豊臣恩顧大名や武将について考察する2
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いわゆる豊臣恩顧と呼ばれる大名や武将について、その定義や含まれる大名や武将の範囲、あるいは逆に含まれないのはどんな大名や武将なのかなどなど色々と考えてみましょう
前スレ
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1639737819/ まぁちょいと考えれば小学生でもわかるじゃろ。
秀頼に天下を、なんて織田信長の子供に天下を触らせもしなかったのにそんなムシの良い願いする方が悪いし、
寿命を知った家康がーとか徳川家康が天下の名医になっちまう 意味のわからんレッテルである属性を持つ人間を貶めるのはアンタが一番嫌ってるであろう徳川信者がどうのとやってる事変わらんから二度とすんな まあでもYahooやYouTubeのコメントなんかでも
いまだに司馬遼太郎の知識解釈止まりでしたり顔に書き込んでるのが多い
創作捏造当たり前のエンタメ作家としては不世出だっただけにその影響は根強いよ 簒奪=悪みたいなアホみたいな発想があるから家康は悪くないんだい!みたいなガキみたいな反論になるんだろうよ
秀吉がやらなきゃ、家康がやらなきゃ日本はしばらく分裂の時代が続いただろうからな 随分大人びた言い方しとるが、資料解釈からその判断が難しいって言われてる中資料出しもしないで僕の思い込みがさも正しいってやる方がよほどガキっぽいぞ、話の流れも追ってないようだし この戦国時代板でさえ他のスレでは
家康悪いと思ってる人が普通にいる
このスレとか
↓
戦国最強って結局秀吉だよな?
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1505822101/ 簒奪だーっ!って言う人はまず簒奪の意味を教えないといけないからなぁ…面倒面倒。 簒奪というかまあよくある下剋上だよな
信長がやったことだってあの時代よくあった下剋上の1つに過ぎないわけだし >>858
・家康は関白になっていない
・唯一の大臣職+既に秀吉の生前に家康のもとへ勅使が下向し朝廷から天下人認定されている
・三成らの暴発→関ヶ原の結果十人衆体制どころか秀吉の遺言覚書体制も崩壊し新たな公儀の創設が求められた
一地方の守護大名レベルの下克上とは全く性質が違う 自分の観測範囲だと最近の人気投票順位では家康>秀吉な印象がある このスレの理屈じゃ家康は天下を望んで行動していなかったとする訳か?
秀吉死後の立ち回りも全部豊臣政権を守る為の行為だったと どこの大名も自家の安寧が一番だよ
家康の場合は一番の実力者だったから
豊臣政権の第一人者という地位が否定されたら天下人になる他なかった つかさー、何度も同じ話させてないでスレ遡って読む程度のことしろよほんとに
その程度のこともしないものぐさが資料やら研究やら読んでるわけもないし
無知がたまたま本質つくようなこと言えるはずだとかのぼせた事思うのやめろや >>861
豊臣政権という天下政権において徳川が得た立場を維持し、守るための行動だった、かな
政権に対する忠義というよりは、与えられた以上、義理は通すというやり方だろう
ただし、これは政権側がそういう立場を維持し続けなければならないという事でもある
つまり結果的に徳川一人勝ちになったとしても、天下政権としての権威を維持し、
政権崩壊の動きを助長させるような行動は避けねばならないということだ
早い話が関ヶ原を起こすのは論外だ、そんな事したら政権そのものが崩壊してしまう >>845
福島も加藤も、賤ケ岳以降ほとんど武功がなく、内政で功績を上げてるわけですが、
それは? >>861
家康が秀頼の代理人として、豊臣公儀システムを必死に回してるのに、
豊臣公儀の存続を目指していない、ってどうすれば考えられるの?
