もし石田三成が誰からも好かれる好人物だったら
イケメン、両刀使いで家康や輝元とも男色関係
武官文官どちらにも分け隔てなく接する性格
でしゃばらず控えめ
異論が出ないので豊臣政権下で100万石の大名に
秀吉を丸め込んで朝鮮出兵回避
結果
秀吉の死後関ケ原の戦いが起こらない
秀頼を補佐し豊臣家の宰相に
豊臣政権が今も続いている >>1
> でしゃばらず控えめ
秀吉はでしゃばる人間を厚遇してたから
三成は出世せず奉行にもなれなかっただろう >>1
ペリーが来る幕末以降の歴史は大して変わらないだろ 性格が良くても秀吉と武断派の間で上手く立ち回れたとは思えん
絶対に嫌われる役職 豊臣政権存続だと鎖国せんかも知らんからそもそもペリー来ないやろ >>6
鎖国してようがしてなかろうが、ペリーは通商を求めて来るだろ 三成「我が舌技をご覧あれ」
清正「ウホッ!」
三成「脇の下で挟んで扱いてくれる」
正則「アーッ!!」
清正、正則「あやつだけは憎めぬ・・・・」 豊臣家臣って好人物ほど出世できないイメージあるわ
無名の一家臣として終わって兄の方が本家として残りそう 石田三成 森繁久彌
前田玄以 左とん平
増田長盛 藤岡琢也
長束正家 芦屋雁之助
大谷刑部 ハナ肇
小西行長 曽我廻家明蝶 >>6
膨大な貿易赤字が問題だから誰が天下人でも鎖国しそう >>2
堀秀政はでしゃばらず控えめだが有能で、秀吉からも厚く遇されたぞ 三成にそんな度量や器量があるなら、秀吉を諫めてよく政権を運営できただろうな
まあ夢物語だが それは無い。どの道如何に三成が有能かつ好感度の高い忠臣であっても
「秀吉政権がどこまでも秀吉の存在でのみ維持出来る政権」
という秀吉政権の抱えていた致命的性質を超克出来ない限り、三成の能力は結局制限されてしまい
秀吉没後の混乱を押し止めるのは難しい。
家康であれ、前田であれ、領地拡大を抑制する惣無事と太閤蔵入地という上前を跳ねられる現状を嫌う全国の大名であれ
どんなに「好感度の高い」三成だけではそれらを押さえられない。
秀吉ワンオペ政権を変質させられる可能性があった秀次の廃除で、秀吉の死に因る「関ケ原」的事象は不可避になってしまってるから。 三成が有能な上に誰からも好かれる人物だったら・・・
秀吉に警戒され僻地に押し込められるか粛正されて終わりだろう
秀吉は特定の家臣が影響力を持ちすぎるのを嫌ってたからな
秀吉政権下の取り次ぎも、定められた大名以外との接触は禁じられてたからな
三成は家康との個人的関係は悪くなかったが、徳川は自分の取り次ぎ外であった為
わざわざ真田信幸-本多経由で連絡を取ろうとしてたみたいだし 誰からも好かれながら時の地位は両立できなかろう
めちゃくちゃ好かれてる総務部長なんか存在しないのさ 誰からも好かれる上なんて幾らでもいるぞ
というか組織の和を乱す奴は忠臣でも何でもない
迷惑だ 石田三成が誰からも好かれる好人物だった場合、歴史は大きく変わっていた可能性があります。具体的には、以下のような影響が考えられます。
政治
石田三成は豊臣政権において、より重要な役割を果たしていた可能性があります。彼の才能と人望は、政権の安定と繁栄に大きく貢献していたでしょう。
徳川家康は、石田三成と対立せずに、平和的な政権移行を実現できたかもしれません。江戸時代は、より平和で繁栄した時代になっていたでしょう。
軍事
石田三成は、関ヶ原の戦いで勝利していた可能性があります。彼の優れた戦略と指揮能力は、西軍を勝利に導いていたでしょう。
戦国時代は、より長く続いたかもしれません。その後、日本は独自の発展を遂げていたでしょう。
文化
石田三成は、文化事業にも力を注いでいた可能性があります。彼の支援によって、新たな文化が花開いていたでしょう。
日本の文化は、より多様で豊かなものになっていたかもしれません。
人物
石田三成は、後世から尊敬される名君として評価されていた可能性があります。彼の功績は、多くの人々に語り継がれていたでしょう。
日本の歴史は、より英雄的な物語になっていたかもしれません。
もちろん、これはあくまでも推測です。実際には、石田三成が好人物だったとしても、歴史は大きく変わらなかった可能性もあります。しかし、石田三成が誰からも好かれる好人物だったら、日本はより良い方向へ発展していた可能性は十分にあるでしょう。