西笑承兌書状には「景勝公が上洛を延ばしてるのが悪い、早く上洛しないと危ない」とあるのでおそらく景勝は四月までの上洛を約束してそれを反故にしたと思われる。約束を果たさないのは明らかに謀反の前兆だから家康が「次に上洛が無かったら即座に攻撃するよう態勢を整えろ」と命令するのは至極当然(例えば謀反を企んでなかった前田利長は上洛を断固拒否しつつ家臣を上方に送って釈明に尽くしてる)
秀頼が反対した理由は「反家康決起の口実作り」という直球やもしくは家康が重要案件を豊臣家に諮問しなくなった事が癪に触ったのかもしれない
本来は豊臣家こそ豊臣公儀の頂点であって徳川家康という重臣とは言え外様が勝手に天下を差配するのは僭越と思ったか