存続させる気がないなら、さっさと秀頼ぶっ殺せばいいじゃない。
秀頼のかたき討ちしようなんて考えるのは、福島・加藤・片桐・石田・大谷
ぐらいしないないだろ、合計しても徳川の石高に遠く及ばない。 何をもって「天下を狙っていた」かによるんじゃないか
家康は秀吉から政権を任されてる。政権トップが天下人なら家康はこの時点で天下人よ。とはいえそれは豊臣政権という箱があってのこと。
ただ、その後家康は将軍になった。つまりこの時点で豊臣は不要になった。これが天下取りなら何時から志していたか?それはわからん。 >>865
まず加藤も福島も石高が足りない。石高と戦闘力は比例していてまず百万石は無いと豊臣政権みたいな複雑な政権だとリーダーシップを取れない。何らかの問題が起きた時におのれ一人で解決できますくらいの兵隊が要る。
次に豊臣政権はまがりなりにも関白がトップなのでそれ相応の官位がいる。これも武断派には無い。
最低でも武断派の石高増強が必要だし、それに伴う家格の向上が無いと無理やった。 >>861
徳川の独裁政権を作らなければ豊臣政権を維持することは出来ない
家康がどちらの考えであっても上杉攻めまでの流れは変らんってことだよ
関ケ原後は自動的に天下人になってしまったしね >>859
信長は室町将軍相手にも下剋上してるわけだが >>870
お、資料一つ研究一つも出せないまま雑な認識だけで他人をバカにできると思ってるマジモンのバカがおる 他人の史料や研究からの前提をバカにする割に批判側からまじで研究者の名前一つも出なけりゃ史料一つも出てこない辺りが、まあ底の浅さが知れるよね ほんとアホみたいだな
研究者ごっこしたいならこんな匿名掲示板でイキってないで大学の史学科にでも通え >>874
前提にされてる話もろくに読まないで根拠求められた程度で史学科行けとか、その方がよほどアホだよ
話聞く気そもそもないでーす僕ちんの思い込みを無条件で受け入れてくれないとイヤなのーしたいの?
話し合いじゃねーな、金払って甘やかしてもらえる所で散々甘やかしてもらえば?頭悪いなぁ 少なくとも資料や研究を基にした話し合いのなか前提が出来てたところに横からしゃしゃり出てきたやつの言い訳としちゃ下の下だね
しゃしゃり出てくるなら相応に前提踏まえて来いよ、それともこの程度のスレ遡って話読む程度の知能もないのか?その程度の知能もないのに話にしゃしゃり出て来て一家言ぶったら周りが総出で歓迎してくれると思ってんのか?
めでたい頭してんなあ 盗将大権現が権力掌握していく所って余り有名じゃないので、多くの人は私婚問題からの
大阪伏見の対立、そして伏見城パクリとかの流れ知らないと思う
行き成り関ヶ原が出て来るので、何でそこで他の大老や奉行が挙兵したのかもね
権力の本質って問題を理解するのにこれ以上の教材は有りませんよ
本当、この人の智謀は本当に物凄いと思うよ、只他の奴は真似ができないでしょうが 三国志を最初に読んだ時、行き成り後漢王朝の権威が崩壊して乱世になって行ったのが
非常に不思議でした
黄巾の乱以降でも霊帝は論功行賞してるし、地方官の任免も普通にしてるんですよね
だから霊帝生前は乱れてても乱世とは言えない訳で
問題は董卓が洛陽占領して皇帝廃立して、勝手に宰相名乗って地方官の任免をしようと
した事でして
これ受けたら、完全に董卓の私的恩顧受けた事になり董卓派閥に組み込まれてしまう
でも拒否したら、皇帝の命令を無視した事になり後漢王朝の統制からはずれてしまい
対立皇帝を袁紹が建てれば別ですが、それしてない以上各地の地方官が統制はずれて
勝手な事するの止められない、だって命令できる人が居ないからね
要するに、後漢の皇帝は論功行賞する実力失ったから乱世なんですよ 董卓=家康とでも言いたいのかな?
