豊臣恩顧大名や武将について考察する2
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いわゆる豊臣恩顧と呼ばれる大名や武将について、その定義や含まれる大名や武将の範囲、あるいは逆に含まれないのはどんな大名や武将なのかなどなど色々と考えてみましょう
前スレ
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1639737819/ 独占する筋合いはないから簒奪じゃないって頭おかしいのかこいつ 批判側が正直ただの難癖レベル繰り返してるのが多いからでしょ、荒らす目的もあるんだろうが
思い込みで喋ってるっぽいから根拠聞いたのに答えずにいたり、それでまた同じ批を繰り返すが多けりゃそりゃ堂々巡りにもなる 天下人の座についても
秀吉の遺言では事実上譲ってる
秀頼の成人までという時限付きだがね
(ただし成人後の秀頼の地位も遺言されてない)
豊臣の天下を守りたければ
主君は秀頼、執政は家康でよかったんよ
でも執政家康が不満で自分らも関わらせよと
御掟違反の徒党を組んでの誓詞を交わして
その権限を制限したのが五奉行制
まあ仕方ないよね
人間権力の味は一度味わうと手放せない言うし
秀吉側近達からしたら家康への権力移行は
決して許すことのできない暴挙だったわけでな 豊臣家は鎌倉時代の宮将軍にも成り得たが豊臣政権が未熟すぎて関ヶ原で木っ端微塵 神輿になるにも一種の能力がいるからねぇ…
西軍が大坂城を占拠した時に家康に西軍討伐要請と恩賞は望むままと全権委任していれば豊臣は神輿として存在しえたかもしれない。それが東軍とも西軍とも分かりにくい態度をとってしまった。一見クレバーな両建てに見えてこれは最悪の選択だった。自分の本拠地を武力支配されて軟化するような奴の下に誰が就こうか? それ言うなら西軍が蜂起したりしなけりゃ
秀頼の豊臣家に委任された内府による惣無事の戦
会津征伐がつつがなく終わってたはずなんよね 豊臣恩顧でも毛利吉成なんかは西軍についてるんだな
朝鮮出兵の主力格だったが七将辺りとは派閥が違ったのか 七将らそしてそれから生まれた東軍諸将の流れは複雑な繋がりがある訳だけど乱暴にその属性を挙げると
反小西/反石田/反秀吉、って感じになる
例えば加藤清正は文禄の時から小西・石田を弾劾していたし浅野幸長は石田三成を仇敵と憎む浅野長政の息子で清正の弟子、黒田長政と蜂須賀家政は朝鮮での戦いについて秀吉に叱責されてる。豊臣政権自体が複雑な組織構造になっていたからその歪みもまた複雑になっているんだとか。 毛利吉成の場合単純に会津討伐に参陣のために大坂にいたら西軍挙兵で巻き込まれた一人っぽいね まともな根拠による反論できないからネガティブキャンペーンか、下衆やね >>199
何故カエサルの例をあげたかというと、現体制の否定や打破を目的にしてるのなら
少なくともその時点では反乱軍だろって言いたい訳だよ
「現職執政官が二人ともローマに居ないんだから独裁官が必要な事態だよね、文句ある」
「独裁官は元老院の支持のもと執政官が任命するんだよね、でも執政官が居ないから仕方ない」
「カエサルを独裁官に任命する法案を提出させたぞ、あとは市民集会で可決するだけだな」
軍団兵はローマ市民権あるので、巨大な組織票あるカエサルが負けるわけがなく
「独裁官の権限で、次期執政官選出の市民集会開催したぞ、俺も立候補」独裁官の権限で、
各属州総督も任命すれば「こちらが官軍、自称属州総督討伐するぞ」とね
でもさ、抑々元老院議員の殆どがローマ逃げてて、現職執政官が二人とも逃亡してるの
だから「元老院なんて飾りです、ポンペイウスはそれがわからんのですよ」なのな >>226
もう少し補足
元老院主導のローマの共和体制って一人の人間に権限集中させないのが重要なポイント
