_import_5883548a6bb9f.jpg Windowsが動くこともなく忘れ去られたX68000の1人負けwwww 68チョン太郎「互換機が98に勝ったからX68の勝利ニダ!」
wwww そのIBMも今じゃすっかりカヤの外。
ガファなどと言われているようだが、マイクロソフトまでも・・・ 互換機に倒された国産PCは98FMRにTOWNSぐらいでそれ以外は98に敗れてると言うべきだな 世界的にはホビーパソコンはゲーム専用機に負けたと正常に分析してる
98に負けたなんて矮小化してるからダメなんだ ホビーパソコンはプラットホームとしてコスパ悪すぎ
パソコンとしてなら同価格帯以上の機種には負ける
ゲーム機としては全てのゲーム専用機にまける
ゲーム専用機に負けたと言うのは負け犬の遠吠え
X68kは98にもスーファミやPCE等にも負けた、最弱の負け犬 X68Kって98やSFCとは立ち位置が全く違うから比較になり得ない気もするけどな
それにX68KZってミニも出たり同人活動をやってる人が居たりで
最弱でも負け犬でもないと思うけどね どちらかと言うとAT互換機に完全に飲まれたPC9801末期の方が見てて悲しい物が有る 98にすら負けてる事を認めようとしないX68k信者の悪あがき
まさに負け犬の遠吠えだな エロで終了するよりはマシだったな
硬派だからなX68kはよぉ 販売台数なら98の方が上だろうけど
現在でも活動が行われているのってやっぱりX68Kの方じゃね? 互いの故国が滅んだのに
まだ戦争やってる潜伏兵同士の戦争だな X68ユーザは硬派だから違法コピーするし不正アクセスもするし営業妨害もするぞ X68kユーザは硬派だから海外行って幼女買春もする、が抜けてるぞ 64の十字キーは固いし、3dスティックは痛くてつるのだが
任天堂って、パッドで性格に入力できるかには拘りのある会社だと思う
他のメーカーが適当なアーケードスティックや十字キーを売る中
(ひどいのだと箱マルように十字キーの入力がクソスギル)
真面目にファミコンで作ってたのが評価点でファミコンを
アーケードマシンまで押し上げた
セガとMSXが終わったのはハードの性能よりも
パッド入力の正確性と言えよう
と言うかどんなに箱シリーズが優れてても、日本人は十字キーを使いたがるから
箱はクソだし、ロジクールのパッドは微妙だから
パソコンでキーマウ特化以外のパッドゲームをやる気にはならん
多少グラがクソでも業務用アーケードスティックがついてるレトロアーケード筐体は楽しいわけだし
NECにしろIBMにしろ名機はやはりキーボードが評判だったりする 98のキーボード悪くはないけどよくもなかったんじゃないかな。
及第点割ったのはノートだけかな 98RA〜FAくらいの頃のキーボードは良い出来だったな
9821になってからはデザイン変わって良い所がごっそり失われた感がぱない >>348
誰に対して言ってんの?
