【第5の】 長 江 文 明 【古代文明】
長江文明(ちょうこうぶんめい)とは中国長江流域で起こった古代文明の総称。
黄河文明と共に中国文明の代表とされる。文明の時期として紀元前14000年ごろから
紀元前1000年頃までが範囲に入る。後の楚・呉・越などの祖になっていると考えられる。
また稲作などは長江文明から海を渡って日本・朝鮮に伝わったという説もある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E6%B1%9F%E6%96%87%E6%98%8E 戸籍登録人口は蜀が940,000人(西暦263年)、魏が4,432,881(西暦263年)、呉が2,300,000人(西暦280年)に過ぎなかった。三国合計でも戸籍登録人口は一千万人に届かなかった訳である。 線文字Bも解読してみたら短い短文で「牛一頭」とか「麦1シュケル」とか見たいな
しょうもない事?ばっかりしか書かれて無くて歴史学者はがっかりしたらしいね。
何か歴史上の大発見でもあるのかと思ったら、ただの倉庫の管理表だったという・・・
巴蜀文字だろうがインダス文字だろうが解読されても同レベルと思われる インダス語はべヒストゥンの様な複数言語が書かれた遺物が発見されれば一発
青銅器時代の中国の言語は商漢語を除けば未開の言語だらけだし、
古代から現代に至るまで文化の相互理解がなかったので記録もほぼ無い
夏・商王朝なんて一地方政権に過ぎなかった
甲骨文の未解読の部族名だけでも6割以上を占めるから沢山の言語があっただろう 初期の巴蜀文字はインダス文字に似ていると言う話だけど、まあ無関係だと思うね。
ただ先秦時代に既に蜀出身者がインドで商売してたって事だからインドへ行くルート自体はある。
巴蜀文字を解読出来たら賞金が出るとか何とかいう話も聞いたことがある。
「説文解字」にも蜀の言葉は言語左右(左から入って右に抜ける、つまり意味わからん)
使用されている文字は異形とハッキリ書かれており漢字とは別系統の文字であると示唆されている
惜しむらくは「説文解字」の作者たちは漢字については詳しく書き記しているのに
巴蜀文字に関しては異形の文字として解読するのに関心がなかったことだ。 先秦期の記号体系ってかなり複雑
商王朝と同時期の遺跡でも呉城文化を筆頭に甲骨文字とは別系統の陶器符号がごろごろ出てくる
巴蜀文字もそれらの1つに過ぎない >>153
短い文ならそんなことしか書けんよ
良くて役職名とか王名とか >>155
文字は全て絵が元
牛の形に似せたり
それが色々複雑になっているが
結局、犬を意味する文字は犬から考える
魚に似ているならそれは魚を意味している
魚を何かすることから多少変わることもあるが 説文解字を書いた漢人なんて異民族の文字なんて興味ないから巴蜀文字について
詳しく研究するわけがない。ロゼッタみたいなのが出るなら古蜀王朝の遺跡発掘
で出てくるのを待つ以外方法はない。秦側の遺跡からロゼッタ的なものはまず出てきそうもない。漢人はのちの世でも契丹文字や女真文字や西夏文字の事も存在を知りながら全く研究対象とみなしておらず、現代の言語学者が解読に苦労する羽目になったし。漢人は異民族を蔑視しており彼らの文字なんて何ら学ぶべき価値すらないと思っていた。自分たちの文字である漢字だけは徹底的に研究し学ぶのに。
六朝と秦の文字の比較とか物凄く詳しく調べているだけどね。巴蜀文字にも少しだけ目を向けて欲しかったな。 興味のある変わり者もいただろうからその記録を待つしかないな
現在は不明なことでも、当時は別に隠していないこととか多い
楚の義帝は若いか老人かとか
劉邦は何歳かとか 周と秦のハプロが同じってのは呂不韋の子ってことっぽいな
日付がおかしいとかいうけど本当に日付がおかしいなら子楚も疑うだろ >>156
古代文明が興った地域の文字はどこも独自発達でしょ
シュメール文字と同じくヒエログリフもクレタミノア文字も祖形となる絵文字がある 甲骨文字とヒエログリフとオルメカ文字は絵文字の段階を経ずいきなり完成した形で
この世にあらわれた感じがする。甲骨文字はその前段階に当たる絵文字が出土すると
色々判明するだろうね。夏の遺跡と言われる二里頭にそれっぽいの見つかっているけど それとやっぱり気になるのは巴蜀文字だよな〜
こっちは絵文字から進化したの丸わかりで興味が尽きない。 >>163
ヒエログリフはナカーダT・U期の遺跡から出土した土器にアンクや水のマーク等のヒエログリフの原型となる絵文字が描かれている
オルメカ文字は分からないが、近年の発見で絵文字が描かれた洞窟遺跡が南米各地で見つかっているし、オカルトネタでよく出てくるボリビアのプマプンク遺跡の古代文字もあるからロマンが湧く
巴蜀文字はインダス文字との関連が口にされているけど、インダス文明崩壊後の遺跡はあるにはあるけど文字資料は見つかっていない
モヘンジョダロから逃げた人々が蜀を建国したとみれば辻褄が合うけど、夏商王朝期に文字資料が出土していないから何とも言えない 文字を同じ内容の他言語文章がない状態で解読できないのか 礼儀正しき譙侯は、古代を好み儒学を祖述し、道理を宝とし真実を胸に抱き、世の盛衰を見抜かれた。
優雅な名声と誉れ高き足跡を、全てここに書き記すものである。
我が主君は賢者を敬われ、
常に称讃の言葉を吐かれ、過去の賢人を慕われ、丹青をもってここに描かれた。
ああ汝、後の世に来たりて、この鮮やかな肖像を見よ。 文字はどこも絵から簡略化しているのだし
長い時間で多少変わるけど初期の文字は魚はさかな、牛はうしなんだから
その文字を分析すれば分かると思うけどね
だけどギリシャや殷の古代のように書いてあることは
羊1頭とか、牛1頭とか、魚十匹とか、奴隷一人とかだと思うよ、米?粟1俵とかも >>168
ギリシャの線文字Bも歴史学者が古代史を書き換えるような事柄が書かれていると期待したら
単なる食糧倉庫の管理表でガッカリしたんでしたな。
メソポタミアの楔形文字も歴史的な大発見と期待させておきながら、高利貸しの借金明細とか
くだらないものがあまりにも多すぎて歴史学者をやきもきさせるケースが圧倒的に多いんだとか。 インダス文字が解読できればとか言う人もいるが
実際には短くて解読できないんだから、短いことしか書いていないんだよな
歴史的事実が判明するような内容は数文字じゃ無理だ 「『日本書紀』は百済人を主軸にして書かれ、天皇・藤原氏(百済人)の都合がいいように整理されている。(出雲歴史博物館名誉館長上田正昭らの対談集)」 かつては黄河文明が最先端であるというのが主流でしたが、遼河や長江にもそれに匹敵する古い文明があったという証拠となる遺物の発掘が進んでおり、長江文明は最大で紀元前一万年まで遡ることが出来る可能性が出てきたからです。 >>169
それが貴重な情報なのにね
それに殷の甲骨文字や金文も初期の短いのはそれぐらいのことしか書いていない
インダス文字も多分同じ
というか文字数が少なくて解読困難と言っているんだからたいした情報量はない
羊三匹←この文字が解読できなくてもたいしたことが書かれていなさそうなのは分かる 劉封へのお手紙
曹丕は孟達に、劉封を襲撃させた。夏侯尚・徐晃とセットで派遣した。孟達は自分で裏切っておいて、白々しくも劉封に手紙を送った。
孟達曰く、
「古人の言にあります。他人に親類の仲を裂くことはできず、新参者は古株を押さえつけないものだ(原文:疏不間親、新不加旧)と。人間が正しい行いをしていれば、本来の形が狂うことはないという意味です。しかしそれが通用しない場合もあります。恩愛の気持ちが他に移ったり、悪口を言って間を引き裂く者がいたりする場合です。権勢や利益が圧力として加われば、親さえも仇敵に代わってしまう」と。続けて言う。
「劉備の愛情は実子の劉禅に移ってます。あなたは劉備とは血の繋がりがない。早く事態を飲み込みなさい。家来たちだって、後継者問題に神経質になり、あなたを除こうと悪口を吹き込むでしょう。成都に帰るなんて、ヤバいって。魏に降伏するのが、生き残る道ですよ。すでに養子として実父を棄ててるんだから、今さら養父・劉備から去ったって問題ないんだ」
劉封は孟達の手紙を「アホか!」と突き返した。
申儀が反旗を翻し、劉封は敗走して成都に帰った。申耽は魏に降伏した。
諸葛亮は「劉封をほっといたらヤバいすよ」と進言した。劉備は劉封を自殺させた。劉封は嘆息して「孟達の言うことを聞いておけばよかった」と悔やんだ。※すなわち、魏に降伏しとけばよかった、という意味だよね。劉備の養子が曹丕に降伏するって、想像するだけでも一大事だよ!
