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石田三成の挙兵
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0001人間七七四年
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2022/03/07(月) 02:55:02.62ID:gll72NsS
石田三成が上杉討伐で挙兵をしない、もしくは合戦
勃発後に挙兵していたらどうなっていたか。
0452人間七七四年
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2022/06/15(水) 14:51:31.35ID:4VJvZaLw
なら降伏しないで滅亡するまで戦えという話や
0454人間七七四年
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2022/06/15(水) 17:14:44.87ID:ONRJPNXQ
あとwikiの上杉景勝の項に、天正10年5月に上杉景勝が佐竹義重に送った書状に
「自分は良い時代に生まれた。六十余州を相手に越後一国をもって戦いを挑んで対峙し、
滅亡することは、死後の思い出である」とあると書かれている。
書状全体を確認できないから詳細がわからんけど、
景勝って滅びの美学みたいなのに酔っちゃうタイプだったのかなと。
0455人間七七四年
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2022/06/15(水) 17:20:35.97ID:3GV90QFr
伊達政宗も畳の上で死にたくないとか、武士なら戦場で死にたいとか遺してる
ヤーさんと同じで舐められたらおしまい、簡単には頭下げんという精神は間違いなくある
0456人間七七四年
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2022/06/15(水) 19:10:32.66ID:lVf2olM6
猿に土下座してる時点で、武家の面目も何もないんだよなぁ
0457人間七七四年
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2022/06/15(水) 19:44:07.87ID:JBnnkblu
猿に土下座するのを嫌ったのが北条
朝廷の権威と大義を悟って猿に土下座したのが伊達というところか
0458人間七七四年
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2022/06/15(水) 20:13:01.39ID:RHuVI8Cr
滅びの美学でかぶいたなら最期までかぶき通して欲しかった…
もしかしたら「家康が強いのは秀頼を抱えてるから。つまり家康自身はそれ程強くない」って思ってたら家康単体で毛利・宇喜多を粉砕する力量があると知って怖くなったのかもしれない。
0459人間七七四年
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2022/06/15(水) 20:43:30.73ID:EFs30Vne
面子があって頭下げられないなら
勝てないまでも有利な講和条件狙っての抗戦以外に道はなく
士気に関わるから弱腰な態度はとれない
通説のような西軍首脳陣との連携はないとしても
相手方の親上杉的な勢力が(講和に向けて)働きかけてくれることは計算に入れていたはず
それが軒並み壊滅した以上じたばたあがいても傷が深くなるだけだからな
0460人間七七四年
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2022/06/15(水) 20:51:12.17ID:RHuVI8Cr
西笑承兌書状で「家康は話が分かる男。謝れば許してくれる。上洛して話をせよ。朝鮮再出兵を口実に使えば良い。兎に角上洛するんだ」って書いてあるのを完全に投げた訳でよっぽど謝りたくなかったんだろう。前田は話し合って解決してるのに…

まぁ家康暗殺計画「疑惑」だった利長と違って景勝は完全にクロだったから逃げられないと思ってたのかもしれないけど。
0461人間七七四年
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2022/06/15(水) 21:28:20.64ID:EFs30Vne
前田は家康との間を取り持ってくれる重臣がいたけど
上杉は取次役に内通の疑い掛けて出奔されちゃってるから
これで今更家康に頭を下げるならそもそもなんで家康と対立したのって
景勝主従の責任問題になるから面子にこだわるのも仕方がないというか
対内的な問題と対外的な問題の解決策が矛盾してて
動くに動けないってのは現代でもままある話だからねえ
関ヶ原の敗報を受けて勝ち目がなくなってやっと頭が下げることができるようになったというか
0462人間七七四年
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2022/06/16(木) 08:43:41.41ID:o/YBtvfI
景勝個人の滅びの美学とかじゃなく
GHC当時の武家として現実的な処世術
って側面あると思うよ

疑いが心外だから一戦してやるってのは
私婚問題で吊し上げられた時の家康も言ってる
釈明しに行ってまんまと失脚した秀次みたいのもいる
0463人間七七四年
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2022/06/16(木) 12:46:07.91ID:ExWBn/yX
一戦するとまで言ってたっけ?真実を確かめようとは言ってたけど(上杉の記録によれば)
0464人間七七四年
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2022/06/16(木) 20:10:29.39ID:0gj/q6C7
本能寺前夜も関ヶ原前夜も
威勢のいいこと言ってるけども
その後の動きとはあってないのよね

むしろ180度方針転換して生き残ってるんで
義の武人とかじゃなく機を見るに敏な
政治家だと思うけどね
0465人間七七四年
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2022/06/16(木) 20:38:47.15ID:w55Y47Yc
岐阜城を防衛するべく送り出した軍勢が裏切ってたりするし勝てねぇぜ絶対
0466人間七七四年
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2022/06/16(木) 21:49:43.97ID:2ooPDGOQ
上杉家は徳川との取次役に出奔されて、
豊臣公儀との取次役だった三成も失脚して、
政治的に動きようが無かったし。
無策で上京すれば、そのまま処刑されて
とり潰されかねない
0467人間七七四年
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2022/06/16(木) 21:52:25.28ID:w55Y47Yc
西笑承兌がわざわざ具体的な交渉口を示してるのになぁ。全く何を考えていたんだろう…
0468人間七七四年
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2022/06/16(木) 22:04:10.38ID:o/YBtvfI
まあ無実の謀反でも釈明に行ったら
高野山追放→切腹させられる政権だからな