もしかして鏡に向かって言ってる? MSが直接PC売り出す時代だからなー
インテルも対抗して出せばいいのに。 互換チップセットが滅亡したからな
インテルCPUで売るにはインテルに完全に従わないといけない
互換チップセットがあった時代なら、マザボメーカーが独自に設計できた 猿真似マイコンごときが
the PC様に勝てるわけなかったんだよ >>339
デジタルサイネージとかでは結構使われてたみたいね デジタルサイネージって今時のパソコンで完結してる奴ならショールームとか展示会で現物見たことあるけど
1987年〜93年あたりはどんな構成だったの? MSXをコントローラに使ってた
X68kでMSXで余裕なことをさせるというコスパ悪いことやる奴はいないから
デジタルサイネージでX68kが使われていたといのはX68k信者のウソだろ >>359
嘘ではないさ。てか、記事になってたな。
x68000 をそんなことに使えるんだと感心した。
一から専用の装置を設計するよりずっと安く済んだわけよ。 「けっこう使われていた」ではなく、使われていた例とあるなわけね
やっぱり信者のウソじゃん 一台だけってこともないだろうね
あの当時それなりの色数出せる装置としては手頃なものだったしな
カメラ画像とスーパーインポーズできたりするのも便利だったみたいね X68000が現役時代にデジタルサイネージねぇ
業務用の数分の長さのビデオテープ使って小刻みに再生、巻き戻し、再生を繰り返してた時代にねぇ
実験的な案件ならともかく一般的でなかったことだけは確実なんだよなぁ パソコンって8ビット時代から意外なところで見かけたよなあ。工場現場の検査ツールとかラベルプリンタとかでも。「そこに押し込む??」みたいなところに入ってたりして。
だからこそFAパソコンなんて出てきたんだろうけど。 >>365
各地の観光場所とかによく有った記念メダル機とかもパソコンだったね
MSXか何かだった いちごじゃむは一瞬で終わったしな。
需要がなさすぎるのかな。 >>367
意欲作だとは思うんだけどねえ。
面白いけど、欲しいかと言われたらうーん。 ○○を選ばなかった俺は勝ち組
働かなかった俺は勝ち組
結婚しなかった俺は勝ち組
わかりみ~ ジャップの猿真似マイコンはなぜIBM Personal Computerに負けたのかww
ジャップの猿真似マイコンに足りなかったものwww
ジャップの猿真似マイコンとは何だったのかwwwwwwwwww と言うかこの板自体
中身どこに行ったかすら不明だけどwww 究極とか至高とかの〇〇ビットパソコン<<<<<現実という超えることすら許されざる壁<<<<IBM PC 国産パソコンもとい
猿真似ジャップマイコンもどきは
停戦どころか無条件降伏すら許されない >>85
Mode13Hマンセー君がパックドピクセル推しすぎて、
256色表示は全部Mode13Hだと思い込んでたんだろう
Mode13Hは1画面しかないので非表示画面で書き換えて書き換え終わってから切り替えるってできず、
CPU速度がよっぽど速くなるまでゲームに使いにくい実質静止画専用モード
だからIBMのVGAのマニュアルにもプレーン256色モードが書かれてた
ただモードとしてBIOSサポートされてなく、ゲームで勝手にCRTC変更して使ってた扱いされてた
まあIBMのVGAのマニュアルの公式対応仕様ではあるがモード切り替えできないとハードル高い
VGAの16色表示の隣り合ったドットが繋がって2bit4プレーン計8bitで256表示する
4ドット同時書き換えなので工夫次第で高速化できる
それを320×200表示で使うので仮想画面4画面取れててゲーム向き
後年にMode-Xとしてまとめられ、多種類な解像度変更もメジャーになった
296×220×256色ってゲームに向いてる解像度とか
パックドピクセルはVGAでサポートされたが評価は低かったのが現実 パックドピクセルはX68000から始まった
X68000がなければVGAは存在しなかった 良くも悪くも独創性だろうなぁ
結果、大陸から来た互換性の波にのまれてる DP-211SWやWS001SHとか時代を先取りし過ぎてはいたんだけどなぁ pc/104モジュールマザーボードとして量産されてる組み合わせをミニPCとして組んだのかな
産業用途で何時迄も作られ続けてるのも勝ち組の特権だな 昔の米国PCではコモドールのPET2001が好き
