周瑜 魯粛 呂蒙 陸遜 陸抗 呉の軍師を語るスレ 6
髭は蜀人からも「自業自得やろ」とかdisられてるからな >>462
>にも関わらず、呂蒙がここまで丁寧な詐術を行うのは関羽が名将だから
>という理屈やぞ?
その前提が明らかにおかしい
呂蒙がここまで丁寧な詐術を行うのは本気で荊州取りに行ったから
とか考えないの?
関羽存命中に関羽の配下やその家族の多くを慰撫し心服させ
孫権まで繰り出して荊州の租税免除したりしてたからな
おかげで関羽の率いる方面軍は壊滅で荊州の土地や于禁らの捕虜含めて呉が手中に収め
呂蒙死後2〜3年後の夷陵の戦いの時には既に荊州は根っからの呉の土地になって
劉備に呼応する勢力ほぼ無し
ほぼ唯一といってもいい武陵蛮は関羽の元配下の潘濬に馬良含めて撃破されるという >>462
茨州戦が長引けば、夷陵の戦いや西陵の戦いのように
魏晋に攻められるのが分かり切っているのに
なんで関羽だけ呉蜀だけの戦いで完結するんですかねえ?
まともに考えれば無駄に関羽を攻めれば劉璋よりも巨大な曹操も同時に相手を
しなきゃいけないんだけどな
なんで関羽だけ方面軍司令官で議論しなきゃいけないの? >>462
あと三国時代の人口は
蜀が94万人 263年
呉が240万人 242年
後漢の人口なんてそのまま使えないよ >>466
もちろん本気で関羽から領土を取りに行っていると考えます。まことに計画的に。
魯粛から引き継いですぐに孫権に献策していることからも、そうです。
あと目的と手段の難易度を混同させない方がよいかと。
>>467
呂蒙も同じ立場なのでは?
>>468
それ呉だけ晋書なんですよね。
何故後漢の人口を使うかといえば三国志時代の人口がわからないからですよ
晋書280年で言えば、
梁州・益州・寧州 約200万人
交州・廣州・揚州・荊州(魏領除く) 約380万人
大幅な把握人口減ではあるけれど比率を見る限り
後漢の人口と比べれば、揚州が大いに発展
襄陽群が南群(江陵)にダブルスコアで人口負けてるので
長江付近は呉を経ることで大いに栄えたのが伺えますね。
280年でいけば荊南時代の劉備勢力は劉璋の半分程度に収まりますね。 >あと目的と手段の難易度を混同させない方がよいかと
呂蒙にとっては関羽はイージーな相手だよ
215年に荊南3郡回収した時は関羽は
文弱の魯粛や寡兵の甘寧に阻まれているからな
舌戦でも魯粛に完敗
そんな相手が呉に非礼無礼を働いた挙句
組織グダグダなまま全力で背中向けてるからな
もうアホかと
呉は孫堅の時代から荊州とは戦い続けているので
荊州奪取は呉の長年の悲願
1つ間違えてはいけないのは
呂蒙の真の敵は関羽ではなく自身の寿命と荊州
関羽しか見えていない奴にはわからないだろうけど まあ関羽って言うか劉備が孫権陣営舐めてたからな。華北や中原の人士の江南軽視は五胡十六国時代でも凄いし。 呉にとっては雑魚、蜀にとっては戦犯扱いされてる関羽なのに
魏側だと大敵扱いされてるのが面白いな >>473
そうか?
