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石田三成の挙兵
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0001人間七七四年
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2022/03/07(月) 02:55:02.62ID:gll72NsS
石田三成が上杉討伐で挙兵をしない、もしくは合戦
勃発後に挙兵していたらどうなっていたか。
0683人間七七四年
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2022/06/30(木) 15:58:37.87ID:F9o68BeB
実際は大友がたまたま旧領復帰を願ってきたから徳川が細川に宛てがった杵築城を明け渡し要求しただけだな
他に精力的な介入は見られないし何なら如水や清正が守備に徹するばかりの西軍諸将を蹂躙する立場に回ってる
0685人間七七四年
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2022/06/30(木) 19:06:19.11ID:Um065AZT
フィクションでの描かれ方がおかしいと言ったその内容を
わざわざカエサルがどうのという例えで言い直す意味がわからん
言いたいだけじゃないのか
0686人間七七四年
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2022/06/30(木) 19:23:14.17ID:JMRHIT/e
見当違いの蘊蓄垂れるのを聞くと
頭いいと思っちゃうタイプなんだろ
0687人間七七四年
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2022/06/30(木) 19:47:47.99ID:nHeV0Ay0
>>682
上洛命令=城寄越せとはならんでしょw
流石に妄想が過ぎる
黒田や中川にも中津や岡を明け渡せって史料があるなら
命令が九州広域に及んでた可能性も考えられるがそんな形跡もない
 
木付城の明け渡し命令って事の発端は細川の丹後領接収問題から始まっていて、
この機に飛び地の遠国にいて細川と連携の取りにくい松井を細川から引き離して味方につけるのが目的であって、
松井同様に城の明け渡し命令が九州全域にも及んでいたかというとそんなことはない

松井が西軍首脳に目を付けられた背景には、慶長4年の松井康之と細川父子との不仲も関係していると思われる
慶長4年10月18日付松井康之宛有馬則頼書状に「幽斎・其方御間相滞由、近日承」とある

松井家先祖由来附によると、不仲の原因は松井が秀吉から大名並の厚遇を受けたことが
秀吉の死後になって表面化して、松井は細川父子から疎んじられ伏見屋敷に蟄居させられたとある
西軍首脳には不仲につけ込んで松井を味方につけようという目論見はあったんだろう
0688人間七七四年
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2022/06/30(木) 20:09:45.42ID:EmoURakH
西軍って結構エゲツない技してるからね
0689人間七七四年
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2022/06/30(木) 20:17:14.86ID:EmoURakH
具体的には阿野津や松坂、岩手の城に長束正家が軍勢連れてやってきて「城を引き渡せ」って要求してる。これらの城は城主が不在でその隙を突いて占拠しようとしたらしい。ちなみに西軍はこれを「自発的行動」と主張してるので無茶苦茶悪質。東軍は自発的に城を預けてたって話だが西軍はこれだもんなぁ…
0690人間七七四年
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2022/06/30(木) 21:17:58.32ID:pwSrm1/6
>>689
貴方はもう黙っててよ
0691人間七七四年
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2022/06/30(木) 21:54:00.26ID:bgRNTOeg
中川家文書に残ってるやつだね。慶長五年七月二十六日三奉行連署状によると津城、松坂城、岩手城に大坂から軍勢を引き入れたと書いてある。ところがこれが真っ赤な嘘。
八月二十五日有吉立行・松井康之連署状では最新情報(八月十八日収集)として長束正家が安濃津城、松坂城、岩手城に軍勢を引き連れやってきて城を引き渡せと要求するも城主が戻ってきたので関地蔵まで引き返したとある。城主が居ない時に城を奪おうとした例は有名なのは清洲城があるけど蜂須賀家政もやられてるので西軍の基本戦略だったらしい(かなり陰険な手法だが)
0692人間七七四年
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2022/06/30(木) 22:01:22.95ID:bgRNTOeg
この二十五日書状には追而書があって「家康が西上すると聞いて西軍は慌てふためいて籠城の用意をしてる」と家康に恐慌する西軍の姿が書いてある。長束正家が城を奪おうとした時にやってくる船を見て「家康が戻ってきた!」と逃げ出して後にそれは安濃津城主・富田信高の船であると知れて西軍兵は白け呆れ返ったという(そして再攻撃しようとした長束軍を信高は夜戦にて撃破したという)
家康が西上しない筈が無いからどうも西軍には「家康が西上しない理由」を信じていたらしい。それが何なのかは今となってはわからんが…連絡すらつかん上杉景勝とも思えんし。
0693人間七七四年
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2022/06/30(木) 22:23:39.37ID:nHeV0Ay0
自演はやめた方がいいよ
あんたの文体は特徴あり過ぎてバレバレ
0694人間七七四年
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2022/07/01(金) 08:56:54.11ID:Rx3fmJzZ
>>685
こういうのは、狐と狸の化かし合いと言う意味で書いたんだけど。

