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石田三成の挙兵
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0001人間七七四年
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2022/03/07(月) 02:55:02.62ID:gll72NsS
石田三成が上杉討伐で挙兵をしない、もしくは合戦
勃発後に挙兵していたらどうなっていたか。
0537人間七七四年
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2022/06/21(火) 10:51:08.29ID:9SsK8Mxw
いや家康は軍事的な権限を握りたくて仕方なかっただろうよ
それを明確に掌握出来たのが加賀征伐であり上杉征伐
家康が諸大名征伐の動きを見せてるのには政権の軍事力を自分の手中に収めるという歴とした目的がある
0538人間七七四年
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2022/06/21(火) 12:48:13.92ID:cZuqq2ms
しかもその後の論功行賞では豊臣の物を従軍した大名にばらまいて恩を売れるという一石二鳥のボーナスタイムだからな
0539人間七七四年
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2022/06/21(火) 12:59:07.96ID:PF49MORo
俺が1ヶ月前に初めて話題振った時はもう2ヶ月近く誰もレスしてなかったのに
人の居るスレにはどこから湧いてきたんだ?ってくらい書き込みが集中するよな
スレタイの趣旨に合うなら問題ないけど家康マンセーしたいだけの人はあまたある家康スレでやればいいのに

関ヶ原を起こしたのは三成、家康は何も悪くない
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1651981216/
とか
0541人間七七四年
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2022/06/21(火) 13:28:16.02ID:rNlh7Ub5
よく言われてるけど加賀征伐は別に家康が「勝った」訳じゃない。家康と利長が話し合って解決させたものでとても平和的に解決してる。
0542人間七七四年
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2022/06/21(火) 13:43:28.85ID:vvb+Qxdy
>>536
西軍の首謀者は宇喜田秀家
0543人間七七四年
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2022/06/21(火) 14:18:16.42ID:xA/aonHe
加賀征伐での家康は硬軟使い分けての高等な交渉術を展開してる。結果前田利長は家康と「和解」した訳で降伏した訳でも屈服した訳でもない。利長は特段野心的行動をしてないから腹を割って話し合えば良いだけだった。
問題は上杉景勝でこっちはモロに野心的行動に出てる。旧領への調略、城砦の整備、軍事品の備蓄と弩ブラックだった。言い訳出来ない。それで戦争するしかなかった。この流れには石田三成が関わってる描写が全く無いので三成にとっても青天の霹靂だったのかもしれない(加賀征伐の際三成は家康に利長の行動を報告、対利長の押さえとして命令を受けてる)
0544人間七七四年
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2022/06/21(火) 14:50:11.25ID:yBF3GS6h
人質送ってんだから降伏だろ、なに和解とか言ってんだ。
0545人間七七四年
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2022/06/21(火) 16:17:47.39ID:rNlh7Ub5
前田利長が人質を送ったのは加賀征伐と関係ない定期
0546人間七七四年
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2022/06/21(火) 17:52:00.74ID:93mG+9Iv
そもそも加賀征伐は計画自体なかった説は大西泰正が提唱してるな
家康との政治的対立を解消し、関係修復のための人質だと指摘してる
0547人間七七四年
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2022/06/21(火) 18:23:03.59ID:BU/RzX/B
そもそも芳春院はどこに居たのか?っていうと前田家の記録では上方に居たことになってる。利長が帰国する時には大坂に居たらしい(象賢紀略)
その後家康暗殺事件が露見、利長に謀叛の疑いときて加賀征伐が取り沙汰されるけど家康も利長も表向き「やるぞ、やるぞ」としながら裏では交渉を重ねていた。その結果慶長五年の一月あたりに「沙汰止み」になった(慶長日記)これに対して利長が代償としたのは中納言辞任しか見当たらない。つまり利長は官職を返上する事で野心の無いことを証して家康はそれを受け入れて征伐を中止した、と言う事になる。
0548人間七七四年
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2022/06/21(火) 18:28:18.68ID:BU/RzX/B
で「芳春院が家康への人質」ってのはどっから来てるかと言うと芳春院は慶長五年の五月に江戸に向かっている。同年二月までに加賀征伐は立ち消えしてるからこれは加賀征伐中止の人質じゃない。これは翌月に控えてる上杉征伐に対する人質。実は利長と景勝は親交があったらしく徳川に属する事を証する必要があった(これによって芳春院は西軍の魔の手から脱した)
つまり「芳春院は加賀征伐での人質」って話は小説家がこの一連の歴史から時系列を塗り潰して前と後をくっ付けて作ったもんらしい。
0549人間七七四年
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2022/06/21(火) 19:15:17.21ID:HIrGzyVj
結局利長謀反の嫌疑に起因する出来事にしか見えないが、芳春院が上杉征伐の人質って言える根拠は何かそれより明確なものがあってのことなの?
0550人間七七四年
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2022/06/21(火) 19:35:15.44ID:BU/RzX/B
二月までに「沙汰止み」になってるのに五月になって人質だって言うのは無理があるからね。例えば石田三成は沙汰が出る直前にに嫡男重家を家康に人質として出してる(閏三月九日付福島正則・蜂須賀家政・浅野長政宛徳川家康書状)
利長がこの件で家康に起請文や誓紙を出したって話も無いので加賀征伐はトップ会談のみで回避されたことになる。
0551人間七七四年
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2022/06/21(火) 19:48:13.66ID:wNtwVcoN
だから何だとしか言いようのない流れで草
0552人間七七四年
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2022/06/21(火) 20:13:05.54ID:Zd4qU5aW
西笑承兌書状でも「前田利長が異議を唱えたが家康公は道理に基づいて静謐に収めました(だから景勝も上洛して釈明しましょう)」って言ってるからね。二月に沙汰止みになった加賀征伐だから四月には完全に霧消してる。対して五月にはもう半ば会津征伐は確定事項になりつつあった(承兌が書状を送ったのが四月一日、四月二十七日には六月下旬までに事態が好転しないなら家康が直々に遠征すると触れが出てる)謀叛の疑いを掛けられた利長が五月まで人質を延期させる理由も史料も見当たらないから芳春院の江戸下向は上杉討伐が理由なんだろう。
0553人間七七四年
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2022/06/21(火) 20:20:10.87ID:DE+MjWfL
義演准后日記5月20日条
伝聞、東国・北国悉和談候、珍重


