【三国志】マイナーな人物を語る【魏呉蜀】
劉備、関羽、張飛、曹操、呂布・・・
綺羅星の如く語られる英雄とは別に、名前は出るものの
いまいち世間の評価が低いんジャマイカと思われる、
三国時代のマイナーな英雄について語ろうじゃないか。
漏れ的に法正は相当評価高し。 裴茂って関中諸軍を統率して李カクを討伐したって確かあったよね。
そう考えると統率とか策謀に優れた有能な人材ってイメージがある。
こういう人を数値的に評価したらどうなるかなってマイナー武将の
能力を考えるとちょっとワクワクする。 >>229
蒼天の関羽子飼いの任侠っぽい扱いもたまらないよね
実際はいいとこの坊ちゃん 蒋エン時代の漢中において、王平と共に職務をこなした良将だよね。 マイナーといえば袁紹軍の李孚とかは面白い存在だね。相手の心理を良く
見通した行動力は度胸抜群。
ああいうのを見ると袁紹軍って人材豊富だったんだなあ、とかちょっと
思ったりしますね。 >>231
おお! 劉敏!
何年振りかのう、その名を聞くのは(つД`) >>235
いや、ただの名無しさん@お腹いっぱいだす >>233
斜陽の袁家を支えた策士…なんつったら格好良いのにね。頭も良いし、大胆だし。
業βの攻防は審配の奮闘ばかりが伝えられるけど、李孚も取り上げて欲しい。
袁紹の人材っつったら、陰キ(携帯から済みません。)とかもマイナーだけど大物。 袁家を支えた人物では、王脩はいかがでしょうか?
袁譚を盛り立て、袁譚の死後も魏の忠臣として活躍がある割に
前線に立ってないせいか評価が低いという印象があるのですが。 華陀以外の方技伝のメンツはマイナーかな。
ちくま文庫にまとめられた中で、魏の4冊目に収録されている
連中は総じてマイナーな印象が付きまとっている気がする。
周宣は曹丕の夢分析(?)をしたりしているようだけれども。
三国志演義にそれなりにでも目立つ出番があるか否かがメジャー・マイナーの
境目じゃないのやっぱり・・・・ 個人的には韓遂が好きだな
協定と裏切りの間で暗躍した後漢三国時代の梟雄
名前すらまともに伝わってないしw マイナーと言えば馬于
三国志人物事典に掲載され、VOWでネタにされた 後漢の高官橋玄は?その清廉潔白な生き様といい
曹操の才覚を早くから認めるなんてなにげに凄いぜ。 >>244
自分の子供が人質にとられた時、子供もろとも犯人を殺したんだよね >>247
246じゃないけど、確か関羽配下の部将だな
裴注三国志の夏侯惇伝に、219年、曹操軍が摩陂で呂布を破ったとある
同年、関羽が曹仁を樊城で包囲したとき連れてった(らしい) >>242
元の名前は韓約?だっけ? 辺章も改名後の名前だよね
武帝紀かどっかで、韓遂だけ名前がバレてて笑った記憶がある >>250
おせっかいながら更に補足すると
集解なんかに、そこに出て来る「呂布」は誤文じゃないかとか関羽の間違いだろとか、いや、関羽のもとに五原の呂布とは違う呂布がいたんだろうとか、いろいろ言われてます。 >>251
違う違う。全然違う。それはテレビのニュースで言ってたフィクションだろ。
お前は新聞だのテレビで言ってる事を何でも疑いなく信じてるんだな。
教科書には真実しか書いてないとか思って丸暗記してるタイプだろ。
そういうのを馬鹿って言うんだよ。
まず間違っているのがあれは事故ではなく事件だということ。
被害者は言うまでもなく関根さんと坂本さん。
あの駅の日常光景だけど李さん、もとい李秀賢が坂本さんに絡んだのがそもそもの始まりなんだよ。
言い争いをしようにも朝鮮語を知らない坂本さんには李が何をわめいているのか全くわからない。
そのうち李が坂本さんに殴りかかるんだけど楽勝でかわされて勢い余って線路に転落したんだよ。
