【備中・美作】備中の戦国武将【連郭式山城論外】
宇喜多親子嫌い○
伊賀久隆カッケー ○
庄為資最高!◎
清水宗治 ←真の武士の鑑 切腹死なら武士は当たり前では?○
遠藤兄弟の短筒での日本初ヒットマン
普通に凄い◎
塩飽水軍 グレートタカハラ ◎
ミムラじゃー!○
浦上氏 ← 天主堂ですか△
穂井田元清 ← 過小評価ですが △
上野隆徳さま 正に漢の中の漢 ◎
…など 備後福山改易により、水野藩を辞去し、下総結城にはついていかなかった三村 森忠政(蘭丸の弟)津山藩祖 B’zの稲葉の祖先も美濃の稲葉氏かなんかの末裔なのだろうか?
鶴山城なんかが天守閣が焼けてないのに日本三大平城に入ってるのも違和感ありまくり。
小堀遠州の城下町の備中松山のほうが比高高から見下ろした景観が群抜良いのだが、そこ辺りの高梁川で山中鹿之助も捕縛された地らしい。
上野氏(上野頼久)菩提寺の頼久寺もアーティスト小堀遠州が庭園手がけてるから。
藩祖 水谷氏↓
水谷勝隆(みずのや かつたか)は、江戸時代前期の大名。常陸下館藩2代藩主。備中成羽藩主。備中松山藩初代藩主。官位は従五位下・伊勢守。 >>2
井原市は備後国では
今連載中の漫画・新九郎奔るでは京生まれの設定だが >>7
すぐ隣が福山神辺城あるからそう思われるらしいが、訛りのか語尾が途端に変わるらしい依って一様備中じゃないか
明治時代にあった幻の小田県ってあったらしいから現在の笠岡市に県庁があったらしいし 備中兵乱
天正二年(一五七四年)、毛利氏と連携しその傘下にあった備中国の三村元親が、毛利氏に背く動きをみせた。これに対し毛利輝元は、小早川隆景を派遣し、備前国の宇喜多直家らとともにこれを攻めた。戦いに敗れ追い詰められた元親は、翌天正三年自害した。一族の中で元親に従わなかった一部の者は掃討を免れたが、戦国大名としてしての三村氏は滅亡した。
毛利軍は笠岡(かさおか)(現岡山県笠岡市)に着陣し、猿掛(さるかけ)城(現倉敷市真備町(まびちょう)及び小田郡矢掛町(やかげちょう))・斉田(さいだ)城(現北房町(ほくぼうちょう))・国吉(くによし)城(現高梁市川上町(かわかみちょう)七地(ななち))・鶴首(かくしゅ)城(現高梁市成羽町(なりわちょう) 下原(しもはら))、杠(ゆずりは)城(現新見(にいみ)市上市(かみいち))、荒平山(あらひらやま)城(現総社市(そうじゃし)秦(はだ))など、三村氏方の城を次々に陥落させていった 鬼の城とか太平記時代の城跡とかなしだな。最早足利直義の20万軍とか中国の禁軍並みだし兵站とかかなりかかるよな。
応仁の乱後でもせいぜい冠木門で見張り台櫓あるぐらいの支城レベルだし ここら地域の武器装備は上方勢と差があったのだろうか?
