時に亡き父や母を想い落涙する者たち 弐
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みなさんいいご両親をお持ちのようで羨ましいです。
煽りとかでもなんでもなく、世の中にはいわゆる毒親とかいて虐待やネグレクト受ける子供がいて。
子殺しの親もいて。
うちもまぁそういう虐待系なんだけど。
そのネグレクトを受けて育てたられたけど、何故だか今現在その親を介護してるという矛盾。
スレチ、失礼しました。
普通の家庭に憧れていた者より 亡くなった訳じゃないけど、親が介護施設に入居する事になって、何ともと言えない罪悪感で落ち込むわ。 父は寝たきりでは無かったけど歩くのが辛くなってきて、リハパンも自分で穿けるぐらいだったけど、たまに粗相することもあったし、1度だけ「自分で死ぬわけにはいかんからなあ」と言ったことが有ったし生きることがしんどかったんだと思う
父が亡くなってからなかなか立ち直れなかったけど、「お父さん楽になったなあ」と考えるようになってから気持ちが大分楽になりました
やっぱり時の経過が気持ちを楽にしてくれますね >>5
親が亡くなり孤独な一人暮らしにも書いてるね >>7
やっぱり時間の経過ですね
亡くなってからの月日より一回忌の命日までの日数の方がずいぶんと短くなったなあ… 小三治が逝き吉右衛門も逝った
どちらも亡き父が好きだった
ともに衒いのない、堂々とした本格派の芸風
父とはあまり気が合わなかったが
芸事のことだけは気安く話せたなあ 先月母親が亡くなりました
自分が50歳になるまで親でいてくれたことに感謝! 今までスーパーで父と自分の二人分の食材を買っていましたが、今は自分の一人分しか買わなくなりました
寂しくなりました その気持ち分かるなあ
自分の行きつけのスーパーも今まで2人分ぐらい買ってたのに、今は減ってるから、レジの人も人が減ってることには気づいてるだろうなと思う 入院中や通院検査の時に父が鬼平犯科帳の漫画と剣客商売の漫画を買っていた。父が読み終わったらそれを俺が読んでいた。
もうじき父の命日が来るのだけれど今でもその時の名残で仏壇に鬼平犯科帳と剣客商売の漫画をあげておいた。 母が逝ってそろそろ10年です
父も超高齢なので覚悟しなければなりません
もう余命宣告されているようなものですから
父との日々の時間を大切にしたいです >>15
自分だけになると食事を作るの面倒になって食事を抜きたり適当になったりするから気を付けような >>19
ありがとう
でも私は8年前にガンの手術をしているので、食事には人一倍気を付けていますので、食生活は大丈夫なんですよ >>21
そうでしたか、体を大切にしてお父さんの分まで長生きなさってください。 母は小学二年の頃家を出て
それから二回だけ十二月下旬の俺の誕生日に会いに来てくれた
小学四年の誕生日の時
母とは「また来年。しばらく会えなくてごめんね」と言って別れた
次の年、母は来なかった
その次の年も、次の年も俺は楽しみに待っていた
中学に上がり、高校に上がっても母は来なかった
高校の卒業式の時(あれはおかあさん⁉︎)と思える人を父兄席に見つけたが
式終了後にいくら探しても母の姿は見当たらなかった
大学で実家を離れなんやかやと刺激に囲まれていくうちに母の約束のことは忘れた
というか、徐々にあまり胸の痛まない思い出になった
今年の九月、遠い親類から、母がこの春に亡くなっていたことを聞かされた
故郷の実家の菩提寺に納められたと教えてくれた
コロナ禍でどうなるか未定だけど
再来週の誕生日、その寺に行ってこようかと思う どんな言葉をかけていいか分からないけど、生んでくれた母親はかけがえのない存在だよ 産みの母親が住んでたって家が分かったから先月行ってみた
野良猫と蛇がいる廃屋になってた
クソ女ざまあ どんな環境だったのか分からないけど誕生日にわざわざ会いに来てくれたのだから身を引き裂くような思いで置いていったんだと思う
お母さんは忘れたことないと思う 銀行に行って来年のカレンダーを貰ってきた。母が毎年楽しみにしているシリーズなので暮れにまた仏壇から見えるところに貼り替える 年末だから、花の好きだった
かぁーちゃんに
シクラメン買ってきて
仏壇の前にお供えした
あの世で喜んでくれるかな 母親がにっこり笑う遺影を見ると
この先何があってもなんとかなるような気がするんだ うちも両親ともに笑顔の写真を遺影にしたよ
やっぱり笑顔は癒されるね 今日やっとインフルエンザのワクチンを射てました
久しぶりに大病院に来ると親の付き添いの息子さんや娘さんが数名いました
かつての自分とオーバーラップして涙が出そうになりました
