【三国志】マイナーな人物を語る【魏呉蜀】
劉備、関羽、張飛、曹操、呂布・・・
綺羅星の如く語られる英雄とは別に、名前は出るものの
いまいち世間の評価が低いんジャマイカと思われる、
三国時代のマイナーな英雄について語ろうじゃないか。
漏れ的に法正は相当評価高し。 >>1
決して板違いではないけど、
正直なところ、今こそ三戦板に立てるべきでは?と思う >>4
三国時代というのは孫権が皇帝位に就いてからなので、劉備などそれ以前の人物は三戦板の範疇ではなかろう。
などと云ってみる。 まず、どれぐらいの範囲で、メジャーな人物を決めるか、だ。
選択のしようによっては、10人ぐらいを除いて全員マイナーともなり得る。 正史では趙雲に次ぐと評価される割に演義に登場しない陳到とか・・・
しかし事跡がよく解らんから発展しようがないか 馬氏の五常、司馬家の八達
出てこない人は何したんだろう? >>9
中国史全体に範囲を広げたら、それこそ史書に載っている人物全てが対象となり、
数え切れない人数になるだろう。 【三国志】マイナーな人物を語る【周、斉、梁】
ならたくさんいるのに・・・。 三国志の主立った数十名を除けば、全員がマイナーな人物だ。 マイナーゆえに語れるところが少なく、
結局、マイナーと思われる人物の名を挙げていくだけのスレになる… 語れるところは多いのに魏呉蜀でないというだけで
語られない人物も数多くいるよな・・・ 前田慶次みたいに漫画になればいいんだよ。
武力が呂布並みになって一躍有名武将の仲間入り。
素材?有名じゃなきゃ誰でもいいよ。 曹子脩はマイナーと言ってもいいですか?
もっと長生きさせてあげたかったなぁ。 曹子脩(曹昂)と書いてくれないとわからない
まぁマイナーな部類では
メジャーマイナーの分類で揉める時は、「世界史の範囲に出てくる」と、
「三国志を知っている人ならほぼ間違いなく知ってる」で差があるからなぁ
後者に関しても記憶力の違いと個人の印象差があるし 「陥陣営」高順とかかっこよすぎだろ
マイナーじゃないかもしれないが 徳間書店の「三国志全人名録」に載ってるはずの、
女賊の人がここ4年くらい見つけられません。
つうか、名前教えて誰か。 雍州で活躍したホウイク。
魏志に立伝されてるのに、
なぜか演義には出てこない。
おまけに、姓も諱も表外字(T_T) 祖郎
丹陽の兵を率いた孫策に全滅近い被害を出させる 法正なんかも実績のわりには、マイナー扱いされている気がする。 臥龍、鳳すう。なんてやられたらそりゃ目立たないよ
魏が色んな軍師目立つのは一人二人が過度に評価されてないからさ
臥龍、鳳雛と大仰に持ち上げられるわりには大したことしていないな、
劉備の二大軍師は。 魏呉蜀じゃないけど、高順はどうよ?
張遼より総合的に↑な気がす 土安と渓泥について熱く語ろう!
顔良・文醜みたく対でカコイイ 管寧語ろうぜ
華キンと交流のあった
厳顔といっしょに正気の歌に名前で出てくる 管寧
はっきりいって華キン、王郎より格上でしょ
ジョウ平に亡命して公孫一族から一目置かれていたんだから 王異って有名?
漫画に出てきたの見たことないけどゲームに出てた >>64
騎士の馮則だっけ?
正史の曹性はヤバいよ。カッコよい 遼って名前をもつ小学生が張遼に凄く興味を持ってたので
詳しく教えてあげたらとても喜んでくれた
「僕はラーメンが大好きだし御先祖様が中国人なのかもしれない
中国に行って三国志の戦場跡を見て回りたいです」
と頼もしいことを言う マイナーじゃないのがたくさんいるような…とくに>>1
コウ安 師纂 劉丞 王含 追記
三国末期の華 張悌も
丞相が敵に特攻し戦死ってかっこ良すぎる 陳到が出るなら句扶も。 王平に並べられるって物凄いぞ
高順もかなり好きだ。 ポジション的にマイナーって有り得ないはずなんだが
あまり好かれていない気がするのは きっと何故か張遼が女性人気あるからなんだろうな。
張遼より高順のが人格的にはずっと上だし能力も高かった。 >72
やっぱり潔すぎるのも損だね。
高順なら頭下げて生き残ってさえいれば、袁紹戦や馬超戦など手柄を立てる機会は
いっぱいあっただろうに。 北方謙三の三国志だと、高順は結構良く書かれてる。
とりあえず張遼よりは上だと。
しかし何故に曹操は高順を配下にしなかったのだろうか。 そりゃ命乞いしてくれるコネも無く本人も殉死を望んだからだろ。
もしかして惇あたりが殺したがったのかな? 張達と范彊
張飛の副将格なら相当実力があったんじゃないだろうか。 曹鑠(字、生没年は不詳)
:曹操の次男。母は劉氏。病弱で20歳前後で死亡。取り立てて業績はない。強いて言えば曹操に初孫の顔を見せたこと。
曹沖(倉舒)
:曹操の八男。母親は環夫人。十三歳で病死。頭の良い天才児で曹操に愛された。
マイナーと聞いてこいつらとホウ統の名前がふっと浮かんだ。 朱然
安徽省の馬鞍山ってところに行ったとき、地元の人の案内で
このひとの墓を見に行った。
保存状態が、非常によかったんだが、聞く所によると三国時代(後漢末期)
の英雄らしい。
みんな知ってる? ↑超有名と言わずとも、有名に入る部類だと思います・・・
っていうか朱然文化公園は一度は行ってみたいわー
朱然も孫権もかなり好きだし そういや朱然は北方謙三三国志では趙雲に片腕やられてた。 閻行とかどうかな?
てかマイナーな人物について語るってのはなかなか難しいな。定義もよくわからんし。
探せば伝のないマイナーやつはゴロゴロいるが資料が少ないから語りようがない。
だからこそおもしろいってのはあるが。
とりあえずマイナーではないが一番名前の出てる高順について語ってみる?
もしくはアンカで決めるとか?w 田豫はもうマイナーではないだろうな。
光栄のでも7番辺りでやっと出してくれた。 おまえら・・・わざと?慮の事無視してんのか?