土佐の長宗我部はだいぶ遅れていたというし阿波の三好は
竹の柄の槍を使っていて京都人に珍しがられた 備前備中備後の三国は昔から刀の産地だったみたいだから備前ほどではないだろうがそこそこ装備は良かったのでは? ウイッキペディアの集約に正しいかわからないが、
「種子島以外では和泉国の堺・紀伊国の根来・近江国の国友及び日野などが代表的な産地であったが、他にも刀剣や農具の生産で知られていた備前国の長船や城下町である鹿児島・仙台も知られた。ただし、多くの鉄砲鍛冶は刀剣や農具、錠前などの生産などを兼ねている事が多かった。」 尼子の落ち武者と毛利の追っ手の落ち武者狩りの描写は、横溝正史ミステリー原作の
映画『八つ墓村』で架空の尼子なんたらが阿哲まで黄金を持って逃げ落ちたが、
名優の夏八木勲さんと田中邦衛さんの毒殺シーンの死にっぷりや殺人鬼の多治見要蔵役の山崎努さん←祖先の鎧兜を被るまたは蝋燭か懐中電灯を頭につけて
鬼の形相で猟銃撃ちまくり日本刀を振りまわし
尼子一族の怨霊の怨み怖しや ← 毛利側の謀殺陰湿汚い
毛利元就の最初「多治比殿」から多治見に置き換えら
れている
石見銀山持ちにたたら製鉄技術もある >>15
石見銀山の利権争いで、石見山吹城城代の猛将本城常光もいとも簡単に暗殺されてるし直家と同様悪党だろ。
道三と久秀が極悪非道人扱いは、ちょっといただけないよな。この両人は信長公記が八反安未果だろうけどさー ↓おおまかに要衝だったとこ↓
天神山城・石山城・沼城・乙子城・三星城・高田城・下津井港・備中高松城・鶴首城・備中松山城・猿掛城・経山城
↓
https://www.google.com/maps/d/viewer?hl=ja&mid=1cT2bd7ug2RUuJvUhnHrhiECYWME&ll=34.600598032671044%2C134.08563248266563&z=10 三村元範は薙刀の達者で知られている。彼は大薙刀をふるい、宍戸の郎党二人を一瞬に斬りすてた。
さらに二人を打ち倒す。
鏡のような刃をきらめかせ、足を踏み替え薙刀を左右にふるっていた元範は、喉仏に矢を受け、うつ伏せに倒れた。
宍戸の家来東郷平内が、駆け寄って元範の首級をとった。 >>19
田舎へ泊まろうみたいに、アポなしで宿坊みたいに泊まらしてくれないかなー‥‥
尚且つ囲炉裏があり精進料理も食べれて 備中の東側の立派な城何山城って書いてあるの?
清水宗治みたいな名将が真っ先に小早川隆景
コウベ垂れたって頷けるような気がしてきた >>23
>>18のやつのことを言ってるなら松山だよ
松の異体字に「枩」(木のしたに公)ってやつがあるんよ >>24
紛らわしかったのが倉敷が浅瀬の海だったと云う事、いつ埋め立てられたのか知らないが、岡山城か備中高松城かと考えて思ってたわぁー
江戸時代の改革で人工の汽水の児島湖からの灌漑(例えば二級河川の倉敷川や笹がP川)からの用水路などや治水工事で備前池田藩の石高をあげた
尾張からの士豪の姓(関ヶ原の戦いで東軍についた側)が、浅野氏、阿部氏(徳川系?)、池田氏、伊東氏(宮崎県から)、稲葉氏(美濃からの子孫ビーズの稲葉とか)、加藤氏、木下(杉原)氏、森氏、福島氏、… 他にも在りそうだが 1575年〜1600年の間まで 毛利輝元(もうりてるもと) 三村氏を滅ぼし毛利輝元が城主となる。
穂井田元清がもしくは城代の宍戸隆家が猿掛城へ
小早川隆景三原城を本拠地にし水軍の総司令官?
村上武吉を軍監にして? 清水宗治の子孫は長州藩で代々重用されて幕末に至り
高杉晋作挙兵のシンパとしてまたもや当主は切腹か
因果を感じる >>27
松陰先生が親玉だろ
西郷隆盛とかもそうらしいけど清廉潔白な英雄の理想像の形が陽明学の影響が強いんだよ 備中細川家がどれぐらいの影響力を維持出来てたのかが気になる
毛利の客将として細川通薫とか浅口郡支配してたりはしたけど
毛利家の後ろ盾ありきみたいなもんだろうしなあ 松田氏の有力な家臣穝所職経は
実際にはどうやら毛利側に暗殺されたらしいね
新免氏って、みやもっちゃんの父剣豪の無二? 竹内久盛はどこだ 柔術で脇差し使ったから、剣豪の内に
竹内家も入るらしい
備中は、多分三村と庄(元資)だから三村家親から
最大版図を広げたことになる
https://i.imgur.com/JCIzXco.jpg 尼子経久の時代かもしれない
けど、鉢屋衆なんかこれトロイの木馬を立案したオデュッセウスの芸能番トロイの木馬作戦だろ!!
中国の覇者、毛利元就には、座頭衆と世鬼一族という二種類の忍者がいたので、お家芸の暗躍が放たれてたかもね〜。
((情報収集や離間工作に力を発揮した、座頭衆と世鬼一族は共同して毛利氏に協力し尼子氏で強力な武装集団を
組織していた尼子国久の新宮党と当主尼子晴久を仲違いさせた,,など)) 北条早雲が駿河に行ってしまった後も伊勢一族は荏原荘を治めて
毛利傘下に入りながらかなり後の時代まで居たんだな
関ヶ原後毛利が防長二国に減封された時に一緒に去ったらしいが 伊勢、伊勢、って ・・・『なごり雪』の作詞・作曲者で、かぐや姫からの楽曲で、提供したイルカさんの方が歌うとやっぱり名曲ってか味があって良い。
『なごり雪』(なごりゆき)は、2002年9月28日に公開されたRIP大林宣彦監督の映画… CMで流れてるのは見たけど >>31
世界九偉人の内からトロイア人(今のトルコのあたり)アキレウスに親友の弔い合戦で
殺された英雄ヘクトールとマケドニアの
アレキサンダー大王(パジリスク退治や『世界征服者』)の二人が選ばれてるね 重臣・国人領主レベル 半宇喜多派
三村親成、中島元行、楢崎元兼、植木秀長、石川久武、上田実親、清水宗治、庄高質、三村元載…
某ゲーム尻ーズへもっと増やせ ↓ https://takatoshi24.blogspot.com/2011/12/blog-post_24.html?m=1 調べていく内に、毛利元就から→宇喜多直家 ずば抜けて運と権謀術才と戦才があるんじゃないかなと 毛利・小早川にしても宇喜多にしても頭脳が良いという結果かもしれないな。
黒田官兵衛 : 小早川隆景の死に対して『この国から誠の賢人を失ってしまった〜。』 三星城攻めで忍びの者を使って放火してと記録あるから、風魔一族でないほど直家は、浦上一派潰し時に攪乱工作も使ってたのかもね >>38
安西軍策での隆景はそこまで賢くない
宇喜多との同盟で三村らが離反して討伐したものの宇喜多も離反してるし、結局両方失ってるやんけっていうね https://www.youtube.com/watch?v=5DHKlSMmkrk
私はなぜこれほどまでに小早川隆景が嫌いなのか!?ダイジェストでお届け
倉山満 【チャンネルくらら】 >>40
小早川隆景・蒲生氏郷・直江兼続→宰相タイプ
毛利元就・尼子経久・浦上宗景・宇喜多直家→梟雄タイプ
吉川元春・戸次鑑連・ 宇喜多忠家・柴田勝家→軍団長タイプ
キリがないから大まかに! 毛利や宇喜多に関するスレは他にいくらでもあるだろ
そこで好きなだけ話してこい
備中や美作の在地勢力の話が聞きたい 三村より庄為がもう少し遅く生まれてたら状況は変わってたかもしれない。 備中で地味に面白いのは多治部氏だろう
鎌倉時代から備中で活動の記録があり、
その後何世紀にも亘って荘園横領を繰り返して史料に名を残し、
戦国時代には山名や尼子など周囲の大勢力に両属して掻き回し、
備中兵乱では毛利方となって上手く生き残った >>45
多治部氏→フィクション多治見氏 横溝正史も洞窟, 日本の昔話と伝説 : 民間伝承,研究辺りを、多少はしているな
あながち大判とか、洞窟に隠した伝説は残ってたりするだろうね
「坑内採掘」で銅が採れる吹屋銅山は、大同2年(807年)に発見されたと伝えられ、古書に備中の産物に関する記載があるが、吹屋の銅山としての記録は、戦国時代尼子氏(あまこし)と毛利氏の争奪戦以来、江戸時代初期一時、成羽藩の支配下にあったが、大部分の間は、天領(てんりょう)幕府直轄地で代官の支配下で稼いでいた…ry 毛利の水軍力と行軍力と海運経済力を
逆に大友と尼子と本願寺講和後の織田と新興の長曾我部に毛利包囲網を形成されてたのでは。 境目七城の南端、松島城跡に今建っているのが川崎医大か
なんかイヤなものがあるな >>49
某ゲーム側も、吉備の中海とか調べるべきなんだよ
地名に島ががついてるのは全部そう
常山城やハチ浜城なんか児島にあったのは驚き
宇喜多堤というのがあるらしいが埋め立てを宇喜多直家が干拓しだした
本格的にはないにしろ
今頃謀聖とか持ち上げても、大河ドラマに宇喜多親子なん
て永遠にないだろうね
まずは岡山駅の桃太郎の像破壊からしないと
金太郎は、源頼光四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武、藤原保昌)など、剛腕の家臣がいたとされ、大江山の酒呑童子退治(大江山鬼退治) 坂田金時という実在モデルがわりかしはっきりしてるし、
吉備津彦命には日本書紀記述で、元々半神半人みたいだからね。命が祀られている吉備津彦神社あたりはとてもいいパワスポだし罪はないのだかね https://i.imgur.com/vqUlukN.jpg
最近ゲームは全く知らなかったけどこのマップはないわな
戦国時代に水島コンビナートらしきものが
長いシリーズなのに考証が未だこのレベルとは不思議だ
別に難しい話じゃないのに
https://img.dailyportalz.jp/2215/6447/3030/001.jpg なにやら清水家は、長州で伊藤博文の次男が継いだらしいな >>52
正確には博文の養子の次男だよ
その前に熊谷氏から養子迎えてその時点で血縁は途絶えてるっぽいけどね 七頭・・・管領家とともに幕政に参加した七家の有力諸侯
山名氏 侍所所司 但馬・備後・安芸の守護
一色氏 侍所所司 丹後・伊勢・三河の守護
赤松氏 侍所所司 播磨・備前・美作の守護
京極氏 侍所所司 出雲・隠岐・飛騨の守護
土岐氏 侍所所司 美濃の守護 西池田家
※伊勢氏 ※政所執事
上杉氏 関東管領
室町最後の政所 山城の幕臣・伊勢貞興は幼少の為、実際は京都所司代の村井貞勝や元幕臣の明智光秀や細川藤孝や朝山日乗らの
足利幕府を倒した織田臣達に都の政府機関等の実権を掌握牛耳り統治され続けた政所執事の貞興の(有職故実の名門家柄)は当時傀儡であった。
毛利地へ義昭と備後鞆の浦へ落ち延びたが、明智光秀の推薦で、明智軍へ参戦復帰あの斎藤利三と比べられるぐらいの家中でも両翼とも飛車角とも云われるほどの武将の指揮官クラスまでに成長し、本能寺の変で後継者の織田信忠などを討った。 美作三浦氏なんかも三浦義同が本家なら
分家らしいね
被官の牧氏一族なんかも武蔵党で神奈川県出身みたい 末裔
吉川広家 → 吉川晃司
小早川隆景 OR 正平 → 小早川令子
小早川令子嬢なら側室入り間違いなしだな。
もしくはくノ一肉便器閨房術作戦要員として 遠藤兄弟又次郎、弥八郎、の大名暗殺が、起点となり潮目を変えた
褒美が千石だけってのもな。
それがきっかけで名善寺合戦で決戦に持ち込んでいるし >>51
(創造PK・戦国群雄伝)共両糞ゲーだったw
個性が無くなった。
まず戦国群雄伝でも自動セーブ機能が全く機能してない。
登録武将も反映しない。
(例:田北紹鉄っぽいのを)
家宝が忠誠あげるだけ
滅びる家がだいたい相変わらず変わらない。(里見とか有馬とか有りえないシャレにならない萎える)
編集が複雑。
AIが未開などなど
_________
本願寺・雑賀は?
鼠色部分
河野、宇都宮、一条、十河、伊東、相良、阿蘇、有馬、松浦、秋月、三村、浦上、南条、赤松、別所、山名、筒井、姉小路、畠山、太田、里見、結城、宇都宮、佐野、那須、相馬、田村、大崎、葛西 、安東、蠣崎
全く戦国大名として健在なのに同盟外交策とか臣従・名門家名で保守とかで潰れてないのにね。
徳川家も駿河とってやっと東海一の弓取りだから、この頃も清洲同盟という名の臣従同盟、武田、北条、上杉、が強国だからしゃあないしだから天下取れたとも頷ける。
https://i.imgur.com/ndAmDZX.png 一色は?波多野も健在だろ つか稲富欲しいだろ 利で浪人や裏切りになりやすいからいつの間にか疎遠地の他家に流浪してる Bye さよなら夏のイセ♪
御由緒連れて おほえ書き♪ その中にマツダもいれてやれ
筆頭家老まで上り詰め、篭城は正論で間違ってはいない。
「ワシら鶴岡八幡宮で参って、江の島を眺めながらサザンを聴いて最後は逃亡するしか道はない!」 西側の人間は、東海道新幹線から眺める富士山と東の玄関口の小田原城を見れたら素通りでも満足。名古屋駅から新横浜駅まで止まらんだろ 上田実親
滝口康彦の歴史小説鬼哭の城の主人公
水内庄 フィクション水神村伝説殺人事件
(横溝正史短編ミステリー小説 aka:車井戸はなぜ軋る) コロナワクチン接種者増えてからウォーキングする歩行者減ったな
イミフオリンピックも終わったし >>21
倉敷付近はほぼ海で、その先はさらに湾曲して児島湖(児島湾)と繋がっていたくらい多島群でした
江戸以降干拓が進んで大半が陸地に 端末によってmateでのアップロードがやりにくいので勘弁🙏
花房 ← 千葉真一 クリソツ(笑)
織田信清織田信勝(勝家どんとハヤシいる)滅ぼした後の織田の滝川スタートから、桶狭間発生も松平元康独立なし三好長慶の二条御所の人口7万越えで、大爆笑したのだが天才だが長慶も寿命が短かったのが
https://i.imgur.com/K77Egsg.jpg
https://i.imgur.com/eF9jCXe.jpg ☆川副久盛★
https://blog.goo.ne.jp/takenet5177/e/5608ebf351cce2a8e4a45b536e31182f
>天文13年(1544)尼子晴久は美作に勢力を広げ、倉敷城には尼子家臣川副久盛と東作の江見久蔵を置き、三星城主の後藤氏と共に東作地域を守らした。 >>66
美星町(星田荘)の焼き肉のタレや金山の焼き肉のタレも売ってた。
国180号沿いの美袋のスーパーショウワとかにも入ってそうだが(西日本集中豪雨以前前) 江戸時代になって総社市を領した蒔田広定は秀吉の小姓上がりで
全国にばらまかれた尾張出身武将の一人か
西軍参加も関ヶ原戦場には居なかったのが幸いしたか許されると
特に特色も無い人物だな 利休を介錯したともされる蒔田淡路守は別系統なんかね どんなきっかけで伯備線に乗車したのか
忘れたけど
井山宝福寺の臨済宗庭園抜けて豪渓駅の手前で川沿いにでてくるコースは芸術
臨済宗とか曹洞宗の禅寺は侘び寂び
あってイイね。
高梁の松蓮寺も味あって好きだけど! 経山城とか鬼の城とか密集地帯の標高がムダに高くなっていく。
砂川公園?泉団地?あたりから舗装されてはいるが直角壁で暗く入り口からして軽トラでもぎりぎり違うかこれ以上無理的で無気味な表山道から犬墓山(443mと割と標高高い)流石ネーミングが怖い山なだけはあった。迂闊に近寄るなオーラが在ってバリケードもなかった。 京都五山と大徳寺(林下または山林派・北区)
後醍醐天皇も当寺を保護し、建武元年(1334年)には大徳寺を京都五山のさらに上位に位置づけるとする綸旨を発している。
後醍醐天皇と関係の深かった大徳寺は足利将軍家から軽んじられ、五山から除かれてしまった。
相国寺・天龍寺(ユネスコ世界遺産) 開山・夢窓疎石・(画僧の雪舟の水墨画の師匠周文や雪舟は相国寺の出身である)
…五山筆頭南禅寺出身 黒衣の宰相 以心崇伝など
大徳寺は、貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受けて栄え、室町時代以降は一休宗純をはじめとする名僧を輩出した。侘び茶を創始した村田珠光などの東山文化を担う者たちが一休に参禅して以来、大徳寺は茶の湯の世界とも縁が深く、武野紹鴎・千利休・小堀遠州をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係をもっている。 平成後期にいつのまにやらとうに潰れてたホテル赤浜(昭和遺産ではあったw 総社インター南側の離れた)あたりで生まれた
https://go.shr.lc/3e1tc71 >>74
電動工具メーカーのマキタと関係ある?
元祖充電式インパクトドライバーを売りだしたのか殿様商売なんですが、牧田なら違うだろうけどね 蒔田といえば世田谷に居館を構えた奥州吉良氏を真っ先に思い浮かべる 総社宮あたりに東西旧道があり門前町の名残りみたいなのは多少は残っているな
国分寺は真言宗らしく古墳群に囲まれた田園風景の中寺町ってカンジ 備中賀陽郡出身開祖明菴栄西が開山した建仁寺
安国寺恵瓊もこの寺に関わり再興にも力を尽くした
※禅寺は地蔵とか仏像や墓地とか基本ないんだな。
https://tabicoffret.com/article/79277/index.html 上野氏
家紋 丸に二引両
(清和源氏足利氏流)
ーー上野信孝ーー
主君 足利義稙 - 足利義輝
その節、備中の国は雲州の塩治尼子の旗下も有り、四国の細川・三好の幕下も有り、播州の赤松旗下も有る故に国乱す。御近侍二階堂政行・上野民部大輔・伊勢左京亮備中へ差し越され、国侍を御身方に引き入れ候様にとの上意にて、上野民部大輔は下道郡下原郷鬼邑山に在城、伊勢左京亮貞信は小田郡江原村高越山に在城、二階堂政行は浅口郡片島に在城、近郷の地頭を冠職として在城、国中に制礼を立て貧民に財を扶助し貧者を愛し孤独を禁ず。これ故に国民親付する事父母の如し』とみえ、信孝は鬼邑山に在城していた。 京都の片隅で〜♪
修行をして〜♪
達磨大師の魂宿し〜♪ 【訃報】俳優・千葉真一さん死去 82歳 [201615239]
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1629377316/
コロナで入院してたんだ 柳生十兵衛 逝ったか マジ R.I.P... https://i.imgur.com/KqNIEBs.jpg
足利家の幾内に与える知行地の余地がなかったからじゃない? 管領と四職に下克上され続けたから、国人地頭の荘氏の方が領国経営とか一揆鎮圧が地元支配が根強かったのでは・・・ 芸能人の興行もそうだがコロナの為に、県下最大規模夏祭りの成羽の花火大会や備中松山踊りも、平成後期をさかいあたりから出来なくなってしまった😩 『戦国自衛隊』の妙蓮寺のシーンで、ヒグラシの鳴き声まで聞けて残暑を感じとれたのが
唯一の救いだった。
効果音と神サントラもいいタイミングで流れ入ってくる。 小早川隆景が宇喜多忠家 ウッキー側得意の陣構えの釣り野伏せで「辛川崩れ」の大敗 備中松山城だけでないぞ!
ワンダーランドにドクターメイズ…
潰れた最早幻になったドライブイン"オアシス"の
トイレの紅いお札(^^;) >>100
どこの城か知らんけど、こんな山城に3階建ての建物がいくつもある訳がない 船穂町にあった梁場山城の城主は横溝氏らしいが
作家の横溝正史と関係があるのかな >>101
安土桃山時凸ニュウの毛利輝元城主の吉田郡山城再現じゃない3階櫓は本丸の姫路城からの引用だねw
>>1 やけどスレdat落ちしてないのがそれよりまずびっくりしたわ REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担