五胡十六国南北朝を語るスレ16
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ついに16国目
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晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
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・いつか読みたい晋書訳
ttp://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc 数年後のチャンコロが
「むしろ今よりマシ」と思うかもしれない時代乙 吐谷渾「五胡十六国時代初期から唐まで続いていたのにガン無視ですか…orz」 吐谷渾の末裔はいくつかの氏族に分かれて唐に仕えたのだが
特に有力な氏族が…なんと「赫連」
なんで鮮卑吐谷渾の末裔が匈奴「赫連」を氏族名にしたのかは謎のまま >>11
吐谷渾よりも少し低地の前涼後涼他は中華扱い
なにこの高地民族差別 吐谷渾が飼育する馬は青海駿と呼ばれて日に千里を行く名馬として有名だった
他にも銅や鉄の鉱山を所有し採掘業や冶金業も盛んだった
本拠地は穀物が育ちにくい不毛の地だったためシルクロード交易に力を入れていたのが判明している
吐谷渾のキャラバン隊が鉄製品や青海駿を携えて長安まで交易にやって来ると人々は待ってましたとばかりに群がったという
ただシルクロードの交易の利潤を狙う北魏とは何度も交戦している
劉宋に朝貢して官位をもらっていたのは北魏を牽制する狙いがあったとされる 小月氏もそうだけど
騎馬民族が青海に住むと
騎馬(キバ)抜かれて草食動物化する感が 前スレ埋めに便乗して
曹操ガンダムがいるなら
石勒ガンダムとか劉裕ガンダムとかもあっていいだろ 石勒ガンダムは大破してもすぐ欠片が集結して再生しそう >>14
日本の歴代通り魔も公務員や正社員だったら事件は起こさなかっただろうしね 大陸における高位の官職の名称
太師、太宰、太傅、太保、大司徒、大司馬、大司空、司徒、司馬、司空、司空、
相邦、相国、太尉、御史大夫、少傅、令尹、大丞相、丞相、右丞相、中丞相、
左丞相、仮左丞相、冢宰、大宰、大宗伯、大司寇、右師、左師、司寇、仮王、
領尚書事、録尚書事、平尚書事、省尚書事、尚書令、阿衡、宰衡、周公、卿士、
右卿士、左卿士、卿、正卿、上卿、亜卿、侯伯、大将軍、将中軍、佐中軍、
将上軍、佐上軍、将下軍、佐下軍、尚父、仲父、亜父、都督中外諸軍事、
都督六合諸軍事、宇宙大将軍、摂皇帝、仮皇帝、真皇帝、摂政王、親王、王、
国王、郡王、行人、衣王、周方伯、小伯、伯、天王、尚書左僕射、尚書右僕射、
内閣大学士、天皇、内臣、外臣、使持節、驃騎大将軍、驃騎将軍、車騎将軍、
衛将軍、中都護、行都護、都護、左都護、右都護、西域都護、牧伯、牧、太守 中原の官職の偉いと思われる順
@太師
A太宰
B相邦
C相國(相国)
D太傅
E丞相
F右丞相
G中丞相
H左丞相
I仮左丞相
J太保
K大司馬
L大将軍
M太尉
N大司徒
O司徒
P御史大夫
Q大司空
R司空
S司城 中原官職順序
@太師
A太宰
B相邦
C相国
D太傅
E丞相
F右丞相
G中丞相
H左丞相
I仮左丞相
J太保
K大司馬
L大将軍
M太尉
N大司徒
O司徒
P御史大夫
Q大司空
R司空
S司城 官職なのに王とか混ざってるし本当に意味が分からない 蕭道成は劉裕みたく長安洛陽取り返したなんて戦果上げてないのによう簒奪できてたな 「王」と言うのは中央アジアで遊牧民の中に発生した。
「王」呼び名は「Kwang」とされた。
遊牧民は各地に王国を築いた。
東に来てモンゴルでは「w」が「h」に変わって「Khaan」となり、
中国では「k」が消えて「Wan」になった。
朝鮮では「kan」から「kim」になり、日本に来ると「kimi」になる。
一方、遊牧民が西に行くと「Kwang」から「King」に変わるのである。 >>22
仮王もスペインの副王(ヴァイス・ロイ)みたいなものだし
東洋も西洋も爵位の起源は官職だし
王も恐らく、死刑執行人かイタコみたいなものが起源だし 寡兵で大軍を破った戦いだと日本ならやっぱ桶狭間の戦いだな
駿河・遠江・三河を支配し、海道一の弓取りとまで言われた今川義元の軍2万5千を
小国尾張の一領主に過ぎない織田信長が3千で撃破し、義元の首級をあげた
まさに戦国最大の番狂わせ
日本史で兵力差8倍以上を覆した戦いって桶狭間以外でなんかある? 中国史だとやっぱ合肥の戦いか
10万の孫権軍が7千の曹操軍に大敗した
そしてヒスイの戦いもそうだよなあ >>30
戦国末期の朝倉氏の家臣の富田長繁軍700人が一向一揆軍2万人、実に30倍の敵に勝った例がある。
ちなみに富田長繁は「樊カイが勇にも過たり」と評されるほどの武勇を誇っていた。 >>31
大秦天王の軍87万が東晋軍8万にやられたのが最悪かね なんで交戦した先鋒25万ではなく本隊87万なんだい? >>25
まるでインドのチャトランガが
西方へ伝来してチェスに
東方へ伝来して中国象棋や日本将棋になったような感じか
モンゴルに伝来してシャタルになったが
シャタルは東アジアなのに中国象棋や日本将棋と違って
チェスにほぼ近いのが面白い
中身はほぼ中国象棋のパクリで名前は日本将棋のパクリの
朝鮮将棋というのは無視で・・・ >>24
放伐じゃなく禅譲だから
前王朝が衰退して各方面から吉兆が報告されれば
長安洛陽取り返さなくても禅譲できるんすよ 「進撃の巨人」のマーレ編以降とか
「ドラゴンボール」のサイヤ人編以降とかを
読んでないようなもんか >>33
まさかあの「越前の狂犬」がこの板に出ようとは
しかし敵どころか味方になり得る者まで殺しに殺しに殺しすぎて
味方に射殺されたよな
70年後の張献忠を先取ったというか >>38
寿王が自害しなければ、武王は形式的には禅譲にしたかもね 慕容恪と王猛って最後まで直接対決は無かったんだっけ?
お互い軍事も政治も完璧超人ぽいがどっちが優れてたんだろうか
性格面は誰とでも波長合わせれそうな慕容恪だと思うが >>43
石虎や姚一族がいなければ340年代に華北を征服してたであろう基地外軍事力を持ちながら
強ければ何をしてもいいという思想に堕ちずに国に忠を尽くした慕容恪のが一回り上
たぶん天王にならざるを得ない立場になったとしても、飲み込まれず帝王学を実践できてたと思う
王猛は東晋を飛び出して運よく前秦と逢うまでがハードル高いし、君主が進言を9割呑む苻堅だったからこそ栄達できた
一歩間違えれば国を奪う、国を滅ぼす方向に振り切れる危うさがあるし、そうなったら王敦よろしく人心を軽視して墓穴掘る >>39
三国時代の知識しかなくても
徐盛が二百人に満たない数で
黄射の十倍以上の軍勢を撃退した話とか
すぐ出てこない時点でたかが知れてる 慕容恪(324年以前 - 367年)
王猛(325年 - 375年)
2人は同世代といっても差し支えないのにほぼ接点なし
王猛が世に出るのが遅かったのと活動範囲が違うのが原因か
365年に前燕が洛陽侵攻した時に王猛が迎撃してれば直接対決有ったかもだが
その時王猛は苻幼の反乱鎮圧してたので叶わなかったな・・・ 崔浩曰く
・王猛=苻堅にとっての管仲
・慕容恪=慕容暐にとっての霍光
・劉裕=司馬徳宗にとっての曹操
なので属性少し違うが王猛慕容恪2人とも歴代の名臣の1人 強盛をもたらしたがヘイト溜めて殺されたという点で商鞅・呉起なんてどうだろう 孝の漢典からすれば仕える先なんぞより家門の保持のほうが圧倒的に重要だぞ 晉自棄中華,非吾叛也。民既無主,強則托命。既已事人,安可改節! >>51
儒教の観点からすると孝みたいな八徳は重要だが
北魏は仏教や道教の世界なので…
売国奴という意見もわからんでもない 胡は古代漢民族からみたら犬猫畜生
それを主君に崇めるってどうなの? 西周が犬戎に滅ぼされたり
犬戎を吸収した秦が天下統一したり
元々古代漢民族は犬猫畜生の下僕ですよ >>57
秦自体がペルシャ系と言われてるからな
ローマを大秦と称するあたり、古代から西方民族の流入が相当の影響を及ぼしたのは推測できる 源平の頃
都の人間は坂東武者を東夷と見下したが
その坂東武士は常陸の武士を東夷を見下していた はるか昔の東夷は斉(山東省)にいて
早くに華夏族に吸収されたので漢民族
その後の東夷は概ねエセ東夷 >>66
日本人も沖縄に行くと腑抜けになるからな。 世界の四大文明はほぼ北緯20度〜40度の間で
寒過ぎず暑過ぎずというところか
ちなみに東京は北緯36度で
欧米の先進国のほとんどは北海道より北緯高かったりする >>62
後白河法皇「源頼朝は東夷」
源頼朝「佐竹秀義は東夷」
佐竹秀義「」
そんな佐竹が南北朝時代を経て近代では侯爵
現代では秋田県知事になろうとは でも現代の佐竹の中身ってどこからかの赤の他人の養子やん >>69
四大文明の頃は今より寒冷だから、メソポタミアと黄河がやや寒いといった具合
双方とも侵略が色濃い文明でもある 佐竹といえば
宗家で佐竹義重が2人居るとは
戦国時代好きには有名な鬼義重(18代)と
東夷扱いの秀義の息子の義重(4代)
まぁ伊達氏でも伊達政宗が2人
独眼竜政宗(17代)と大膳大夫政宗(9代)
居るので珍しい事ではないが
日本で同姓同名がたまに出てくるのなら
日本よりも姓が短く少ない中国なら如何や >>72
確か12代佐竹義人が上杉家からの養子で旧名上杉義憲
佐竹(源氏)だけど中身は上杉て
越後上杉家と似てて仲良い理由がわかる >>74
有名なのは漢の高祖・劉邦に仕えた韓信だが普通は”国士無双”の韓信を指し、戦国時代の韓王室の一族の方は韓王信と呼んで区別している。 >>76
現在の佐竹はほぼ相馬だったっけ?
スレチだからどうでもいいけど >>77
韓信(斉王、楚王、淮陰侯、etc…)
韓信(韓王、代王、etc…)
と呼べばいいのに一人だけ韓王信とか
利便性優先して違和感
これもスレチだからどうでもいいけど 謝安の兄弟って字に諱を含んじゃってるよね
謝奕:無奕 謝安:安石 謝萬:萬石 謝石:石奴
忌諱のルールがよくわからない… 司馬道子なんか皇族のくせに字も道子だぞ
慕容紹宗も字が紹宗なんだよな >>80
皇帝とか目上の諱と同じだとまずいから避けるのであって
自分の諱を避ける必要はないんじゃないの 謝裒「さすが石勒石虎!おれたちにできない事を平然とやってのけるッ!
そこにシビれる!あこがれるゥ!」 桓沖 幼子
謝玄 幼度
幼の字にかっこ悪いイメージはなかったんかな >>81
中学の社会の授業で
唐の詩人孟浩然が字も浩然で大概にしろと思ってたが
もっと先輩が居たとは そういや郭子儀も字が子儀だったな
この時代なら他に誰かいるの? ジョッキーでいえば
ミカエル・ミシェル
みたいな感じか
芸人でいえば
寺門ジモン
みたいな感じか 諱と字の常識を覆すみたいな感じで当時は一種の流行だったりして >>96
>>97
今の中国人は使っていないって意味かと思う
日本でも本当の名前は隠しているという話も
また本名は部下でも呼ばないっぽいから
アザナは普段使う名前だから今の免許証に書いている奴が字になるのかねえ 呼ぶのに失礼じゃない順
丞相>諸葛丞相>諸葛孔明>諸葛亮>曹丕 こういうの親は名前で呼ぶの?
劉備の母親は劉備を備と呼ぶ?
それとも字の玄徳? >>100
親と主君だけが名で呼ぶことを許されているというが
三国志を見ても劉備も孔明も部下を字で呼んでいるし
馬超が劉備のことを玄徳と呼んだことに関羽・張飛がキレたとかで
せいぜい、親や兄姉ぐらいが呼ぶんだろうけど
その場合でも、玄徳とかアザナで呼ぶのが多いような
実際にはアザナでも今の日本で下の名前を呼ばれる以上に抵抗があるみたい
だから官職や役職で呼ぶのが無難、親や主君でも余程親しくないならアザナ >>98
という事は例えば田中みな実が
姓 : 田中
名 : エイミー
字 : みな実
という事か… 高歓ぶっ殺すマンの賀抜勝が、「賀六渾!てめーは俺がぬっ殺す!」と戦場で言い放ったのはどうなのだろう? 賀抜勝は字が破胡
賀抜勝お前は五胡(鮮卑)だろという >>102
英語圏だと兄とかも名前呼びだけど
それに通常ブラザーと呼んで平等っぽいんだけど
実は王位や爵位の継承順位は厳格に決まっていて
兄を差し置いて後継者になれない
むしろアジアの方が長男以外が後を継ぐことが多い
ヨーロッパ唯一の例外がイギリスの名誉革命だけど
2位の長女を即位させ、1位の長男(赤ん坊)が廃されただけ
これでもとんでもない事扱い 三国志演技でも劉備に自分の妻を料理として差し出すって美談があった
晩年の奸臣ぶりがなけりゃ儒家の教えの体現者としてももてはやされていただろうにまあ料理の神様にはなっているが
あくまで明代に成立した作品での描写だからそのまま鵜呑みにするのは危険だ。武具や服飾の描写は明代そのままの作品だし。
漢代では食人はタブーだった(王忠のエピソード)が
明代では人肉はありふれた食材だった。
こうした影響は、水滸伝などの明代に成立した作品全般に見られる。 ただし五胡十六国時代くらいから
憎い大罪人の死体を切り刻んでみんなで食べるような報復行為が散見するようになる
すでに王莽の舌が民衆に食われた記録は漢書にあるが
五胡十六国南北朝あたりではそういう限定もなく食われる >>103
賀六渾は鮮卑名だからむしろ破胡が言い放つのにピッタリ 安史の乱で張巡が籠城戦で非戦闘員を食ったことを謗られてるな
明代でもわざわざ特筆する時点で「腹を満たすための食材」としては一般的ではないんだろう
儀礼的食人は時代が下るごとに広まってると思うけど >>113
>>110はマルチポストだからスルーしな。 >>103
賀六渾て誰かと思ったら高歓の字だったのねん
字が三文字とか奇特(変態とも) 鮮卑名そのまま字にしてんじゃない?
周武帝の字は禰羅突やし隋文帝の字は那羅延やし 賀抜勝と賀六渾(高歓)
名前だけぱっと見だと同族(同類)なので
喧嘩するな仲よくしろと あいやあいや、この世には「仲良く喧嘩しな」という事もありまするによって
ムシャクシャっと腹が立つ折には喧嘩もありでは無かろうかと(南北朝で喧嘩は血塗れの死闘) >>120
南北朝から唐初期はどうも仏教くさくてな
いい意味でも悪い意味でも中華らしくない 岳も允も殺されてるので賀抜勝にとっちゃ倶に天を戴くなんてムリムリですよ
なんで高歓は賀抜允殺したんだろーね >>109
漢人王朝の宋と明は国初を除くと存命中の兄を差し置いて弟が帝位に即くのはほとんど無かった。
明の場合は兄の英宗が土木の変でオイラートに捕らわれるという非常事態で弟の景泰帝が即位したのが唯一のケース。 >>126
>漢人王朝の宋と明は国初を除くと存命中の兄を差し置いて弟が帝位に即くのはほとんど無かった。
わからんもんだな
漢人王朝の源流の漢は例えば武帝(劉徹)には兄が10人いたが
武帝が帝位に就いた時には栗太子劉栄と臨江王劉閼于以外の
8人が存命だったりするので>>109氏の法則が当てはまらないという・・・ 長安だった西安が絶賛パンデミック中だけど
当時の長安の民からしたら
それすら「ヘェ〜」レベルかもな >>116
戦闘員使い捨て放題な
ショッカーその他よりマシ程度か >>126
それが本当なら、兄達はその時死んでたってこと?
何なんとかでると長男以外が多い気がする >>125
今でも政治家とかそれをやることの弊害無視して導入しようとするじゃん
ドイツでさえ赤ちゃんポストに外国人が子供を捨てるのは想定外だとか
普通にありそうというか
日本だと法案反対派が普通に言ってることが起きて想定外だとか言ってるし >>127
宋だとキソウ自体が何番目か忘れたけど兄が数人いたような >>124
仏教ベースだと清濁や正邪の概念が経典に縛られ、例え皇帝であろうと経典をもとに自身を律して倫理的であることが求められる
ペルシア、ゾロアスター系の多神教のように、神もまた世界の法に律されるというのと同じ考えだから、支配者としては非常に窮屈になる
戦争においてはそれが邪魔になることも少なくなく、即物的、功利的な行動は徳を失うとして躊躇ってしまうようになる
故に中国の功利主義、物質主義と相容れずに衰退し、日本に仏教が託されるほどボコボコにされ立ち上がれなくなった
だが儒教ベースの場合、皇帝が頂点であることは秦代から確定しており、皇帝が神であるから何をしても許される
徳があるから皇帝になれた→皇帝は徳があるから全ての行動が徳になるという捏造歪曲が各王朝でなされ、支配者に都合のいい宗教といえる
ゴミクズだと軽蔑した明の儒教支配システムを、いざ使う側になったらドップリ漬かってしまった清王朝が好例 北魏も太武帝の時だけ弾圧したけどそれ以外は手厚く保護してるな 達磨さんには「意味ねーよ」と言われたな
かわいそう >>130
明の初代・洪武帝以後の皇帝の生れ順は以下の通り
2建文帝ー洪武帝の長男の次男(長男は夭折)
3永楽帝ー洪武帝の四男(靖難の変で奪位)
4洪熙帝ー永楽帝の長男
5宣徳帝ー洪熙帝の長男
6/8英宗ー宣徳帝の長男(奪門の変で奪位し重祚)
7景泰帝ー宣徳帝の次男(土木の変で緊急即位)
9成化帝ー英宗の長男
10弘治帝ー成化帝の三男(長男・次男は夭折)
11正コ帝ー弘治帝の長男(嗣子なし)
12嘉靖帝ー成化帝の四男の次男(長男は夭折)
13隆慶帝ー嘉靖帝の三男(長男・次男は夭折)
14万暦帝ー隆慶帝の三男(長男・次男は夭折)
15泰昌帝ー万暦帝の長男
16天啓帝ー泰昌帝の長男(三人の男子みな夭折)
17崇禎帝ー泰昌帝の五男(天啓帝以外の兄は夭折)
15人中で長男が7人、次男が3人、三男が3人、四男が1人、五男が1人だが土木の変で兄の英宗がオイラートに捕らわれた為に緊急即位した景泰帝以外は兄は全て死去している。
靖難の変で甥の建文帝から奪位した永楽帝も3人の兄は既に死去していた。 >>132
徽宗は神宗の十一男だが10人の兄の内9人は夭折していて成人したのは六兄の哲宗と九兄で、哲宗が死去した後の皇位に即くのは年長の九兄と目されていたが皇太后向氏が九兄の目疾を理由に反対し、徽宗が即位する事になった。 >>137
乙
五胡十六国南北朝時代含めて
歴代王朝歴代皇帝のも見てみたい 後漢もそうだけど皇族男子が育たず死ぬって始末されてるのかなあ
最後の清朝でも半分育たず死ぬとか
溥儀も弟1人しか出て来ないし
オスマン帝国でも皇帝が死んだときに皇族男子が精神障碍者の弟イブラヒムしか残っていなかったみたいだし オスマンは皇帝の兄弟全員ぶっ殺す子貴母死もびっくりのヤバい国だから 晋も世継ぎ以外は全員国外追放で
卿(6人の大貴族)の嫡子を公族としてついには韓国魏国趙国に分裂
日本も親王その他を仏門に入れて子孫を残せなくした
メロヴィング朝も修道院に入れていたけど
オスマン帝国の即位できなかった兄弟は全員処刑とか
鳥かごと呼ばれるところに皇子を幽閉して
舌を切り取られ鼓膜を破られた宦官が世話とかってやばさ
権力は大宰相に握られたり、トルコ革命で国外追放とか
もう皇族は飾り物なんだろうな
母親が全員奴隷でしかも非イスラム教徒でトルコ人じゃないから 晋で自分の子孫以外の親族はじゃまだを繰り返したからなあ
次の君主も子供は大事でも兄弟は邪魔だし
子供でも母親を汚らわしく思うと愛情が消えるみたいだし >>141
さすがは広義的に匈奴と同族と云われるテュルク系だけある >>144
残念ながら、匈奴の民族系統はいまだに特定できてない
ただ、人骨を遺伝子分析した結果、複数の民族の集合体なのではという説が浮上し始めている
また、遺伝子分析の副産物として、フン族=匈奴の子孫だとする仮説が支持されるようになってきている >>145
言語の推定からの考察でトルコ語だってなってたよ
バイキングが他民族の集団で予想外だったみたいなのが欧米であったけど
むしろ荒くれものの略奪集団なんて色々混ざっていそうだし
でも、トルコ語で語頭に来ない言葉とかよく使う言葉
漢字で書かれたこととかから言葉はトルコ語だとか
オスマン帝国も皇帝はトルコ人だけどトルコ国家だという考えはなかったとか
その後トルコ共和国になっているし、欧米もオスマントルコって呼んでるから
綺麗事の気がするけど 結局、自分の子孫は可愛いけど、兄弟なんてむしろしねってのが歴史の普通
斉のキ公 斉の喜公は弟の夷仲年を寵愛し、その子の公孫無知も寵愛し、太子と同じ待遇とした。 というか特定の子を可愛がりすぎて
血塗られた親兄弟喧嘩になるのもテンプレだし >>148
喜公て誰かと思ったら釐公か
甥の公孫無知を可愛がったおかげで
近親相姦の襄公が死んで名君桓公が立ったので
この件に関しては結果オーライ 前涼の張茂は即位早々に甥の張駿を後継者に指名して自らは敢えて実子を持とうとしなかった
その甲斐があって甥が叔父を継ぐという変則的な継承にもかかわらず混乱しなかったのであった
一方、成漢の李雄は10人の実子を差し置いて甥の李班を後継者に強行指名した
その結果、李雄の崩御をきっかけに反乱が起きるようになり大いに乱れたのであった よほど自分の子供たちが駄目だったんだろうな
息子の誰に継がせても結局争いが起きそう 李雄には同母兄の李蕩がいた。李蕩は優秀な人物だったのだが志半ばにして戦死してしまった。李蕩の子供達が幼いので李雄が後を継いだのだが…。
李雄は兄の子供達を差し置いて後を継いだ事に強い負い目を感じていた。本来なら皇帝になるのは兄の子供達のはずだったのにと。
そこで李雄は実子が誕生しても決して後を継がせないことにした。成漢は兄の国。だから兄の子供達こそ皇帝の位を継ぐ資格がある。
…だったら張茂みたいに実子をこさえるなよと突っ込みたくなるが。 >>153
趙無恤でも同じ過ちしているから仕方ない
兄の子供を補佐させるために実子作ったのに
実子には全く伝わらないという・・・ いつも聞いてもいないうんちく語りだすやつってこいつ何なの? >>155
マツビオーは昔からその書き込みしかできないから、BOTみたいなもんとして捉えろ
マルチポストも同様 >>155
崔浩に対する拓跋Zの心の叫びみたいでワロタw
>>155氏は実は宗愛かもしれないが… >>146
テュルク語族もアーリア語族と同じく、少数の支配者層が使ってた言葉が被支配者層に伝搬してる
故にテュルク自体が何かの意味を持ってた+使われる頻度が多い単語と推定されてる(ジュルチン=人間のように)
故に匈奴自体が様々な寄り合い所帯でもおかしくない
因みにオスマンが民族主義でトルコを標榜し始めたのは、二十世紀になってからだったりする
(バルカン戦争によるユーゴ系民族主義への対抗により) 末尾Oなんか専ブラでとうのむかしにNGIDにしとるわ
だって今時ガラケーからかきこみしてるガチガイジやし
つかその書き込み見えてるのは専ブラすら導入してないんやね >>158
漢民族も実質様々な寄り合い所帯なので
匈奴が様々な寄り合い所帯でも別に驚かんわな >>158
ユーゴスラビアというかスラヴ人は
元々騎馬民族マジャール人の奴隷(slave)説
柔然の中の突厥みたいな感じか
スラヴ人もある意味ネグロイド(ネグロ=奴隷)と同じく
語源がエグい >>162
今有力なのはアーリアン学説+印欧語圏説で、アーリア語がアルファベットのルーツだというもの
アーリア人の末裔として最も優秀なのがイギリスって結論出すために日夜研究されてる
アンフォラ仮説やクルガン仮説については蛮族だからで認めないのがヨーロッパ 今年は以外と五胡十六国〜南北朝の文献が豊作だったよなぁ
(北斉書の販売の遅れからは目をそらしつつ)
来年もこのペースを期待したいわ いつか読みたい晋書訳
もまだまだ先だな
北斉書とどっちが早いか >>169
華譚「確かに東晋以降の南朝には華(氏)がない…」 >>172
華皎は揚州晋陵郡曁陽県の人なので
華軼(華歆・華表・華嶠・他)(青州平原郡高唐県)
華譚(華融・華諝・他)(徐州広陵郡江都県)
らの五胡十六国南北朝時代の人物や
華覈(揚州呉郡武進県)
華佗(豫州沛国譙県)
華雄(涼州?)