于禁の後の将軍が最初に曹植を選ばれている時点で
魏もナメプだと思うが >>474曹操もビビって遷都しようかなと言っちゃってるし
蜀の名将は関羽のみ的な事言ってる奴もいるし
呉、蜀と比べると魏の方が関羽の事評価してる気がする >>475
遷都の件は関羽だけでなく、大規模な内乱があったし
司馬懿が絡んでるから信憑性が薄いだよなあ
名将の件も漢中での敗北で関羽なんて絡んでない
あんだけ大敗北しているのに
名将は関羽だけなんてこれも信憑性が無いって そもそも劉備陣営で中央で名が知られてる将なんて関羽・張飛を除いて
それこそどれだけいるのかっていう疑問の方が大きい気がする
趙雲や魏延、黄忠だって中原じゃ殆ど無名に近いんじゃないのかなあ
それ以下ならもう十羽一絡げだったとか >>477
劉備だぞ
関羽張飛も劉備がいての評価だ 劉備は最後が物凄い負け方したけど一年近い対陣を何回もやってることからして統率力は相当ありそう。 >>479
劉備は最後の大ポカしなけりゃ
魏の三方侵攻も防げずに大敗北して、
三国時代は魏の統一で終わってたな >>476
大規模な内乱といっても曹丕が片付けた未遂のやつと県兵が鎮圧したレベルの群盗騒ぎ
まぁ曹操が嫌気さすには充分だが屋台骨揺らぐまでに至っておらず
逆に不穏材料や膿が出尽くして後の禅譲時に目立った混乱無い程の雨降って地が固まった感が
あと魏の漢中大敗北とかいっても主将の1人死亡で僻地放棄して軍容崩壊せずに撤退だから
方面軍壊滅で人材主要地域の多くを喪失の蜀の荊州失陥よりはあまりダメージ無い
劉備も夏侯淵よりも張コウ取り逃がして不完全燃焼感表してるから
蜀ヲタの見解よりも劉備自身の方が漢中戦勝利感無さそうだが >>480
いや劉備が夷陵で勝ってたら魏は呉を攻めない
当時は魏と呉は同盟国だからな
逆に三方侵攻の軍が全て呉の援軍として劉備に襲い掛かってた可能性も
逆に劉備が夷陵でもっと惨敗して永安で呉に襲われて死ぬぐらいの壊滅状態ならば
呉は完全ガラ空きで魏の三方侵攻は成功した可能性もあるな >>469
>呂蒙も同じ立場なのでは?
意味が分からん
立場が同じだから何?
>梁州・益州・寧州 約200万人
漢中付近及びそれより北は劉璋は支配していない
さらに南方の郡も下手をすると支配していないかも
どうも劉備からぽいんだが劉璋が支配してる記述はあるかな? >>482
劉備は夷陵で二回負けて惨敗しているのは正史通りなんだが
陸遜が深追いをさせず劉備の命乞いを許して魏の侵攻を許さなかっただけで
呉の食料庫を襲って両面に喧嘩を売るヘボ将軍じゃないだけだし >>484
まぁ確かに陸遜なら万が一劉備の首あげれても必ず魏の備えは怠らないだろうな
それはともあれ関羽の頭の悪さは後世で神格化された人物と思えないぐらいの酷さ
荊州を呉に取られて襄陽から撤退するならとっとと蜀に逃げれば良かったのにな
もしくはそんなに関羽が魏を倒せるぐらい強いならとっとと引き返して呂蒙と一大決戦して荊州取り返せばいいのにw
まぁ実際は異常気象込みのラッキーパンチでに于禁の七軍を撃破できて奇跡的完勝しただけで
例えば楽進相手だとほぼ勝てなったり寡兵の徐晃にやられたりされる程度の将
あと追い込まれて初めて文通攻撃で取られた領土取り返そうとか正気とは思えん
取られた城を手紙送れば簡単に返して貰えるなんて斎藤龍興と竹中半兵衛の間ぐらいでない限りあり得んのにな
日頃の行いが悪過ぎる関羽が取られた城返してくれる訳無いだろ
あと配下のほとんどが脱走して寡兵になって囲まれても項羽なら最後の1人まで戦って全滅なのに
関羽は偽りの降伏で油断させておいて脱走しようとして捕まっていきり立った兵士にフルボッコの挙句処刑だからな
お前はカダフィ大佐か 季漢では劉備や関羽の軍事的失敗を批判すると
諸葛亮から誹謗罪で死罪に当たると上奏される
廖立みたいに
怖い国だな >>488
馬超さん一応漢中王に即位する時の署名筆頭やしな。
やってる事だけみてると冉閔や赫連勃勃と区別つかんけど 馬超は外様の印象だよね
袁術に従った孫堅に近いのかな
馬超が死去してその部下は完全に蜀軍に吸収された感じだと思ってるけど 馬超は外様とはいえ貴族だからなあ。
やはり一目置かれたのだろう。 馬超さん典略だと馬援の後裔とか書いてるけど祖父の名前すらわからんから怪しい。
劉備から厚遇されたのは関西(羌族)の人心を得るためなんやろな >>492
馬援ー(略)ー馬平ー馬騰ー馬超
だったような
馬援と馬平の間の2〜3世代分が不明なので怪しいのは確か
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カプコンの「天地を喰らう」をパソコンに移植してほしいぞ。 >>499
そうかなあ?
