>>961
西軍が伊勢方面を攻めた理由は8月5日付真田昌幸宛石田三成書状に書かれてるよ

「もし済まずにおいては清州へ勢州へ一所に成り候て行に及ぶべく候」

清洲城の開城交渉が不首尾に終わった場合、西軍は美濃口と伊勢口から一所になって清洲城を攻め落とすつもりである

西軍の武将程度が伊勢の重要性に気付くわけがない
せいぜい北と西から尾張を挟み撃ちにする程度しか考えられないだろうと思ってはいたけどね

そもそも伊勢攻略部隊は8月5日に鈴鹿峠を越えてから鈍重な行軍を続けて、大将格の長束や恵瓊は東軍来襲の虚報で退陣するなど
全く軍勢として役に立っていない