らの前代の人とは繋がり無さそうで悲しい・・・
あと華皎あれだけ陳陳に対して暴れたのに
名前ほどの華が感じられないのも悲しい・・・ >>168
南斉(7代23年)は陳陳(5代32年)に比べても短すぎる
劉宋に仕えて蕭梁まで生きた人物も普通に居る訳で
華が無いというか記憶に残らないのも残当 梁武帝在位501〜549
南斉(7代23年)も陳陳(5代32年)これに比べたら短い 梁武帝在位501〜549
南斉(7代23年)も陳陳(5代32年)これに比べたら短い >>178
甲家が好き放題できた南斉と、それを上回るクレイジーな秩序をもたらした南梁は、イデオロギー的に揺り戻しのあった後趙と冉魏を彷彿とさせる振り切れ方 >>177
要約すると
陳陳(ち◯ち◯)短い
か… >>181
左は拓跋什翼犍と書いてあり、右も拓跋ナントカと書いてあるな。
慕容ナントカは無いのかな?
南朝・陳はただ陳で良いだろう。
春秋時代諸侯の陳と混同もあまりしないだろうし。
まあ音が好きなんだろうけど。 南朝の建国者達って(五代も?)
親父の頃から下級軍人として仕えていた
宮廷の権力争いに巻き込まれて(参加して)
権力奪って建国ってパターンだけど
あの頃、4世代くらい続けば
宋から陳までの盛衰をみれたんだろうか >>188
呉郡の門地三品あたりはそれをやってると思う
北に逃げようにも地盤は捨てられないし、破格の待遇だから南に仕え続けるという感じ >>187
残念ながら見当たらないが
明朝や現代には居るらしい 孫呉支持してた豪族どもの東晋以降ってほぼ北来貴族の養分ってイメージ >>189
とはいえ呉郡陸氏でも陸載の家系(陸政・陸通・陸逞・他)
は北朝で栄えてるけどな >>191
確かに東晋以降の南朝で江南貴族が宰相になった記憶はないが
大臣クラスなら石投げれば当たるぐらいゴロゴロ居るぞ
唐の時代なら江南貴族が何人か宰相になってる >>184
春秋時代の陳は嬀陳で
斉の桓公に仕えた田斉の祖の陳完の出身国だっけ?
陳陳は陳霸先が建てたので
劉宋や蕭斉や蕭梁に比しての陳陳だろうから
このスレでは陳陳でいいような気がする うるせーおちんちんびろーん
∩___∩
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\_) 北斉書読んでて思ったけど、北斉の皇帝は意外と兄弟の子供を殺してないよね
南朝だったら皆殺しにしてそうなのに 李祖娥は自業自得の感が
高演と高湛の誅殺計画の機密文書を李昌儀に見せたせいで
長男は廃位され高演に殺されるわ次男は目の前で高湛に殺されるわ
自身は高湛にレ〇プされ妊娠するわの数え役満ぶり 北斉の皇族の先祖って本当に古代漢民族なのか疑わしい 北斉皇帝共はレビラト婚ってより単に異常性癖なだけだろ 漢武帝の時代から匈奴から投降して漢化した人たちもいるし
東晋の時代なら匈奴とか鮮卑とかの血が一滴も混じってない人の方が珍しいんじゃね 孫権の風貌は碧眼紫髯と言われてるけど東晋明帝みたいに異民族の血を引いてるのかな ?
お前らは何を言ってんだ、すべての人間は「古代人の子孫」だぞ? 東晋は初代元帝と八代簡文帝を除いて鮮卑(明帝の母)か褐色人(孝武帝の母)の血が流れてるな >>208
東晋は初代元帝が夏候淵の血を引いていて
更に夏侯淵は曹操の妹を娶っているので
東晋は実はがっつり曹魏の血を引いているのは
あまり語られる事はないという・・・ 明帝の母は噂程度
明帝罵倒してたのも敵対してた王敦のみ
孝武帝の母褐色人説も簒奪した劉裕が司馬氏けなすために流したデマの可能性 元帝は諸葛誕の曾孫でもある
北朝の母系にも言えるけど母系から見ると中世ヨーロッパや戦国時代の日本の東北の大名(最上伊達佐竹が叔父甥従兄弟の関係)みたいな感じ 元帝の出自デマで一番悪質なのは元帝が牛氏の出身説(元帝のオカンが牛氏の人間と密通して元帝を産んだ)じゃろ 孫権のばあい、華北からみたら
江南の人間じたいが漢化した異民族なわけで。
曹操や劉備にとって孫権なんて元南蛮でしょ。
まあ漢から三国時代にかけて
徐々に僻地ながらも漢族の地と見なされていったけど
秦以前の楚とかあった時代は完全に蛮族扱いでしょ。
西晋以降、漢族の本家であった華北が異民族に蹂躙されて
漢族が江南に避難して、いつの間にか江南が漢族のホームタウンになっちまったけど。 この時代と南北朝時代は民族ガラガラポンの時代だからね。
その結果である隋唐は、鮮卑と匈奴の政権で
あれほど漢を脅かしていた塞外民族が
いつの間にか漢人づらして中原に君臨しているのだから面白い。
一方で被支配民族であるはずの漢族も
支配者が自分たちに同化してくれたおかげで
金や元や清の治世のような征服された感覚もなく
みんながWin-Winの結果に。 >>215
実のところ下層民は南北問わずゴミクズ扱いというのは変わらないから、ゴミクズの範疇で待遇面さえよければいいのよね
上層の政争や贅沢による補填で下層民に負担がのしかかかりながら、ゴミクズ以上の層にいる者の実情がバレた時、一気に破裂して革命になるだけ >>211
>北朝の母系にも言えるけど母系から見ると中世ヨーロッパや
>戦国時代の日本の東北の大名(最上伊達佐竹が叔父甥従兄弟の関係)みたいな感じ
近代ヨーロッパも王室結構親戚関係だったりする
最近キングスマンの映画を観たが1世紀前の
ジョージ5世(大英帝国皇帝)
ヴィルヘルム2世(ドイツ帝国皇帝)
ニコライ2世(ロシア帝国皇帝)
が従兄弟で戦国時代の日本の東北の大名よりもカオス 五胡から南北朝の胡族たちが、後世の征服王朝とは異なり、すんなり中原に浸透していったのは
五胡十六国時代のスタートを切った劉淵の行動からもその特徴が出ている。
まず劉淵や陳玄達という名前からして「あんたら本当に匈奴?」と言いたくなるくらい胡族らしくないし
劉淵自身が漢王朝の復活を唱え、建国にあたり高祖・劉邦を祀ったという。
おいおい、(いくら劉淵に劉氏の血も流れているとはいえ)劉邦は、あんたの先祖で匈奴の英雄である冒頓単于の宿敵だぞ。
しかし、匈奴の大復活を夢見て大単于を名乗ることはせず、本来敵方であるはずの漢魏をそのまま模倣した国家を建設した。
五胡のパイオニアからしてこうなので、それに続いて勃興した種々の部族長たちも
中原に進出してからは自分たちのやり方を押し付けたりはせず、魏晋の政治体制を採用して漢族官僚に実務を任せ
自らは中華の皇帝として振る舞った。 劉淵は劉禅と一緒に肩並べて
孫呉の使者を持て成す司馬昭の宴会で酒飲んでるというシュールな光景…
(劉淵当時14歳前後) >>217
欧州の血族支配って洒落にならんからな
高貴な血同士で高貴なものを作る、下等なものとつるめば汚れるって思想が、今でも続いてる どこの骨とも分からんフランス人が今の王朝の始祖であるスウェーデンみたいな国もある >>221
しかもこれがヨーロッパ最古の王朝だったりする
始祖がかつて仕えてたブルボン朝やボナパルト朝も
王位請求するだけの存在だし >>222補足
「現存する」ヨーロッパ最古の王朝
ね 匈奴は、母系が前漢の劉氏であったことを理由に、漢の後継者を名乗り、
鮮卑のタクバツ氏は、先祖が魏に朝貢して曹氏と交流があったことを理由に、魏の後継者を名乗った。
どちらも胡族のアイデンティティを前面には出さず、むしろ漢族王朝の権威を利用して自身の中華征服を正当化した。
これは曹操の時代から胡族の武人が傭兵として雇われたり、一部の部族は長城を越えて中原に定住し、
漢族に交じって農耕生活を始めたりと、早くから「漢化の予習」が進んでいて
当時の遊牧民は漢化にあまり抵抗がなかったのかもしれない。
「農耕?知るかそんなの。それより邪魔な漢族を皆殺しにして中原を巨大牧草地に変えちまおうぜw」
という意見も飛び出したという元のモンゴル族とは大違い。 匈奴の劉淵が
中華圏で勉強していて、それなりの教養人らしいときくと
何となく違和感があるのは
モンゴルの侵攻のイメージあるからかな >「農耕?知るかそんなの。それより邪魔な漢族を皆殺しにして中原を巨大牧草地に変えちまおうぜw」
むしろそーしてほしかった 劉淵の諡【光文皇帝】って中々大層なのもらってるよな 武力により漢を復興させたから光武のおくりな
光文ということは内政で滅んでいた王朝を復興させたということになるが 日本も魏の帯方郡〜百済の渡来人を通して漢化の予習済み。 >>226
光武帝の頃から匈奴や鮮卑の若手を漢土に留学(人質)させて勉強させてたからその辺はあんま違和感ないわ
むしろ徹底的に叩き潰しにきたモンゴルの方が違和感ある
後の後金(清王朝)だって三代目(順治)のあたりで漢族化してて柔弱化も始まってたのに。 >>230
日本(倭)が漢化の予習したのは五胡十六国南北朝時代なんだよな
耶馬台国の時代の風習みると蛮族としか思えない >>227
チャガタイ辺りがモンゴル帝国継いでたらそうなってた可能性も
まぁ人望無さそうだから内紛でもっと早くモンゴル帝国滅亡しそうだが 側近 「陛下! また柔然どもが長城を越えて侵攻し、陛下の神聖な領土を蹂躙しております!」
太武帝 「おのれ蠕蠕(柔然の蔑称)め、わが大魏の威信にかけて蛮族どもを駆逐してくれる!」
崔浩 (あんたらの先祖も同じことやってきたんだが。つーか鮮卑と柔然は民族的に近縁やろ) >>229
「漢を復興させた皇帝」
「武より文のほうが格が上」
劉聡による「晋殺す」をより根拠の面で強めようとした印象がある。 >>218
自ら漢化しようとした派閥と
漢民族を支配しようとした派閥が入り乱れた時代だっただけだよ
段々漢化勢が強まり
楊堅や李淵に至ったってだけ >>234
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Map_of_the_Great_Wall_of_China.jpg
元魏(北魏)の長城は主に并州(代)方面だったりする
どんだけ并州(代)好きやねんというツッコミは無しで
時代降って遼や金も主に満州方面でモンゴル向けに長城建設
胡族が胡族相手に蛮族扱いするのはいつの時代も変わらない なんで漢化勢が強まったの?
モンゴル方式もあったはず >>241
結局のとこ遊牧民はマンパワーが不足する、略奪できないと滅ぶって弱点がある
それの対策として現地の人間を使ってみかじめ料を奪う方針にすると、だんだん文化が流入していって染まる
特に匈奴や鮮卑の時代は自己の文化が確立されてないから、それを跳ね除けることは不可能で、シナ領域に入った者から順に漢化していく入れ食い状態
あのモンゴルすら、フビライだけではなくジョチ、チャガタイ、フレグも各地域の文化に染まっている
それを食い止めるための遊牧生活、テングリ崇拝があったとしても、チンギスの神がかったカリスマがなければ長くは持たない 楊堅「朕は後漢の楊震の末裔であるぞ」
李淵「朕も漢族で、西涼の武昭王李ロの後裔である」
赫連勃勃「お前らショボいのう。朕は、伝説の聖賢・舜から帝位の禅譲を受けた、あの夏の禹の末裔だぞ」
太武帝「ショボいのはお前じゃ。わが拓跋氏は、なんと黄帝の子孫であるぞ。『魏書』に明記してあるからな」
崔浩「お前らええ加減にせい、言いたい放題やんか」 件の新書では普六茹忠(楊忠)とか大野虎(李虎)表記なの好き >>243
これには宇文泰さんお怒り
特に楊堅と李淵は >>244
大野姓が異世界転生感がハンパなくて好き
>>243
李淵(大野淵)さんはキングダムの信の末裔やぞ >>245
周書「宇文氏は炎帝神農氏の子孫である(迫真)」 于謹「八柱国十二大将軍ほぼ全員経歴詐称胡族じゃん( ノД`) 漢人は河南于氏の俺だけか・・・(;'∀')」
趙貴「いや于謹お前も鮮卑だろ( ゚Д゚) 天水趙氏の俺と太原王氏の王雄は漢人だろうけど(´・ω・)」 本貫が河南の時点で代人隠す気ないでしょ
于栗磾の子孫ですし
王雄も字が胡布頭やし
李弼の出自ってどうなんやろ 血統好きなら司馬氏を常に御輿にしとけばええねん
なお >>251
河内司馬氏自体、二千石が関の山だった家系
司馬炎ですら他の名士を支配できなかったのはそこが絡んでる
更に東晋に至っては司馬懿の血を引いてすらないから軽く見られ、王敦の乱に至る
司馬紹という専制志向君主、桓温という皇帝主権を肯定する英雄がいなければ、もっと早くに首がすげ替えられていたことだろう
トップの資質如何によらない致命的な滅亡理由がある北魏以前の北朝に対し
禅譲理由の9割弱が貴族の都合という南朝というコントラストは、見ていて面白い 拓跋氏の歴史をたどると
自身が胡族であるにもかかわらず
西晋が匈奴に攻められて苦しんでいるときに
何度も救援に駆けつけて晋を援け、律儀に匈奴と戦っているんですよね。
その見返りとしてちゃっかり代の地を得たけど。
でもこれだけ中華のために尽くしたのなら、後年に魏の後継を自称して華北を支配するのも
個人的には納得してしまう。 >>253
胡の地でありながら漢の知識や技術を吸収できた上で、内部分裂で壊滅しなかったのが、華北統一の原動力といっていいと思う
漢のシステム吸収のために漢の地で身を立てると、相当の強者でない限り文弱化は避けられないというのに
体よく漢と胡の強みを両立させることができた
北魏が倒した後燕は、西晋時代から漢民族を奴隷として支配することを磨いてきた慕容部
同様に後秦は、後漢時代から漢化しつつもキョウの文化を固持してきた姚氏
それぞれ別アプローチでの完成形といえる存在に打ち勝ったのはドラマチック 大秦大王に滅ぼされたというよりも
大秦大王が他国平らげて吸収しまくってキメラ化の方がしっくりくる
しかし1度の衝撃?ストレス?(淝水之戦)で
両手両足だけでなく五臓六腑に至るまで分裂しまくりで断末魔 >>256
丸飲みばっかだから、旧国の派閥まで殆ど据え置きというのがあかんかった
非主流派による変革に一番必要な、血を流すという行為をしなかったツケを、命を以て払わざるを得なくなった >北魏が倒した後燕は、西晋時代から漢民族を奴隷として支配することを磨いてきた
慕容がどんだけ漢人文化に迎合してたか調べてから出直しておいで >>258
西晋とのなれそめの逸話でイキったか、哀れ
漢人を利用するだけ利用して、腐敗の元にならないよう待遇や地位は線引きして扱うのが慕容
主従においては漢化して温くなる前の匈奴システムを踏襲し、洗練してる
異民族然でいられるシステムだからこそ異民族らしく内訌ばかりというのも納得の結果 前漢劉氏の呉楚七国:中央政権の弱さ
西晋司馬氏の八王:我田引水と暴政の肯定
南宋劉氏と南斉簫氏:ハリボテによる孫皓式自暴自棄
一番近いのは司馬か
皇帝殺害の前例と統一王朝の驕りでタガが外れたのかと思うような狂乱ぶり 後漢の安帝の時代に起きた西羌族の反乱が近いんじゃね
あの時は涼州どころか漢中太守も殺されて
長安陥落寸前でおまけに南匈奴と烏丸族も
決起してて滅亡してもおかしくない状態。
あの時と違うのって劉淵ファミリー(劉淵、劉聡、劉曜など)や石勒、慕容廆みたく漢人の流儀に詳しいとか、下手すると漢人エリート士大夫並の教養を持った胡人がいて漢人の不平士族からしてみたら担ぎやすかった上に、西晋へのヘイト値がマキシマムだったからじゃ 南朝の自滅的な同族粛清の悪習は、西晋の八王の乱が起源かな。
なぜ西晋が骨肉相食む抗争に陥ったかというと
晋王朝は各皇族に権力を与えすぎたから。
これは魏の滅亡を他山の石としたもので、
曹植の例でも分かる通り、魏は他の皇族が帝室を脅かすのを恐れ、
各皇族を冷遇し、力を削いだ。
結果的に皇族たちは帝室を護る気概が失せ、司馬氏の台頭・専横を許した。
皇位を簒奪した司馬氏は、自らの行為を振り返り、
自分たちは魏の轍を踏まぬよう、一族たちに大きな権限を与えて優遇し、
全司馬氏が一体となって晋王朝の天下を盛り立て、簒奪者の出現を防ごうとした。
結果的にこれが裏目に出てしまい、一族の紛争を招いてしまった。
曹丕が曹植に嫉妬しなければ、後世の南朝の血みどろの粛清劇も防げたかもしれない
というのは言い過ぎかw >>262
滇零も天子名乗ってるな
遊牧民ではこれが初かね?
>>263
魏でも曹丕曹叡のころは曹氏夏侯氏が軍事力握ってるけどな
皇位継承権あるやつは冷遇されたけど
結局魏も晋も早期に皇帝が傀儡になったのが痛い >>263
同族粛清や骨肉相食む抗争の類は
曹魏や西晋だけでなくその更に前の
周や秦や漢でも有るからな・・・
起源辿ると中華に住む人のDNAに刻まれているとしか >>264
称帝までしたのは多分滇零が初めてじゃね まず嘘だろうけど
宋の劉氏は漢の皇族の末裔、斉の蕭氏は漢の蕭何の末裔を自称しているんだよな。
蕭何といえば漢の初代の相国で、劉邦も大絶賛した建国の功臣だ。
そして後漢を滅ぼした魏の曹氏は、二代目の相国・曹参の子孫で血統は夏侯氏(父親が夏侯氏からの養子)。
蕭何、曹参、夏侯嬰
3人とも沛の公務員(蕭何は曹参と夏侯嬰の上司)で、劉邦とは同郷、
劉邦が沛の不良だったころから何かと面倒を見ていた仲だ。
そんな最古参の功臣たちの子孫が、劉氏の天下を簒奪するというのも皮肉なものだ。 陳霸先「俺も劉邦の功臣陳平の末裔…と名乗りたいところだったが…もっと徳の高い陳寔の末裔で残念…」 >>267
でも史記高祖本紀読むと蕭何も曹参も「オレがトップになったら万が一負けて族滅されたらどうするんだ」って理由で不良皇帝を担いだんだからたいして忠誠心とかなかったんじゃね。 >>270
世界のどこでも転がってる話をなに卑小化してんですかとしか思えませんわな >>273
まああれだ
凶暴な外国人が日本に来たら
礼儀正しくなって帰っていくような 鮮卑と柔然はもともと同族という説もあるね。
確かに柔然の歴代可汗には、「斛律」「醜奴」など、鮮卑人の名前と同一のものもある。
鮮卑族の北朝では、斛律光という北斉の重鎮が有名だし、
また六鎮の乱の際には、万俟醜奴という名の北魏の反乱者もいた。
他にも、歩鹿真、吐賀真、阿那瓌という名の可汗もいたが、いかにも鮮卑人っぽい名前。
大雑把に言えば、鮮卑系民族のうち、南進して中原の文明圏に入ることなく
塞外で遊牧社会を維持し続けたのが柔然じゃないかな。 北魏孝文帝
「これより胡語を禁じ、胡姓も廃止する。朕の姓も『拓跋』から『元』に改める。
卿らも今後は漢語を話し、姓も、賀拔氏→何氏、歩六孤氏→陸氏のように、漢姓に改めよ。」
その後の北朝の人名
破六韓抜陵、万俟醜奴、鮮于修礼、爾朱叉羅、賀抜度抜、宿勤明達、侯莫陳婆羅門、尉遅菩薩
独孤俟尼須、賀蘭初真、斛律大那瓌、斛律可那律、歩大汗居、厙狄迴洛、叱列伏亀、豆盧什伐
孝文帝「お前らー!」 >>279
周って国名の時点で腐儒者に媚びまくってる事について >>279
そもそも「胡」自体蔑視用語だから嫌がって漢化したいのもわかるが
それが分からずに進んで喜んで蔑視用語に染まるおまいら・・・
まあ現代でも蔑視用語「蜀」を進んで喜んで使う奴等が居るので
そこいらの知能は当時も現代もあまり変わらんかもなw かっこいい胡姓
宇文、慕容、斛律、璽朱、賀蘭、烏丸、大野、若干、東郷、愛新覚羅
かっこよくない胡姓
攣=A禿童、禿髪、勃蔑、乞伏、乞骨、吐難、叱奴、拔拔、歩大汗、完顔 劉淵って何気に中国史上初の非漢民族・異民族の皇帝なのよね やはり宇宙人は存在していた。地球に残る古代宇宙人の痕跡がスゴすぎる…【 都市伝説 宇宙人 古代 】 >>285
「劉」の文字を分解すると
金属(金)の上で卯(兎)を刀(リ:立刀)で捌く
なので
「鋭い刃物で2つに切る」「殺す」
の意味だからな・・・
訓読みで「劉」は「ころ(す)」と読む >>281
西魏・北周の宇文氏は鮮卑復古主義者で
鮮卑語を公用語にして、服装も胡服に戻し、漢姓も胡姓に戻し…どころか漢人にも鮮卑姓を与え、
孝文帝とは真逆の改革を行った。
西魏時代は皇族の姓も元氏から拓跋氏に先祖返りさせている。
しかしこれだけだと漢人のヘイトを集めてしまうので、儒学を重んじ、漢人の儒者を厚遇し、
胡漢のバランスに配慮した。
これは、もともと宇文泰が儒教マニアだったという側面もある。
鮮卑復古主義は、北周末期に外戚の楊堅が実権を握ると廃止された。
それまでは楊堅自体、「普六茹那羅延」という鮮卑名を名乗っていたからね。
いよいよ南朝を併呑して天下統一というときに、いつまでも鮮卑がどうのに拘っていられないからだろうか。
北族文化に疎い江南の人間にとっても
「(漢代の名門・楊震の末裔と称す)楊堅が攻めてくるぞ」だったら、
いよいよになったら北朝に征服されても仕方ないかなと思っても
「普六茹那羅延が攻めてくるぞ」だったら
いくら陳の後主がバカ殿でも、訳わからん蛮人に支配はされるのは御免だと抵抗したくなるかもね。 結局北魏の弁髪ってどんな感じなの?