献帝曰く「?公、天下にこのようなことがあってよいのか!」 >>87
いやマイナーだろw俺も公孫サンの配下で劉備と行動を共にしてたぐらいしか知らないしw
>>89
え?誰?何に載ってる人物? >>91
[希β]慮も田豫も魏志に
立伝されてますが、何か? ケ方はマイナーだな。
初代庲降都督にして季漢輔臣賛にも劉備、諸葛亮、許靖、関・飛、馬超、法正、龐統、黄忠、董和についで上げられてるのに…… マイナーだが有名
マイナーだが有能
王必なんかどうだい >>91
この台詞は武帝記建安十九年十一月のくだりの注にある。
あとは後漢書かな?孔融と罵りあったりとか、いろいろ。 >>95
探したけどなかったよ。田豫はあるが。
>>96
あった!!チリョって読むんだな。後漢書のほうも発見した!サンクス そいつは資料無さ過ぎだろw
そういえば昨日さ、光栄三国志やってたのよね。
んで車冑の人物列伝見たら、車騎将軍ってなってたんだが、これは演義の話か?
演義が手元に無くて調べられないんだが、車騎将軍とか車冑凄すぎだろw 朱治の姉の息子にして、朱治の義理の息子でもある朱然
彼の父親、つまり朱治の姉の最初の夫の名前が分かる人いませんか?
色々資料をあたってみたのですが、どうしても分からなくて……
朱然の元の名が施然であったことを考えると
施〜という名前だと思うのですが
>>81
朱然の墓には世界最古の名詞があるらしいです
結構有名な観光地らしいですね >>99
徐州刺史に任ぜられたのは
確かなんだけどねえ>車冑 戦乱の傷深い徐州の刺史に任ぜられるなんて、後の揚州刺史劉馥を連想してしまうんですが、実は大した実務官僚なんですか?車冑さん? >>100
う〜ん・・・現存する資料には名前は残ってないんじゃないかな?
>>102
うん、やっぱり徐州刺史としかわからないよな。将軍職の記述も見つからないし。
これはコーエーの罠とみるべきか?
>>103
なんなんだろうな、車冑さんって。 麴義は界橋の主役。
彼は正面に障害物を設置し両翼に石弓部隊を配した。
公孫サンの精鋭騎兵部隊の衝撃力を障害物によって弱め
そこに石弓部隊による突撃粉砕射撃によって公孫サン軍を敗走させたのである。
この戦術は後の諸葛亮が踏襲し魏の騎兵突撃をしばしば粉砕した。 なんともいえないけど車冑は実は名門や名士だったりするかもな
劉備に殺されなければ魏の重鎮になってたのかも ちなみにwikiには
曹操に仕え、車騎将軍に任じられた。劉備が曹操のもとから離れたとき、その監視役を命じられた。劉備が袁術を滅ぼした後、曹操へ反旗を翻したとき、劉備の襲撃を受けて徐州を奪われ、一族すべて殺害されてしまった。
と書いてあった と、ここまで書いて思ったが当時の曹操に車騎将軍の任命権あるのか?
まだ丞相になってないし董承もいたような気がするが >>108
そう!そうなんだよ!!だから変だと思ったんだよ。
wikiといい光栄といい、いったい何を見て車騎将軍としたんだろう? どこかに「車将軍」とかいう表記があるんじゃないか?
それを見てバカが…いや誰かが車騎将軍と誤解したとか 実は曹操に仕えていたわけではないのでは?
ただ、曹操から圧力をかけられると断れない立場だっただけで >>112
紛らわしいからありえそうだなw
なにせ袁術の国号を成だと勘違いするようなおばk・・・えーと、おっちょこちょいさんだからな>>光栄
>>113
車騎将軍であった事を前提とするなら、間違いなく臣下ではないだろうな。
他に考えられるのは、親曹操の朝臣ぐらいかな? ネットで調べる限りじゃ全然分からないね
右車騎将軍、左車騎将軍、行軍車騎将軍の三種類があるみたいだけど…… 車冑が徐州刺史だけでなく車騎将軍だった根拠はまるで見つからないね
董承の事と混ざったのか、「車将軍」→「車騎将軍」みたいな脳内変換があったのか、どっちにしろ初歩的な誤読かな
それとも演義じゃ車騎将軍なのか? 張任は?
劉障軍の武将で龐統を殺して諸葛亮も捕えるのに苦労した人。
捕まっても唯一「忠臣二君に仕えず」といって処刑された人、劉備はその忠義を惜しんで金雁橋に墓を作ってあげて今もあるってさ。
彼が劉備に降っていれば蜀の代表的な武将にもなれたと思う。
雒城から打って出た時には魏延や黄忠をも退けたことがあり、冷静な武将。 徐州刺史ってどれくらい重要な役割だったんだろ?
車騎将軍がやらなくちゃいけないような大任とは考え難い気がするけど >>118
けっこう重要なんじゃない?>>徐州刺史
だって曹操・陶謙・袁術・劉備・呂布(おまけで筰融・臧覇)が戦争でめちゃくちゃにした地域なわけだし。 馬超や臧覇が徐州刺史になってるが車騎将軍には程遠い >105 麴義の実績って注釈だよね。
顔良と文醜はろくに功績も記されていないのに勇名が高いって事は麴義のそれ以上だったんだろうか。
袁紹や袁術とかの配下として死んだ人ってみんな記述が薄いけど。
趙雲も張コウや朱霊ぐらい記録されていればよかったのに >>122
業績の悪い関係会社に飛ばされる→その関係会社が本社からパージ
ってのを想像した 戦乱の場合には激戦地に飛ばされるってのは能力を買われてって意味になるんじゃね?
権力闘争で飛ばされることもあるだろうけど曹操時代は独裁に近そうだからやっぱり能力だと思う 無茶を言うな。方悦は演義の創作キャラっぽいから語りようがないよ。 創作の元になった民間伝承について語ればいいんじゃね?
俺は一つも知らないが 賀斉はどうだろう。呉の異民族対策には欠かせなかったとか。 賀済は何つっても、徐盛が負けた時、彼の旗指物を取り戻して、その名誉を守ってやった話が格好良い。 軍装を凝らしていたというし、美意識が高い人物だったのかも 車冑について調べてみたが記載は蜀.先主伝のみ。車騎将軍の車の字もねぇw
独立した伝があるのに扱いがヒドいのは魏の文官に多いな
韓曁,徐バク,恒階,崔[王炎],鄭渾,杜畿……
出てくる出てくるww
個人的には荀粲が大好きだ >>136
羅憲いいよな。
蜀滅亡のどさくさに紛れて侵攻してきた呉の軍勢を迎え撃ち必死の抵抗。 濮陽興はどうだ? 孫休が帝位につかなければ丞相にはならんかっただろうけど 濮陽興は…大口叩くが全て計画倒れの人物ってイメージがあるな。
ダム建設にも失敗してるし、孫[糸林]殺したあたりが最初で最後の見せ場だったな。
楽隠居して研究しまくりの孫休に、自分達を嫌う韋昭が近侍するのを警戒するあたりは、
マジで小物だと思った。 蜀の李恢
こいつは地味だが、かなりいい活躍をしてる
影の功労者よ >>142
彼がいなかったら北伐がもっときつくなっていただろうなあ
むむむのイメージが強いけど、実はバリバリの武将だよね 誰か夏侯博のことを知ってる人いないか?