命令無視して年貢取り立てて行ったのも
旧臣残して行ったのも単なる事実だし
そりゃ素直に上洛するのは怖い
0469人間七七四年
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2022/06/16(木) 22:26:25.91ID:s3BHDyMl
そうなると身から出た錆だ
特に落とし所を探そうということも考えてない
0470人間七七四年
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2022/06/17(金) 00:37:50.86ID:itxXvYsd
石田三成と上杉景勝の共謀は最近否定されてるけど、史料がないだけで実際は共謀してたんじゃね?
いくら景勝や三成が馬鹿でもそこまでの馬鹿とは思いたくない
0471人間七七四年
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2022/06/17(金) 00:48:30.95ID:uPt4b7KJ
>>470
共謀した人間が本国への通信ルートも押さえてないとはなんと杜撰な
真田に頼んでる文書あるでしょ
0472人間七七四年
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2022/06/17(金) 01:49:04.14ID:TfZJUUsE
その慶長5年8月10日付真田昌幸・真田信繁宛石田三成書状より抜粋

一、菟角早々會津へ使者を被立、公儀無御如在、拙者と被仰談候由、可被迎合候、
  不及申候へ共、國ならひにて物のそかどを申方?候間、
  如此御入魂上は、少々出入りはいらぬ事候間、
  物やわらかに、彼方気に入候樣に被仰越、御入眼此時候事

>國ならひにて物のそかどを申方?候間、

ここね、「物のそかど」は原文ママとある。
訳が難しいんだけど、学者・研究者は「変わり者とか気難しいひと」あたりで訳してる印象。
言うまでもないがと言ってる以上、景勝がそのような人物であるというのは
知れ渡ったいたと思われる。
ただ肝心の訳が難しくてどのような人物だったのかがわからんけど、
普通ではないのは確かだと思われる。
前田利益が心酔してるんなら傾奇者とかかもしれないw

だれかこの訳わかります?
0473人間七七四年
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2022/06/17(金) 10:40:41.86ID:S1o8HCx/
追記、?は「ニ」カ?となってる。
申方ニ候間、
0474人間七七四年
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2022/06/17(金) 12:42:07.13ID:snaHz2n4
てか連絡に苦労してる状態では
共謀どこじゃないべな

景勝が難しい人ってのはあるのかもだけど
家として判断ができない訳ではないし
普通に頭下げるタイミング探してたんじゃないの?
0475人間七七四年
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2022/06/17(金) 14:06:05.39ID:cdCN8gZ4
三成の動きが謎過ぎるもんね。事前共謀してたにしては内府違いの条々はおろか輝元への上洛要請文にすら署名が無いし。
0476人間七七四年
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2022/06/17(金) 20:54:09.54ID:dQI2YKZz
ちょっと前に出てたけどその辺は
政権としての公式の動きとするために
既に奉行じゃない三成が外れてるだけだね

三成の動きは逆に巻き込まれただけとすると
他の奉行と比べて確認できる西軍としての活動は
せいぜい3日程度遅いだけでほぼ同時に動いてて
むしろかなり積極的なのでおかしくはない

ただ三成-上杉の共謀があった場合おかしいのは
弾劾を呼びかける動きが毛利宇喜多と比べ
上杉側が歩調を合わせてる様子がない
0477人間七七四年
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2022/06/17(金) 21:42:15.33ID:Rdup6mSy
言うほど政権として振る舞った結果かな?
内府違いの条々は全国の諸大名に宛てたものじゃなくて九州地方に向けて出されてるものだから理論的正当性は二の次に作られてる。しかも三成は結局奉行に復帰してる事を考えるとここで除名してる理由としては薄い(特に条々で家康の悪事の一つとして取り上げてるのが三成への扱いなんだし)輝元への大坂上洛要請文に至っては公的な要素は無い訳で三成が一枚噛んでるなら省く必要性がこれまた薄い…
0478人間七七四年
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2022/06/17(金) 21:50:54.49ID:q0Tq4TQ3
>>472
「重箱の隅」くらいに考えてる
それも踏まえてめちゃくちゃ意訳すると「景勝はごちゃごちゃうるさい人(だけど筋さえ通せば納得するから)」