※あ、でも袁譚も曹操に降伏してたよね。目くじら立てるほどじゃない? >>174
最古の亀甲文(紀元前1620年頃)に至っては清書ではなく習字と言うw
他に目立った成果は第21代の王である小乙の名が記されていた事くらいかな
木簡の発見と二里頭期と商王朝の間の年代の文字体系が分かれば違うんだろうけどね
出土されている陶器記号だけでは判断が難しい >>176
つまり、練習に使える状態ということから
発見されていないだけでもっと不対のが分かる >>159
民族はクズだと思っても文字とかには興味を感じたりするけど
嫌いでも古代文字についてちょっと書いていてくれればなあ
殷の神でも何の自然神か分からないのが結構あるらしい 惟武伯與智淮殿而止焉。欲力保晋氳之原。智淮奪子叔釐賖於虜。城于葛零基以舍焉。國號辰沄殷。時人又稱智淮氏燕、以別邵燕。姫發降志、賄以箕封。殷叔郤之。韓燕來攻。乃徙翳父婁キ焉。傳云。翳父婁者奚契旦爰麻岣秘處也。又云。奚契旦爰~子耆麟馭叡別號也。 當武伯山軍糾合于冀跳破於南。偶寧羲騅、以其舟師及弩旅會于渝濱。高令擧國前走。歌曰。 >>176
甲骨文の起源の研究が明かされないのはやっぱ共産党に都合が悪いからかな
黄河流域の文化の担い手は原中国人・コーカサスで今のモンゴル系が占める漢民族じゃないし、
長江流域に至っては東南アジア系
文字の起源ともなると華夏ではない辺鄙な地か西側から齎されたと分かれば面子丸潰れ >>181
解読不能となっているインダス文字なんだけど
ネットで見ると甲骨文字となんか似てるんだけど、、、
甲骨文字がかなり高度に進歩した状態でって言われるから
やはりインダス文字が元でそれが衣王に滅ぼされたとかじゃ、、、
思うんだけど
仮借という漢字の音で別のことを現す。要するに暴走族が好きそうなの
これって高度な使い方とされているけど文字がなければ同じ音の使うぐらい普通にやりそう >>182
象形記号は旧石器時代から骨組みは出来上がっていたのだと思うが、
漢字の重要な部分である形成と会意はやっぱり夏・商王朝期に西側から齎されたんじゃないかな やはり、文字を発明したのは世界でウルクだけなのかもしれないね
名字ってのも世界でイタリアと中国だけで発生した珍しいものだけど
結局あちこちで真似するようになっている
そうなるとやはり、シュメールからインダス文明に伝わって(アッカドからかもしれんが)
インダスから殷に行ってって感じかもしれない
何か一部の研究者にとっては中国語とシュメール語が煮ているらしいし ただ、夏は存在したとしても発掘遺跡に文字がないし
歴史上も文字がなかったことになっているから来ていたら殷時代だと >>178
数多の自然神の他に羌等の部族名や貞人を表す文字が多数を占めている
人・物や万物の事象を表す文字なんて全体からすれば僅か
「寺」の字も最近では自然神或いはその神をまつる部族を表す文字って説も出てる
>>184
世界各国に絵文字は生まれていたが文字に進化したのはシュメール絵文字と次にヒエログリフ
ただ、良渚文化期の陶器に刻まれてる文字らしき記号列も研究の成果が待たれるが共産党が結果を誇張しそうで怖い 誇示ならいいけど最近の避諱の前の時代で列侯の文字とか
何か作って埋めているような >>185
二里頭から文字状の記号なら見つかっている。でもそれが本当に文字なのかは今のところ
不明のまま。甲骨文字っぽさはあるんだけど断定はされていない。 延熙六年、費禕は大将軍録尚書事となった。また、同時に王平は前護軍より前監軍へと移り、蒋琬の指揮下を離れる事となった。
辛うじて姜維が中監軍を保持し、中軍だけは蒋琬と姜維のラインに残るが、それ以外は費禕の指揮下へと移される事となる。 王莽は、門兵を越人に代えた。門ごとに校尉と、兵6百人おいた。 中国では、仇敵の肉を食べて、そのうっぷんを晴らすという話は多い。彼らにとっては、敵の肉を食べ、またその皮を敷いて寝るのは、ひじょうに愉快な話に属すらしい。 >>178
数多の自然神の他に羌等の部族名や貞人を表す文字が多数を占めている
人・物や万物の事象を表す文字なんて全体からすれば僅か
「寺」の字も最近では自然神或いはその神をまつる部族を表す文字って説も出てる
>>184
世界各国に絵文字は生まれていたが文字に進化したのはシュメール絵文字と次にヒエログリフ
ただ、良渚文化期の陶器に刻まれてる文字らしき記号列も研究の成果が待たれるが共産党が結果を誇張しそうで怖い 4千年前の中国は黄河流域と長江流域とで遺伝子上明確な差異があったとのこと
黄河の方は現代漢民族のあらかた祖先
長江の方は華中・華南の隠し味的存在
ちなみに長江の方はマレー系との近縁らしい
中国四千年の歴史とは遺伝子的に見れば
黄河流域の人間が全中国を支配する歴史 長江文明(ちょうこうぶんめい)とは中国長江流域で起こった古代文明の総称。
黄河文明と共に中国文明の代表とされる。文明の時期として紀元前14000年ごろから
紀元前1000年頃までが範囲に入る。後の楚・呉・越などの祖になっていると考えられる。
また稲作などは長江文明から海を渡って日本・朝鮮に伝わったという説もある。 「先主の諱は備であり、その字義は具(完結する)である。後主の諱は禅であり、その字義は授(さずける)である。劉氏はすでに完結した、当に人に授けるべしというのと等しいことになる。」 先主諱備、其訓具也。後主諱禪、其訓授也。如言劉已具矣、當授與人也。 漢の光武帝は、高祖から数えて九世の孫にあたります。 長江文明のもの人面形土器(鉄器だったかな?)は目が異常にデフォルメされていてその異形さにギョっとした