手元の資料には劉備の武将で、官渡の戦いの直前に曹操に生け捕りにされたとしか
書いてないんだが
夏侯博は武帝紀のその部分に出てくるだけじゃないの?
個人的には蜀の大尉・上官勝が気になる
新唐書に突然名前が出てくるのがヘン 馬宇
三国志人物事典(講談社)に掲載され、VOWでネタにされた 羅憲は蜀と魏と晋に仕えたせいで、演義的正統論に合わず
出番なしでマイナー降格された。実際の仕事はメジャー級 夏侯博は史料なくて語れんな
以下おれの妄想
夏侯博は曹操と劉備の関係が良好だった頃に
曹操が劉備につけた監視役。武帝紀の「生け捕り」は
実は劉備が夏侯博を開放してやった事を指す。
『秘本三国志』ばりの八百長史観からだと説明しやすい。
ヤオをガチに見せかけるため、車冑は犠牲にできても
曹操ゆかりの夏侯氏を殺す事は当時の劉備にはできなかった。
その代わり劉備の家族や関羽の安全は曹操が保障した。
妄想終了。ウィ紀に「一説では・・・」とかで上の話を書くのは無しでよろしく 郤正
当代の文章家なのに、演義で劉禅の腰巾着の役しかもらえず。
羅憲といい、蜀の旧臣で魏晋に仕えた人物は演義的正統論のせいで
マイナー落ちさせられるな。蜀を出ていい仕事をすればなおさらだ。 孫謙というやつが気になる。この名前の人物は3人いて、
@曹爽の武将、A孫晧の異母弟、B孫静の子
俺が気になるのはBの孫謙で、孫ロ・孫瑜・孫皎・孫奐らの兄弟のはずなのに
手元の資料には「孫静の子(孫静伝)」としか書いてない
独立した伝がある孫瑜・孫皎・孫奐や、反乱未遂のある孫ロに比べて記述が少なすぎる気がする
孫奐の死後、後を継いだのが孫謙でなく、孫奐の息子の孫承なのも妙だ
いままで孫瑜→孫皎→孫奐と兄弟相続だったのに、突然親子相続に変わっている
孫瑜・孫皎・孫奐の字が仲異・叔朗・季明で間に入ることができないので、多分末弟だろう
字の記述が無い孫ロが末弟とも考えられるが、反乱未遂の時期と年齢があわない
孫奐は234年に40歳で死んだらしいので、194年の生まれということになる
194年より後に生まれた人間が、孫権が後を継いだ200年前後に反乱未遂を起こすとは考えにくい
なぜ孫奐は末弟のはずの孫謙に後を継がせなかったのか…
と、ここまで長々と書いてふと「単に早死にしたか無能だったんじゃないか?」と気付いた
必死こいて足りない頭使ってた俺完全に馬鹿。長文すまん
正史買わないとな… 正史でも中国語の完全版とかじゃないとそんなドマイナーな奴のってないだろ だめか…
でも中国語分からんからちくまで妥協するしかないな… 文読むぐらいなら高校んときの漢文のレ点とかあんなの覚えてて辞書あればそれなりに意味はわかるぜ
すげー疲れるけど 細かい地名とか官職までやり出すと
諸橋大漢和でも間に合わなかったりするな 三国職官表と諸葛亮伝から「軍師」検索で出たメンバー
軍師将軍
魏:無
蜀:諸葛亮、諸葛瞻
呉:無
軍師中郎将
魏:無
蜀:諸葛亮
呉:無
軍師祭酒
魏:董昭、薛洪、董蒙、王選、袁渙、王朗、任藩、杜襲、王粲、傅巽
張承、郭嘉、張京、李義、杜キ、董芬、徐幹、陳琳、阮禹、路粹
蜀:來敏、尹默、射援
呉:無
中軍師
魏:王リョウ、荀攸
蜀:劉エン、楊儀
呉:無
前軍師
魏:鍾ヨウ
蜀:魏延、ケ芝
呉:無 後軍師
魏:無
蜀:費イ、楊儀
呉:無
左軍師
魏:涼茂
蜀:無
呉:丁奉、全j
右軍師
魏:毛カイ
蜀:無
呉:朱然
軍師
魏:華キン、成公綏、山濤、趙儼、杜襲、辛ピ、杜摯、裴潛
蜀:無
呉:張悌
副軍師
魏:無
蜀:無
呉:諸葛セイ
超メジャーからマイナーまで多士済々
意外な人物が軍師の官職に就いてたりする >>165-166
「呉では『軍師』の語を使わない」
って……三国統一志の大嘘つき(--#) 任官者見てると後期の人間ばっかだから最初は使わなかったけど孫権死後ぐらいから使うようになったんじゃないの? 孫観
臧霸とは黄巾討伐時代からの同僚。臧霸と共に呂布に加担し敗北後曹操に招聘される。
臧霸と共に青州・徐州の戦で功を上げ臧霸は徐州刺史となり孫観は青州刺史となる。
曹操に従軍して濡須口で呉軍と奮闘するも矢傷が元で死去。
董和、董允親子
この親子がいなければ費偉は出世できなかっただろうし、諸葛孔明死後、早い段階で国が滅んでいた気がする。
董允、費偉の友情が漢を長続きさせただろうに費偉に較べて評価が低すぎる。 >>172
ヒイよりも劣ってるような逸話があるのが原因だろうな ヒイが一週間サボったからその間の政務を代理でしたら滞ったんだっけ >>174
費禕が尚書令時代に、仕事をきっちりこなしながら空いた時間で遊びまくってたのを見て、
自分も尚書令になった時に同じ事をやってみたら、10日で仕事が滞ったって話。 宦官=黄皓を朝政に介入させなかったという天で、費イよりも人を見る目があったっぽいね。
ただ、君主に気に入られる術は費イや陳祇の方が長けてたっぽいけどw 韓遂は何気に、物語の良い題材となると思う。
傀儡を演じ続けながらも大志を抱いていた男、というような感じで。 董允は親父にも費イの方が優秀だとか言われてカワイソス。
遊び好きで要領のいい費イに振り回されてるカタブツという感じ。 >綺羅星の如く語られる英雄とは別に、名前は出るものの
> いまいち世間の評価が低いと思われる
> 三国時代のマイナーな英雄について
献帝。カオスでもとにかく生き続ける。
臣下に助けられてはいるが、忍耐力のレベル高い。
民に優しく、先祖、兄嫁に気遣い
殺された后妃のかわりの曹操の娘と家庭を築く
(政敵の娘相手に頑張って)郡主が生まれる。
サバイバー遺伝子を受け継いだのは劉備だけじやない 呉の初代丞相なのに独立伝がなく、演義には登場すらしない、孫ショウ… マイナーではないが、実績に応じた知名度とは言えない李恢。
蜀漢の南征の成功は、発令者の孔明ではなく、実戦指揮の李恢のおかげだというのに。 郭循は魏が蜀に送った刺客だったんかな?