ちょっと禿の部分が広い程度? 多くの中國人はこの時期の軍才が一番強いのは劉裕、慕容垂だと思っているようだ。 そら劉裕さん、ヤンの頭脳を持ったオフレッサーだから >>291
親戚の「禿髪」姓が、見た目も表しているとすれば
相当広く剃り上げていたかもね。
ただ鮮卑族の辮髪姿は見たことがなく、よく分からない。
北魏時代の人俑が残ってはいるが、みな大きなフード帽みたいなのを被っていて髪型は見えない。
一般的に辮髪は前頭部から頭頂部まで広く剃り上げて
満州人は後頭部で1本髪を垂らし、契丹人やモンゴル人は側頭部で複数本髪を垂らしていた。
鮮卑族は後者に近かったんじゃないかと勝手に想像。
ただ、胡語禁止!胡服禁止!胡姓廃止!と、あれだけ漢化を徹底した孝文帝が
「辮髪禁止!」とは言ってないから、少なくとも5世紀末の朝廷レベルでは
すでに辮髪はなくなり、胡人でも漢族と同じく髪を結っていたと思われる。
もちろん漢化に反発していた地方の軍閥では根強く辮髪が残り、北魏王室の衰退とともに復活した可能性もある。 >>280
鮮于姓の大半は箕氏朝鮮の建国者の庶子の仲が于の地を采邑とし”鮮”と”于”から”鮮于”とした事からきているので一応、漢姓と言えるだろうが>>279にある鮮于修礼は丁零族なので一般の鮮于姓とは出自が違うだろう。 日本の武士の月代は
弁髪頭と同じく額から頭頂まで大きく剃っておきながら
側頭部と後頭部に残った髪を結い上げて
漢民族と同じく頭頂部に束ねて置くという
胡漢の髪型をミックスしたような珍妙なものだよな。
もともとは髻なんで基本は漢風なんだが、
落武者などで見られる、髷がほどけて、禿頭の下で長髪が垂れた状態は
大陸の遊牧民そっくり。 月代なんてものがあった江戸時代はお前ら禿に優しかったんだよ 辮髪や月代はハゲ隠しにはぴったりだね
一番禿げやすい前頭部と頭頂部をあらかじめ剃ってしまうんだもの
しかし清朝初期の辮髪は、後頭部じゃなくて頭頂から髪を垂らしたそうだが
(いわゆるラーメンマンのヘアスタイル)
あれは髪の薄い人間にとってはかなり酷だぞ >>296
その辺は把握してるので”〜自体は”と言い方にした >>298
優しいどころか
禿=特権階級の象徴
みたいで禿誇らしい
その辺はザビエルみたいな
河童禿=聖職者
みたいなのと同じで東西共通
当時は禿の歴史上最高のカリスマ英雄カエサルも草葉の陰で泣いて喜んでいただろうに
現代になって
禿=負け組
みたいな風潮でカエサルも草葉の陰でムカ着火ファイヤーだろうに >>294
劉裕の全盛期というか世に出たのが
慕容垂の死後だからな・・・
せめて淝水の戦いの頃に最低でも
劉牢之ぐらいのポジションに居れば >>302
当時二十歳の若造に何を期待しとんのだ
……と言いたいけど、項羽とか拓跋珪みたいな
成年期に功績を立てる化け物がいくらでもいる時代だしなぁ >>303
そいつらは毛並みがいいからなあ
どっちも落ちぶれてたけど… 淝水の頃は数えで22か
参戦してたとしても下っ端一兵卒だな 北斉の後主がバカで、北周の”天元皇帝”もバカで、陳の後主もまたバカ。
ほぼ同時代に、三王朝ともバカ殿が揃い踏みして自滅していったのも珍しい。
楊堅もいつから野心を抱いたかは知らんが、
まさかこんな簡単に天下が自分のもとに転がり込んでくるとは思ってなかったろうな。
天下統一の大事業も、主君である北周武帝の努力で8割がた終わらせてお膳立てしてくれて、
あとはバカ息子を残して早死に。さらに統一の総仕上げたる陳の攻略も、バカ殿が即位して
まるでどうぞ天下を取ってくださいと言わんばかりの状況に。楊堅には超イージーモードだったが、これも天命なのかな。 天元皇帝の場合、親父が若すぎたってのもアカン感じ。
親父の武帝にしても40前で死んでるし正常な親子関係作れてなかったのかも >>307
楊堅には天下取りが超イージーモードな美味しい展開だったが
後で振り返ると絶対に食ってはいけない毒饅頭だったから致命的な悪手
それまでの統一王朝(秦、西晋)は統一後約1世代(約30年)未満で崩壊の法則あるので
統一王朝崩壊を尻目に二番煎じで統一王朝を建てる(漢)のが正解
その点では楊堅(十二大将軍)より格上の父李モ(八国柱)を幼少時に失ったが
叔母(独孤伽羅)の伝手で出世して実力高めて機会待った李淵の方が天命持ってる >>307>>308
「実話BUNKAタブー」最新号で”中国の暴君皇帝名鑑”という巻頭特集あって殷の紂王から習近平まで、いずれ劣らぬ暴君が取り上げられているが五湖十六国南北朝からは北周の宣帝だった。 後の歴史書なんて簒奪された側なんか負け側だから悪く書くのは当然
まして唐以降に成立したものなんか史書の価値は低い扱い 西晋の恵帝から始まって、暗君が続出したけど、終わり方もまた情けない。
陳の末期、天下統一に王手をかけた隋軍が建康を攻め、ついに城門を突破した。
慌てふためく陳の後主に対し、大臣の一人が
「陛下、かくなる上は、かつて梁の武帝が侯景を引見した例に倣い、
陛下は堂々と正殿に鎮座して敵将を迎え入れ、帝の威厳と聖明さをお示しなさいませ」
と要望したが、後主は
「うるさい! 朕には朕の考えがあるのじゃ!」
と言って奥に逃げ込み、古井戸の中に隠れたが、宮中に侵入した隋軍にあえなく発見されてしまった。
隋兵が井戸に縄を垂らして引き上げたところ、異常に重たい、
それもそのはずで、引き上げたら後主に続いて貴妃たちも芋づる式に出てきた。
この漫画みたいなバカバカしさが好き。
まさに五胡十六国南北朝時代のフィナーレを飾るに相応しい逸話だと思う。 前スレで「かくれんぼ」が好きな君主は誰だ?という謎々を出して
答えはかくれんぼつぼつというダジャレを想定してたんだけど
「陳の後主」という答えが出てきて笑った そっちが正解だよね >>311
ここで取り上げられていた王・皇帝・権力者たちは
殷の紂王、西周の幽王、秦の始皇帝、前漢の呂后、前漢の武帝、新の王莽、呉の末帝、西晋の司馬炎、北周の宣帝、隋の煬帝、武周の武則天、唐の玄宗、後梁の朱全忠、北宋の徽宋、蒙古の成吉思汗、明の洪武帝、明の永楽帝、清の乾隆帝、清の西太后、毛沢東、習近平、江青。 >>315
陳叔宝は文化人である意味劉禅よりも天才だが
思考回路は完全に劉禅よりもバカだからな
中国でバカを指す言葉が「阿斗」でなく「黄奴」でもいいのだが
それにしても長男なのに叔宝の時点で・・・ >>316
かくれんぼつぼつ(赫連勃勃)は英語読みだと
Helian Bobo(エイリアン ボーボー)
だったりするのでw
赫連勃勃で「かくれんぼ」を想像するのは
世界で探しても難波の居酒屋の主ぐらいかもしれないw 楊賢はもともと猜疑心が強く
隋の建国の際には、自分の甥も含め北周の皇族を
ほぼ皆殺しにしたほどだが
陳の後主に関してはあまりの愚かさに呆れ果て、
警戒心を抱くことはなく厚遇して、余生を全うさせたという ごめん、甥じゃなかった、孫でもなかった
娘が幼帝の世話をしただけで、血縁関係は無かったな 子孫が無能で次代で王朝滅びるとは思ってなかったろう 北周が北斉を滅ぼしたのが577年、隋が陳を滅ぼし天下を統一したのが589年。
わずか12年で、天下を三分していた斉、周、陳のすべてが消え、別の王朝が中国を統一した。
変化が早すぎると思ったが、三国時代も似たようなもんか。
蜀の滅亡が263年、晋の統一が280年。17年間で魏呉蜀すべて消え、最終的な勝者は司馬氏の晋。
しかも、まず暗君の悪政で弱体化した王朝が華北の王朝に滅ぼされ、その後すぐ簒奪劇が起こり華北の王朝も姿を変えてしまう。
残すところは江南の王朝の攻略だが、ここは焦らず時間をかけて進めていく。やがて江南でも暗君が立ち
自壊の兆しが見えたところで一気に攻め、江南も併呑し天下統一、という流れも似ている。
さらに、せっかく統一したのに二世がダメで短期間で政権が崩壊したところまで似ている。 >>324
それは>>310にもある秦から続く天下統一王朝の法則だろな
天下統一王朝は同じように毒饅頭を喰ったの如く崩壊する運命で
二番煎じの王朝がおいしい処引き継いで長期政権になる
多分宋以後にその法則が崩れている感なので
五代十国時代に紛失した伝玉璽の呪いだったのかもしれないw というかチャンコロ共って4〜5000年も年がら年中拡大自殺しまくりだな >>326
戦乱から統一王朝になると箍が外れる
他国に比較されていた治世、他国を屈服させるための武力を兼備しなければならないという抑圧から解放され
これからは何をしてもいいという幻想に酔って、国を破壊し尽くすというロジックが働く
それに対して後継王朝は、統一王朝でも滅ぶという教訓をもとに動いてヘイト管理するから長持ちしやすい
宋以降はわりと安定してるのも、長期間の群雄割拠がなく、それぞれ統一王朝の後継の色合いが強い(宋→元→明→清)から >>327
本能だからな
日本がことある毎に引きこもりたがるのと一緒さ >>321
それで娘(楊麗華)や義理の姪(太穆竇皇后)から尋常ではないヘイト買うのは草 太穆竇皇后って母が宇文泰の娘で叔父の武帝に可愛がられたんだよな
宇文氏が虐殺されたらヘイト買うのは当然だろうな >>315
他にこんなシーンもある。
「後主が空井戸に入ろうとするのを、家臣が自分の体で井戸を覆って阻止しようとしたが
後主は彼を押しのけて、二人の寵妃とともに井戸の中に潜り込んだ。」
「やがて隋軍が宮中に入り後主の行方を捜索。例の古井戸にもたどり着き、上から声をかけたが
後主は息をひそめていた。反応がないので岩石を投げ入れてみようかという隋兵の声がしたので
後主は慌てて『待ってくれ、そんなことしたら死んでしまう。朕はここじゃ。頼むから助けてくれ』と声を上げた。」 本当に古井戸に岩石投げ入れられて
夜な夜な番長皿屋敷のお菊みたいに
化けて出てくる後主も見てみたい >>323
長男は俗っぽいだけで無能ではないのではと思うが
実際に帝位継いでないのでわからんがな 楊広の猫かぶりだけは秀でていたな。
あの独孤皇后さえも騙せたんだから。
南朝にも似たような皇子がいたな。
父の危篤に咽び泣きして、周囲がもらい泣きするほど孝子ぶりをアピール。
で、自宅に帰ると妻の前で狂喜乱舞し、父の死を早める祈祷をしたという。 逆に最低限の礼儀作法さえ出来ない皇太子もいた。
父の葬儀で、棺の前で哭く儀礼をするとき
喉が痛いと駄々をこねる。
そこへある忠臣が泣きながらやって来て棺の前で突っ伏したが
そのとき頭巾が落ちて禿げ頭が露になった。
太子はそれを見てゲラゲラ大笑いしたという。
あと、父の葬儀の際、打擲された傷跡をさすりながら
「死すること遅し」と罵った太子もいたっけ。 >>334
それは秦の二世皇帝が胡亥ではなく扶蘇だったら秦は長く続いたかと同じく永遠の疑問だな。
個人的には唐の二代皇帝が太宗ではなく兄の李建成だったら唐は長く続いたか、明の二代皇帝が建文帝ではなく父の朱標だったら明は長く続いたかと言うのも永遠の疑問だな。 南斉も武帝の後に孫の鬱林王ではなくその父の蕭長懋が帝位を継いでたらというのもある 秦の二世が扶蘇だったら名君の治世と称えられ、秦はさらなる全盛期を迎えられたかもしれない。
扶蘇は父の始皇帝の苛政を何度も諫めて怒りを買い、辺境の蒙恬のもとに飛ばされた。
扶蘇と蒙恬は国内にあっては慈悲深く、対外的には勇猛果敢で中国全土から人気があった。
秦の打倒を掲げた陳勝と呉広でさえ、ちゃっかり我こそが扶蘇だと詐称したくらいだし。
天下を再統一した漢が、法三章とか唱えながら秦の体制をそのまま継承し、それでも成功したくらいだから
扶蘇の治世なら、対匈奴でヘマをやらかした劉邦と違って蒙恬の活躍で匈奴をブチのめして
外交面でも優位に立てて、漢以上に上手くやってたかもね。
李斯ともあろう者が、趙高のような奸臣の手に落ちたのが悔やまれる。 >>339
なるほど。お前はこっから先、アジテーションに巻き込まれて
デマをまき散らすんだろうね。 太穆竇皇后の子の唐太宗が宇文泰の血をひき、
長孫皇后が北斉の高氏の血をひいている。
2人から生まれた高宗以降、唐の歴代皇帝に
かつて相争った北斉と北周の血が同居するようになったというのも面白い。 >>239
秦の二世が扶蘇でなく
子嬰や公子高や将閭でもまた違ったパラレルワールド
秦を亡ぼしたのは五胡ではなく胡亥なのは否めない 太宗の母親の太穆竇皇后は、
宇文泰の血もひくが、もともとはオルドスで遊牧生活を送る匈奴の費也頭氏の娘。
つまりガチの胡族。
父親の李淵も、母系が匈奴の貴種で、歴代単于を輩出した屠各種の一族である独孤氏。
つまり、先祖の李氏が純粋な漢族だとしても、太宗の血の3/4は胡族のものである。
太宗は政治的のみならず、身体的にも「天可汗」だった。 費也頭氏にせよ独孤氏にせよ漢人と通婚してないのかわからんしそこら辺突き詰める意味ってあるのかね >>345
匈奴の支配階級だと
漢代から漢の皇族と通婚してるから
純血の五胡なんてほぼ存在しないように思う 〜人類の歴史は2031年で終わり〜
31年 キリスト死亡
↓
↓ 2000年 ←テスト期間
↓
2031年 人類滅亡(人類は不合格)
人類は2000年間に及ぶテストで不合格になりました。
木村秋則と松原照子が宇宙人(神)が2031年に人類を滅ぼすと言ってる。
石原慎太郎「311は天罰だ(大地震と大津波は天罰だ)」
三島由紀夫はUFOが大好きでUFOを研究する団体に所属していたことがる。
2年くらいで辞めたけど。
石原慎太郎も三島由紀夫の後を追って同じ団体に所属していた。
石原慎太郎は311は宇宙人(神)による天罰だと言いたかったのかもしれない。 日本人の遺伝子を調べると8割は中国大陸系、朝鮮系、アイヌ系、琉球系で残りの2割に28民族が入ってる。
日本には合計32民族が入ってる。
秋田と青森の人の10〜20%に白人の遺伝子が入ってて1万人に1人くらいに青い目の人が生まれる。
秋田の祭り「なまはげ」とまったく同じ祭り「クランプス」がドイツにある。
酒飲童子(丹波国大江試Rの鬼)=しゅてんどうじ(日本語)=シュタイン・ドッジ(ドイツ語)?
丹波国大江山の鬼は生き血を吸って人肉を食べていた=ドイツ人が普通に動物の肉を食べて赤ワインを飲んでいた?
これは日本人がドイツ人が食事をしてるのを見ただけ?
日本の犬は秋田犬と北海犬だけが遺伝的にヨーロッパの犬。
ロシア貴族の先祖はドイツ人なのでドイツ人が犬と一緒にロシア経由で日本に来てた。
ロシアのロマノフ王朝始祖はドイツ人。
(ムー編集長、三上) 秦氏(はたし)はユダヤ人。
約1500年前に秦氏が何万人も中国から日本にやってきた。
そして日本中に神社(稲荷神社や八幡神社)を作った。
秦氏を率いてきたトップの名前は弓月王(ゆずきのきみ)という。
約1500年前にシルクロードに弓月王国(ゆずきおうこく)があった。
中国新疆ウイグル自治区に弓月城という地名がある。
弓月城の近くにヤマトという地名もある。
秦氏は弓月王国からやって来たのではないか?
中国新疆ウイグル自治区はキルギスの近くにある。
キルギスの伝説で「キルギスの先祖はヤキブという人」だと。
「ヤキブには12人の子供がいてその中の一人のマナスの子孫がキルギス人」と伝わっている。
調べていくとヤキブは旧約聖書のヤコブのことらしい。
ヤコブはアブラハム(祖父)、イサク(父)の息子。
ヤコブには12人の子供があり、これはのちにイスラエル12支族。
そのうちのヨセフの息子マナセとエフライムがいて、そのマナセがマナスとしてキルギスに来た。
キルギスには伝説があって「自分たちはマナス。マナスには兄弟がいて東に行って中国の海よりに行ってさらに海を渡った」。 >>349
キルギス人は日本人を兄弟だと思っている。
日本人にユダヤ人がいることは遺伝子で分かっている。
イスラエルに住む学者たちやイスラエルの機関アミシャブが世界中に散らばっているユダヤ人を調査している。
イスラエルの人たちは日本人の中にユダヤ人がいることを知ってて普通に発言してる。
似てる言葉も多い。
キルギス人の顔はモンゴロイドというよりはトルコ系で彫りが深くて白人とは少し違う。
日本でもいるような顔。
ユダヤ人と兄弟なら聖書に関わってくる。
聖書には様々な予言がある。
「この世の終わりには・・・」それが日本人にダイレクトに関わってきますよって話になる。
ただ単に日本人のルーツがイスラエルにあるだけでなく近未来に関わることに。
(ムー編集長、三上) 秘密結社八咫烏
神社は神道
神社のトップ、八百万の神のトップは天照大御神
天照大御神の子孫が天皇家
天皇が全国の神社の元締め
神宮といえば伊勢神宮のこと
天皇は1200年間京都にいた
しかし本当の神社のトップは京都にある下鴨(しもがも)神社と上賀茂(かもがも)神社
ここは葵祭(あおいまつり)で有名
源氏物語で祭りと言ったら葵祭のこと
これは天皇家の祭りなんです
その天皇家の祭りを全て仕切るのが下鴨神社と上賀茂神社
天皇家にまつわるいろんな儀式、全部仕切るのがここ
下鴨神社と上賀茂神社の神職は代々、鴨族(かもぞく)と呼ばれてた
代々、日本の歴史の中で有名な安倍晴明(あべのせいめい)などの陰陽師(おんみょうじ)のほとんどは鴨族、鴨氏(かもし)なんです
安倍晴明も鴨族です
安倍晴明の弟子も師匠も周りは全部、鴨族なんです
陰陽師は陰と陽・・・表と裏
ですから陰陽師そのものも表と裏がある
表の陰陽師は安倍晴明や陰陽寮という省庁
陰陽寮は国家に組み込まれた省庁
そうゆうところとは別に裏の陰陽師は今もいる >>351
裏の陰陽師の秘密結社の名前は八咫烏(やたがらす)
サッカー日本代表のユニフォームにも八咫烏がある(三本足のカラス)
日本サッカー協会のロゴは八咫烏
太陽の中に住むと言われる三本足のカラスのことを八咫烏という
中国では金烏(きんう)という
八咫烏の子孫が鴨一族
鴨族は自分たちの祖先の名前、八咫烏を裏の陰陽師の秘密結社の名前にした
これは日本という国家が成立してからずっと今でも存在してる
世界最古の秘密結社の可能性がある
今でも日本の上流階級では八咫烏は常識
陰陽師は呪術師集団
八咫烏の目的は日本の国体を守ること
国体とは皇室、天皇家、神社、国の体
皇室は戸籍がない
八咫烏も戸籍がない
戸籍がないので名前もない
日本の歴史の謎の鍵を握ってるのは八咫烏
邪馬台国はどこにあるか?卑弥呼は誰か?大和朝廷がどうやって出来たか?三種の神器が何か?日本がどういう国家で未来においてどんな役割を持つか?
八咫烏は全部知ってる
八咫烏は70数人存在している
その上に12人の大烏(おおからす)がいてこれが中心組織
この12人の上位3人が金鵄(きんし。金色のトビ)と呼ばれる
神武天皇が奈良に入ったときに弓矢の先にとまった金の鳥を金鵄(きんし)という
上位3人で1人の裏天皇を形成してる
陰陽道なので表に天皇がいれば裏にも天皇がいる
表の天皇が出来ない事は裏の天皇がやる
陰陽師なので霊力が高いらしい
八咫烏の目的はこの世の終わりまで皇室、神道、国体をずっと守り続けること(日本人全部を守るのではなく一部しか守らない)
最後の最後に彼らなりに役割がある
今の日本の国家予算に八咫烏の為の予算がある
(2016年、ムー編集長、三上) >>350
>聖書には様々な予言がある。
>「この世の終わりには・・・」それが日本人にダイレクトに関わってきますよって話になる。
トランス状態のポール ソロモン
「日本から現れることになっている世界的リーダーとは誰か?」という質問に対して「救世主の日本人は、今(1991年)はまだ若い男性で、日本の北部におり、準備ができていない。彼には「アオキ先生」という武術を教える師がいる。そのアオキ氏自身、武術だけでなく、ある種の哲学を説いている、という」
ソロモン氏によると、その人物は1991年の予言時には、まだ若い男性で、「アオキ先生」という武道の達人を師に持つとのことです。
また、その「アオキ先生」自身もスピリチュアルな人物だといいます。
2015年頃にYOUTUBEにアップされた動画では↑この救世主は東北出身で現在は神奈川県に住んでいるといってました(2020年現在この動画は削除されてる)。
↑
私の推測ですが「アオキ先生という武術を教える師」をいくら探しても無駄だと思います。
これは救世主本人にしか分からない事だと思う。
例えばアオキと武術は別物だとか…。 南北朝時代は、南北両方に「斉」が存在したが
どちらも暴君暗君を多く輩出して自滅したのが一致している。
その中でも特にキ〇ガイなのが北斉の文宣帝かな。殺人狂としか思えない。
酔うと快楽殺人or忠言した家臣を惨殺
↓
酔いが醒めると強く後悔し、自己嫌悪に陥る
↓
憂鬱を紛わそうと酒をあおり、酔って再び虐殺を繰り返す
これの繰り返し。酒乱と言われているけど
たぶんメンヘラでもあって、自己のコントロールができなかったんだろうな。 >>317の特集記事を遅まきながら見たけど、雑誌が雑誌だけにやはり大したことはなかった。
でも何で北周宣帝みたいな暴君界では小物に過ぎないヤツを選んだんだ?
独孤伽羅のドラマに出てきて華流婆たちには知られているからとか?
南北朝から選ぶなら真っ先に浮かぶのは北斉文宣帝だよね?
十六国も合わせればもっと候補は増えるが。 文宣帝
処刑器具を並べ、酔うと誰かを何らかの方法で殺す
東魏の皇族721人を粛清
苛政を諌めた弟2人を焼き殺す
不貞を疑った寵妃を姉ごと殺す
鳥人間コンテストを行い、囚人を高台から羽ばたかせて墜落死させて楽しむ
(一人だけ着地に成功したので、その者は檻に入れて餓死させた)
狂人の風体で街に出て、通りすがりの婦人に
「天子をどう思うか」と質問、「基地外だと思う」との返答に怒って婦人を斬殺
ある重臣が亡くなり、未亡人を見舞ったところ
「一時たりとも主人を思わぬ時はございませぬ」との返答があったので
「それなら夫のもとに行かせてやろう」と未亡人を斬殺 >>354
昔は「斉」は太公望呂尚が興した歴史ある国で
一時はもっとも繁栄した地域で覇者も出している大国で
斉王が諸侯王の中で最も格上の時代も有ったのに
南斉北斉が「斉」のブランドを完全に失墜させた感
以後(南斉北斉含む)の「斉」は泡沫政権しかない
日本では葛飾北斎のおかげで「斉」そんなにイメージ悪くないが ブランドでは周とかは置いといて晋が高いかと
大抵王朝で封じられる諸王の最上位は晋王が多いような気がする 稀代の殺人皇帝・文宣帝も、我が子の命は惜しいとみえて
臨終の際、野心家の弟(高演)に
「そちが皇位を簒奪するのはやむを得ない。しかし太子(高殷)の命だけは奪わないでくれ」
と懇願。
↓
文宣帝の死後、太子高殷が即位するも、間もなく高洋が簒奪して皇位につく(孝昭帝)。
しかも文宣帝の遺言に背いて太子高殷を殺害。
その孝昭帝も臨終の際には、やはり我が子の身の安全を願い、野心家の弟の高湛に
「皇位はそなたに譲る。次期皇帝はそなたじゃ。だから太子(高百年)の命は奪わないでくれ」
と懇願。
↓
孝昭帝の死後、太子百年ではなく、高湛が即位(武成帝)。
しかし孝昭帝の臨終の願いもむなしく、武成帝は太子百年を殺害。
武成帝は我が子の安全に関しては兄二人の轍を踏むまいと、生前に太子(高緯)に譲位して
自身は太上皇帝として死ぬまで実権を握り、息子のバックアップ体制を整えた。
↓
こうしてパパのおかげで無事に皇位を継げた高緯(後主)だが、これが救いようのない暗君で
国を支えていた忠臣賢臣を粛清し、佞臣と遊興に耽り、悪政によって急激に国力を落として亡国へと導いていった。
これなら殺された方が北斉のためによかったかも。 ×文宣帝の死後、太子高殷が即位するも、間もなく「高洋」が簒奪して
〇文宣帝の死後、太子高殷が即位するも、間もなく「高演」が簒奪して >>361
斉王は韓信が封じられてる
後に楚王に封じられた時は韓信あまり喜んでないな
晋王はすぐに封じられた人物が思い浮かばない…
調べれば司馬昭とかわかるんだけどね 実利の斉王か故郷凱旋という名誉の楚王か
韓信はどちらがよかったのか >>358
周も南北朝以降は武則天一代限りの武周、五代最後の後周、元末の張士誠(後に呉に改名)、清初の呉三桂と時代が降るにつれショボくなっていった。
>>360
斉が斎と同じく”さい”と読むようになったのは明治時代になって国民全員が名字を名乗ることが義務付けられたので多くの庶民が役所に名字を申請に行ったが、その際「サイトウでお願いします」と口頭で言われた役人が読み書きあまりできなくて”斎藤”ではなく”斉藤”と書き間違い、それが名字として定着したからだそうだ。 柴栄が長生きしてたらショボくなかったかもしれない後周 北斉の高氏は歴代暴君を輩出して、暴虐のDNAが組み込まれているような気がするが
一番の殺人狂である文宣帝の長男の高殷は、意外にも柔弱だった。
幼いころから漢学を好み、儒家と親交を深め、胡の皇子らしい尚武の気質はなく文人タイプだった。
ある時、父の文宣帝が遊興で高殷に囚人を斬らせようとしたところ
高殷はなかなか斬れない。父が苛立って早く斬れと催促したら、高殷は剣を投げ出して泣いてしまった。
激怒した文宣帝は高殷を激しく打擲した。その影響で高殷は精神を病んでしまった。
こんな有様であったから、太子高殷には次期の帝王としての資質が無いと、父親の文宣帝も認めざるを得なかった。
それでも息子の命だけは守ろうと、臨終の際には実力者の弟高演に太子の命乞いをしている。
長年にわたって虫けらのように人々を殺戮し、二人の実弟さえも焼き殺した文宣帝だが
そんなサイコパスのような冷血漢でも、我が子の行く末を憂い我が子の命を必死で守ろうとする父親としての慈愛は溢れていたんだな。 >>361
後にモンゴル語に流入してモンゴルの王侯にジノン(晋王)の称号が頻出したりしてるな。
晋王の格が高いのは、『春秋左氏伝』の影響な希ガス。 >>370
高洋は因果応報としか・・・
高浚と高渙を焼き殺すなら
高演と高湛を焼き殺しとけばよかったものを 高洋はブサイクだったんだよな
弟の高演と高湛、甥の蘭陵王は美丈夫で、殺した2人の弟も爽やかで人望があったんだっけ?
