一益が毛利攻めを秀吉が北条攻めをしていたら?
滝川一益に中国大返しができたか?
秀吉に関東大返しができたか? >>77 いや、だから、大幹部扱いが「おかしい」って意味 大幹部扱いの作品なんてないだろ
基本美男子の小姓で一貫してる
具体的に大幹部扱いしてる作品の名前を挙げて欲しいもんだ 派手と言えばナムサポの松永久秀も一応、信長の家臣だったんだろ。
最期の爆死は派手過ぎるが、光秀の謀反より有名ではない。
信長を3回も裏切ってるのにちゃっかり赦されてるし・・・ 一益は信長・秀吉・家康・信玄・謙信の大河ドラマ作っても省略可能なキャラなのが痛い
「桶狭間?なにそれ?」だし、
伊勢攻略よりは美濃攻略のほうが盛り上がるし、
上洛、姉川の戦い、一乗谷城の戦い、小谷城の戦いは応援かお留守番だし、
戦った「武田」は信玄じゃなくて勝家だし、
本能寺の変にも清洲会議にも登場しないし、
賤ケ岳の戦いでは主敵じゃないし、
小牧・長久手の戦いではいいところないし、
「じゃあ、大河ドラマにこいつ登場させる必要なくね?」ってなっちゃう
武功では最も地味な丹羽長秀のほうが、「羽柴の由来」や山崎の戦いや清洲会議で
秀吉と絡むから、ドラマに登場させる必然性がある 段田安則がやった時は清州会議に出席したんだったか
他の家臣たちよりぐっと老け込んでて関東から帰って来るの大変だったんだなと言う空気出してた 滝川一益の肖像画、座って扇子を相手に向けて強く何か言っているのがあるけど、クレームを言ってるのか、怒っているのか、叱っているのか・・・。
あまり、かっこよくはない。
一益のイメージ的に、いかがなものか?
軍師官兵衛で一益役を川野太郎がやってたけど・・・。 要所の近江〜美濃は一門や近習で抑えるって話はあったみたいだね >>87
近習たちが信長に讒言することを恐れて家老衆は近習へひんぱんに贈り物を送っており、
秀吉の場合は贈り物を持つ運搬人が行列を作るほどだったって逸話が何かの史料にあったはず >>87,>>89
男同士でも、肉体関係があるとそうなるのか? 肉体関係は関係ない
最高権力者のすぐ近くにいる者が、本来の幹部以上に権力をふるうようになることは珍しくない
江戸幕府の側用人や中国の歴代王朝の宦官が典型的な例
現代の企業でも社長や会長の取り巻きが専務・常務などの役員を凌ぐこともある
信長のように猜疑心の強い君主のもとで、地方にあって軍権を持つ秀吉や光秀たち軍団長は
近習たちが信長に自分のことをどう告げるかという不安を常に抱えていただろう
なにせ自分たちが活躍して日本をを平定してしまえば、信長の周辺にいる若手は出世の道が
なくなってしまう立場だ >>91
>>中国の歴代王朝の宦官が典型的な例
取るのは、王の妻や愛人や娘に手を出さない、出せないのアピールにもなるが、女ぽくなるので王や偉い人と肉体関係を持ってそれなりの地位を得るためでもあるのだろう。
仕事ができないといけないが、仕事できるやつが山ほどいれば埋もれてしまうからだろう。
それか、経理・秘書等の内勤の仕事は宦官じゃないとなれなかったケースも多かったなのだろうか?
宦官を秘書にするということは、
現代風にいえば、美人ニュハーフを秘書にということか。 違う
子孫を作れないから外戚を形成することがなく君主個人に忠誠をちかうだろうという理由 確かに昔の医療技術では、男の急所を取ってしまう際は、
かなりの苦しみがともなうし、死んでしまうかもしれない。
だから本人にもその気があったんだろうと思ってしまいがちだが、
しかし、戦で稼ごうと思えば、死んでしまうかもしれないし、戦で受けた傷が元で何年も苦しんだあげくに死んでしまうかもしれないし、重い後遺症が残ったり、身体障害者になってしまうかもしれない。
切実な問題なんだよ。 小姓の採用ってどうやってやるんだろう?