それとも偶然の結果?
史書にはその辺の背景や作者の推測とかも書かれてないん? >>186
郭循は蜀に仕えて左将軍にまで昇進してるから、
結構長く蜀に仕えていたのではあるまいか。
費イを殺害するためだけに送りこまれたにしては、
官位が高すぎる。
左将軍は一朝一夕に就任できる職ではない。 おーありがとう。
左将軍まで昇進してるとは思わなんだ
気に入らんことがあったんだな 左将軍とは知らなかったな。その上は車騎・驃騎だから相当な高官だ。
三少帝紀の注には、姜維が郭循の本籍の西平に攻め込まれて
囚われ帰順したとある。
姜維が西平に侵攻した記述があるのは250年で、費イが暗殺されたのは253年。
それが正しいなら(他の時期かもしれない)元々名声高い人物だったんだろう。
不慮のことで投降を強いられながらずっと機会を伺っていたのなら大したものだ。 郭循の事は、降将を近侍させ、無礼講(帯剣・護衛なし)で泥酔した費イの無思慮に原因だと思うよ。
母国を裏切るという恥辱に遭わされた降将の目の前で、敵国の宰相が泥酔してるんだぜ。
何度も繰り返されれば、殺す機会をうかがわない訳もなく。
費イとしては、自分の声望を高めたかったんだろうけどね。 別に劉備は刺客を懐柔してないだろ
それどころか宴に招いて暗殺までしてる >>192
劉平の刺客の話だよ。
> それどころか宴に招いて暗殺までしてる
それは逆の話。
費禕は招いた客に殺された。
劉備は刺客と知らずにもてなし、刺客はありのままを語って去った。
それだけの比較の話。
韓暹・楊奉の件なんかは劉備が殺す意図を以って招いてるんだから、まったく別の次元の話。 郭循は魏では郎中だったのに、
蜀では左将軍にまで昇進してるから、
蜀に恩義を感じこそすれ、
恨む筋合いは無いと思う。 マイナーだがちょっと印象的な群雄たち。
長沙太守の張羨。曹操と組んで劉表の背後を脅かした。
桓階が部下にいたりする。
交州刺史の朱符。朱儁の一族っぽい。ちなみに予章太守の朱皓もこの一族。
朱符は朱皓の仇を討つために出陣しようとして牟子に諌められたらしい。
宋建。河首平漢王を自称して瀧西郡に三十年以上割拠するが夏侯淵に討たれた。
孫策から逃げた王朗をかくまった会稽郡は侯官県長の商升。
江夏太守の劉祥。劉巴のオヤジ。孫堅パパと共闘。袁術配下の劉詳って同一人物??
南匈奴の有力者な於夫羅と去卑。張楊を拉致して連れ回したり、献帝を助けてみたり、
蔡文姫を拉致って息子に娶わせたり。
陳王の劉寵。黄巾を震え上がらせた弩の名手。部下の駱峻は駱統のオヤジ。
>>177
確かに。もし俺が漫画家なら韓遂を主人公にした作品を作りたいw
あと楊奉もなかなか面白い。バカ正直過ぎて泣ける。
てか、つまらんことだけど、傀儡の意味間違ってね?
韓遂はどう考えても操っていた側なんだが。 劉淵とかになるともはや三国時代の人物では無いのだろうか? >>199
劉備軍を一年にわたって足止めしたんだよね。
後の蜀の人材枯渇ぶりを思うと、
彼を用いたら、もう少しどうにかなったんじゃないかって気がする。 マイナーか知らないけど袁家の跡継ぎ達って長男以外愚息ってわけでもないな。
分裂したわりには袁尚、高幹はかなり粘った。
あと審配は政治的な所はおいといて軍事的な面では超優秀。
ギョウ城籠城戦とかすごいよ、すごいよ!負けたけど。 >>202
高幹はもっと評価されてもいいと思うんだよね。 劉封かな。同音の劉邦は時代こそ違うが大徳のある男で有名。
たしか劉備の養子で、関羽が死ぬ麦城の戦いで関羽の援軍要請を断り、ついに雲長を見殺しにした。
ファンにとっては憎まれる存在だ。
正史では関羽を見殺しにした後は、仲の悪い孟達が魏に降るとその討伐に力を注いだ。
演義では孟達にそそのかされて関羽を見殺しにしたことになっており少しはましになっている。
だが劉備の養子にもかかわらず、劉備によって処刑された。
これはものすっごく地味な死に方だ。
羅貫中も、もうちょっとましな死に様を用意すればいいと思うのだが。
まぁ所詮マイナー武将だから仕方ないかぁ。
もうひとつ。
正史には登場しない演義のみに登場する人物で劉安という者がいる。
実はものすごい逸話がある。
劉備が呂布に破れ、逃亡していた時、この劉安に匿ってもらった。
最初、劉安の妻が劉備をもてなしていた。
しだいに居なくなり、代わりに劉安が狼の肉と言って肉料理を出した。
劉備は肉料理を堪能。翌朝、劉備が劉安の妻について聞くと、
飢饉のせいで獲物がとれなくて困っていたが、
かの有名な劉備を持てなしたいがため、なんと妻を殺してその臀部の肉を使ってもてなしたと言う。
劉備は驚いたという。そこでお詫びの印に劉安の息子を養子としている。
それがあの義兄弟の契りをかわした関羽を見殺しにした劉封、その人であった。
なんとも皮肉な話だ。実の妻を殺し、その因果は断ち切ることなく続く。
ちなみにこの演義のみ架空の人物・劉安と同姓同名の劉安という前漢の学者が居る。
この劉安は「一人が道を得れば、鶏や犬も天に昇る」と言う中国のことわざで有名。
たしか一族の内の誰か一人が出世すれば、能力のない親戚や側近の者までも地位があがるという意味。
>>204
同音?
封→feng1
邦→bang1
違う音だよ。なんて意地悪してみるテスト >>205
それ間違い。演義のどこをどう読めば
そんな珍解釈が出てくるんだ?
劉安と劉封は無関係。 王甫が好き
演義しか知らないから正史ではどうかわかんないけど
関羽に別れを告げるところがかっこよすぎ >>208
マイナーな名将だが、三国志に入れるべきじゃないだろう。 黄権、王累の旧劉璋コンビ。
張任のような京劇の花形でもないし…。
エピソード的には、いいと思うんだけど。
でも陰というか暗がつよいかな? やはり満寵だな、曹仁を補佐して関羽の猛攻からハン城を死守。
また呉に対しても赤壁の意趣返しの火攻で勝利している
なにげに凄い奴というのはコイツのことだろう 李豊三人衆のうち、魏の李豊の父の李義
李カク討伐したのにマイナーな裴茂とその子の裴潜
なかなか華々しい経歴なのになぜか知名度がない傅燮・傅幹・傅玄の三代 韓当の息子。呉を策を使って裏切った後、呉にたびたび損害を与える。
孫権にかなり憎まれるが、長い間呉に打撃を与えつずける。(少しだけど)
その軍才(?)と土地勘(?)を買われ呉攻めの先鋒を任されるが、
呉の猛攻により討死。派手な活躍は無いが、なかなかの人物であることが
読み取れる。
孫瑜。
長生きしてればなあ。
瑜瑜コンビの蜀取りみてみたかった 蜀なら廖化・張翼・張嶷。この辺の働きが地味に好き。 孫瑜とその弟たちは長生きしてたら面白そうな感じだねえ 孫氏の親族でいうと、孫瑜もそうだし孫皎も長生きして欲しかったな >>219
魏の武官の評価はほぼ正史の列伝の順番でいいんじゃないのかな?
評価が足りないのは朱霊だと思う(正史含む) 裴茂って関中諸軍を統率して李カクを討伐したって確かあったよね。
そう考えると統率とか策謀に優れた有能な人材ってイメージがある。
こういう人を数値的に評価したらどうなるかなってマイナー武将の
能力を考えるとちょっとワクワクする。 >>229
蒼天の関羽子飼いの任侠っぽい扱いもたまらないよね
実際はいいとこの坊ちゃん 蒋エン時代の漢中において、王平と共に職務をこなした良将だよね。 マイナーといえば袁紹軍の李孚とかは面白い存在だね。相手の心理を良く
見通した行動力は度胸抜群。
ああいうのを見ると袁紹軍って人材豊富だったんだなあ、とかちょっと
思ったりしますね。 >>231
おお! 劉敏!
何年振りかのう、その名を聞くのは(つД`) >>235
いや、ただの名無しさん@お腹いっぱいだす >>233
斜陽の袁家を支えた策士…なんつったら格好良いのにね。頭も良いし、大胆だし。
業βの攻防は審配の奮闘ばかりが伝えられるけど、李孚も取り上げて欲しい。
袁紹の人材っつったら、陰キ(携帯から済みません。)とかもマイナーだけど大物。 袁家を支えた人物では、王脩はいかがでしょうか?
袁譚を盛り立て、袁譚の死後も魏の忠臣として活躍がある割に
前線に立ってないせいか評価が低いという印象があるのですが。 華陀以外の方技伝のメンツはマイナーかな。
ちくま文庫にまとめられた中で、魏の4冊目に収録されている
連中は総じてマイナーな印象が付きまとっている気がする。
周宣は曹丕の夢分析(?)をしたりしているようだけれども。
三国志演義にそれなりにでも目立つ出番があるか否かがメジャー・マイナーの
境目じゃないのやっぱり・・・・ 個人的には韓遂が好きだな
協定と裏切りの間で暗躍した後漢三国時代の梟雄
名前すらまともに伝わってないしw マイナーと言えば馬于
三国志人物事典に掲載され、VOWでネタにされた 後漢の高官橋玄は?その清廉潔白な生き様といい
曹操の才覚を早くから認めるなんてなにげに凄いぜ。 >>244
自分の子供が人質にとられた時、子供もろとも犯人を殺したんだよね >>247
246じゃないけど、確か関羽配下の部将だな
裴注三国志の夏侯惇伝に、219年、曹操軍が摩陂で呂布を破ったとある
同年、関羽が曹仁を樊城で包囲したとき連れてった(らしい) >>242
元の名前は韓約?だっけ? 辺章も改名後の名前だよね
武帝紀かどっかで、韓遂だけ名前がバレてて笑った記憶がある >>250
おせっかいながら更に補足すると
集解なんかに、そこに出て来る「呂布」は誤文じゃないかとか関羽の間違いだろとか、いや、関羽のもとに五原の呂布とは違う呂布がいたんだろうとか、いろいろ言われてます。 >>251
違う違う。全然違う。それはテレビのニュースで言ってたフィクションだろ。
お前は新聞だのテレビで言ってる事を何でも疑いなく信じてるんだな。
教科書には真実しか書いてないとか思って丸暗記してるタイプだろ。
そういうのを馬鹿って言うんだよ。
まず間違っているのがあれは事故ではなく事件だということ。
被害者は言うまでもなく関根さんと坂本さん。
あの駅の日常光景だけど李さん、もとい李秀賢が坂本さんに絡んだのがそもそもの始まりなんだよ。
言い争いをしようにも朝鮮語を知らない坂本さんには李が何をわめいているのか全くわからない。
そのうち李が坂本さんに殴りかかるんだけど楽勝でかわされて勢い余って線路に転落したんだよ。
それを助け出そうとした坂本さんと、たまたま近くにいた関根さんが巻き添えになったというのが事件の真相。
なぜ映画まで作って必死で事実を隠蔽するのかはこのスレを開くような人なら当然ご存知の通りだよ。
2chを見るまでもなくこの辺にも普通に書いてあるしね。http://peachy.a-auc.net/korea/korea2.html
だからさっきからお前の言ってる事はマスコミの言う通りで(言う通りだからこそ)全然間違ってるって言ってんだ。 276年に孫皓が国山で封禅の儀式を行った際に建てた石碑(封禅国山碑)に
当時の丞相として名前だけ出てる。姓は不明。272年に右丞相万ケが亡くなり
279年に張悌が丞相に昇進してるので、その間に丞相を努めた人物と思われる。
丞相なのに名前すら正史どころか注にすらに残ってないとは、
本当にマイナーだな。どんな人物だったのか気になるな。
まともな政治家だったのか軍人だったのか佞臣だったのか。 西陵の戦いの呉将も重要拠点任されているわりにはよく分からん出自の奴ばっか 孫権死後の呉は、高位高官なのに出自の分からん奴ばっか。 姜 維。横山三国志で感動した第60巻。
剣閣に蜀の精鋭が必死で奮戦し、魏の軍勢を何度も食い止めた。
姜維のどこがマイナーなんだよ
裏で凄まじい活躍してた羅憲こそもっと評価されるべき 似たようなことをやっているのに
さらにマイナーな吾彦こそもっと評価されるべき >>268
劉纂は孫権の娘を二度娶ったことと能書家だったことしか分からないな 他に父親候補として考えられるのは劉阿、劉邵ぐらいか。しかし
車騎将軍&孫権の娘婿と結構な重要人物だったろうに記述が少ないな。 無理くり捻りだすと劉基の二人の弟、鑠と尚。