なんですよ
でもね、カエサルもアウグストゥスも自分に権限集中させちゃった
集中させた権限は全て共和制時代から有るもので全て合法的な物ですが、それを同一人物が
兼任するなら事実上の独裁者なのでね
家康が全部自分一人の花押で文書出すなら、それは事実上の豊臣政権の否定でしょ
家康が伏見城占領した後、他の大老や奉行に相談してないでしょうが
抑々他の大老や奉行の様な「自分と対等に口聞ける存在」を否定してるじゃん >>211
あの時点で家康が望んでるのは、大老や奉行の有名無実化だからで矛盾はない
大老や奉行が自分と対等に口が聞けるって事実其の物を否定したいんだからさ
大体、直前まで大阪伏見で睨み合いしてたんだろが、その経緯何故無視してるんだよ
明らかに、自分詰問した大老奉行への報復でしょうが まず十人衆制を否定したのは家康ではなく景勝・利長。合議制を維持する為には政権担当者は何があろうとも首都かせめてその付近には居ないとならない。それを利長は家康に全権委任してるから良いとしても景勝は太閤遺言を盾に帰国してる。ここで合議制は崩壊した。
家康と利家が睨み合ったのは単なる政争で家康の内心とは無関係。更に言うと結局この一件は徳川・前田の和睦、利家からの利長後見の依頼で完全に和解になってる。もし家康に独裁の意思があったとすると利家もそれを許した(むしろ利長を後見してもらう訳で積極的にこれを進めた)事になるが… それが是か非かは別として徳川が豊臣から天下を簒奪して征夷大将軍任官で正当化したのは事実なのにそこから否定してるバカがいるんだから話しにならんな >>224
最初から簒奪のために計算してたとか
三成挙兵のためあえて活かしたとか
本当だったら最強すぎるよね漫画の世界 >>226
関ヶ原で現体制打倒を目指したのは西軍な 豊臣家は政権運営できてないし秀頼は関白でもなければ天下人でもない
徳川は空席になった天下を手に入れただけや いやまあ豊臣政権の運営は本来任されてたのが
家康のはずだったんだけどね
奉行や他の大老達に「俺たちも政権に噛ませろや」
と起請文を書かされて(御掟何処行った?)
次いで私婚だ!野心だ!御掟違反だ!と
弾劾されて(御掟生きてたの?!)
利家と和解したらその息子に命狙われてると
奉行が騒ぎ出して人質取って治めて
地方の大名の訴えに詮議拒否の上杉を
政権挙げて朝廷まで動かして攻めに行ったのに
留守の奉行と2大老が挙兵
とまあグダグダだったのは確か 秀吉が織田を乗っ取ったことを正当化するバカも過去にわんさかいたけどな
当時はまだ織田家は天下統一してないからいいんだとか訳のわからんすり替えして 不当だと思うなら資料をもとに
徳川の不当さを訴えりゃいいのよ >>213
専門板は全部こんなもん
人が多いのはニュースや実況だけ つまり家康はもともと豊臣政権の
No. 1なんだから簒奪する必要なんて
ないってことさ >>226
で?俺は史料と研究による証明を求めたのになにを何度も否定されたことを長ったらしく書いてんの?
お前が何度もおんなじこと言っては否定されてるの知らないで書いてると思ってるの?何故か今までの経緯全部無視してるのお前じゃん
ああー自分の中だけの自分だけで作り上げた盗将大権現だかのピカレスクロマンと自分の程度の低さを重ね合わせてロマンに浸ってるのか
だめだよ?物語と証明は別個に分けなきゃ そもそも「簒奪」ってのは君主の位を家臣が奪うことだから家康は簒奪者では無いよ。家康がなったのは征夷大将軍であって関白じゃない。
そうした見解は「秀吉もなれなかった将軍に家康がなった」つまり「関白より将軍の方が上」って理解から来てる。それはそれで必ずしも間違いじゃないんだけど、基本的に家康簒奪説はこの理解を前提としてるね。 史料や研究も出さないけどいま語られてる内容は簒奪だ!不当だ!