ウェルキンゲトリクスは、ガリアの反ローマ勢力を大同団結させた為ある意味カエサルの
ガリア平定の最大の功労者ですからね

とはいえ、それは勝てたからで一時はカエサルに敗北覚悟させる所まで追い詰めたのも
事実で、寛容でしられたカエサルが処刑した数少ない敵将です

これある意味カエサルの場合最大限の評価「殺さんと駄目、有能すぎる」でして

家康も、勝てる自信あったとは「岐阜落城までは特に」思えん
0695人間七七四年
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2022/07/01(金) 09:14:19.29ID:Vakl79SD
>>694
そういうイメージがおかしい、実情はこうだと言ってる相手に対して、そういうイメージと同じことを返しているだけじゃない

いや、そのイメージは正しいのだ、何故なら云々と理由を言って反論するならともかく

ただのオウム返しに例えなどいらん
0696人間七七四年
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2022/07/01(金) 09:25:21.30ID:jJpNLn0O
秀頼を失った家康には諸将が従わず
会津討伐軍は崩壊するって思ってたんでしょ
秀頼擁する自分達に従うはずと
0697人間七七四年
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2022/07/01(金) 10:05:58.26ID:A4+fL82Y
諸将からしたら秀吉が生前に家康に与えた様々な立場を見れば
三成や毛利らは秀頼を空き巣同然に分捕ろうとしてるだけだと認識しただろう

秀吉の中では家康及び徳川家は単なる家臣ではなくて自分亡き後の自分の代理であり一門として豊臣家を守り代表する存在
前田の傅役は信長の平手政秀のように家臣の役割に過ぎずあくまで主従
豊臣一門そのものである徳川とは全く性質が違う
そのことは加藤福島ら恩顧諸将のほうがよく理解していたと思う
0699人間七七四年
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2022/07/01(金) 12:50:12.78ID:XbAm+g72
そのあたり長年秀吉の命令を代行してきた
奉行は自分達こそ豊臣公儀って認識で
そこが単純に見込み違いなんよね

思い通りにならない家康がいない隙に
輝元大阪城に入れて仕舞えば
トップすげ替え完了っていう
0700人間七七四年
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2022/07/01(金) 13:23:34.39ID:tWRHbTlp
光成氏は「蜂須賀家政領てある阿波を収奪してるのは毛利軍による(豊臣公儀は動いてない)」「生駒親正も同じく蟄居・讃岐領没収された形跡がある」「伊予に毛利軍が攻撃・調略にきている」「大友義統は毛利軍と繋がっている」と言った事から輝元の狙いは毛利領拡大にあったとしてるね。また毛利水軍によって秀吉に奪われた瀬戸内海制海権を奪還する目的もあったとする。だとするならば輝元は秀頼の名によって秀吉の打ち立てた惣無事令・海賊停止令を破壊する事が目的だったことになる。
0701人間七七四年
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2022/07/01(金) 18:58:32.10ID:mudVoF0y
俺に味方してるなら城を寄越せってのはそこまで変な話じゃ無い。例えば大垣城だって三成が代わりに入ってるし(城主伊藤盛正は一度拒否したらしいが)東軍でも諸将は家康に城を預けてるしね。大きな違いは東軍は正に自主的なものなのに対して西軍のは命令して奪ってる点かな。
0702人間七七四年
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2022/07/01(金) 19:33:07.62ID:Xr8pynqM
おかしな話じゃないのかな?
関ヶ原以外で居城寄越せの実例てあるのかな
居城渡せば領国経営にも差し支えるし
かなり無体な要求に見えるけど

思いつくのは黒田家が織田の播磨攻略に
姫路城渡したのとかだが
黒田側の自発的な行為で違うよな
0703人間七七四年
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2022/07/01(金) 20:14:20.03ID:o72ck1m2
あと毛利の目的だけど西軍総大将毛利にとって
領国拡大と豊臣公儀を牛耳るもしくは
政権内での地位向上を狙うのって
必ずしも対立しないと思うんよね

A.攻め込んだ先で毛利領を拡大して
B.豊臣政権での地位を上げて追認させる
てのが理想的な流れのはずで
B.は狙ってなかったって主張だとすると
そこはちょっと頷けないかなあ

当然家康追い落とした後に取って代わって
天下に号令したいという野心もあったろうが
(だから総大将を引き受けてる訳で)