あとは劉璋の子、闡。 孫権の娘をめとるほどの呉で影響力のある名門で劉氏となると、
劉基一族しか考えられないな。劉纂は劉基の弟の子と考えるのが妥当そうな気がする。
劉闡の子なら、家柄的には超名門だけど、呉における影響力はなさそうだし。 しんこんさんいらっしゃいが呉を滅亡させた しんこん は? >>274
岑昏は奸臣と言われてて、呉の群臣の憎しみを買っていたみたいだけど、
具体的にどんな悪事をしたかは記録にないんだよな。
あと、孫皓の機嫌を損ねて処刑されそうになった張尚を救ったり、いい事もやってる。 >>276
曹操が漢中を取った時、みんなが漢中の守りを韓浩に任せるよう推挙したが、
ずっと曹操の直属軍を指揮してきた韓浩には、国境の守りは畑違い過ぎると思う。
別軍を指揮したり要所を守ったりして活躍した諸将を差し置いて、
なぜ韓浩が漢中の守りに推挙されたのか良く分からない。 多数の軍団を統率する経験と能力に優れ、曹操への助言として戦略眼も示していたからだろう >>278
韓浩の中護軍は曹操の直属軍を指揮する役職で、
多数の軍団を統率する役職では無い。
また、史書では韓浩が多数の軍団を統率した経験はなく、能力も未知数。
戦略眼があっても、大軍の指揮をしたことが無い人物には、
劉備との国境の守りは任せられない。 韓浩を漢中にというのは張魯征伐から引き揚げる際の
軍議での話みたいだから、そのまま国境の守備に据えるというよりも、
後から武将を派遣するまでのつなぎ役として
征服したばかりの漢中をとりあえず鎮めておくのに
適任だと思われたのかもしれない。
関係ないけど、本人の能力については、
エン州のっとられの時も動揺する味方を上手くなだめていたようだし、
捕虜になった上司も見事奪還したし
とっさの機転が利くとかそういう印象がある。 >>279
そう言われても当時の魏の人々の多くはそう思ってなかったみたいだし、曹操が反対した理由もそういうものではなかったみたいだしなあ >>280
守将というよりは鎮撫役かな?
>>281
曹操が反対した理由は、韓浩を外で使うより、手元に置いておきたかったからだろ? >>279
中護軍というのは、元々、大将軍や大司馬の遠征時にその下に組み込まれた諸軍団を総監した役職。
曹操の時代でも、中領軍とともに曹操直率軍全軍の総監を行ったと考えられる。
曹操が都督諸軍事制度を明確に置くまで、曹操軍閥の地方軍は、実戦各部隊を指揮する将軍達を
「護軍」が総督する形が取られていた(都督諸軍事はその権限強化版)。
西方でも、夏侯淵自身も長らく「護軍」であり、夏侯淵の死後を曹真・郭淮ら「護軍」が引き継いだ。
この時代の「大軍の指揮」というのは眼下に数万の野戦軍を並べて「全軍前進!」とかいうものではない。
広範囲の戦域に建築された陣地の取り合いを長期間に渡って行うものであって、
大局観や部隊間の調整・人事、兵站管理など戦略的軍政的が必要とされる。
必要とされたのは韓浩や郭淮のような人材であり、その傾向は魏の都督諸軍事経験者全般に当てはまる。 劉岱の後任として長安から派遣されたエン州刺史金尚。
彼はなぜ、曹操がエン州を占拠してしまったら、袁術の元に身を寄せたのだろうか?
袁術はあまり名士受け良くなくて朝廷にもあまり忠実でなくて、新興勢力とばっか組んでるのに。
同じように鄭泰が袁術に仕えて揚州刺史になったのも謎だ。 そりゃ、袁紹派曹操に追われて逃げたんだから、それと対立していた袁術に逃げ込むのは普通の選択。
袁術は少なくとも皇帝を名乗るする197年(或いは献帝を擁した曹操に賊徒指名される196年)までは
淮南を中核とした巨大勢力。
190年の反董卓決起でも、翌年まで戦線を維持していたのは袁術(and孫堅)と朱儁(and陶謙その他)だけ。
同じ時期に袁紹らは長安に見切りをつけて劉虞を擁立しようとしていた。
そもそも群雄割拠の引き金となった豫州攻撃を先に吹っかけたのは袁紹の方。
張超や陳宮も袁紹派と戦って不利になると袁術と結ぼうとしている。
曹操も袁術と交戦中に足元が不安になって楊彪に適当な罪を吹っかけて排除しようとしている。
袁術は選択を誤って皇帝を自称してしまったので、漢魏交替を正統とする史観によってあることないこと
言われているし、当時袁術に味方していた群雄や名士達も「騙されていたので」とか「無理矢理脅されて」とか
言い訳しているが、皇帝を名乗るまでは淮南から江東・徐州へ影響力を広げようとする中原二大勢力の一つだった。 >>285
でも、当時朝廷と対立してた袁術に身を寄せるよりなら、
長安に帰る方が漢の官吏としては正しい身の処し方だと思うのだが。
実際、地方官に任命されたものの、赴任できないで帰ってきた奴は他にもいるんだし。
赴任できなかったら帰るのが筋で、正式な漢の高官が朝廷と敵対してる人物に身を寄せることはないと思う。 >>286
その当時というのは董卓か李カクが政権をとっていた時代(間に王允もいるが)。
皇帝へ忠誠を誓って董卓政権下に留まったり集まった名士というのは少なからずいたが、
逆に自分の身を守って朝廷から逃れるために地方官僚の座を利用する者も少なからずいた。
言ってしまえば、この時代の地方群雄というのは九割方後者の類(例外は張燕など少数)。
それは個人の選択であって、この時代の流れからは特筆するようなことではない。
ついでに袁紹と袁術は李カクから正式に将軍位を貰って形上は修好している。
袁術はその使者である馬日テイを拘留したりもしているけど。 >>287
袁術の左将軍就任は193年、金尚のエン州刺史就任は192年だから、
金尚が袁術に身を寄せたのは、袁術は長安政権と修交する前で、まだ朝廷と敵対している。
金尚が正式な刺史なのに、朝廷と敵対している袁術に身を寄せたのは、
長安の朝廷にいるより、袁術の元の方が安全と思ったからか。
金尚の人柄を考えれば、自分の一身の安全を図る人間には見えないが。 その基準で言うなら、三国の立役者であんたの眼鏡に適う「人柄」の持ち主は数人しかいなくなる。
高官では鍾ヨウくらいしかぱっと思いつかない。
他の人間は全員「自分の一身の安全を図」って身を処した。
というか、忠より孝が上位、自分の家を護り継ぐことが最上の美徳の時代だったから、
自分の身を守ることに成功するのは賞賛されることだった。 エン州大反乱のどさくさにまぎれて、エン州に数万の兵を率いて乗り込んで追い返された予州刺史郭貢。
数万の兵を率いていたと言うから、その勢力も相当なもので、中原では大勢力だったはずなのに、
名前が一度しか出て来ない。どこに消えたかも不明。
そもそも誰が任命した予州刺史だったのか、数万の兵力を有する大勢力がいつの間に消えたのかなど、
謎は深まるばかり。 陳登はマイナーかな?
横山三国志では徹頭徹尾劉備の味方として
描かれるも親父の陳珪のほうが目立ち、
劉備が徐州を追われたあとはあたかも
親子ともども曹操に罰されるのではという
雰囲気を出しつつフェイドアウト。
そのごしばらくしてなぜか占い師の引き立て役として
再登場する。 >>292
陳登はマイナーじゃないと思うよ。
演義や横山三国志や吉川三国志しか読んでない奴ならともかく、
正史を読んだらあちこちに出てくるし、
政治に軍事に活躍してて名高い文武両道の名将。
30代で伏波将軍とか、半端ない破格の出世。 ばっかおめ、演義の対呂布戦での陳登無双を知らんと申すか。
完全に史書より目立ってるよ。 >>296
それじゃ雷同はそうじゃないみたいな感じじゃないか! 羅憲は?
マイナーだけど呉の丁奉ら相手に一歩も引かなかった
王平と羅憲好きだわwww
スイ固は?
なかなかの人物だけどマイナー
某ゲームで顔だけは有名ぽいけど >>293
田予や陳登は、劉備と一緒にいればもっとメジャーになれたかもなぁ・・・・・
才能はピカ一だが、早期に曹操の下に落ち着いてしまったので、あまり取り上げられなくなった感じだ
それでも、陳登は対呂布の埋伏や壮絶な死に方で目立ってる方だと思うけどね
>>299
蜀滅亡戦自体、三国志の中では日陰の方だからね
王平は、街亭戦が多分一番語られてる場面だろうか
優秀なんだが、「使えるモブキャラ」っぽい立ち位置なのが残念でならない マイナーじゃないんだが
関平って荊州失陥後なんとか蜀に逃げれたら
どこまで出世出来ただろう ギランを見て、イアン・ギランを脳裏を過ぎった・・・ 劉封がらみで養子属性追加の疑いが濃いんだっけ?
義兄がまだなのに関羽に子供がいるのは云々とかいう 正史だと劉封の養子入りが劉禅が生まれるより前なんだが・・・・
演義になると劉禅が生まれるのが先で劉封を養子にするときに
関平を養子にした関羽が小言を云う訳ワカメな展開 ギランとタイインはオウケのハカをはっけんしてホウセキ持ってきてくれるからいいよ 楊秋は曹操に手紙を送り、特進にまでなったのに知名度なし
あと陶侃 >>305
能力的には牙門将クラスだろうけど名門だから安東将軍まで出世とみた 【三国志】透明人間の王表、馬超を倒した閻行、関羽の部下の呂布……とは誰?
http://teisokuhou.blog.fc2.com/blog-entry-3.html
このページで、このスレッドの書き込みをまとめています。
私も、ここを読んで初めて知った人物が一杯います。
三国志は奥が深いですね。 >>304
田予って誰かと思ったら田豫かよw
ちゃんと書けや!
異民族に当たった人物ってマイナー気味になるわな 異民族と言えば劉淵もそうだな
陸抗らとも激突したが打ち破った?らしい 既に出てるけど劉璋軍のメイン盾こと劉循はもっと評価して欲しいよなぁ 吴存森の一番上の兄貴と二番目の兄貴を誰かおしえてください 一度名前出てるけど孫邵かねぇ
呉の初代丞相でありながら伝も無く詳細な事績もほぼ伝わってないという謎の人
孫権が張昭嫌いだったことを差し引いても他の重臣を差し置いて丞相に抜擢される程の人なのに
まぁ呉書自体が色々とアレだから仕方ない部分もあるだろうけど 留賛のエピソードは演義で脚色された逸話のどれよりも面白い 耿紀
簡雍は元々耿雍だったとか
耿姓って意外と多いんだな 日本では長らく三国志といえば演義のことだったから名前は出るけど評価の低い武将ってのは大体演義での扱いが悪かったり出番が無い武将に落ち着く
大きく別けて三種類
・諸葛亮が参戦した戦いに従軍、もしくは敵対した武将
味方の功績は全て孔明に集約され敵は史実以上の完全敗北をする
・対異民族に功績の大きい魏呉の武将
演義の本筋に関わってこない為出番そのものがオミットされる例が多数
・五丈以降に活躍した武将
演義では五丈原以降は超巻いてる為活躍が描かれない
というか日本では大体五丈原で終わっちゃう
唯一の例外は趙雲を引き合いに勇猛さを評された文鴦くらい マイナーったって知識レベルによるからな
確かに劉備曹操関羽呂布諸葛亮は三国志をまったく読んだことなくても
何となく聞いたことはあるとか常識レベルのもんではあるが
じゃあそういう一般人がジュンイクを知ってるかっていうと知らんだろうし
>>1の法正とかメインレベルと思うが一般人にしたら聞いたこともないだろ 宗預、諸葛亮死後の対呉外交で活躍したはずなのに名前が出るのは殆どない。
夏候蘭、趙雲に生け捕りにされて、その推挙で属に仕える。厳顔に討ち取られた人とは別人?