皇帝廃位した董卓はどちらかというと将軍を追い出した信長だ
家康は秀頼を上に頂いたままで、あえて言うなら漢王朝を頂いた曹操なんだが
しかも日本には藤原摂政鎌倉執権室町管領の前例があり、武家政権とは別に朝廷もある
例え話にもなってない まあ室町将軍は色々な大名に政争の具にされて明応の政変で実質トドメだけどな そいつ例え話荒らしだろ、関係のない例えと資料捏造までして聞かれたらトンズラを繰り返してる
流れ知らないとか言ってるが、散々自分でおんなじ話出してきては毎回批判されてる記憶も都合よくなくなるらしい
智謀だなんだと言う前に自分の下劣な上にバレバレのやり口見直せばいいのに >>877
伏見城? 秀吉の遺言で伏見で政務をとれって言われてるのに? 秀吉の遺言も知らんのでしょう。少なくとも司馬遼太郎は知らなかったみたいだしね。
家康が伏見、利家が大坂で政治をするのが秀吉の遺言。別に伏見城を占拠したって話じゃ無い(そうなると前田利家は大坂城を占拠したってことになる) 伏見の話も何度も否定されてんのよ、奉行からの要請で改めて伏見に入った点なんかも
その上で都合よく忘れてまた同じ主張繰り返してんのよ
で、その上で史料的根拠や研究はなんだと聞いたら話そらすか2,3日空けて逃げる
何度も何度もそれ繰り返してる
こないだは見ればわかるほど秀吉の遺言には合議制について書かれてるとかで豪語した癖に箇所聞いたら逃げてたし、秀吉遺言にて知行についての研究著書があるとかいうから著者名聞いたら忘れたけど絶対あるとか寝ぼけた事も言ってたな
例え話と論点ズラしする前にとりあえずこの2つ、ちゃんと答えてみろよID:m7CX/yPm
そういうの答えられもしないし出せない事について反省もできないのに自分の意見だけは無条件に通してほしいとか舐めた事思ってないでさ >>883
伏見城じゃなくて大坂城だよね
西の丸を北政所からぶんどって天守閣と同等のものを作った >>885
その前に大坂城で傅役をするはずだった前田を追い出してるよね 大坂城に入ったのは本来大坂に詰めていないといけない前田利長が帰国して豊臣公儀の中心地が空になったからじゃん。
このまま家康が伏見で政治をすると大坂城は秀頼がいる「だけ」になって諸将は伏見に集うことになる。そうなれば豊臣は面白くないだろうしそれが大乱の基になりかねん。だから大坂城に移動して政治機構を大坂に一本化したんじゃろ。
合議制は上杉景勝が帰国して崩壊したし。 秀家が遺言違反の大坂詰めをしてたり秀頼周辺での悪事に対応するために大坂に移動してんね
また西の丸天守も淀が喜んだという記述が確か義演の日記だかにあるはずだね
分捕るだの追い出しだの、史料について話半分の中途半端に齧っただけの誤った知識で語るべきでないな
前田の帰国についての記述が何に書かれててその史料がいつ頃出来てどの程度信憑性あるのかとか調べてないだろ スレ立てた人間が史料データベースまで載せてくれてんのにそれすら活用しないで思い込みで喋るの、ちょっと頭がまわってなさすぎだよ
まあ、スレ主も頭の悪い荒らしの隔離部屋としてここを用意してるようだがね 前田利長の帰国も追い出されたかは不明、ってか多分追い出されたとかじゃないはず。諸説あるけど、増田長盛からの勧め/徳川家康からの勧め/無断帰国
のどれか。
看羊録だと利長の帰国は無断帰国でその真意は家康への反乱だったとしてるけどそう見られても仕方のない状況だった訳で故に長盛ら奉行派の陰謀って説もあるが…(看羊録で利長無断帰国を報告したのは石田三成で実際に利長への備えを命じられたのが大谷吉治と石田三成)ただその陰謀の狙いもよく分からんから個人的には長盛のミスコミュニケーションだったんじゃないかと思う。 勝手に帰ったは他に上杉家譜
奉行の勧めで帰ったは細川家譜
徳川の勧めは江戸中期の三壺聞書
少なくとも江戸中期までしか遡れず史料的根拠の最も薄い三壺聞書を基に話すのは論外だし追い出されたとかどこで聞き齧ったデマなのか不明 >>835
ところがそうでもない
例えば三好長慶は官位で将軍よりはるか下位
細川京兆京とは同格
斎藤道三なども官位で土岐氏を上回りはしない
そして大事なのはそのパターンで精力伸ばしても