この人は事績がたいして伝わっていないので、軍事的才能があったのかどうかわからないよ。 >>506
郭嘉は軍事祭酒だから
軍師でおkだが酒飲んでないとダメなポジのイメージw >>505
校尉て武官で
軍内の部曲を率いる高級武官
軍師とは少し意味合いが違う
まあ魯粛は校尉でも赤壁の戦いではほとんど武官らしい仕事していないし
軍師もほぼ軍師将軍という職がデフォなので >>507
祭酒は元々戦国斉の稷下の学士の筆頭のこと
「祭酒」の意味は祭りごとの席で乾杯をする年長者。それが転じて長って意味になった >>510
祭酒て役職
飲み会の多い会社や大学サークルに必要だと思うが
日本で普及していないのは残念 そもそも死体鞭打ちエピソード自体司馬遷の創作臭いし
(左伝にはないエピソード) よく平王みたいな悪人から
昭王みたいな名君が生まれたもんだ 平王の息子は基本みんな良い子で優秀だからなぁw
昭王の兄達もみな優秀 平王「俺ってそこまで悪人か?春秋の貴人としてはわりと普通じゃね? 王朝を潰しかけたのは息子だし」 俺が不思議に思うのは、
どうして曹丕は劉備死後の蜀を攻めずに、呉ばかり攻めたのかということ。
曹丕は劉備死後直後の蜀に書状を送り、降伏を勧めたが、孔明に一蹴されて終わっている。
普通に考えれば魏は、関羽張飛黄忠馬超といった名将を立て続けに失い、
荊州をすべて失い、
夷陵の戦いで大敗し、国力が大きく疲弊していた
軍事的にみれば、弱った蜀に対して大軍で漢中奪還へ着手し、
蜀を攻めるべきではなかったか?
イデオロギーからみても、
漢から帝位を簒奪して誕生したのが曹魏なので、漢朝再興を国是とする蜀に対して
一番に討伐すべき対象だ。
三国志演義では曹丕は司馬懿提案の五路の計で、五方面から蜀を攻めようとしたと
物語られているんだから、曹丕が蜀を攻めてもおかしくはなかったと演義の作者にも思われたんだろう >>523
4行目書き間違えた
正しくは「普通に考えれば蜀は」だった そりゃ史実じゃ関中や関西ちほーは実効支配ちゃんとできてるか怪しい状態だったし。 魏の長所はやっぱ「国力」だが、蜀の山は大軍で攻めるのが難しい
呉は代わりに船と水軍が要るけどそれはしっかり準備すればなんとかなる
だから恐らく曹丕は呉から倒すつもりで計画を練っていた
…とここまでは戦略的に正しいのだが
だがいざ攻めるあたりで呉は夷陵で大勝利しおった
よって色んな軍師が「勝ったばかりの軍を攻めるは下策ですよ!」って呉攻めを反対したが
曹丕はやっぱ臨機応変の才がなかったんだろな
計画力と行動力はあるんだけど情勢の変化に対応できなかった でも魏は張魯を降して漢中を領していた経験があったんだから、
その経験を活かして漢中奪還に本気になるべきだった
漢中さえ奪還できれば、蜀は漢室再興と称して中央へ躍り出る糸口を失ったも同じ 曹操の漢中征伐は張魯=漢中が孤立無援だったから成功したんでしょ
後ろ盾を得て抵抗する気満々の漢中を同じ勝手で落とせるとは思えない 魏が内政を充実させて朝廷を固めて守成に専念してたら勝てたかな? >>528
コスパ考えると漢中奪還するなら一気に蜀まで取らないとキツイ
中途半端に漢中だけ落としても曹操が根こそぎ五斗米道信者中原に移動させて
鶏肋の地と化した漢中を中途半端に維持するのも当時なら大きな負担
蜀も漢中の兵站維持するのにかなり消耗しているからな
あと蜀が漢室再興を掲げて漢中取って漢中王だの僭称しても
漢の終焉を願っていた当時の中原では全く響いていないのでな 曹丕の帝位即位後・・・
蜀の文武百官「天下万民は、漢を滅ぼした逆賊曹丕を憎み、
慈雨を乞うがごとく、漢の復興を願ってやみません。
わが大王が帝位に即位され、漢の社稷を再興されれば、
、曹丕に表向き従っているだけの中原の者たちは、続々と曹丕への反乱の狼煙をあげましょうぞ!!」
劉備「よくわかった!!これより即位するぞ!!!」
即位後・・・
劉備「おかしいな・・魏で曹丕への反乱の兆しがない・・・」
孔明「曹丕におどされているのです。北伐軍を送れば、
漢室を慕う者たちが我も我もと続々帰順し、魏はわが軍と戦う前から自壊しましょうぞ!!」
北伐後・・
孔明「おかしい。誰も帰順してくれない・・・。益州一州の兵力だけで中原を支配する大国を滅ぼせるわけがない。
出師の表まで書いて成都の宮廷で大見得を切って出陣したのに、今更北伐を撤回できないし、どうしたものか・・・むむむ」 >>53
蜀臣「皇帝になった今こそ魏へ討伐のための軍を起こすべきです!」
劉備「は?関羽の仇打ちのために呉を攻めるぞ」
諸葛亮「荊州必要だからしゃーない」 >>531
何年待つかによるけど、数百年後には江南の生産力が北を上回るようになるが ずっと気になってたんだが陸遜も周瑜も魯粛も割と名家だったんだろ?
陸遜が呉の四姓なのは知ってるんだが魯粛と周瑜はどの程度の家柄なんだ?
他にも名家っていうと袁家とかあるけど名家のランクというかスケールが知りたい 周瑜のご先祖と袁紹のご先祖は和帝の頃は同僚で和帝の側近として外戚竇憲の専横を防いでた仲。
より正確に言うと袁紹のご先祖の袁安の故吏だったのが周瑜のご先祖の周栄で、司徒時代の袁安が県令をやってた周栄を自分の幕府に招いてスピーチライターを任せて竇憲陣営からは「周栄は袁安の腹心。奴を除かねば」と警戒されてた。 袁紹の先祖は袁術の先祖でもある、というところがミソかな ということは袁家>周家>呉の四姓って認識であってる?
周瑜相当な名門なんだな
よく周家が孫堅ならまだしも孫策についていくことを了承したよなぁ 確か外祖父の周景も跋扈将軍粱冀のスタッフで大尉や司空になってて清流派をどんどん推薦してたりする。
袁家ほどではないにしてもバリバリの名門 跋扈将軍系:清流
宦官系:濁流
そう考えると宮仕え自体穢れな世の中だな
後漢が終わるのも無理もない話 そんな名家に生まれたおぼっちゃん周瑜なのになぜ誰からも孝廉や茂才に推挙されてないんだぜ? >>543
孝廉や茂才に推挙される前に官職に就いたら推挙されないんでは? 周瑜が建威中郎将の官位を得たのは24歳の時。それまで推挙の記述なし。
孫権は15歳で孝廉、茂才に推挙されてる。周瑜はなぜ放っとかれたのか。 >>545
孝廉は前漢時代に毎年国郡ごとに孝者、廉者各1名とか決められたけど
後漢時代に資格満40歳以上(ほぼ例外多々)、試験ありとか面倒臭くなってるので
あまり官職への欲望の感じられない周瑜が孝廉時代してもおかしくないが
だから周瑜は偏将軍止まり >>538
>>541
周栄=反外戚
周景=親外戚
どうしてこうなった 呂蒙って三国志の創作の中では一周回って横山が一番扱いいいよな 蒼天航路なんか荊州争奪編は関羽が完全に主役だし
北方三国志でも関羽が一番目立ってたな
史実重視の宮城谷三国志でも関羽がかなりヨイショされてた気がする
日本の作家が関羽好きすぎるんじゃね? それでも人形劇は悪意が有り過ぎ
スリキンも関羽をクソ野郎扱いした上でKY扱いで毒殺て… 元蜀の文官ですら劉備は何とか庇っても張飛共々関羽は自業自得と明記してるのに何で呂蒙とかにとばっちりが来るのかね
少なくとも俺達が関羽か呂蒙どちらの部下になりたいかという話なら呂蒙じゃないか?
