で、敗戦で天皇権力が激減すると雨後の筍の如く南朝後裔を称する人物が続出
人心から昭和天皇を離すべく、GHQが目を付け陰ながらプッシュしたのがその一人である熊沢天皇。
所が熊沢天皇自体のメンタリティーが殆ど新興宗教の教祖な鼻持ちならない人物で
後裔の証拠の文献もイマイチだった上に、昭和天皇が地方巡幸で人気を巻き返したので
結局GHQは利用価値の薄い熊沢天皇を見放し、熊沢天皇は支持者の家で寂しく世を去ってしまった。
今でも熊沢天皇家とそれを偽物とする別の熊沢天皇家などが乱立しているという。