曹丕のいい所あげてけ2
曹丕はクズ
クズクズクズクズクズクズクズクズクズ
曹操はゴミ
ゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミ
曹父子漢賊大逆人
○ね○ね○ね○ね○ねしね○ね○ね○ね○ねしね○ね○ね 基準が当時の人には不明確だったんだろうが友人を大事にしたりしている 無能故に司馬師から廃位された魏の三代皇帝!曹芳【ゆっくり三国志武将紹介 第197回】
https://www.youtube.com/watch?v=sU4T7lBby4A むしろ曹丕さん擁護派(本当は曹操さん妄信者なんだろうけど)の皆さんこそスレタイを「曹丕に同情せざるを得ない所」みたいに変更すべく死力尽くしてどうぞ。
洒落抜きで九割ほど親のせいだとわかっててもキツいわ、こんな聖性とも「ジャイアニズムを押し通す努力」とも程遠い素材を名君(嗤)認定するとか((ゲンナリ 君才十倍曹丕、必能安国、終定大事。若嗣子可輔、輔之。如其不才、君可自取 曹丕はクズ
クズクズクズクズクズクズクズクズクズ
曹操はゴミ
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曹父子漢賊大逆人
○ね○ね○ね○ね○ねしね○ね○ね○ね○ねしね○ね○ね 曹操曹丕の悪行に対して罵倒が足りなさすぎる
スレを上げろ、浮上させろ なんたかんだゲームとかだと強いよね。世間一般からすると曹操の後継者としてまあまあの評価なのでは。寿命が短いのは欠点だけどな。 魏王朝は、
皇太后、皇族、外戚、宦官のいずれも曹丕の意向で、
権力を握ることはできなかった。 三公(司徒・司空・大尉)ですら、録尚書事を通さないと皇帝に上奏できなかった。
曹丕の治世で皇帝の親政・側近政治はすでに始まっていた。
曹叡からではなかった。 存在が隠れがちな帝王、曹丕。(187年ー226年。在位220年ー226年)
三国魏の開祖である。
私は名君の一人だったと主張したい。
この曹丕が魏の基礎を作った。
曹丕のスタンスが後年に影響を及ぼす。 父曹操の陰に隠れがちで、
治世も6年と短くあまりフォーカスされない。
だが、
曹丕は、
史上2回目(史上初の禅譲は王莽)の禅譲を行い、
初めて禅譲後に皇位を子孫に伝えた初めての人物
である。 曹丕の事績からその人柄を探りたい。
●文武に優れる
父曹操や弟曹植に肩を並べるほどの詩の名人である。
中国史上初の文学評論「典論」を編纂。自身も筆を取る。
騎射に優れる。曹叡との狩りのエピソードが伝わる。
曹操親衛隊の虎豹騎のメンバー・曹真や曹休との関係も良好。 漢の轍を踏まないため、
皇太后および宦官・外戚・皇族の権力抑制。
皇太后への上奏を禁止、
宦官を一定以上の地位に就かせない、
外戚に政治に携われない、
皇族を官職に就かせない、
という徹底したものであった。 曹丕の皇族に対するスタンスは徹底していて、
曹操の子の名前がわからないほどだ。
一例で言うと、張魯の娘と結婚した曹操の子が誰かわからない。
曹叡が養子としていた斉王曹芳の父がわからない。
斉王は曹操の孫であるはずなのに。 民を慰撫した。
肉刑・酷刑をなくし、私刑・仇討・密告を禁止。 そもそも嫡男ではない。三男。
母も初めから正室だったわけではない。 曹操に最高の「武帝」という諡号を追贈。
曹丕は曹操と同様、質素な墓にするよう遺言。
父に対しての尊敬の念。 私は曹丕が相当な人物で文武両道の英傑であるにも関わらず、
後継者争いのためか、強いコンプレックスを持っていると考える。
自分を厳しく律していると相当な立場の人間が失敗することを
許せない。諫言を聞き流すことができない。
周囲の評価に対して、
自己評価が低い人の特徴だ。
少し蔑ろにされたり、されたと感じると厳しいアプローチを
してしまう。 呉への連年の遠征はそのためではないか。
孫権は詐欺によって蜀漢劉備から荊州を奪った。
その報復を恐れて、孫権は魏に帰順した。
曹丕は孫権を呉王に封じた。
しかし諸葛亮の切り崩しにより、孫権は蜀漢と同盟し、
曹丕は面目を失った。そのための呉遠征である。
面従腹背の孫権は、詐謀を好むので、曹丕は面目を失ったのだ。 後漢献帝は生かした。
献帝は最終的には寿命を全うする。
献帝に対して酷薄さはなく、儒教的な倫理観に則った。 先代曹操の功臣尊重しながら、
自身の幕僚・陳羣と司馬懿を上に引き上げ、
自身に権力を集中させることに成功した。
九品官人法も中正官を派遣して推挙する人材を探す、
官吏採用を皇帝権に付属するためのものである。
私は曹丕を名君の一人として考える。
政策も6年と短い期間の中、推進できた。
着実に禅譲後をこなした帝王である。 曹丕が父曹操に対して、
曹丕自身が文帝に対して、
曹操が武帝になっているということは
不孝だという話がある。
諡号の中で「文」が最良という考え方だが、
私はこの時代には既に「武」が
最良であったと主張する。 天下を十州を治め(後漢末期には一三州あった)
曹操は皇帝にならず、輔弼か禅譲かを
曹丕に委ねた。
曹操は文王になりたかったのであり、
「文」を諡号とすべきだったのに、
「武」とし、曹丕自身が「文」となったという話だ。 この屈辱を漢の武帝は晴らした。
匈奴を討伐し、天の下唯一の世界を治める皇帝として、
完全にその力を及ぼしたのだ。
司馬遷の「史記」は、だからこそ漢の武帝を持ち上げる。
というより、そういったストーリーを作った
といった方が正しいであろう。
匈奴討伐を失敗した李陵をかばう発言をして、
宮刑(去勢される)にされた司馬遷としては、
この「史記」という歴史書が公認されるために、
自身の身を守るためには、
このストーリーを取る他なかった。
つまり、
漢の武帝は史上最高の君主であり、
これが史上あるべき姿、つまり「正統」なのだということを
史記は示した。 「武」という諡号を持つものは、
武帝に並ぶという意味だ。
最良の諡号なのである。
曹操は、
統治したエリアも漢の支配エリアとほぼ重なる。
さらに曹操は烏桓征伐をして成功しているし(207年)
匈奴の末裔も傘下に収めている。
曹操は曹丕から最高の諡号を贈られたのだ。 曹丕の意図は置いとくにしても
曹操のやったことが文か武かと言われれば武になるわな 曹爽は大将軍の位にあった。
司馬懿は、曹叡崩御時大尉であったが、
その後太傅となっている。
よくこれは、曹叡崩御後から曹爽と司馬懿は対立しており、
曹爽一派の画策で、司馬懿を大尉から、事実上の名誉職である
太傅にして、曹爽は実権を得たと言われる。 しかしながら、
司馬懿は、対呉戦線では指揮を執っている。
対呉に備えるため、ケ艾の「済河論」を採用し、
水路・兵糧庫・軍屯の大規模な設置を行なっている。 また、曹叡崩御後に曹爽とともにすぐに任命された、
「侍中・仮節鉞・都督中外諸軍事・録尚書事」の
加冠を外されているわけではない。
魏は非常に皇帝権が強い。
そのため、大尉とかの官職よりも、
この上記の加冠の方が重要になる。
これは皇帝権の部分的貸与だからである。 名目上軍事のトップは曹爽であるとしたに過ぎない。
大将軍も大尉も軍事色なので、
曹爽からすれば司馬懿も軍事職あるのは、
世間からの見え方として、どっちが職掌を握っているのかが
わかりにくいからだろう。
名目に過ぎない。この当時大将軍も名目上の官職になっていたからだ。
魏では大将軍だから軍権を振えるわけではない。
皇帝権の貸与が同格の司馬懿は、軍権を振えるのである。 曹爽・司馬懿の対立のきっかけは、興勢の役(244年)からである。
それまで二人は共生できていた。 曹爽は当初は司馬懿に父のように仕えた。
謙虚に接していたようだ。 >>41
太尉は文官
大将軍は武官
太尉は大司馬の別名(のはずが大司馬と両方いると太尉が下)
秦の三公だけど太尉はいないことが多い
別の時代で太尉は丞相が兼任していると言っているのも
ちなみに魏ではどっちも名誉職で何の権限もない
三公の一人が仕事が何もないから何とかしてくれと言ってるレベル 劉邦は韓信(後の楚王韓信とは別人)を韓国の太尉にしている
(漢の太尉だという可能性もあり)
曹操の父は、一億銭で太尉の官職を買っている
太尉は他の人の出世を見ても三公で一番上(上公の太傅よりは下) >>41
語弊を恐れずに例えて言えば
太尉は陸軍大臣で
大将軍は陸軍大将や元帥みたいなものかと
偉さは大将軍の方が上みたい
偉さ
太師>相国>丞相>太傅?(失脚させるために丞相から昇進あり)>太保?>
大司馬>大将軍>太尉>司徒>司空>ヒョウ騎将軍>車騎将軍>衛将軍 >>12
おい、お前それだと曹爽や曹ボウが皇后の認可で司馬族に殺されたことに何の言い訳もできなくなるが。
別に曹爽みたいな「全会一致でゴミ人材」なんぞには何の同情も湧かないが、曹ボウ弑殺は流石に曹操貶しの俺でも「なんでそこで保身に奔るんじゃこの成り上がり系老害がっ!」なんて怒りが湧くぞ。 >>23
あのー、それだと何晏へのクソムーブとか曹洪を殺そうとしたこととかに抵触しまくりなんだけど。
むしろ上に立った途端何してもよいんだと勘違いしてる成り上がり者そのものなんだよね。 中共が弱肉強食を肯定するために曹操を持ち上げる副産物として、曹操の功績で禅定にこぎつけた曹丕、さらに実権を弱肉強食で奪った司馬懿の評価が上がるという不運
しかも曹丕司馬懿に至っては無双ベースで作るから、分不相応に評価暴騰するという悪夢
PTAのフットサルで上手いという程度のものを、欧州サッカーのエース並に誇張されるのは、ある意味かわいそうではある 全国大会出場チーム並には上手いと思うけどね
ワールドカップクラスの人物なんて長い中国史の中でも数人だろうし 全国大会出場チーム並には上手いと思うけどね
ワールドカップクラスの人物なんて長い中国史の中でも数人だろうし >>48
失敗がないから評価あげと聞くが短期間の割に結構あったしなあ
性格に能力が追い付いていってない 曹丕さんを悪く言うけど
女をさらって来て、兵士井岡させて、孕んだら、腹を裂いて胎児の性別を充てるゲームをしていた王や女王よりマシだと思う >>53
それ食人と同じく民国とかチャンコロまで続いてる日常茶飯事の出来事だから書いてないだけ
史書に記されるのは、通常と異なるor際立った成果がある+貶めるor讃えるのに機能するって場合が揃った時よ
京観よろしく国に利する者以外の人間の価値などゴミ同然
んで西晋の都合上持ち上げなきゃいけないはずの先代王朝の初代皇帝なのに、列伝で貶めばかりしか載せられないっていうのが一番ヤバい
司馬朗ですら清廉かつ公正な逸話を乗っけた列伝があるというのに、そういう繕いすらできなかったのかと
(まあトドメがハイチュウなしの曹髦評価捏造だが) 易牙よりも我が子への情が薄く
開方よりも親族への思いが薄く
ジュチョウよりも我が身を大切に考えず
趙高でさえ比較すれば善良な人間 >>54
チャンコロといいジャップといいチョンといい東アジアって本当冷酷だよな 三国志演技でも劉備に自分の妻を料理として差し出すって美談があったな
晩年の奸臣ぶりがなけりゃ儒家の教えの体現者としてももてはやされていただろうに、まあ料理の神様にはなっているが
あくまで明代に成立した作品での描写だから、そのまま鵜呑みにするのは危険だ。武具や服飾の描写は明代そのままの作品だし。
漢代では食人はタブーだった(王忠のエピソード)が、明代では人肉はありふれた食材だった。こうした影響は、水滸伝などの明代に成立した作品全般に見られる。 三国志演技でも劉備に自分の妻を料理として差し出すって美談があったな
晩年の奸臣ぶりがなけりゃ儒家の教えの体現者としてももてはやされていただろうに、まあ料理の神様にはなっているが
あくまで明代に成立した作品での描写だから、そのまま鵜呑みにするのは危険だ。武具や服飾の描写は明代そのままの作品だし。
漢代では食人はタブーだった(王忠のエピソード)が、明代では人肉はありふれた食材だった。こうした影響は、水滸伝などの明代に成立した作品全般に見られる。 >>53
マジレスするけど、それこそ曹丕さん擁護派の皆さんにこそ「これくらいしか美点の材料がございませんよ、むしろ貴方たちこそ何が面白くてそこまで彼を美化したいんですか?」と告げるべきであろう。 まあ彼らには分からんのでしょ、因果応報って言葉が
行えば行うほどカルマが跳ね返ってくるというのに、皇帝だからって言い訳で跳ね除けてた曹丕を崇拝してるんだから 菅原清公、菅原道真、菅原文時「魏文帝曹丕様マンセー!」 >>53
消極的な擁護にせよ一つの事実ではある。
曹丕は有能ではないが、曹丕が霞むような無能で悪質な君主なんて中国史に限っても掃いて捨てるほどいるし >>60
水滸伝の宋江さんとかもたいしたことさいてないと言われるけど
何と役人なのの庶民を脅していない
拷問をしていない
事件が起きると適当な奴を犯人にでっち上げていない
こんな素晴らしい役人がいるわけないだろレベル
ついでに賄賂も、適切な手数料しか受け取っていない >>64
改めて「支那ってこんな程度の人格を上良扱いせざるを得ないほど天外魔境なの?(頭痛」と言わざるを得ませんな(頭痛 >>53
廃帝を貶めるための誇張や捏造のテンプレみたいな例を出さないと擁護することができない正統王朝の初代皇帝ってある意味すごい >>67
あながち誇張や捏造ではないのが中国史の恐ろしいところ そして悪く言ったことをみんな自分もやるのが中華クオリティ >>65
禅譲の話の、絶対禅譲至上主義の容成氏では
素晴らしい帝の話の逸話が
道に餓死者がいない
道に餓死者がいない
これだからね
逆に言えば、この文章を作られた時期には、道に餓死者がいるのが当たり前 >>65
禅譲の話の、絶対禅譲至上主義の容成氏では
素晴らしい帝の話の逸話が
道に餓死者がいない
道に餓死者がいない
これだからね
逆に言えば、この文章を作られた時期には、道に餓死者がいるのが当たり前 はじめ曹丕は、賈詡に聞いた。「呉と蜀、どちらを先に討つべきか」と。賈詡は答えた。「文を先にし、武を後にしなさい。呉と蜀の優先順位を考える、問題の立て方がそもそも誤りである」と。曹丕は賈詡を納れず、結果の出ない軍事行動をした。 平安貴族の理想である武芸、文芸を極めた魏文帝曹丕様の唯一苦手だった軍事は、貴族の汚れ仕事として下っ端貴族が請け負った。
それが武士である! 平安上級貴族(公家の先祖)の天下人像=魏ノ文帝ノ所謂ル文章經ムル㆑國之大業。不朽之盛事ナル者也。
日本の文芸振興は魏ノ文帝のおかげ。ありがとうございます😭 『山陽公載記』はいう。董卓は長史の劉艾に言った。「むかし周慎ととも西方を攻めたとき、孫堅は侮れなかった。二袁と劉表、孫堅を殺せば、天下は私に服する」と。
これって大勢力4つじゃん
これを滅ぼせたら他の敵なんてほとんどいないような >>78
孫堅は袁術の派閥内で与力みたいなもんだから
(当時は曹操は袁紹派閥内)
大勢力4つというのは違うような トウケンも袁術参加だっけ
むしろこいつrの勢力じゃないのって董卓だけじゃね 文章を知らなかった邪馬臺民族は魏志倭人伝を残した魏朝の創始者文帝に憧れてしまった! どっからそんな勘違いが湧くのか全く理解できないけど、非漢人で曹丕を讃えた人が皆無な時点でな。 天皇陛下の才を魏文帝に匹敵すると言った菅原氏と大江氏は讃えてるのだぞ。陛下を劉禅と董卓のチンカスに喩えたら島流しだがな。 古代シュメール語聖書には、神とは地球を訪問した異星人であり、異星人の乗り物の燃料である金塊を採取するため地球に来たと記載されています。
神は、地球に居た猿と異星人の遺伝子を合体させ、人間を作り(アダムとイヴ)、金塊の採取を命令した。金塊採掘のため=金儲けのため、多数の奴隷となる人間を製造し、奴隷の管理人として異星人の「遺伝子を多く受け継ぐ」王族、貴族を作り、神の血を薄めないように「純血」を命令したと記載されています。
世界の王族が純血を重要視する理由はここにあるのです。 曹叡:暴君だが暗君ではない
末期劉禅:暗君だが暴君ではない
曹丕:暴君で暗君
孫権:麒麟も老いれば駑馬にも劣ると評される
曹丕:最初から駑馬に劣るし、そもそも駑馬と比較するのが駑馬に失礼 お前ら和歌山県出身の下村拓郎様(35歳独身、元自衛隊)をご存知か、この方は将来素晴しい人物になるから覚えておいて損はないぞ 曹操:諸悪の根元、大逆無道の漢賊にして最大のクズ
曹丕:弟と仲良く詩ってろクズ
曹叡:上二人に比べたらまともだが血は争えないクズ 武帝:邪智暴虐の暗喩
文帝:それしか取り柄がない
明帝:中途半端だし何か適当な諡付けとこ >>90
王子でさえ妻の不倫の子ばかりでとても純血とは 仕事を頼まれても、突っぱねる。これが正解なのだ。なぜか。ラインに組み込まれたら、監査を出来なくなる。 三国時代の皇帝で唯一ただ単に無能で横暴なだけなのがある意味すごいし、そんな実態が明らかになるにつれて唯一の取り柄の詩文の才能の評価が相対的に跳ね上がるのもある意味すごい 数百年後に詩聖が出るまでは
ガチで中華のツートップだからな曹兄弟