一度目にしたら忘れられないこのデザイン
1977年発売で当時の価格は23万8000円
ディスプレイ、データレコーダー付きでこのお値段は結構お安い 世界的に8ビットCPUのマイコン時代に拘泥してるそういう趣味の人が居るのか知らんけど
おまえらは自分らの若かったとか、子供時代と日本の全盛期がその時代で被ってるからより捉われ度合いが高いんだろーなー ツイッターなんかだと国内レトロPCで遊んでるやつは居たりするから
Windowsに乗っ取られたIBM-PCの立場が一番無いかもな
とはいえ、そのAT互換機すら最近新マシンでてるからなぁ 欧米の骨董品趣味の範囲になるので、当時の思い出がない人も手に入れて使ったりするから
日本は骨董品趣味が一般的ではなさすぎるから思い出の美化もないのに有り得ないになるが 欧米は「昔はよかった」っていう懐古主義が多いからね 1991年で既に486が普及し始め93年にはPentiumも出始めWindows 3.1がグリグリ動く環境見せられてしかも安いと来たら、そらPC98から雪崩をうって移動するわ
それくらい日本と米国台湾との環境差は大きかった 486やPentiumを載せた互換機は日本じゃ持て囃されてたけど、英語圏じゃコスパ悪いって人気なかったぞ
Windows95が出てから変わったけど
MS版もIBM版もWindows3.xは実用に耐えるレベルじゃなかったのを忘れてる奴が多すぎ 95の前のWindows for Workgroups 3.11からだろう
ネット環境がOSセットになってて、組まなくて良くなって話が変わった Windows上でWindowsアプリを使うOSとしてのWindowsではなく、
マルチDOS窓ランチャーとしてのWindowsの使われ方がWin386からWin3.1のだな
towns的にCD-ROMを使って、ゲームしたりJpeg写真見たり
Windowsアプリを使う目的では無いので、Windowsアクセラレーターとしての高性能は無駄な高コストだと要求されず、DOSで使うためのI/Oオーバークロック耐性で評価されてた というか
>>398の時代は
「Windows?なにそれうまいの?!」
だったがな
Windows3.xがプリインストールされてもフォーマットして
DOSに入れ替えただろうな 「Windowsでゲームすんべ」となるのは
WinG→DirectXが出てからだろ >>402
そんな奴らがいつまでも98にしがみついてた感じだな Win95登場前に仕事でWinNT 3.1/3.5上でWord, Excel, Visio使ってたけど先進的だったのか NTで快適な環境が贅沢すぎる
普通に動かせるRAM16MBが贅沢扱いでは
何故かまともにRAM積まずスワップ起こるような環境でWindowsの悪口言うばかりってな人多数
メーカーのインストールモデルのRAMが4MBでそうだから、そう言うRAM足りないのが当たり前と勘違いしてる
ってのかWin3.1の頃で、NTはやたらとRAM積んでてサーバーでも無いのに変なの扱いでは Windows3.1でPC9801では640x400で高価なグラフィックカードでやっと1024x768が使えるみたいな状態の時
AT互換機では640x480が標準、800x600だとか1024x768が安価なカードで使えるみたいな差が出始めて
DOS/Vでもそれに対応、Lotus123辺りも高解像度モードが使えるようになって
ビジネス用途でもAT互換機に鞍替えが進んできた感じ
花子、一太郎に依存し続けた会社だけが取り残された感 PC-98XAとかRLとかあったが兎に角高かった
正に殿様商売 グラボの高解像度は進んで安くもなってたが、モニタの方が低価格化進まず高解像度使いにくかったんだよな
低価格モニタが求められてた例として、テラドライブが投げ売りされてた時に、モニタが800x600表示できる激安モニタだと売れてた
それでも800x600はノンインターレース表示できても1024x768はインターレース表示でチラつく表示しか出来ないとかで
ただそれでも安い800x600が使えるようになったのでDOS/V凄い98ダメじゃね?になるキッカケにはなってた AX規格パソコンはそこを先取りすれば良かったんだろうがな
漢字高速表示ハードを標準化して高値になったのもだが魅力も無かった