慶長5年5月13日付堀尾忠氏宛前田玄以・増田長盛・長束正家連署状
羽柴肥前守殿御袋、江戸へ御下ニ付而、浜松ニ一夜御泊之賄方ニ、
八木五石、大豆壱石之分、
奥村伊与守・村井豊後守両人ニ可被相渡候、恐々謹言、
五月十三日
長大    増右    徳善
 正家    長盛     玄以



芳春院(まつ)が伏見を発ったのは慶長5年5月17日とされ、江戸に着いたのは6月6日とされる。
義演准后日記5月20日条からは前田と徳川の和睦は慶長5年5月にまとまったみていいと思われる。
0554人間七七四年
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2022/06/21(火) 20:38:00.93ID:S3EIxXMm
「家康は加賀征伐をゴリ押ししようとした」
「利長は母を人質に差し出して降伏した」
「家康は加賀征伐の成功を基に今度は上杉を屈服させようとした」
これらは一次史料に反していてまぁ要は江戸時代・明治時代に作られた逸話を小説家が真に受けただけよ。史料では家康は一貫して話し合いで解決しようとしてるし利長はそれを受けて和解してる。上洛もせずに解決させてみせたのは利長の外交能力が高かったのか取次が有能だったのか。それでも数ヶ月掛かった訳だけど(慶長五年二月に解決させたとはいえ)
0555人間七七四年
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2022/06/21(火) 20:43:53.01ID:DE+MjWfL
島津忠恒宛義弘書状

尚以帖佐、山田、蒲生、吉田之人衆出水表へ可被召移之由、度々御談合申定候き、然處庄内堺へ御城取に付、

右四ヶ所之人數被召移之由相聞候、無心元存候、當時之地頭に内談いたし、移望申儀も可有之候、

倂庄内事は一節の儀に候、いつみの儀は肥筑表之一の城戸にて候間、彼表之儀手かたく御かくこ候はては、

貴所御爲に罷成ましく候、其御心得專一候、我等事は老軆にて候間、後年貴所御手前可然樣に可被仰付候、

はや肥筑表きざし候之由申來候、就夫もいつみ表之儀於不番は、庄内口の御行も急に難濟候之条、さて申入候、

以上、

態令啓達候、

一 今度於大坂 内府樣天下之御仕置被仰定候に就き、いかやうの子細候之哉、羽柴肥前守殿當時賀州へ在國候を、

  無上洛樣にと被仰下候、自然強而於上洛者越前表にて可被相留之由候て、刑少殿の養子大谷大学殿、

  石治少之内衆壱千餘、越前へ被下置候事、

一 加藤主事も無上洛樣にと被仰付候、其上に罷上におひては、淡路表にて可被相支之由候て、菅平右衞門尉殿、

  有馬中書兩人に被仰付彼表へ被指越候、如斯必定承付候間、爲心持申入候、乍不申諸人不承樣に、

  校量肝心候、其故は京都之出合、國元へ申通候と露顯候へは、爰元の仕合も難計候之事、

一 出水表之儀心遣候之条、 竜伯樣江被逐御熟談、彼境之番尓々可被仰付事に、賴入候之事、

一 加主事は連々氣任之仁候之間、無思慮弓箭をも被取出儀も可有之候之歟、左樣なる時、出水表於不番に者、

  油斷に可罷成候、殊佐敷表之儀も、小攝、相良なと被乘取軆に候ては、後年御爲如何敷候、

  又加主方より手色不見處に、從御方角佐敷表へ楚忽なる儀をも仕出候へは、一揆の手初に可罷成候間、

  いかにも丈夫なる仁を被召置、其仁壹人迄に内證被仰聞、油斷をも不仕、又楚忽なる儀をも

  不申出樣に能々被仰付、彼表之樣子被聞屆、賢慮賴入候事、

一 庄内表之儀いまた於無落去は、右之出合承付候はは、彌下城之御侘も六ヶ敷可申歟と存候、從有方の内證は、

  先此節は下城仕候樣に被仰調候はは、後日はいかやうにも御噯可有之と被思食候間、時分からと申、

  分別可入由被仰候、定而加主方よりは庄内へ山くぐりをも被指越、樣子可被申談と推量申候、
  
  能々才覺此時候、恐々謹言

      九月廿一日       惟新(花押)

      少將殿
0556人間七七四年
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2022/06/21(火) 20:52:05.80ID:DE+MjWfL
一 今度於大坂 内府樣天下之御仕置被仰定候に就き、いかやうの子細候之哉、羽柴肥前守殿當時賀州へ在國候を、

  無上洛樣にと被仰下候、自然強而於上洛者越前表にて可被相留之由候て、刑少殿の養子大谷大学殿、

  石治少之内衆壱千餘、越前へ被下置候事、

一 加藤主事も無上洛樣にと被仰付候、其上に罷上におひては、淡路表にて可被相支之由候て、菅平右衞門尉殿、

  有馬中書兩人に被仰付彼表へ被指越候、如斯必定承付候間、爲心持申入候、乍不申諸人不承樣に、

  校量肝心候、其故は京都之出合、國元へ申通候と露顯候へは、爰元の仕合も難計候之事、


>菅平右衞門尉殿、有馬中書兩人に被仰付彼表へ被指越候

「兩人に被仰付」加藤清正が上洛しないように家康が命じてる。
全体では前田利長、加藤清正が上洛しないように命じてる。
0557人間七七四年
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2022/06/21(火) 21:55:22.19ID:DE+MjWfL
10月6日付千世宛芳春院消息(慶長10~19年ヵ) 千世…利家七女、細川忠隆室、村井長次室

よくそ?たひ?人を給候、御うれしく候、
まこ四郎事、はしめハする?としたる御返事申され候て、
いま何かとの事候、せひもなく候、
そはにて人か、いかほと?せいをいれ候ても、ならぬ事候、かうきハすミ申候、
こんとも人の御物語候か、
大御所さまの御くちハ、大かたよく候よし申候へ共、かしく、
しにてのちの事まて申され候、
大かうさま日本のしゆにせいしをさせ、いかほとの事仰おき候へ共、
ミな?むになり申候に、おかしき事ともにて候、
これと申も我身かいんくわのほとを、なを?かんし申候、
くわいふんかめいわくに思ひまいらせ候、
ふつしんにもやう?はなされたるわか身と思ひまいらせ候、
九月よりのとけさし出申、むねもいたくてけんかんのくすりのミ申候事候、
すき?とよく候つるか、又さし出申候、
さりなから、物ハよくくい申候、御心やすく候へく候、めてたくかしく、

又申候、一日給候ひきやくに、と山のもくかたまて、
ひせんへやうの事候て、あけ申候文、事つて申候か、
もくハしかられ申候よしにて候、
御たつね候て、その文ひせんへとゝけて給候へく候、
とおき所ハあとさきとなりまいらせ候、たのミ申候、かしく、



孫四郎(前田利政)の赦免の件で、(徳川家康は)初めは滞りなく返答していたが
未だに実現していない。
わたしがどんなにがんばっても無理のようです。
公儀の決定は出てしまいました。
人づてに聞いたところ、家康様は口ではいいことを言うけど
(利政赦免は)実行してくれません。

「人づてに聞いたけど」と注釈を入れつつも、
家康は口ばっかりで実行してくれない、と愚痴というか家康批判をしている。
0558人間七七四年
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2022/06/21(火) 22:04:04.67ID:Fn1aPEWa
>>536
景勝と連携してるかと
三成は首謀かどうかは
別にそこまで固定ではなかろ

西軍としては家康がいるうちには動けずp
0559人間七七四年
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2022/06/21(火) 22:06:06.63ID:Fn1aPEWa
>>536
景勝と連携してるかと
三成は首謀かどうかが
リンクしてるというのは
論拠が薄いかな
0560人間七七四年
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2022/06/21(火) 23:46:09.75ID:+cdN4Wb9
三成が首謀者だとしても西軍が勝てば実権を握るのは毛利なんだよね
0562人間七七四年
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2022/06/22(水) 08:33:16.29ID:ZThaTpfB
>>559
現実では三成は西軍参加後に上杉との連絡を任されてる(七月十五日島津書状より)ただしこれは捗りが悪かったらしく同月三十日になってもまだ力添えを探している(真田宛三成書状)
三成が最初から西軍決起を企てていたらこんな動きになるか?ならんだろう。上杉との連絡を密にしていないとおかしい(上杉には対徳川としての役割もある)
0563人間七七四年
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2022/06/22(水) 20:20:40.25ID:DOroDhU7
>>562
いやそうとは限らないぞ
講談のように三成と上杉が最初から
共謀して挙兵したというのは否定されるが
それだけだ
0564人間七七四年
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2022/06/22(水) 20:30:01.24ID:o6ivFimK
三成と上杉の共謀はなかった
→三成は挙兵を企んでなかった

とはならんよ
企んでないのに他の西軍首脳と
ほぼ同時に動けてる理由も分からんし
島津や東軍側が最初期から三成も挙兵の中心と
認識してたこととも整合が合わなくなる
0565人間七七四年
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2022/06/22(水) 20:34:11.19ID:NEyIvE7i
>>557
手元の兵力増強を促したり有名な書状類だが、総じて家康の真意を図りかねていたり、嵐の前触れをみなが感じていた様子が分かる
0566人間七七四年
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2022/06/22(水) 22:41:36.02ID:6ibt0Ylv
>>564

>三成と上杉の共謀はなかった
>→三成は挙兵を企んでなかった
そもそもこれが成り立つなら他の西軍主要メンバーは誰も上杉と連絡取れてないんだから西軍の首謀者は存在しないという事になるしな
0567人間七七四年
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2022/06/22(水) 23:18:54.12ID:owduKerD
三成が「巻き込まれただけ」だとすると
一体誰になのかとなるものね

三成の西軍参加が確認できるのが挙兵直前というが
三奉行や大谷刑部だって毛利だって別に
そんなに早くから文書上で確認できるわけじゃない

上杉との連携が不可欠なのに連絡取ってない
てのも西軍全員が共通なので特別三成について
後から参加したと断定する根拠にはならない

三成の場合毛利側の文書ではもっと古い段階で
家康を狙って毛利に大阪入りを促してきた
という文書はある訳でな

その後失脚があったとは言え無関係に
西軍が結成され巻き込まれたと見るよりも
その活動の延長線上に西軍結成があった
と考える方がずっと自然ではないかな
0568人間七七四年
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2022/06/22(水) 23:20:25.00ID:Wpl1F+Cl
愛知川に関所設置して西国からの軍勢を引き返させたの三成の兄貴だから
最初期から活動してたと考える方が自然だよね
秀頼と家康が離れることを危ぶんだのが会津征伐の反対理由だし
何者かが秀頼担いで蜂起することへの懸念は早い段階から存在していて
奉行衆にその気があれば上杉に事前に連絡することは可能だと思うがそれはしていない
となると三成か輝元あたりがノリノリで行動した結果
三奉行は引きずりこまれたということになるのかな
0569人間七七四年
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2022/06/23(木) 12:55:16.21ID:hTm69htH
三成は西軍が決起してから漸く上杉との連絡を試みてる。上杉との連携は西軍にとって重要戦略だからここまで後ろ回しにする必然性は何も無い。三成は七月時点まで挙兵するつもりが無かったなら分かるが。
じゃあ誰が首謀者か?っていうとそれは毛利輝元と三奉行だろう。例えば三成と吉継を呼んだのは輝元(吉川家文書)だし西軍の命令書を書いてるのは三奉行。こいつらが首謀者で三成はあくまで参加人の一人。最悪のババを引かされたせいで首謀者みたく言われてるが…
0570人間七七四年
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2022/06/23(木) 15:52:50.00ID:icGcqBLB
輝元は前のめりで進めてるから輝元恵慶大谷主導で見切り発車での挙兵じゃないかな
石田は大谷から誘われた説はありうる
大谷は北陸、石田は東海筋で色々やってるから大谷と石田はガチっぽい
増田と玄以は石田大谷の謀反と最初は通報してるし、その後も玄以は仮病を使ってるぽいし
長束の本気度がよくわからない
0571人間七七四年
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2022/06/23(木) 18:30:58.39ID:hTm69htH
七月十二日付毛利輝元宛三奉行書状が輝元の下に届いたのが十五日、即日で輝元は出発して大坂に十七日に到着してる。
輝元が何も知らなかったならこんなに手際良く動ける筈が無いからこいつ結構なピカロよ。最初からある程度計画が練られていて手筈が整ったら書状が来る事になってたんだろうさ。
0572人間七七四年
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2022/06/23(木) 19:51:06.67ID:h9vxYaGA
>>569
重要戦略だとして後回しにしたのは
三成だけでなく西軍全体なのに何故それが
三成が首謀者から外れる理由になるの?

三成は首謀者じゃないと言いたいために
その結論ありきで考えすぎてるよ
0574人間七七四年
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2022/06/23(木) 20:24:29.75ID:hTm69htH
西軍が三成参加以前に上杉と交渉してた史料って何かあったっけ?知ってる限りだと七月十五日に島津が西軍参加した時に「三成が上杉の担当になった」連絡が初と聞いたが…
その後七月三十日に三成は真田昌幸に会津連絡への手助けを頼んでるから上手くいってない事が窺える。この不手際は三成が西軍決起以後(十五日以後)参加したからだと説明出来る。問題は三成が首謀者だとするとお前何してたの?って話になって詳しい解説が要る。何故事前に上杉との連絡路を作ってないのか?何故連絡しなかったのか?何故三奉行より動きが遅いのか?江戸時代以降の軍記物語にはそれっぽいのが書いてあるけど。
0575人間七七四年
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2022/06/23(木) 21:59:12.99ID:h9vxYaGA
準備不足がおかしいといい出すなら
首謀者が三成でも他の誰かでも同じだよ

そもそも西軍挙兵自体が広く支持を得られない
無謀であった訳だしね
全体的に泥縄的に推移してる中で
上杉と三成の関係だけを特別視しすぎ
0576人間七七四年
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2022/06/23(木) 23:36:02.15ID:lhkaUX5+
事の性質上家康が上方にいる間に察知されたら終わりだし
江戸に向かう途上で通報されて引き返してこられるのもまずい
結局家康が江戸についてから行動するしかなく
真田にすら事後通告で詫びてるくらいなんだから
そんな準備期間のある計画ではないということ
0577人間七七四年
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2022/06/24(金) 03:31:10.92ID:uqmRdgSB
当時の西軍が挙兵前から会津の上杉と書状で連絡を取り交わすとか計画露見のリスクが高すぎるんじゃないか?
実際上杉との共謀は無いだろうけどやるにしても密儀や口伝の方が理にかなってるしその場合資料として後世には残らない
0578人間七七四年
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2022/06/24(金) 08:12:05.55ID:MgGMt6O3
毛利-三成間で対家康の謀議をしてるのは
毛利側の文書にあるのよね
それは関ヶ原前年の三成失脚前と比定されてる

でもだからって上杉ともそこまでツーカー
って訳ではないだろう
三成と兼続が盟友みたいのは後世の創作のイメージ
0579人間七七四年
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2022/06/24(金) 08:39:27.92ID:RLItcAH+
本能寺の明智でも事前に上杉やら義昭やらと連絡してたとか言ってる人がいるけどそんなことするメリットより露見するリスクの方がやべーんだよな

家康が畿内から離れた時に事を起こせば上杉も挟撃してくれるだろうという見込みがあればそれでいいわけで、リスクを冒して事前に協議する理由がないのよね

まあ上杉は本能寺でも関ヶ原でも期待を裏切ってるんだけどな
0580人間七七四年
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2022/06/24(金) 10:05:06.55ID:kuO8A2uG
あと単純に失脚していた三成の指示にだれが従うのかという話でもある
結局毛利や三奉行による保証が必要なら
事前連絡なんかするだけリスクを高める行為でしかないもんなあ
0581人間七七四年
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2022/06/24(金) 10:36:00.31ID:dqYQEx5e
西軍が上杉とコンタクト出来なかったのはその窓口が徳川派に占領されてたからなんだろう。だから元取次の石田三成が参加するまで連絡が出来なかった。元でも取次ならある程度以上連絡は出来るから三成が最初から家康に刃向かうつもりなら「景勝を上洛させる為に説得」という題目で景勝に使者を送れば良い(実際そうした動きは他家でもある)それどころか三成と西軍がコンタクトした史料は七月十二日まで出てこない訳で。
0582人間七七四年
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2022/06/24(金) 13:58:19.05ID:Q5RuY7QF
三奉行がやたら暗躍してるけど対して三成って運動してる形跡が無いんだよなぁ。恵瓊が言ってる事は正しかったのかも知れない
0583人間七七四年
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2022/06/24(金) 20:02:21.80ID:05PPfScB
>>579
既に三奉行や輝元と繋がってたならそれこそリスク高いんじゃないの?広いとは言え大坂に居る三奉行や輝元が連絡していてもそこまでリスクは無いが佐和山にいる三成が彼らと連絡していたら流石に怪しまれる。逆にそのリスクを呑むんだったら上杉と連絡するリスクだって呑めるだろう。元取次で「取次してた上杉が豊臣公儀と戦争しようとしてるのを止める」って名目で堂々と使者を送れる。西軍にとって上杉が徳川と戦争するか否かはかなり重要なんだからリスクを呑む価値はあったはず。
0584人間七七四年
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2022/06/24(金) 20:27:42.96ID:r5kY7hO9
上杉は隣国の堀から訴えらたりで疑惑の渦中にあり家康とも一触即発の状況で天下の注目を集めてるので増田やら毛利と連絡するリスクとは比較にならんでしょ
というか上方から会津に人を派遣するには徳川や親徳川の領地を通過しなきゃ行けないんじゃなね
0585人間七七四年
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2022/06/24(金) 20:38:58.98ID:eXYQghpF
>>581
いや三成自身がろくにコンタクト取れずに苦労してる
単に三成と上杉の特別な関係というのが
史料上フィクションのように確立してない
それを「三成が首謀者じゃなく後から巻き込まれた」
「だから西軍は上杉との連絡に苦労した」と
解釈するのはかなり無理矢理だぞ
0586人間七七四年
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2022/06/24(金) 20:55:31.64ID:MgGMt6O3
>>584
というか連絡は別にそう難しくないだろうけど
奉行である以上その連絡は当然政権の一翼として
恭順を促すものでなくてはならない

家康気に入らないから一緒に戦おうなんて
万一漏れたらその時点でアウトでおいそれと
書けるはずないのよな

それが可能になるのは覚悟を決めて対家康の
挙兵を起こした後ってことになる
0587人間七七四年
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2022/06/24(金) 21:45:18.39ID:05PPfScB
バレるとヤバいから、だとすると尚更三成首謀説は遠ざかるかなぁ。三成が首謀者だとすると佐和山と大坂の間を何度も使者が往復してたことになる。そうなれば徳川派諸将がいの一番に気付いて家康が知る事になる。気付かれてないって事は三成は大坂とコンタクトしてないか凄まじく巧妙な交通網があったことになる。そんな外交力があるなら上杉との連絡なんて楽勝だろうに…
0588人間七七四年
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2022/06/24(金) 22:08:12.73ID:uqmRdgSB
豊臣蔵入地だらけの大阪佐和山間と徳川派で占められた東海道周辺を通過する会津では全然違うでしょ
街道が徳川側の手中にあり困難だったからこそ挙兵後も連絡網に支障をきたしてる
0589人間七七四年
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2022/06/25(土) 06:12:14.27ID:dxO0cJTi
どんだけ三成首謀にしたくないんだよw
0590人間七七四年
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2022/06/25(土) 07:32:14.69ID:w9bdqVvu
首謀者は複数いていいし途中参加で首謀者になることもありえる
0591人間七七四年
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2022/06/25(土) 10:04:27.92ID:lZgGSVyR
徳川にバレたらマズいから連絡しなかった説は確かに一理あるんだがだとすると佐和山にいる三成が大坂と連絡するのは問題無いの?って話になってしまうのがね。実際三成が西軍に参加したのは輝元に呼ばれたから(吉川家文書)でそれまで大坂とすら連絡してた史料も残ってないときてるし。
上杉と連絡するのもそんなに難しい話じゃない。三成は元取次なんだから書状で「景勝と内府の仲が悪いと聞いて心配です。詳しくは使者が話します」とでも書いて送れば良いだけだし。それで使者が何を喋っても景勝が言わなければバレないからね。
0592人間七七四年
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2022/06/25(土) 10:48:22.87ID:CoDX7YjA
そうやって使者に口上で伝えさせた場合後世には一次資料として残らないね
要するに実際どう言うやり取りが交わされてたとか現存する資料だけでは分かりようも無い話
0593人間七七四年
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2022/06/25(土) 11:36:41.16ID:Fmf9pbAh
いやだから
三成は真田を通じて上杉に連絡してくれいって要請してるのが書状で残ってるでしょって
なんでそういう既知の情報すら無視できるのか不可思議
景勝が国許にいる限り、三成は景勝と安全に音信する術がなかったんだから
伏見や大坂で互いの上下屋敷を往復するのとは違う
0594人間七七四年
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2022/06/25(土) 12:45:41.88ID:she6XWnu
上杉とは知識人とは言え一僧侶の西笑承兌すら書状送ってるからな。三成がコンタクト取れないってのは奇妙過ぎる。
三成は佐和山で完全に孤立していて首謀者どころか西軍の決起計画自体知らなかった可能性の方が高い。どちらかと言うと大坂三奉行の方が怪しい動きをしてる。
0595人間七七四年
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2022/06/25(土) 12:51:42.81ID:she6XWnu
具体的には五月七日の所謂「奉行衆連署の諫止状」なんだが(歴代古案)この第四条に「秀頼さまは若く、家康さまが居るからこそ諸人も重々しく奉っていますがここで家康さまが居なくなると秀頼さまが見放されたようになる」っていう奇妙な文章がある。家康は謀叛人を誅伐しに行くだけで別に秀頼を見捨ててる訳じゃない。この程度で見捨ててるなら帰国してる前田利長や上杉景勝はどうなるのか?幼君を置いて重臣が外征に行くと見捨てた事になる先例があるのか?
って考えるとこれは後のクーデターの為の伏線なんじゃないか。つまり「家康が秀頼を見捨てたから我々がお拾いした」といって大坂城を武力占拠する口実。とすりゃこの時から三奉行のクーデター計画は始まってた事になる。
0596人間七七四年
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2022/06/25(土) 12:52:29.97ID:Osl5RJ6Z
>>594
(西軍蜂起の)コンタクトが取れない
上洛して内府に謝ろう、な!
くらいだったらもし見られてもなんの問題もない
0597人間七七四年
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2022/06/25(土) 13:00:21.21ID:Fmf9pbAh
>>594
一僧侶の西笑というのは洒落かなにか?
西笑の卓越した地位やこのときの役割、ひいては日本史における僧侶の仕事を何も理解してないだろ
0598人間七七四年
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2022/06/25(土) 13:21:50.83ID:QtN+P1Io
>>594
それはあんたの妄想でしょ
逼塞中の三成書状は多くはないが、相良宛に「上方は一段と静謐だ。庄内の乱が解決すれば上洛されることもあるだろし、その時積もる話をしよう」
と述べてる書状もあるし、外部と連絡ができない程孤立してたわけではない
0599人間七七四年
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2022/06/25(土) 18:33:13.43ID:eo9IsY0Q
元取次でも相手国の危機に書状を送る事はある。例えば蜂須賀家政は七月十六日に「毛利輝元が石田三成・大谷吉継らに同調して謀叛した」と聞いてこれを戒める書状を送ってる(毛利家文書)それには「輝元さまがお覚悟もって天下を乱すとは嘆かわしい」「いままでずっとご懇意にしていただいたので(出過ぎたことかもしれませんが)このように申し上げている次第です」とある。蜂須賀家政は元々豊臣公儀で毛利との取次をしていたが朝鮮出兵で秀吉の勘気をこうむり失脚した。後に徳川家康によって名誉回復がされたが既に取次は増田長盛・長束正家らになっていたがそれでも元取次として書状を送り異言している。
0600人間七七四年
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2022/06/25(土) 18:39:09.79ID:eo9IsY0Q
ちなみにこの書状は一切毛利の役に立たなかった。輝元は十五日に三奉行からの上洛要請文が来ると即時に出発、十七日には大坂城を武力占拠してしまったから。行き違いになってしまったのだ(余りに動きが早いので輝元が西軍決起の首謀者なのが明らかである)
この後輝元は大坂城にいた蜂須賀家政を脅迫。蜂須賀家の本国阿波は毛利軍が接収。家政を出家させる。挙句蜂須賀軍は毛利軍に支配され危うく西軍として使われるところだった。そんな蜂須賀家が改易されなかったのはひとえに蜂須賀至鎮が東軍として活動してたからであった。
0601人間七七四年
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2022/06/25(土) 18:52:50.91ID:Fmf9pbAh
>>600
御託はけっこうなんだが、だから何が言いたいの?
0602人間七七四年
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2022/06/25(土) 19:03:17.71ID:5CveZQQl
上杉との連絡については西軍挙兵以前と以後で分けて考える必要があると思う。
景勝の西軍への返信書状が真田家文書として残っているということは、
沼田で使者が信幸に捕まったか、上田より西に行けなかったということ。
挙兵以前なら会津への使者が捕まるということは考えにくいと思うが。

個人的には上杉との共謀はなかったと見る(暗黙の了解や憶測はあったと思う)
根拠は>>451の書状にある、
>重而逆心之讒言を以、是非上洛無之者、向當郡可被及行之旨候

>無是非只不相替上洛與計有之而、剩日限を以催促如此被押詰、

このあたり。景勝側からすると、奉行衆に追い詰められていると感じているような表現に思える。
共謀してるならもうちょうと違った表現をしていると思われる。
0603人間七七四年
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2022/06/25(土) 19:04:25.92ID:eo9IsY0Q
実は一次史料を見れば「誰が西軍の首謀者か」は一目瞭然で答えは吉川家文書にあるように「毛利輝元と三奉行」だろう。この四人が常に西軍の中心にいる。三成を呼んだのは輝元と明言されてるしね。何しろ三成と西軍が繋がったのは大谷吉継が三成を誘った七月五日以降という史料しかない。
三成首謀説は「根拠は全く無いが三成と西軍は繋がっていたはずで史料には反するが三成が西軍を指揮していた筈だ」っていう司馬遼太郎の小説を基にして作られたもんなんだな。未だにファンが多い小説家だけど悲しいかな、所詮は物語なのよねぇ
0604人間七七四年
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2022/06/25(土) 19:20:37.41ID:5CveZQQl
>>568のひとも触れてるけど、上杉征伐従軍諸将を愛知川で引き返させるように
石田木工に指示したやつはだれか?だね。
石田木工が首謀者だと言うなら反論できんが。
0605人間七七四年
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2022/06/25(土) 19:24:40.04ID:eo9IsY0Q
上杉景勝と奉行衆、または石田三成がコンタクトして無い以上景勝からすると奉行衆=内府の部下でしか無かったんだろうねぇ。それでも景勝が謀叛をしたのはもう止まれないって言う理由もあるだろうが一応勝算があったらしい。それは「家康が動けば反家康派も動く」事だったと。んなアホなとも思うけど戦国時代だと確かにそうした動きもあった。
ただ景勝が知るべきだったのはもうそんな時代は昔のもので正確な情報と緻密な連携が物を言う時代に烏合の衆で立ち向かおうってのは無謀でしかなかったことなのだ。
0606人間七七四年
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2022/06/25(土) 19:40:26.40ID:Xn5MImkQ
正澄に宛てた三成の命令書があるなら骨が通ってるけど無いなら論拠が足りないかな。その論理だと真田信幸が東軍に着いたのは真田昌幸の命令によるものだ!ってのも主張出来る様になるし。正澄宛三成書状にはどんなものがあるんだろうか?
0607人間七七四年
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2022/06/25(土) 20:14:27.60ID:NOoVsuvr
正澄はその後も佐和山城の守備していて三成の指揮下にいるし
というか命令書がなきゃダメというなら大名の配下の行動には必ず命令書が残ってるということ?
0608人間七七四年
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2022/06/25(土) 20:38:09.98ID:EQQviVK8
滅んだ側の三成間連だし何でもかんでも文書が残ってる訳じゃないからなぁ
正澄の行動は流石に三成と歩調を合わせたとする方が自然
逆に穴だらけの一次資料を徹底して突き詰めるのも危険性があるんじゃないかな
0609人間七七四年
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2022/06/25(土) 21:23:01.42ID:t9kTD7C5
>>594
単純に失脚後連絡取ってないから
国許に戻った上杉への伝手がなくなった
ってだけでしょ

隠居して一線退く約束で佐和山にいるのだから
方々に現在進行で連絡取ってるわけではない
久しぶりに連絡取ろうとしたら別ルート必要になった

そこにそれ以上の意味を見出してしまうのは
他に理由があるはずと信じたいから
あなたが三成は首謀者じゃないという結論ありきで
考えたくてそういう論理展開しか見えなくなってるだけ
0610人間七七四年
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2022/06/25(土) 21:48:34.32ID:Xn5MImkQ
一線を退くつもりだったのに大坂とのコネクションは残していましたってのが既になぁ…クーデターを企てていたならまず上杉に家康に刃向って貰わないとならないから何を置いても上杉と連絡を取らんといかん。蜂須賀家政だってやってる事で三成がやらなかった事を説明するのは困難でしょうね。
ちなみに西軍の命令序列は輝元→安国寺恵瓊→増田長盛→長束正家→その他諸将(三成含む)で実は三成、単なる一官僚に過ぎないのだ。三成の提示した作戦は悉く却下されて困ってる様子が書状として残ってる。これが首謀者の末路なのか?
0611人間七七四年
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2022/06/25(土) 21:53:40.61ID:dxO0cJTi
なるほど
失脚してたのにかなり上位にいて
したも誰もより積極的に動いているんだな
0612人間七七四年
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2022/06/25(土) 22:13:58.91ID:CoDX7YjA
他の西軍もやらなかった事を何故三成だけに指摘して論を作るのか?
挙兵前に会津の上杉まで書状で連絡しないのがおかしいってのも分からん理屈だけど
0613人間七七四年
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2022/06/25(土) 22:50:42.96ID:2kNTW3SP
会社のメールは跡が残るからわざわざFAX使ったり、個人の携帯にLINEで送るなんてのは今ですらある
当時も書状に残さないモノだらけだったろう
0614人間七七四年
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2022/06/26(日) 20:16:26.09ID:RtSMRk1p
「何をおいても上杉と連絡を取らねばいかん」
というのが事実であるかせめて西軍首謀者の認識であれば
それが三成であれ他の誰かであれ
もっと早くに連絡を取っている

が実際には連絡も取れないうちから
挙兵しているし実際それが致命的だったか
というとそんなことない
0615人間七七四年
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2022/06/26(日) 20:36:18.47ID:pySWz2L+
正澄が愛知川の関封鎖は別に三成の指示とは限らんしな
0616人間七七四年
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2022/06/26(日) 22:42:02.08ID:fi72VRBp
>>614
そもそも三成の当初の見立ては挙兵さえすれば会津征伐軍は瓦解して徳川軍は関東から動けず諸将はそれぞれ国元に帰還せざるを得ずに西軍に頭を下げに来るというかんじだったもんな
0617人間七七四年
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2022/06/26(日) 22:49:58.68ID:uexAQJCX
上杉への通告なんて実際に会津で戦が始まってからでもいいんだよ
でもそれだと西国大名の取り込みができないからあのタイミングの決起になったんであって
0618人間七七四年
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2022/06/27(月) 08:26:58.48ID:HhEbJn0E
西軍が実際は重視してたのは上杉との連携より
家康が国許にいる/政権中枢を離れる
という状況だよね

秀頼を擁した家康に反旗を翻したら
それはもう自分達が謀反で終わってしまう
家康が東下してる間に秀頼を押さえたら
家康を謀反人にしたてて諸将も支持するはず
というのが勝算だった訳だから

この場合の諸将には当然景勝も含んでて
討伐軍到着前に一転土下座外交というのは
それやるならもっと前か
あるいは一戦して意地見せた後
あるいは敗北して全面降伏の時
なのでそう警戒されてない

もう少し後になると上杉討伐軍に
西日本の大名まで加わって上方での蜂起軍が手薄
上杉との戦端が開かれ短期決着もあり得る
だからあのタイミングでの挙兵だった

つまり謀議があったとしてそれは資料が示すように
西軍首謀者と上杉の間ではない
すでに指摘があったようにリスクもある行為だし
挙兵前に話すこともそんなにないもの
0619人間七七四年
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2022/06/27(月) 08:58:56.12ID:HhEbJn0E
では西軍蜂起の謀議は誰との間で行われたか
一方が毛利なのは間違いない

三奉行からの輝元への入場要請が史料上での
西軍の行動の最初とされることがあるので
この両者が首謀者とも見える

ただそんな書状が来たからっていきなり
クーデターを決意したというのは
いくらなんでも輝元どうかしてる

書状は7月12日付け、輝元が広島をたつのが15日
会津征伐の途上にあった毛利軍が転身するのは
それらと前後する13日
その書状の前にすでに話はついてる
(書状で決断したなら毛利軍の動きは間に合わない)

つまり記録の残ってないやりとりは
確実にそれ以前にある訳よ
というかむしろ入城要請の書状は
記録を残すために出されて
記録に残す意味で保管されたと見るべき

毛利が請われて「総大将になる」ことは
西軍内での毛利の立場を確立することになるし
敗れた後には「奉行に請われて引き受けただけ」
というエクスキューズとして残す意味があった
0620人間七七四年
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2022/06/27(月) 10:23:49.58ID:iQlwWmML
蜂須賀家政が秀吉に叱責され蟄居・蔵入地没収の憂き目に遭って毛利との取次をクビになったのが慶長2年。しかし彼は慶長5年に毛利輝元が西軍に参加すると聞いて諫止状を毛利家に送付してる。対して石田三成が蟄居になったのは慶長4年だから僅かに一年前の事。三成は景勝の上洛や会津転封で活躍した筋金入りの「取次」だから家政よりも相手国と疎遠だった筈がない。つまり三成が上杉と接触しなかったのは「もう己が政治をすることは無い」と思っていたからじゃないか?だとしたらクーデター計画なんか建てんだろう。
0621人間七七四年
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2022/06/27(月) 10:49:57.91ID:kN+XvzGv
蜂須賀はもっと早い段階で四国取次に移ってなかったか?
朝鮮出兵まで毛利取次をやってたのは黒田の方で
0622人間七七四年
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2022/06/27(月) 12:08:33.69ID:oSHVueJN
むしろたった一年なので
表立って連絡とり続けるのは
はばかりがある

という考え方もできると思うけど
0623人間七七四年
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2022/06/27(月) 12:22:06.96ID:YGpLLJA+
蜂須賀家政が処分されたのは慶長3年でしょ

1月26日付宇喜多・蜂須賀等言上状案で蔚山・梁山・順天三城の破棄を提案し秀吉激怒
更に5月26日付福原等三奉行連署状で蔚山城合戦の際、家政は先手の当番だったにもかかわらず合戦をせず臆病者だとして蟄居処分
0624人間七七四年
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2022/06/27(月) 15:17:13.52ID:oU1hnWhq
ていうかバレると怖いからで連絡しないとか有り得るか?
会津の近くには上杉アンチの堀一族と軍勢率いてる徳川領が居るしそもそも会津征伐が発動したら徳川派諸将が東にスタンバイするんだぞ。挙兵する前なら「取次してた上杉が内府と戦争するのを止める」って名目で動けるけど挙兵したら敵対勢力と認識されて使者を送る事すら難しくなるのは目に見えてる。実際かなりの時間が掛かってる。
何はともあれ連絡路の再構築が優先課題でそれを無視する程三成アホじゃないと思うが。
0625人間七七四年
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2022/06/27(月) 17:12:58.99ID:taimdY53
>>624
あり得るだろ
挙兵前に露見したら謀反人として処分で終わりだ
そうなったらそれこそアホの極み
0626人間七七四年
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2022/06/27(月) 17:41:12.19ID:OSxlxtTU
石田三成って小説と違って上杉と交渉どころか大坂とすら交渉してた史料が無いっていう。まぁ大坂城に徳川家康が居る限り佐和山と使者が往来してたら何を考えてるかバレバレだから仕方ないんだけど。
もし決起計画を知っていたら三成はそれを何としても上杉に伝えていたろう。三成は輝元と三奉行が画策してる決起計画(これは五月七日には形になりつつあった)を知らなかった。景勝に手紙出すとして大ボラ吹くしか出来ない。そんな事しても自分のクビを絞めるだけだったと。
0627人間七七四年
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2022/06/27(月) 17:51:03.67ID:OSxlxtTU
>>625
露見ってどんな状況よ?三成が決起計画を主導していてかつ上杉との交渉路を無くしていたとしてそれを再整備しない理由は無い。関東への抑えに必要だし景勝が降伏する可能性を減らさないとならん。どのみち上杉との交渉路は必要なんだし。上杉に使者を出した事を訊かれても「元取次の身ですが上杉が心配です」と言えば良いだけ。取次ならそこまでおかしな話じゃ無い。仔細は使者に口述させれば良い。露見する状況は「使者が徳川に寝返って全部自白する」事だけどそれを恐れたなら大坂の三奉行や毛利との交渉すら出来なくなる。三成が上杉と全く交渉してないどころか交渉路に苦慮してるのは重大な意味があるんじゃないか。
0628人間七七四年
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2022/06/27(月) 17:51:30.39ID:wQ3T2UZW
わざわざ伝える必要ねンだわ
だって上杉は家康にケンカ売って家康はそれに応えて大軍を動員して会津に遠征したんだから

そこで畿内で兵を挙げて家康が畿内に取って返すようなら上杉は全力で家康の背後を突くしかない。だってもう家康にはケンカを売っちゃったんだから
家康が勝ってしまったら上杉家の将来はない。だから上杉は背後を突いてくれるはず

まともな頭をしてればそう考えるのが当たり前なんだよな。兵を挙げればそう動くだろうってことが分かっていれば連絡する必要は無い

上杉が血迷って最上を攻め始めることまで予測しろって言っても無理な話だよ
0629人間七七四年
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2022/06/27(月) 18:07:50.00ID:bRNPEGMO
>>628
周り中敵だらけなのに出ていったら
普通に最上や、それ以外に攻められないか?
上杉の立場なら、戦争がどれだけ長引くかもわからないし、後方の安全確保するのは当然では
本領落とされたらシャレにならんし
少なくとも上杉はそう考えたんだろう
0630人間七七四年
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2022/06/27(月) 18:09:20.51ID:LsF1laHC
そもそも上杉に事前に挙兵を知らせる必要がありかつ知らせるだけなら三成じゃなくたって毛利やら宇喜多がやればいいのにやってないというのは別に必要なかったということだろ
なんで上杉に連絡出来てなかったからといって三成が首謀者じゃないとい事になるんだよ?
0631人間七七四年
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2022/06/27(月) 18:25:11.59ID:H6Tjo+e0
>>628
それは司馬遼太郎の「徳川家康には野心があって上杉に難癖つけて攻めた」という理屈の上なら成り立つけどこれは史料に反する。例えば四月一日、西笑承兌は書状で「内府は話せばわかってくれます。兎に角上洛なさい。前田利長は内府と話し合って和解したでしょう?あれは前車の戒めです」と送ってる。家康は一貫して穏健に話し合う姿勢を崩してない。
そして厄介な事に問題の本質は景勝にあった。逆に言えば景勝が謝れば事態は解決してたろう。
0632人間七七四年
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2022/06/27(月) 18:33:07.31ID:Mo/ABFJJ
毎回反論食らってるのに何回同じ主張繰り返すんだよ
0633人間七七四年
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2022/06/27(月) 18:44:40.73ID:yKkD3u8l
>>631
謝る気なかったんだから家康を潰すしかねーじゃん
例えば山形を取って会津を固めたとしても家康がその間に畿内の騒動を鎮めて天下を取ったら終わりじゃん
0634人間七七四年
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2022/06/27(月) 18:45:45.06ID:gs9kk81N
妄想君の相手しても無駄だよ
会話できないからね
0636人間七七四年
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2022/06/27(月) 21:26:33.73ID:n08TBngu
三成って上杉とはおろか増田長盛や毛利輝元とも文通してないからな。到底決起計画を知れた立場じゃない。有名な「大谷吉継を誘った三成」の逸話(落穂集だったか)も真実とは言えない。というか順番からすると大谷吉継に誘われて決起計画に乗ったと言う方が道理が通る。
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