関羽みたいなパワハラの話は無くて和解の約束破ったら相手が甘寧であっても追い込みかけるくらいの面倒見の良さなのに >>555
それが三国演義クオリティ
職贔屓にする為に他の善良な人の性格や寿命まで変えてしまう
通俗小説売る為に先人に対する敬意が全くないのが羅貫中の悪い処 羅貫中「お前らの陸抗が羅憲相手にやらかした話はカットしてるんだから勘弁してくれや」 羅憲って歩協相手に長江戦で負けてんじゃん
やっぱり都合の悪い事はカットするんだねえ そりゃ羊コvs陸抗が演義終盤じゃ数少ない見せ場やし…… >>558歩協が長江で羅憲を破り
次に羅憲が永安で歩協を破って
それで陸抗が援軍に来たっていう流れだっけ? なのになぜか一貫して羅憲vs陸抗だと思い込んでる人間が少なからずいる
で呉軍が退いたから「羅憲に陸抗が負けた」って単純な結論が往々に 羅憲の事は朱然に比べたら取るに足りない事
魏史上一番とも言える陣容で攻められてかつその中でも一番な激戦区を守りきった功績を挙げたはずが
まさかのその前に戦死とはね >>556
先人を魔改造(雑)するのは古代中国以来の伝統文化だから…
作者の都合>>>越えられない壁>>>事実・敬意 山本伸一の一行は、中州賓館に一泊することになり、宿舎に移った。
突然の訪問にもかかわらず、中国人民対外友好協会の河南省分会の関係者が、熱烈歓迎
してくれた。
夜には、食事を共にしながら、歓談のひとときがもたれた。
伸一は、河南省分会の責任者に言った。
「雷雲のために、憧れの鄭州に泊まることができ、こうして新しい中国の友人と出会えま
した。雷雲に心からお礼を言わなければなりません」
笑いが広がった。
鄭州の人びととの、せっかくの出会いである。伸一は、この機会に、未来にわたる強い
友誼の絆を結ぼうと思った。
それには胸襟を開き、どこまでも誠実と情熱を尽くし、魂と魂の触れ合う対話をするこ
とだ。
語らいは弾み、河南省の文化や歴史について話に花が咲いた。そして、三国時代には、
中原は魏の国の曹操が制していたことから、話題は「三国志」に移っていった。
伸一は語った。
「私の恩師である、創価学会の二代会長・戸田城聖先生は、『三国志』などを青年に読ま
せ、指導者論や人間学などを講義してくださった。
その先生がお好きであったのが、蜀漢の名宰相・諸葛亮孔明の晩年をうたった、『星落
秋風五丈原』の歌でした。
これは、日本を代表する詩人である土井晩翠の詩です。
今日は訪中団の青年たちが、皆さんにこの歌を披露いたします」
拍手が起こった。
同行の青年たちが、立ち上がって歌い始めた。 >>561
で何故か「火事場泥棒」とかいう謎のキーワードが出てくるんだよな
既に蜀の地は魏に降伏して自身も魏の人間になったんだから
羅憲が呉に攻められても当然だったろうに
263年10月に蜀が呉に救援要請して
263年11月に蜀が魏に降伏してるんだから
呉にどうする事もできなかっただろう