軍団長たちが身の安全や主君との結びつきを強化するために、「上様に鍛えていただきたいので、ウチの子をよろしく」と
自分の子どや親族を小姓として送り込むってことはできないの? 普通は家臣の子でしょ
蘭丸兄弟とか
人質でも重用されたのが蒲生氏郷
顔採用説があるのが堀秀政 実際信長の馬廻出身で大名格に出世した
前田金森あたりは子を小姓にしてる
所謂軍団長の子らから小姓になった例はないけど
それに準じるクラスの森可成の息子らの例がある
また小姓ではないが佐久間信盛の息子は追放後
許されて信忠の馬廻になってる
重臣親子にその気があったら
あり得るコースなんじゃね? 軍団長は子が少ない人が多いような
柴田は実子がいないし明智の嫡男は幼少
羽柴は信長の4男が養子だし丹羽の嫡男は信長の娘婿
嫡男は小姓に出さないだろうし適当な人材がいなかったというのもあるのかも ただ信長の側仕えだったとされる前田利長や
小姓として本能寺で死んだとされる金森義入は
それぞれ嫡男なんよね
2人とも次男以下で信長に仕えて兄を差し置いて
家督を継いだり実家以上の出世をしてるから
自身の嫡男も手元に置くより信長に仕えさせるのが
家運を開くと了解してたんだろうね
丹羽長重も利長と同じく信長の娘貰ってるし
そのパターンと思い込んでたけど
今調べたら確認できず勘違いか
滝川は立場的には信長に近そうだし
子息も適齢ぽいしそれなり優秀そうだか
側仕えの経験はなさげ
明智の息子もだがその辺はやはり
元々の小姓出身とは感覚違うんだろう 一益は一忠、一時、辰政、知ト斎と4人も子供がいるのだから、辰政ぐらいを小姓として信長か信忠に出しておけばよかったのに 戦国一の世渡り上手細川さんも忠興を小姓に出してるね
やっぱりいつも側にいたらかわいいし優秀な子なら目に留まりやすいよね 一益なら鳥取とか備中若松をどう攻略してくれたんだろう
あと水軍で因縁あるよね 結果的に適材適所だったのかもな
脳筋の東は権六や一益に 謀略大好きの西は猿に あくまでイメージだが 信忠の武田征伐の参謀にさせられて散々補佐して勝頼本隊にトドメ刺す武功
滝川「茶器が欲し…」
信長「よくやった一益、上杉と北条に挟まれた上野国を与える」
本能寺後も秀吉だったら、を考えるとそんな状況でも上手く立ち回ったのかな どちらかと言うと一益のポジションは
北条と反北条をうまくまとめてく
脳筋では務まらない立場 スレタイからして間違ってやしないか。
史実でも瀧川は「北條攻め」なんかやってない。
当時既に北條は織田の同盟国。
上杉(長尾)が敗北、且つ武田が消滅した後の関東で
北條と反北條(佐竹等)の抗争を抑えて惣無事を図るのが瀧川の仕事。
実際、本能寺以前には瀧川は関東で戦などやってない。
神流川合戦は呆然としてる瀧川を北條が叩き出したんであって
瀧川から喧嘩を売ったわけじゃない。
その上で、
仮に羽柴が関東管領、瀧川が毛利と戦っていたら…
羽柴は舌先三寸で北條を丸め込んで援軍まで借りて大返し、
瀬田辺りで明智を撃滅、
ってなことにはなったかもしれない。
ノロマな瀧川はいつまでも毛利とグダグダ揉み合いをしてただろう。
否、それ以前に、
瀧川は織田に援助など求めない、
羽柴には元よりその必要が無い、
よって明智が武装上洛する口実も無いから本能寺の変は起こらない、
ってのが一番可能性が高い。 関東管領って東日本に於いて事実上ナンバー2の補佐役だったということは
信長は誰を東日本のナンバー1の鎌倉府長官に据えるつもりだったんだろう >>111
皇族のガキじゃねえかな。
北條も佐竹も文句は云えねえだろう。 織田政権が関東府置く予定だったかはわからんけどね
豊臣政権も徳川家が実質その役割を果たした
とは言うけど公式には設置してない訳で
公式の役職や統治機構を名乗らせずに
関東諸侯の取次や調停をするって事なら
実質的に滝川がそうだった 短期的には信忠がその任を負うのが自然。
関東管領に滝川、羽州探題に柴田、奥州探題に伊達を指名し
関東と東北の仕置きを行う可能性が高い。 >>114
織田信長が本能寺前の段階で伊達を取り立てるとも思えねえけどなあ…。
実際、関東は既に内属してた北條を措いて敢えて瀧川だったんだから。
北條を使ってたら佐竹他が黙っちゃいねえと読んだんだろう。
奥州に於ける伊達は関東に於ける北條みたいな実質地域覇権確立ってところまでは行ってなかったし
それでなくても周囲に敵が多過ぎて治まるもんも治まるまいよ。
やっぱり一門か直臣を持って行くんじゃねえか。 実質的な関東の支配を任せたとされる滝川も
役職として明示してない
室町幕府の統治機構は踏襲しないだろうね 輝宗時代の奥州は伊達家を中心にある程度まとまってたから
伊達を中心に統治した方が効率的でしょ。畿内から誰かを派遣するにしても
遠い僻地だし、石高も低い割りに面積は広く西国とは違う困難が付きまとう 上にあったが、秀吉が北条を担当していたら、滝川と同じく西上野を拠点にしていたとすると沼田城か。
そうなると真田昌幸は官兵衛のポジションが取れたかもしれんな。確かに濃い組み合わせだな。 信長が死んだ時点では蘆名最上伊達は
共同で越後へ介入を進めてた
織田(柴田)-新発田-蘆名最上伊達という
対上杉のラインがあった訳やね
とは言え蘆名は最盛期を築いた盛氏こそ
死んだとは言え別に輝宗の下についた訳でない
史実でもその後蘆名への介入を強めて揉めてるし
あえて旧幕府の枠組みである伊達奥州探題を
織田政権が打ち出す線は弱いのではないかね そこは出たところ次第でしか考えてないやろうけどなw
伊達に奥州探題的な役割与えて失敗したら伊達潰して織田から人を送ってこれに代える
関東も北条に関東仕置きは任せて本領は安堵しても上手くいかなかったら滝川一益に関東大名をまとめさせて畿内からも織田の軍を送って北条潰してしまえぐらい
何でも計画通りにはいかんし100年近く戦ったもの同士がすんなり丸く収まってくれると考えるようなお花畑脳は持ってないやろ、信長 >>120
興味深い。
そこを深掘りすると独立スレの二つや三つは消費するぐらいの議論になるだろう。
織田信長の治天下構想がどんなものだったのか。
中央集権−−中央権力即ち織田氏が全国を一元統治するのか、
地方分権−−既存の地域覇権を分国として織田氏が統括する連邦的国家か。
北條氏政などは後者と読んでいち早く内属を表明したわけだが、
既存権威を拠り所とする三職推任を蹴った辺りからすると
全く新しい「帝国」的中央集権体制を目指していたようにも思われる。 お花畑でなきゃ実質のない奥州探題に
今更従えなんて命令せんでしょ ちゃんと史料読んでたら信長でも一応名目立てて朝廷動かしたり書状で筋を立ててそれで通らないとなった時に初めて首のすげ替えとかやってるんだけどな
まあそんなことも知らんお花畑が実質があるなしとか言うてると思うと面白いなw それと奥州探題を改めて命じるかは関係ないだろ
逆に将軍追放後の信長が幕府役職を根拠に
政権運営してると言える例はあるだろか
各国の一職支配を認められてる家臣も
元守護職からその立場になった一色良定も
織田政権下では信長から所領安堵は受けてるけど
守護職に任じられた訳ではないでしょ 誰が正式に任官て書いた?
史料読んでない人はこれだから面倒なんや 正式に任じなくても同じことだろ
実質的な支配を伴う部分は安堵するにしろ
実質を伴わない奥州探題の任を任せるとかないべ >>119
本能寺の変の当時、伊達輝宗は失地回復戦争とそれに伴う合従連衡の最中か。
奥羽屈指の一大勢力ではあるが奥羽全体の一元管理を任すには弱いな。
仮に織田が奥羽統治を行うことになったら、名目や形式はどうあれやっぱり直臣派遣で「パクス・オダ」を目指すだろう。