項羽と劉邦 その15
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基本的には、項羽と劉邦、楚漢戦争メインで語るスレですが
周辺人物、秦の治世、前漢建国後の事象など、語りたいことが
あるならば、何でもありで存分に語り明かすスレです
前スレ項羽と劉邦 その14
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1633681972/ この時代のショウ何や張良はとんでもない勝ち組で謀叛する理由は無さそう /ヽ /ヽ
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/ | | \ / 項羽さん腕が若干人間じゃなくない?謎の模様があるような
そしていつ見ても張良の顔作画がおもしろい 秦の武王は力士を気に入っており高官に取り立てたとされるが、彼が死ぬと昭襄王は処刑した
始皇帝の兵馬俑にもまだ「力士」という職業があって半裸で筋肉隆々で仁王像みたいな人たちがいる
鼎をもちあげたりするらしい。
歴史だと大鍋に油をぐらぐら沸かして、大王が鼎にほうりこむぞ!と使者におどす場面がある
力士たちは、王様や将軍の権威づけに、随伴してたと思われる罪人をとっ捕まえて煮殺すマッチョなんだろ
項梁将軍がマッチョな項羽をそばに置いていたのは県令殺したりそういう仕事もしてたと
項羽の周りにあまり人が集まらなかったのは怖いイメージがあった(本当は優しい) >>11
ちょっと虎かなにかの腕っぽいと思ったけれど
まあ普通に考えれば体毛ですね 張良の顔作画は崩壊してるが
キングダム悼襄王が目の細い美形で、あんなふうなハンサムを描きたかったのか 絵が下手な人が女装してる日本武尊描いたみたいな感じ キングダムは架空人物の名付け方があまりにも当時とかけ離れてるから違和感ありですぐ分かる
作者は時代考証なんか全くしないで書いてるんだろうな キングダムが完結したら、そのまま作者が楚漢戦争の漫画をはじめて流行るんやろなあ キングダムは架空人物の名付け方があまりにも当時とかけ離れてるから違和感ありですぐ分かる
作者は時代考証なんか全くしないで書いてるんだろうな 前漢の壁画といえど当時のプロが描いたんだろうし項羽と范増の絵はウマいと思う
筆使いがいきいきして味がある。てポパイの天敵である大男ブルートみたい
張良は・・なんだ、筆がへろへろしてる。親方の息子にでも書かせたのかな
項羽の画はこの設定でフイギュア・漫画化しても良いと思う >>18
龍狼伝も架空人物はカタカナ読みだし
むしろ分かりやすく名前つけてるんじゃ 信と河了貂の孫が韓信ってことで
キングダム2やればいいさ
李牧の孫の李左車とも仲良くなるし
ドラマはある
メシもあったけえ 韓信は将来偉くなる方と母親に広い墓地かったというだけでただの貧乏人じゃないね
そんな余裕は乞食には無いと思う、兵法にも詳しいから中流以上の家のおちこぼれだよね >>17
どうせなら五胡十六国時代とか五代十国時代やりゃええのに >>23
多分、庶子で親父が死んで母親と一緒に家から出されたとかってパターンじゃ 管仲は斉の宰相になった。そこでかれは訴えた「わたくしは貧乏です」
王は「では斉の歳入の三割をあたえよう。不足はなかろう」
管仲は訴えた「わたくしは金持ちになりましたが家格が低いと蔑まれます
王はそこで「管仲を高氏・国氏より上の家格とした。不足はなかろう」
管仲は訴えた「わたくしは王と疎遠です」
王は「では仲父と呼ぶことにする。これで不足はなかろう」
孔子は管仲は王を威圧したと非難した