それがかなわなくともA.は無駄にはならないし
家康大勝利でなきゃB.も認めさせる余地は十分
そういう意味で優先度が領土拡大にある
という趣旨ならよくわかる
0704人間七七四年
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2022/07/01(金) 21:57:11.62ID:VsTfG/0i
三奉行が輝元上洛要請文を書いたのが7月12日、輝元の手元に届いたのが15日だが輝元は即日出発して17日に大坂についてる。三奉行と輝元は完全にグルで手筈を整えてたんだろう。(光成準治は広島・大坂間が通常6〜8日掛かる事から輝元と三奉行の事前協議があったとする。渡邊大門も「前々から準備してた」と断じてる。)単に騙された愚鈍な男じゃ無い事は明らかではある。
0705人間七七四年
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2022/07/01(金) 22:11:44.03ID:mcFdsr6F
この感じ見るに戦国板過疎ったのも納得だな
0706人間七七四年
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2022/07/02(土) 09:16:01.14ID:Uk5MvTi2
>>702
多分これを通す為に毛利は自分を公儀にしたかったんだろうなとは思う。阿波も讃岐も公儀が収公って言いながら動いてるのは毛利軍だし。輝元って担がれた愚鈍な男じゃない。野望秘めた野心的な男よな。
0707人間七七四年
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2022/07/02(土) 11:24:30.57ID:6/LPkqAs
野心的な策謀家だけれども実力が伴わなかった
0710人間七七四年
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2022/07/02(土) 14:07:51.85ID:Uk5MvTi2
三成の野心としては森忠政へ働きかけた一件が有名だけどその「右近大夫への遺恨は格別」っていう書状は何時のものなんだろう?
0711人間七七四年
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2022/07/02(土) 20:45:54.75ID:PSoo3jRc
三成が西軍決起を知ってたら真田ともコミュニケーション取れて上杉とも連携できたろうになぁ
0712人間七七四年
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2022/07/02(土) 20:53:01.68ID:6wOmLNBV
結局この話って三成だったらもっとうまくやってるはずって言いたいだけなんだよね
0713人間七七四年
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2022/07/02(土) 22:00:53.65ID:0IPN4tca
三成「豊臣家を守ろう」
清正&正則「うるせー馬鹿」

三成「秀頼様の御出陣を!」
淀殿「イヤじゃ」

家康「豊臣の領地は削減ね」
淀殿「ファッ?!」

家康「加藤も福島も改易ね」
忠広&清正「ファッ?!」

三成「だから言ったろお前ら・・・」
0714人間七七四年
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2022/07/02(土) 22:01:35.78ID:0IPN4tca
忠広&正則「ファッ?!」

0715人間七七四年
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2022/07/02(土) 22:10:17.89ID:AbT5INvA
毛利の文書だと三成は関ヶ原前年から
大阪占拠唆したり一緒に陰謀巡らせてる仲

でも上杉との間にそんな特別な関係が
あったかというとかなり微妙
眉唾の挟撃策とセットの後世の創作を除くと
ほぼ根拠ないんじゃなかろうか

上杉上洛時の取次だったのは認められるが
それは別に三成一人ではなく例えば長束
彼も西軍の首脳の一人のはずだが
0716人間七七四年
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2022/07/02(土) 22:48:40.84ID:yfsaYjmD
>>713
徳川の場合、おとなしくしていれば領地削減や改易程度で済むのだから
秀次のように無抵抗な相手でも妻子もろとも殺戮に突っ走る豊臣から交代してよかったと言える
特に三成はその尖兵とも言っていい存在だしな
0717人間七七四年
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2022/07/03(日) 06:11:08.88ID:EoibGfha
>>716
そもそも大人しくしてれば福島も加藤も幕府に改易されてない
0718人間七七四年
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2022/07/03(日) 07:50:41.01ID:wWrQTXAg
おとなしくしていても三成が妻子もろとも皆殺しを叫び始める危険性があることを考えれば
徳川の方がマシだろう
加藤も福島も家族を含めて殺されずに済んだわけだしな
0719人間七七四年
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2022/07/03(日) 08:03:13.79ID:uxWN3Yc3
>>718
盗将大権現を甘く見過ぎ

必要とあれば、嫁も息子も計算ずくで見捨てられる人間に何を期待している
家康見て思うのは、「この人って本当に成功者?」だね

安易に見捨てられるって事は愛してないのだろうし、この人に心底大切な物は
何もないんだろうって成るんだよな

秀頼の為に狂乱する太閤の方がまだ人間を感じる
0720人間七七四年
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2022/07/03(日) 08:50:12.61ID:eoywffdr
>>719
また嫁と子供か
本当に芸も余裕もなくなってきてんだね
可哀想に
0721人間七七四年
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2022/07/03(日) 09:23:48.82ID:Rh17IZfR
三成「二十一日の手紙を見て急いでお返事書きました!挙兵するって言わなくてゴメン!でも色々訳があったの!西軍の状況を書いて送ります。上杉への連絡を助けてください。この書状は信幸と信繁にも送ります!」(七月三十日書状)→真田とも上杉とも連携出来てない。
三成「使者が会津に行けないのでなんとか力添えしてください。上杉と連携して徳川攻めしますから」(八月五日書状)→未だに全く上杉と連絡出来てない。
八月二十一日に家康は信幸に「信州と会津の国境を佳く塞いでる」と賞してるので恐らく使者は全て処分されてるしなんなら三十日書状は徳川の手に渡ってる。それで東軍は西軍の手の内を全て見抜いた上で戦争出来た。
0722人間七七四年
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2022/07/03(日) 09:42:36.97ID:wgNR/kp1
そもそも後世のフィクションのように
三成は(というか西軍は)福島加藤ら所謂恩顧大名に
「豊臣家を守ろう」などと言っていたのだろうか?

内府違いの条々が彼らのもとに発せられたか
と言うこと自体を疑問視する向きもあるが
個人的にはそれに類するものは出されてたと思う

が、その内府違いにしても糾弾しているのは
あくまでも豊臣政権内での内府の行動であって
豊臣家を廃そうとしてるとか言ってない
0723人間七七四年
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2022/07/03(日) 09:56:49.63ID:Rh17IZfR
三奉行の主張は「家康は秀頼さまを見捨てて会津征伐を強行した。だから我々が立ち上がった。秀頼さまを盛り立てたいという者達は立ち上がれ」というもの。些細な違いだけど家康は豊臣を破壊「しようとしている」では無く豊臣を破壊「した」としてる。まぁ豊臣政権に詳しい人には噴飯笑止千万なものなんだけど西軍からするとこれで押せると思ってたんだろう…
0724人間七七四年
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2022/07/03(日) 09:58:27.38ID:zozulek6
妄想馬鹿の相手禁止ね
0725人間七七四年
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2022/07/03(日) 10:01:27.57ID:BTfy8aud
三成の考えがどうだろうと西軍の蜂起によって豊臣政権が完全に崩壊してしまった
0726人間七七四年
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2022/07/03(日) 10:41:55.99ID:W5lK1kV7
史料的には豊臣政権の存続を危ぶむ見方って
関ヶ原以前にはないように思うんよね

あくまで家康は豊臣政権を掌握しようとしてて
西軍はそれに反発してると言う構図
0727人間七七四年
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2022/07/03(日) 11:35:54.69ID:iSg7azZk
秀吉の遺言で豊臣政権の運営は家康がすることになって、ほとんどの大名もそれを受け入れたと考えていい
秀吉死後になんとか覆そうとしたのが浅野以外の奉行衆と輝元
0728人間七七四年
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2022/07/03(日) 12:18:18.12ID:M/UEJAC3
内府違いの条々にある家康の行動が事実だとして
加藤福島ら恩顧諸将もそれを見聞きしてたはずだがそのことに不満や危機感を抱いていたという話は聞かない
彼らから見て別に問題視するようなことではなかったんだろう

何度も言うが家康は他の大老や奉行たちのようなただの家臣ではなく
秀長や秀次と同等の豊臣一門と見なされていたということ
0729人間七七四年
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2022/07/03(日) 14:51:24.71ID:Rh17IZfR
内府違いの条々は欺瞞と自己撞着の塊なんだが実際徳川家康が好き勝手してるという感覚はあったらしい。蜂須賀家政は毛利輝元に宛てて「家康さまは確かに横暴かもしれませんが」と一応の同意はしてるから。とはいえそれは「だから討伐しよう」には決して繋がるものじゃ無かった。ていうか十人衆の内4人も抜けてる現状で政治が出来るのは徳川家康しか居ないんだし。
0730人間七七四年
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2022/07/03(日) 15:20:57.56ID:t6JQ77Bg
そりゃ武士なんて建前より力よ
知行宛行まで始めた家康と無力な幼子じゃ皆家康につくに決まってる
もちろん恩顧大名は豊臣家も家康の下で存続することを望んでいただろうが
0731人間七七四年
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2022/07/03(日) 15:33:48.81ID:htPLDiVZ
「勿論近年内府無御届儀共可有御座候」
意訳し過ぎ
届けがなかったとは言ってるけど横暴だったとは言ってないし、意訳するにしても横暴と訳す人はいないだろう
0732人間七七四年
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2022/07/03(日) 17:27:36.80ID:QxwEXjni
白峰氏の論文で知ったが、石田、増田が発給した上杉版ちかひの条々ってのがあるんだね
歴代古案所収、慶長五年七月付

偽書説もあるそうだが、ざっくりいうと白峰氏は三成が書いたオリジナルで、これをマイルドにしたのがよく知られる条々だと
当時の一次史料と断定している

しかしなあ、その後も三成は真田に上杉との連絡を懇願してるところみると、上杉版条々だけ景勝が落手したとは考えにくいよなあ
七月のいつかは不明だが、すでに会津征伐軍は出立したと記述あるし
0733人間七七四年
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2022/07/03(日) 17:52:15.91ID:QxwEXjni
>>723
ちかひの条々のどこ読むとそういう解釈になるんだか
0734人間七七四年
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2022/07/03(日) 19:10:06.30ID:IqNStJao
まぁ偽書だろうね。三奉行は前々から計画してたらしく五月七日の所謂諫止状で「会津討伐をすると秀頼が見捨てられたようになる」という奇妙な文を送ってる。後の決起に備えたんだろう。
0735人間七七四年
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2022/07/03(日) 20:42:37.61ID:W5lK1kV7
>>732
これかな
http://repo.beppu-u.ac.jp/modules/xoonips/download.php/ar02203.pdf?file_id=9973

これには内府の逆心が書かれてるんだな
初めて知った

読む限り偽書と断じるまでの材料はない気がする
これが黙殺されたか、その後国境に兵が置かれて分断
真田に繋ぎを依頼という流れはワンチャンあるか
0736人間七七四年
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2022/07/03(日) 23:34:58.05ID:QxwEXjni
>>735
そう、それです
これが真正な書状だとすると、また白峰氏の解釈が正しいとすると三成の深い関与という、ある意味いわゆる定説を補強するものとは思うんだが

細かい書札礼解釈とかはともかく、整合性を持たすために推論に推論を重ねているようにも感じる

上杉は敵の敵だから真っ先に取り込む必要がないと思うし
これも推論に推論を重ねる論法になるが、上杉がなぜ徳川に歯向かわざるを得なかったか、江戸時代に三成を悪者にして偽造したものかも
いろいろ意見を聞きたいですね
0737人間七七四年
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2022/07/04(月) 01:32:02.35ID:2VF17S7R
寡兵で大軍を破った戦いであればやはり桶狭間の戦いだな
駿河・遠江・三河を支配し、海道一の弓取りとまで言われた今川義元の軍2万5千を
尾張一国の領主に過ぎない織田信長が3千で撃破し、義元の首級をあげた
兵力差8倍以上
まさに戦国史上ひいては日本史上最大の番狂わせ
0738人間七七四年
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2022/07/04(月) 08:29:05.98ID:HI959hbu
>>736
関ヶ原の時点では豊臣政権内での権力争いで
西軍東軍ともに簒奪(または簒奪阻止)を
狙うとこまで踏み込んでないと個人的には思ってた

なのでこれを偽書とするのは俺にとっても魅力的
飛びつきたくなってるのは否めないので
いろんな意見を聞きたいな
0739人間七七四年
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2022/07/04(月) 08:53:32.08ID:HI959hbu
ひとつに歴代古案というのは曰く付きの
直江状で有名な文書集だね

三成が檄文送ってきたから味方したんです
ってだけだと上杉の立場の正当化にはならない
特に時の政権への説明としては普通にまずい

が、その辺の編纂意図については別に考察があり
上杉家では慶長5年の戦乱に関して藩祖景勝ではなく
元和5年に家督が絶えた直江兼続(と三成)の
責任としたのだという見方がある

上杉版内府違いの条々もその編纂意図には
合致してるのよね
0740人間七七四年
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2022/07/04(月) 08:55:24.56ID:LpFnAFFi
>>738
白峰氏の論文読むまで知らなかった自分が言うのもあれなんだが、歴代古案や続群書類従に載っているのにさして研究者の注目を集めなかった時点でなんらかの瑕疵があるんだろう
ぱっと浮かぶのは一点、上杉でしか保有してないことか

直江状らしきものはあったが、流布しているものが正しいのかという論争に似ているようにも思う
なんにせよこの前後数年はいまホットな話題でなにより
というより追い付いてない
0741人間七七四年
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2022/07/04(月) 09:53:15.39ID:eqydYp6w
内府違いの条々って二つあるらしいからね。
一つは宛先と署名が入ってるもので此方は九州の領主に送られてる。もう一つは宛先も署名も酷いと日付も無い正真正銘の怪文書。江戸幕府は内府違いの条々を禁書としなかったらしくこれらは見ようと思えば見れたんだろう。
0742人間七七四年
垢版 |
2022/07/04(月) 12:23:28.51ID:cZPblWGv
歴史学者は紙切れの文字を重要視してしまうため、官僚タイプが多い西軍の文書を過大評価してしまう
しかし実際に戦をするためには莫大な金と食料が必要であり
特に西国大名は朝鮮で疲弊しているため自力で用意して東国遠征するのは困難だった

だから当時の武将にとって一番重要なのは豊臣家が軍資金と兵糧を提供するかどうかであり
豊臣家が家康に軍資金と兵糧を渡して西軍には渡さなかった時点で西軍の正当性などゼロだった
奉行が紙切れに何を書いたところで腹が満たされるわけでもない
そんな当然のことを白峰をはじめとした多くの歴史学者は理解できていなかった
0743人間七七四年
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2022/07/04(月) 18:19:45.88ID:uQAxXIwL
>>730
自分一人の花押で文書出すとか、晩年の太閤ですら殆んどやってないよ。

それを平気でやってる時点で、秀頼<<<超えられない壁<<<家康という認識でしょ
只、権力を永続化させるには太閤取り立て大名を潰すか叩くかしないと駄目な訳で

どちらにしろ、加藤や福島なんかが生き延びれるかと言うと
0744人間七七四年
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2022/07/04(月) 18:25:51.30ID:uQAxXIwL
>>729
そりゃあ、現代に置き換えてもそういう風になるのは分かるよ

「専務は会社を私物化し、自分が社長やってる子会社に会社の資産移してる」と言う風な
事実あったとしても「業務上背任容疑で刑事告訴しようとか、緊急役員会で解任しよう」とか
言えるかというとな。

自分の首が掛かる賭博をしたくないのは当然。
0745人間七七四年
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2022/07/04(月) 18:36:09.79ID:IVwI3O8s
家康のやったことは秀吉と一緒
だから秀吉も秀頼が幼少で関白に任官する前に自分が死ぬ時点でもう豊臣家の天下は諦めてたんじゃないかな
なので最後は天下は家康に任せるから俺が織田秀信に織田家の拠点岐阜城と高位を与えたように豊臣家も1大名としてそれなりに遇してくれっていう思いだったんじゃねーの
0746人間七七四年
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2022/07/04(月) 19:04:31.19ID:RaJ0Yl/h
パシオの報告書によれば、家康に政権を委ねること・秀頼がその任に耐えうる年齢になったら返却することを頼んでいる
0747人間七七四年
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2022/07/04(月) 19:48:09.56ID:wMyheY2v
そりゃそう言うだろうけどな返してねって
そう言っておかないと秀頼が一目置いてもらえなくなって諸大名から軽視される
0748人間七七四年
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2022/07/04(月) 21:11:40.12ID:WO9d0zER
??
織田家みたいに軽く見られたほうが家残しやすいじゃん
0749人間七七四年
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2022/07/04(月) 21:47:37.26ID:zu1s/02S
豊臣公儀自体が秀吉の存在を前提としていて秀次への継承も失敗したからね。苦肉の策は家康を二代目秀吉に任命するしか無かった。それを快く思わない連中が十人衆政治を作った訳なんだが皮肉な事に事件が起こるたびに家康の人望が上がる結果になってしまった。
0750人間七七四年
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2022/07/04(月) 22:48:39.34ID:wMyheY2v
織田家が軽く見られてたの?どこが?
0751人間七七四年
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2022/07/04(月) 23:14:40.39ID:N9maeIW9
政権譲るのも家康の地位高めたのも秀頼のためだからな
0752人間七七四年
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2022/07/05(火) 00:05:05.00ID:4srW7Dgc
企業論理っていうよりも職人論理なんだよな
豊臣の親方が無くなれば次の実力者の徳川親方に舵取りお願いするって感覚がね
0753人間七七四年
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2022/07/05(火) 00:16:05.14ID:Cqm6s/+H
歴史小説とゲーム、それに自分のつたない経験を混ぜ合わせたような稚拙なお話はやめてほしい
0754人間七七四年
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2022/07/05(火) 09:46:07.76ID:7Uw8K/7o
>>753
ちゃんとアンカーつけた方がいい
誰のことを言ってるのかわからん
0755人間七七四年
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2022/07/05(火) 10:45:44.27ID:wbu9BmMI
三成が建てた戦略と西軍のとった戦略に隔たりが有りすぎる。三成は上杉と連携して徳川領を東西から挟み撃ちにするつもりでいた(だから会津への連絡を助けてくれと真田昌幸に頼んでる)対して西軍はまず西国を西軍(というか毛利が)支配してその後に徳川と決戦するという戦略をとってる。それで九州の諸領主に弾劾状と命令書を送りつけ、また徳川に親しそうな連中は土地を強奪してる。一見長期的な観点に立ってるように見えるけどこれ徳川が西上しないという事を前提にしないと成り立たない。現実に徳川が西上して鎧袖一触に倒された訳だが。彼等には何の勝算があったのだろうか。
0756人間七七四年
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2022/07/05(火) 11:36:16.23ID:Cqm6s/+H
>>754
基本的に史料や論文に基づかない「感想」は下らないと言っている
0757人間七七四年
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2022/07/05(火) 11:44:09.10ID:jG+5MBlH
同じ奴が同じ主張するだけのスレになってるな
0758人間七七四年
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2022/07/05(火) 13:04:49.03ID:/1ugdSAf
西軍を構成する三成、輝元、他それぞれの思惑があるだけで
三成だけが違う思惑で動いてると特別わかる必要はないんでない?

三成にしても挟撃策は多分に後世の創作くさくて
上の上杉版内府違いが仮に真作であっても
挟撃策なのかどうかはわからない

少なくとも挟撃を狙うには全体的に遅きに失してるし
むしろ東軍先鋒への動きは悠長なくらい

西軍共通の誤算は会津討伐軍がそのまま東軍として
まとまって西進してきたことで
その時点で徹底抗戦を挑もうとした三成らと
諦めて危ない橋渡るより交渉で逃げ道探した
毛利その他という構図ではないかね
0759人間七七四年
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2022/07/05(火) 13:05:40.53ID:/1ugdSAf
2行目わかる必要じゃないや
分ける必要
0760人間七七四年
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2022/07/05(火) 13:30:54.28ID:45HrOtq/
妄想くんは反論があっても無視してずっと同じ主張垂れ流し続けてるだけだからなあ
会話にならんから絡む人もいないし話もそれ以上発展しないわな
0761人間七七四年
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2022/07/05(火) 14:27:38.28ID:wbu9BmMI
三成が上杉と連携して徳川を攻撃するつもりだったことは八月五日真田昌幸宛石田三成書状にあるから一次史料に残ってる。だが三成は首謀者でも無いし西軍総大将でも無いのでこの戦略は採用されなかった。関西地方でも東軍勢力が強かったというのもあるんだろうが毛利軍が四国・九州に散っているのもあって東に振れる戦力が無い。三成は度々兵力増強を要請していた事が九月の長盛宛書状にあるけどその全てが却下されてたらしい。その頃には毛利は徳川と和睦交渉をしてるから何というか、三成も哀れと言いますか。
0762人間七七四年
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2022/07/05(火) 15:02:42.25ID:NymoXV5r
もうみんな疲れ果てて実力者の家康に天下を任せればよいと思ってたんだろ。
秀頼なんかに誰が付いていくかと笑
0763人間七七四年
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2022/07/05(火) 19:44:42.68ID:/1ugdSAf
なんで前年から毛利に対徳川たきつけてるのに
三成が首謀者の一人とは認めたくないんだろう?
0764人間七七四年
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2022/07/05(火) 19:56:24.54ID:OnZJxw2L
>>761
毛利は四国・九州には主力は送っていない、
余剰戦力レベル。
輝元、元康、秀包が大坂周辺、秀元・吉川広家が瀬田から伊勢、
約三万が畿内及び以東にいる。

おそらく増田・長束が伊勢制圧を主張したんだろうが、まずは美濃に主力を集結させて東軍の出方を伺うというのが正解だった。
秀元や吉川も言っているが、普通は敵主力のいるところにこちらの主力を向かわせる。
それが伊勢制圧ではねぇ。
伊勢は美濃から行けるし、もし伊勢に東軍主力が来るなら退路は海。
美濃に集結すれば伊勢・美濃・尾張とどのようにも対応できる。
0765人間七七四年
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2022/07/05(火) 20:06:14.81ID:Fe4gi02i
そもそも九州に行ったのは大友であって毛利は兵を出してすらいない
偶然大友が参集してきたから本領復帰を許可してやったとかそんなレベル
何をもって毛利軍が九州に散ってると言ってるのか
0766人間七七四年
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2022/07/05(火) 20:39:48.80ID:s7fJX1Ol
大友義統のバックには毛利輝元がいる。九月七日黒田如水宛大友義統書状に「拙者事配所において毛利殿御懇意深重に候へば、今度一命を捨てその恩に報いるべくと存じ候」とある(黒田家譜)また義統が率いた軍には毛利が用意したものが入ってる(大友家文書録)更に義統は輝元に起請文と次男を差し出してる。
0767人間七七四年
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2022/07/05(火) 20:59:34.93ID:dGMCN42g
>>766
まさかそのことを知らないと思ったの?
あるいは否定してるのだとでも?
何故そう考えたかかなり興味深いな
0768人間七七四年
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2022/07/05(火) 21:01:23.54ID:2HjU4aVp
妄想馬鹿の相手禁止よ
0769人間七七四年
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2022/07/05(火) 21:05:45.34ID:s7fJX1Ol
>>767
大友家文書録のことをしっていたのに「毛利は兵を出してすらいない」ってのはどういうこと?
0770人間七七四年
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2022/07/05(火) 21:29:06.68ID:s7fJX1Ol
大友義統の行動は八月二十八日に加藤清正が「上関辺まで大友が来てる」と書いてある(清正勲績考)事がかなり興味深い。
というのもこの上関は毛利の水軍基地がある。大友家文書録で義統が軍艦と兵隊百人を授かった地は周防の大畠だが、これらの船の手配は輝元の指示によるものだったと見て良い。
0771人間七七四年
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2022/07/05(火) 21:44:03.68ID:s7fJX1Ol
ちなみに九州に対する輝元の野望は大友義統に留まらない。
九州は毛利や大友、ある時は島津も絡んで紛争地帯になっていたけど秀吉によって豊臣系大名に割り振られた。しかし毛利一族の影響力は残っていた。八月二十八日、松井康之が毛利吉成の動向を記録してる(松井文書)けどこの中に
「毛利吉成は熊本に来た。輝元と奉行衆の使者らしい。吉成は伏見城攻めで大損害を出したという…その為(門司城に)輝元が軍勢を入れると言う」とある。輝元は書状で部下を門司に派遣して更に町人からも人質を取っている。軍勢無しに出来る事では無いと思うのだが…
なお、門司城だけではなく毛利吉成居城・小倉城も輝元の支配下に置かれてる事が吉川家文書より明らかになっている(「尚々小倉の儀、輝元より加番入の由候間…」とある)
0772人間七七四年
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2022/07/05(火) 22:01:23.53ID:BQFzuyh9
>>766
戦国期の書状らしからぬ表現だなと思って黒田家譜読んだら、書状が引用されているわけではなく「義統返書の趣にいはく」「とそ述べられける」ってあるじゃねえか
どんなに都合よく解釈しても書状の大意を書いているだけ

しかも要点だけ言うと、おめさんが引用したのの後段には「ご存じのように里も失った。家康の人質になってる義乗も世に出したいし、家康の側にもつきたい。分別が大事で是非はすぐに決められない。二、三日したら使者を送るね」って記されている

こんなものを誰宛て誰々書状なんて間違っても言いません
毛利が背後にいるとする根拠に挙げるのもこれは不適切

ついでにいうと、どこから引用したか知らないが、細かいことを言うと原本見ると「今度」じゃなく「此度」な
おめさんは史料扱うレベルにない
0773人間七七四年
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2022/07/05(火) 22:17:08.23ID:BQFzuyh9
>>766
ついでにもう一言
家譜、とくに黒田家譜に顕著なんだが、このエピソードも藩主をスーパー人間に仕立てる一要素だから
元義統の小姓で浪人していた大神大学ってのを使者に仕立てた
家臣は反対したが、如水は「大学が内通するのは分かっている。偽情報を流して裏をかくんだ」とどや顔
もう一人の使者、宇治勘七が密かに敵軍の情報を探ると

義統に「久しぶりに会ったら大男になったな、昔を思い出すよ」と言われた大学はむせび泣く

史料批判って言葉知ってるかい?
このエピソードを全面的に史実ですと言い張れる人間いるかい?
どうせ返答はないんだろうけどな
誤訳、超訳、切り貼り、前後も確認していない
この人の史料引用はすべて疑ってかかるべきだよ
0774人間七七四年
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2022/07/05(火) 22:24:38.94ID:2HjU4aVp
まあ間違いなく返答はないな
会話できない奴だから
0775人間七七四年
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2022/07/05(火) 22:47:19.07ID:KTv9X0CG
>>771
その二つの書状は時期が違うからその性質も全く違う
吉川家文書の如水書状は10月4日付で既に大勢が決した後に輝元が小倉に兵を入れる旨が述べられてる
この頃毛利吉成は小倉から離れていた可能性が高く、小倉城も既に空き城になっていた可能性が高い
そこに輝元が在番という形で小倉の安定を図るために一時的に兵を入れたに過ぎない

この書状で如水は「私からは毛利のお家再興の件は断言できないが、今こそ毛利家中で事に当たるべき時だ」と言ってる
そんな大切な時期に輝元が自らの野望で小倉に加番の兵を入れるわけがない
その解釈は的外れもいいところだな
0776人間七七四年
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2022/07/06(水) 00:19:57.87ID:NdEKTGG4
>>775
史料確認した
すでに前日から小倉を黒田が取り巻いている上、「毛利吉成(あの人が分かっているかどうか知らないが毛利一門ではない)に城を渡すな」と吉川広家に助言してるね
全文読むと、広家はじめとして毛利家としっかり人間関係築いていたアピールと存続への願い、なのに輝元というより如水の野望を感じる内容(家康への愚痴)だね
0777人間七七四年
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2022/07/06(水) 00:34:31.37ID:NdEKTGG4
返答は一切期待してないんだが、史料の切り貼りでいくらでも新説は立てられるということよ
あの人の場合は悪意というより単なる知識不足だろうが
ほかのスレだったと思うが、史学学んだものならどう考えても取り違えない真逆の訳もしていたし
話も出来ずに垂れ流すだけなので邪魔

のみならず、読めもしないのに史料を都合よく切り貼りするし、害悪
0778人間七七四年
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2022/07/06(水) 01:12:37.32ID:fXctKln5
如水は広家宛書状だと結構心情吐露してるんだよな、家康御勝手になり残念とかもし戦が長引けばとか
関ヶ原前後で緊密にやり取りしてる辺りにも距離感の近さが窺える
0779人間七七四年
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2022/07/06(水) 09:58:05.49ID:BJJ0rFGQ
輝元って割とエグい手段使ってるんだなと。徳川と親しい生駒・蜂須賀領は強引に奪い、森(毛利)吉成の城も侵食、大友義統には毛利軍を付けて派遣と野心満々の動きをしてる。そして事破れたら「恵瓊が悪い」で切り捨ててるし。
0780人間七七四年
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2022/07/06(水) 10:03:21.35ID:YJvX/Ri4
なんか発狂してる奴いるけど何の反論にもなって無いな。
大友義統が毛利から軍を受けてる大友家文書録に載ってる話なのに何故か「黒田家譜は信用出来ないんだー!」ってズレた事を言ってる。輝元が毛利軍を毛利吉成領に送り込んでるのは輝元書状にも残ってる事なのにな。
0781人間七七四年
垢版 |
2022/07/06(水) 10:59:23.14ID:NdEKTGG4
大友に毛利が加勢して九州に出兵したことは否定していない
その根拠史料に黒田家譜の怪しい記述をさも書状の引用のように持ってくるのが史学から外れていると指摘してるんだよ
しかも切り抜きで「どっちにつくかすぐ決められませーん」という内容なのに
そんな取り扱いじゃ査読はおろか、ゼミでも単位もらえんよ

ttps://www.lib.pref.fukuoka.jp/hp/gallery/H25/kafu.html
ここで黒田家譜読めるから自分で読んでみろ
12巻の21ページ目が当該部分だ
読んだら改めて感想よろしく
0782人間七七四年
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2022/07/06(水) 11:40:07.69ID:rSWwdzQr
小倉が空城なんてことあり得んのか?森吉成が秀吉から小倉六万石を賜った時に増改築したのが小倉城だろ?つまり森一族の中心。確かに森一族は伏見城での大損害で大混乱に陥ってるが黒田如水の手前小倉を捨てる筈が無い。それは森一族の滅亡すら意味する。仮に西軍が敗れても否敗れたからこそ小倉城は森一族が集結する最後の砦になるんだし。それが空で輝元が一時的に預かった、なんて奇妙な話があり得るのか?
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