横山光輝中国史漫画総合スレ
ここは横山光輝先生の中国史漫画を語るスレです。
『三国志』『水滸伝』『項羽と劉邦(若き獅子たち)』『戦国獅子伝』『史記』『殷周伝説』
などの作品を語ってください。 義帝の年齢って不詳なんだな
横山先生の漫画や世界ふしぎ発見だと少年王だったけど
いまビッグコミックでやってる劉邦のトンデモ漫画は中年だった
>>430の老人は初めて聞いたな
暗殺されて墓は作ってもらえたらしいけど今となってはどこにあるか分からないのが何か残念 >>431
戦国時代の懐王は100年ほど前の人
その孫が子供では流石にあまりにおかしい
玄孫説もありそれならわからんでもないが >>431
大昔の王様の孫だし、世継ぎもいないからな
玄孫って説もあるけどそれは孫だと年齢的におかしいからってだけ
秦末の項燕の息子の項梁がじいさんだったんだし、、、(良くておっさん) 楚懐王熊槐は生年不詳で紀元前296年に死亡だが在位は紀元前329年〜紀元前299年
で秦に抑留されたので3年生きていたが子供は作れなそうである
実際に女をあてがわれていればいる可能性はあるが
楚懐王熊心は生年不詳で紀元前206年死亡だが
項梁に立てられたのが紀元前208年であり
少なくとも紀元前208年には生まれていた
前299年に受精して298年に父が生まれていたとしても90年前である
もう少し前に生まれて40代で子供を作っても義帝は50代 ああ、誰かが楚王が若かったか老人だったかだけでも書いていてくれればなあ
恐らく隠してもいないから、当時は大幹部以外でも知っていたはずなのにな 歴史は勝者が作るものだけど勝ち組側で直にあったことあるのって劉備くらいじゃないの?
一平卒に過ぎなかった韓信は絶対会ってないし
ショウカも張良もないだろ 楚の滅亡後に地方に逃れて羊飼いになったみたいな話だったはずだから少年ではないんじゃね
楚の滅亡から擁立まで15年くらいあるでしょ
ただそれまでの事績が不明だし擁立後も大して権力振るえてないから歴史的には子供みたいなもん 劉邦が張良に項伯殿とどちらが年上なのか聞いて
張良が項伯殿の方が年上ですと答えて
劉邦が儂も項伯殿に兄事するぞと言っていることから
年齢は
項伯>張良>劉邦
というのは判明する 項伯が劉邦に肩入れしてたとこ見ると項羽って身内からもあんまり人気ないんだな
もう一人の父親同然の叔父さんが生きてたらもっと謙虚になって歴史は変わってたんだろうか? 項伯は劉邦というよりは張良に恩があるからなぁ
血縁も大事だが義理も大事 張良は韓信が来てから空気だよな
軍師キャラが被ってる
韓信の完全下位互換だ 軍師は立派な人物で、風雅な気質が輝き、明君に身命を捧げ、胸の奥から忠誠を発した。
これこそ正義の徒であって、身を頃して恩顧に報いた。
龐士元を賛える 三国志って単行本の台詞やコマの書換ってあったっけ? >>445
あると思うよ
戦国獅子伝でも母と交わり母を斬るとはが、母を斬るとはに直されてた
吹き出しも合っていないしこういうのやめてほしい 三国志の末期や水滸伝の末期を流されているけどここを詳しく読んでみたかったよ
結構動画とかで見ると面白いし 諸葛亮死後以降は吉川三国志でほぼカットというのもあるけど、蜀メインだとあまりやることない気がする
呉の後半は暗すぎるから横山先生の作風に合わない
魏の後半は個人的にはめちゃくちゃ面白いけど横山先生が書きそうな話ではないかなぁ 「三国志」や「項羽と劉邦」、「史記」などの作品は、風俗や服装など当時の時代考証はしているのか?皇帝や武将が普通に椅子に座っている描写があるが、椅子文化が入ってきたのは北魏以降とのことだが。 >>450
残念ながら全然違うらしい
もっとも当時を忠実に再現するとみすぼらしくなるとか
王宮が掘っ立て小屋じゃいやでしょ >>422
まぁ初っぱなから徐庶死んでおかしくなってる世界線ですし
司馬懿だってそれまでは史実通りだったかもしれん
まぁあの漫画はホウ統以上に影響度の大きい呂蒙をモブ死させたぐらいだしね 根本を言えば、言葉が通じるのはおかしい
アメリカ英語を話せるから、大航海時代以前のネイティブアメリカンと会話できているようなもの 三国志ものの勢いがないのは何十年も前の横光三国志を更新できるような作品が出てこないからだと思う >>455
水滸伝も三国志も省略したところをちゃんと書いて欲しいとは思うが
結局、横山光輝より読めるのがない 蒼天は可能性はあったんだけど結局は無理をノリと勢いで強引に押し通す漫画で終わったしなあ
実はそもそも三国志が実はエンタメ素材にあんまり向いてるもんじゃない面もある
善玉の劉備や諸葛亮も悪党の曹操も中途半端な形で終わるし、結局誰も報われない >>442
献策するのが軍師
実際に兵を率いて戦うのは将軍
三国志の孔明も全然軍師じゃない 日本の三国志ものは横光と蒼天以外は未完作か微妙作しかない
ただ三国志は最終的に勝つのが、あの時代で最も徳のあった劉備や諸葛亮ではなく、終いには天下国家を滅亡に導く腐敗した奴らという救いのない話だから、演義以外で読めたもの作るのは無理ゲーもいいとこ 八王の乱や永嘉の乱あたりって入り組んでてキャラも多いし味付け濃くして漫画にしたら面白そうだけどな
劉淵、石勒っていう主人公キャラがいるし司馬家側も司馬乂とか司馬越あたりは面白いキャラになりそう >>461
こういうこと言う人はごまんといたけど、できた人が誰一人いないのがどれほど無理難題かを物語っているよね >>461
その辺りの時代は三国志や史記と違って邦訳史料も小説も少ないのがな… >>414
その義兄弟がモブキャラのごとくやられてたまげたわ >>464
何のためのキャラか分からんよね
もっともあの話の韓信は明らかに優秀に見えて誰からも評価されないというおかしさ >>464
>>415の言う通り元ネタは漢楚軍談=西漢演義で
辛奇があっさり死ぬのはその西漢演義そのままなんで…
その西漢演義は四大奇書でもなんでもない二流小説で
二流小説のオリキャラなんてそんなもんなんで…
二流小説のオリ展開をそのままやるなよという話でもあるけど >>459
魏延が軍師なんだよな
記録にも軍師と書かれている、他の官職は書かずに 黄石公のエピソードはどうなん?
城に入るとき黄色い石があるからそれがワシじゃ
とか言ってて
伏線だと思ってたら完全スルー
これじゃ張良が恩知らず見たいじゃん >>468
忘れちゃってたのかね
五胡や五代の漫画も描いて欲しかったな >>468
原典の西漢演義(おそらく楚漢軍談も同様)だと張良が谷城(史記だと穀城)で黄石を見つけて祀るのは
韓王信が裏切った白頭山の戦いの後のことなんでそこまでやらなかった項羽と劉邦ではできるわけない
なお史記では穀城で黄石を見つけて祀るのはいつの時期か不明 >>468
城に入るときじゃなくて国君(劉邦)を葬るときのはず 陶作部(すえつくりべ)
『日本書紀』の雄略天皇7年(463年)条には百済より陶部高貴ら工人が貢がれたことが記されている。
弥生文化の名残であった土器である土師器が、5世紀頃になると須恵器に取って代わられるようになる。 田斉の桓公午は兄をころして君位を奪っている
紀元前375年、兄の田剡を殺害して、自ら斉公となった。紀元前357年、死去した。在位18年。
文竜が生まれた時は既に君主だったよう
鬼王とか烈公と呼ばれているが春香の時に老人が先代桓公様に貰った杯をと言っているから
桓公で良いと思われる 鬼王が急に燕子雷の件で暗君暴君になっていたり
斉兵が宋の女性を斬って犯したり
急に悪人化している 桓公(かんこう、紀元前400年 - 紀元前357年)は、中国の戦国時代の斉の君主。名は午。太公の子。紀元前375年、兄の田剡を殺害して、自ら斉公となった。紀元前357年、死去した。在位18年。
死亡時43歳か、25歳〜43歳が君主、文竜の妊娠中に兄は既に生まれていたらしいから
文竜は16か17ぐらいなのか? 威王因斉は在位:紀元前356年 - 紀元前320年で年齢不明
在位36年
威王の子の宣王は在位:紀元前319年 - 紀元前301年で年齢不明
在位18年
孫の湣王は在位:紀元前300年 - 紀元前284年で年齢不明
在位16年 宣王辟彊
湣王地
襄王法章
湣王40年(紀元前284年)、湣王が淖歯に殺害されるとあると既に年代がおかしい 襄王法章は在位期間 前283年 - 前265で在位18年 30歳ぐらいで即位して50歳ぐらいで死んでいるのだろうか 『太子は不尽の相、頤が大きすぎますし、豕のように盗み見なさいます。このような人物は道に背いたことをするもの。太子を廃されて、あらためて衛姫の嬰児の郊師さまをお立てになるに越したことはございません』 馬陵の戦いは紀元前342年で威王因斉は紀元前356年に即位
文竜の旅は14年間ということか
孟子は紀元前372年? - 紀元前289年?とあるから
文竜と武虎が出会った時に武虎は16歳、兄貴と呼ばれているから文竜は仮に17歳 文竜は死んだ時に31歳で武虎は30歳と推定
楊朱は紀元前370年頃? - 紀元前319年頃?とあるから28歳で武虎より朱豹は若い頃になる 魏の恵王は紀元前400年 - 紀元前319年、在位期間が前369年 - 前319年
戦国獅子伝の終わりで58歳で在位27年か 宋で唯一の王にして最後の君主は康王戴偃だが
在位紀元前329年 - 紀元前286年だから顕王とは違う
剔成君が在位紀元前356年頃 - 紀元前329年なので
こちらが戦国獅子伝での宋の顕王になるだろう 梁の滅亡は魏ではなく、秦の穆公によるもの
更に紀元前641年で、もちろん姜王のように王は名乗っていない 紀元前370年、武侯が没すと、子の恵王の治世中に斉の孫臏に大敗する(馬陵の戦い)(紀元前342年)。更に、商鞅の変法により国力を急激に増大させた秦には、紀元前340年に商鞅率いる軍に大敗して黄河以西を失ったため、秦の圧力を恐れて安邑から、東方の大梁(現在の開封)へ遷都した。これ以降は国の名前を梁とも呼ばれる。ここで文侯以来保ってきた覇者の座から滑り落ちた。
馬陵の戦いよりも大梁遷都は後であるし、梁の滅亡も関係ない 聶政
韓の宰相の侠累は韓の哀侯の時期
哀侯(あいこう、生年不詳 - 紀元前374年)で威王即位の18年前になってしまう 次の代の共侯(きょうこう、生年不詳 - 紀元前359年)あるいは懿侯(いこう)
釐侯(きこう)または昭侯(しょうこう、? - 紀元前333年、在位紀元前362年 - 紀元前333年)
が時期的には当てはまるが紀元前355年、申不害を韓の宰相
この時期に宰相が暗殺されたと見ると年代は正しいのか 戦国獅子伝の年代は適当なのかと思っていたが
意外に結構合っているのか 終盤の三國志を読むと、孔明が食糧長官の棒叩き刑した後の長官の台詞は孔明の弱点を露呈しているんだよな。劉備は魏延が抜け駆け行為をした後の対処は上手かったんだよな。 川のところで洗濯してて韓信に飯与えた婆さん、史記読んだらまだ生きててワロタ
この漫画の存在知らなかったから、何年かぶりに再会した同窓会の知り合いみたいでよかった
股くぐりさせた人も恩賞与えられてよかったなぁ、韓信といえば股夫のあだ名だし、有名にしてくれたよな >>492
楚漢戦争も5年だし、項羽が挙兵から8年で自害だから
韓信が項梁に仕えたのは項羽の挙兵より後だろうから
実はあんまり年数経っていないんだよね 及昌發帥羗蠻而出。以賂猾夏。戈以繼之。遂致以臣弑君。且施以咋人之刑。 名前と字を同時に名乗ったり
魏が玄徳軍と言ったりするのって史実的におかしくないのか
字って敬う言い方でしょ? 漫画的には分かりやすくしないと駄目だからね
特に三国志は子供向けに書き始めたものだしね >>491
兵法で大将の資格がない者の一つに他人に任せることができぬ者があるんだよなあ。。。
というか知れば知るほど言われているほど孔明は善良ではなさそう
反乱も起きずにとあるけど結構しょっちゅうある、国が亡びる大反乱がないならそんなの滅多に起きない
400年で数えられるぐらいしか起きないし
批判とか多分つぶしていただけで不満を持っている奴は結構いたっぽい
いないなら逆にその程度の子とも言えない戦前の日本やドイツみたいな感じ 戦国獅子伝は、急遽原作者高作者の病気で切り上げたらしくて
ブコが孟子になる予定だったとか
また作り直せないかな
それにブコはあの恵王の相談役になるのか 主人公の顔は大体同じだけれども登場人物の顔は作品ごとに変えているのが地味に凄いね
日本の戦国時代とか登場人物が被りまくっているのにね 項羽と劉邦に登場する斉王田広がとにかく豪華絢爛で度肝を抜いた思い出が 匈奴はトルコ系、匈奴はトルコ人、匈奴はテュルク、匈奴はツルク
匈奴は北方民族、匈奴は北方遊牧民
犬戎は周と同族に近い
越は呉と同族に近い、呉は異民族、呉の姫姓は偽り
秦は異民族
楚は異民族
晋は異民族、晋の姫姓は偽り
北魏は異民族、隋は異民族、唐は異民族、宋も異民族
今の中国人は北方民族の子孫
タイは夏人
倭人は庶殷
漢は秦なり
この世の文字は全てウルクの文字が起源、甲骨文字はインダス文字なり >>492
婆さんはむしろ大金を与えられた後の方が心配だわ
他人からだけでなく親族からも狙われそう
あと股くぐりの件で韓信は「その気になればお前を殺すことは出来た(だがあえてせず屈辱を受けた)」
とか言ってたけどホントかなあ?
韓信ってそんな腕が立つ印象ないんだけど >>222
お前それ華の慶次と影武者家康の徳川家康にも言えるの? >>397
オリキャラの味付け次第かなそういうのは >>475
斬って犯すの?
犯して斬るんじゃなく?
鬼畜度MAX 項羽に限らず、なんか発言して気に入らなきゃ斬られるとか誰も貝になるだろそりゃ >>510
斉が総兵力戦車800両、兵士70万から選び抜いた
戦車600両、歩兵20万を孫子が宋への援軍として来たが
斉兵が現地の女性をさらって伽をさせようとしていたのを
女性が逃げて兵士が切り捨ててやるなら息がある内だと斉兵の1人が犯して
江武虎(孟子)がキレて偃月刀で斉兵と女性を斬った 意味がわからん。
減点で欠損してる文字を無理矢理想像で復元して変な文章になったりしてない? 流れはそんな感じ
おい、やるなら息があるうちだとか
急に斉兵が極悪集団になっていて
それまでの話ではそんな傾向もなかったのに
作者の体調不良だかで早めに終わらせるために無理矢理な予定変更かもしれん
文竜が体制側になるのも急だったし
ホウケンが急に善人?化して玉燕を救ったり >>513
なんだあれは
キャー娘を離して
文句があるならこの国宋の顕王に言え
はるばるお前らを守るために〜来た俺達だ
宋の民はもてなし方を〜
捕まえていた女が逃げたので、斉兵の1人が背中を切り捨てる
ちっもったいないことをした
おいやるなら息があるうちだ
よし一番槍
お願い、早く〇して
まだまだ
お後が使えている、虫の息でも最後まで頼むぜ
何て奴等だ、おら許せねえだ
下の女ごと斉兵を偃月刀で切り捨てる
もうこれで苦しむこともねえだ
折角集めた女を逃がしおって
貴様魏兵か
魏も斉もあるか女をもてあそぶ兵士なんかに守ってもらうなら国なんて滅びた方がいいだ 先代桓公からいただいたさかずきとか言ってるから
斉の鬼王、斉の烈公って威王の父だし
田斉の桓公だよね
四十ちょっとで死んで
兄の田侯エンをしいして即位だし 見落としがちだが、董卓への叛乱は、王匡がはじめた。 梁冀の敵は、上疏など、文化的な手段で梁冀と戦った。最後は桓帝が宦官をつかい、梁冀から印綬を奪った。これは、王朝の命令系統を前提とし、秩序の内側で戦うやり方だ。
だが、
董卓に敵対した袁紹たちは、腕づくに訴えた。野蛮である。 遷都せざるを得ない。洛陽よりも、長安が守りやすいのは、自明のことだ。
「董卓は、自分の本拠地・涼州の近くに、皇帝を移した」
と書けば、董卓の自分勝手さが浮き上がる。ただし、長安が涼州に近いのは、二次的なメリットである。それより、まず孫堅から逃げることが、遷都の理由だ。 何人かの人材を抜擢している。何人かの人材を抜擢している。 世民 は 『公羊伝』隠公六年 にある 「天子 は三公 を公 と称 し,王 者之後 は公 と称 し,其 の余大 国は侯 と称 し,小 国は伯 ・子 ・男を称す」(代) の 「公 ・侯 ・伯子男」 の三 等制が金文資料 の内容 と類似 す るこ とを指摘す る。 蜀漢が正統として弱いのは、やっぱりこれを継承する王朝がなかったからだろう (景元四年)この月、蜀主劉禅」艾を詣で降り、巴蜀皆平ぐ。…(翌咸熙元年)丁亥、劉禪を封じて安樂公と為す。(『三国志』元帝紀) 【鏡の法則】人生とは自分の心の中を映し出す鏡である 孫盛の蜀世譜に曰く、璿の弟、瑤、凵A瓚、]、恂、璩六人。蜀敗れ、]自殺し、餘は皆内徙す。值永嘉大亂,子孫絶滅す。唯だ永の孫の玄は蜀に奔り、李雄偽りて安樂公に署し以て禪の後を嗣がしむ。永和三年李勢討たれ、(孫)盛成都において玄に見える也。
(『三国志』二主妃子伝注引『蜀世譜』) 史記を読んだは良いがいまいち頭に入ってこなかった
馴染みのある人が出る場所なら良いかなと思って項羽と劉邦(これは過去に何度か読んだ)部分と
その前後だけを読んだんだが
個人的にはしつこいぐらいにこの人は誰ですと表示が無いと頭に入らないのかもしれない