不当なのは今までの証明された前提まるっきり無視して研究やらの証明出さずに腐すことしかできてない方だよね、史料やら研究があれば議論にもなろうに出さねーんだもん
主張側が証明するフェイズ終わったんだから次は否定側が証明用の史料と研究なりで反論しないと、ディベートにもならないじゃん、野次してないでちょっとは出してくれよ、自分だけそういった努力もしないで無条件に主張通るとか無視のいい事思わないでよ 簒奪したけどそれが不当かどうかはまた別の話だろうよ
武家のトップは紛れもなく豊臣で、秀吉が生きてた頃には豊臣への次代以降の忠誠も誓ってたのにその座を奪ったbだから
ただだから家康は悪って話にはならないってこと。これは秀吉も一緒 簒奪ってことは朝廷が秀吉没後も豊臣の天下がいいとか言ってたの?
帝奪ってたり別の帝立てたりではなく、朝廷から徳川に近寄って行ってるが、朝廷の意思とか関係ないの?
あるいは支配権を奪うことらしいが諸侯が豊臣より徳川に従いに行ってるが、彼らの意思はない扱いなの? いや簒奪は簒奪だろうよ
ただそれが自然の流れであって特別悪逆と捉えられる話では無いってだけのこと
過剰に家康を正当化する必要も不当化する必要も存在しない
ただ力を持ったから豊臣に取って代わったというだけ 東西両軍とも、豊臣御為と掲げて戦ったわけだが、
その結果東軍が勝って史実の通りだが、
もし西軍の挙兵なく、上杉を征伐した後も
家康は豊臣政権を支え続けただろうか?
史実のように幕府を開いて豊臣を見限るだろうか? 簒奪って言葉自体が多分に批判的な意味合いが強い割になにを奪ったのかがふわふわなまま喋っても、反感買うだけでは >>244
簒奪とは「君主の資格が(本来)無い者が君主の資格を奪う」ことを意味する。秀吉は関白、家康は将軍なので得た資格が全く違う。つまり「簒奪が〜」ってのは当てはまらない。
言葉はしっかり使いましょうって話なのさ。 簒奪って批判的な意味合いしかないやん
わざわざそれを使う時点で公平を装って結局暗に批判したいだけ
往生際が悪すぎなんだよ >>235
家康はべつに豊臣宗家を乗っ取ったわけじゃないしなあ
それに徳川は従属国衆みたいなもので織田と秀吉の関係とは違うんじゃないかな 家康のような別の政権が樹立することまで簒奪といえば日本の歴史は簒奪者まみれになる。秀吉の簒奪、信長も簒奪、足利も簒奪、北条も簒奪…とね。簒奪ってのはそんなに広い意味を持たない。簒奪とは君主の位を無資格の者が奪取すること。故に君主の位とは別の位に着いたならそれは簒奪とは呼べない。
家康の場合、言葉は「革命を起こした」つまり易姓革命が起きたというのが適切。革命とは天命が革まるということで天下人が変わる事を意味する。 >>245
関ヶ原前から勝手に豊臣の蔵入地を削って知行宛行しまくってたからね
ちょっとズレても最終的には同じ事になってたんじゃないかな
結局武家のトップって肩書きじゃなくて戦争に強くてご褒美をちゃんとくれる人の事だから
豊臣の領土を削って恩を売りまくれるんだから家康としたらウハウハですよ >>249
秀吉も織田家を乗っ取ったわけじゃないよ
織田家を立てながら織田家の力を自分のものにして与党を増やし、機が熟したところで朝廷を利用して織田家の上に立った。家康とやってることは一緒
ただその後秀吉は織田家を厚遇して織田家臣をそのまま自分の政権でも起用したけど家康は豊臣を滅ぼして豊臣政権のメンツは領土を削ったり遠隔地に飛ばしたりして徳川家中だけで政権を運営したからそこは違うかな 豊臣滅んだのは豊臣が当時としても意味不明レベルの取次追放するわ和睦案守らないわのまじで暴走したからだしね、なんなら領地経営上手く行ってないからって豊臣の年貢徴収などに15年近く京都所司代の役人派遣して手伝わせてるくらいにはド厚遇してる
信雄も秀信もこのレベルの意味不明な行動を臣従後にとった訳でもない
以前上に立ってた人間の行動を無視して語るべきではないよね 日本において簒奪とは皇位を奪うことだろうな
厳密にはな 勝手に蔵入地削ったとか例え話みたいなこと言ってるけど、奉行派遣しての行為だしって話何度もされてるよね
ましてや蔵入地を政権のために政権の長とされた人が分けるのになんの問題もないしで、やっぱり意図的に確認しておくべき前提無視して歪んだ見方してるだけよね 秀吉的には執権北条とか外戚の藤原氏みたいな豊臣の名前の下で実力のある徳川が政治を行う構想を自身の没後の徳川に期待してたけど、西軍の挙兵でおじゃんになって領地保障をしてほしい諸侯も天下の差配を任せたい朝廷も徳川が徳川の名で政治を行う体制を求め出したんしょ?
