>>531
そもそも十人衆で政治しなさいってのが秀吉から直接言われてるものが存在せず、あるのが死の直前の起請文と死後の起請文
それ以前は明確に家康へ権力集中させつつ内藤周竹書状にもあるように政策決定を秀吉家康間で相談して決めたり伊達家文書には上杉伊達間の調停を家康に頼んだり伏見を任せる遺言の際も唯一秀吉が敬語を用いてたりと、政権の後継を家康にする形でお膳立てが整ってたと
死の直前の起請文だけが浮いてるのよね
その上で十人衆で政治しようにも大老の一人は会津に秀吉の許可を得て帰国してるしと、十人衆の政治構想は無理のあるものが大きくて秀吉の意思がほんとに乗ってるのかが非常に怪しいってところ