高洋の歪んだ人格は、イケメン家系の中で
ブサイクに生まれた劣等感から来ているのかもしれない 兄貴も大概やろ
弟の側室寝取るし
性格の悪さ故のあの最後 高澄=イケメン
高長恭(蘭陵王)=雅楽のネタにされるほどのイケメン
高洋=ブサイク
これは精神歪みますわ イケメンと言っても、新解釈三国志の趙雲みたいなイケメンだったかもな。 まあ高歓の教育が悪かったからな。
それを反面教師とした隋の文帝・楊堅は見事に5人の息子を立派に育て上げたからな。 ある時、高洋は旧東魏の皇族である元韶に、
「(後)漢の光武帝はなぜ中興を成しえたのか」と問うた。
元韶は「それは新の王莽が漢の皇族を生かしておいたからでしょう」と答えた。
それを聞いて高洋は、旧東魏の皇族の皆殺しを決意した。
当然その中には元韶自身も含まれていた。
元韶は獄に入れられたが、処刑前に自ら衣服を飲み込み窒息死した。
東魏の皇族721人を粛清した高洋が非道なのは言うまでもないが、元韶もアホ。 >>378
壮大な釣り針だと思うが
高歓の息子達みたいなサイコキラーではないにしろ
楊堅の息子5人全員サイコパスと言っても差し障りないぞ でも高洋は戦闘力は非常に高いんだよな
自ら軍を率いて北方の諸民族攻撃して大きく勢力広げて英雄天子とも呼ばれてる 高洋はよく分からんところがある。
矢の雨が降る戦場でも最前線に立ち、皇帝自ら剣を振り上げ陣頭指揮するほど勇ましかったが
少年時代はひ弱で泣き虫だったという。
少年時代の高洋は、勇猛な長兄の高澄の前に来ると泣き出すことが多かったので
弟の高浚は、高洋の側近に「なぜ兄上の鼻水を拭いてあげないのか」と言った。
侮辱されたと思った高洋は、この頃から高浚を憎むようになったという。
有名な快刀乱麻のエピソードも、柔軟な発想の転換とか優れた解決能力とかよりも
高洋に関しては「こいついきなり何やらかすんだ」みたいなアブネー奴みたいな意味合いだったかもしれない。
現代で言うところのキレる少年みたいな。 前者は後の兄貴の行状みてると実は陰でイジメとかやってたんじゃないかって疑惑が 高澄も傲慢だったな
高氏の傀儡である東魏の皇帝が、己の不遇を嘆いたら
「お前は朕でも、犬の狆(漢語でも発音は同じ?)だからなw」
と答えたという >>386
朕と狆は日本語で何れも"ちん"と読むが実は朕(ちん)は音読みで狆(ちん)は訓読みである。
狆は和製漢字で中国大陸(原産はチベット高原周辺)から朝鮮半島を経て渡来した小型犬を祖先とする日本原産の小型犬を屋外で飼う普通の犬と屋内で飼う猫との中間の獣を指す漢字として考案された。
"ちん"と言う読み方は"ちいさいいぬ"→"ちいさいぬ"→"ちいぬ"→"ちぬ"→"ちん"と段々つまっていたかららしい。
ところが中国には華南に古来から住んでいた苗(ミャオ)族や布依(プイ)族ら少数民族を指す狆という漢字もあって、これは屋内犬を指す和製漢字の狆と"字体の衝突"を起こしている。
現代中国語読みでは中国古来の漢字の狆はzhongで、朕はzhengだが南北朝時代は同じ発音だったかも知れないので高澄が東魏の孝静帝を罵った時は犬と言う意味より、北朝の権力者が南朝方を蔑んだのと同じ意味で孝静帝を朕=狆と言ったのだろう。 皇帝の呼び名「朕」=犬 説は面白いなありがとう
始皇帝はそんな事想像せずに朕自称しただろうけど 確か、始皇帝が一人称で採用した「朕」は
「船を漕ぐ」という意味だったと思う。
もともとは高貴な単語でも何でもなかった。
国家を船に例え、俺が国の舵取りをするんだという意志の表れらしい。 >>395
六朝最後の王朝での皇帝はそう自称してたイメージ 「匈奴」「鮮卑」の字面からも分かるように
漢族は北方民族に対し侮蔑的な文字をあてがった。
それどころか匈奴の貴種である「屠各種」「攣鞮氏」など細かな部分にまで
屠殺、屠(ほふ)るの「屠」や、
痙攣の「攣(手や腕の自由がきかない、の意)」など
悪字をあてがっている。
これら北族が、文字を知らない塞外の遊牧民であった時代はそれでよかったが
まさか後に南下して華北の支配者として定住してくるとは、秦漢時代の人間は想定してなかったろう。
文字を知らなかった蛮族が、漢の教養を身につけ、読み書きできるようになって
自分たちの民族がこんな侮蔑的な呼ばれ方としていたと知って、反漢意識が芽生えたと思う。
目の前で平伏している漢族官僚を見ても
「どうせてめえら心の中では俺らを野蛮人と思ってバカにしてんだろう」と不信感を抱いたかもしれない。
それでも彼らは、漢族に同化されるまで、とうとう呼称や文字を変えることはしなかった。
倭が「日本」を名乗り、女真が「満洲」を名乗るような改変は行わなかった。
「畏れ多くも独孤氏は、匈奴屠各種の血統である、やんごとなきお方であるぞ」
みたいな、文意と字面が合わないような使われ方が北朝末期までされていたんだろうな。 女真「熟女真・・・生女真・・・エロくていいんだが・・・それよりも満洲の方がもっとエロくていいやん」 例え元の字義が悪くとも長く名乗ってれば親しみが生まれるでしょ
劉も元は殺すという意味だもん >>399
官能(かんの)「せやな」
浮気(ふけ)「せやな」
二股(ふたまた)「せやな」
鼻毛(はなげ)「せやな」
毒島(ぶすじま)「せやな」
亀頭(きとう)「せやな」 南朝の劉裕や蕭道成ですら無学の徒で
ろくに文字も読めなかったらしいから、
北魏の支配層は中原進出後も漢字を習わなかったかもしれんな
文治はすべて漢族官僚に任せきりで
逆に漢の教養を身につけた胡族は、
胡族蔑視に対しては
孝文帝のように漢への同化で解決しようとしたと >>402
劉宋からの南朝は、パワー系池沼の皇帝が最善という思想のもと首をすげ替えてたからな
むしろ頭が切れる奴は、汚名を着せて消していてもおかしくない
元老院が実権握れた頃のローマ帝国に近い
北朝は皇帝自身が引っ張って地盤固めないといけないから、自然に開祖は文武ともに中々の逸材になる
ゆえに地盤引き継いで胡座かいたり開祖以上のカリスマ持ちが現れて崩壊する この頃は一に貴族、二に貴族だからな
三四がなくて五に皇帝 >>403
皇帝が貴族から首をすげ替えられるよりも
貴族が皇帝に首をすげ替えられる例の方が数多
中には処刑された貴族の中に
ホワイト博士のサルの首交換手術みたいに
本当に首をすげ替えて成功していれば
華佗の全身麻酔手術以上の快挙だったのにな・・・ 宇宙大将軍みたいな称号を自称するDQN達の時代
漢化が駄目だった。文化教養のフリをして帝国を丸ごと飲み込んでしまう。現代のヒップホップ禁止、テレビゲーム禁止みたいなのと同一。テレビゲームはアヘンの教訓かもしれないが。 侯景さんが勝利した世界線では宇宙大将軍が皇帝と同じ称号になってるよ >>397
崔浩の国史事件が有名だが、あれは従来の定説の
「漢族の露骨な北族蔑視に、北魏の鮮卑族の怒りが爆発した」
という単純なものではないらしい。
一つは、柔然に大打撃を与えて弱体化させ、北方の脅威がなくなったので
太武帝は南征を志したが、漢族主義者である崔浩とその取り巻きの漢人門閥が邪魔になって
国史事件を口実にして崔浩一派を排除したという説、
もう一つは、太武帝の「務めて実録に従え」の指示通り、崔浩はいっさい忖度せず
国史を編纂したが、そこには現皇帝である太武帝への批評も含まれていた。
こういう批評は後世の史家によって記され、後世の人間に公開されるのが常であるが、
崔浩の場合、太武帝を在世中に公然と批判し、それが石碑によって衆人に公開されてしまった。
これが陛下への誹謗だ大逆罪だと告発され、太武帝の激怒を買ったという説がある。
いずれにせよこの時期は太武帝と崔浩との絶大だった信頼関係が崩れ始めており、
あっけなく大逆罪を着せられて崔浩は誅殺族滅の憂き目にあった。 >>402
>>406
むしろ当時最先端だった古代ローマ文明を衰滅させた
ゲルマンの様な事は出来なかったのか >>408
いつも思うのだが
太武帝は崔浩を誅殺族滅する暇あったら
先にとっとと宗愛を誅殺族滅しとけよと >>409
シナは文字が発達してたし、武を卑しみ文を尊ぶ風潮が根強く残っていたおかげで、漢に入る度に異民族は同化していった
これが壊れるのは、確固たるモンゴル文化とモンゴル宗教(テングリ)を持って漢化を拒んだ元と、元にすら劣る文化性と文人を敵視する思想を持った明の時代になってからのこと
それに対してローマは人間の汚い部分によって表の繁栄を保ってた略奪集団でしかなく
異民族がローマと同化しても山賊的な思想は元から一緒で、新たに学び直すという段階がなかった
しかも暴力行為を英雄と見なすロジックに長けていて、文についてはオマケ扱いなもんだから、あっという間に衰退していった
(これを捨てて文の方面に伸びたビザンチン帝国すら、時々暴力的な振る舞いをしてしまう程根深い)
故に万人がローマを騙りつつ万人が野蛮なまま、という近代までのヨーロッパに繋がっている >>411
どっちもどっちか
本邦と比べてどうだろ ローマは天下という残念に対して鈍い。
世界は全て我等のものであるべし!な中華と違って
俺らも世界のうちの一つに過ぎないから、周りは力ずくで従わせるわってのがローマの姿勢。
よくいえば柔軟、悪くいえば統一性がない。
多分、自分達の前に偉大な文化があったかの違いだろうが。 >>412
日本は特殊すぎて、言葉に表すと「今の世界秩序や常識にとっては不向き、今後求められる世界のあり方には向いた文化」っていう歯がゆい立ち位置
万物に敬いや慈しみを持ちながら、万物が何かを考えることを躊躇しないという二面性もあるし
お天道様が見てる、というシナが失った倫理観も辛うじて生き残ってる
法や罰則がなくても程よく秩序や治安は保たれるという、欧州思想家にとっての天敵みたな存在
戦国時代すら、宣教師が農民レベルに宗論でボロクソにやられ、武力行使を兼用するのも頷ける
(余談だが、似た理由で武力行使されて滅んだのがアステカやインド初藩国である)
明治以降の欧州式搾取社会にどっぷり漬かっても、まだ踏み留まってるのが奇跡 "唯一成功した共産主義国"の一言だろうな日本は
小さな村の中でなら穏当に暮らせるが広い野に出て勢力を作る能は無い
秩序と和を重んじる反面、既存の権威への服従を疑わず過多な競争を疎む
ある意味、商のような原始的都市国家に近いかもしれない >万物に敬いや慈しみを持ち
中国やヨーロッパをこき下ろしながら平気でこんなことをほざく精神性は尊敬する 信心深いというか呪術的というか
要するに未開なんだろう >>416
実際それに足りうる所業やってるからな
株式なんて代表的だが、元々は異国を殺戮略奪するための資金調達よ
権威に対して必ずしも盲従ではなく、倫理観と感覚により神すらも反駁する
しかも資本的にも教育的にも必ずしも恵まれないはずの農民が
というのも宣教師は恐れた
欧州は数百年経ってもこの領域に興味を示さなかったから、フランス革命はあのザマになった id:+oxyjpdcoみたいな野郎は2000 年前なら”夜郎自大”と呼ばれていたろうな。 >>420
ロジックで対抗できず、みっともねぇレッテルで逃げる様は大好物なんよ
おおきに
そのまんま夜郎自大であってクレクレを永遠に続けてくれよな >>422
id:oxyjpdcoは日本凄いと言い立てる癖に欧米コンプレックスあるから分かりもしない横文字使って墓穴を掘る滑稽な奴だから、あまり突っ込まないようにしようや可哀想だから。 どんなマンセー思想持ってようと構わんが
よりにもよって五胡スレでやるかねw うむ。ここでやるべき事は、大阪の立ち飲みの「かくれんぼつぼつ」は大丈夫かな、と心配する事だよな! そんな飲み屋あるんか
ぐーぐる先生に聞いてみたら本当にあるんかい >>424
戦犯416
後々のことを考えず要らぬ恨みを買った司馬騰並の大チョンボ >>427
どう見てもid:+oxyjpdcoのガバガバ論が原因だぞ頭陳叔宝か? ファビョるエベンキの面汚しと
五毛崩れしかいないところを見ると
もはや大和民族も死滅したかと驚くわ >>429
そのガバガバ論とやらをどうにもできないんじゃなぁ…
◯◯だから違うって言えよと >>430
夏目漱石が坊っちゃんで警告したとおり、義理人情と良心なき社会が実現されたからかね
義理人情と良心が重すぎると後秦のように伸びきれず、形式だけなら前秦みたいに結束も形式的にしかならず、ガン無視したら数多の例のように空中分解する
匙加減が難しい問題 大和民族はさすがにもうなくなっただろ。
色々国民国家のためについてきた嘘が改変されてるからアップデートしてくれ。そして、そのための五胡十六国史の盛り上がりかもしれない。 エベンキ差別はやばいだろ。一般に、家系→民族→国家と抽象性が増すごとに憎悪からくるジェノサイドの危険性が減っていくと思うんだが >>434
エベンキの良さを書いて中和すればいいじゃない()
慕容部や女真、ブリヤードの遺跡とかを見るに、騎馬と農耕の両立を求められるあの地域は、けっこう伸びしろがあると思うんだけどね >>435
縄文系と弥生系で揉めたこともなかったもんな。
なんで日本のルーツをこんなにも北族に結びつけてるんだ?前は南人の可能性も残していたのに >>413
いい意味でも悪い意味でも
ローマの前にギリシアそしてエジプトメソポタミアが有ったから
黄河文明からそのまま中華になったのとは概念が違って当然 >>436
日本は海に囲まれているから
外敵の影響少ない代わりに
たまに有る自然災害(鬼界カルデラ噴火とか)で
大ダメージ喰らう率の方が高いので
世界標準と違うガラパゴス発展 ローマの市民権に対して
古代中国の士大夫という概念がガバガバでよくわからない >>440
太古からガンガン船の行き来があったくせに、唐の鑑真とか蒙古襲来とか、渡航の危険性をアピールしすぎ。もっと簡単だったはず >>441
唐までの士大夫は、パトリキとノビレスの集合体といって差し支えない
違うところとしては、ノビレスがパトリキに食って掛かることがなく、ノビレスがパトリキ化するとこ
五代十国で起きた白馬の禍の末、この層の多くが裏社会に移行した
北宋から元の士大夫は、おもに中流階級の実務官僚たちのこと
程よく競争原理は働いたけど、科挙に合格できるような教育ができる家庭に生まれなければいけなかった
明以降は完全崩壊
人足りない→基準下げる→効率低下→人足りないを繰り返して悪化する国政、非合法のシノギの普及によって士大夫自体が終了
それらの上澄みですらマンダリンという蔑称を与えられるようになってしまった >>434
>>435
よく見ろ
「エベンキの『面汚し』」と書いてるだろ
まっとうなエベンキ族にしてみりゃ
某火病ヒトモドキと同類とされること自体屈辱だろ 東アジアの三馬鹿は放っといても勝手にいがみ合ってくれるから西欧はホクホクだろうな >>443
マンダリンは蔑称ではない。寧ろ17世紀から18世紀にかけての西欧の啓蒙思想に明・清代の近世中国社会は大きく影響を与えている。
士大夫は貴族制の遺風が残っていた宋にはまだあなったが元を経て明では郷紳と言われる存在に変わったが、これはイギリスのジェントリの訳語に当てられるように士大夫より近代的な存在で科挙の普及が地方にも及んだ影響で地方に根付いていたため絶対数も士大夫より多い。
それと個人的にローマと中国を比較するのにあまり意味を感じない。それは奴隷制を根幹にしていたローマと根幹にしていない中国は根本的に違い属州支配がゲルマン民族の移動などで破綻し奴隷の大量供給が不可能になったローマは崩壊し復活も以後なかったが、中国は違ったので五胡の移動浸透で一旦は崩壊しても再生が可能だったからでローマと中国の根本的な違いはそこにある。 >>447
東アジアの三馬鹿 = 中国、韓国、北朝鮮
↑こいつらに五胡の血がどれぐらい交じってるか誰か論文出してほしい案件
しかし五胡の故地モンゴルはこいつらよりもバカには見えない処が 朝鮮半島は知らんが
隋唐時代の中国(特に華北)は相当五胡の血が混じってただろうな。
三国時代からの戦乱での人口激減、難民流出による空白を埋めたのが五胡だから。
ただその後は突厥や契丹や女真やモンゴルの血が追加され、五胡の濃度はだいぶ薄まってると思うが。 >>448
>西欧の啓蒙思想に明・清代の近世中国社会は大きく影響を与えている。
ダウト
新大陸からの金銀や農作物伝搬による経済崩壊
宗教改革で暴かれた矛盾による不信感の蔓延
ルネサンスによる超技術の発掘
疫病による労働力の喪失および下層階級の相対的地位向上
これらが啓蒙思想の発端になってるわけで、明なんかイエスズ会に命乞いしても無視される程度の存在でしかない
>これはイギリスのジェントリの訳語に当てられるように
その結果が浚渫放棄や駅伝制度の崩壊っすか…まさに能力低下の権化
英国流の皮肉の定番「あいつはいい奴だった(大悪党やクズが当該民族における聖人です)」や「あいつは強かった(けど俺らにとっては片手間で絶滅できる雑魚)」をやるセンスに脱帽
>奴隷制を根幹にしていたローマと根幹にしていない中国
中国の王朝による賦役は欧州においての奴隷レベルであり、奴隷制前提というのは双方変わらない
欧州は階層化や封建契約で、最上位存在に矛先を向けさせない体制に変わり、結果的に分権化および継承リソースの減衰が起きた
中国は皇帝制がチャナプロパーに対して絶対的な効力があるため、皇帝制の維持のため集権化したため、知識等のリソースはある程度担保できたが、爆発する時は最上位存在(皇帝)に矛先が向き派手に爆発する >>445
いや、エベンキ差別から現代韓国を貶めてく流れがあるってことね。濊人の濊は汚いという意味だ、糞尿の上で暮らしているから...というのは、床下暖房のオンドルのことだろう。
便器という言葉は、日本の支配者階級がエベンキへの嫌がらせの意味を込めてセレクトしたかもしれない。 スレ違いだし
もうこのネタは荒れるからやめようよ
五胡の話に戻ろう どうしても中韓を見下してないと心が落ち着かない連中に火がついたから仕方ない
竜巻は去るまで待つのみ >>454
日本語と韓国語・朝鮮語はネトウヨどころか日本の言語学者でさえ
別系統の言語だと言い張って、国際的に同じ系統としようとしてもキレるけど
ハングル検定のために韓国語をちょっと勉強しているだけでそっくりと感じるし
日本語は朝鮮語の方言でしかないというのは事実だと思う
基礎語彙は確かに違うのが多いのだが、単語を置き換えるだけで翻訳できてしまう
他の言語では、特に英語ではこうはいかない チベット族のテイかな
苻堅の、この殺るか殺られるかの戦乱の時代に
現代リベラル顔負けの民族共生、ダイバーシティ尊重を掲げて
あえなく裏切りにあって非業の死を遂げたお花畑ぶりには
同情してしまう 苻堅の理想はフィクションなら主人公補正受けまくって無双してもおかしく無いが
リアルでそんなんだったらこうなると言う良い事例
現実はそう甘くないからね >>449
まぁ大陸、半島、列島の三兄弟のことなんだけどね >>457
王猛をはじめとする漢人の家臣達が、晋への攻撃があればただちに瓦解させるように示し合わせていたかもな。
慈悲深さや寛容性は道安の影響かもしれない。 >>455
朝鮮語の方言と言い切ってしまうとまた反感買うだろうが…ある程度までは相互に影響し合ってたのは間違いない
特に古代は
海をものともせず、下手したら現代よりも密接にガンガン交際してたし >>452
モンゴルは今でも家畜の糞の上に寝ている。
ブリヤート系の可能性もあるが、エベンキ系だったかもな。
韓国は家畜の糞の上に寝るのではなく、糞を燃やして床暖房している。 アジア人は糞尿をただ捨てずに活用する
勿論日本もそうだった
逆に西欧人は道端に捨てるだけ
この差や 海外から見たら
日本の、ウンコを畑に撒いて作物を育てること自体、
信じられないくらい不潔極まる狂気の沙汰だからな
ウンコを豚に食わせるもよし、暖房の燃料にするもよし、肥料にするもよし、
合理的に再利用できてるんだからどれも大したもんだよ 寄生虫「こんにちは」
経済的ではあるが衛生的ではない 衛生面と合理化の両立は現代ですら出来てないから仕方ない >>461
実のところ、今の韓国語やハングルっていうのは、日本が選定したもんだぞ
明治の頃は統一言語も統一文字もなく、統治のために二十以上のローカル言語や文字から、一番日本が使いやすいもんを繕って教えてやった
だから終戦後は韓国語と北朝鮮語に分かれてしまうほど脆い、つまり古来から定着してない >>468
列島と半島は古来から頻繁に交流してたから言語も相互影響していて然るべきって話だぞ? >>463
西欧は糞尿を道端に棄てても
豚放し飼いだから豚が勝手に処理してくれる
その豚を潰して食用にしている訳で
畑に糞尿撒くのとどっちが衛生的なのかよくわからんな
とりあえず糞尿利用しているのは五胡だけではないのは確かだが
人類で今でも糞尿料理あるのはトンスルやホンタクのある半島ぐらいだがw >>469
そりゃそうだろ
相互影響の結果>>455の妄想とは逆方向の史実があるというのがツボだろ 姚萇・慕容垂「大秦天王に帰順いたしまする。どうか兵卒の端くれにでも加えて下され」
苻堅「よくぞ申した。貴公らには大任を任せるゆえ、朕の覇業達成のため存分に活躍してくれ」
王猛「なりませぬ。この二人は奸智に長け、将来必ずや陛下に禍をなす者。大権を与えるなどもってのほか。
今のうち斬り捨ててしまいなされ」
苻堅「何を申すか。朕の包み込むような慈悲と寛容にあっては裏切るはずがあるまい」
苻堅「朕はいよいよ江南に軍を差し向け、晋を降して四海統一の覇業を成し遂げようと思う。卿らどう思うか」
群臣「なりませぬ」「なりませぬ」「なりませぬ」「反対です!」
姚萇「南征に大賛成ですッ!」
慕容垂「陛下のもとには虎のごとき精兵百万、韓信・白起のごとき勇将が地に満ちております。
今主命に従わぬは米粒ごとき江南のみ。これを平らげるのに何の手間暇がかかりましょうや」
苻堅「よくぞ申した。朕と天下を語れるのは貴公らのみじゃ」
<淝水の戦いで大敗後>
慕容垂「一応敗戦処理は終わりました。あとは燕に戻って自立しますんでさようなら」
姚萇「さあ、伝国の玉璽をよこせ(=俺に皇位を禅譲しろ)」
苻堅「おのれ、小羌の分際で天子を名乗るなんざ百万年早いぞ! 玉璽は晋に返却したわ!」
姚萇「じゃあ死んでもらおうか」 >>471
歴史なんて互いに影響し合ってるものにどちらかの立場からマウント取るとか滑稽過ぎてウケるよな まあ、この時代の日本はまだまともな国家の体をなしてなかったわけで。
隋の時代になってやっと大和政権の輪郭が見えてきて、その時点で
「日が昇る国の天子が、日が沈む国の天子に書を送ります。ご機嫌いかがですか?」
なんて(いい意味で)クッソ生意気な書面をよこすのが痛快だ。
煬帝が「まったく、夷狄は文章の書き方も知らんのか。今後このような無礼な者が来たら取り次がんでよい」
と呆れたのも頷ける。 天子は一人だけだからな
俺も天子だ、というのは元号を別にするのと同じくらい喧嘩売ってる
つーか宣戦布告 >>474
あれも実在は仏教の引用とかで粱武帝にも似たような内容の書を出しとるんやぞ >>475
後の唐朝で高表仁が儀礼で揉めて帰国後に唐朝で非難されたエピソードからしても「異国が勝手に名乗る」のは実は問題ない。
きっつい扱い受けるの半島だけ >>477
高表仁はイキった蛮族を論破できなかったから非難されたのでは?
何でその結論になるのかわからん >>472
伝玉璽は冉智(正確には部下の蔣幹)が東晋に帰しているから
よくよく考えると苻堅だけでなく王猛や慕容垂や姚萇らも
ホンモノの伝玉璽を見た事ないんだなと >>479
苻堅なんか「オレが持ってるのが本物の伝国璽だ。僭晋が持っていると主張する伝国璽はパチもん」とか居直りそうなのに 三国志演義だと
董卓の洛陽焼き払いの際に玉璽が紛失して
孫堅が焼け跡から偶然発見して野心を抱く
その後孫策が玉璽を継ぐも質として袁術に預ける
玉璽を手にした袁術は皇帝を詐称するが
あえなく叩きのめされ
袁術の遺族が最終的に孫権の陣営に収容される
これだと玉璽は呉に渡って、やがて晋に帰すことになるが
現実は後漢末の戦乱で紛失したまま見つからず
その後の玉璽は、献帝を擁し華北を平定した曹操が再製作させたのかな >>482
苻堅って大器ムーヴと畜生ムーヴが極端なうえ畜生が本質なのに
玉璽談義になる頃は儒教皇帝らしく大器ムーヴでやりすごす
畜生ムーヴになる頃はそれ所じゃない
っていう性質のおかげで評価をあまり落とさずに済んだ感が強い 姚萇が苻堅から分捕った玉璽は何物だろ
石祗が慕容儁に渡した偽物かな >>485
仕事上使うんだから勝手に作ったんじゃね >>481
玉璽が漢委奴国王印みたいにほぼ純金なら
出帝以後誰かが潰して鍋棒にでもした可能性あるな
現代でいうとブラジル永久保管になったのに盗難に遭い行方不明の
サッカーワールドカップのジュール・リメ・トロフィーみたいに 苻堅は厚遇したはずの慕容垂に裏切られたが
(厳密には慕容垂は自立したものの苻堅の存命中は称帝せず、形式上は臣下の礼をとり続けていた)
慕容垂が建国した後燕も、苻氏の生き残りである2人の女性によって滅ぼされている。
慕容垂の末っ子の慕容熙が、後燕の第4代皇帝に即位したが
前秦皇族の生き残りである、苻娀娥、苻訓英の美人姉妹の色香に溺れ、
姉妹を喜ばせようと、多数の労働者を酷使し犠牲にして、豪華絢爛な巨大宮殿や巨大庭園を造営し
勢い重税を課して領民からありったけの富を搾取して、姉妹と酒池肉林の贅沢三昧に耽り、
まるで桀紂の伝説を模倣したような暴君ぶりだった。
当然人心は離反し、やがて苻氏の姉妹は先に死去するが、苻訓英の葬儀で慕容熙が城外に出たところで
クーデターが発生、慕容熙は殺され、後燕から慕容一族は一掃されてしまった。
まさに苻氏によって慕容氏は滅ぼされてしまったといえる。
この苻娀娥、苻訓英も、まるで伝説をそのまま具現化したような傾国の美女ぶりだが、
この二人は単なる遊び人のDQN姉妹だったのか、それとも前秦の遺族として秘かに復讐心を燃やしていて
主の仇である慕容垂の、このバカ息子を骨抜きにして暴君に仕立て上げ、みごと亡国を誘導したのか。 姚萇のほうが慕容垂よりあとまで苻堅を支えたんだな
反乱鎮圧には姚萇のほうが働いてた
ふと思ったけど、史書に結末が書かれてない慕容四傑以外の兄弟たち、
慕容暐の反乱のときに苻堅に返り討ちにされた鮮卑の中に入っていたのでは >>477
高表仁は渤海高氏の出だから
北斉の皇族の末裔の可能性もあると考えると
色んな意味で楽しい 自己レスだけど
高表仁の祖父の高賓は高歓と同族だけど
高歓に妬まれて西魏に亡命した口だから
北斉の皇族の末裔ではないけど遠戚と言った感じか 高允(390-487)、97歳か
魏晋南北朝で信頼のおける年齢としては最長寿ではないか
北魏の歴史の真ん中を生きた男だな そういや煬帝って高熲は殺したのに息子の高表仁は殺してないんだよな >>494
息子たちは流刑やね
一緒に処刑された賀若弼の親子っぷりよ
賀若敦「愚痴ったら処刑になったわ。弼が同じ過ちを繰り返さんよう舌に穴あけたるわ」
賀若弼「愚痴ったら処刑されたわ」 父親からの教訓のエピソードが出た時点で
同じ轍を踏んでの滅亡フラグが立ってるわな 司馬炎が晋を建ててから隋が成立するまでを物語的読み物調に楽しんで読めるのなんかありますか?
三国志演義程度には創作混じりで必ずしも史的に真実でなくても可です >>479
朝鮮が糞味噌なゴミ虫扱いされる理由は、清の太祖が幼年期に人質として預かられたときに糞味噌な虐待受けて深く恨んでたから天下平定、最下層にされたとか聞くけど、それ違うのかな?
ずっと昔から扱いキッツイの? >>495
同じ轍を踏んで同じ舌禍で処刑された賀若敦親子もアレだが
娘に「突厥」とかアレな名前つけて12歳で北周皇族の越王宇文盛に嫁がせたら
結婚相手が何もしてないのに楊堅暗殺事件に連座して処刑(突厥は無事)
された弟賀若誼もある意味アレだな 優等生タイプでは高允は中国史の中でも最高クラス
それを殺伐とした北魏の宮廷でできたのは奇跡的 書店に行って文庫本のコーナーを見ていたらメインキャラとして石勒が出てくるらしいファンタジーを発見。
タイトルは忘れたし立ち読みもできなかったから中身はわからないけど。 http://kodanshabunko.com/reijuki
これかな?ほんとにキレイな石勒主役のファンタジーで草
主人公交代しながら続くってよ >>506
完全に五胡十六国時代に脳を焼かれている人の発言で草
>石勒、なんでこんなに誤解されているのかなって思います。一生を丹念に読んでいくと、気が短くてすぐ人を殺すんですけど、それ以外はめちゃくちゃいい人なんですよ。 でも「高僧伝」に出てくる石勒って「気が短くてすぐ人を殺そうとするけど話のわかる良い人」じゃん ガイエが言ってる、石原慎太郎が書いた、仏図澄の小説って読んでみたいな。
今なら、書店で追悼コーナーみたいな感じで、色々置いてあるんだろうか? 石虎、なんでこんなに誤解されているのかなって思います。一生を丹念に読んでいくと、気まぐれですぐ人を殺すし、度が過ぎた女好きだし、宮殿作りや狩りのために徴発しすぎるし、息子は全員クズだけど、それ以外はちょっといい人なんですよ。 冉閔、なんでこんなに誤解されているのかなって思います。一生を丹念に読んでいくと、気が短くてすぐ人を殺すんですよ。 羯族は髭や体毛が濃く、鼻が高かった
羯族コーカソイド説は本当だろうか?
今のアフガン人やイラン人に似た容貌だったのだろうか
今のモンゴル人、ウイグル人、チベット人、カザフスタンやキルギスのトルコ系民族は
普通にモンゴロイドだけどね >>514
ウイグル人は結構コーカソイドっぽい顔してない? >>506
主人公だからって無理していい人に解釈しなくていいのに
過激な所が魅力の英雄だろ >>500
礼で鳴らした周王朝だって初期は蛮族だったし… いいところっつったら文宣帝でもたくさんあるわ
ただ残虐なだけじゃない
南北朝の幼まあ未成年の無軌道だけど
50年生きてクズそのものってのは蕭正徳 この時代、分かりやすい主人公はいないけどダークヒーローには事欠かないから
創作するならヤクザ映画みたいに仕立てるのが正解だろうな 亡命者とか渡り歩いたのも多いから
それらの視点から見たのとかもいいかも
ナレーターで想起しながら語るみたいな感じで
顔之推とかよさそうだな 南北朝はけっこうあるけど五胡時代はないよね
石勒のドラマ化とか中共政府にとって不都合なんだろうか
苻堅の一代記とかあってもいいと思うけど 蘭陵王のドラマ見たことあるか?
史実クズなやつをいいヤツにすることなんて容易い 恋愛要素が強すぎるドラマが多い
おまけ程度でいいのに >>520
一人だけ爽やかな風をふかしてる慕容恪がおるやろ >>526
分立時代でも三国とか南北朝とか南宋・金・蒙古(元)など二大もしくは三大勢力の角逐なら対立構造が明確でドラマ化しやすいが、五胡十六国とか五代十国のように十国以上も分立すると対立構造が曖昧になってドラマ化は難しいな。
そう考えると中国(台湾)でドラマ化される時代が漢・唐・宋・明・清といった200年以上続いた統一王朝が多いのは当然かな。 >>524
独孤皇后のドラマの楊堅もなぜか良い奴で草 唐の支配者階級が北族だと言うことも最近まで隠していたのに、それが明るみに出た挙句、五胡にスポットライトが当たるようになったんだな。名誉回復なのか?
三国志演義も水滸伝も、南人が主人公だった。 唐室は元は大野とか言う姓だから実は唐室は異世界転生した日本人って説でも良いぞ 大野ってダイヤモンドみたいだな。
母系では拓跋→宇文→李氏の流れもあるが、意外と漢民族王朝だった可能性もある 母系は漢人の名族の血も相当入ってるだろうからな
中世のヨーロッパや戦国時代の東北の大名並の雁字搦めの血縁関係 石勒の小説も主人公交代で続くみたいやね
おそらく4部作
残り三人誰やろ?苻堅は入ると思うけど >>530
劉備は実は倭人だったという『覇ーLOADー』という漫画あったな。 >>515
タクマラカン周辺の古代都市の発掘の結果、あそこら辺は既に紀元前からコーカソイドがいたのは分かってる
石勒がテュルク系やソグド系なら、コーカソイドまたは混血って可能性は高い
そもそも中央アジアはモンゴロイドとコーカソイドが幾度も混血してるから、どちらの遺伝が強いかの差しかないと言ってしまうこともできるが >>529
南方って昔は蛮族の象徴だったのに
時代は変わった… >>536
明からは南家蛮子と罵られたのも相まって開き直り、南方を善玉に見立てたものが増えた
今は隋唐の開き直りで北朝の弱肉強食が見直されたのと、日本から三國無双が逆輸入されて弾けてる 北族が漢化していく過程の南北朝時代は
人々はどんな格好をしていたのか非常に興味があって、中国の歴史ドラマを観るが
どうもお洒落優先で時代考証をガン無視してるような気がして、「資料的価値」はゼロかもしれない…
この時代のドラマによく出てくる髪型が、漢人らしく長髪を頭頂部で束ねるんだけど
そのあと後ろに伸ばす、文明人らしさとちょっとワイルドさを両立させたようなヘアスタイル。
こんな髪型あったっけ? ちなみにモンゴル人や満州人とは違い、一切剃ったりはしていない。
北魏の皇族で、ひとり、長髪をアフロヘアにしているラッパーみたいな人間がいたけど、
これが鮮卑族の「辮髪」のつもりなのか? うーん…
ちなみに元朝時代のドラマでは、ヒロインの恋人役のモンゴル皇帝が
完全に伝統的な漢族の姿で、バカバカしくなって観るのをやめた。
中国の歴史ドラマはほとんどが宮廷の愛憎劇がテーマで、視聴者のターゲットは女性。
だから登場する皇族男性陣はイケメンであることが求められる。
頭頂部をツルッ禿げに剃り上げた、ザビエルや河童のようなヘアスタイルは
どうしてもビジュアル的にイケメンとは言い難いので、辮髪を避けて
「げんだいじんがかんがえた、なんとなくわいるどな、いみんぞくっぽいかっこう」
で誤魔化しているのかもしれない。 大河もそうだが真面目に考証しても歴史オタにしか売れないんだよ
売れないもんは作られん 女が主人公なら誰だろうな?(  ̄▽ ̄)
昔西施が范蠡を超える鬼謀の持ち主で諸悪の権化范蠡に復讐する古の同人?を読んだ気がするが
ガキだったワイは馬鹿らしくなってついて行けなかった 意志薄弱な夫をもって5度も廃立の憂き目に遭い、最後は劉曜の逞しい腕に抱かれて完落ちした羊皇后
最後まで司馬越への貞節を尽くして元帝に庇護された司馬越夫人
その対比 >>535
諸説あるが中華では周の時代紀元前1000年頃には
中央アジアに騎馬民族居て長距離の交易していたようだから
その頃には東西のコーカソイドやモンゴロイドの交流が有った模様
孤立した古代都市だとほっとくと血が濃くなってある意味近親相姦的な種族の劣化に直面するので
旅人が訪れると大いに持て成して夜には若い女性にコーマンさせて外の血を率先して取り入れてた説
なので古代都市に西方からのコーカソイドまたは混血が見つかるのは至極当然 五胡十六国人物の女体化は某画像掲示板でさんざん見たからもう十分かな… >>543
羊献容は陳舜臣センセイの「中国美人伝」で主役張ってるな
オチが千里駒くんとの濃厚なファックでメスイキエンド 羊献容も羊皇后なのか? 西晋の皇后だけかと思ってた >>538
明末のドラマの満洲族や清代のドラマでは満洲族も漢族も皆ちゃんと辮髪しているぞ。 >>548
あれは法律で義務になっていたから
禿髪や索頭が辮髪と同一なのかは最早誰も知る由はない なろうで苻堅と清河公主、慕容仲の淫交三昧はあるみたいだな?(  ̄▽ ̄)
清河公主が主役なら弟ともいけない関係になりさらに慕容垂にも近付き
苻堅には東晋征を囁き、反対する張夫人と激しい対立
慕容仲が殺されると戦いの主役ともなるとかあるかな? >>542
宋褘
を主人公にして金瓶梅級の大作エロ小説を >>551
マジだw 俺の知ってるヤツとは違ったが、
どうせならこのままシコシコ書いてくれるといいのに。 >>551
清河公主てこの時代辺りでも
・東漢の曹操の長女(母は劉夫人)で夏侯楙の嫁
・西晋の恵帝(司馬衷)の次女(母は羊献容皇后)で曹統の嫁
・前燕の景昭帝(慕容儁)の娘(母は可足渾皇后?)で前秦の大秦天王(苻堅)の妃
・北魏の孝文帝(拓跋宏)の娘?(母は不明)で爾朱買珍の嫁
・隋の文帝(楊堅)の娘(母は独孤皇后)で李長雅の嫁
・唐の太宗(李世民)の娘(母は不明)で程処亮の嫁
とか居るので一瞬悩む
日本でいえば麗景殿女御とか弘徽殿女御みたいな感じか 五胡時代の河北地方は
鮮卑の宇文部と慕容部が相争っていた
慕容氏は比較的早期に中国化して
漢人を採用し魏晋に倣った王朝を樹立したが
後に北周を建国する宇文氏は、まだ一部族の酋長に過ぎず、
同じ鮮卑族でも両者の間には文明化に大きな乖離が見られた 東漢の時代に禿髪樹機能の乱を平定した賈充の娘が、司馬氏を滅ぼす引き金を作った。八王それぞれが軍縮し、匈奴や鮮卑の傭兵を雇ったらその傭兵がそのまま異民族の進駐軍と化し、八王同士の殺し合いになってしまった。
賈充が乱の平定に向かった際、懐柔されたか、殺されて入れ替わられたみたいだ。 賈充の娘って史書にも書かれるほどブサイクなんだろ
いくら建国の功臣の娘とはいえ
中華の統一王朝の皇太子がブサイクを嫁にもらうってどうなのよ
しかもこの二人で王朝崩壊が始まるし
でも司馬昭と賈充の曹髦弑殺のエピソードとか胸くそ悪かったから
ざまあみろとも思った >>556
ガバガバすぎて草
樹機能の乱は西晋だし、賈充は工作して出陣回避したし、八王それぞれの軍縮ってのは何のこと? >>558
5ちゃんだからとザルみたいなレスで申し訳ない。。
西晋の賈充は平定に失敗したが正解。
軍縮は司馬炎をはじめとして、西晋末期に度々行われている。
同一勢力の傭兵が両サイド全サイドについて支配権を握るようなことは、別に珍しくない。日本初の傭兵集団同士が争った、源平の戦さえそうかもしれない。両方とも宗像を祭神とするし、傭兵という今までなかった概念がいきなり輸入され、支配者階級はそれに依存したり幽閉されたり。傭兵同士の戦争になるわけだから 傭兵が台頭してくるといよいよ時代の変わり目って感じだな
世界史のワクワクポイント 傭兵つってもこの時代だとあくまでも漢土に在住してる南匈奴や鮮卑だから後漢末の動乱の延長って感じ 傭ったらと言うか
異民族兵自体は漢代からずっと使ってるんだけどね >>559
失敗したの司馬亮でしょ
賈充は羊祜のおかげで出陣回避した
軍縮も八王で関わってるのいたっけ?
司馬倫簒奪後なんてそんな余裕ないしできて司馬亮だけじゃないかな 匈奴も鮮卑もよく南下して定住する気になったな。
慣れない農耕社会に参加したり、頭使うような法治国家を構築するのは
めんどくさくないか?
先祖がやってきたように、
普段は塞外にいて何も考えず遊牧を続けて、
めんどくさい食料栽培や手工業は漢族にやらせて
出来上がったのを見計らってイナゴのように中原を襲って
漢族の労働の成果を略奪し、
収穫を得たらまたイナゴのように去る。
または騎馬民族の機動力を生かして
漢族王朝との戦に大勝して有利な和睦を結び、
毎年膨大な量の歳弊を納めさせ、
労せずして巨万の富を得て国力を維持する。
この方が楽でいいじゃん。 鮮卑が南下して北方ががら空きになったかというとそうなってなくて柔然とかが力付けてくるのなんなんだろう 柔然が脅威になるのって北魏が文弱化してからだっけ? 太武帝の北魏に敗れ、突厥に裏切られ、西魏の宇文にとどめを刺され。柔然はアヴァールとなってローマ帝国に侵攻したりゲルマン民族の大移動を促した。元は寒冷化で鮮卑が南下してきたことが発端 >>564
農耕社会じゃないという事は人や馬や羊その他の食料が安定供給されず
また文明社会ではないので倉庫やサイロみたいな食料貯蔵庫は皆無
なので旱魃とかになると先に家畜が全滅して機動力失われ
その後家畜食いつくした人も成す統べなく死に絶える
確か匈奴はじめ騎馬民族は何度か気候変動で大量死してたような
後世だが天然痘でほぼ絶滅のジュンガルとかの例もある
なので虎や狼のように常に生命の危機との戦いの野生生物みたいな生活するよりも
犬や猫のように文明社会の中でペット化して安心安全な生活を送ろうとする種族も出てくる訳で コーエーが昔出してた武将列伝見出るんだけど張華とか司馬亮の末路とか書かれてないんだよね
大人になってから最期を知ると悲しくなる >>572
張華や司馬亮は不幸であったといえるが
不幸を跳ね返す権力有ったのに用いず自らの身を滅ぼしたので
もっと探せば沢山居る理不尽な末路の人物に比べたらまだ >>569
寒冷化いうても生物の大部分が死滅しそうなスノーボールアース現象ではないので
騎馬民族は民族大移動や南下で対応できたのはある意味幸運というべきか不幸というべきか
究極の寒冷化だとシベリアのマンモスみたいに一瞬で氷漬けになる
逆に今の地球温暖化が更に進むと
北極海の氷が解けてシベリアの広大な土地が騎馬民族の好きな牧草地が広がるので
騎馬民族的には現代に生まれていれば生息地域広がりそうだな >>577
アイヌとか明らかに鮮卑系でしょ。服とか顔の雰囲気が。
氷が溶けたら長年住んでる日本列島が海中に没して、辛いことになるわ。 南宋は北魏に囲碁と同じ感覚で赤ちゃんを串刺しにされ、男は斬られる模様 >>568
資治通鑑読んでいると柔然ボコボコにされてて、
強いイメージ全くないw >>580
南宋と書くと後世の趙氏の南宋と紛らわしいから、ここは南朝宋か劉宋と書くべきだな。 >>578
鏡で見てみな。日本人はほとんどが源平藤橘だから。 >>580
お前囲碁やった事無いだろ
囲碁と同じ感覚で
赤ちゃんを串刺しにしたり男が斬られたりとか意味不明
象棋(シャンチー)と同じ感覚ならまだ少しわかる 劉裕が漢を名乗らなかったってことはこの頃もう漢ブランドは無かったのか 南宋を建国した趙氏って、三国時代の趙雲とか、五胡十六国の前趙後趙の劉氏、石氏と関係あるのか? >>589
前漢の名臣・趙広漢の末裔を自称していたが恐らく嘘で実際は突厥沙陀部の出身と思われる。 >>587
少し前に滅びているからね
趙は戦国時代に北方民族で有名だし
アラブ人がスペインを支配したらウマイヤ朝を名乗るようなものかな
日本人がとしようとしたらいい例が、、、 >>589
晋自体が恐らく異民族で
そこから分裂した趙も武霊王や李牧で異民族からはブランドありそうだから
趙匡胤も恐らく異民族だろうし >>587
ちょい前に劉淵が漢を建国。
北魏も漢=火徳の後継王朝であることを意味する、土徳を採用。金徳=西晋などは暗黙のうちに否定されている >>594
後趙は晋を継いで水コだし、北魏も後に水コに改めた
全然無視されてない >>595
徳運を改めたっていうのは、孝文帝の漢化政策だろ。劉宋からの亡命者を受け入れたら感化されてしまい、子貴母子をやめたら途端に皇太子が殺され皇后の一族が専横してしまうという。同じ北魏とは言えない 後漢滅亡後の三国時代を経て、西晋がいったん天下を再統一したけど
統一直後から西晋は乱れ始めていた。
晴れて呉を平定した後の天子の勅令は、「江南の美女五千人を我が後宮に入れよ」。
司馬炎の後宮は1万人に達したという。さすがに1万は盛り過ぎだと思うが
本当なら、もはや司馬炎のハーレムはちょっとした都市だ。美女だけの街、男の夢。
1万人の住まいが必要だし、彼女らを世話する宦官も相当な数になる。
「今夜はどの女のところに泊まろうかな」皇帝司馬炎はこんなことで毎日悩まなければならなかった。
これと対照的なのが、司馬炎の300年後に天下を統一し、長期の乱世を終わらせた楊堅。
嫉妬深い独孤皇后の監視が厳しくて女遊びができず、一度浮気したら独孤皇后に浮気相手を殺されてしまった。
思わず単騎で家出した楊堅だが、追いついてきた家臣に
「朕は天子になのに一人の女子を抱くことすら許されないのか!」と嘆息したという。
楊堅にとっては、司馬炎の境遇が信じられないだろうな。 皇帝なんだから奥さんくらい黙らせりゃいいじゃん
と、思うのは一庶民の浅慮なんだろうな >>597
司馬炎も確か服喪で三年ほど禁欲生活送ってるしイメージほど奢侈だったのかは疑問 >>598
楊堅の嫁はん元上司(独孤信)の娘やぞ
序に言うと独孤信はファッションメーカーにして皇后を何人も輩出するエンブレスメーカーでもある。 >>599
常識も才能もあるがそれ以上に性欲が凄まじかったんだろう
現代でもそういう人はいる 司馬炎で一番笑ったのが息子(司馬衷)の筆おろしのために自分の側室派遣したエピソード
頼朝みたく「乳母(寒河尼など4人)が筆おろし要員」とかならよく聞くけど側室に筆おろしさせるとかAVの世界 >>601
「英雄、色を好む」という諺あるしな。
”○✕のドンファン”と言われる人物がこのタイプ。 >>601
司馬炎は名前が判明している皇后、妃、夫人、妾、等が28名
(名前判明していないのはその数十倍居ると思われる)
三夫人九嬪之列どころでない騒ぎ
息子は確認されているだけで26名で名前が判明しているのは18名
公主(娘)は名前が判明しているだけで13名(名前判明していないのも多数)
まあ普通に考えて司馬炎は性欲マシーン
姚弋仲の例もあるので奢侈かどうかは性欲マシーンに直接関係ないので何とも言えん >>601
司馬炎は結果が違うだけで思想ベクトルは孫皓や六朝皇帝と一緒
皇帝の配下のはずの豪族どもが従わないから、せめて一天万乗の覇者らしく好き放題してやるという自暴自棄
快楽しか救いがないから、自らの権限で最大限できる快楽を追及してどっぷり嵌まった
六朝は権限が少なすぎて武威に頼り殺戮三昧
孫皓は西晋に呉を全部壊してもらおうと思い暴君化
司馬炎は統一王朝の君主としての贅沢を極め、豪族より立場が上であると誇示を続けた
北朝はこの思想になる君主がほぼ存在しないというのは特筆に値する 国を破壊して貰いたくて暴君化って何かで見たと思ったら、あれだ
趙高 >>607
陸凱らの慇懃無礼や滅亡後の対局といい、素材はいいんだよ
呉が再評価されるような時世が無かったから埋もれてるけど、三國志演義みたいに白話作られる素質はある >>602
それで生まれた皇太子以外に息子がいないし
本当に恵帝の子か怪しい
皇后の子も娘ばかりだけど他に子供いないから怪しい >>597にあるように、
家出した文帝は、「朕は天子になのにここまで自由がないのか!」と
やりきれない思いを家臣の高熲にぶちまけた。
高熲は文帝が最も信頼する忠良の臣で、文帝の治世において位人臣を極めていた。
高熲は「一夫人のことで天子の責務を放棄してはなりませぬ」と宥めた。
やがて文帝は冷静さを取り戻し、宮城に帰還して独孤皇后と仲直りした。
独孤皇后も以前から高熲を礼遇しており、夫を連れ戻した高熲に感謝の言葉を述べた。
しかし後日、高熲が自分のことを「一夫人のことで」と言ったのを知ると、
高熲を憎むようになり、以後、独孤皇后はことあるごとに文帝に対して高熲のことを讒訴した。
悲しいかな、文帝は妻の讒言に影響されてしまい、あれほど信任していた高熲を遠ざけ、
ついには彼を罷免し、身分も庶民に落としてしまった。
言葉って大事だね。相手が執念深い人間だと、その場のほんの一言が命取りになる。 鳴り物入りで登場した結果ゴミだった君主と言えば慕容超
父親が死んだの慕容垂と慕容沖のせいみたいなもんだからこいつも含むところあってもおかしくない 煬帝は暗愚のうえ所詮鮮卑だから、日出処の天子...が読みとれなくて渡来系の東漢氏やワニ氏のような倭人よりも学識がないところを露呈してしまった。 舜は黄帝の系譜の一人であり、黄帝の孫の顓頊から六世の子孫にあたります。しかし、顓頊の子で舜の五世代先祖の窮蝉からは平民となっており、小さいころから父親の瞽叟の後妻とその子供から迫害を受け苦しみましたが、父母を敬い母違いの弟を実の弟として接しました。民百姓はこのような舜を見てほめたたえました。 >>616
慕容垂らの造反により前秦の苻昌が慕容徳の子とともに殺害
納の母は超を身籠っていたことから見逃された 符丕の勝利フラグをあっさりへし折った慕容一族
符丕には悪いけど気の毒過ぎて笑った >>620
時代を掻き回して揺り戻しを起こすことにかけては超一流なのが慕容部
文明的な視点では、まさに災厄の擬人化といってもいい >>612
高熲の末路については「一婦人」発言や新婚のすすめを断りながら妾に子を産ませていた件で独孤伽羅に憎まれて終いに自害するはめになっただと誤って覚えていた時期があった。
上にもあるように煬帝の時代に賀若弼らとともに処刑されたのが正しいのにね。
隋唐演義や田中芳樹さんの本のせいかな? >>622
独孤伽羅はどうみても西太后系の害悪系皇后だな
本人が良かれと思ってやってる事が全て国を傾けさせる要因 >>606
美女の多くを司馬炎が掻き集めても
マニア向けのエロ美女は石崇が集めてそうだな
石崇の親父石苞はケ艾と幼馴染で
庶民から出世したのに成金二代目になると性質違ってくるんだな >>611
賈南風は元々性悪だから
親父の賈充も性悪
賈習の血がどうしてこうなった >>602
頼朝も充分AVの世界だと思うが
しかし司馬炎の息子達で司馬衷が一番長生きなのが悲劇
他の息子達はまともに30歳まで生きれてないのがほとんど >>600
皇帝になっても小さい頃刷り込まれた上下関係は覆せないもんだな
キックボクシング習って強くなった広瀬すずでも
未だに姉広瀬アリスは怖いらしい >>628
賈充の生き方が今のシナの運命を決めたといっても過言ではない
神や倫理といった無形のものに意味はない、というのを身を以て示し、誰もが我尽を正当化するようになった
万物が道具であり支配対象、天命すらも例外ではないという考えを持つ支配者層
労働に必要な最低限のもののみを与えられ、迷信や夢を信じて盲従する愚かな家畜
に二分化され、支配者層が家畜に倒されるたび、家畜が家畜以下の存在を作って支配するを繰り返す羽目になった >>629
中国は天命という建前はあるが本質は人間至上主義だね
春秋戦国時代からそう
神なんか必要ねえんだよ!という中華の強い意気込みを感じる >>626
言うても西晋は八王の乱の勝者だからな。司馬No.1。まあ滅びたけど >>631
司馬の母系は北周最後の皇后を輩出したんやぞ
生き残れば勝ちや >>633
司馬令姫? 静帝が直後に死んで、確かに寿命は全うしたかもな。。
司馬越系だと司馬睿が東晋を建国後にすぐ殺されたが、司馬道子の代までは司馬の名前を保っている。 北魏に討伐され西走する夏に勢いで滅ぼされた西秦君哀れ
赫連定って地味に強いよね 賈充と司馬紹は、三国志の中でもトップクラスに嫌い。
三国志演義を読む人のほとんどが、五丈原でお腹いっぱいになって終わらせてしまい、
賈充という人名すら知らない人が多いと思うけど、最後まで読んだら賈充に嫌悪感を持つ人が増えると思う。
もともと演義は面白おかしく話を盛った脚色が著しいが、孔明の死後は書き手にとっても面白みがなくなるのか
脚色は少なくなる。
そのなかでも曹髦弑殺の話はかなり衝撃的だけど、あれは作者の誇張ではなくほぼ史実だという。
後世、東晋の明帝も、御先祖様のこの所業を知って、思わず顔を覆ったくらい。 そら創作なら曹髦って主人公キャラで昭さん悪役で賈充はそのパシリのポジション 魏晋の時代だと皇帝殺害ってまだ少数のケース。それこそ跋扈将軍梁冀以来 董卓も殺したろ?
だけど董卓にいちいち血眼になったりはしない
なぜなら巨悪を叩くことより偽善を叩くことに夢中になる小人が多いから >>638
白昼堂々東京で多くの住民の前で天皇がって状況だよ 「皇帝を殺したくらいで…」という感覚は
南北朝時代ならその通りかもしれんが、
魏晋だとまだ非常に稀で、超えてはいけない一線。
董卓ですら、殺す前にまず廃立という手順を踏んだ。
それでも董卓は十分悪逆キャラだよ。
だから貂蝉を使った連環の計による誅殺というドラマチックな脚色がつけられた。
それに董卓に血眼になったりしないのは、早期に誅殺されて、悪業の報いを受けたからだろ。
司馬氏が叩かれるのは、そのまま帝位を簒奪して、果ては天下統一に成功してしまったから。 >>635
赫連氏もそうだけど
時代が過酷なだけに最後らへんの皇帝でも優秀そうなのが多いね
五胡十六国時代で酷いのって慕容照ぐらいかな? >>630
春秋戦国時代はまだ中華思想自体が未熟
故に周と七雄がスルタンカリフ制のように分業してた
秦が皇帝号を作って名実を合致させた上、天地人を統べる神であると宣言してから、本格的に中華思想が生まれた
漢は秦で明らかになった中華思想の欠点を、なあなあで済まして長続きするように脚色
魏は中華思想の欠点も利点も直訳してしまった結果、支配者すらも弱肉強食レースに乗ることになり自滅
晋は弱肉強食を美辞麗句で繕い、弱者が強者を騙って支配者になれる世を固めようとして、本物の強者を目覚めさせてしまった >>645
皇帝と中華は後世くっついたが元々まったく別のもん
何なら西周からあるし中華思想 日本が天皇権力や将軍権力をひたすら形式化形骸化させていく方向に進んでいったのに
中華はどんなに皇帝が殺されても実質的権力は皇帝が持つべきであるという皇帝絶対主義をやめなかったこの差はなんなんだろうな >>641
梁冀や王莽ですらそれだからな
実行犯または政敵によるプロパガンダ以外では、天命を継承し崩御あそばされたというので誤魔化せた
賈充は中護という皇帝を守るべき職にも関わらず、白昼堂々殺害したあげく、なんの罪も追わないという別次元のことをやってのけた
ハイチュウなし三國志でも、曹髦は殺されても仕方ないクズ野郎でしたと婉曲表現して、天地人を統べる神に落ち度があると見なしてる異常事態
これにより皇帝の価値は暴落し、以後の皇帝が悲惨な目に遭うのは必然となった >>647
皇帝:権力を握って好きにできる地位が欲しい
豪族:私腹を肥やすことへの批判の弾除けに皇帝が欲しい
民:そもそも皇帝がいないと世界が成り立たないと信じていた
三者三様に認識が違えど、シナは誰もが皇帝を必要とする事情があったのに加え
豪族が武家公家法家に分業化して乱以外では共存共栄を図った日本と比べ、全部支配するという欲がとにかく強かったことが要因
更に付け加えるなら、置物皇帝VS専制皇帝が国家単位で幾度も繰り返され、総じて専制皇帝が勝ったがゆえに、専制こそ正しいという認識も浸透した >>650
そいつにどういう恨みがあるかは知らんが、酸っぱい葡萄だと精々言い降らすといいぞ
その程度できみの自尊心が満たされるなら安いもんだ >>647
藤原さんが思いの外上手くいっちゃって前例出来ちゃったから…
地理の違いもあるしね
島国は良くも悪くも小さく完結出来ちゃう
絶えず外の存在が意識される大陸とは根本的に違う 殺す前に退位させたから賈充前はいいの!その後の混乱も賈充のせいなの!とかアホか
歴史オタクらしい、知識披露欲が極論に結びついてしまう稚拙さ 誰もいいとは言っていないと思うが
643とかは董卓は十分悪逆キャラって言ってるし 個人的には曹髦殺害よりは懐帝の恵帝殺害の方がアカンケース
あの辺りから皇帝の命が安くなった印象 >>653
認識のバカさ加減の自己紹介ありがとう
今みたいにネットもない、識字率も低い、言語も地方でバラバラ、文法の形式化も途上っていう環境で、退位後の行動を把握できる者などごく少数
つまり、失脚するまでは隠蔽できたわけであり、今のJFK暗殺の隠蔽にも通ずるものがある
しかも退位ですら、主犯一族は失脚後に族滅されるほどの行為であるという前例が続いていた
直近に退位騒動を起こした司馬師も、前例に引っ張られるように亡くなっている
そういう言い訳すらできないのをやらかしたあげく、行為の正当化というのが致命的
しかも当時の臣下No.2である陳泰をも切り捨てた選択という異常さ
この時点で皇帝権力が崩れたからこそ、司馬炎即位後にすぐ豪族らに翻意させられる憂き目に遭い、扱いも軽くなった >>656
アホすぎるだろ・・・
南北朝までの因果を語ってたはずなのにもう司馬炎限定の話になったのか?
豪族がーなんて言う単純な話になるなら劉邦も劉秀も成功してねえよ
どんだけ頭弱いんだ 八王の乱とか賈氏は三国時代かもな。
五胡十六国スレで語るなら、絡めて語ってくれると。 >>636
司馬紹は東晋の明帝では
司馬昭と司馬紹では致命的な一時違い >>657
南北朝までの因果の話だぞ
司馬炎限定の話であるというのも一切書いてない
お前の勘違いは「司馬炎以降隋以前の国家や君主の知識がありません」っていう自己紹介だ
最初の匈奴漢こそ憎悪が先行する行為だが、その後は漢民族の風習を踏襲しつつ皇帝を惨殺するのが正当化されている
王敦の乱も、元帝にしろ明帝にしろ豪族に皇帝が軽視されているからこその顛末となっている
これも魏末から皇帝の価値を落としてしまったからこその末路だ
劉邦と劉秀は、なあなあで済まして長続きするようにしたと書いたとおりだ
制度や権限突き詰めて駄目になる魏以前だから通用したことではあるが、何百年も続かせた時点で成功の部類
言い訳するならもっと上手くやれ阿呆 >>658
河東賈氏が五胡十六国南北朝時代でほぼ消えてるのは寂しい
潁川陳氏は王朝開いて皇帝に就いたり西遊記でペット孫悟空飼ったりしてるのに >661
玄奘って陳氏なんだな。ジャッキー・チェン、陳寿のようなお茶の間向けの人気者が多い。
司馬氏も歴史から消えてるな。苗字変えてるかもしれないけど。 >>662
南朝梁から飛鳥時代の日本に渡来した司馬達等という人物がいるし、現代中国にも司馬彦という書家がいる。 >>660
あのー
司馬炎以降の話なら君の「情報伝達能力の差から言って退位後の話は隠蔽しやすい」なんて話全く関係ないよね
単に後世の人間は史書で知るだけだよ?本気で気づいていなかったの?
そもそも南北朝においても基本的に退位させてから殺戮してるだろ、どんだけ無知を自白してるんだよ・・・
で、劉邦は劉秀はなぜかなあなあ理論が通じて両晋南北朝ではなぜか賈充の弑逆一つが原因になってると
どんだけ頭悪ければこんなボロボロの理論提唱できんの・・・ >>664
馬を用意する司馬が、倭国で馬の鞍を作る鞍作氏として生きているのは面白いな。司馬も鞍作も、どちらも役職でしかないものがそのまま苗字になっているのが面白い。
最後に記録に残っているのは飛鳥時代に鞍作福利が遣隋使として隋に赴き、帰国しなかったというやつか? まあ、ともあれ賈充の弑殺劇は当時からして悪評だったみたいね。
実行犯の成済が、トカゲの尻尾切りで全責任を押しつけられて、三族皆殺しの極刑となったとき
逃げまどって屋根の上によじ登って
「俺は悪くない! 賈充の奴が『大将軍(司馬昭)の命であるぞ、殺れ』と言ったので、俺はそれに従ったまでだ!」
と大声で全部ぶちまけたとか、
賈充の老母は魏への忠誠心が強く、人前でよく成済を罵っていたが
自分の息子が皇帝弑殺の首謀者であることを知らぬ様子に、周囲の人間は嘲笑していたとか
そんなエピソードが史書に残されている。 司馬炎ってよく司馬衷とか皇太子にしたな
歴代で後継に大失敗してる君主多くいるけどこれは何してもどうにもならないのわからなかったのかな 司馬孚とかいう泣くだけで特に妨害せず
どう見ても西晋創設に協力してるおじいさんはなんで聖人扱いなの >>665
関係あるわな
宮中の奧での密室の抹殺と、白昼堂々の刺殺じゃ全然違う
実際、白昼堂々だったから成兄弟に罪を着せた上で、史書で曹髦を愚弄するというフォローが必要になった
なあなあ理論が通用したのは、前例がなかったのに加え 、皇帝を害する気を起こさせなかったから
王莽以後も、皇帝を害した者が凄惨な最期を遂げたという前例が抑止力になった
それを破った賈充の罪は、調べれば調べるほど重くなるというわけ
質問するならもっと頭を地面に叩きつけて懇願しろ
以上 司馬達等(鞍作)は仏教の国教化をめぐって物部氏と対立したが、蘇我入鹿も鞍作の名を持ち、同様に仏教をめぐって物部氏と対立。
蘇我氏と司馬氏は何か関係があるかもな。
物部氏の神社だった香取神宮と鹿島神宮は物部氏の衰退後に藤原氏の管轄に入ったから、中臣と物部VS司馬と蘇我みたいな勢力図がぼんやりと書けそうだ。 >>670
いや、別に愚弄してないだろ
つうかさっきは隠蔽しやすいという口実で擁護してたのに結局後世に史書でモロバレなんじゃん
馬鹿すぎない・・・?
「前例がなかったから皇帝殺されたんだ」とか言う妄想が意味不明すぎるよ・・・
王莽にはその抑止効果が働いてなかったのになぜかノーカンとか論理ガバガバすぎ
つうかもう退位後に殺したか否かなんてなんも関係なくなってるじゃん
「害する気を起こさせなかった」も何も普通に皇帝称したあとも反乱起きまくってただろ
知ったかぶりやばすぎ・・・ >>669
聖人ではないにしろ、儒教思想での善人の限界を体現してるからじゃね?
そんだけ長幼の序は重い >>672
阿呆
後世でバレなきゃ今も闇の中だろが
それに対して賈充は当時からバレてたから関係者を片っ端から口封じしたあげくフォローが必要になった
愚弄についてはハイチュウなしの三國志見りゃ分かる
「曹丕の気風があり、若さゆえに大きな過ちを犯した」っていう文言で、死を悼む記述も曹髦の行動の擁護もない
落ち度は皇帝にある、そもそも皇帝ですらなく公止まりだという最大限の愚弄よ
王莽はやっちまった側の存在+正当な劉の血族決起というので、王莽に対して抑止力として機能するという考え自体が馬鹿そのもの
おまえの論理は、凶悪な殺人犯に対して遺族が抗議するのに対し、人権ガーと殺人犯を擁護するようなもんだ
そんで最後には起こしまくった反乱を書けないと
いい勉強になったな >>674
高貴公才慧夙成,好問尚辭,蓋亦文帝之風流也;然輕躁忿肆,自蹈大禍。
これが愚弄に見えるとか自分からキチガイって自白してるようなものだろ・・・
どう見ても文帝のように優れていたが軽率さで自ら禍を招いたと書いてるだけだろ
「後世でバレなきゃ〜」も何も朝廷の闇の中でやられた前例がすでにバレてるんですけど・・・
そもそもいつフォローしなきゃいけなくなったか言うクソしょうもない話にすり替わったの?
王莽云々の迷文意味不明過ぎて何を言ってるのかまじでわからないよ
要する都合が悪いから王莽は特例扱いにして誤魔化しますってこと?
劉邦劉秀が皇帝称した瞬間ピタリ反抗勢力も反乱もなくなったとか本気で妄想してるのならもういいよ・・・
無知なやつほどコンプからそういう煽りしてくるんだな
基礎知識レベルすらないと自白してる自覚すらない 最後の3行が捨て台詞で草
構ってもらえるうちが華だぜ小僧 >>676
ええ・・・
マジでこの程度のことも知らない人ばっかなの?
劉邦即位後の反乱の連鎖なんて有名すぎるし
劉秀に至ってはまだ全然統一していないうちに皇帝称してるだろ・・・
どういう歴史観よ、グロすぎるでしょ 日本語不自由ないつものガイジにかまうのも大概にしろ >>675
つまりお前は曹髦の行動、皇帝が部下を成敗するのが軽率だったと信じてるのか
阿呆
その時点で程度が知れるんだわ
王莽に対しても反論できないからと開き直るとか、お前敗北したドリアン海王みたいになってるぞ
しょうもない話を正当化するために、皇帝の権威も道理も風評も全てねじ曲げてるのが賈充の皇帝殺害だ
賈充を腰斬にしてりゃ纏まったのに、司馬昭の選択ミスがとんでもないバタフライエフェクト起こしやがった
>>675の文章の中で唯一まともだから少し嬉しくなったぞ
そんで、いくら力や権威があっても反抗勢力も反乱も一切起きないというのはあり得ないのよ
これは科学の世界でも平方根の法則や存在率、量子論で明らか
つまりお前の理想とするものや認識は、空想ですってことになる
頭ごなしに反発したツケをしっかり味わえ >>679
いや、もう反論に困ってアホな極論しか言えなくなってるじゃん・・・
「部下の征伐だからぁ!」って言えば何でも擁護になるとかバカ殿かよ
そうだね、いくら力や権威があっても反乱や反抗は起きるのになぜか君が賈充の一事に因果関係を単純化してるから馬鹿にしてるだけだよ
劉邦劉邦の事例すら知らんのに知ったかするし
賈充のせいだったはずなのにもうバタフライエフェクト程度の遠因になっちゃったの?
言葉の意味ちゃんとわかってる? >>680
バカ殿かよって発言をしたやつが三公だろうが丞相だろうが皇后だろうが殺せるし、それが正しいと見なせるのが本来の皇帝よ
それを度量の広さで許すことで間接的に力を示せたのが漢
実際にやってのけて戦慄させたのが秦や魏だった
でも賈充が皇帝を白昼堂々殺害し、最後の抑止力がなくなったから、凌遅刑なんて生まれるきっかけになった
だからバタフライエフェクトなんよ
やったことはとんでもないが、誤魔化しの理由や方法がしょうもない
自己保身と私情のために、天地人を統べる神をただの肉片にしてしまった賈充
甥っ子の義父を罪人にできないからと下手な保身に走り、簒奪の道しか歩めなくなった司馬昭
神のように隠れたという言葉が使えない死を与えたにも関わらず、罪に問われないという前例を作った影響は大きいが
そうなった切っ掛けは些細なものでしかない >>681
後漢の外戚宦官、董卓李傕ら、曹操の傀儡皇帝が続いたあとの時代に
「本来の〜」とか言うずれた理想論を述べて
なぜかそれが因果関係の証拠になると思ってるお前の思考がしょうもないよ・・・
陳寿のほうがお前よりまともに現実を見てることは高貴郷公への評が愚弄であることを意味しない
つうかだからバタフライエフェクトとか意味もわかってないのに言葉使うなよ・・・
バタフライエフェクト起こしたから罪が重いとか言い出すやつがいたらキチガイなんすけど >>682
全然違うズレてないんだな
あとの時代である魏がそれをやってのけてるんだから、少なくとも曹丕曹叡までは通用してる
答えに窮して陳寿頼るのも遅すぎだし文章も変
「陳寿のほうがお前よりまともに現実を見てること」は「高貴郷公への評が愚弄であることを意味しない」
本来別々の文章なのに無理矢理関連付けようとして失敗してる
よくこんなの書けたな
んで、バタフライエフェクトについては言い訳浮かばず再度ドリアン海王か
清涼剤としては役に立ったぞ 鎧袖一触の連続ののちIDコロコロ、オチはNGにしてくれと懇願
まさにBUZAMA 荒れんな
どうせ自説を互いに押し付けあってるんだろうが何の意味も説得力もないぞ 曹髦の件では王経も巻き添え食って母親と一緒に処刑されたけど
王経が母親に謝ったところ、こういう死に方ならいいんだ、と言ったエピソードは好き >>683
はあ・・・
秦漢から「本来の皇帝」とやらを述べていたはずなのに
急に曹丕曹叡限定の話になったのかよ
遅すぎも何もお前が陳寿の評を根拠にしたから反論しただけなのに脳内でどう因果関係改竄してるの・・・?
陳寿が軽率と評価したことを君は愚弄とみなしたんだよね?
しかし実際には陳寿はただの現実主義から軽率と評価したのでば全く賈充擁護のための曲筆の類ではない
現に君は「本来の皇帝ならぁ」とかいうアホな理想論しか根拠に挙げられていない
という話をしていたのに何一つ話理解できてないじゃん・・・
バタフライエフェクトっていうのはね・・・
小石蹴飛ばしたら世界大戦起きちゃった、というようなものであって
君は「賈充は小石を蹴飛ばしたから罪深い」とか大真面目に言ってるキチガイっことになるんだよ・・・ >>687
司馬炎が王経の名誉を回復して遺族取り立ててるのは流石に後味悪かったからだろうか >>687
王経は元農民だから母親も農民なので
息子の才覚で望外の富貴に恵まれたので母親的には
王経の反逆罪三族死刑の最後でもオーケー()だったのかもしれない
王経は何度も失脚したり姜維に大敗したりで実はあまり才覚感じないが
人に恵まれたのかもな
王経を見出した同郷の清河崔氏の崔林だが
子孫が独孤信の後妻になって独孤伽羅産んでるのな >>688
>小石蹴飛ばしたら世界大戦起きちゃった、というようなものであって
実際、小石のようなもんだと無碍にしてた結果、殺害せざるを得ない騒動になったんだがな…
バカすぎ >>689
トウガイの件といい、父親がやらざるを得なかったことの尻拭いしてる
統一前の炎は、与えられた立場に対して最善を尽くそうという気概がまだ存在していた
統一後は快楽に振り切れたけど
>>688
・シナは前例踏襲であり曹丕曹叡限定でははない
・ミラーリングで言い訳を続ける
・現実主義で皇帝を貶めたのは文字どおり賈充である
・本来の皇帝像とは、武帝が最上位の諡号となってからは常に強権専制君主である
・自信の論理破綻を認めず理解不能連呼
役満どころかチョンボしとるやんけ 賈充は司馬氏に取り入り、奸智を駆使して司馬氏の王朝簒奪に貢献し、
西晋の「建国の功臣」として、娘を皇后に送り込むほどの栄華を手に入れたが、
その娘が晋の王室をかき乱して内乱の元凶を作り、
結果、西晋は内戦で自壊してしまい、さらには異民族に攻め込まれて滅亡。
その一方、わが世の春を謳歌していた賈氏一族も、司馬氏の王族によってことごとく誅殺。
結局何したかったんだよ…というような結末に。
因果応報、悪謀で手に入れた栄華は長続きしないという好例か。 >>693
司馬懿に人生を壊され、師に畜生道を与えられ、昭と弱味を握り合い、炎に気を遣わせる重鎮となる
やってることは最低最悪だが、仕官から辿っていくと多少同情はできる
立ち止まるのを拒否して自己保身に邁進した結果だから >>688
バタフライ効果どころかいまもだけど弊害を無視して何かやってってのばかり 賈充や西晋、八王の乱の話題はこっちでやってくれ。スレチだし、三国志が好きなやつばかりとは限らない。
正史『三国志』 三十二巻
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1536187646/ 曹魏西晋は、漢趙の興亡の原因、北魏から南北朝となった理由の知識として大事だからね…
ステレオタイプ異民族ヒャッハーしかない時代として談義するなら不要だけど 八王の乱抜きで五胡十六国時代を語るのは無理だろw
すべての元凶なんだから 三国志スレではスレチと言われ五胡十六国時代でもスレチ扱いの八王関連 >>702
司馬ばかりで分かりづらい、どの司馬が八王なのか分かりづらい、(だいたい越のせいだけど)対立構図が分かりづらい、オチが劉淵劉聡になる
というので敬遠されてとりあえず内ゲバした司馬家が悪いというのに纏まりがちな八王の乱
でも一個一個紐解くと、今まで漢民族が積み重ねてきた制度の破綻が凝縮されているという魅力的な存在になる
劉秀になれる資質のあった司馬乂の偽善が、物質主義の浸透で陳腐化する様や
皇帝自称か譲位かで揺れつつホイホイ皇太弟の座に釣られる炎の血族たちや
もぬけの殻になった洛陽に居座る裸の王が匈奴にわからされるオチなど、カタルシスを感じる場所も随所にある 八王がスレ違いなら劉淵の人生のほとんどは語れないし劉聡劉曜石勒も前半生はスレ違いということになってしまうやん >>706
スレは編年体だから。なんでそこで列伝? >>683と>>688みたいに主張強くて周りを見渡せない人達が意地張って内輪で延々レスバしてたのが八王の乱っすw
その後スレがガチの荒らしに攻め込まれて五胡十六国時代が始まった 俺がこの混乱を収めてやる
その前に一度左国城へ帰らせてください 関係あることを言っても関係ないという人間には何を言っても無駄 >>710
おお!劉元海殿が匈奴の精兵を率いてくだされば、醜賊共もたちまちのうちに地に伏すことでありましょうな >>713
石敬瑭「ワイが晋復活させたで」
西晋東晋よりも酷いな後晋
どうせなら「晋」でなく「趙」名乗れよと >>714
再現は無理だろな
準優勝チームの傘下にいた知識人が家族に突き上げ食らって蛮族になったり、名前借りて弔い合戦しかける酔狂者が出てこなきゃいけない
今回は、賈疋に何度斬首されても死なない成都王を見て、盧志も汲桑も石勒もドン引きして去ってる感じ 趙庶人は悪く言われるけど今の政治家も会社上層部もみんなそれ以下じゃん >>718
趙王は大失敗した劉邦苻堅かつ、劉邦式統治はもう通用しないという見せしめの例になった存在
・反賈南風勢力を全部背負う
・開祖を宣帝まで遡って皇帝になる
・恵帝を廃位ではなく太上皇という新ポジに置く
・部下に委任しまくり自身はゴーサインのみ
と破天荒なことやってるわりに御輿としての要点を抑えていたから、宗族だけでなく陸幾ら中間層まで取り込んでる
問題は、賈南風勢力がいなけりゃ誰もが特権階級になれると踏んでたこと
でもそんなリソースはないから小分けになり、結局は納得できない者同士の奪い合いになる
制度化により妥協なんてものは一切なく、趙王は御輿であることが求められる存在だから止めもしない
これが原因で政権奪取してから反賈南風勢力は空中分解した
しまいには賈南風が消えたことで担ぎやすくなった恵帝が再評価され、趙王は責任負って消滅というオチ
しかし根本的解決にはならず乱が継続したのは皮肉なことだ 5chという便所の落書きが業績になるといいですねw 梁が変だよな。皇帝菩薩に宇宙大将軍。バグみたい
司馬氏はこの時期梁から倭国に渡って、神社を主宰する物部氏と争い勝って仏教を広めたのだが、遣隋使のタイミングでは煬帝と噛み合わず浦島太郎の状態だったのかな? 司馬達等の倭国における居留地が、今の大阪市平野区。
加美って、神と同じ音だ。しかも司馬遼太郎の生家までこの辺だったらしい。本名は福田
https://kami-sugahara.wixsite.com/home/kuratsukuri わぁ、これが統万城ですかー
壁にいろんな死体が埋まってますねー 向こうに機嫌の悪い赫連勃勃がいるんだ。
あとでそこへ行こうよ 勃勃主催の武具コンペは、職人にとって命がけで恐ろしいものだった。
武器と防具を競わせ、
武器が防具を貫通すれば、ペナルティとして防具職人が殺され、
逆に防具が武器を防げば、こんどは武器職人が殺される、
つまり必ず誰かが殺されるという、いかにも勃勃が好みそうな恐怖のイベントだった。 >>692
・前例踏襲のはずなのになぜか後漢の傀儡皇帝は無視し
・自分が「愚弄」の根拠、内容として挙げた陳寿評を何故かごまかし
・皇帝を貶めたのは賈充だ!だのなんの反論にもなっていないことをかじょうがきし
・恣意的に「本来」を決め後漢の前例を無視する説明は何一つなく
・「理解不能」などということは一度も言っていないのに明確な妄想に逃げている
もはや自分でも何を言ってるのか記憶すらできていないだろう >>728
赫連勃勃は「矛盾」の諺を実証した科学者ともいえるな
「矛盾」は『韓非子』に載ってるから周以前の話
それまで誰も検証してないとか今まで何やってたのかと >>729
>・前例踏襲のはずなのになぜか後漢の傀儡皇帝は無視し
桓帝始め本人が強く望み、世論が外戚を否定すれば権力復帰が可能
また公の場で玉体を害するなど不可能であった
魏末は司馬昭賈充が世論をねじ曲げ専横、晋末は世論が皇帝を見捨て首都崩壊という大暴落を起こした
>・自分が「愚弄」の根拠、内容として挙げた陳寿評を何故かごまかし
711で指摘のとおり絶対に認めない相手への唾棄
史書の筆法としてオーソドックスな婉曲が分からないと自白した相手への最適解
>・恣意的に「本来」を決め後漢の前例を無視する説明は何一つなく
前例を踏襲しているからこそ賈充による価値の暴落が明らか
霊帝どころか少帝すらも政治において必要な存在であり、廃位はあの曹操すら否定
>・「理解不能」などということは一度も言っていないのに明確な妄想に逃げている
迷文意味不明過ぎて何を言ってるのかまじでわからないよという発言をド忘れ
ミラーリングで自己逃避
哀れ >>732
壊れたら無敵の矛でも盾でもないから駄目でしょ
聖闘士星矢では両方壊れていたけど
でも盾の方が有利だろうね
矛で突き刺すのは難しいけど同じ硬さなら盾を貫けないし
貫かれなければいいから使い勝手とか重さとか無視できるし >>729
>>731
この二人は互いに自分の方が頭いいと思ってそう ドチモドチは支配者の特権
責任比率を10:0から5:5どころか3:7まで持っていく 争いは同じレベルの者同士でしか発生しない
という故事成語があるからね >>737
カスみたいなチンピラでも聖人に喧嘩売ることはできるんだよなあ >>739
それグノーシス主義で神や聖人=白痴って救いようのない結論になるパターン >>739
聖ってのは耳と口があるってことだから
まともな耳でまともに話を聞けて、口で言えれば聖人 >>743
もっと正確には耳と口と王だから
庶民でもエンペラー吉田ぐらいの
皇帝の称号を持つ徳を積んだ偉人でないと
聖人とは認めがたい 殷の紂王の息子?の王子聖は原文だと下の王がないみたいだよ
エンペラーヨシダ???
ハラじゃなくて 司馬遼太郎は司馬氏にゆかりのある大阪加美近辺の出生。
ノモンハン事件に従軍した時は、どんな気分だったろうな。
間接的にとはいえ、司馬氏を滅した鮮卑が勃興したフルンボイル草原。そこで勝ち目のない理不尽な戦いに動員され、ソヴィエトの兵士と殺し合う。ハイラル要塞の近辺に住む鮮卑の現地人と接するに、ひと方ならない思いを抱いたかもしれない。 多くの場合、監査部署には、若者や一般職(権限の軽い者)が置かれることがある。 >>748
司馬遼太郎は1923年生まれでノモンハン事件(1939年)当時は中学生だけどな
確かに司馬遼太郎は後に満州関東軍の戦車隊に配属されたがノモンハンから5年後の1944年で
更に終戦当時は栃木県佐野市に居たので司馬遼太郎はノモンハン方面には行った事がないぞ
司馬遼太郎のノモンハン事件や司馬氏や胡十六国南北朝時代についての造詣は
このスレ出入りしている人全員束にかかっても敵わないのは衆目の一致するところなのは認める 西晋を興した司馬氏のふるまいは、五胡時代すでに評判が悪かったらしい。
石勒は
「大丈夫たるもの、大事を成すには白日のもとで正々堂々と行うべきであって
曹操や司馬懿父子のように、卑怯なやり方で天下を盗るような真似はしてはいけない」
と述べたし。
一方の東晋では、簒奪に意欲を燃やしていた桓温も、その野心をくじかれたとき、
「男子として生まれたからには、悪名でもいいから後世に名を残したいのに、
俺は文景(司馬師と司馬昭のこと)の臭も残せないのか!」
と嘆息したという。
どちらも悪しき見本として創業期の司馬氏を挙げている。 >>751
旧孫呉地域出身の虞預や干宝は司馬氏(司馬懿)ベタ褒めだけどなw >>750
1944満州の四平陸軍戦車学校入学
1945本土防衛のために佐野に配属 >>752
立場の違い
司馬氏は皇帝を置物から道具へ格下げし、貴族の蚕食を容易にしたからこそ
治世のための強い皇帝を志向する者にとっては人間の屑、皇帝を道具にしたい者にとっては人間の鑑になる
孫呉は皇帝が道具化を嫌ったから、成功例の司馬懿はさぞ持て囃されただろう >>747
殷侯として封じられた武庚禄父は金文では王子聖(耳口で下の王はない)
彔子聖や彔子耿と発掘資料にあるが
彔子の意味は不明だが、王子と呼びたくないからなのは明白
聖(耳口)と耿はどちらも発音が似ていてコウみたいな音らしい
一説には(学会では認めない)
朝鮮侯の殷叔の養子になって王位を継いだとか 殷の紂王(帝辛)は先帝を文武帝としていて
史記等にある帝乙は卜辞(甲骨文)では見つからない
ただし、周側の記録で文武帝乙とあるので間違えたか先代を理由があって否定したか
王子聖は帝辛の弟、もしくは先代の子かもしれない
または辛とか乙が氏族名(名字?)で別族の可能性もある 前涼の白興という人は自分の妻を廃して娘を妻にしたのて張駿に誅殺された
なんやこいつ…
マイナーだけど面白いやつだな 力と知恵はあっても勇気がない、というのが石虎
圧倒的な武功だけでなく禅譲の手際の良さ
治世で時折見せる漢文化への造旨の深さ
現場の将軍よりも的確な指示が送れる空間把握力
どれを取っても優れているのは間違いない
反面、勇気のなさが治世の地味さを生み出した
他者に委任する勇気がないため神経質になり
都を空ける勇気がないことで親征ができず肥え太り
自身の選択を信じる勇気すら失い宮中に籠り
独断しないであろう末子を立てて国を傾かせた
石勒の資質の中で最も優れていた勇気こそ、石虎に必要だったというのが感慨深い >>762
石虎は『ゼルダの伝説』のトライフォースでいえば
ガノンドロフ(力)とゼルダ姫(知恵)のトライフォースは持ってても
リンク(勇気)のトライフォースを持ってないという事か
残念ながら石虎にはマスターソード(退魔の剣)は持てなかったという事で
ボードゲーム『お化け屋敷ゲーム』でいえば石虎は
のっぺらぼうとか河童とか(「力」「知恵」が弱点)には勝てるが
フランケンシュタイン(「勇気」が弱点)には負けるという事か この時代はアホアホな皇帝もかなり輩出してるよね。
どこの皇帝だったかは忘れたが、
お気に入りの妃が「城が落ちるところが見たい」と言うので戦争に連れて行って
敵の城を総攻撃。ただし
「朕と妃の輿が現地に到着するまでは落城させてはならぬ」と厳命したので
軍は落城寸前までこぎつけるも、一時中断して帝の到着を待った。
ところが妃が化粧に時間がかかって到着が遅れてしまい、
その間に敵方は防衛体制を強化したので、結局城を落とすことができず、すごすごと退却。
中断さえなければ完全勝利だったのに、命がけで戦っていた現場の士卒の心境や如何に。 というか
いきなり二人目の皇帝である二世皇帝が
「馬鹿」の語源となるイベントをやらかした超アホだしな キチガイの振りして
ると見せかけてほんとにキチガイだった慕容超さん キチガイの振りした
と見せかけて結局キチガイだった慕容超 >>765
『馬鹿(バカ)』の語源はサンスクリット語で
「癡、愚か」を意味するmohaの音写である
『莫迦(バカ)』の読みからくるとする説がある
二世皇帝胡亥のだと『馬鹿(バロク)』(音読み)もしくは
『馬鹿(うましか)』(訓読み)なので 北斉は慕容部ウィルスに感染したのかと思うほど基地外の宝庫
北周に対して3〜4倍の国力があったのに捲られるとか舐めプにも程がある 北周は西魏時代に漢中と益州と北荊州を獲得してるから北斉との国力はかなり縮まってる ギリギリの状況で良く戦った宇文泰に比べると宇文邕の東征は色々雑
でも相手がびっくりするぐらいカスだったので勝てた あれほどあっさり北斉が潰えるとは、北周側も想定していなかった。 武成帝は段韶と斛律光、そして高長恭をうまく使えてるところを見ると
軍事面ではやはり高氏の才能を出してる >>773
段韶が一番優秀っぽいのに一番マイナーなの悲しみ >>775
段韶は斛律光の1年前
高長恭の2年前に死んでるからじゃないかな
多分2人よりも長生きしてたら死んでる暇ないぞ 世襲は難しいよね。
名君の子が名君になるとは限らんから。
北周なんてもともと暗君が少なくて、武帝の代で天下統一に王手をかけた状態までいったのに
その後を継いだのが天元皇帝だからなあ。
外戚の普六茹那羅延(漢名楊堅)に美味しいところ全部持っていかれちゃった。
もっとも、漢民族にとってはその方が良かったかも。
北周の国是である鮮卑民族主義を「漢魏の旧に復し」たのは普六茹那羅延改め楊堅だし、
もし宇文氏が中華を統一していたら、今ごろ現代中国語は鮮卑語ベースで、
中国人の名前も、孫文とか袁世凱とか習近平ではなく、「破六韓跋乙根」とか「叱奴干骨羅弗」みたいな名前になっていたかも。 >>777
たかだか100数十年前まで中華全土を長期間支配した満洲族でさえ固有の民族名を名乗り続けたのは国姓の愛新覚羅ら一握りで、大半は一字か二字の漢族風の姓に変えているから更に昔の鮮卑風の姓など後世まで引き継がれる訳ないよ。 現存している複姓
https://kknews.cc/culture/6yrbbv.html
さあ、このスレの諸君ならどれが鮮卑系か抜き出せるはずだ 満州族が漢姓を名乗るようになったのは辛亥革命以降でしょ。
漢化とか利便性ではなく、反満感情に満ちた時世で弾圧を逃れるための方便に過ぎなかった。
それに清と北周の違うところは、北周は漢族にも鮮卑姓を与えたこと。
北魏の孝文帝と真逆で、少なくとも言語や姓名においては中国の鮮卑化をはかっていたと思われる。
楊堅が漢語と漢姓に戻しても、独孤、宇文、慕容、呼延、尉遅などの胡姓は隋唐以降も残り、
今は漢姓としてわずかながら現代中国人にも存在する。
もっとも北周王朝が続いていたとしても、
江南を併合して漢人の比率と影響力がさらに高まると、やがて鮮卑化政策を廃止せざるを得なくなってたかもしれんが。 >>779
爾朱とか禿髪ってもういないのか
斛律もいないな
独孤、拓跋、慕容、宇文、赫連、尉遅とかはまだ残ってるようだが >>780
辛亥革命以前に既に漢族風の姓に変えている満洲人はいる。例えば『駱駝の祥子』等で有名な近代中国の作家の老舎は辛亥革命以前の1899年生まれの満洲旗人だが本名は舒慶春で舒は宋代の代表的な姓を載せた「百家姓」にもある古来からかの漢族風の姓である。
これとは逆に漢族ながら満洲風の姓を与えられた者もあって、例えば明末にヌルハチを敗死させるなど明軍の中心として後金と戦いながら讒言によって凌遅刑に処された袁崇煥の子の袁文弼は清に仕えて漢軍八旗に属する旗人となり袁佳という満洲風の姓を与えられ、その子孫も清末に太平天国と戦って功績を挙げた袁崇煥の7世の孫は袁佳・富明阿(フミンガ)と満洲風の姓名を名乗っている。 >>781
爾朱氏は朱氏
禿髪氏は源氏
斛律氏は斛氏
を名乗っている子孫居るような 孝文帝の漢化政策の反動なのか、東魏・西魏・北斉・北周時代は
複雑怪奇な胡姓を名乗る人物が、むしろ五胡時代よりも頻出するようになるが
これも隋唐時代になるとだいぶ落ち着く。
それでも独孤、宇文、慕容などの胡姓が後世まで残ったのは、北族の中でも特に貴種で
漢族社会の中でもそれなりのブランド、浸透力を持っていたからだろうか。
「尉遅」はもともと名門ではないかもしれんが、
唐の尉遅敬徳が凌煙閣二十四功臣に挙げられるようになって箔が付いたか。
元鮮卑人が多い漢姓としては、源(禿髪氏)、長孫(拔拔氏)、陸(歩六孤氏)、竇(紇豆陵氏、破野頭氏(匈奴系))など。
陸氏も竇氏も古代からある漢姓だが、唐代の史書に出てくる著名人はやたら鮮卑(もしくは匈奴)の帰化人が多い。 >>779
独孤、万俟、尉遅、慕容、長孫、宇文、拓跋、達奚
そのリストには現存の鮮卑系姓の中でも比較的多い「叱干」がない
赫連、呼延は匈奴系
賀蘭とか斛律とかかっこよさそうなのに残ってないのか >>783
復姓を単姓に変える事は多いからな。
例えば夏侯から夏や南宮から南に変えているし、諸葛などは元々は諸城出身の葛だから諸葛にしたのに葛に戻したり諸に変えたりしている。 >>780
清はチャイナプロパー得てからも、税制浄化で漢民族十倍増加というアホみたいな展開に襲われたからな
明代どころか過去の王朝時代からの流民が大挙して押し寄せた 三国〜唐初はやたら人口少ないけど部曲・流民・兵戸・奴隷あわせて5000万近くキープしてた可能性あるかね? >>788
南北朝あたりからはそれ以上に膨れ上がってた可能性もある 南北統一から20年まだ高句麗遠征も行われていない609年の隋の戸籍登録人口が約4600万人で実質的には5000 万人を超えていたとして、それより前の五胡十六国から南北朝は約3000万人台から4000万人代で5000万人は達していないと思われる。 戦乱の時代は、統計に反映されない流民の数が半端ないからね。
あと定住地を持たない遊牧民も戸籍には登録されないか。
さすがにこの時代の北族は定住してるやろと思われるかもしれんが、
唐の高祖李淵の夫人である竇氏は匈奴人で、オルドス地方で遊牧を営む費也頭集団のリーダーの娘。
この父親は北周の上柱国でもあった。
もともと劣勢だった北周の勢力が大きく伸びたのは、この匈奴遊牧集団の軍事力によるところが大きいと言われている。
南北朝末期でも、国家の重鎮が遊牧を営んでいた。 5000万人とかでも現日本人の人口の半分も居ないんだな・・・
五胡十六国乱立に至っては1国が日本の地方県レベルだったり >>791
竇熾とかそんな感じ全然しないんだがほんと? 隋唐の頃の日本の推定人口が4〜500万で大陸の10分の1くらい
まあそんなもんじゃねという気もしなくもない >>785
中国古装ドラマにはアクセント的に1人2人は複姓キャラが設定されている気がするが、何か賀蘭さん率は高めではないかと思う。 >>791
後漢とか地方を支配できていなくて実質地方政権だったとか >>793
竇熾は養由基級の弓の名人で騎射が得意な人だから
むしろ遊牧を営んでたという方が自然でよくわかる
しかし竇熾と護衛兵2名が東魏軍に囲まれて
雨霰と降り注ぐ矢を拾っては射返して敵兵倒しまくるとか
まるで真・三国無双の世界だなw >>794
現代の日本の人口が約1億2000万人で中国の約14億人(もっと実際は多いらしいが)の人口の10分の
1くらい、また日本の推定人口が始めて1000万人を超えたとされる室町時代中期の16世紀は同時期の明の推定人口は約1億人と見られ、元和偃武以降の泰平が続き人口が急増した江戸時代の日本の推定人口が2000万人を超えた18世紀は同時期の清の推定人口は約2億人を超えたと見られるように、どの時代でも日本の人口は中国の10分の1くらいだったと思われる。 >>295
賀蘭は中国で2020年に行われた調査で約1万人で複姓だけのランキングで10位に入っている。
ちなみにベスト10は
・1位ー欧陽(約111 .2万人)
・2位ー上官(約8.8万人)
・3位ー皇甫(約6.4万人)
・4位ー令狐(約5.5万人)
・5位ー諸葛(約4.8万人)
・6位ー司徒(約4.7万人)
・7位ー司馬(約2.3万人)
・8位ー申屠(約1.9万人)
・9位ー夏侯(約1.1万人)
・10位ー賀蘭(約1万人)
で鮮卑由来は賀蘭だけのようだ。 欧陽だけ多いなあ
単姓化した欧氏ってのもいるのにどうして
この時代なら陳の欧陽頠がいるね
孫が欧陽詢 >>799>>800
ちなみに韓国で2010年に行われた調査のベスト10は
・1位ー南宮(約1.8万人)
・2位ー皇甫(約1万人)
・3位ー諸葛(約5千人)
・4位ー司空(約4千人)
・5位ー鮮于(約3千人)
・6位ー西門(約2千人)
・7位ー独狐(約1千人)
・8位ー東方(約3百人)
・9位ー長谷(約60人)
・10位ー岡田(約50人)
長谷と岡田は日本からの帰化だが他は中国からの渡来したもので皇甫と諸葛は中国と韓国の両方でベスト10入りしている。 >>798
むしろ、中国の人口推移に日本の推定を寄せてるんじゃないかという >>802
中国の場合は1世紀の前漢末から19世紀の清末に至るまで各王朝の最盛期の戸数もしくは人口の記録が残されているが、日本の場合は10世紀の平安時代初期から16世紀末に豊臣秀吉が太閤検地するまで全国範囲の戸数もしくは人口調査の記録が残っていないので、より確実性のあると思われる中国の推定人口に日本の推定人口を寄せている可能性はあるな。 匈奴姓の「独孤」が、韓国でベスト10入りしているのが驚き >>804
韓国の独孤姓の始祖は唐から新羅に帰化した独孤公舜で河南の南原出身なので、その子孫の本貫(宗族の発祥地)は南原独孤氏としているが韓国の独孤姓の本貫は南原独孤氏だけである。
ちなみに韓国には独孤声(故人)・独孤永宰・独孤俊と親子三代の俳優一家がいるが、これらは芸名で本来の姓は全である。 韓国の姓といえば「金(キム)」が人口の約2割とかもう近親相姦レベル
「金(キム)」て匈奴人の金日磾の末裔を名乗ってる奴多いけど
どうみても詐称なので赫連勃勃が激怒して皆殺しにされてもおかしくない
そういや話変わるが末期の李氏朝鮮は
王族・両班(支配階級)約48%、平民約20%、白丁(奴隷階級)約32%という歪な世界
普通の社会では支配階級は約10%でそれを超えると国家破綻する
遊牧民族は支配階級多いイメージあるがそれでも社会構造は朝鮮に比べたら遥かにまとも まあそれは当たり前の話で
日本で言えば源平藤橘の姓だけが存在して苗字がないから
徳川も足利も細川もみな源名乗ってるようなもんだし 源平藤橘だけってよくいわれてるけどたとえば毛利氏なんかは源平藤橘どれでもない大江氏やろ 靳準の乱で靳一族は滅ぼされたけど
後趙末期に出てくる靳豚って何者なんや?
名前に豚を入れる代わりに助命してもらったんか? >>808
源平藤橘と言うが橘氏は他の三氏に比べて少ない。
例えば江戸時代初期の諸大名と旗本以上諸氏の系譜集である『寛永諸家系図伝』は各家を姓氏で四区分しているが、それは清和源氏・平氏・藤原氏・諸氏で橘氏は諸氏に含まれている。
ちなみに儒者の林羅山が『寛永諸家系図伝』の編纂を行ったが彼は序文で「蜀漢の劉備が中山靖王(劉勝)の子孫だと言ったり、趙匡胤が趙広漢の末裔だと言ったりしているのは途中の系図が切れていて疑わしい。戦国武将の系図にも同様の例が多い」と、わざわざ例に出して劉備や趙匡胤をdisっている(w >>810
孫武の子孫・蕭何の子孫・楊震の子孫・李耳の子孫「ヨシ!」 >>811
劉交の子孫・陳寔の子孫「朕たちもヨシ!」 >>809
靳豚は数十文字の文の中に名前があるだけで
情報少なすぎて出仕がよくわからん
靳姓は黄帝の孫の顓頊の子孫名乗ってて
春秋戦国時代の楚の屈原の同僚の靳尚とか昔から居るから
靳準の乱で靳準一族が殺されたぐらいでは絶滅せんよ 日本の武士がみーんな、源氏、平氏、藤原氏の末裔を名乗ってるのは面白いよな。
お前ら全員、中央貴族の血筋なのか。純血の坂東の土豪は一人もおらんのか、
坂東からは一人の丈夫も輩出できないのか。
伊東、大庭、北条、三浦、和田、千葉、上総、畠山、梶原、
この辺はみんな平氏らしいけど、本当にみんな桓武天皇の子孫なの?
織田信長は最初平氏を名乗ったが、室町幕府を滅ぼしたら源氏に鞍替えした。(征夷大将軍を意識か)
家康も、上州得川(とくがわ)を発祥とする足利系源氏の末裔と称した。
まあスレチだからこの辺にするが、やたら貴種をありがたがるのは日中を問わないんだな。 家系図偽造が大好きなのもあるけど
遺伝子で父系が入れ替わるってよくあるのと子孫を残せる男が力のある奴になるから意外と子孫なのかもしれない
皇帝の最も近い子孫が大井町の眼科医だし >>814
海外貿易(明国)だと源姓名乗らないと相手してもらえなかったくさい
明の文書だと豊後の大将源義鎮(大友義鎮)とか周防の大将源義隆(大内義隆)とか名乗ってるから そうかな将軍源何々で相手にされず、准三后の称号を受けてとかあったし
単に倭国王倭満だかみたいに中国向きに中国形式姓を使っただけじゃ
秀吉や宗氏も平のを名乗ってたみたいだし 最近は教科書にまで隋唐が拓跋王朝とか拓跋国家と書かれるようになってるけど
拓跋を強調しすぎ
武川鎮から出てきたのと府兵制とかの制度継承からしたら宇文王朝といったほうがいいのでは
女系的には独孤王朝だな
独孤信は日本では浅井長政みたいだ >>818
北魏と唐は別物だわ
南北朝の新書でも拓跋国家は言い過ぎって言ってた 日本では歴史に大きく名を残し、多くの武士の起源ともなった源氏だが
その「源」氏の起源は中国の北魏。
禿髪破羌が北魏に帰順したとき、太武帝は喜んで迎え入れ、
拓跋(タクバツ)と禿髪(トクハツ)は起源が同じだとして、「源」姓を与えた。
破羌は名も「賀」と改め、源賀と名乗るようになった。
「はげ頭、羌を破る」から「源賀」へ。雅でいいですな。
しかし中国の源氏はその後ほとんど名を残さず、歴史の表舞台から消えてしまった。 正直
隋唐を異民族系と強調したいのって歪んだコンプだろ >>822
ハゲだけでもヘイトスピーチなのに「羌を破る」とかひどす >>823
西方からの影響を強調し過ぎな感じ
南北朝以前も周だって秦だって西戎とか揶揄されてたわけだから(晋書劉元海戴記より) >>821
会田大輔の新書を読んだのか
あれ、単調な通史みたいでかなり挑戦的な内容だったよ
文宣帝の狂気、梁武帝の捨身、北周宣帝の享楽とか
南北朝の酷いところの見どころに合理性を与えてるってのが個人的な印象
それと、孝文帝の洛陽遷都は南朝を征服して中華を統一するためってところ
一般的には、南伐すると見せかけて遷都したのは漢人になるという文化的な面が強調されるが
それと、宇文護がかなりの高評価 梁武帝の捨身に政治的な意味があるのは
河上麻由子「古代日中関係史-倭の五王から遣唐使以降まで」 でも触れられてた
梁武帝は捨身中に法話やったりしてて単に寺男として暮らすつもりはなかったって解釈 >>818
八国柱十二大将軍から隋唐王朝出てるのは
人口3000人の町で五輪メダリスト4人出るぐらいの驚異的確率だなw
宇文王朝でいいと思うが宇文泰や高歓や隋唐創始者の先祖の他にも侯景まで
爾朱栄の配下だったと思うと爾朱王朝(武川鎮王朝)ともいえる >>822
唐代に源乾曜とか宰相級の人物がいる。
名を残していないとは言えない。 >>826
宇文護の貯金を宇文ヨウが派手に使って北斉ボコったようなもんだからな
イニシアチブが誰が握るかが暗殺の焦点であり、路線自体は宇文泰同様にきっちり国力と結束を高めてた 宇文護は内政では貢献したけど外征は失敗続きで良くないだろ
名将のいる北斉に負けまくるのは仕方ないとしても同盟する前の陳にも敗戦して巴州や湘州の獲得失敗してるし >>817
慶長文禄の役では明もかっこつかないので
捕虜になった日本兵の中から
平正成と平秀政という大将を仕立てて
凌遅刑で処刑したという…
そんな大将は日本には居ません >>829
現代にも源菲然という香港出身の女優(1999年生まれ)がいるな。
>>835
足利義満も豊臣秀吉も明は平と呼んでいるか平という姓の武将なら格好つくと思っていたのだろう。 源って名字だとアフロの人たらし刑事しか連想できんのだが 源純夏「シドニーオリンピック銅メダリストの私を忘れんといて」 中華では源姓よりも平姓の方が歴史古い
(確か春秋戦国時代の韓哀侯の子の韓諾が祖)
なのに圧倒的に源姓よりも存在感薄いのな・・・
この時代でも平熙とか平季とか居るのに
如何せん禿髪の強烈さには霞む >>842
錦衣衛「はい。キミ頭髪の量にハンデキャップを抱えた人に対するヘイトスピーチね。今から取り調べするから」 禿髪といえば
禿髪樹機能
上の名前も下の名前もインパクトある
樹機能の頃の禿髪部は
イナゴのように襲来して略奪して荒らし回るだけのガチの蛮族だったけど そんな禿髪が南涼そして伝説上は吐蕃まで建国するとは 吐谷渾って慕容氏なのにチベット史に入れられてるよね >>847
そりゃ曲がりなりにも王朝築いたからな
しかもラテン帝国のように無惨な末路を辿ったわけでもない 慕容吐谷渾は青海にはどのくらいの人数で行ったのだろうか
末期は隋唐にボコボコにされた挙句吐蕃に吸収されたから結構残念な感じ >>849
慕容吐谷渾が弟慕容廆と別れた時1700戸(一説には700戸)率いていたような
小月氏は敦煌方面に遷ってて後に北涼建国したと云われているのもあり青海は空白地帯で
慕容吐谷渾は子供60人居るから青海に着いてから爆発的に増えてると思うが
日本の例えば岩手県みたいな地方県と同じで夜やる事無くてお盛んだったと予想 吐谷渾阿豺も子が20人いたそうだしネズミか何かかな >>851
慕容部だからで大体説明できてしまうというかなしみ
奴隷制においては五胡随一の力量
一夫多妻で娯楽がなく子育てに困らない環境だと、そこまで珍しくはない
姚弋仲みたいに息子が揃いも揃って優秀というのはさすがに珍しいけど 赫連勃勃。サラリーマンのように適当に攻めたり攻められたりする君主 >>853
・平民からの叩き上げ
・個人的武勇抜群
・政敵は全て排除もしくは飼い犬化
・多くの他勢力から蜥蜴のように嫌われる
・娘に近づく悪い虫(チョンみたいな)はポア
うーん
全て条件満たすのはどの時代でも至難の業 >>857
タイプ的には石勒やティムールだけど、文学を側近に頼らずにやれる点が二者と明確に異なるのがね
昔は貴族に生まれるか拾われないと文学を身に付けられないのを差し引いても、類似となる対象が少なすぎる >>858
朱元璋「朕も乞食坊主とはいえ寺で文字を習わなければ無学文盲のまま野垂れ死にしていただろう。」 陳安の壮士の歌の中身が晋書と十六国春秋(屠喬孫)で違うんだけど十六国春秋の出典どこだろ? 後來唐朝的大詩人李白,也做了一首詩−《雜歌謠辭.司馬將軍歌(代隴上健兒陳安)》來讚美陳安:
“狂風吹古月,竊弄章華台。
北落明星動光彩,南征猛將如雲雷。手中電曳倚天劍,直斬長鯨海水開。
我見樓船壯心目,頗似龍驤下三蜀。揚兵習戰張虎旗,江中白浪如銀屋。
身居玉帳臨河魁,紫髯若戟冠崔嵬。細柳開營揖天子,始知灞上為嬰孩。
羌笛吹阿嚲回,向月樓中吹落梅。將軍自起舞長劍,壯士呼聲動九垓。
功成獻凱見明主,丹青畫像麒麟台。”
↑李白の詩は知ってるが壮士の歌の詳細は知らん 晋書ver.
隴上壯士有陳安、驅幹雖小腹中ェ、愛養將士同心肝、聶驄父馬鐵瑕鞍
七尺大刀奮如湍、丈八蛇矛左右盤、十蕩十決無當前、戰始三交失蛇矛
棄我聶驄竄嚴幽、為我外援而懸頭、西流之水東流河、一去不還奈子何
十六国春秋ver.
隴上徤兒曰陳安、軀幹雖小腹中寛、愛養將士同心肝、騄驄駿馬鐵瑕鞍
七尺寳刀配齊環、丈八虵矛左右盤、十盪十决無當前、百騎俱出如雲浮
追者千萬騎悠悠、戰始三交失虵矛、十騎俱盪九騎留、棄我騄驄竄巖幽
大雨降後追者休、為我外援而懸頭、西河之水東河流、阿呵嗚呼奈子何、嗚呼阿呵奈子何 『晋書』: 648年に唐の太宗・房玄齢・李延寿らによって編纂
『十六国春秋』: 522年に北魏の崔鴻が編纂したが北宋時代に散逸で明代に偽作が編纂
壮士の歌はどちらかがどちらかをパクってると思うが
どちらも信憑性の怪しい書物なので五十歩百歩 陳安のためにわざわざ歌なんて作らねーだろうしなんか元ネタはあると思うんだよね >>863
楽府詩集
隴上徤兒有陳安 軀幹雖小腹中寛 愛養將士同心肝 䯀驄父馬鐵瑖鞍
七尺大刀奮如湍 丈八蛇矛左右盤 十盪十決無當前 戰始三交失蛇矛
棄我䯀驄竄巖幽 爲我外援而懸頭 西流之水東流河 一去不還奈子何
太平御覧
隴上健兒曰陳安 軀�雖小腹中ェ 愛養將士同心肝 �驄馬鐵瑕鞍
七尺大刀配齊鈈 丈八蛇矛左右盤 十蕩十决無當前 百騎俱出如�浮
追者千萬騎悠悠 戰始三交失蛇矛 十騎俱蕩九騎留 弃我�驄攀岩悲
天降雨 迨者休 阿呵嗚乎奈子乎 嗚乎阿呵奈子何
太平御覧の出典が、それこそ崔鴻の十六国春秋になってるね。
屠喬孫が晋書+太平御覧でマッシュアップしたのではないかと。 陳安の癖に壮士の歌あるとは
まぁ現代でも香川真司がドルトムント所属時代に
香川専用チャントあったからそんなものかな この期に及んで吉川先生のご著作が復刊するのって、
つまり現代に至るまでその辺を補完出来なかったって
証明でもあるんやけどな? 吉川先生と書くと
吉川英治だと思う奴う多いぐらい
この時代の認知度が低いので仕方ない >>872
一般の知名度は実父で中国文学者の吉川幸次郎の方が高いだろうし。 >>871
小前氏の小説が吉川氏の本から一切逸脱できてなくて、
「それを今更やるんだ……」みたいに絶望したものよ もう蜀は存在しないから言っても大丈夫だと思うけど、当時現場に居合わせたけど王平が山の上に陣取ることを主張してたよ
でも諸葛亮が馬謖さんを斬りたくてウズウズしてたから馬謖さんの責任になった 学者じゃなくて小説家なんだから別によくね?
小説家に何求めてるんだよ >>874
小前氏(多分小前亮)は大学院で中央アジアイスラム史専攻してたのに
何故中華史に目覚めたのかの経緯は小説よりも気になる 中国史面白いからね
自分も西洋史面白いと思ったけど冷めた >>880
陳舜臣も大阪外国語大学の印度語学科で印度語(ヒンディー語)とペルシャ語を専攻している。 でも陳舜臣先生は秘本三国志読んでても他の三国志もの比較しても西アジアや中央アジアっぽい感じ 中国史研究家小説家の多くが他山之石で
まるで五胡のようなカオス お前ら和歌山県出身の下村拓郎様(35歳独身、元自衛隊)をご存知か、この方は将来素晴しい人物になるから覚えておいて損はないぞ 五胡十六国南北朝時代関連の著者(学者、小説家問わず)
を当時の時代の人物に当てはめるとどういう格付けになるか
気になる >>886
残念ながら歴史上最高位やそれに継ぐはいないと思う
日本で唯一の歴史家と呼ばれる人で
思いっきり緩く評価して
羅漢中レベルかな、、、 羅漢中の時点でオツムが知れるな
文盲の石勒よりも知性を感じない 羅貫中までの才能はないが
それをもじった程度の能力はあるとか
山上たつひこを真似て山止たつひこというペンネームにしたように >>890
大陸の人名等は返還ですぐに出ないから他の字で代用することは多い
項羽とかは出るけど項伯を紅白で代用すると桓 >>891
まぁ司馬遼太郎のペンネームの由来も”司馬遷には遼かに及ばない”という思いからだからな。 >>891
羅貫中てそこまで実力ないけど極大評価されてる人だからな・・・
「水滸伝」「三國演義」は施耐庵が執筆して羅貫中が校正しているのに
知らぬ間に「三國演義」は羅貫中が執筆した事になってるw
「水滸伝」は施耐庵が書いた前半部分は面白くて
後で羅貫中が付け足した後半は酷評で読むに堪えない
あと現代において「三國演義」が面白く読めるのは毛宗崗のおかげなのに
その業績は全て羅貫中に帰結されて毛宗崗完全無視状態だからな・・・
羅貫中の他の作品「三遂平妖伝」「残唐五代史演義」「隋唐両朝志話」
などを面白いと語る人を未だ見掛けたことは無い
羅貫中は五胡十六国南北朝時代でいえば符堅なんだろうね
ほぼ全ての業績は他力本願で凄いと云われているのに
化けの皮が剝がれると悲惨な実態 >>891
剛竜馬より竜剛馬のほうがインテリなのを思い出した >>894
なるほど水滸伝は後半人気ないらしいよね
でも宋を滅ぼすとか書けないだろうし >>894
金聖嘆先生、こんなところで何をされているのですか?
時代を間違えておられますよ >>896
では官軍が梁山泊を滅ぼしてはどうだろうか >>896
そら新撰組が幕府に見切りつける話が描けないのと同じ >>899
新撰組(というか土方歳三一派)は最後まで幕臣と共に
蝦夷共和国滅亡まで殉じたぞ
少なくとも慕容垂並みに義理ある 学校図書館にあった豊臣秀吉の伝記漫画が光秀討伐以降打ち切り漫画のごとく年表羅列みたいになってたの思い出した ああいうの意味わからんよな
堕ちていくとこまで含めての偉人だろうに センゴクスレとか見ると「堕ちた英雄は見たくない」って奴の方が多いんじゃね
小前亮の苻堅の小説だって慕容垂離反が最後で後の鮮卑生き埋めや下手打ちまくって捕虜→処刑のバッドエンドは書かなかった >>894
梁山泊よりも爾朱栄軍団の方が英傑揃い感が
施耐庵には水滸伝や三国演義の他に
五胡や南北朝時代の奇書執筆してくれれば
現代での五胡十六国や南北朝時代の扱い違ってただろうな
羅貫中には期待しないw
日本では水滸伝は日本人の感性に合わないのか西遊記や三国演義よりも人気無いけど
四大奇書の1つに水滸伝のスピンオフ作品金瓶梅が加えられたり
水滸伝にインスパイアされて日本の南総里見八犬伝書かれたり
実は四大奇書の筆頭格が水滸伝なのではと思う >>903
仙石秀久は小諸佐久方面で酷政で農民虐めて一郡離散
逆に腰斬ぐらいのバッドエンドで書いてほしい >>905
ああ言ったのって連綿と引き継がれた伝承の上にしか存在しないからな?
個人if語っても仕方ないぞ。 >>902
まさに今のプーチンやんけ
秀吉の唐入りより酷いからな
秀吉は4月12日に開戦で5月2日に京城(ソウル)占領、6月15日に平壌占領、7月23日に二王子捕虜、7月下旬から鬼上官オランカイ(女真族の領地)に侵攻
開戦(2月24日)して3週間以上たつのに未だにキエフはおろかハリコフやクルスクと占領できてないプーチンって末期の秀吉以下
ブッシュ・ジュニアでさえイラクに攻める時に「大量破壊兵器あるやろ?」って理由(これもヤクザの因縁に近いけど)つけとるけどプーチンは「ウクライナ国内の問題を理由に攻め込んだ」と言う意味ではブッシュ・ジュニアにも劣ると言う >>908
王浚や北斉ってこう油断したんだろうな、と感じる思考 むしろ苻堅の転落をリアルタイムで見せられてるような
プーチンが後ろ盾に期待してた中国も引き気味でいつ見限られるかわからんし >>908
さすがにウクライナと李氏朝鮮とを一緒にするのは酷
単独(支援はあるが)でロシアの侵攻に抗しているウクライナと
ロシアの属国ベラルーシはおろかチェチェンにも劣る弱さで
宗主国居なければ交戦も交渉もまともにできない李氏朝鮮とでは月と鼈
確か休戦交渉したのは秀吉と明との間で李氏朝鮮は蚊帳の外だったようなw
プーチンでなくても高緯や陳叔宝でも秀吉の代わりに唐入りしても
秀吉と同じく2ヶ月余りで李氏朝鮮蹂躙してもおかしくない(明が出てくる迄だが)
むしろロシアは将校約20人のうち既に4人も死んでるのは正直ヤバい
秀吉の唐入り最後の決戦露梁海戦で殿の日本軍相手に
李舜臣はじめ将官死にまくり(日本の将官被害0)で
包囲してた小西行長にもあっさり逃げられたぐらいの酷い状況で
正直今のロシアは国力兵力数十倍の李氏朝鮮みたいな弱さ >>910
中国はイギリスとのパイプ役の李克強が退くから、ロシアと手を切る場合はおそらく内戦になる
これ以上は脱線し過ぎるから控えるけど、想像以上に状況が深刻かつ大規模 犬嫌いのメルケルにわざわざ自分の愛犬けしかけるとことな劉聡とか高洋みたいな陰キャ暴君テイストなプーチン
https://i.imgur.com/Yk8hFVE.jpg >>911
軍幹部の7割を処刑したスターリンもいるから ウクライナの橋爆破でロシアの侵攻が遅滞してるのみて河川防衛ラインってほんますごいんやなって
長江の頼もしさよ 長江バリアーってすげえわ
そら末期孫呉や末期陳ですら攻略に慎重になるわけだ。 それどころか情報網の発展で
偽情報も通用しなくなるどころか
作戦行動も筒抜けになってしまってるし
スレタイ当時のみならず
通信手段が限られた時代の戦争で
偽情報で戦局が大きく変わったのが
今は昔になってしまった >>915
>>916
北と南では気候が違い過ぎるからな・・・
騎馬民族でも黄河は易々と渡ってくるのに
長江になるとインサーマウンタブルなのは残当
馬は寒冷地の生物で北アメリカ原産で後にユーラシア大陸へ広がり
ウクライナの遺跡から紀元前4000年前に家畜化と推測されて比較的遅い人類の友
(ヤギ・ブタ・ヒツジは紀元前8000年前、ウシは紀元前6000年前に家畜化)
北米の原産種はネイティブアメリカンに狩られて喰われてその頃ほぼ絶滅
実は五胡よりもネイティブアメリカンの方が野蛮だったりする 言い訳の天才慕容暐
処刑直前も慕容粛が何も言わなかったら切り抜けられた可能性が微レ
某国の主にしてはそこそこ有能 >>918
モヒカン自体アメリカ原産だし、最近はそのせいか北米原住民国家が西欧を蹂躙するゲームがあったりする この時代に幽と諡されたのは慕容暐と李期の二人かな? この時代のゲームがあれば・・・
北 いかにして中国化を防ぐか すればするほど軍事力低下
でも中国化しないと領土が物凄く不安定
南 北伐提案をことごとく政府に拒否
独断出兵したら反乱軍扱い >>922
例えばコーエーの「三國志」とかで
グラフィックとかシステムとか昔のでいいから
隠れシナリオで隋唐成立ぐらいのボリューム盛り込めば可能
但し武将は数千〜数万は盛り込まないと厳しいが
昔のシステムを今のPCでなら容量可能だろうな
ちなみに昔「信長の野望 全国版」を
死亡即リセットで強制プレイし続けたら
他の大名全員死にながらも「いしきし」「かねきし」
とか変な名前の大名湧きながら1953年までプレイできたが
飼い猫アタックでデータ飛んで消えてしまった・・・orz >>919
慕容垂・慕容泓・慕容沖らが暴れてたので
慕容粛関係なく慕容暐は何れ処刑されてたと思うぞ
慕容暐残念なのは西燕勢力と後燕勢力とを融合させれなかった事
両者が相討たねば北魏も易々と中原で台頭できなかったと思われ
まあ慕容垂が居るので慕容暐には無理だっただろうが 陳慶之は馬に乗るの下手っていうけど、それであのごり押し戦法無理なんじゃないですかね… 鍾離の戦いの韋叡であるとかもともと文官なのにいざ兵を率いて
名将になるってパターンいいな
南北朝にちらほら見かけられる
全くの専門外なのに、臨機応変の才を発揮する
他の時代なら秦の章邯とか好き >>928
民を治めるのと軍を治めるのは違うようで
実は結構似てたりする
民の心を掴むのが上手いと兵士の心も掴めたりするので
良治の文官が兵を率いて名将というのはあり得る >>928
韋叡って宋のころから軍務に関わってるからそんなイメージないなあ 韋叡の子孫か知らんけど
京兆韋氏から唐の皇后出てるんだな
名族だと大抵どこかしらで外戚のチャンスありそう 中宗韋皇后は韋叡とも韋孝寛とも別系統
京兆韋氏は南北朝から隋を通して多数の系統を輩出し、10近い系統から唐の宰相を輩出している
韋孝寛の子孫は五代にも宰相がいる
やばい 京兆韋氏は前漢から著名な人物輩出してるけど
韋賢・韋玄成が親子二代で丞相になってるのな
他の例は周勃・周亜夫と曹操・曹丕だけなので
何気に凄い京兆韋氏 >>925
西燕は「アンチ慕容垂」の面が強いから、後燕と発展的統合みたいな展開は無理だったんじゃないかな… >>938
アンチ慕容垂は慕容評かと思ったら慕容儁が諸悪の根源ぽい
慕容氏全員慕容恪だったらとか慕容垂が慕容覇のままだったらとか
慕容氏関係はタラレバばかり思い浮かぶが
やはり慕容廆と慕容吐谷渾の喧嘩別れが無ければのタラレバが一番上
慕容氏は創成期から同族相容れない血の民族なのかもしれない >>936
>韋孝寛の子孫は五代にも宰相がいる
韋説だったっけ?
まぁ李嗣源に賜死されて馮道が宰相になって
馮道の時代に伝玉璽が失われて秦から続く
伝玉璽と貴族の時代終了と考えると
五胡十六国南北朝時代の真の終焉は五代十国とも解釈出来る >>939
拓跋だって似たようなもんやろ
つーか冒頓単于のエピソードだってアレだし
あっちじゃより強いやつが
より強いことを示さなきゃ
舐められるってだけじゃねーの? 慕容氏における同族の殺しあいやいがみ合いを決定づけたのは、個人的には慕容皝かな
慕容廆の死後に慕容翰を出奔させて同母弟の慕容仁と争うわ、どう考えても忠実かつ有用だった慕容翰を結局自殺させるわ、
慕容儁を世嗣に定めておいて慕容垂を溺愛するわ、慕容恪にも十五歳までロクに目をかけてこないわ、
正直、慕容皝って暗君じゃないけど名君でもないよなと思う
特に慕容儁と慕容垂の件、おまえは自分が兄弟と殺しあった過去を忘れたんかい、とツッコミたくなる >>940
禅譲による王朝交代も後周から北宋が最後になったし五代十国は中華本土に複数の王朝が並立する事もなくなったから、五胡十六国南北朝から続いた中国の中世は五代十国で終わったと言えるだろう。 >>943に自己レス
✕五代十国は中華本土に複数の王朝が並立する事もなくなったから
○五代十国から後は中華本土に複数の王朝が並立する事もなくなったから >>941
匈奴は北匈奴と南匈奴に分裂して衰退
鮮卑は北魏から西魏と東魏に分裂して乗っ取られ
突厥は西突厥と東突厥に分裂して滅亡
etc...
モンゴル帝国とかもっと細かく分裂してそれぞれ消滅
慕容氏だけじゃなくどうみても騎馬民族のDNAがそうさせてるとしか
なので>>941氏の通り弱肉強食が自然の摂理なんだろな
中華からみると蛮族でしかないけどw
しかし現代のモンゴル国が分裂する気配ないのは謎
まあ国連加盟国で人口密度が1番低い国だからなのかもしれないが >>942
慕容翰が出奔したのは親の世代の慕容吐谷渾と同じで庶長子なので運命
しかしまた前燕に戻って勢力拡大に貢献したのと
高句麗遠征で青年の慕容覇(慕容垂)と轡を並べて遠征して
自身の強さを若き慕容垂に伝授したのは評価したい
慕容皝は名君ではないのには同意だけど
慕容皝だけでなく各世代同族相争ってるので
慕容氏に生まれた以上こうなるのは運命でどうにもならないんだろうな >>943
https://www.petitmonte.com/contents/rekishi/china/kodai.html
これみると五胡十六国時代は古代
南北朝時代は中世だったりする
何故476年迄が古代で1453年迄が中世なのか一瞬謎だが
476年が西ローマ帝国滅亡で1453年が東ローマ帝国(ビザンティン帝国)滅亡で西洋基準なのな
当然中国史では違和感しかないので五代十国で一区切りに同意
しかし京都学派では後漢の中期までを上古、魏晋南北朝時代から唐中期までを中古、宋以降を近世
東京学派では唐の中期までを古代、宋以降を中世なので
とっとと論争決着させて見解統一してくれよと思う >>945
現時点でモンゴルにいるモンゴル人より内モンゴル自治区にいるモンゴル人の方が多いくらいの分裂状態だもの 身内が殺しあうのが慕容部だから遊牧民だからってのが意味不明
このスレに居て八王の乱や劉宋・簫斉の殺し合い、侯景の乱の梁王室なんかをどう思っているんだ
日本史の源平合戦や南北朝も知らないんだろうか? >>949
劉徹「朕は息子を自殺させ孫を処刑したぞ」
李世民「朕は兄と弟を殺したぞ」
趙匡義「朕は甥を自殺させたぞ」
朱贍基「朕は叔父を煮殺したぞ」 北族って残忍だな〜って思ってて
それなら劉宋や南斉はどうなの、皇族生活を謳歌して平和だったんだろうな
ところが北もドン引きするような陰湿な皇族抹殺でびっくり
ってのは南北朝をかじるときの様式美みたいなもん >>950
趙匡胤「いい加減にしろこのクズやろうども……罪もない奴らを次から次へと殺しやがって……」 小前亮は文体が安定してないのが難点なんだよな
田中芳樹と北方謙三にちょっと和田竜を足して三で割ったら、塚本青史の後継者状態になってるっていう
それでも歴女()臭のキツい霊獣紀よりはマシだというのが、中国史小説の不作ぶりを示してるんだよなあ
宮城谷がいなくなったら本気で無人の荒野と化しそう >>952
趙匡義「兄上、皇帝は私怨を抱くべきではありませんぞ(含み笑い)」 >>953
なぜ霊獣記と比べる?
あれはもとから「中国ファンタジー中国史風味」だろうに。 >>948
世界中に約1000万人いるモンゴル人の内モンゴル国内には約3000万人なのに中国内には約6000万人でロシア国内にも約1000万人と三国志のような分裂状態。 秦の時代から、戦国時代がずっと続いている中華と、巨大な活動領域を持った遊牧民族を勢力図に表すと遊牧民族と比べて中華はずっと低迷し続けているように見える。
しかし、遊牧民族は勢力図通りの活動領域を支配しているとは限らない。 >>956に自己レス
この通りに合計するとモンゴル人は世界中に約1億人いる事になってしまうので、モンゴル国内に約300万人に中国内に約600万人にロシア国内に約100万人に訂正。 >>957
中原と漠北じゃ人口密度も生産力も段違いだから… >>949
日本でも身内が殺し合う例多いが
大伴氏とか後北条氏とかほぼ身内で争わないような氏族も存在
(身内よりも他家との抗争で死んでる)
中国の氏族であまりそういう例思い浮かばないので
そう考えると中華に関してはほぼ100%身内で殺し合う氏族ばかり >>949
日本でも身内が殺し合う例多いが
大伴氏とか後北条氏とかほぼ身内で争わないような氏族も存在
(身内よりも他家との抗争で死んでる)
中国の氏族であまりそういう例思い浮かばないので
そう考えると中華に関してはほぼ100%身内で殺し合う氏族ばかり >>949
日本でも身内が殺し合う例多いが
大伴氏とか後北条氏とかほぼ身内で争わないような氏族も存在
(身内よりも他家との抗争で死んでる)
中国の氏族であまりそういう例思い浮かばないので
そう考えると中華に関してはほぼ100%身内で殺し合う氏族ばかり 「身内が殺し合う」話でいくら盛り上がってくださっても構わないが、
殺し合いによって利権がまとわりつくかどうかを踏まえないと意味ないぞ。 >>958
ロシアのモンゴル人はロシア国内に多数散らばってるが
モンゴルから遠く離れたジョージアやチェチェン辺りにも居るんだよな
三国志どころでない五胡十六国ぐらいの分裂状態 >>965
あの辺りはモンゴル系のキプチャク・ハン国の支配下にあって15 世紀以降、ロシア帝国に併合されていったが最後に残ったクリミア・ハン国がロシアに併合されたのは18世紀末だから、その間に定住したモンゴル人の末裔も多いのだろう。 単独部族による王位の占有が、同族殺しの原因の一つなんじゃないかな。部族→血族→家族→長男と、どんどん王位となるべき遺伝子の幅が狭まっていく。
耶律阿保機なんかも、漢人に唆されて他部族の首長を皆殺しにしてしまったという逸話があるそうだ。 モンゴルも最初選挙で決めていたのが、帝国を構えてからは血族至上主義になって身内殺しが横行した >>969
共和制から帝政に代わるケース多いのは謎
ローマ帝国もそうだし
スターウォーズもだなw >>970
意見がまとまらないから
どうすればいいかは分からないし、分かった時には手遅れ
だから稚拙でも素早く決断しなければならない 肉食動物のライオンから
草食動物の鴨や
昆虫の蟻や蜂に至るまで帝政
帝政でない動物は個人主義が主
動物で共和制なのは一部の人間ぐらい >>967
広義のモンゴル人だと
フン族(匈奴)の末裔名乗ってるマジャール人(ハンガリー)や
フィン人(フィンランド)などを含めると
広義のモンゴル人はその数倍居るんだろうな・・・ 漢民族にも義兄弟の概念はあるが、遊牧民族は父子や兄弟と認め合ったら本当に家族として起居を共にする。民族単位で家族の契りを交わし、契丹、女真、漢民族、ウィグルが家族化する事もあっただろう。変なスパイとかを送り込まれたりしなかったんだろうか。 五胡十六国時代は中国が元祖かと思ったら
遥か昔の春秋時代(孔子の時代)に遠くインドにて十六大国が存在していた件について 正直十国を越えてくると時代的にダレる
七、八国がギリギリ イギリス七王国は
国力的にはマーシアが最強
位置的にはウェセックスが最良って感じ >>977
イギリス7王国はゲームオブスローンズの世界の元ネタだな
ドラゴンはイギリス7王国に存在しないが
壁(長城)と異形(カレドニア人)が存在するのは同じ
イギリス7王国もある意味五胡の侵入に悩まされた中華に似た世界 そもそも春秋が五胡十六国とか問題にならんくらいのクソカオスだった件 春秋時代はまだ分かりやすい方で
東周以前なんて100ヵ国近いからな 春秋がカオスといってもほとんどは片手で数えられる邑の集まり程度の国じゃないか 記録残したせいで日本の天皇制見たいのが残らなかった 日本は記録がないから何だか分からなくなって皇室が高貴の存在として残った
もし、天皇が朝鮮半島出身で百済王の命令で日本に来た1武将だと知れたら、、、 >>988
今のイギリス王家だって元々はフランスのノルマンディー公家だったのだが
今ではフランス王家の末裔(ブルボン家、ナポレオン家、etc…)よりも格上だからな
別に天皇が朝鮮半島出身だろうが別に気にする方が変
もっと遡ればアフリカ大陸だろ人類の祖先は
それよりも新羅王が倭人だったという説に一々発狂するチョンをどうにかしてほしい処 古代の倭と朝鮮なんてほとんど近親みたいなもん
それくらい密に交流してたんだから
今が敏感すぎんだよ 古ければ古い程海越えるの大変だろと思うけど交流は多いんだよな。結構安定して渡れる航法が確立していたのか >>991
朝鮮半島への渡海だと黒潮横断しないので難易度低い
途中の寄港地も対馬壱岐あるので楽
台風とか余程の異常気象でない限りは縄文人の文明度でも渡れる
五胡とか騎馬民族にとっては渡海は長城超えるよりも難易度高いが 卑弥呼の遥か昔すでに大陸半島と交流してんだよな
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