インカン、突如出てきた劉備の参謀。一言喋ってすぐ行方知れず。
王連、優秀な経済官僚で劉備も認めた気骨の持ち主。存在確認が難しい。
程キ、能力的には?、それでも忠義心の高さは認めて欲しい。
劉エン、DVの元祖、劣化簡雍。
存在を知って欲しいけど、無視されてる人をあげてみた。 呉末期は濃いな
脩允が毛ケイの腹を裂いて惨殺した逸話とか水滸伝みたいだし
梁碩と顧寿の争いとかカオス ★マインドコントロールの手法★
・沢山の人が偏った意見を一貫して支持する
偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法
・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法
↑マスコミや、カルトのネット工作員がやっていること
TVなどが、偏った思想や考え方に染まっているフリや常識が通じないフリをする人間をよく出演させるのは、
カルトよりキチガイに見える人たちを作ることで批判の矛先をカルトから逸らすことが目的。
リアルでもネットでも、偽装左翼は自分たちの主張に理がないことをわかっているのでまともに議論をしようとしないのが特徴。 蜀の郭達の事って何という史書の何巻の何の項に書いてあるか誰か知らない? ニンニク焼き電話会談日本橋スーパーきゃべつラーメン
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JK法相puzzleジュネーブ法相イケヤパート正社員グリー総合芸術自然ニコチンカフェインほぼホームデポテクニクメネージャー 曹操ってトンが負けて帰って来た時は、
「勝敗は兵家の常」とか言って許した癖に朱霊は嫌い続けてる
結局才人でもなんでもないじゃん、嫌いだわー、曹操 >>343
郭達山のくだりにあるはずたがら何らかの地理誌でしょ
何かは知らんが ・Total War:THREE KINGDOMS -Zheng Jiang In-Engine Trailer
https://youtu.be/_cg2nSAfeUY
・Zheng Jiang
簡体字: 郑姜
繁体字: 鄭姜
・どうやら演義には登場しない人物で「郑 」と「姜」という2人が実在していて
このゲームでは2人を足して1人の武将として登場しているらしい
・最後に鄭姜のエピソード
正史 三国志 巻二十九、方技伝、周宣伝より
後東平劉髢イ虵生四足、穴居門中、使(周)宣占之、宣曰、「此為國夢、非君家之事也。當殺女子而作賊者。」頃之、女賊鄭・姜遂倶夷討、以虵女子之祥、足非虵之所宜故也。
そののちのこと、東平の劉驍ェ、四本足の生えた蛇が門の中に穴をほって住みついているという夢を見て、周宣にその意味を占わせた。
周宣はいった、「これは国家についての夢徴であって、あなたの家のことではありません。きっと女子で反乱をなす者がいて、誅殺されることになりましょう」
しばらくたって、女賊の『鄭』と『姜』とがともに討ち平らげられた。
思うに、蛇は女子を象徴するものであり、足は蛇にあるべきでないものなので、このように解いたのである。 法正は三国志の中じゃメジャーな方だろ
軻比能とか麹義とかさ 山本伸一の一行は、中州賓館に一泊することになり、宿舎に移った。
突然の訪問にもかかわらず、中国人民対外友好協会の河南省分会の関係者が、熱烈歓迎
してくれた。
夜には、食事を共にしながら、歓談のひとときがもたれた。
伸一は、河南省分会の責任者に言った。
「雷雲のために、憧れの鄭州に泊まることができ、こうして新しい中国の友人と出会えま
した。雷雲に心からお礼を言わなければなりません」
笑いが広がった。
鄭州の人びととの、せっかくの出会いである。伸一は、この機会に、未来にわたる強い
友誼の絆を結ぼうと思った。
それには胸襟を開き、どこまでも誠実と情熱を尽くし、魂と魂の触れ合う対話をするこ
とだ。
語らいは弾み、河南省の文化や歴史について話に花が咲いた。そして、三国時代には、
中原は魏の国の曹操が制していたことから、話題は「三国志」に移っていった。
伸一は語った。
「私の恩師である、創価学会の二代会長・戸田城聖先生は、『三国志』などを青年に読ま
せ、指導者論や人間学などを講義してくださった。
その先生がお好きであったのが、蜀漢の名宰相・諸葛亮孔明の晩年をうたった、『星落
秋風五丈原』の歌でした。
これは、日本を代表する詩人である土井晩翠の詩です。
今日は訪中団の青年たちが、皆さんにこの歌を披露いたします」
拍手が起こった。
同行の青年たちが、立ち上がって歌い始めた。 キ山悲秋の風更けて
陣雲暗し五丈原
零露の文は繁くして
草枯れ馬は肥ゆれども
蜀軍の旗光無く
鼓角の音も今しづか
丞相病あつかりき
丞相病あつかりき
歌声が朗々と響いた。
――赤壁の戦いで魏軍を破り、数々の戦功をあげてきた諸葛亮であったが、五丈原で魏
軍と対陣中に病に倒れてしまう。
彼の病は重く、蜀軍は敗色に包まれていた。
“蜀漢の未来はどうなるのか。苦しみにあえぐ民を誰が救うのか……”
“五丈原”の歌には、病の床に伏す諸葛亮の、その苦心孤忠がうたわれていた。 >>353
呉下の阿蒙の逸話とか本場の人でも好きそうだけどな
各方面に気をつかえる、孫呉にはめったにいない常識人枠になりうるし 呂蒙さん成り上がり度でも結構なもんだからな
兵卒上がりで家も貧乏
日本人は寒門の出の人物とか好きだしな 道教系の書物によると、高沛が瘟神(疫病の神の一種)として信仰されて祀られていたとか
なんで高沛なんだろうか? 裏切られて斬られるからかね
関羽なんかも最初は祟り神だったと聞くし
あとあっちでは水にまつわるエピソードを持つ武将が神格化されるケースが多いと聞く
甘寧とかね 曹操配下の文官たち全員
徳川四天王なみに評価されていいはず 盛沖
『晋書』五行志上に「是時嬖人張布專擅國勢,多行無禮,韋昭、盛沖終斥不用」とある。
三国呉の孫休の永安年間に、張布が国政を専断したので、韋昭・盛沖が排斥されて任用されなかったのだという。
同志では「休又專任張布,退盛沖等,呉人賊之應也」ともいう。 >>363
太古から黄河と長江の氾濫で壊滅的な被害を受けてきた歴史的な背景があるからだろう
三皇五帝に入っている神、人も治水事業を成し遂げたものが多い >>368
習珍は切羽詰まり敵国へ亡命したものの
敵国に忠義を尽くさず叛いて死亡
孟達と変わらんよ 漢字も知らないしどういう人物かは知らないがギランという武将? ナムコの三国志には出てたのになぜかコーエーのは一度も出たことはない 文聘でマイナー扱いするのは五虎将軍スゲーって言ってるレベルの人やろ >>369
習珍は叛かずに呉に忠義を尽くしていれば
黄権や潘濬みたいに名を残せたものを
正直孟達ほどの存在感も無いからな・・・
弟の習宏の方が遥かにいい生き方 >>371
文聘は旧劉表配下の中では通が知る隠れた名将だろうな
しかし文聘と甲乙つけがたい呂常がマイナー扱いなのは下せん >>374
曹操廟に合祀されとらんし文聘ほど鮮やかな防衛戦勝利がないから仕方ない 文姓は割と少ないけど武張った人物が多い気がする
文醜、文欽、文鴦、文虎