あくまで勝手な推測です
「す」はあまり意味のない言葉で「物の角」と捉えて
0479人間七七四年
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2022/06/17(金) 22:01:54.12ID:JwGcmWXZ
>>477
三成が噛んでないとすると奉行側の首謀者は誰なんかというのがなぁ
増田長盛の行動は消極的で中途半端だし
0480人間七七四年
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2022/06/18(土) 00:28:08.33ID:umHhifwD
>>478
なるほど、「物の素角」ってあたりですか、
現代で言う「角が立つ」の角のことかな、
0481人間七七四年
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2022/06/18(土) 00:39:49.36ID:umHhifwD
角が立つような物言いをするひと、とか?
0482人間七七四年
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2022/06/18(土) 01:02:52.43ID:umHhifwD
國ならひにて、国並びにて、同格同士でも、前田・毛利相手でも、
前田・毛利相手でも角が立つような物言いをするひと、
どうだろ?
0483人間七七四年
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2022/06/18(土) 02:00:10.70ID:QdspqZ/U
「すみ」と「かど」は同義だから、物の隅っこまでもの申す人、ってところじゃないか
小姑みたいに口うるさいのではなく、礼法や仁義、筋道、自分の考える正義にとことんこだわるという意味で

あの文書からは「景勝は物事の筋に頑固だが、筋さえ通せば力になってくれる」というニュアンスを感じる
それを三成が語ってるのも滑稽ではあるが

いずれにせよ、事前に共謀していたとは解せないね
0484人間七七四年
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2022/06/18(土) 02:08:57.89ID:QdspqZ/U
たとえば家臣宛の>>451書状でもすごい面倒くさい
伝統的に家臣団統制に苦しんだ影響もあるんだろうが
0485人間七七四年
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2022/06/18(土) 10:07:08.41ID:OEwuDOxm
>>476
地味に奇妙なのは内府違いの条々が三奉行連名で出てることよな。公儀として正式に発布したなら豊臣秀頼の署名が要るけどこれが無い。なら十人衆として発布する事になるけど三奉行の名前しか無い。最低でも輝元の署名が要るし石田三成・宇喜多秀家と連署すれば十人衆から六人が集まる事になってこっちの方が正当性を感じさせられる。まぁそれが出来なかったから西軍は条々を全国に発布しなかったんだが…
じゃあ何考えてたの?っていうとかなり奇怪。
0486人間七七四年
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2022/06/18(土) 12:49:36.85ID:O90qU5sE
>>479
七月十二日に宍戸ら毛利三家臣が榊原を通して家康に「恵瓊が会津征伐に参加するということで我らも参陣するべく近江まで来たところ三成と吉継が大坂に向かうところを見た。恵瓊から「これは輝元が呼び戻したもの」と聞いて困惑している」という報告がされてる。
何故恵瓊は先に「三成と吉継が大坂に来る」事を言わなかったのかと言えばこの時点では三成が西軍に与するか分からなかったからじゃないか。
0487人間七七四年
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2022/06/18(土) 18:53:35.61ID:XCFgxsVt
誰が西軍の黒幕かといえば毛利輝元じゃなかろうか。こいつ実は秀吉の死直後から暗躍してる。かなり巧妙に自分が黒幕だと分からない様にしてるけど。では何故クーデターに全力を尽くさなかったかという疑問が生まれるけど勝っても負けても生き残れるように保険を掛けていたと解することもできる。
0488人間七七四年
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2022/06/18(土) 18:54:32.65ID:3NAaATDC
>>477
政権として云々は三成の奉行復職じゃなく
三成が内府違いに名を連ねてないことね
三成は巻き込まれただけと言いたいようだけど
だとしたらほんの数日前に知らされた決起に
ノリノリのちょっとやばいヤツになるな
0489人間七七四年
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2022/06/18(土) 18:56:23.39ID:3NAaATDC
西軍が豊臣公儀として動いてないと言う主張なら
それはかなり不思議な主張なのでもう少し詳しく頼むわ
0490人間七七四年
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2022/06/18(土) 19:33:25.24ID:a16ZH4Lj
勘違いされがちだけど内府違いの条々は公的な書類じゃない。小説で「内府違いの条々が送られてきて読んで激怒する徳川家康」なんて描かれる事が多いけど内府違いの条々は九州地方の限られた者達を対象に送ってる。当然「東軍の豊臣恩顧大名に呼び掛ける」モノでは全く無い。とどのつまり内府違いの条々とは発布者すら認める歴とした「怪文書」であってそこでは公儀の法則だの規則だのは無視されてる。三成の名前が無いのはそうした規則とは違った理由がある事になる。
0491人間七七四年
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2022/06/18(土) 19:35:31.87ID:kOTJx4Eb
>>486
単に宍戸らが謀議の枢要からハブられていたかもしくはしらばっくれているだけなんじゃ?
0492人間七七四年
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2022/06/18(土) 19:38:54.61ID:Vd+D2YHB
いや豊臣家の奉行(年寄)が連署してんだから
彼らが公式に発した書類だよ

