文言が当時の表現でないことも白峰氏は指摘してるな
「ものを待様ニ」、「遠慮深く候」、「ちゝミたる」とかね
この点は確かに当時の表現としては見ないものだし納得はできるかな

議論になってないところ見ると白峰説に賛同する研究者はあまりいないように見受けられる
まあ現状だと偽書説もありくらいのもので、真書として扱う研究者の方が多いんだろうな