主家と対立、追放等に及ぶと案外遠からず
支持が得られなくなり衰えたり滅んだりする
下克上のパターンというならそこまで >>891
ありがとう。同じ帰国組の上杉が無断帰国と認識しているのは面白いな。家康に阿らない我々!って言いたかったのか。それとも上杉が帰国手続してるのに前田はそんな仕草も無く帰っていったのか。 >>889
じゃあその隔離部屋にわざわざ顔を出すの止めたらどうなんですかね >>894
隔離されなきゃいけないレベルの頭の悪さひけらかすのやめたらどうなんですかね なんだここ隔離スレだったのかよ
じゃあ隔離スレでギャーギャー文句言ってる奴はただのアホだなw たしかに2に他を荒らされたくないからって書いてあるんだな。全然見てなかったわ 他を荒らされたくないから渋々隔離を作らざるを得ないだけで、そもそも荒らすなって話だけどね、史料データベースなんかも貼ってるあたり本来は史料前提で話したいんだろうし
ましてや開き直るとか無いぞ
というか遡って読むことも出来てませんと自分の間抜けさを自己紹介してどうする このスレはそういうスレなんだろ?その荒らされたくないスレで高尚な話はすればよかろう 仮に上杉・前田が帰国した後家康が伏見に居続けたらどうなったろう。諸将は家康に裁可を願うだろうし実際秀頼にはまだそんな解決能力は無い。皆が伏見に集って大坂は放置される。のみならず変な過激派が集まって異常な事態になる。
反徳川派が大坂城を占拠するかもしれんし、秀頼を暗殺しようなんて事も起こるかもしれない。そう考えると大坂城に移るのは自然な行動に思えるが。
もし秀頼を超えようとしてたら逆に秀頼を伏見に連れてくるんじゃないか。 というかそもそも秀頼と家康が
大阪、伏見に別れたとこから
一連の政変が起きた訳なので 結局仮定はなんとでも自分に都合のよろしい風に引っ張ってこれるんだから、史料のこれから引っ張ってきましたなりこの研究から引っ張ってきましたなりじゃなきゃ意味ないわな
ソースなしで僕こう思ってますが通る訳がない
本田隆成氏あたりの論文もっと読みやすい状態なってれば引っ張って来やすいんだがなぁ 伏見からは奉行衆を追い出し、自身の家臣を入れ占拠している。
謹慎した奉行、石田、浅野の代替者を置かない、
大老前田、上杉を征伐しようとし、
前田からの人質は大坂ではなく江戸に置かせた。
これらの点からは、豊臣の弱体化と自身の専横強化と
言われても仕方がない。
伏見占拠については、追い出された奉行が
追い出されたと内府違いの条々で言っている。 伏見占拠についても奉行が勧めたことって話は特に何度も出てる、内府違いの条々は彼らの犯行声明文のようなものだから黒くない行為でも黒だと言い張ってる可能性も高く鵜呑みにできるものではない
奉行に代替する人物を置かなければならないなんてものも決まってないし謀反の疑いが出た以上前田や上杉の征伐をせねばならないのは政権として当たり前
何度も話として出てるのにその話がどう進んだのかを無視した上でめちゃくちゃ贔屓の引き倒ししてて到底客観視できてるとは言えない
主張したいならおんなじ話されてないかとかその話がどう否定されてるのかとかちょっとくらい遡って確認してから書くべきだし、そのぐらいの注意が払えない人間がマトモな意見言えてると思わないで欲しい 家康が言い訳してるみたいだな
まあ隔離スレで偉そうなことギャーギャー言ってないで荒らされたくないっていうスレで存分に語り合って来いよ 俺は家康でもないし、何度も話題として否定されてる話を確認もしないで出してくるのはアホのする行為だろ
お前は話し合いに途中から割り込んできてどういう話が進んでたのかも確認しないまま何度も話題に出てる話をまた言い出して怒られたら開き直るのか
隔離スレだからとかぎゃーぎゃー言い訳してないで少しはまともに人とお話する勉強でもしたらどうだ、荒らしはどこまで行こうが荒らしでしかないぞ そもそもに戻るなら、家康が伏見で政務を見てるのに、奉行や他の大老が大坂にいる、って
意味がわからんな。
大坂には守役の前田だけおいて、他の大老・奉行は伏見にいないと合議のしようがないじゃないか。 >>906
奉行の代わりを置く権限が家康にあると認めるの?