「頑張って下さい」と念を送りながら、うらやましいという感情と、もう親の介護で悩まなくていいのだという安堵感がわき上がって複雑でした シルバーカーで必死に歩いているお年寄りを見たら泣けてくるなあ >>33
病院に行くと母親と同じ年頃の人が多いから、自然に母親のこと思い出す。
一緒に病院に行ったこと思い出し、心の中で泣きたい気持ちになる時がある。
今、母親がそばにいればな〜。
こんな悲しい思いをするとは。 親の介護をしてからお年寄りに目が行くようになりましたね。
うちの親には自分が寄り添ってましたけど、あのおじいちゃん、おばあちゃんは1人なのかなあと。
自分はもう1人なので今更ながら将来が不安です…
結婚しなかった自分が悪いのですけど… 母親が亡くなってから大晦日から3泊4日で車で2時間ほどの距離にある温泉宿に行ってたんだけど、これからはどうしようか
一緒に行く相手がいない
今年は姉の家に泊まりに行くから良いけど 補足ですが、母が亡くなってから父と2人で温泉宿に行っていたということです 母が亡くなってから3年 全然いいことがないよ
3年前だからコロナ前もあるけど、
生きてる時は母が守ってくれていたのかな
今は天国でゆっくりしてるのかな 親不孝も今分かる 子供の時から同じ時間、同じ思い出を過ごした過ごした母親を、亡くすことは
自分の歴史がずっと遠くに消えていくような感じがして寂しい。 隔年で両親をともに1月に亡くした俺にとって来年は本当の正月、久しぶりにおせち料理を仏壇にそえるかな、ここん所具の少ない雑煮だけだったから クリスマスは何と無いが正月を一人で過ごすのはちと辛いものがある。 4年前に親が12月中旬から約1ヶ月入院した時、初めて1人の大晦日から正月を迎えたけどスゴく寂しかったなあ 明けましておめでとう御座いますって何がそんなに目出鯛のやら、また墓場に一歩近づいただけやん。 一番寂しかったのは母がホームに入居して
初めて秋になった時
肌寒いし日が暮れるのが早いしひとりだし 人前でお母さんと呼ばなくなった。
当たり前ことだったことだったのに。悲しい。 私はお爺さんが一人で定食屋とかで食事してる姿を見たら、亡き父親を思い出して泣きそうになる。
父親と一緒に外食した時、黙々と美味しそうに豚カツとご飯をかき込んでたなぁ…と。 >>48
途中で送信しちゃった。
あんなに食欲旺盛だった父親が癌になり、あっという間に食べなくなり、痩せて行く姿は本当に可哀想だった。
どうかあの世では食欲旺盛で、美味しい物を好きなだけ食べていて欲しいと思う。 おふくろの晩年は若干の認知症が入り、自分ら夫婦を悩ました。
たまに見るおふくろの夢はいつも暗い顔をして私に向かって
「〇〇やぁ」と悲しそうに私を呼ぶ。 自分は来年納骨しようと思っています
少しだけお骨入れに入れて家に置いておこうと思っています 親父の夢を見た
田んぼで仕事をしてた、夢の中で泣いた。 突然いなくなるとは、思ってもいなかった。
面会することは、出来たのにそれを教えてくれなかった。病院の対応を恨む。 突然いなくなるとは、思ってもいなかった。
面会することは、出来たのにそれを教えてくれなかった。病院の対応を恨む。 突然いなくなるとは、思ってもいなかった。
面会することは、出来たのにそれを教えてくれなかった。病院の対応を恨む。 突然いなくなるのも心の準備ができてないから辛いだろうけど、ガンで日に日に弱っていく姿を見るのも大概辛い。
明日が来るのが怖かった。
病院に行く時も「あのカーテンの向こうで苦しんでいるのでは…。」と思うと、洗濯物を届けるのも怖かった。 父の戒名入りの本位牌が出来てきたので
白木位牌(葬儀社が作った戒名なしのやつ)を自宅でおたきあげした 去年の年末年始までは母がいた
今年は父と二人の年末年始だけど
父とは色々合わない面があって
お互い好き勝手やってる状態なので
ほぼ、ぼっち年末年始
喪中だけど一応年越しと新年への準備は完了 実家が空き家になってからも毎年年末年始は実家に帰ってた。
だけど今年は寒し帰るのやめようなんて思っていたんだが、
昨日までは何の問題もなかったのに今朝アパートのエアコンの暖房が急に効かなくなった。
室外機のファンは回ってるけどどうやらコンプレッサーが動いていないっぽい。
今から大家に連絡してもどうせ業者が修理に来るのは正月明けだろうから、
結局正月は実家に避難して、電気ストーブと電気毛布を持って帰るしかなさそう。
親が帰ってこいって言ってるのか?ってくらいのタイミングだわ。 今年の雑煮は年末の高騰野菜になる前に買った大根を大量投入 さてと、これから空き家の実家に行ってくる。
結局今年も行くことになっちまったけど、まあやっぱり正月は帰るべきか。 昔は年始に親戚が入れ替わり立ち替わりだったけど親がいなくなってから誰一人来ない
年賀状出しても返って来ないのがほとんど
静かでいいと思うようにしてる 仏壇に電池ローソクを点け簡単なお供えをして「あけましておめでとう。今年もよろしく。」
仏壇は話相手。相談相手。 >>66
親戚付き合いなんてあまり深く考えない方がいい。
冠婚葬祭の付き合いだけでも煩わしいのが本音。
彼ら彼女らに迷惑をかけない生き方をすればいいだけ。 空き家の実家に帰省中。
当然親戚なんて誰も来ない。
今後も親戚と会うのは冠婚葬祭に呼ばれたときだけだと思う。
一部の親戚とは年賀状のやりとりだけ続いている。
何となく今住んでる自宅アパートの住所は知られたくないんで差出人欄は実家の住所で出してる。 >>68
日頃は知らんぷり
迷惑・厄介事だけかけに来る 父が亡くなって初めて1人の大晦日から元日を過ごしたけど、思ってたより寂しくなかったなあ
4年前に父が肺炎で12月の中旬から1月の中旬まで入院した時は、ものすごく寂しかったけど
1人でいることに慣れたんだろうなあ 時の経過が解決してくれますね
それも寂しい気がしますけど 自分も慣れたことは慣れたけど寂しいよ
お父さんはお母さんのところへ行って体が楽になったね、と考えて気持ちを楽にしてます 慣れたというか最初の1年より良くなった
精神がすこしづつむしばわれてる感はある またいつか、会えるのかな
棺を閉じる時、またあなたの子にして欲しいと言ったけれど、届いたのかな 血は繋がってないけど母親役を演じてお世話してくれた人が居なくなって初めての年末年始
やっぱり寂しいもんだな 増えるアルバムが数冊あるんだけど
見ると当時を思い出して涙だよ
もう戻れないあの当時。 昭和が遠くになった。
昭和の話したいな。母さん。子供の頃の自分の歴史がなくなった。 だから時が悲しみの記憶を和らげてくれるんだよ
独り者でも家庭持ちでも変わらないよ。 >>80
そうそう
両親亡くなり兄妹姉妹もいない
実家は空家
たまに電話で相談してた親戚に
出してた年賀状の返事すら来なくなった
この先どなるのかと不安で鬱気味なんです 家族との何気ない日常会話がどれだけストレス解消になってたことか身に染みる 精神面で親に依存してたんだろうね
仕事に没頭してる時間は忘れてるけど、
仕事が終わってふと「自分は1人ぼっちなんだ…」と気づいた時ものすごく寂しくなるよ
自分自身もあと8年で定年だし 夕方が特に嫌。
ものすごく寂しさを感じる。
もうこの地球上のどこにもいないと考えただけで、涙が止まらなくなる。
父親と最後に一緒に見た夕陽が忘れられない。
あの時父はどう思ってたんかな?
「明日の夕陽は見られるかな?」とか考えてたんやろか?
真夏の夕陽を見る度に、あの時の悲しみが蘇るわ。 >>89
幽霊は見たことないしオカルトに興味はないつもりだったけど
親兄弟が亡くなってから心霊スポットとか曰く付きの場所とか事故物件というのが一切気にならなくなったなあ
ということは心の片隅でなにかそういう物事への禁忌があったんだなと感じる今日この頃 死んだ親とか猫とか出てきてくれないかなと思って
ドキドキしながら空いた部屋の暗闇をジーッと見つめるんだけど何も出てこない
ぞういう能力は俺にはないみたい 寂しいくなった時は、そばにいると信じている
だって自分なら、子どもが寂しがっていたらそっとそばに行ってごめんよと言うはずだから
居る場所は違っても、親子だったという真実は消えないよ 祖母を施設で看取った時に黒いモヤモヤが自分の足元から祖母のベットの下へ移動していくのを見てしまった。
見えてしまったという感覚が近い気がする。
昼間働いて夜は施設で祖母のベット脇で様子を見ていた。それを連日繰り返していたから疲れや寝不足から錯覚で見えたんだと思うけど、黒いモヤモヤを見た後祖母にチアノーゼが出て息を引き取ってしまった。
あの世ってあるんじゃないかと思わせる体験だったよ。 >>93
弟が亡くなった時
光が病室の天井に消えていくように見えたなあ
正確には明るいものを見て目を閉じたら錯視で残像が明度になって上昇していく感じだった
霊とか見たことないし私も疲れでそう感じただけだと思うけど
「ああ、今、逝ってしまったんだな…」と思った直後にステーションでバイタルを見てた看護師さんたちが神妙に部屋に駆けつけてきた
そういうことってあるんだと思う 父が撮ったビデオがブルーレイに10枚ほど落としてあった
本人はあまり映ってないけど撮影しながらべらべらしゃべってるので
声はふんだんに入ってる
なつかしい人たちが大勢映っていてこれは家宝になった 私も旅行に行った時に父を撮った動画が有りますが、なにか怖くてまだ見れません
母親が詩吟を歌ったカセットテープも有りますが、こちらも怖くて聞けないです
姉弟が揃った時に勢いで見たり聴いたりするとかじゃないと見れないです 父が病院で突然死してしまった時に兄弟みんなで死んだ父親と写真撮影していたことが当時は信じられなかった。
俺は病院で父の死亡について説明受けた後家にいる祖母を迎えに車を走らせてる最中だったから写真には写っていない
後になって写真撮ってあったことを感謝したな。寂しい時に時々写真を出しては眺めてた
良い事も悪い事も写真に残しておかなければいけないという姉の提案だった >>97
私も父の死に顔の写真持ってる。
あと末期に一時帰宅が許された時のも。
たまにあの写真を見ては、自分が辛い時「おとうちゃんはもっと辛かったやろな。」って考える。 おれも写真の整理をしている、、、墓のそばに父が物置小屋を作ってるよ
そこに一応写真類を保管してるよ もし自分が孤独死した時に他人に見られたくないから
子孫がいないので法務局の「自筆証書遺言 保管制度」を利用するよ 自分は母の亡くなった直後の写真を撮ったが
なんか怖くなって49日か新盆当たりで消去しちゃった
亡くなってから葬式までも自宅に遺体安置ではなく
管理の行き届く葬儀屋に置いて貰ってた
自宅で亡くなったんだけど10年以上使ってたとは言え
母が亡くなったのと時を同じくして
その部屋のテレビやエアコンが後を追うようにダメになった >>100
それはよほどお母様に恨まれてますな
恨まれてるというか呪われてると言って良いレベル 最近よく古い家屋の画像をネットで見るんだけど、
母からもらった10円玉握りしめて駄菓子屋に行きたいわ。
貧しかったけど、家に帰れば親がいるというのは、温かくて有難いんだなって今頃になって感じる。
古びた駄菓子屋で当てもんして、お菓子ゲットして帰ったなぁ。
もう一度お父ちゃんとお母ちゃんがいる家に「ただいまー。」って帰ってみたいわ。 うん
少年時代は貧しい家庭だったけど
家に帰ればいつも笑顔があり
笑い声の絶えない家庭だったなあ
貧乏を僻んで
人並みの暮らしをしようと頑張ってここまで来たけど
親兄弟も亡くなり妻にも先立たれて
金で買えないものの重みがのしかかってくる もうすぐまた会えるさ
その時まで頑張ろうよ
褒めてもらえるように 以前お向かいさんがおじいさんに先立たれたおばあさんの一人暮らしだった
俺の母親が何かと気にかけて買い物など行くときに向かいのおばあさんに欲しいものを聞いて買ってきてあげてた。
そんな程度の付き合いだったある日お婆さんが「○○ちゃん(亡くなったお爺さんの名前)が来てる。そこにいる。」と言い出した。
俺の母親がお婆さんにしっかりしないと駄目だよと声を掛けた。お婆さんがおかしなことを言いだしたとその日の夜にその事を俺は母親から聞いていた。
翌朝お婆さんの家の雨戸が開かない事を不審に思った俺の母親がお婆さんの親類に連絡した。
親類は合鍵を持ってるようで家の中に入るとお婆さんが風呂場で亡くなっていた。
昨日の不思議な出来事を聞いていただけに本当にお爺さんが迎えに来たのかなぁと思えた。
俺も死ぬ時には死んだ親父や祖母に会えるのかなと思ってる。
余談だけど俺の母親が第一発見者になって家の中に入った親類が第二発見者という事になった。現金や通帳が見つからないと事故として処理が終わらないようでなかなか通帳が見つからなくて俺の母親と親類が何回も警察から事情を聴かれた
ポケットに通帳が入っていないかとか遠回しに聞かれた。警察官が日中家の中を探し回っても通帳が出てこなかったから夕方俺の母親がもう一度警察に呼ばれた
その日の夜警察官がトイレの中でトイレットペーパーが入れてあった籠の中から通帳を発見して無事疑いが晴れた まあ子供の頃が一番楽しかったと言う事なんだろなぁ。 外で食べる時は申告許可制だったアイスクリームを友人と買い食いするため
自分の貯金箱から小銭を抜いて出かけようとしたところで母親とバッタリ
「手を見せてごらん」
右手を見せた
「もう片方の手も」
後ろ手に小銭を握り直して左手を見せた
母はクスッと笑って「わかった。行きなさい」と私を見送った
まんまと騙せたと思っていたけど
あの時
お母さん
あなたは見抜いていたんですよね
私のごまかし方がバカバカしくて笑ったんですよね
最後まで謝れなくて
ごめんなさい 時々フラッシュバックで息苦しくなる
パニック障害なんだろうか 昨日は月命日だったから
好きだった和菓子を買ってきてお供えした 父は芋焼酎が好きだったから芋焼酎のワンカップ、母はビールが好きだったから缶ビールを、
月命日には仏壇の前にお供えしています 俺は毎日欠かさず仏壇にお茶と水だけお供えしている
供養の仕方は人それぞれ
ちなみに仏壇には先祖代々の位牌が多数並ぶが、それらを供養する気にはならない