それを「怪文書にすぎない」と見るか
「公式なもの」と考えるかは
政治的立場の違いによってくるが
発した側の理屈としては「怪文書ではない」
「奉行連署による文書」であることに意味がある
そこに意味がないなら署名しないよ
0493人間七七四年
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2022/06/18(土) 19:49:46.32ID:a16ZH4Lj
内府違いの条々で気になるのは三成もだが「何故毛利輝元の署名が無いのか」ということ。九州の大名が知っていたかという問題はさておき建前上十人衆で合議する仕組みが豊臣公儀だった。奉行三人が出した内府違いの条々はこのルールにすら違反しつまり西軍は謀反軍ですよと公言してるに等しい。最低でも毛利輝元の署名が必要だし宇喜多秀家や石田三成の署名で十人衆の過半数が賛成してる事を演出しないといけない。西軍はそれをしなかった。狙いが非常に小さなものだったからだろうが。
0494人間七七四年
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2022/06/18(土) 20:09:44.74ID:jBXH4qTZ
>>491
それが真実だとしたら安国寺恵瓊の戦略能力が問題視されることになるね。宍戸らは近江まで進軍した挙句そこから徳川に弁明状を出してる。これらは予め輝元の本意を伝えて家中統制していれば防げたこと。無駄な進軍までしてしまった訳で参謀としての資質に疑問符が付く。
0495人間七七四年
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2022/06/18(土) 20:27:06.93ID:0qQlBEZw
合議を前提にするから不思議なだけで
元々合議を規定する文書もなけりゃ
合議で決定した案件もない

奉行というのも後世の用語であって
彼ら自身は自分達を豊臣の年寄(重臣)
俗に大老と呼ばれる者たちを奉行と呼んでる

つまり元々成立してない合議違反など
初めから弾劾していない
内府違いにも奉行5人の連署が必要なのに
一人で署名したとだけ書かれているにすぎない
0496人間七七四年
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2022/06/18(土) 20:36:50.22ID:/rjoq6wk
内府ちかひの条々が九州大名限定に宛てられたものっては違うな

真田家文書の7月17日付三奉行連署状には「内府公御違之条々別帋ニ相見候」とある
真田家にちかひの条々の原本は現存してないけど、この連署状と共にちかひの条々も届いてる
0497人間七七四年
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2022/06/18(土) 21:03:25.22ID:jBXH4qTZ
合議を規定してる誓紙自体はあるんだよなぁ…
内府違いの条々はツッコミどころ満載で現代ではかなり批判的な評価をされてる。問題はそれを西軍が理解していたかどうかでおそらく理解してた。理解してなかったらそれこそ諸将に送付してたろう。ところが中央から遠く離れた九州に向けて出した。つまるところその程度の書類で後世の小説にあるようなもんじゃない。
0498人間七七四年
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2022/06/18(土) 21:13:27.83ID:0qQlBEZw
>>497
それあなたの独自解釈で言ってるだけ
0499人間七七四年
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2022/06/18(土) 21:51:06.25ID:ctj97tpg
内府違いの条々が小説にあるように全国の諸将に送られた訳じゃ無いってのは高橋陽介が証明していたな。
徳川家康は当初西軍を「三成と吉継が謀反した」程度と認識していた。それは七月二十七日榊原書状に「三成が謀反して淀君と三奉行から救援要請がきた」とあることやその前に奉行に宛てて「佐和山攻めの兵糧を用意して欲しい」と言ってるから。内府違いの条々を見れば三奉行が謀叛の中心なのが明らかなのだからこの時まで家康は内府違いの条々を受け取ってない。また東軍諸将も西軍からこうした書状が届いた事を隠す理由が無いのだから東軍諸将も受け取って無い。
0500人間七七四年
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2022/06/18(土) 21:59:17.13ID:ctj97tpg
事情が変わったのは二十九日、ここで家康は「大坂奉行衆謀叛」と書いてる。この事から高橋陽介はこの日に家康は内府違いの条々を知ったとしてる。ただし、家康筆頭に東軍は内府違いの条々を戯言と断じた。それで東軍は内府違いの条々に一切の反論を行っていない。尤も東軍は最後まで内府違いの条々の存在を知らなかった可能性も否定は出来ない。三奉行が毛利と連んでる事が露見した可能性があるからね。どのみち内府違いの条々は西軍諸将も思っていた様に特段の効果を持たなかった。
0501人間七七四年
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2022/06/18(土) 21:59:33.60ID:i276UV3X
誤訳と妄想の常習犯だから相手にしない方が良いよ
0502人間七七四年
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2022/06/18(土) 22:25:06.11ID:kOTJx4Eb
>>494
現にそのあと一貫してグダグダだっからね毛利
0503人間七七四年
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2022/06/18(土) 22:41:20.90ID:YBS8DX6R
毛利は恵瓊と広家の対立関係が結局致命的な西軍の敗因にまで繋がったな
三成が毛利家取次就任後も吉川家に気を配ってれば或いは防げてた事だったかも
0504人間七七四年
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2022/06/18(土) 22:55:38.44ID:uPMIzDnn
信長や秀吉だって成り上がっている間に山ほど糾弾状を書かれたけど
それによって倒されたわけでも何でもない
むしろ仮に光秀が事前に糾弾状を書いてばらまいてくれていたら
信長としては逆にラッキーで助かったと言えるだろう

中央の歴史を知らない田舎大名ならいざ知らず
そうした歴史を知っている武将からしたら内府違いの条々なんて笑いの種でしかない
西軍がやっていることは過去30年間にわたって失敗に終わってきた敗者の戦略だった
0505人間七七四年
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2022/06/18(土) 23:03:37.47ID:/Pvnbh8R
恵瓊ー三成と広家ー黒田のラインでの対立ってあんまり語られないよな
新取次と旧取次との間での派閥の違い
関ヶ原の明暗って所ではかなり重要な要素だと思うけど
0506人間七七四年
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2022/06/18(土) 23:06:31.44ID:C8bIHWm0
>>504
明応の政変なんかは成功例じゃねえかな
まああれは権力者が将軍の座を挿げ替えただけだとも言えるけどさ
豊臣奉行衆では細川政元になれなかったな
0507人間七七四年
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2022/06/19(日) 00:44:01.79ID:0QLp3V9C
白峰氏の論文より引用
【「内府ちかひの条々」について】
 7月17日に三奉行が「内府ちかひの条々」を出して豊臣公儀として反家康の動きが公然化した
のであるが、この日の状況として、御奉行衆(三奉行を指す)の大坂城籠城、毛利輝元の上洛を
記載していることは(DB…7月17日)、反家康で動いた豊臣公儀の中枢メンバーが大老の毛利輝元
と三奉行であったことを示している。
「内府ちかひの条々」に関する記載は、『義演准后日記』7月18日条に見られ、「内府ちかひの
条々」を当時家康がいた江戸へ遣わした(DB…7月18日)、という記載が注目される。通説では、
三奉行が反家康の動きに荷担していることを家康が知ったのは7月29日頃とされるが(5)、7月
17日に三奉行が「内府ちかひの条々」を出して江戸の家康に送付したとすれば数日中には江戸に
届くはずであり、それを家康が知らない(見なかった)ということはありえないので、上記の通説
の見解には再検討が必要であろう。『義演准后日記』7月19日条によれば、7月19日の時点で、
大名ではない義演ですら「内府ちかひの条々」を見ていることがわかるので(DB…7月 19日)、
弾劾された当事者である家康が7月29日頃まで「内府ちかひの条々」の存在を知らなかったとは
想定し難い。
 これまでの通説では、「内府ちかひの条々」は諸大名に対して出されたものであり、「内府ちかひ
の条々」が家康に対して送付されたという指摘はされてこなかったが、「内府ちかひの条々」に
よって弾劾された本人(家康)に対して送っていない、と想定すること自体が不自然であろう。
その意味で、上記の『義演准后日記』7月18日条の記載は重要である


『義演准后日記』7月19日条
家康へ奉行(衆)より(出した)十三ケ條(=「内府ちかひの条々」)
が流布し、(義演もそれを)一見した。

白峰氏見解
大名ではない義演が7月19日(「内府ちかひの条々」が出された
翌々日)の時点で「内府ちかひの条々」を見ている点に注意するこ
と。「内府ちかひの条々」の流布の速さなどの状況を考えるうえで
参考になる。
0509人間七七四年
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2022/06/19(日) 02:39:42.04ID:mdADaA/W
三成みたいな爆弾は早く豊臣家が自ら排除するべきだったな
0510人間七七四年
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2022/06/19(日) 08:17:53.21ID:b65hyL2s
>>507
当時の実力者にとって脅威だったのは
光秀のように予告なしで襲撃してくる行為だった
わざわざ弾劾状を書いて送りつけてくれる相手はいくらでも準備・対応ができるので
信長や家康のような天下を目指す実力者にとっては面倒なだけで脅威ではなかった

内府ちかひの条々が家康に送付されたならば、それによって家康の勝利が確定したといっていい
信長と家康の最大の違いは、事前に相手が弾劾状をばらまいてくれたかどうかだった
0511人間七七四年
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2022/06/19(日) 09:25:18.58ID:fsg1Cth6
実際の所、盗将大権現は挙兵は読んでたとは思うんだよね、明らかに隙つくる行動だし
でもさ、謀略の名人って相手にわざと動かせて巧妙なカウンターうまいからね

多分近畿の幾つかの城で籠城するだけって言う、松永弾正みたいな形を予想してたと
思います
幾ら大義名分を語っても、大阪城に入城して豊臣政府軍を名乗れなければ大した事は
出来ないと考えてたと思う

が、しかし奉行大老が同盟して大阪に陣取る形になりましたからね

想像以上に、内府違ひの条々は大きいとおもいますよ
これで東軍大名が家康に従う根拠が消えた
0512人間七七四年
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2022/06/19(日) 09:43:13.70ID:9kD+uvME
>>507
7月21日付松井康之他宛細川忠興書状
「急度申候、石治部・輝元申談色立候由、上方ゟ内府へ追々御注進候、如此可有之とかねて申たる事ニ候、
其外残衆ことことく一味同心之由候、定而内府早速御上洛可在之候」

「内府ハ江戸を今日廿一御立候由候、我等ハ昨日うつの宮まて越在之事に候、さためてひつくり返し、上方へ御働たるへくと存候」

21日の時点で忠興は輝元が三成に同心してる注進が家康にも届いてることや、家康も早速上洛するであろうこと、
我々もきっと反転して上洛するであろうことを述べてる
ここまで忠興が知ってるのに、家康にはちかひの条々が届いてなくて知らなかったとするのは無理があるよな
0513人間七七四年
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2022/06/19(日) 11:39:39.87ID:9kD+uvME
>>490
小野寺義道宛や秋田実季宛の7月17日付三奉行連署状があるから、ちかひの条々は九州大名にだけ出されたわけではない
0514人間七七四年
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2022/06/19(日) 11:47:48.02ID:b65hyL2s
>>511
東軍大名が家康に従う根拠は力だろ
信長が将軍を追放して好き勝手やっても成り上がれたのは力があったから
まして幼児しかいない豊臣など力でどうとでもなる
はっきりいって室町幕府以下のお飾りに過ぎない

実力者にとって唯一の脅威は、隙を突いた予告なしの直接襲撃のみ
しかし内府違ひの条々によってそれもなくなった
後は力で馬鹿な連中をねじ伏せればいいだけ
過去30年間繰り返されてきたおなじみの行為でしかない

島津・立花・真田みたいな中央の歴史に疎い田舎大名は内府違ひの条々で騙されるかもしれないが
織豊古参武将にとっては内府違ひの条々など単なる負けフラグでしかない
だから織豊古参武将のほとんどは東軍を選択するわけ
0515人間七七四年
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2022/06/19(日) 12:52:07.60ID:3v9dbUyB
内府違いの条々は欺瞞と自己撞着に満ちたモノで到底正当性を主張出来るものじゃない。当然公的な書類では全く無いんだがこれを出したのには理由がある。
というのも内府違いの条々は加藤清正・立花宗茂・筑紫広門・中川秀成等九州の諸領主に命令書と共に出されてる。これが高橋陽介が「九州にのみ」と言ってる理由の一つでもある。つまり西軍にとって重要なのは九州を西軍支配下に置く事であって内府違いの条々は言わば盗人の三分の理。そこまで重要視してるものでもない。
0516人間七七四年
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2022/06/19(日) 12:53:44.15ID:aYFaraaX
白峰論文だと石田三成は七月十五日に奉行に復帰してる。何故内府違いの条々では署名していないのか?
0517人間七七四年
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2022/06/19(日) 15:57:28.72ID:b65hyL2s
白峰が現実と三成の脳内願望の違いを理解できていないだけだろ
0518人間七七四年
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2022/06/19(日) 17:18:59.87ID:lPYk/bfR
毛利は元々、天下に興味はなく、徳川を滅ぼす気もなく、
豊臣政権を混乱させている間に、九州・四国を切り取ろうとした
だけじゃないかな。
それで、四国や九州に送り込んだ手勢が壊滅して、本国も
危ないってなった時点で、戦争継続する気が無くなったんやろ。
0519人間七七四年
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2022/06/19(日) 21:31:40.12ID:b65hyL2s
別に対織田の時も毛利本体が前面に出て戦うわけでもなく
危険なことは他に押し付けてせいぜいが後方支援をしていただけだしな
やばいと思ったら籠城して奮戦している連中を見捨てて裏で取引もしていたし
関ヶ原の時だけ特殊なことをしていたわけでもない

対織田の時は本能寺があったからたまたま生き延びただけであり
18年前に破綻した行為を延々と繰り返していただけ
0520人間七七四年
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2022/06/19(日) 22:20:40.37ID:f9KQmHJe
内府違いの条々で三成の署名が無いのは三成が関わってないからでしょう。政権がどうこうとかは関係ないよ。
前政権の決定を継承する人間はそもそもクーデターなんかしないし。謀叛をすること自体が前政権の否定なんだから。
0521人間七七四年
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2022/06/19(日) 22:30:20.04ID:Cp7FJkJj
内府違いの条々って決起の趣意書であるとともに
家康罷免したからこれからは我々が指示をだしますってお知らせでもあるわけでしょ
だとしたらこれをもって家康の政治判断の否定になるのだから
三成の復職はこれ以降ということになり署名がないこと自体は
形式的にはそこまでおかしくないのでは
0522人間七七四年
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2022/06/20(月) 09:21:38.89ID:jQlT88lP
>>517
三成「よっしゃ挙兵じゃワシも奉行復帰したぞ」
三奉行「え?いやあの人隠居だし文書出すならうちらの名前だよな」

ってだけだよな
西軍が一丸という幻想に過ぎない
0523人間七七四年
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2022/06/20(月) 10:03:02.84ID:8QIewC4Z
城中で政権周りの仕事を担当してた3奉行と
城外で挙兵進めてた三成って違いもあるだろね

元々奉行全員連署でないとダメという運用でもないし
政権の枠組みをイチイチ確認しながら進めた
って状況でもない訳で
そこに大きな意味を見出す意味は薄いのでは?
0524人間七七四年
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2022/06/20(月) 10:50:36.50ID:NqFHIvEb
三成がいつから西軍決起に参加していたかというと一次史料上は七月十五日以降で本格的に参加し出したのは八月一日から。つまり「石田三成が挙兵した」かというと全く違っていてむしろこいつ巻き込まれただけという。
0525人間七七四年
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2022/06/20(月) 11:18:03.94ID:u6lbwExW
>>524
史料に残ってないだけで、それより前から参加か
それに近いことはしてたんじゃないのかな
0526人間七七四年
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2022/06/20(月) 11:54:38.25ID:u6lbwExW
>>524
一次史料は重要だけど、これだけ隠蔽を必要にすることだから、
やはり1600年初頭には既に何らかの計画はしてたんじゃないかと思う
じゃないといきなり「俺も加えてや!」なんて言ってきて仲間にすると思う?
0527人間七七四年
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2022/06/20(月) 13:33:10.28ID:mV1izTLv
三成ら浅野以外の奉行と毛利は秀吉が死んだ直後からつるんでるしな
そこから関ヶ原まで没交渉だったとは考えにくい

秀吉の誤算はただの手足、道具に過ぎないと思ってた奉行が
浅野以外は自分の次代構想にガチで反発して独自に政治的暗躍を始めるような連中だったということか
成り上がりの独裁者にありがちな失敗だな
0528人間七七四年
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2022/06/20(月) 15:07:53.19ID:8f0/P9Nz
秀吉生前から対立はあっただろう
奉行と奉行に便宜を図ってもらってた毛利上杉などの外様衆と秀長秀次秀保や義弟になった家康などの豊臣一門衆とで

秀長が死んだ途端利休が粛清され、秀次が処分され、秀保が変死。一門が持ってた畿内とその周辺の要地は石田前田増田などの奉行衆のものになった
0529人間七七四年
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2022/06/20(月) 19:39:38.49ID:8QIewC4Z
>>524
それいうと西軍の成立自体が文書で確認できるのが
せいぜい7月12日の三奉行から輝元への入城要請でしょ
たった3日の差でしかも初の対家康行動である
17日の内府違い条々より早く参加が確認できる

それを「巻き込まれただけ」てのはどうなん?
普通に初期から関わってると十分言えるでしょ
0530人間七七四年
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2022/06/20(月) 20:07:02.43ID:lQMP5vKe
三成が最初から参加してたら上杉景勝とも連携してなきゃおかしいからな。三成は後から参加したからこそ有効な動きが全く出来なかった。
0531人間七七四年
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2022/06/20(月) 20:23:25.19ID:AvSyrtx4
結局一次資料のみで構成された歴史もまた穴だらけで歪なものになるという証明でしかない
当時の三成の立場で堂々とそんな文書のやり取りをするのか
普通に考えて周囲に露見しないよう密儀の上で事を進めただろうが
或いは西軍側の文書の多くが散逸してる事も勘案されるべき
0532人間七七四年
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2022/06/20(月) 20:35:31.88ID:jQlT88lP
>>530
三成は失脚後上杉とろくに連絡取ってないだけで
密儀に関わっていたかは関係なかろ

あとその「最初」っていつの誰の行動のこと?
西軍の最初の行動である17日の毛利大阪入城の
段階では既に確認できるわけだけど
0533人間七七四年
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2022/06/20(月) 21:39:07.06ID:ZxdfGN2k
>>522
三奉行「家康は石田三成と浅野長政を逼塞させた!秀吉の遺言違反と十人衆誓紙にも反してる!だから我々は立ち上がった!」
三奉行「あっ、三成をクビにしたのは家康さまだから奉行には復帰させないね」
って話になると三奉行とんでもないサイコ野郎になるじゃん。三成が西軍に参加した時点で奉行職に復帰したっていう白峰説はこうした話だろうし。単純に考えるなら三成が内府違いの条々作成時から発布時まで居なかったって話になるけどそれは三成が全く謀反に関わってないことになるし。
0534人間七七四年
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2022/06/20(月) 22:25:39.14ID:cOzOFir9
少なくとも奉行の一人の前田玄以は最初からやる気がなさそう
0535人間七七四年
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2022/06/21(火) 00:31:48.80ID:+5NXiDnc
3奉行は結構最初から二股狙ってた節があったり
乾坤一擲の勝負なのに入れ込んでなかったり
輝元呼び込んだり弾劾状巻いてる割に
不思議な動きしてるんよね

輝元が領土と政権での地位向上に
色気出してんのは間違いなくて
一方の首謀者なのは確か

でも輝元が望めば大阪入城可能かと言うと
そんな単純でもなくやる気の怪しい3奉行と
色気ありありな輝元がどう結びついたのかとなる
0536人間七七四年
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2022/06/21(火) 09:11:47.87ID:tIRHm0zS
西軍決起は景勝と連携したものじゃない(そうした史料がない)となると三成が首謀したとは言えない。徳川家康が出撃したからクーデター出来るのだから景勝に頑張ってもらう必要がある。後世の創作だと家康が戦争をしたくてしたくてたまらない奸臣として描かれているけど史料での家康は基本的に和睦重視の温厚な人物。西笑承兌の書状でも「上洛して内府と話せば全て解決する」ってあるくらいだからそうした見方が一般的だったんだろう。景勝が降りたらどうするつもりだったのか。景勝に「必ず助けるから戦争してくれ」とも言わないってのは景勝と三成の友情を信じ過ぎてる気がする。
0537人間七七四年
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2022/06/21(火) 10:51:08.29ID:9SsK8Mxw
いや家康は軍事的な権限を握りたくて仕方なかっただろうよ
それを明確に掌握出来たのが加賀征伐であり上杉征伐
家康が諸大名征伐の動きを見せてるのには政権の軍事力を自分の手中に収めるという歴とした目的がある
0538人間七七四年
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2022/06/21(火) 12:48:13.92ID:cZuqq2ms
しかもその後の論功行賞では豊臣の物を従軍した大名にばらまいて恩を売れるという一石二鳥のボーナスタイムだからな
0539人間七七四年
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2022/06/21(火) 12:59:07.96ID:PF49MORo
俺が1ヶ月前に初めて話題振った時はもう2ヶ月近く誰もレスしてなかったのに
人の居るスレにはどこから湧いてきたんだ?ってくらい書き込みが集中するよな
スレタイの趣旨に合うなら問題ないけど家康マンセーしたいだけの人はあまたある家康スレでやればいいのに

関ヶ原を起こしたのは三成、家康は何も悪くない
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sengoku/1651981216/
とか
0541人間七七四年
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2022/06/21(火) 13:28:16.02ID:rNlh7Ub5
よく言われてるけど加賀征伐は別に家康が「勝った」訳じゃない。家康と利長が話し合って解決させたものでとても平和的に解決してる。
0542人間七七四年
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2022/06/21(火) 13:43:28.85ID:vvb+Qxdy
>>536
西軍の首謀者は宇喜田秀家
0543人間七七四年
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2022/06/21(火) 14:18:16.42ID:xA/aonHe
加賀征伐での家康は硬軟使い分けての高等な交渉術を展開してる。結果前田利長は家康と「和解」した訳で降伏した訳でも屈服した訳でもない。利長は特段野心的行動をしてないから腹を割って話し合えば良いだけだった。
問題は上杉景勝でこっちはモロに野心的行動に出てる。旧領への調略、城砦の整備、軍事品の備蓄と弩ブラックだった。言い訳出来ない。それで戦争するしかなかった。この流れには石田三成が関わってる描写が全く無いので三成にとっても青天の霹靂だったのかもしれない(加賀征伐の際三成は家康に利長の行動を報告、対利長の押さえとして命令を受けてる)
0544人間七七四年
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2022/06/21(火) 14:50:11.25ID:yBF3GS6h
人質送ってんだから降伏だろ、なに和解とか言ってんだ。
0545人間七七四年
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2022/06/21(火) 16:17:47.39ID:rNlh7Ub5
前田利長が人質を送ったのは加賀征伐と関係ない定期
0546人間七七四年
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2022/06/21(火) 17:52:00.74ID:93mG+9Iv
そもそも加賀征伐は計画自体なかった説は大西泰正が提唱してるな
家康との政治的対立を解消し、関係修復のための人質だと指摘してる
0547人間七七四年
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2022/06/21(火) 18:23:03.59ID:BU/RzX/B
そもそも芳春院はどこに居たのか?っていうと前田家の記録では上方に居たことになってる。利長が帰国する時には大坂に居たらしい(象賢紀略)
その後家康暗殺事件が露見、利長に謀叛の疑いときて加賀征伐が取り沙汰されるけど家康も利長も表向き「やるぞ、やるぞ」としながら裏では交渉を重ねていた。その結果慶長五年の一月あたりに「沙汰止み」になった(慶長日記)これに対して利長が代償としたのは中納言辞任しか見当たらない。つまり利長は官職を返上する事で野心の無いことを証して家康はそれを受け入れて征伐を中止した、と言う事になる。
0548人間七七四年
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2022/06/21(火) 18:28:18.68ID:BU/RzX/B
で「芳春院が家康への人質」ってのはどっから来てるかと言うと芳春院は慶長五年の五月に江戸に向かっている。同年二月までに加賀征伐は立ち消えしてるからこれは加賀征伐中止の人質じゃない。これは翌月に控えてる上杉征伐に対する人質。実は利長と景勝は親交があったらしく徳川に属する事を証する必要があった(これによって芳春院は西軍の魔の手から脱した)
つまり「芳春院は加賀征伐での人質」って話は小説家がこの一連の歴史から時系列を塗り潰して前と後をくっ付けて作ったもんらしい。
0549人間七七四年
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2022/06/21(火) 19:15:17.21ID:HIrGzyVj
結局利長謀反の嫌疑に起因する出来事にしか見えないが、芳春院が上杉征伐の人質って言える根拠は何かそれより明確なものがあってのことなの?
0550人間七七四年
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2022/06/21(火) 19:35:15.44ID:BU/RzX/B
二月までに「沙汰止み」になってるのに五月になって人質だって言うのは無理があるからね。例えば石田三成は沙汰が出る直前にに嫡男重家を家康に人質として出してる(閏三月九日付福島正則・蜂須賀家政・浅野長政宛徳川家康書状)
利長がこの件で家康に起請文や誓紙を出したって話も無いので加賀征伐はトップ会談のみで回避されたことになる。
0551人間七七四年
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2022/06/21(火) 19:48:13.66ID:wNtwVcoN
だから何だとしか言いようのない流れで草
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