その時点で家康に豊臣政権の最高決定権があると認めることになるんだけど。 奉行って秀忠や利長と違って秀吉遺言でも後継が決められてるものでもないしで必ず引き継がなきゃならない職掌ではないよな >>907
奉行衆は家康に対し伏見入城は勧めたかもしれないが、伏見城占拠を勧めたわけではない。
伏見在番の奉行衆と同居していれば占拠ではないが、
伏見在番の奉行衆を追い出し徳川の家臣を入れれば
徳川が伏見城を占拠したとしか言えない。
また、追い出された本人が追い出されたと言っているのに
追い出されていないとはどういうことか。
追い出されていないのなら関ヶ原開幕初頭で伏見は早期制圧されてる。 伏見入城については卜斎記が記してたな。
「三奉行(長束・前田・増田)が「向島におられるのは良くない。伏見の城を明けるのでお移りいただきたい」と頻りに言ってきた。大谷吉継が肝煎となって段取りが組まれ、そして家康は伏見城に入った」
三奉行は「城を明ける」と言ってきてるのでこれは伏見城を完全に明け渡すという意思表示であり、また大谷吉継が仲介してるので豊臣公儀としての行動だったことに疑問は無い。 >>914
彼らはクーデターを起こした以上何が何でも家康が悪人で僕たちはヒーローだと訴えなければならない、少なくとも彼らの一方的な主張を鵜呑みにするのは客観視できてるとは到底言えない、長篠後に勝頼が部下に向けて織田徳川勢蹴散らしたと記述してるが、当人が勝ったと言ってるから勝ったになるのか?史料を客観的に読むというのは一つの史料鵜呑みにすることじゃない
そして書いてくれてる人がいるが卜斎記にある通り明渡しである それ言うなら江戸期から昭和にかけて三成が義のために動いただのなんだのは水戸藩が言い出して続いてる話だね
正当化されてるだろうから信憑性なんて無視して徳川に都合のいい史料は嘘っぱちで都合の悪い史料こそ真実だ、なんてことにはならん、大事なのは史料の信憑性を測って良質な史料から解釈すること 内府違いの条々なんて所詮はクーデター軍の怪文書だからね
欺瞞と自己保身の塊よ。
例えば「奉行を二人勝手に罷免した」ってのは一人は石田三成なんだろうけどこれは家康・輝元・政所と三人の合議で決まったもので家康が独断でやったものじゃない。
「景勝に咎はない」というけど景勝は豊臣公儀からの出頭命令に拒否してる訳でこれは当然罪になるし景勝討伐を決定した秀頼を否定することになる。
「五大老が連署すべき書状に一人で署名」したというが上杉景勝や前田利長が帰国してる以上連署状なんか作成できん。何ヶ月掛かることになるんねん。 基盤のない寒門出身者は恩義を感じる感じないにかかわらず主君に殉じるしかないんだが
後継者の秀頼は幼少で誰も奉行の権力を担保してくれなかったから
奉行は自分の権力を守るために家康(と他大老)との対立か屈服かを選ぶことになった
で屈服しても旨味はないと暴挙に出たと スレタイに沿わない話題を永遠同じ事言って続けられるのも凄いな 豊臣恩顧の話になっても徳川に戻るだけだから次があるならスレタイ変えればいい
もうそういう人達が集まってる場所だから 豊臣恩顧って言っても語る事はあんま無いからね。秀吉が後継に家康を指名した事で家康とも繋がりがあるししかも豊臣は滅ぶ訳で尚の事さ そもそも三成が忠義と言っているやつこのスレでいない
言われたところで反論してきてくれ なんせ家康は秀吉に100万石以上の加増してもらったもんね
これほどの加増は家康以外にいない
豊臣恩顧というのなら家康がその筆頭だろ 信雄が失脚して秀次を始末したせいで徳川が一門衆筆頭でありちょっと抜けた大大名になってしまったのがね
信雄がアホで織田も豊臣も天下を失ったというしょうもない話 なってしまっていた
ではなくて秀吉がそうして
政権もそうやって動いてきた
秀吉死後にそれが気に入らん連中が
排除に動いてやらかしただけで 豊臣政権は中央集権じゃなくて秀吉集権の独裁システム
秀吉が死んだらシステムがうまくいくわけない
秀吉は死期を悟ってからは秀頼のことしか頭になかったみたいで遺言も細部は指示せず不明瞭だったようだし
唐入りという余計な爆弾まで残してグダグダに死んでいった感じ >>932
なってしまっただろ
本当は上位に置いておくはずだった織田と身内を排除せざるを得なくなっちゃったんだから
最初から家康様を引き立てるために動いてたとでも思ってんの?気持ち悪 御恩と奉公からすると別に家康は秀吉に恩は無いってのが面白いところだよな >>935
えっ?
100万石も貰っておいて恩を感じないのか?
アホと違うかお前 秀次の後見を家康にしてるから、少なくとも信雄排斥後には豊臣政権の要石になってるぞ 噛みつくような話ではなくもともと政権において重要な人物で、言ってるように信雄改易や秀次追放で比重が増して行った >>934
その後どれだけ時間があったと?