それを助け出そうとした坂本さんと、たまたま近くにいた関根さんが巻き添えになったというのが事件の真相。
なぜ映画まで作って必死で事実を隠蔽するのかはこのスレを開くような人なら当然ご存知の通りだよ。
2chを見るまでもなくこの辺にも普通に書いてあるしね。http://peachy.a-auc.net/korea/korea2.html
だからさっきからお前の言ってる事はマスコミの言う通りで(言う通りだからこそ)全然間違ってるって言ってんだ。 276年に孫皓が国山で封禅の儀式を行った際に建てた石碑(封禅国山碑)に
当時の丞相として名前だけ出てる。姓は不明。272年に右丞相万ケが亡くなり
279年に張悌が丞相に昇進してるので、その間に丞相を努めた人物と思われる。
丞相なのに名前すら正史どころか注にすらに残ってないとは、
本当にマイナーだな。どんな人物だったのか気になるな。
まともな政治家だったのか軍人だったのか佞臣だったのか。 西陵の戦いの呉将も重要拠点任されているわりにはよく分からん出自の奴ばっか 孫権死後の呉は、高位高官なのに出自の分からん奴ばっか。 姜 維。横山三国志で感動した第60巻。
剣閣に蜀の精鋭が必死で奮戦し、魏の軍勢を何度も食い止めた。
姜維のどこがマイナーなんだよ
裏で凄まじい活躍してた羅憲こそもっと評価されるべき 似たようなことをやっているのに
さらにマイナーな吾彦こそもっと評価されるべき >>268
劉纂は孫権の娘を二度娶ったことと能書家だったことしか分からないな 他に父親候補として考えられるのは劉阿、劉邵ぐらいか。しかし
車騎将軍&孫権の娘婿と結構な重要人物だったろうに記述が少ないな。 無理くり捻りだすと劉基の二人の弟、鑠と尚。
あとは劉璋の子、闡。 孫権の娘をめとるほどの呉で影響力のある名門で劉氏となると、
劉基一族しか考えられないな。劉纂は劉基の弟の子と考えるのが妥当そうな気がする。
劉闡の子なら、家柄的には超名門だけど、呉における影響力はなさそうだし。 しんこんさんいらっしゃいが呉を滅亡させた しんこん は? >>274
岑昏は奸臣と言われてて、呉の群臣の憎しみを買っていたみたいだけど、
具体的にどんな悪事をしたかは記録にないんだよな。
あと、孫皓の機嫌を損ねて処刑されそうになった張尚を救ったり、いい事もやってる。 >>276
曹操が漢中を取った時、みんなが漢中の守りを韓浩に任せるよう推挙したが、
ずっと曹操の直属軍を指揮してきた韓浩には、国境の守りは畑違い過ぎると思う。
別軍を指揮したり要所を守ったりして活躍した諸将を差し置いて、
なぜ韓浩が漢中の守りに推挙されたのか良く分からない。 多数の軍団を統率する経験と能力に優れ、曹操への助言として戦略眼も示していたからだろう >>278
韓浩の中護軍は曹操の直属軍を指揮する役職で、
多数の軍団を統率する役職では無い。
また、史書では韓浩が多数の軍団を統率した経験はなく、能力も未知数。
戦略眼があっても、大軍の指揮をしたことが無い人物には、
劉備との国境の守りは任せられない。 韓浩を漢中にというのは張魯征伐から引き揚げる際の
軍議での話みたいだから、そのまま国境の守備に据えるというよりも、
後から武将を派遣するまでのつなぎ役として
征服したばかりの漢中をとりあえず鎮めておくのに
適任だと思われたのかもしれない。
関係ないけど、本人の能力については、
エン州のっとられの時も動揺する味方を上手くなだめていたようだし、
捕虜になった上司も見事奪還したし
とっさの機転が利くとかそういう印象がある。 >>279
そう言われても当時の魏の人々の多くはそう思ってなかったみたいだし、曹操が反対した理由もそういうものではなかったみたいだしなあ >>280
守将というよりは鎮撫役かな?