楚の宰相の孫叔敖は格子を組んだ粗末な車を牝馬に引かせ
玄米のめしに菜っ葉、乾魚をたべ、冬は羊革の衣をかぶり夏には葛の着物を着て、ひもじそうな顔をしていた
孔子は孫叔敖の倹約はひどすぎて民を威圧してると非難した
范増は管仲になるつもりで・・ 管仲の主君は桓公で王じゃないけど。
孔子の思い違いかな。 楚の荘王とか秦にも昭襄王とか名君がいるけど趙の名君てだれなの? >>32
それ言ったら恵帝だってあのクソ親父の息子とは思えないほど心優しい青年やんけ
親父→儒者にションベン引っ掛けたりガキを馬車から捨てるDQN
恵帝→かつての政敵でもある異母弟でも可愛がって母親の毒手から守ろうとするぐう聖
血が繋がってるのかと 母親がいっぱいおるから1人くらいマシなのもいるやろ・・・
・・・いるよね? 宣帝実父は丙吉
武帝が処刑しろというのを違反したら腰斬。そんな危険を犯して赤ん坊を匿うとは思えない
恩赦のあとからイキてますとは都合良すぎる >>35
まあ徹ちゃんも無能でもないんだがな・・・・ちょいと家計簿の見方を知らんだけで・・・・ まあ使い古された言い方だけどやはり生まれより育ちよ 黒田長政も顔が似てないというから困った秀吉が用意した?替え玉 政くんの出自ネタは司馬遷とか言う歴史同人作家と班固とか言う名士フォロワーのデマやぞ 孟嘗君に「わしも役所の仕事に参加したい」と魏王は言った
「王さま、その前にまずは法律を繰り返し読まれてはいかがです」
法律をよんで竹簡十数枚で王は寝てしまった「わしには法律を読むのはむりじゃ」
世間は王さまに役所のしごとができるわけがないとわらった 悪文が多く読みにくい法律で竹簡を10枚読んだら現代人も寝込む
竹簡を30kgも積み上げて読み上げた秦王政はまさに努力の人 >>47
「大明帝国 朱元璋」みたいに布石があって暴君になると納得だけどね 始皇帝は邯鄲で悪人を穴埋めしたぐらいで
とくに暴君要素はないかな
人の話しもよく聴くし褒美もくれる 「煮殺せィ」を言わない賢君の始皇帝なんて俺の知ってる始皇帝じゃない 始皇帝は生真面目な暴君だからなあ
部下もさぞかし仕えにくい・・・と思いきや部下の話は真面目に聞くし
必要とあらばかなりへりくだって教えを乞うし
鄭国みたいなスパイですら言い分認めて工事続行させる度量もあるし
同じ時代の人でなければこれ程興味をそそられる人はそうそういない 邯鄲で平民のくらししてたんでしょ
塩漬け肉の万引とかしてたんだろな >>54
一瞬だけど後の功臣となる友人たち相手に「俺が君主だ、お前らは俺の子分だ」みたいな態度を見せるシーンがあるんだよね。あれが後の粛清に繋がる布石になるような。
始皇帝って人間として複雑すぎるんだけど、政治の天才と考えたらすべてが説明出来る。本当政治というのは始皇帝のやったこと、と片付けられるくらい 始皇帝の資料としては講談社から中国の歴史3
がでてるがこのシリーズ中国でベストセラーになった
2015年に同じ著者から発掘資料に基づく人間始皇帝でてるが薄いので補足程度に 秦の昭襄王が病に倒れて寝込んだ、民はたいへんおどろき、村々は生贄の牛を買って回復を祈った。昭襄王は病気が治ると
「帝堯の世でもないことです」と祝われた「それは、どういうことだ」
民が祝い、生贄の牛を殺してビーフをくばり、喜んで祭りしてるという
「確かめてこい」と王は命じた
やがて家来がそのとおりであると報告すると昭襄王はとんでもないことだと村の罰を命じ、鎧2両を税金として取り立てた
「王よ、これはみな王のことを心配して致したことです。喜ばしいことですぞ」
「みなわしのことを愛しておる。だが、王をのため民がいのり、それにわしが褒美を与えるのは世の形としてはまちがっておる。わしはそれを罰した」
