曹丕のいい所あげてけ2
アンチきも
曹丕様の禅譲は日本で大和と出雲の国譲りから皇族内の政権移譲に昇華された。最初にやったのが曹丕様ファンの嵯峨→淳和の兄弟禅譲。偉大すぎますねw 兄弟冷遇したことへの当てつけじみたことを他ならぬ信者が言ってて草 >>261
本質的に悪いのは曹丕以上に曹操って話なんだが大丈夫か 曹丕様の禅譲を支那畜は中国南北朝時代に簒奪化したが、日本は皇族間の殺戮に歯止めをかけ兄弟間の禅譲を神聖化した。真の禅譲国家は日本ということ。 嵯峨深草親子の再来の帝が兄弟禅譲で揉めて南北朝時代を開始するのも曹丕様の魔縁がある日本なのだ。 日本の律令文化そのものが魏の文帝起源。頼朝公の「鎌倉殿」以前の呼び名「武衛殿」は魏文帝から始まった役職。魏の文帝への侮辱は諦めろw 五胡の先駆けだからまぁ間違いではない
しかし破壊は新たな創造なのだ 曹操の策と伝えられてるものの大半が曹丕の献策
官渡の戦い以降は実質曹操の軍師的役割を果たしていた >>273
そうだとしたら官渡以降致命的なやらかしを頻発した責任は曹丕に帰結することになるんだが
官渡までに明確にやらかしたのはエン城くらい
それ以降は長坂はじめ勝ち戦でも禍根を残すことが多く、負け戦では戦略が潰えるレベルの損害になってる 曹丕に限って言えば破壊というより害悪と言ったほうが正しい >>273
明らかなトンデモだけどもしそうだとしたら華北統一以降の曹操の低迷が納得できるの草 >>276
破壊は単なる歴史の流れだが
害悪は被害者がいないと成り立たない
そして全ての破壊には被害者がいる訳よ r-─-‐-、 ,,-'''"´ ̄ ̄`"''-、
( オ l / .\
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{ に l | ,ノリノ ノリノリノ )ノ、 .', / ̄`` ‐ '´ ̄
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ー─ ' |''" `"'' ノ ノ| { 9回は
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__ ノ| ´/ ヽ ノ 从 .| ノ まかしちゃいな。
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ノ:.:... ..:.:.:.: `! / / / (__)
!:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.: | / / / 曹魏アンチ最近元気ないけど大丈夫?
簒奪でもされた? >>257
むしろ曹魏こそ理想郷扱いするイカれポンチが静かな方がよほど深刻なんじゃないかねえ?(驚愕 きちんと曹魏sageしろよ
お前らの立てたスレだろ こんな横柄なだけの暗君を名君とか書いてるニコ百の歴史記事はネットにおける悪質なウソやデタラメの温床の一つだわ よく見たら>>287は>>285宛てであってたわ。
そそっかしくてすまんw >>291
うわ、とうとうエセ者始めちゃったよこの人。どれだけ世の中舐めとんのか知らんけど、このネーム使う以上はガチな方たちからいつ天誅喰らっても文句言わない覚悟きめときなよ。 ごめん、寝ぼけて変なレスしてたわ。
上のは撤回ってことでよろしく。 おいおい、エセちゃんに忠告しとくが、お前さんがどれだけクズやらかそうがおれは知らんからな? なんだこいつ。
最近俺の偽者がやたら出るけど劉備アンチかね? 言動から言って太極拳の状況を何一つ知らんお前さんの方が正真正銘の偽物だけどな(鼻ホジ 破綻した理屈振りかざして怒ってるのがまさに偽者の証拠だなぁ(頭ポリポリ >>295
流石に宦官の孫と曾孫だけのことはある
やることが一々残虐 貴族の元祖曹丕とアホの元祖阿斗劉禅
初代が凄くても二代目はまったく勝負にならないね 後の南朝貴族のこといってるなら元祖は司馬氏
九品官人法は司馬懿に骨抜きにされた ちゃんと文献には冠位十二階などの貴族システムは曹丕と陳羣の九品法が元祖と書いてあります
アンチきも そもそも司馬糞とチンカス劉禅など貴族の模範になったことない。 曹魏アンチ怒りの連投
南朝貴族は司馬懿が九品官人法の中正を改悪したのが萌芽だぞ(呆れ その司馬懿を重用したのは無能曹親子だから間違いではない 司馬懿謀反の戦犯を曹魏から探すなら
コロコロ態度買えた挙げ句劉放止められなかった曹叡だろうよ 戦犯は個人じゃなくて寿命
曹丕曹叡が早死にしなければ司馬懿なんか付け入る隙なかった 曹丕があと10年くらい長生きしてたら曹叡は皇帝になれたの? >>304
知れば知るほど録な奴いないよなこの時代 >>308
問題は寿命じゃなくて魏の皇帝に実績がないことなんだよなあ
むしろ親の七光りだけで何の功績のない無能な皇帝の治世が長続きしたほうが革命の気運が高まりそう いや、寿命だよ
曹魏は東漢と同じで常に権臣台頭の危機に晒されてる
漢は西漢の権威もあって献帝期までは簒奪されなかったが
魏は建国時から早世が続いて駄目だった 加えて魏は自分で簒奪の前例を作っちゃったから
曹操の魏は漢に寄生して興った国だから同じ立場の司馬懿が同じ理屈で晋を興しても文句を言えないんだよね まあどれだけ長生きしたところで王朝の寿命を削ることしかしないだろうけど
なにせ親の喪が開けぬ内に馬脚をあらわしてる有様だし 劉氏でもない曹操が魏公から魏王へ爵を上げた時点で曹氏の簒奪ルートは確定してるんだよね
結局、操丕叡の三代のうちに漢帝並みの権威を確立出来るかいなかの勝負だった
残念ながら負けて司馬氏に横取りされたと 曹丕と曹叡が崩御直前まで後継者決めてなかったのも痛いね
安定した権力の継承に連続で失敗してる 司馬糞や糞ニート安楽公に本朝神仙伝、捜神記の先駆け「列異伝」を書けるわけがない。貴族の元祖曹丕様以外は無理。 >>316
帝権が定まらず後継も明らかでないうちに亡くなったらそらね 献帝に酷いことした曹操の魏は嫌い
かといって劉備や孫権も好きになれないし
最後に晋が統一したのはいいオチだと思うよ >>315
あの霍光も王にはならなかったのにやっちまったよね 弟の曹植は中国史に残る詩人、日本の源実朝との類似を思わせる
やはり権力の座には兄がいるからたどり着けない、目立つと誅殺される、だから文化的に生きようと思うところがあるのだろうか?
どちらも日中を代表する詩人。ただの詩人のひとりという次元じゃなく、どちらも歴史上最高峰の人物
どういう理由でそうなったか意見がある人は教えてくれ 詩好きは元々でしょ
曹植はむしろ詩よりも国家の要職に就きたかったタチだし >>319
献帝にどんなひどいことした? 寡聞にして知らないんで教えてくれ 端的にいえば生涯傀儡にして専横を極めた
伊尹、霍光、王莽、梁冀に並ぶのが曹操
献帝の話抜きにしても三国志は面白いから読んでみたらいいと思う >>325
傀儡にしたのは仕方ないだろ、実力のない皇帝なんだから。でも形式的には存続させて、天寿を全うさせた。曹丕は献帝を大事にしてる。曹操も。曹操は光武帝劉文叔を尊敬してたから、その王朝を滅ぼすのは忍びなかったんだろう 曹操は天子と仲のいい連中も容赦なく粛清して皇后まで殺したね
骨の髄まで利用して魏国をつくって、最後は曹丕が禅譲を強いた
根っこは董卓と変わらんな >>326
悪いけど剰りにも美化し過ぎ。それならなんで個人の限界悟った時点で議会制にスライドしようともしなかったのか。
華陀を殺した時期や理由と同じで、本当に生涯傲慢から解脱できなかったと言わざるを得ない。 曹操が悪辣なのは同意だが議会制云々は指摘としておかしい
そんな制度の生まれる土壌が全くない >>329
議会制って、豪族の当主の共和制か。それなら実質そんなもんだろ。最終決定権は皇帝にあるが。もちろん、教養のない庶民に政治をさせるわけないし。 >>331
その頭目たる元首の地位を革めて設けられなかった点が曹操個人の限界かねえ。藤原氏はわざわざ摂関家作ったけど。
本当にね、親子揃って才能だけはあったんだろうよ、才能だけは。 それは共和制というより寡頭制だな
貴族政治ならまさに魏晋に続く王朝の特徴やん オスマン帝国のように皇族男子は全員鳥かごの中に幽閉して
皇帝がなくなると最年長の男子が即位する制度とか >>333
そこで養子制度などを活用せず皇帝に登極一択なんだから、雲泥の差だよ。 自制できるかどうかだよ。もちろん先見性(皇帝という家業と権能をスピーカー、祭祀に限定して劉氏にやらせる)も含めてだが。
こんなんで曹操は漢に忠義があったとか平気でおべんちゃらかます連中がいるのが不思議だよ。 それな
もっと言えばこの後漢末期に漢室に本当の意味で忠義を持ってた群雄なんていない
いたらそいつは群雄にはならないし シナ畜は権力に取り憑かれると虐殺、粛清は当たり前。理性を保って前王朝を虐殺しなかった魏の文帝と北宋の太祖はシナ畜の奇跡である。 権力に取り憑かれると虐殺粛清はどこの国でも当たり前 演義で曹丕は曹植にゴーストライターいること疑ってたけど、むしろ曹丕のほうがゴーストライターいる可能性ありそう
本人の人間性と詩文の作風にギャップがありすぎる >>332
曹操「あんな才能ない不出来と一緒にするなよ」 三国志って歴史書が優れてるからあの時代が人気なのかね
平家物語があるから平安から鎌倉の移り変わりの時期が人気なのと同じで
中国の分裂期とかいろんな勢力がいて面白いんじゃないか、周から春秋が不人気なのは封神演義がつまらないからか
北方謙三先生が岳飛を書いてくれたおかげで北宋期の混乱時期がだいぶ知名度上がったかな 封神演義はむしろ「呪術妖術がだいぶド派手に虚飾され捲ってる」部分を除けば、実相はあんなモンじゃなかったかと思われ。
何せ竹書紀年と照合しても違和感ゼロという恐ろしさ。逆らうやつらを本当に何の躊躇も無く殴殺どころか、一々殴殺後に誇らしげに宴会かますという生臭い描写ばかり。 ひらがな革命の基盤は曹丕の文章経国
もう歴史は戦国時代飽きたから平安時代をメインしようぜ 例えれば、狩猟で獲物を撃って罪悪感を感じないようなもの >>345
日本の戦国時代と似ているから
末期まで王を名乗らず、群雄も正式な肩書は官職だし
ついでに地元の長官にはなれないから出身地以外の長官になってる 北魏を滅ぼす六鎮の乱は兵戸の乱のことである。
鎮とは兵戸のことである。
兵戸、北魏においては鎮という。
鎮の人間は、
孝文帝以前は非常に地位が高かったのに、漢化政策で没落した。
武が蔑視されたことが最も大きい。 結局のところ、
この約300年の主役は異民族だったのである。 373年9月、東晋から蜀を奪う。
これが、前秦と東晋の戦いの始まりである。
347年に桓温が成漢を滅ぼして蜀を獲得して以来、
東晋は蜀を26年間保持してきた。
桓温が世に出た最初の功績が成漢討伐であった。
その蜀を桓温が死去した直後に、前秦に奪われたのは、
運命的である。
前秦が桓温の動向を随時マークしていたことの現れではないかと私は考える。
そうでなければ、このタイミングの蜀攻略はない。 論理で考えるとこいつを産んだことが曹操の大きな失敗の一つみたいな奴を賢明な偉人みたいに思ってる人がいるのが人類の不思議なところ