ちなみに光成氏は輝元の上洛記録と江戸時代の参勤交代の記録から広島・大坂間の移動にかかる日数を算出してる。それによれば陸路で約10日、海路で6〜8日かかってる。2日で移動したということは潮流天候を把握した上で最も都合の良い日を予想して準備していた事になる。輝元は担がれたのではなくむしろ指導的立場にあった。三奉行が輝元にここまでの準備を命じる立場にあったとは思えん。その後の輝元の動きを見ても成る程輝元が首謀者なのだろう。