愛を否定するとは、聖帝みたいなやっちゃな。昭襄王
始皇帝がすこしひん曲がってるのは、聖帝様の影響もありそう >>60
なんのこっちゃ理屈がよくわからん
牛は村が買ったんだろうになんで税金取るの 百姓、里ごとに牛を買い王のために?る。それ、令に非ずして欲しいままに祭るはこれ寡人(わし)を愛する為なり
寡人を愛し、寡人もまた心相い循わんとすればコレ法が立たず
法の立たざるは乱世の道なり、人ごとに2甲の罰を与え、、また民とともに手を取り合って政治を立て直すに如かず
数カ月後、王酒を飲んで歓楽す。そこで公孫衍は、前事、王に堯舜に優と申し上げたのは断じて諂いに非ず、といった
堯舜が病みし時もなお民は?るには至らざる。臣は密かに怪しむ
王曰く、子これを知らざる、民の我が用に為せるは、吾が愛を持って我が用に為せる者には非ざるなり
われの勢いをもって我が用に為せるものなり、、、、わしが勢をすて民と愛し合わんか
わしに愛がなければ民は用を為すまい。故に、愛の道は断つものとなり、と >>63
晏嬰&程嬰「我らの諱は時代を先取りしてたのか」 季孫意如や公山不狃みたいな四字名もぽちぽちあるのがこの時代 昭襄王は76歳という長寿で蜀の都江堰は70歳のときに銀十万両を与え開発をめいじたもので岩盤を火であぶり割って1万余頃に水を引いた
太守も死んでしまったがなんとか昭襄王の没年には完成した大事業で、とにかく王の長寿がたいせつであるとわかる
鄭国渠は3大水利施設のひとつ(他の2つは都江堰、霊渠)で、乾燥してアルカリ土壌であった関中盆地を潤して4万余頃にみのりをもたらす
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6a/Zhengguo_Canal_Map_zh.png
13歳の秦王政が王位を継いだときに献言してそく始められた。賢明であるが、昭襄王の死後から数年のことなので蜀の都江堰の延長事業であろうか
また霊渠も始皇帝のとくに南越の軍水路に掘られたもので、けっきょく古代の3大水利施設は、ぜんぶ秦がつくったことになる
規模としては蜀の都江堰はどんどん拡大し、こんごは1,000万畝まで灌漑面積を拡大して世界最大の水利網とされてるので昭襄王の目の付け所は
最適であった。また蜀の諸葛亮は、都江堰を重視して「堰官」を置き一万人を従事させたが、ほかの王朝も秦の水利の維持管理で手一杯とわかる 秦の治世、前漢建国後の事象など、語りたいことが
あるならば、何でもありで存分に語り明かすスレです 例えそれが独り事でもな
たまに三國志無理やり捩じ込むがなんかのバイトなんか?(  ̄▽ ̄)ア? 長文は頻度ほどほどしてくれたらなら全然問題ないと思うけれど
半ばコピペっぽい?歴史解説を延々と貼り続けるなら出典は書いた方が良いと思う
古典なのか近現代の学者の説なのかその辺りのサイトから引っ張ってきたのか
それが分からないと古代中国全般に詳しい玄人でない限り是非を判断できない 自分が話題振らないと、みたいな変な使命感に駆られてる人な気がする うおおおお!かわりに俺がこのスレを支えるから安心しろ!ちくま学芸文庫の史記を全巻買ったぞー! 知識をひけらかさずサラッと中国史ネタ入れたりする粋な歴史人になりたいもんですな
詳しい事は素晴らしいけど出口を塞ぐような論調だと楽しめる人が減っちゃうからね、まあガチ勢さんはニワカにも入れる隙を作っていただけるとアリガテーよ 俺は平凡社のだな
親父が買った奴なんで何度も読み直してボロボロだ 〇〇公 公子や王族
〇〇侯 建国の功臣クラスの世襲、王族もある
伯爵 ただの地方領主で古代中国じゃ豪族や荘園主
男爵 それ以下 制度としてはあるみたいだけど、結局かなり低いのでも亭侯だから
侯ばっかり、公すら三公と晋公、魏公、衛公、宋公ぐらいしかない 異民族用
後世には音写した地位を使うようになったのでお役御免 >>82
光武帝こと劉秀の本家がそういえば侯爵から子爵に格下げされたんだよな
劉秀兄弟が挙兵時にはその子爵さえ取り上げられたみたいたけど >>82
制度上あっても皇族は王で
臣下は差はあってもみんな侯だった
公はしたくないのかほとんどいない
魏末期でも晋公ぐらい、他にいても数人でしょうカジュウは魯公だったかな 侯爵が多すぎるな
はじめ一国の君主だったのが乱発されてその辺の市長レベルに >>87
殷が周の君主を周侯と呼びながら
周側では自分達の君主を周方伯または王と呼んでいて
春秋時代の諸侯も周王からは侯だけど国内では公と呼ばれ
どうもあまり侯と言いたがってない
晋で武公以降が公でその前を文侯とかで呼ぶのも先祖扱いしていないからだろうし >>87
殷が周の君主を周侯と呼びながら
周側では自分達の君主を周方伯または王と呼んでいて
春秋時代の諸侯も周王からは侯だけど国内では公と呼ばれ
どうもあまり侯と言いたがってない
晋で武公以降が公でその前を文侯とかで呼ぶのも先祖扱いしていないからだろうし 文侯「兄に勝る弟はいねえ!」
部下「名前からして負けてるじゃんw」 >>90
その前を〇侯と呼ぶ理由は不明とかって言ってる人もいるけど
単に先代以前の君主と認めていないか尊重していないか
少なくとも分家の晋公を一貫して公よ呼んでいるのだから
本家の君主を侯扱いなのはどう考えても区別してるでしょ 楚や越は蛮族だから2ランクぐらい低い扱いだったんじゃないっけか
そもそも王号名乗ってるしな >>94
春秋時代で伯は覇者の意で侯伯ともいうけど
殷の頃は服属していない集団を方、その首領を方伯と呼んでいて
史記でも周の文王は西伯と呼ばれていて、周侯とは殷が一応呼んでいるけど
字源的にも侯ってのは護衛とか警備兵とかぐらいの意味っぽい
方伯以外の侯や伯は発掘資料からはどちらが上か明記されていない
ただ、伯爵の国でも諡号が〇公なのに
侯爵の国で諡号を〇侯にしているのが晋侯ビン以前と三晋の韓、魏、趙
魯の三桓の諡号で伯や子が混ざっていたりで序列が当時なかったかもしれん オスマン帝国とかでスルタンと呼ばれるけど妃?や皇族の称号にもスルタンやスルタナがあって
君主号はパーディシャーとも言える
ただ、日本で皇族が王なのに、天皇を王と呼ぶけど正式には天子や皇帝、天皇と呼ぶような
周原甲骨では殷王のことを衣王と呼んでいて
金文でも王子聖のことを碌(右だけ)子耳口または耳火と呼んでいたりする >>98
> ただ、日本で皇族が王なのに、天皇を王と呼ぶけど正式には天子や皇帝、天皇と呼ぶような
大王(おおきみ)やミカドもあるな。特に古代は大王を使っていた。 古代の大和朝廷は豪族連合政権だったので
大王家は「豪族筆頭」のような地位であったとも考えられる。
ただし祭祀権を保有していた。 天皇の推定Y染色体ハプロDNAはなぜか縄文系らしい
ただし、母系の弥生系だと自身は思っていそうな
王と書いてキミと読むけど恐らく初期はあちこちに王がいたかと
周でも周近くの諸侯で領内では王を名乗っていたのが結構いるらしい
イランとかシャーハンシャーだパーディシャーだ言っても
結局、地方の支配者からみんなみんなシャーと呼ばれるんだよね
諸王の王も区別する時にわざわざ言う言い方で
周の王族は敵対している異民族と同族だとか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています