あれだけぶっ殺して打ち砕いてきといて鎌倉13の義時みたいな苦悩ではなく
「みな同じ時を生きたのじゃ...」に結論づけられる図太さは尊氏ならではな気もする

(まぁ当時の大河は鬼庭左月の討死をしんみり笑いながら酒飲んで惜しんだりと、
武家の価値観を重視した感じはあったけどね)