640x480と縦だけ少し高解像度化したが、縦だけだとWin386での複数DOS窓立ち上げてマウスで選ぶランチャーとして使いにくい
その頃だと800x600ではまだ安いモニタじゃインターレース、ノンインターレース最大が800x540
スクエアピクセルだと720x540表示が選べた
640x480ではなく720x540を標準共通規格として、640x480のDOS窓複数立ち上げて、漢字表示アクセラレーターでDOS窓内の漢字表示も速い、って売れば本来のハードの差が表せてたのに
遅いソフトウェア表示も比較用に共通規格化して書き換え遅い液晶画面なノートパソコンはそちらで低価格化して ゲームしかしないならMSXだろうがX68000だろうが何でも良かったわけだが、
なにかしらの実務的な用途でパソコンを使うならWindows95以前なら98がベターだった
そのWindows95も当時のMS製品らしく、数回パッチが出ないとまともに使えないという評価そのままだったけど、
OSR2入りのプレインストールモデルで98から互換機に乗り換えたユーザは最適ではないしろ正しい選択をしている >>411
Windows95以前の実務的な用途はワープロ専用機がベストで1番売れてた訳で
パソコン全体が負け犬だったのがWindows95でやっとワープロ専用機に勝てた
スマホがガラケーに勝つ前の、ガラケーに負けてたスマホでのベターな話しても全部負け犬ってのと同じだった エアプだなぁ
ワープロ専用機は90年には既にパソコンに負けてたぞ ワープロ専用機の家庭普及率が最高に達したのが1998年
オフィスでのシェアが上がって売り上げ台数が減ったのを言ってるんじゃそれこそエアプ >>414
ソースよろしくお願いいたしますw
90年に入ってもワープロ使ってたなんてジジババぐらいじゃなかったか? ワープロの出荷台数ピークは1989年で92年からは坂を転がり落ちるように減ってる
エアプはどっちだろうね 90年代入ってからは「電源ONでワープロソフトが立ち上がるパソコン」だったしね
目新しさはまったくなくて80年代の遺産を食いつぶしてた感じかな
ワープロは1度買えばだいたい7年、長ければ10年とか使うし家庭だと年賀状印刷機みたいな使われ方で残ってたのも多いから
「家にある」と「日常で使っている」は違うから普及率が実態を表してはいないってのもある
明らかにエアプは>>414だよ >>414は自分からネットの資料だけ見てイキってるだけのエアプだとゲロしましたw
残念だったねw
はい、閉廷。 思い込みで曲解された妄想を語られても迷惑なだけなんだけどね
そこまでしてワープロ持ち上げたいのはパソコン変えなくて悔しかったからかな お前がバカで資料もまともに理解できないクソなだけじゃんw こいつ>>414は国産PC、とくに98とNECをディスれれば嘘も捏造も平気でするキチガイだぞ
このキチガイは「国産PCはダメだ!」の結論が出発点だからどんなデータでも曲解しかしないよ 日本語処理したいだけのおじいおばあはワープロ専用機使ってたよ、次いでPC98じゃね
PC/AT互換機使ってたのは若い世代でWin95出る前は当時のフライトシムやベンチマーク目的の描画性能を要する利用が主だった
Win95やWin98でMS Officeがマトモに使えるようになってからPC98やワープロ専用機利用者がやっとPC/AT互換機に転向して来た
おじいおばあもインターネット使いたかったしねw 90年代はまだPC98との両刀使いが多かった時代だよ Excelでの文書がこんなに流行ってる現状からしてWin95からパソコンメインな日本語文字処理になったせいでもある
マウスでじゃなきゃこんな面倒な作り方が主流にならない
もっとまともな文書作成アプリを日本で定着させられなかった失敗を今でも引き摺ってる Microsoftが露骨に一太郎潰ししたからだな
富士通が一太郎プレインストールモデルを発売するって英断を横から邪魔した金の亡者の毛唐が悪い アメリカ政府がアメリカ企業に金積まれて日本のパソコンメーカー潰しにかかれば何やっても無駄だった
それを日本のパソコンメーカーが悪いと言い立てるキチガイが>>1なんだよ Intelが露骨だったな
日本の半導体メーカーを奴隷か植民地の工場ぐらいにしか思ってなかったのに基板素材やメモリーでシェア奪われて慌ててアメリカ政府を動かしたってのが真相でしょ この>>1はX68kをゲーム機と言い張ってたキチガイだろ
粘着の仕方が同じだ >>432