父方の祖父母は自分が生まれる前に他界している
あくまで供養は両親の為 【速報】埼玉 ふじみ野 “猟銃”立てこもり男を逮捕 人質の医師は死亡 母親の死でトラブルか ★6 [スペル魔★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1643344436/ 週刊スパ 最新号
本屋さんで見てきた
よく見かける切り口が相続遺言とかでなく
亡くなった後の気持ちの整理にふれてて星3.5位の内容だったよ
SPA! 2/1号
[親が死ぬ前]にすべきこと
https://www.fusosha.co.jp/magazines/detail/4910234510229 香食(こうじき)と言って亡くなった方は線香の煙を好むらしい 浅田次郎の小説にもそんなこと出ていたなぁ
線香は仏さんの食べ物って感じで
父親死んだばかりの頃浅田次郎の短編朗読を聴いては泣いてた時期があるよ 【マザコン】「本当にお母さん中心」「お母さんに何かあったら心が折れて…」 立てこもり医師殺害、66歳容疑者“母親中心”の生活 [樽悶★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1643636667/ 亡き父の部屋からCDラジカセをもってきた
CDはこわれてるけどラジオとして使いますよ 今年は青春時代に訪れていた場所に歩きに行こうかな
自分の足跡を辿りたくなった
両親や姉弟やお世話になった人達がみんないた暖かい時代にちょっとの時間だけど戻れるし 天気もいいし、行ってらっしゃい
故郷はいいものだよ 故郷じゃなく今住んでるところから電車圏内なんですけどね
仕事をしてると仕事のテリトリーでの移動は有りますが、
それ以外のところは案外行かないもので
わざわざ行こうと思って行かないと、結局行かないので 最近ちょっと読んで良かったと思える本
五木寛之「こころの相続」
相続が上手く行った人も、そうでない人も
こんな視点で物事を捉えると
親に感謝出来るかなと思う いまお線香の香りが漂っていました
部屋は暗くエアコンの音だけです
もちろんお線香などは焚いていません
こんなことがたまにあります
ありがとうございます ドラマやアニメ等で人が〇ぬ場面が出ると
どーしても亡くなった親とリンクして涙が出ちゃう 分かる
鬼滅の刃なんか第1話で母親と禰豆子以外の弟と妹達があれされちゃうから見たくない… やっぱこの板には親が「毒親」だった、て言う人は皆無なのかな? >>128
亡き父親が毒親だったよ、自分はこの家の教祖と豪語してた
40歳まで実家暮らしを強いられた、子離れできない典型
30代で毒親と気付けたし洗脳も解けたからまだ良かったと思ってる 吉住が老いた男性が大きいゴミ袋をぶら下げて
横断歩道を歩いてるのを見たら涙が止まらず
それを見た同級生が「どうしたの?」と
聞いたので事情を説明したら周りの同級生は「???」
だったらしい。 母親の命日その日にお墓参りに行きたいんですけど、仕事や用事がありなかなか当日に行けませんでした
今年もダメだなと思っていたんですけど、急に予定が変更されたので命日にお墓参りに行くことができました
今年は母が亡くなった年と同じ週並びだったこともあり、亡くなった時間にお墓の前に居ることもできました
予定を変えてくれた人ありがとう 両親ともに亡くなってから6年間それぞれの命日前後に墓参り行ってるけど、ジャストの日に行けたことは無いな
今はそんなに苦じゃないけど、車で1時間半くらいかかるし、どこかのタイミングで行かなくなっちまうんだろうな うちの墓は車で30分ぐらいのところに有るから2ヶ月に1度行くようにしてる
両親やご先祖様を大切にしていたら運気が上昇するような気がするし 今考えたら、何であんなに親に酷い事言ったんだろう?って思う。
何一つ親孝行もしなくて、親の有り難みはわかってるのに、過干渉が嫌でいつもツンケンしてた。
亡くなってみて寂しさがわかる。
自分の家に父が来て、ケンカした後に炎天下を歩いて帰る父の後姿見た時は涙が止まらんかった。
ごめんな、こんな子供で。
あの世では幸せにしてくれてますか? >>121
遅レスですまんが、20年前に亡くなった母親の香典袋が入った箱を整理してたら昔の職場時代のお客さんの住所録が出てきた
俺も街ブラがてら行ってみようかな
もちろんコッソリ遠くから眺めるだけにするけど >>143
20年前なら家族葬はまだそこまで浸透していない時ですね
自分は転職していないのですが、転勤が2回有りましたので、旅行がてらかつて働いていた所に行ってみたいですね お正月だから実家訪問して
生きている高齢の親と暫く食事や歓談して
実家近くにある墓地にて亡き親の墓参り
お彼岸だから実家訪問して
生きている高齢の親と暫く食事や歓談して
実家近くにある墓地にて亡き親の墓参り
世間一般的には
こういうごく当たり前と思われる事が
ウチは親族の仲が良くは無いので
出来無い
亡き親も嘆き悲しんでると思う 自分も自営業だったから父親との距離が近くて衝突ばかりしていたなぁ
仕事してるとあの時の喧嘩この時の喧嘩と脳裏をよぎることばかりだよ 邪険にしてすまんかった
ずっと親子のままでいられると思ってたから この時間帯に物思いに耽ると落涙してしまいます
感謝しかありません
その一言に尽きます
ありがとう 母親と過ごした日々は、忘れられない。いなくなって体の半分が何処かに飛んでいった
感覚。会って話したいことたくさんあったのに。 体の半分が何処かに飛んでいった感覚というのが分かりますね
自分は心の半分が親が健在だった頃の過去の思い出の中で生きてる感覚になってます 法事なんてやった事無いからいつも失敗ばかり
やっぱり一家に一冊、冠婚葬祭辞典みたいな本が必要だと痛感した
でも、実の親が亡くなってからのお彼岸や
平日開催になってしまうものの
一周忌に参列しない親族って人としてどーなのか?とは思う 俺も四十九日の時に御位牌を用意してなくてお寺さんに怒られたな。法事のルールみたいなの全然知らなくて。一人っ子独身で相談できる人もいなかったし 俺も一人っ子
母親が先に亡くなったときは父親と手分けしてやったけど、
父親のときは一人でやらざるを得なかった
場を仕切るのとか苦手だし、あれはなかなかの罰ゲームだったわ
今だったらコロナを理由に葬儀はやりませんで済むんだろうけどな >>155
位牌に魂入れするんだよね
俺も知らなかったよ
でもお寺がこういうのを用意するようにアナウンスしないと駄目だと思うがなあ そう思ってたんだけど、コロナでだったから普通の通夜、告別式、四十九日が出来なくて、
志村けんのように、後日送る会を開いてお寺でお経をあげてもらったから、分からなかったんだよ うちは身内だけだったからお通夜はやらなかった
でも火葬場の空きが無くて亡くなってから
葬儀まで9日もかかった
その間は、うちで安置しておくのは
良くも悪くも色んな感情が有るので
葬儀屋さんに1日1万で安置してもらった
まぁー入院というか、ホテルに泊まってもらったというか
そんなもの やっぱり一人暮らしは寂しい
若い時のように進学とか転勤で一人暮らしみたいな前向きな理由じゃないからなあ 若い時は未だ希望が有ったからなぁ今は絶望しか無い。 少しずつ遺品整理をしていますが、寂しいものですね
先日はわが家の幸せの象徴とも言える、おせち料理の重箱を整理しました
幼い時から当たり前のように、母が作ってくれたおせち料理を食べていたのですが、
自分は一人暮らしですし、おせち料理を作ることはありませんから、しょうがないですね >>163
実家が空き家になってから数ヶ月間は隔週くらいで帰ったタイミングで少しずつ整理してたけど、
今は帰る頻度も減ったし帰っても整理する気力が無い。
実家の整理は定年後のライフワークにしようと思う。
俺も独り者で継ぐ人も居ないから、最終的には思い出の品も含めて生活に不要な物は全て処分しないと。 亡き母の一周忌を何とか終えてホッとしている
至らない面もあったが、まぁーよく頑張ったと思う
葬儀、四十九日法要、一周忌とそれぞれ別のお寺さんになってしまったけど
自宅から一番近い宗派の創業してから20年未満の新しいお寺さんという事も有り
フレンドリーな対応で親族の評判も良かったので
来年の三回忌の予約もした >>165
うちは母親は一周忌まで、父親は四十九日までで終了
どっちも納骨のタイミング以降はやっていない
妻子とか、せめて兄弟でもいればやってたかもしれないけど、俺は一人っ子の独身
さすがに一人でも坊さん呼んで法事をやるってほど信仰心があるわけでもない
年に2回、それぞれの命日に一人で墓参りに行く程度だわ 来月父の一周忌と納骨を同時にする予定。母は認知症と癌で介護中。自分も一人っ子独身なので色々大変です。 >>166
俺も独身一人っ子
あげ法事といって、
お寺さんに予約して当日位牌をもって行って
やってもらっている
両親ともコロナ前に別々に病気で病院で亡くなった
面会も葬儀もコロナ前で普通に出来たが
まだ生きていて欲しかったと今思う。 俺は先週墓参りをしたけどカーネーションを飾ってきたよ 俺も花の大好きだった亡き母にカーネーションお供えしようと思ってる >>170
君のレス読んで、今日朝イチでカーネーション持ってお墓参りしてきたよ。
鉢花も買って仏壇に供えた「いつもありがとう」って書いてある。 >>161
独り暮らしは長生きしないって理由がよくわかったわ 今日5月8日(日)は、母の日なんだな
何一つ、親孝行できなかった
病気になってコロナ前だけど入院して亡くなるまで、
口喧嘩してた
それで、コロナ前だったけど、帰省も殆どしなかった
謝りたいがもう遅いよね 何か泣けてくるよ
もう亡くなって3年はたつけどね 7回忌はまだだけど
それで両親共に他界になってしまって、今は独り
今日は、母の日なので、上げていいかな >>170
そうだね
いま急いでカーネーション買いに行ったよ
すると、
自分の食べ物も買いなさい元気を出して
みたいな声が聞こえた気がして、
昼食も買って帰って、
先に仏壇にカーネーションいいのかな飾って
これからお昼にするよ こんなスレがあるとは
母の日で小学生の頃のことを思い出した。
母はなぜか私より先回りしてカーネーションを買って飾っていた、それもなぜか赤と白を混ぜて。
そのころはどちらの祖母も元気だったので、なぜそんなことをするのかが不思議だった。
成人後に戸籍を見る機会があって、私の生母は私が一歳になる前に病死して、物心つく前に父た再婚した母が私を育ててくれたのを知った。
その母も病気で倒れ、今年の母の日は病室での短時間の面会となった。
すぐ命がどうということはないが、今の時間は大切にせねば 母親が亡くなって一人になってしまった。改めてもっと優しく、大事にしていれば、
後悔しています。家族はかけがえのないものだった。 どれだけ親孝行してたとしても「これだけやれば良い」って指標が無い事だから結局は後悔すると思う。 自分は親と一緒に住んで、食事など身の回りの世話をして、具合が悪い時は車で病院に連れて行く位しか出来なかったけど、それが出来たから親孝行が出来たんじゃないかと自己満足している >>179
それで十分と言う事にしておきなよ。
あの世から見てれば、あんたが元気で
活躍する事が一番だよ。 どんなにしても亡くなった後「あれもこれもしてやれば良かった」「何であんなこと言ってしまったんだろう」と自分を責めてしまうもの。 来月の父の日はバラらしい、
亡くなっていたら赤でなく白らしい ウキより
カーネーションも白だったのかな
まあいいか ピンクの標準のにしてしまった 実家に残るモノを断捨離を進めていく中で
虚しさ、悲しさ、寂しさを感じてしょうがない
仏壇に手を合わせて申し訳ないけど
これやあれを処分しましたと報告はしている
でも、現実的に50代独身の自分にとって、
あれもこれも要らない・必要がない >>183
分かる
うちは実家が空き家になって早6年
仏壇も位牌もそっちにあるんでたまに帰ってるけど物が多すぎて帰っても片付けする気力が無い
だけど所詮あるのは思い出の品ばかりで実生活に必要な物は何一つない
いっそのこと、実家が丸ごと消えて無くなってくれた方がスッキリするのにって思うことすらある ものが多過ぎて最終的には遺品整理業者にお願いするしかない >>184
小物や家電はともかく、
大きな古いタンスとかどーすればいいんだろ
考えることから逃げているけど タンスは引き出しを全部出して1つずつにして捨てればコンパクトになるんじゃないかな
引き出しも解体して板に出来るかもしれないし
引き出しが無くなれば本体はかなり軽くなるだろうし、ノコギリで切ってさらに小さくするとか
自分は土曜日にベッドを解体したところ
いろいろコツコツと大型ごみの日に捨てる途中です 電動ノコギリ、1台買おうかと思ってる
鉄でも木でも切れるってやつ 両親ともに見送り、自分の老後の棲みかをどうするかと思って「サ高住」でネット検索してたら、
父親が歩けなくなった時すぐ対応できるようにと見学したことがある施設が出てきた
まだ50代前半ですがそう遠くない将来なんだと実感しました >>188
マキタだったらレシプロソー、ハイコーキ(旧日立工機)だったらセーバーソーですね
自分も断捨離しました。自分の所の行政は60センチ以下に切り刻んで不燃ごみと可燃ごみに分別し市指定のゴミ袋に入れれば処分が可能でした
田舎で煩くないので木材はドラム缶の焼却炉で燃やしてしまいました 向上心があり、今風だとパワーカップル。
世渡りのはけ口に馬頭されつづけてそだったおれ。
いまなにをおもってるだろ 独り身だけど母が大怪我して救急車呼んだ時から
母を守るのが自分しかいない
父や他の親族はあてにならないって事になってから
自分が変わった
奥さん子供なんていないが守るべき人が出来ると人は変われる >>198
守るべき人が居なくなったらどうするの? 先日父親の初七日法要があったんだけど、家に来た中年の住職さんがスマートウッチしてて違和感しかなかったわ。出席者側の世間知らずな若者ならともかく、お経読む立場の人間なんだからせめて普通の時計にすべきやろ。 二日続けて亡くなった両親が出てくる夢を見た
人を探す為に両親の家に寄ったのが昨日
今朝…さっき見たのは用件が済んで、またねと別れる連続物
来週父親の誕生日だから墓参りに行かないとだ 先日、母ちゃんが亡くなった。葬儀の時は涙腺崩壊手前で耐えたが、
今は遺影を見たり、思い出したりすると泣いてしまう。 2か月半の自宅介護
もっとしてあげられることがあったんじゃないか
許してくれるかな
頭がボーっとしてる
いつかは来るってわかりきってたことだけど 吉田拓郎の「俺を許してくれ」って曲を聴くと、親のことを思い出して涙が出る >>203
みんな自分を責めるるんだ
もっとしてやれたんじゃないのかって お母ちゃん、いよいよ納骨だね
お父ちゃんと仲良くな
ワシらもいつか、な 親って亡くなってから偉大さがわかる。
気づいた時にはもう居ない。 遺品整理してて父と母の若い白黒写真しかも小さいサイズのが出てきた
どこで誰と撮ったのか
片付けて終活してってお願いしてたけど一緒にやればよかった 父が亡くなって一年経ってもいまだに納骨できてないどころか、一周忌もやれてない
天涯孤独になってしまった自分がお墓買っても、もう誰も弔ってくれる人もいないか
ら今納骨堂を探してる
先に旅立ってしまった弟と一緒に、せめて仏壇、戒名、位牌はなんとかしてあげたい してあげたら喜ぶだろうし、自分も肩の荷がおりるでしょう 姪の息子(4歳)が、会ったことのない亡き父(ひいじいちゃん)の絵を描いてくれた
オバQのシルエットのような、わけのわからんものだったけど
「夜中にお化けになって出てきたおじいちゃん」だそう
父が知ったら喜ぶだろうな 今日の晩飯、バナナ1本、コーヒー。
母ちゃんの料理が食べたい・・・ 先月母を亡くした。
今回は二次相続だが、父の時に備えておかないと。 みまあ去年母を見送りました もうすぐ1年
0090 病弱名無しさん 2023/03/02(木) 07:52:39.76
休日ロングライドで利根大堰の先、群馬県の邑楽町まで自転車で行った。おととしの4月頃かな。 麦畑がきれいなシーズンだった。利根大堰まではヘルシーロードが都内からのサイクリストがアクセスする定番ルート。更に群馬に入った邑楽町の『男気バウムクーヘン』がプチスポットだった。 チャリの世界は、そこかしこにプチスポットがあるのだが、群馬県に入ってから、この町にアクセスするまでの道は広大なグンマー感を自転車ならではの開放感で味わえた。 男気バウムの界隈もキレイに整備された公園みたいな素晴らしい街だった。自転車で行った甲斐があった。あの日のライドもその帰りには県央の実家に寄って、寝たきり介護の母を見舞い、家族やご近所にバウムクーヘンを置いてきた。
もう少しで、あれから2年経ってしまうんだな。 今月、寝たきりの母は病院で旅立ってしまった。 認知症を母が患ってから、別れの始まりとなったが丸4年少しかな。
身体のために、まだまだ自転車に乗るのかもしれないけど、かならず目的地にしていた実家の母に至る道はやがてもう辿らなくなるんだろう、な。
利根大堰から、この邑楽町に至る田園麦畑のなかの幹線道路で、大回りで左にカーブする道を遥かに遠望出来る区間があるんだけど、春先のあそこを走っていてメチャクチャ気持ち良かったんだよなあ。 ↑
死に行く母と その辛さを払拭するようにアクティブに動く自分だったかな 谷村新司さんの訃報記事を見てびっくりしたんだが、そこに載ってた今年亡くなった人
高橋幸宏72
鮎川誠74
坂本龍一71
谷村新司74
自分に残された時間はあと干支一回り
人生100年なんて嘘っぱちよ
長く働かそうという企みには、人生100年という言葉が都合がいいんだろうな
結局は年金を受給する前に死ねってことだろうな
人生100年時代という言葉はEVが環境に優しいとか、SDGsとかと同列の詭弁にしか聞こえない
健康寿命は過去50年間全く伸びていないし、要介護老人をいたずらに延命させて医療利権が潤っているだけだからな、海外の製薬会社のな
みんな65歳から年金貰われては困るんだよ
だから70歳まで働いてもらって税金収めさせて
70歳から年金もらって2〜3年で逝けってこと
人生100年と言いながら、すべての人が100歳まで生きたら年金は破綻するんだぜ さて何円使うのやら
四十代以上だと、旧統一のやばさはしってる人多いんだけどね >>210
100株だわ俺は完全に小出しにされなくて会社がパワハラで社員が自殺したり出来なくてもめくれるほどひどい なら炭水化物は食いたくないから
山上を下にはそうそう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています