【孫堅】 孫権 【孫策・孫乾】
>>158
ありません。棋譜なら残っているんですけどねえ。 孫堅 張宝 張遼
孫権 張苞 張梁
孫乾
うん、ただこれだけやりたかったんだ。すまない >>158
中国の書状は、宋代のものでも大変に貴重とされているから、
三国時代のものだとなおさら。
紙だって、まだ本格的な普及途上だったんだし。 呂布から策へ張紘クレヨの手紙の返事
たぶん文章家の張紘自身が書いているんだよね。 孫堅孫策孫権以外の孫氏で
誰が一番優秀だったかとか考えませんか? 孫権があんな長生きしたのがおかしいんだってこの一族。
孫堅孫策孫権孫翊ついでに孫夫人。みんなそっくりじゃないかw 孫権の異常に長すぎる寿命を孫登に分けてやれよと運命の神に言いたい 孫権が孫登死後もまともな君主だったならまだしも、
孫登急逝の影響で後継者問題がgdgdになったからねぇ。 孫権は二人居たのでは? 演技でいうところのリョウカの様に 演義の廖化二人説ってなんなんだろなー
200年の時点で黄巾残党の若者(20歳前後)なら、
263年まで生き残っても不思議じゃないんだが。 >>175
1.廖化は黄巾の乱勃発時に既に青年だったに違いない(演義)
2.廖化は元の名が淳(正史)
3.廖化は呉から逃げるときに自分が死んだと偽った(正史)
4.廖化は蜀が滅ぶまで生きていた
演義設定を誤解(黄巾残党だからって乱の最初からいたとは限らない)した上、正史での名前が二つあって死んだと偽ったという話を膨らませたんだろう >>176
その通りだと思う。
演義読めば普通にそう思えるのに、二人説がなぜ出て来るのか解らない
いやどこかの小説でそういう筋を作ったっていうのなら文句はないんだけど。 >>128
逆だバーカ
孫策がズタズタにした豪族との外交関係を孫権が8年かけて修復したんだわ
だから荊州侵攻が遅れに遅れて赤壁前になっても勢力伸張がほとんどできなかった >>180
179は>>164へのレスのつもりだった
わかりづらくてすまん 陣立ては曹操に褒められた。
個人の武勇は張遼の目に留まった。
頭ももちろん悪くない。
問題は前線での粘り強さがないってことだなぁ。 >>184
損害出そうになったら即座に帰るという問題点が
博打はそれじゃあ勝てないよな、負けもしないけど 孫権が中毒になるほど当時の酒って旨かったんだろうか
アル中で死ぬよりも先に糖尿病になると思う 高校生ぐらいの年から抜きん出た存在で、身一つで武勇伝を馳せ、若者を
従えて地域に跋扈する賊と戦い、黄巾討伐の旗揚げ時も確たる領土も持た
ず、ただ漢室の救出を目指して大陸を走破し、最強の軍勢を擁する暴君を
退けながらも、灰燼と化した首都で恩賞を得て将兵を労う事もできず、勝
ち戦で自ら戦死してでも、それでもなお精強な部下達を心服させ、孫家二
代三代に命脈を保たせしめた孫堅は物凄いエネルギーを持っていたんだろ
うな。無から生まれいで、私利私欲で動かず、本拠を持たず各地を転戦し
ていたはずの孫堅の威徳が長らく江南の地に行き渡り、孫家の地盤となっ
たのはカリスマのなせる業だろう。
孫堅は高潔な野人、
孫策は貴公子、
孫権は政策政治家、のイメージ。 >>193
孫堅はまぁそれでもいいが、孫策はないわwww 孫策と呉の四姓の関係についていえば、間違いなく陸績は
孫策生存中に出仕してるわけで、着実に和解は進んでいた
(孫家の力を有力豪族も認めざるを得なくなっていた)のでは。
孫乾はできる人で値千金のファインプレーも多いが特徴は影が薄いってことくらいしかない 孫乾は「ソンカン」と読んだ方がいいと思う。
さすがに三人も同じ発音は紛らわしいし。 美容整形板のタカ ◆PLAYBOYiBYが二重瞼手術に成功した! 保守がてら
その後の中華の土地に貢献した度合いが大きい人