秀次の仕置き自体がそもそも政権としてのもので
不慮の事故とするのは無理がある解釈
(切腹命令がなかったとする説はあるが
少なくとも失脚自体は予定通り)
その後でも前田を上席に据えることもできたし
小早川秀明ら一門を秀次の後釜にすることもできた
でも秀吉の選択は家康最上席で
その上後釜の秀忠まで指名してる >>936
それは現代人の感覚で戦国時代の「御恩と奉公」は全く違う概念だってそれ何度も言われてるから…
現代人は「奉公したら御恩がある」ってサラリー感覚で捉えがちだが当時は「御恩があるから奉公する」のが御恩と奉公。つまり御恩(報酬提示)が先にあってそれの対価で奉公する。しかもこれは基本一回限りで持続しない(更に「家」ではなく個人を対象にする)
家康は秀吉から国替えされたけどこれは御恩と奉公には当て嵌まらない。戦国時代の御恩と奉公って無茶苦茶シビアなビジネス感覚で「一回の御恩に報いるべく…」ってのは江戸時代の朱子学によるものよ。 豊臣恩顧って、家康の安祥譜代・岡崎譜代・駿河譜代・・・になぞらえて言うと、
・木下譜代、羽柴譜代、豊臣譜代
・木下譜代、長浜譜代、姫路譜代、大坂譜代、秀頼譜代
って感じなんですかね?
豊臣恩顧武将について、秀吉に随身・寄騎・従属した時期や世代に応じた分類ってあるんでしたっけ? そもそも譜代と呼べるほど代を重ねてないから
恩顧っていうふわっとした分類になってるんじゃなかった?
だから個々人によって定義が違うし不毛な争いになる 祖父または父が秀吉の早期家臣で、子または孫が大坂の陣まで豊臣家に付き従って世代を重ねた家臣の家って
伊東長久-長実
真野助宗-頼包
山口宗永-弘定
平塚為広-為景
毛利勝信-勝永-勝家
堀田正道-正貞-盛重
福島正信-長則-正鎮
青木一矩-俊矩-久矩
木村定重-重茲-重成
杉原定利-木下家定-秀規
ぐらい? >>941
御恩と奉公の御恩って、具体的には領地の安堵と新規加増「新恩」の事だよ。
でね、封建制の社会での領地の安堵とは具体的に言うとこういう感じ
1 少なくとも主君からは攻められない、同じ主君に仕える領主からも攻められない
自分の方も同じ主君に仕える領主を攻められない「主君の領地を攻める事に成る」
2 敵に攻められた時に、主君の後詰めが期待できる。
こう考えれば、盗将大権現の会津征伐が如何に問題か分かるでしょ
豊臣家が領地安堵してる大老上杉家を、自分一人の判断でせめてるんだから
要するに、秀頼に領地安堵する力なんてないんだって宣伝 上杉景勝が軍備拡張してるって通報が豊臣政権に参与してる周辺国から来てて弁明に来いと言っても無視してたらそりゃ討伐されるに決まってるじゃん。公儀への明確な謀叛だし。 >>946
否定何度もされてろくな反論もできてないもの持ってきてデマ流してないで見ればわかるとまで言い切った秀吉遺言の箇所や見たけど著者名すらわからないとかいう本何ぞなく資料捏造してましたとか謝ったらどうなの?
反省した態度もなく根拠すら捏造してデマ流し続けてる訳でしょ?
しかも今回も豊臣が認めた行為を問題だと根拠皆無で言ってるんだろ?
人として問題だらけなのはお前の態度なんだけど? 家康の会津征伐は豊臣政権のなんよ
「豊臣譜代」について言うと詳しくないのだけど
そういう区別は観られないのではないかな
羽柴家-豊臣家の家臣はその所領から禄や
所領を与えらてて特に大身になると大名となる
それとは別に元々別家の主人であって帰順して
所領を安堵された大名たちがいる
この両者の間に政権参画の権利について
明確な区分はないように見えるな
江戸幕府のような整理は進んでない
>>945
その辺も左端の代が元々秀吉の家臣だったのか
出世に伴い付けられた与力から家臣化したのか
息子の縁で取り立てられたのか
混在してたりよくわからなかったりするでしょ 御恩と奉公は一代限りだから「秀吉恩顧」はいても「豊臣恩顧」は確かにかなり限られてしまうな。秀吉に恩義があっても秀頼には無いってのが秀吉死後の諸将の考えだし。
その最たるもんが西軍によるクーデター、大坂城占拠だもんなぁ。主君の城を軍事力で乗っ取った挙句公儀への人質を私利私欲で利用しようとするなんざ悪党極まれりよ。もうちょいやり方あったろうに。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。