むしろジャップとかチョッパリとかがでっちあげた
国産パソコンとやらがゴミ未満だろ 真実を暴かれて慌てる>>1だったw
お前の自演は判りやすいんだよ >>434
というかこのスレ一人しか書き込んでないだろ
言うことで自演乙氏ね ワープロまで引っ張り出して「98がー!」をやりたいだけのワープワが>>1ですw
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◢◤ ◢◤ ███ 本家IBMのPS/2もPC/ATが標準になりすぎて普及せず
ひさしを貸して母屋を取られるである 巨星Aptiva墜つ。嫡男ThinkPadはさらわれ、未だ帰還せず 企業が負けた分、ユーザーが勝者でしょ
IBM PC互換機を使っていると最先端まで安く選び放題でソフトウェアや経験も無駄にならないで済む
これが規格独占だと企業が負けるとユーザーまで巻き込まれて負けて悲惨 OS/2ユーザー憤死。もはやフロッピーディスクをディスケットと呼ぶ連中はみんな屍になったのである OS/2って専用アプリが使われないからWindowsが安定して移行して使われなくなった、安定してるWindows扱いされてたOSだったからユーザーは気にせず移行しただけだったぞ
OS/2アプリを愛用してたのになんて聞いた事無い Windows 3.0でIBMとMicrosoftはの仲は決裂
次はOS/2と言い続けていた根暗メガネはWindows継続へと舵を切る
また、メガネは壁パンの武闘派カトラーを登用してNTを開発
両者の仲はもはや修復不可能。完全に決別することとなったのであった IBMはMicrosoftの傀儡だった
用済みになって捨てられて没落
Intelも同じ道をたどっている んな訳無い
ホストコンピューターでIBMがどれだけ利益上げて来たと思とんねん
PCはIBMホストを使って貰う為の端末や M$の傀儡はIBMだけど
インテルやAMDはM$の奴隷だな 互換機もMicrosoftのお情けで生き延びただけだからね 怒りに燃えるBlue LionがMSの首をとる展開はないんか・・・ >>431
NECは、Intel互換CPUを未来永劫作ってはならない、という不平等
要請を突きつけられた結果、CPUを作れなくなってしまっているら
しい。そんな足かせをはめられていたとは知らなかった。 あるときから、日本の半導体は急激に弱くなった。
メインストリームのCPUまで作っていたのに。
それには理由があった。それが>>453 今、アメリカが中国包囲網で半導体がーってやってるけど、日本企業はアメリカの身勝手さにあんまり協力する気はないのがまるわかり NECはMIPSのVR作ってたけど馬鹿営業の一言でSONYのPS1に採用されずに東芝にもってかれてたよ >>453
マイクロコードコピーするような知的財産守らない手法で勝てると思ってたのが間違い
そりゃ徹底的に叩きのめされる
あの時、最初からワイヤードロジックによる互換CPUで始めてれば、そんな制約受けて負ける事にもならずに済んだ
NECが暴走して勝手に開戦して日本の半導体全部巻き込んで敗戦 インテルが互換品作っても良いよ、と言ってたのに本家より性能が良いのを作ったから手のひらクルーしたんだけどな
そのあたりは知られてないんだな 20世紀のインテルは白人至上主義のヤクザ企業だもの
今も大して変わらんけどね 当時NEC PC-98からIBM Aptivaに乗り換えたおれは勝ち組? >>463
Aptiva…時期的なものかもしれないけど、富士通のDeskpowerやNECのValuestar(PC-98NX)に対するアドバンテージはさほど…。
古いAptivaはMwaveをどう捉えるかで価値が変わると思う。個人的にはSound Blaster乗っかってた方が嬉しかったかな。 >>463
デスクトップのPC/AT互換機でメーカー製を買ったことないわ。ずっと自作機だなー 「自作」の意味が変化し始めたのはPC互換機の頃からか 秋葉原Apple2クローンキットの半田付けの事だったな
半田付けしないで済む完成マザーボードを組み立てるのは単なる組み立て自作ではなかった
マザーボードの種類が増えたから組み合わせ選んで組み立てるだけで自作になったのかな 自作でなく自組とか言う人もいたけど、いまだにどう読むのか分からない 自炊だって材料はほぼ買ってくるんだし自作でいいと思うんだけどなあ スレ立てた奴は多分何も知らないんだろうけど、今のWindows機、5550はもちろん、PC/AT辺りとも互換性そんなになさそうだがなぁ
既にIBMが主導権握れなくなったATX以降まで時代を下げてみても、電源ですら互換性微妙だったりするし 当時80年代前半頃のプログラムはどのくらい動作するのかな いまだにIBM PC互換だなんてそんな馬鹿な話はないだろう 模倣品(互換品)にシェア奪われた時点でIBMの負け確定
本家()の意地で打倒98で頑張ったが、結局98を倒したのはVGA+486+Windowsの3点セットが動く互換品 そのWindowsの品質向上にはNECの存在が非常に重要な役割を果たしたという皮肉
NECは早々に互換機に合流してWindowsにしたい派、独自アーキテクチャを続ける派などあって1枚岩じゃなかったけど
NECの思惑なんて関係なしに98に拘る顧客が多くて結局Windows機と98アーキテクチャの2本立てするしかなかった 95年にインテルがマザボ規格のATXを、98年にMicrosoftがPCシステム設計ガイドのPC-97を提唱している
既にIBM PCは敗者だった
95年では機種別シェアトップはまだPC98
アーキテクチャ別ではシェアトップは互換機 NECはNX出すタイミングが遅かった
Windows95と同時ならもう少し早くWindows機一本に絞れてた というかH98を糞高で出してしまった時点で
もう駄目だなとオモタワ
それこそPC-H98S(ハイレゾなし)を
サウンドボードII相当の機能を加えて
Fxと同価格帯かそれ以下で出すべきだった
(無論Fxなんて出さずに&ADPCMを頃さずに) FH/FA/FEじゃないのか・・・
FCは無かった >>484
互換機もEISA(IBM包囲網各社)やMAC(IBM)で大コケしてるからH98をバカにはできないんだけどな
H98が載せてたNESAバスはEISAの開発にNECが参加してたこともあって、EISAの98ローカライズ+α的な側面もあったりするんだけど・・・
機能が特殊すぎてコストががが!って結果におわってる
でもSVシリーズやN5200シリーズにフィードバックできてるし後々のPCIやPCMCIAに通じる技術的経験が積めたんでNEC的にはNESAバスを開発した価値はあったのよ 大勢でやってればVLバスが出て来たように、生き抜ける多様性が生まれてくれる
多様性無しでは進化の袋小路に入って全滅する
トヨタが全方位戦略やってるように一社で多様性作るのがパソコン業界には居ないからなあ >>487>>488
結局ジャップランドにゃ
大企業様の押し付けなんかよりも
どこぞの馬の骨が作った俺規格がデファクトスタンダードになっちまう
カオスさが足りなさすぎたんだよ 保証って側面もあるんだろうけどPC9801シリーズは何かにつけて高価だったからなぁ
AT互換機は自己責任だけど9801に掛ける金をそのまま投入するとかなりのグレードの物が手に入ったし
あとはやっぱり解像度だろうな640x400な9801シリーズに対してVGAモニターで800x600が表示できたし
テキストメインならともかくWindowsに突入したらこの差はかなりデカかったと思う 自分の互換機は購入当初(80年代前半)から長いこと
ハーキュリーズの720x348だった。
そこから「VGA互換」になったのは
80年代末にVideo7 VRAM VGAを買ってから。 モニターの方もモノクロMDAモニターからアナログRGBVGAモニターに飛んだのかな?
EGAのカラーモニターを飛ばしてたと
3年ごと買い替えだと入るが6年ごと買い替えだと飛ばされるか
拡張EGAも解像度色々でマルチシンクモニターもどこまで高性能なの選ぶか悩ましい時期か
ソフトで漢字表示できる海外グラフィックカードに何が有るか探してたら、
まだ2DだけなGPU ATi16899-0を使ってたATi EGA Wonderが400ラインモニター向け25kHzだったそうで
752x410ドット64色中16色で24kHzモニターにも誤差の範囲で表示できそうでデジタルRGBをアナログRGBに変える簡易変換ケーブルで繋ぐとかしてれば面白く使えたかもしれん
EGA Wonder800+ではVGA解像度やSVGA解像度だけで25kHzは無くなったから袋小路な解像度だったがあえて400ラインモニター向けとは面白いのが出てたもんだ