>>281
曹操が反対した理由は、韓浩を外で使うより、手元に置いておきたかったからだろ? >>279
中護軍というのは、元々、大将軍や大司馬の遠征時にその下に組み込まれた諸軍団を総監した役職。
曹操の時代でも、中領軍とともに曹操直率軍全軍の総監を行ったと考えられる。
曹操が都督諸軍事制度を明確に置くまで、曹操軍閥の地方軍は、実戦各部隊を指揮する将軍達を
「護軍」が総督する形が取られていた(都督諸軍事はその権限強化版)。
西方でも、夏侯淵自身も長らく「護軍」であり、夏侯淵の死後を曹真・郭淮ら「護軍」が引き継いだ。
この時代の「大軍の指揮」というのは眼下に数万の野戦軍を並べて「全軍前進!」とかいうものではない。
広範囲の戦域に建築された陣地の取り合いを長期間に渡って行うものであって、
大局観や部隊間の調整・人事、兵站管理など戦略的軍政的が必要とされる。
必要とされたのは韓浩や郭淮のような人材であり、その傾向は魏の都督諸軍事経験者全般に当てはまる。 劉岱の後任として長安から派遣されたエン州刺史金尚。
彼はなぜ、曹操がエン州を占拠してしまったら、袁術の元に身を寄せたのだろうか?
袁術はあまり名士受け良くなくて朝廷にもあまり忠実でなくて、新興勢力とばっか組んでるのに。
同じように鄭泰が袁術に仕えて揚州刺史になったのも謎だ。 そりゃ、袁紹派曹操に追われて逃げたんだから、それと対立していた袁術に逃げ込むのは普通の選択。
袁術は少なくとも皇帝を名乗るする197年(或いは献帝を擁した曹操に賊徒指名される196年)までは
淮南を中核とした巨大勢力。
190年の反董卓決起でも、翌年まで戦線を維持していたのは袁術(and孫堅)と朱儁(and陶謙その他)だけ。
同じ時期に袁紹らは長安に見切りをつけて劉虞を擁立しようとしていた。
そもそも群雄割拠の引き金となった豫州攻撃を先に吹っかけたのは袁紹の方。
張超や陳宮も袁紹派と戦って不利になると袁術と結ぼうとしている。
曹操も袁術と交戦中に足元が不安になって楊彪に適当な罪を吹っかけて排除しようとしている。
袁術は選択を誤って皇帝を自称してしまったので、漢魏交替を正統とする史観によってあることないこと
言われているし、当時袁術に味方していた群雄や名士達も「騙されていたので」とか「無理矢理脅されて」とか
言い訳しているが、皇帝を名乗るまでは淮南から江東・徐州へ影響力を広げようとする中原二大勢力の一つだった。 >>285
でも、当時朝廷と対立してた袁術に身を寄せるよりなら、
長安に帰る方が漢の官吏としては正しい身の処し方だと思うのだが。
実際、地方官に任命されたものの、赴任できないで帰ってきた奴は他にもいるんだし。
赴任できなかったら帰るのが筋で、正式な漢の高官が朝廷と敵対してる人物に身を寄せることはないと思う。 >>286
その当時というのは董卓か李カクが政権をとっていた時代(間に王允もいるが)。
皇帝へ忠誠を誓って董卓政権下に留まったり集まった名士というのは少なからずいたが、
逆に自分の身を守って朝廷から逃れるために地方官僚の座を利用する者も少なからずいた。
言ってしまえば、この時代の地方群雄というのは九割方後者の類(例外は張燕など少数)。
それは個人の選択であって、この時代の流れからは特筆するようなことではない。
ついでに袁紹と袁術は李カクから正式に将軍位を貰って形上は修好している。
袁術はその使者である馬日テイを拘留したりもしているけど。 >>287
袁術の左将軍就任は193年、金尚のエン州刺史就任は192年だから、
金尚が袁術に身を寄せたのは、袁術は長安政権と修交する前で、まだ朝廷と敵対している。
金尚が正式な刺史なのに、朝廷と敵対している袁術に身を寄せたのは、
長安の朝廷にいるより、袁術の元の方が安全と思ったからか。
金尚の人柄を考えれば、自分の一身の安全を図る人間には見えないが。 その基準で言うなら、三国の立役者であんたの眼鏡に適う「人柄」の持ち主は数人しかいなくなる。
高官では鍾ヨウくらいしかぱっと思いつかない。
他の人間は全員「自分の一身の安全を図」って身を処した。
というか、忠より孝が上位、自分の家を護り継ぐことが最上の美徳の時代だったから、
自分の身を守ることに成功するのは賞賛されることだった。 エン州大反乱のどさくさにまぎれて、エン州に数万の兵を率いて乗り込んで追い返された予州刺史郭貢。
数万の兵を率いていたと言うから、その勢力も相当なもので、中原では大勢力だったはずなのに、
名前が一度しか出て来ない。どこに消えたかも不明。
そもそも誰が任命した予州刺史だったのか、数万の兵力を有する大勢力がいつの間に消えたのかなど、
謎は深まるばかり。 陳登はマイナーかな?
横山三国志では徹頭徹尾劉備の味方として
描かれるも親父の陳珪のほうが目立ち、
劉備が徐州を追われたあとはあたかも
親子ともども曹操に罰されるのではという
雰囲気を出しつつフェイドアウト。
そのごしばらくしてなぜか占い師の引き立て役として
再登場する。 >>292
陳登はマイナーじゃないと思うよ。
演義や横山三国志や吉川三国志しか読んでない奴ならともかく、
正史を読んだらあちこちに出てくるし、
政治に軍事に活躍してて名高い文武両道の名将。
30代で伏波将軍とか、半端ない破格の出世。 ばっかおめ、演義の対呂布戦での陳登無双を知らんと申すか。
完全に史書より目立ってるよ。 >>296
それじゃ雷同はそうじゃないみたいな感じじゃないか! 羅憲は?
マイナーだけど呉の丁奉ら相手に一歩も引かなかった
王平と羅憲好きだわwww
スイ固は?
なかなかの人物だけどマイナー
某ゲームで顔だけは有名ぽいけど >>293
田予や陳登は、劉備と一緒にいればもっとメジャーになれたかもなぁ・・・・・
才能はピカ一だが、早期に曹操の下に落ち着いてしまったので、あまり取り上げられなくなった感じだ
それでも、陳登は対呂布の埋伏や壮絶な死に方で目立ってる方だと思うけどね
>>299
蜀滅亡戦自体、三国志の中では日陰の方だからね
王平は、街亭戦が多分一番語られてる場面だろうか
優秀なんだが、「使えるモブキャラ」っぽい立ち位置なのが残念でならない マイナーじゃないんだが
関平って荊州失陥後なんとか蜀に逃げれたら
どこまで出世出来ただろう ギランを見て、イアン・ギランを脳裏を過ぎった・・・ 劉封がらみで養子属性追加の疑いが濃いんだっけ?
義兄がまだなのに関羽に子供がいるのは云々とかいう 正史だと劉封の養子入りが劉禅が生まれるより前なんだが・・・・
演義になると劉禅が生まれるのが先で劉封を養子にするときに
関平を養子にした関羽が小言を云う訳ワカメな展開 ギランとタイインはオウケのハカをはっけんしてホウセキ持ってきてくれるからいいよ 楊秋は曹操に手紙を送り、特進にまでなったのに知名度なし
あと陶侃 >>305
能力的には牙門将クラスだろうけど名門だから安東将軍まで出世とみた 【三国志】透明人間の王表、馬超を倒した閻行、関羽の部下の呂布……とは誰?
http://teisokuhou.blog.fc2.com/blog-entry-3.html
このページで、このスレッドの書き込みをまとめています。
私も、ここを読んで初めて知った人物が一杯います。
三国志は奥が深いですね。 >>304
田予って誰かと思ったら田豫かよw
ちゃんと書けや!
異民族に当たった人物ってマイナー気味になるわな 異民族と言えば劉淵もそうだな
陸抗らとも激突したが打ち破った?らしい 既に出てるけど劉璋軍のメイン盾こと劉循はもっと評価して欲しいよなぁ 吴存森の一番上の兄貴と二番目の兄貴を誰かおしえてください 一度名前出てるけど孫邵かねぇ
呉の初代丞相でありながら伝も無く詳細な事績もほぼ伝わってないという謎の人
孫権が張昭嫌いだったことを差し引いても他の重臣を差し置いて丞相に抜擢される程の人なのに
まぁ呉書自体が色々とアレだから仕方ない部分もあるだろうけど