豊臣が諸侯からも朝廷からも名義として期待されなくなった、って言い方のが実情じゃね それもまた一方に都合の良い解釈し過ぎでは?
秀吉は秀頼が政務を取れるようになるまでを家康や諸大名に支えてくれとその真心に賭けた
ただ他の大名家からすればそこまで豊臣に義理立てする必要も無いし一方的な願望を押し付けられただけだった >>252
秀吉の場合、織田家を冷遇したのが不義理とは言われてるね。信長が立てた全盛期織田領を与えないのは仕方ないにしても嫡子が十万石クラスというのは幾らなんでも少な過ぎる。
尤もその不義理は西軍に与した織田秀信が大軍動員が出来ない結果になりそれが岐阜一日落城、引いては西軍敗北からの徳川幕府樹立に繋がって正に「因果応報」ということでゆるされてる >>257
西軍の挙兵が起きなきゃそうなれたんじゃない?豊臣と徳川の関係がよほど険悪にならなければ
少なくとも新しく諸侯や朝廷が徳川の名前による直接政治を求めだしたのは西軍の挙兵で豊臣名義が信用おけないって判断された部分が大きいし、奪うってニュアンスは外れてるねっていう >>259
家督の信雄に徳川旧領全部与えようとしたじゃん。官位序列も徳川家康や豊臣秀長より上
秀信だってあの年齢で中納言、織田家が失ってた岐阜城も与えられた。どこが冷遇なんだか >>261
少なくとも徳川の秀頼に対する扱いよりは冷遇してるね
石高は秀頼の5分の1程度、官位も右大臣(信長の就任した最高位)より遥かに下だ
織田家の最大の居城だった安土城も返還してないし
つまり、旧主に対する配慮としては徳川>豊臣になる
秀頼、秀信共に身の程をわきまえず、現実を受け入れようとしなかった点は共通してるけど >>252
なんか、まさにものは言いような気がするよね
織田家臣を政権で厚遇って悪い見方すりゃそれこそ政権の構成員乗っ取ったとも言えちゃうし
結局のところなにをどうしたら奪ったなのかちゃんと決めずに奪った奪った言っても言葉遊びの悪口合戦にしかならんね >>261
武士にとって「代わりの土地」なんてありがた迷惑でしか無いぞ。信雄にしろ秀信にしろ望みは旧領復帰以外無い。
しかも秀吉は加増を辞退した信雄を改易にしてる。これも不義理と言われる点の一つ(同じく辞退した石田三成は特に罰が無かった事から織田潰しが目的だったのかもしれないけど)
秀信の冷遇に至っては酷いもので岐阜13万石というのは少な過ぎる。何しろ秀吉子飼衆と同程度なのだから。
とは言えその冷遇の報いは秀頼が受ける事になった。それで許されてる面が強い。 秀信は岐阜城を持ってたけど岐阜城は籠城戦が出来なくて敵の侵攻を迎撃する事に強みがあるかなり上級者向けの城だし
前提として大軍動員が出来ないと上級者でも無理っていう。
そこに東軍は福島正則と池田輝政らで秀信以上の兵数で襲い掛かったわけでそりゃ負けるよっていう。 秀信が秀吉からの扱いを不満に思ってた可能性はあるね
重臣の反対を押し切ってまで濃尾二か国の加増の見返りで西軍に参加したわけだから
父親のことを考えると本来そのくらい貰っていてもおかしくないと考えてたとしてもおかしくない さすがにそれは穿った見方な気がするしおかしくないはそうだったではないから、ちょい先走り過ぎかな
信雄にせよ秀頼にせよ冷遇と言い張れるほどのものはなく官位としちゃ厚遇されてるレベルで、秀頼に至っては年貢の面倒まで見てもらってる
ただし元主家への厚遇にも限度があって、当時の社会通念としておかしなことをしでかしたら秩序として罰されるし、なおやらかすならいくら元主家であっても許されないラインがあるってだけ >>255
だから、重要ポイント無視して見かけだけ体裁整えても意味がないと言ってる
大老奉行の合議制崩壊して、家康が自分一人の判断で決済してるだろうが
封建制度の社会で重要な下克上ポイントって、主君の直轄地を自分一人の判断で
削るってことでしてね
恩賞って建前だけど、主君の領地削ってますからね、実質
そして御恩って自分の領地の安堵の保証なんですからこの意味は大きい
「豊臣秀頼って家康に領地横領されても文句言えないのか」
「自分の領地すら守れない秀頼様が、俺の領地安堵してくれるわけないよな」 「官位が優遇されてる」ってのは武将としてはあんま意味無い気がする。そりゃ高い方が気持ちは良いかもしらんが戦国武将の基盤は土地だろう。石高が収入で兵力なんだし。
しかも冷静に考えると前田利家以下だし… >>268
お前の主観極まりない感想はいらん、史料と研究を出せ
合議であることも否定されてる経緯の中お前はひとつも否定できる論拠出せてないのにそれを前提にする訳がないだろ
ほれ、話反らしてないでさっさと出せよ
著者名忘れたか? 重要ポイントも抑えないで見かけだけ抑えても仕方がない、ええこと言うわ
重要なのは主張が信憑性あるとするための研究なんだな
自分の中の盗将大権現ごっこしてないでほら早く自分でいった通り重要ポイントを抑えた研究出してよ >>272
序列なんてクソの役にも立たないんだよなぁ >>273
許す許されないとかどうでもいいことを書き込むな
また、現代の価値観で当時を見るな
出てけ 官位による諸国の武家の序列化は
他ならぬ豊臣政権の政策ですよ
徳川幕府も武家官位と公家のものを分けて
大盤振る舞いを避けて採用した
もちろん序列だけで全てが決まりはしないが
実際のところ序列通りに徳川の元に
支持が集まったので機能したとも言える まあこの板で有名な織田アンチのアレよりはマシだけどこのスレの家康信者もかなり気持ち悪いな
信者かアンチかってだけで書き込みの内容とかそっくりだけど >>275
序列通りに支持が集まったってなに?
説明してね 反論出来なくなると家康アンチの例え話君は家康信者のレッテル貼りにすぐ走るから
バレバレだな >>278
関係ないんだが、すぐ透視するのは馬鹿のすることだぞ
あ、馬鹿だから仕方ないのか
めんごめんご >>252
織田家臣をそのまま自分の政権でも起用したというのは信長につけてもらった寄騎達のことかなそりゃ秀吉には譜代がいないんだからそうするしかないでしょう
まあ主家の家督を簒奪したとかなら分かるんだけど天下を簒奪したというのはなんか違うというか、そもそも天下の本来の所有者は朝廷というか皇室なわけでその朝廷が天下の差配をしてもいいと認めているのに天下を簒奪したとかいうのはどうなんかね >>277
え?
何がわからないのかわからないくらいなんだが
まさか豊臣政権での官位による序列が
どうなってたかわかってない? >>281
言葉が足りなかったね
序列通りに「徳川のもとに」支持が集まったので「機能」した
ここへの詳細な説明ね
分かる? そもそも、秀頼が官職をもらえてない関ヶ原時点の豊臣家に、天下人としての資格がないんじゃね? >>274
いきなり発狂して大丈夫か?
織田秀信は中納言ではあったがそれよりも僅か13万石しか無いという事実の方が重要。何故なら戦国武将にとって領土つまり石高が武力と資力を支えているから。年収100万の貴族と年収1億の平民、どっちになりたいか?って考えればわかるんじゃないか。カネが無いのはクビが無いのと同じ。これは変わらない。
秀吉の秀信への冷遇が一種許されてるのは、それによって豊臣が滅んだという自業自得、因果応報の説話になってるから。つまり悪行の報いは受けたから指摘されて無いだけよ。ここで秀信に領土を与えていれば歴史は変わっていた。 >>283
当時秀頼は中将を経た中納言であり
参議を経ない摂関家の扱い
加えて >>186であげられている報告書では
秀頼が大きくなったら政権を返すように頼んでいる >>282
元々序列通りに統制しようと言う制度なので
序列トップに周りが従がうのは正常だぞ
せいぜいが従五位下に過ぎない奉行達が
諸大名に指図できていたのは建前上
従一位関白太政大臣(→太閤)からの命令を
「奉じて行う」からなんよね
文字通りの意味で そもそもの政権のシステムは別に
家康を排除するようにはできてない
どころかむしろ成立過程から
家康(徳川家)が上位にいることを
織り込んで機能してきた そもそも武家官位制が導入されたのは武家諸法度以降だろう 秀吉は徳川をあくまで豊臣政権内に留めようと苦心したんだと思うがね この徳川狂信者の理屈が通じるなら人類の歴史から謀反や簒奪という行為は消え失せることになるなw 例え話荒らしの同類が単発IDで捨てレスするようになってきたな 豊臣家に対する忠誠という観点では、どんなに家康というか、徳川を貶めても西軍の行為は正当化は出来ないと思うけどね。 三法師に与えた諱「秀信」は「秀」を織田家の通字「信」の上に置いてるし
官位こそ正三位権中納言まで昇進させてるが清華家にはせず政権にも一切参画させてない
どう見ても織田家によくしてるというより徹底的に秀吉の下に織田家を置き体よく遠ざけてるとしか思えない
秀吉が織田家をどう思っていたのかよくわかる
ただの踏み台に過ぎず織田家に対して何の感傷もなかった しかし凄いメンタルだな
たった一人で反論し続けるなんて >>285
だから家康は豊臣公儀を返したぞ。秀頼は一応豊氏長者だからね。
当たり前だけど、関白によってなる豊臣公儀と将軍によってなる徳川幕府では性質が全く違う。ここに二重公儀の論議がある。ただし、豊臣公儀は関白が支配する。つまり秀頼が関白にならない限り最早公儀としては機能し得ない。
また豊臣公儀の威信は西軍決起によって破壊されていた。そこでより強い徳川幕府に皆従った。つまるところ天命が革ったのよ。 >>293
秀吉は秀と吉とどっちを与えるか相手の格で明確に分けている
秀が与えられてるのは結城秀康や小早川秀秋、宇喜多秀家に織田秀信など身内と言っていい人間だけだよ >>293
まぁその報いは結局豊臣が払ったし…考えてみると秀信も哀れな男で
当初は東軍入りを考えるも秀吉に奪われていた美濃・尾張宛行という三成の甘言に乗せられて西軍入り→国人衆らを集めるも兵力は一万に満たず三成からの援軍でなんとか万を超える→そこに東軍が襲来、その数三万六千以上しかも元岐阜城主池田輝政がいる始末→籠城戦は死と打って出るも数の差があり過ぎる+裏切者続出で戦線崩壊→西軍からの援軍も東軍に迎撃されむしろ押し込まれる→降伏
とモロ秀吉とその取巻き衆に弄ばれた一生であった >>296
身内扱いだろうが何だろうが「秀」を上にした諱を名乗らせたことが重要だよ
秀吉が結城秀康小早川秀秋宇喜多秀家同様に旧主織田家を家臣に置いたことを示すことなんだから
それでも清華家にもせず一門にもせず政権にも一切近づけず
絶対反抗しようがない中規模程度の石高で抑えて織田家の存在感をできるだけ薄めようとしてる
まあその辺秀吉は巧妙ではあった >>292
西軍を貶めても家康が正当化されるわけでもないしね 西軍に関しては見通しが甘すぎて豊臣家ごと自爆するとは何を考えてたんだろうなとしか思わん
何もしなければ秀吉遺言体制は動かず上杉だけの没落で済んだのに
なお五奉行五大老制は最初から無かったよ そしたら家康が切り崩し続行するだけ
この流れ永遠ループしてるな まず秀吉は政権を秀頼と共に家康に預ける事を考えてこれを公表した。それで次期政権担当者が徳川家康というのは周知となった。ところが秀頼は大坂城に預けられる事になって家康と切り離されたことが豊臣崩壊の序曲だった。
つまり実は家康に全てを預けていれば上手くいったのだがそれを阻もうとした結果むしろ家康を天下人にするという皮肉な話なのであった。 織田悪銭論者とたとえ話の五奉行五大老信者は人の話は聞かないし史料も出さないから
そろそろNGでいいかなと思ってる
まだ菅沼認定までする気はない >>302
家康が豊臣政権の第一人者としてその行動をとるのなら、させればいいじゃない
そうすれば豊臣政権の権威自体が、徳川の力でますます高まるのに何が不満なのさ?
史実では関ヶ原を反家康派が仕掛けた事で、事態を収拾出来なかった豊臣の権威が低下し、
その結果徳川が幕府を開くしかなくなった(そうしないと徳川の立場が安定しない)のだから
家康が政権を主導し続ける状態の方が、よっぽど豊臣政権は安定するぞ
まあ御家を背負う武家のトップとして権益や立場を失いたくない、というのは一つの見方だが、
その場合反家康派は『主家、天下政権の安定<御家の立場、権益』という選択を
事実上取った事になるので、忠義でもなんでもなくただの野心家の集団ということになる
当然政権の立場からしても追討されるべき存在であり、ただの謀反人と扱ってよいだろう
まあ勝てば多少は話が変わるが、その場合は第二次戦国時代だな、秀吉の苦労がパアだ >>295
報告書の訳文把握済みだと思うので引用したりはしませんが
秀吉は、秀頼が政権を担うに足りるようになったら政権を返却するようにと頼んでいます
関ヶ原後にまだ七歳、家康征夷大将軍就任時にやっと十歳というべき秀頼にまだその能力が
あるとは思えず返却したから問題なしは時期尚早かと思われます
秀吉は関白ともいっておらず日本全土の統治を委ねるとしかいっていないので
そのように解釈するのは一面的にすぎないかと 別に同じ史料に違う解釈があってもいいはずですが
攻撃的に過ぎる書き込みが多すぎる 家康が全部正しいんだよ!
って言いたいだけだもんな 史料解釈なしに腐す
>>309
こういうのとか例え話とか何度もやられたら攻撃的にもなると思うよ
少なくとも否定したいならしたいで論拠もってこいって言ってるのに持ってこないままバカにする態度取ってるのが多いしね まあそれも踏まえて、言葉通じてない荒らしより言葉通じそうな方に対して言ってると思うけども 徳川が幕府を開いて独立したのは朝廷の要請も大きいと思うけどね
官位の問題で朝廷が動けなかったみたいだから
武家も公家も秀頼の成人までは流石に待てない ああ九条関白の件は将軍就任の前ね
将軍就任は朝廷からの論功行賞とか色々ありそう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています